ひじん本-第2集-(PDF文書)

目 次
02
はじめまして、日出町です。
04
特集 1 18
ひじまち写真館
22
特集 2 34
ひじ産イロイロ 第 2 回
40
二の丸館
42
お母さんの手仕事 第 2 回
46
特集 3 56
トピックひじまち 津嶋神楽
58
アクセス
60
ひじ暮らし、考えてみませんか ?
62
日出町 MAP
海の恵み
心も体も美しくなる暮らし方
工芸品・郷土玩具
ひやき
鏝絵
赤松橋
ひ
じ
ま
ち
はじめまして、
日出町です。
くにさき
九州は大分県の北東、国東半島と呼ばれる
丸く突き出た半島の付け根にある、
人口2万8千人ほどのこぢんまりとしたまちです。
海と山に囲まれたこのまちは、
自然豊かで暮らしやすい、
どちらかというと地味なまち。
高いビルのような都会的なにおいはありません。
ここに吹く風は潮と木のにおいを
まちの人へと運びます。
「田舎」というほどでもないけど、
普段から自然を感じる。
「都会」過ぎないからこそ、
暮らしを愛せる。
派手さのない何気ない日常の中に、
まちの人たちが普段口にしない
まちの魅力が詰まっていました。
これからまちの人たちの暮らしぶりを
少しずつ紹介したいと思います。
日出町には、海の恵みがあふれています。
その恵みに感謝し、生業とする人
その恵みに感謝し、味わう人
日出の漁師町には、自然とともに生きる
人々の活気がみなぎっていました。
日出の漁師町
す お う な だ
い よ な だ
北からは周防灘と伊予灘からの内
海水が流れ込み、南からは豊後水道
の分岐流が流入する別府湾。この別
㎞。
府湾北奥に豊かな水産資源を持つ日
出町の海があります。
日出町の海岸線の長さは約
か
な ごえ
年ほど前から徐々
将来のために働く活気あふれる人々
しかし、そうした中でも、漁業の
が実情です。
リーマンという家庭が増えているの
半農半漁や、父は漁師で息子はサラ
騰、後継者不足など様々。現在は、
理由は、漁獲量低迷、燃料価格高
ていきました。
り、漁業に従事する人の数も減少し
に、1つの船に乗る人数が1人にな
した。しかし、
い、1つの船で2世帯を養っていま
父 と 息 子、 親 子 2 人 で 漁 場 に 向 か
かつて漁師町が栄えていた時代、
があります。
れた、飾り気のない自然体の暮らし
そありませんが、豊かな自然に恵ま
漁師町には、派手な灯りや建物こ
眺めることが出来ます。
大分市や別府市の光きらめく夜景を
賑わいます。また、夕暮れ時には、
剣な目の仲買人、そして多くの客で
市が行われ、威勢の良いセリ人、真
り、体を休めています。早朝には朝
がずらりと並び、時折、海鳥が止ま
山を望む漁師町。波止場には、漁船
目の前に別府湾、背後に鹿鳴越連
るところが、漁師町です。
江を囲むように民家が立ち並んでい
す。それぞれの漁港を中心に、入り
出」
、「豊岡」の3つの漁港がありま
国東半島から西へ向けて
「大神」、「日
25
が、日出の漁師町にはいます。
5
20
1
特集
夢・漁師
「おやじが漁師じゃったからな
あ!」
ドッドッドッとエンジン音が響
年の中
く船内で、漁師の跡継ぎになった
のは当然と話す、この道
幼い頃からの夢・漁師になりたいと
「今日は波があるわな、向かい波
ます。
度に、申し訳ない気持ちになった
船酔いする様子を幾度も目にする
今までも多くの取材陣を乗せ、
から、
船がバウンドしてるやろう?」
じゃし。真正面から波が来ちょん
いう 強い思いがありました。
会 社 員 生 活 を 辞 め、夢 を 叶 え た
のは、 歳の時でした。
いざ、出航
のだそう。中山さんはもちろん「酔
に戻ろう」との判断になりました。
底引き網漁
約2時間かけて漁場に着きまし
た。
マ
㎞の距離です。
大分空港沖。深江漁港から
イル、おおよそ
日 は 取 材 中 や あ!」。 携 帯 電 話 越
時に出航。
「昔は時間帯を気にしなくてもよ
この日は、ベテラン漁師でさえ、
しに、漁師仲間と笑いながら報告
昼
「周り近所も漁師じゃったし、小
く獲れたが、今はそういかんなあ」
漁の中止を考えるほど波が荒い海
し合います。
山公夫さんです。
学生の時から興味あってな、おや
毎回、潮の満ち引きが確認でき
で し た。「 取 材 だ か ら 」と、 特 別
れました。
て自分自身に誓うように話してく
くに見える夕陽を見ながら、改め
えるという目標で付けた」と、遠
歳 で 竣 工 し ま し た。「 最 高 に 栄
しゅんこう
ら 2 文 字 受 け 継 い で「 最 栄 丸 」。
さい えい まる
父が乗っていた漁船「常栄丸」か
じょう え い ま る
相棒である漁船の名は、祖父と
器に、漁に挑むのです。
で追いながら、培った分析力を武
のレーダーや魚群探知機などを目
スの漁獲量を誇る海の男。操舵席
中山さんは漁港でもトップクラ
を決めることじゃな」
「コツはデータをもとにポイント
賭けている」のです。
辺 り に は 杵 築 市 の 漁 船 が。「 今
じによくついて行ったわ」と記憶
る〝潮時表〟を見て、出航時間帯を
船を止め、底引き網漁の開始で
をたどります。
に船を出してくれましたが、結局
高校卒業後、一旦は地元の銀行
に就職しましたが、脳裏にはいつも
ハモ
網を広げると鱧やイカ、車海老
など、活きの良い海の幸が船上に
㎏と
相当な重さとなる網を、大きく横
ハモ
するどい歯で網に噛みついて離
さない鱧は、ハサミを駆使しなが
すぐさま、箱を用意して、迷う
ら取り上げます。
ぞとばかりに船尾側に集まりま
1日1回の漁。漁獲高が5万円
ことなく素早い手さばきで分別し
に、勢いよくしぶきを上げて、す
ほどの日もあれば、0円の日もあ
す。ターゲットに狙いを定め、海
べての網が船上に引き上げられま
ていきます。
電動で素早く船尾先の海底へ落と
分間(通常なら2~3
を願い、ただただ待ちます。
海の男の戦い
いよいよ、大勝負の開始です。
る。 ま さ に 大 勝 負、「 1 回 の 漁 に
した。
今日は
入り込むように、網を曳きます。
ひ
固定されます。そして、魚介類が
で、 網 が 左 右 に 広 が っ た 状 態 で
mの〝ビーム〟と 呼 ば れ る 竹 棒
していきます。網の口は、長さ約
面へ首を突っ込んでいくのをよそ
魚泥棒のカモメの大群が、ここ
ていきます。
ながら、力強く、黙々と引き上げ
溢れ出ます。
外の物も含まれるため、約
を船上へ引き上げます。魚介類以
10
揺れする船内を行ったり来たりし
350
「入っちょるぞお!」
決めます。主に早朝か夕方の出航。
わんなあ!」と余裕の様子です。
15
す。ローラーに巻きついた網を、
!!
「 早 め に 切 り 上 げ て、 夕 方 に は 港
24
25
13
1日のうち 時間は海上で過ごし
25
時間 )だだっ広い海の上で、大漁
45
ビームを外し、電動で一気に網
7
35
15
漁師一家の食卓へ 「長男やし、4人兄弟だったから」
と話す戸田さんが漁師になったの
は、 歳の頃でした。まだ学校で
勉強をしている同級生たちよりも
時半頃に漁港へ戻り、
その後、
中山さんの漁師仲間であり先輩で
だ す み と
きました。
早く社会に出て、夢中になって働
と
しました。
戸田さんが 歳の頃、漁師の収
入はとても良く、公務員の月給が
年前、
漁師町が最も活気づいていた頃を
戸田さんは現在
知るひとりです。奥さんと、息子
おじいさんと、
中山さんも加わり、
これから
年前に息子さんが生まれた当
しい現状です。子どもの頃は遊び
高騰や漁獲量減少など、漁業は厳
いです。
「 甦 れ、漁業」が、戸田さんの願
現役漁師のパワーが漲っています。
そんな状況でも、日出町では、
発足以来、東京などの大消費地
〝ハモ部会〟も発足しました。
4月、中山さんが部会長を務める
す。若い漁師たちを中心に、去年
〝 鱧 〟の 普 及 に も 力 を 入 れ て い ま
る中、名産〝城下かれい〟に続き
の延長のように、頻繁に漁に付い
「日出町の魚は美味しい」と、魚
に鱧の販路拡大活動を行い、今年
なくなったそうです。
て来ていた息子さんも、別の職に
市場の朝市を訪れる常連客が増え
とその家族。ここには、これから
みなぎ
就いています。現在は、子どもが
6月には、大神漁港内に〝さばき
も受け継いでほしい食卓の風景が
よみがえ
漁師を継ぐことを期待する親も少
所〟も設けました。一般家庭では
ありました。
るようにすることで、地元の人に
鱧を気軽に食べてもらおうと、全
が大好きだと言います。美味しい
奥さんの美知子さんも〝さばき
く語る夜は、何時まで続いたので
ら、〝 日 出 町 の 漁 業 〟 に つ い て 熱
魚をつまみに酒を酌み交わしなが
所〟に勤めています。この日、戸
しょうか。
の絶えない団欒を楽しむ漁師仲間
きなどの海鮮料理が並ぶ中、笑い
その他にも鱧のからあげや湯引
い独特な食感に変わります。
から半透明となり、歯ごたえの良
ふつと沸き立つ湯に通すと、白色
なども入れます。浮き袋は、ふつ
て、鱧の身以外にも肝や皮、胃袋
が 濁 ら な い そ う で す。 具 材 と し
す。そうすることによって、出汁
あぶった鱧の骨で出汁を取りま
夕 食 の メ イ ン は〝 鱧 し ゃ ぶ 〟
。
てくれました。
を使い、手際よく料理を振る舞っ
田さんが獲った鱧や沢山の魚介類
員が力を注いでいます。
ところで、漁師町の男たちは酒
難しい、骨切りした鱧を販売出来
り巻く環境は一変しました。燃料
だそうですが、その後、漁師を取
時 は、「 後 継 ぎ が で き た 」 と 喜 ん
34
普段よりも賑やかな食卓となりま
した。
漁師としての願い
約6千円の時代に、漁師は1週間 でその倍の金額を稼いでいたそう
18
さん夫婦、
お孫さんの5人暮らし。
歳。
約
もある、戸田住人さん宅へお邪魔
14
です。
30
この日は、近所に住むお嫁さんの
66
8
9
17
早朝5時半。
数は年々減少していますねえ」と、
「後継者がいないことで、漁師の
べ、客への販売を開始します。
ぐさま市場の外にある持ち場に並
朝 市
漁師町の朝は早い 。
つ人の息づかいが増えはじめ、朝
まだ薄暗い早朝、市場に少しず
魚離れが進んでいることも要因」
題 も さ る こ と な が ら、「 消 費 者 の
漁獲量低迷や燃料高騰などの問
部博巳支店長は現状を話します。
大分県漁業協同組合日出支店の徳
りました。
その場で食べられるコーナーもあ
介類を使った出来立ての天ぷらを
た野菜や花の苗の販売、新鮮な魚
で一番賑わう土曜日。地元で採れ
取材に伺ったのは一週間のうち
とく
まずは、セリの用意からです。
なのだそうです。そのため、漁師
こにいる皆が魚好き。市場に活き
この日は、多くの来客を期待し
来への希望の灯りを絶やしません。
それまで。しかし、漁師たちは未
深刻な状況、と言ってしまえば
大 声 で 伝えると同時に、仲買人が
箱ごとに漁業者番号・魚の名前を
間。セリが始まります。セリ人が、
7時半。市場が最も活気付く時
るときに美味しい魚を振る舞った
「 よ く 買 い に 来 ま す よ。 来 客 が あ
わ れ て。 今 日 も 一 緒 に 来 て る 」
。
らな、また連れてってくれって言
グループは「一度友人たちと来た
べ ひ ろ み
早朝までに水揚げされた魚介類を
と消費者を繋ぐ仲買人も減少して
活きとした空気が流れ始めます。
きます。札の数字は、黒は大神、
ているかのように水揚量が
指で値段を示します。セリ人は、示
りね。安いから助かるわ」と言う
市の準備が始まります。
箱に並べ、獲った漁師を示す〝漁
います。
遠くから車で買いに来る客も少
業者番号札〟を箱の上に乗せてい
赤は日出、青は豊岡と、3カ所の
多く、市場の床には箱がぎっ
された値 段を読み上げ、セリが続
大分市からの常連客もいました。
なくありません。宇佐市から来た
漁港ごとに色分けされています。
し り と 敷 き 詰 め ら れ、 足 の
きます。そして、最 高 値 で 競 り 落
他にも初めて訪れた若い夫婦や、
踏み場もないほどでした。
とした仲買人の名が告げられ、次
しながら、
「美味しそうだな
て き ま し た。 箱 の 中 を 吟 味
長が仕切書にセリの内容を漏らさ
早いリズムに併せて、隣では支店
セリ人が竹棒で箱を順々に指す
一日の活力源にもなっているよう
エネルギー溢れる朝市は、皆 の
集う人々はとても楽しそうです。
近所のおばあちゃんなど、朝市に
原付バイクで買い物に立ち寄った
あ 」と 客 は に っ こ り 笑 い、
ず黙々と記入します。そして、仲
です。
の魚へと移ります。
「今日は量が多いぞ」と仲買
買人は、競り落とした魚介類をす
朝7時。市場に人が集まっ
人 は 腕 ま く り を し ま す。 こ
10
11
「ちゃちゃっとさばくよ!」
開始となります。ここは、販売用
灯り、セリが始まると同時に営業
清潔感あふれる室内に明かりが
の様子を覗けるように作られた
ます。朝7時頃、ガラス窓から中
〝 鮮 魚 さ ば き 所 〟が 設 け ら れ て い
ため、食べる前に包丁で骨を切る
は、長くて硬い小骨が非常に多い
打ちをし、3枚におろします。鱧
れがあるため、十分に注意して目
きが止まらない鱧は、噛みつく恐
の骨切りです。血抜きをしても動
さばき所のメインの仕事は、鱧
と余裕の表情です。
の鱧の骨切りをしたり、客が購入
下処理が必要です。皮まで切らな
大 神 漁 港 の 市 場 の 一 角 に は、
した魚介類をさばいたりする場
いように気を付けるのはもちろ
はも
所です。客の依頼に合わせて1回
円ほどで魚をさばき、家庭での
料理の補助的役割も担っていま
す。
昨年6月1日に完成したばかり
のさばき所で働くのは、漁師の妻
たち7人と、そのサポート役の大
やなぎは ら ひ ろ の り
分 県 漁 業 協 同 組 合 日 出 支 店 職 員・
柳原弘典さんです。全員、魚の扱
いは慣れていましたが、2週間ほ
どプロから指導を受けてコツを学
ん、大きな骨がのどに刺さらない
のふわふわとした食感を「是非と
した。淡泊な旨みと口に入れた時
も あ る け ど、 そ の と き は ご め ん
「忙しいときは依頼を断ること
少人数の家庭にもお勧めです。
さばき 所
鮮魚
びました。研修中から覚えは早く、
ように切込みを入れます。幅をあ
も味わって欲しいねぇ」と話しま
今では「ちゃちゃっとさばくよ!」
まり狭くしすぎると身が潰れて
な魚がよく持ってこられるのかを
な」と謝る柳原さんに、どのよう
鱧 に は「 生 命 力 が あ る 」 と い
伺うと「晩の来客用にと、大きい
す。
う 昔 か ら の 云 い 伝 え が あ り ま す。
魚 の 依 頼 が 多 い ね。 客 層 は
し ま う た め、「 慎 重 に 慎 重 に 」 包
骨切りを終えた鱧は、身がふっ
江戸時代、魚の行商が京都へ魚を
や
丁を入れていきます。
くらとなり、綿毛のような柔らか
売りに出かけた際、他の魚は腐っ
代
い 感 触 に な り ま す。 柳 原 さ ん は
代がほとんどだけど、中には
代の男性もいたよ」 と言いま
しく食べられる状態だったそう
の 魚 し か 知 ら な い 人 が 多 い 昨 今、
す。パック売りされている切り身
てしまいましたが、鱧だけは美味
ぶに。塩と胡椒で味付けしたフラ
です。日持ちの良さも自慢の鱧で
特に若い世代からの依頼は「とて
「 お 好 み で、 湯 引 き や し ゃ ぶ し ゃ
イや、ミンチにしてつみれにする
すが、冷凍保存にも適しており、
も嬉しい」
そうです。同時に
「もっ
と生きた魚を知って、調理を楽し
んでほしいねえ」とも言います。
「これは、お父さんが獲った魚か
も な 」。 漁 師 の 妻 た ち は、 魚 を 捌
きながら互いに目を合わせて笑い
ます。
さばき所は、朝から賑やか、大
忙し。漁師と家庭をつなぐ助っ人
12
13
③
②
①
50
たちの温かい気持ちであふれてい
ます。
全長 50cm 弱のスズキの 3 枚おろしもお手のもの
500
60
20
のも美味しいよ」と教えてくれま
鱧の骨をざくっざくっと切る音が潔い
お揃いの三角巾を被ってナイススマイル !!
ちりめんが出来るまで
8
7
3
豊後別府湾ちりめん
日出町では、新鮮でおいし
い「ちりめん」を食べることが
できます。特に「豊後別府湾ち
りめん」は、鮮度を保ちながら
釜揚げし、太陽の下で天日干し
して作るため、味・香りがとて
も良いことで有名です。
特許庁で「地域団体商標」と
して登録されている「豊後別府
湾ちりめん」は、プランクトン
が豊富な別府湾で獲れた片口い
わしの稚魚を原料としています。
新鮮さが命であるため、水揚
分程度。加えて、
げから釜ゆでにするまでの時間
は、わずか
る水産会社にご協力いただき、
後 別 府 湾 ち り め ん 」。 豊 岡 に あ
手早く、
そして丁寧に作る「豊
ます。
回設けられ、品質が保たれてい
異物を除去する選別過程が複数
20
その製造過程を教えていただき
9
10
選 別機を通った後、釜の中へ。流しなが
ら茹でる
5
ちりめん
タンクに入れ、水と撹拌し、バケットで持
ち上げる
「釜揚げちりめん」
。水分を吸い取り、
風をあてる
豊岡漁港でちりめんを干す様子
天日干し。ちりめんを手早く薄く広げて早く乾かす
乾燥室を通し、さらに選別したちりめんを外
へ運ぶ
ました。
15
2
1
色彩選 別 機は、千分の一秒の速さで異
物を識別、除去
最後にもう一度目視で選別し、丁寧に箱
詰めする
新鮮なちりめんの出来上がり♪
加工場は、湯気と、ちりめんの良い香りで
いっぱい
6
高速船で漁港へ運んだ「生ちりめん」は新
鮮ぷりぷり
小型底引漁法で獲ったちりめんを吸い上げ
機で水揚げ
4
雨の日も風の日も
年 間、 魚 の 行 商 を
行商人・秋山マツエ さん
日出町内で
あきやま
か ず み
早朝6時に自宅を出発。日出港まで
リヤカーを自力で運び、そこから和美
さんが運転する車に同乗し、大神深江
漁港のセリに向かいます。魚介類を仕
入れ、日出港に戻り、魚をリヤカーに
積んで、朝8時半から昼 時までがマ
は、 町 で こ の 人 だ け。 天 然 記 念 物
は「リヤカー引いて魚の行商するの
セリでは、長年の目利きを活かし、
い安い魚〟を売るようにしています。
マツエさんは〝 高い魚より家計に優し
ツエさんの行商の時間となります。
じゃ」と笑い、本人は「昔は、かた
和 美 さ ん に「 あ れ 買 っ て 」と〝ね だ
歳。息子の和美さん
げ(自力で行商する人)の人は多かっ
るように 〟指示するそうです。
とに 杵 築 市 から嫁いできたマツエさ
行くなっち言うのに、行くんじゃな」
が 閉 ま っ て い る 日 の み。「 雨 の 日 は
ん。嫁ぐ前は、
山住まいだったため、
と和美さんは困り顔。マツエさんは
行商は生きがいで、お休みは漁港
新鮮な魚が流通せず、魚を食べる習慣
「積んだ魚がなくなったら気持ちい
昭和 年、魚屋を始めたご主人のも
がなかったそうです。当時は、天秤棒
い」と商売人の血が騒ぐそうです。
軒。心待
ていましたが、
「主人の手伝いをしな
に売りに行くなんて」と恥ずかしがっ
で声を掛けて買ってくれる人がいる
「体が続く限りな」と話します。道端
ちにしている家々があるからこそ、
現在のお得意様の数は
がら、自然と慣れたわ」と微笑みます。
ことも嬉しいそうです。マツエさん
30
リヤカーを引き始めたのは、 歳頃
くスタイルで、
「田舎出じゃから、人
に水はけの良い桶をぶら下げて売り歩
29
たけどな」と懐かしみます。
エさん、御年
行っている女性がいます。秋山マツ
56
80
12
な
か
さ
の
28 歳の仲買人と 80 歳の行商人。
まち
私たち消費者へ新鮮な魚を届けるふたりは、
す
ま
け
世代は違えども、まちの魚への想いは一緒です。
を届
んが仲買人の跡を継いだ頃でした。
から。ご主人が亡くなられ、和美さ
明日も、坂を上り下り、魚を売ります。
は「しゃんしゃん売るよ」と、今日も
60
祖母の跡を継いだ若きホープ
セ リ は 勝 負。「 売 れ そ う な 魚 に
目星を付ける」そうですが、他の
仲買人に高値をつけられると「引
大神深江漁港・魚市場でのセリ
競り落とすため、熱い勝負の中、
お得意さまの期待に添う値段で
仲買人・辻 本 憲 二 さ ん
の中、鮮やかな水色のジャージを
冷静な判断力も必要となるわけ
き際」に迷うこともあるそうです。
着た、長身の目立つ仲買人がいま
です。
この道に入ったきっかけは、仲
を整えたい」と言う憲二さん。そ
「行商用の車に魚をさばく設備
つじもと け ん じ
した。辻本憲二さん、 歳です。
買歴 年の祖母・阿部ケサ子さん
28
言葉だったそうです。5年前、左
が 言 っ た「 歳 や け 辞 め る 」と い う
い課題が山積みだそうです。それ
処理など、解決しなければならな
のためには、大量の水や生ゴミの
お得意さんに「あんたんとこの
官職人の父の元で修行をした後、
魚を運んだり売ったりしていたそ
魚は美味しいと言われる」と喜ぶ
でも、漁港から離れた土地に暮ら
う で す。8 ヶ 月 経 っ た あ る 日、熱
憲 二 さ ん は、
〝ばあちゃんたちの
進むべき道に迷っていた時でした。
意を買った祖母から「セってみる
ア イ ド ル 〟な の だ そ う で す。「 可
す人や、調理が苦手な人たちにも
か?」と言われ、
「セってみる!」と
愛がってもらっていますね」と照
セリの駆け引きが面白く、夢中
即答。
「魚を触るのが好き」という
れる様子に、セリの時の勇ましい
「新鮮で美味しい魚を食べてもら
ことに気付いてから、魚をさばく腕
顔とは違った、さわやかな若き仲
で仲買人の技を見て学びながら、
もどんどん上がり、
〝 阿 部 鮮 魚 〟の
買人の顔が垣間見れました。
いたい」と、夢を語ります。
後継者として成長を続けています。
最初はケサ子さんがセリ落とした
20
16
太陽をたっぷりと浴びた野菜の味は、言うまでもなく
格別 頭にハートマーク。ご利益ありそう♪ 愛情
たっぷり回天焼きの出来上がり 新鮮な野菜はいか
がですか 赤い衣装の可愛い鼓笛隊
今夏から始まった「ひじフェス」
。雨にも負けずこの盛り上がり 学校に巨大ペンギン出現! 取材先の蔵でたまたま見つけた
年代物のレコード。渋すぎます 大神中学生も真剣な「魚の調
理教室」
青々とした稲が輝いてます お面の下もきっと笑顔 先生の愛が伝わってきます 日出中運動会。皆砂まみれで頑
張りました 今時のランドセルはこんなにカラフル
2
暮らしを紹介します。
そんなこの町の人の
心と体を整えて、健康に美しく。
時にはひんやりしたベンチで休憩したり…。
土の匂いを感じたり、風の音を聞いたり、
体を動かす人々。
眺めているだけでほっとする景色の中で、
海と空を一望できる山の道。
朝の光に包まれる海岸線や
起伏に富んだ地形の日出町。
海と山に囲まれ、
特集
3組をご紹介します。
毎 日 を 丁 寧 に 暮 ら す、
もしれません。
さをもたらしているのか
町の人に健やかさと美し
が、 心 を 豊 か に し、 こ の
穏やかな日々の暮らし
町の人。
かし庭や作物を作る日出
べ な が ら、 自 ら の 体 を 動
誰かの笑顔を思い浮か
えません。
が健やかな暮らしとは言
た り、 歩 い た り す る だ け
美しい景色の中で走っ
です。
ウオーキング大会の参加者は「歩くこと」が好き
ていた
参加し
大会に
連れて
ゃんを
今回、 愛犬のももち
の む ら ひろゆき
欠かさ
野村裕 之さんの日常の散歩に同行し、日頃から
。
ました
ない「歩くこと」についてお話を伺い
福岡県久留米市出身の野村さ
んは、大学卒業とともに日出町の
会社に就職。その後アメリカ、
東京と単身赴任をし、再び日出
町に戻ってきた5年前から〝ザ
ビエルの道 ウオーキング大会 〟
に参加するようになりました。
現在子どもたちは独立し、奥さ
んと愛犬のももちゃんと一緒に
暮らしています。
野村さんの趣味は〝ウオーキ
。昨年からももちゃんを
ング〟
連れて、約5㎞の〝Cコース〟
に2年連続で参加しています。
「こいつも散歩にと催促するも
んですから。な!」と笑い、も
もちゃんはそれに答えるように
尻尾を振ります。
日によって山・
日常の散歩では、
海・平地の3つのコースを楽し
〝海コー
「
んでいるというふたり。
ス〟は輝く水面が本当に綺麗。
〝山コース〟は、あちらこちらから
出る湧水が大好きなももが、水
分補給をしながら歩けるコース。
森林浴が出来るのも良いですね」と
野村さんは言います。
この日は藤原にある自宅から日出
港へと向かい、城下海岸遊歩道を歩
く〝海コース〟に決定。野村さんの
言葉通り、水面がキラキラと輝い
ています。
「湧水が出る水飲み場や、公共ト
イレの多い日出町は、ウオーキン
グ に 適 し て い ま す ね。 ま た、 自
然の中を歩くことで四季折々の移
ろいをゆっくりと感じることも出
来ます」と言う野村さん。一番の
お気に入りは、大会のBコースの
スタート地点でもある、経塚山の
「故
山 頂 か ら 山 田 湧 水 ま で の 道。
郷にはない美しい景色を眺めるこ
とが出来る」そうです。
「少しの移動でも車を利用するこ
とが多い現代人は、気を付けない
と運動不足になりがちです。是非
ウオーキングを楽しんでほしいで
すね」と話す散歩後の野村さんは、
心身ともにリフレッシュした顔を
されていました。
歩道
城 下海 岸 遊
て し ま
はじめ
作庭家 手島一さん
にわじい
見物客の1人に「観光庭園に
してはどうか」と提案された
庭爺こと手島一さんは
歳。「庭爺の森 天空」と呼ば
ことをきっかけに、多くの人
さく
「庭爺の森 天空」をオープン
が気軽に訪れやすいように
「自分が作りたい庭を作る」
しました。
作り続けて 年になります。
と、5700坪の土地に庭を
※ す。
庭家 で
てい か
れる観光庭園を作り続ける作
83
つこつ庭作りをしていると、
だったというこの場所で、こ
かったそうですが、ミカン畑
観光庭園にするつもりはな
覚 え な い で し ょ」。 お 客 さ ん
ん。「 名 札 を 見 る だ け じ ゃ、
ある札や看板は一切ありませ
の植物には木の名前が記して
2年目になる「庭爺の森」
ると、何度も訪れる人も出て
が嬉しくて色々な話をしてい
見に来てくれた人が喜ぶ姿
殺菌作用があるから爪楊枝に
クロモジ
(黒文字)
という木で、
何 か 一 言 添 え ま す。「 こ れ は
れに答えるだけでなく、必ず
に木の名前を聞かれても、そ
きました。嬉しい反面、来る
するの」と、お客さんと会話
も う ダ メ。 そ の 場 で 交 渉 し て 持 ち
度に頂く差し入れについて申
「 植 物 を 覚 え る な ら、 植 物 園 に 行 け
帰ってしまう。人と一緒で出会いが
し な が ら 一 緒 に 森 を 散 策。
ばいい。木と交わる。木と対話する。
大事なんですね」
。
た い 」。 そ ん な お 客 さ ん の 一 言 か ら
「こんな木漏れ日の下で本が読み
ひ ょ い と 抱 え、「 あ ー で も な い、 も
ば気が済まず、
も、気になったらすぐに動かなけれ
毎日の手入れで森を歩いていて
出 来 た の が、 海 を 望 む 場 所 に 椅 子
う少しこっちか」と、
納得するまで、
㎏以上ある石臼を
が 置 か れ た「 読 書 の 丘 」。 庭 爺 の 森
延々と微調整を続けるそうです。
園内にはジャズライブも行える森
のが楽しみなのだと、はにかみなが
た、変わったね」と、驚く顏を見る
る天空の森は、日々変化し続けます。
のステージや、ピザ釜のあるカフェ
「森を作るのがテーマなの。裏テー
マはリサイクル」と自らが作る庭に
ついて話す庭爺。瓦の代わりに塀に
配置されたゴム製のベルトや金属の
釜等、一見、森とは不釣り合いのよ
うに感じる素材を取り入れ、廃材に
新たな役目を与えています。
外 出 先 で 廃 材 を 見 か け る と、「 あ
そこに置きたい」と、頭の中で設計
日出町藤原 5673-1
0977-72-4258 10:00~17:00(ピザの提供は金~日・祝の11:00~
17:00) 月曜
(祝祭日は翌日)
・季節により無休の
大人300円、子ども100円
約 30台
場合あり
きます。
ら木肌を撫でていました。庭爺が作
遊びに来てくれるお客さんが「ま
20
等、人々がくつろぐ場所が増えてい
話 か ら イ ン ス ピ レ ー シ ョ ン を 得 て、
で過ごしているお客さんの姿や会
だと言います。
体験して、学ぶ」が庭爺のスタイル
し訳なく思っていたところ、
なりました。
徐々に見物客が訪れるように
14
28
29
ハンチングとエプロンが庭爺の作業スタイル
してしまうそうです。「そうなると、
庭爺の森 天空
「読書の丘」木漏れ日の差すベンチは読書のため
園内のカフェで石釜ピザが味わえるのは金~日・祝のみ
※作庭家 … 庭園の作家
大神ファーム オーナー
林満二郎さん・奈奈さん
はやし み
つじろう
な な
雰囲気を醸し出しています。
ごとの花やハーブが彩り、素敵な
り入るくらい広大な敷地を、季節
神ファーム。東京ドームがすっぽ
プン2年目に、偶然、求人を見つ
を感じる」という奈奈さん。オー
フェへ続く道を歩くときに幸せ
「毎朝、ファームのゲートからカ
です。
た、冬の寒い時期でも、遠方から
い」と、社長の顔になります。ま
を褒めてもらうと「やっぱり嬉し
うです。雰囲気の良さやスタッフ
ます。
には、自然との一体感も感じられ
ギ ー を 出 す 」。 フ ァ ー ム で 働 く 姿
この空間を創り出しているの
の来園者が喜んでくれたことが、
さまとのふれ合い
二郎さんは、お客
ながら振り返る満
ました!」と笑い
のことを「光って
当時の奈奈さん
いかもしれないですね。冬を乗り
つ い て 語 り ま す。「 植 物 も 同 じ 思
としお」と、ファームでの仕事に
て緑や花が増えるときの喜びはひ
しています。それだけに、春になっ
大変な思いをして、植物の世話を
奈奈さんも「冬場もスタッフは
せん。「植物が育つのも少しずつ、
らすべてを作り上げようとはしま
きなものから植えていき、最初か
るそうです。庭作りは、家族の好
穫を楽しみ、料理に取り入れてい
たもの」を植え、子どもたちと収
ル、ルッコラなど「ちょこっとし
ディッシュやブルーベリー、バジ
自然を感じる生活です。庭に、ラ
に、ファームで働
越え、春になると、一気にエネル
長 年 の 夢 だ っ た「 tico moon
ハー
ブ園の演奏会」が開催されました。
く喜びを感じるそ
働く夫妻の日常も、好きなものを
以前から個人的に好きで、カフェ
作るのも少しずつ」
。自然の中で
無理せず、という自然体です。
はり自然体の答えが返ってきまし
ものから、始めてみては」と、や
スを!」とお願いすると「好きな
か分からない私たちに「アドバイ
けれど、どこから始めたらいいの
では、そんな暮らし方に憧れる
開催していくとのことでした。
とや、自分でもしてみたいことを
ンを聞いてみると、興味のあるこ
画を始めたそうです。今後のプラ
にぴったりかも」と、ライブの企
問い合わせが多くあり「この空間
音楽を気に入ったお客さまからの
でこのCDをかけていたところ、
た。例えば、
花やハーブがあれば、
の1種類から始めてみる。
そして、
を育てるなら、まずは、好きなも
素敵な雰囲気が生れます。ハーブ
然体にしてくれそうです。
の空気は、訪れた人も、そんな自
理せず、少しずつ。大神ファーム
一貫して、好きなことから、無
コップに水を注いで挿すだけで、
収穫したバジルをパスタにのせた
り、ミントをケーキに飾ったりす
ると「素敵な一皿になる」そうで
す。その違いを一度でも実感した
ら、どんどん実践できるのかもし
れません。
大神ファームでは、いろいろな
イベントやワークショップも行わ
れています。先日は、奈奈さんの
そんな林夫妻の日常は、やはり、
け、スタッフとし
「庭で採れたレモンでレモネードを作ると味が全然違います」
とても嬉しかったそうです。
が、林満二郎さん・奈奈さん夫妻
大神ファーム
て働き始めました。
森に囲まれ別府湾を一望する大
日出町大神 6025-1
0977-73-0012 9 : 0 0 ~ 17:0 0( レストラン・ショップは
10:00~) 火曜(祝祭日営業)4~6月は無
休
大人 5 0 0 円/小・中学 生 3 0 0 円 ※
季節により料金が異なる。要確認 200台
気候が温暖な大神は、木や花や果実を育てるのに適した環境
「子どもたちが喜ぶイチゴを庭で作ってます」
そうです。
て体調が良くなったと感じている
た自分たちの野菜に出会うのも楽
ンやパン屋で、思わぬ変化を遂げ
しみだといいます。
「 虹 が 綺 麗 だ っ た よ ね 」「 あ れ、
畑での作業の合間に、自分たち
で作った野菜を外に売りに出るこ
いつごろだったかな?」「カボチャ
同じ記憶を思い出すのにふたり
とが気分転換だというふたり。各
品のお店など、野菜の出荷先を自
の基準は畑の野菜。作業している
の時期だったよ。苗植えてた」
分たちで開拓します。その他にも
うちに、ひとつずつ思い出が増え
地で行われるマルシェや、自然食
青井農園の作物を認めてくれた仲
ていきます。
畑に出ると、少々ぶっきらぼう
介業者が、インターネット販売や
オーガニック野菜の販売店に卸し
だ と い う 朝 輝 さ ん。「 こ れ、 や っ
ちょけ!」と、厳しい言い方にな
ることもしばしば。朝輝さんに悪
気はないので、根に持たないけれ
ども、言いたいことは言うことに
し て い る と い う 円 さ ん。「 家 族 で
顏を合わせて作業するんだから、
仲良くしなきゃ」。
ふたりは、長年農作業を行うご
両親の年齢の半分ほど。
「大根、上
手く出るといいね」と、小さな双
葉を眺めるふたりを、温 か い 空 気
が包んでいました。
青 井 農 園 青井朝輝・円さん
笑顔で周囲の温度を上げてしま
あお
うような、温かい雰囲気を持つ青
まどか
があるよって行った山梨で…」と、
照れ臭そうな朝輝さん。
現在は、自宅近くの畑で朝輝さ
い ともあき
井朝輝・円さん。ご夫妻は無農薬・
んと円さん、ご両親のお兄さんと
「代々農家で、親父の代の時に無
たのが円さんでした。
れた〝無農薬農法の研修先〟にい
輝さんが、お父さんを通じ紹介さ
頃から農業をしたかったという朝
会 っ て な か っ た よ ね 」。 子 ど も の
と出会いました。 「お義父さんがいなかったら出
業大学校の研修生だった朝輝さん
お店で働いていた時、出張先で農
じていないそうです。自然食品の
さい頃アレルギーになった経験が
なった」と言われたそうです。小
き 出 も の が な く な っ て、 綺 麗 に
後の最初の里帰りの際、親戚に「吹
れるのが良いんですかね」
。結婚
何より、野菜を惜しみなく食べら
のか意外と日焼けもしませんし、
ますね。土だと照り返しが少ない
て「体力がつきました。夏場は2
いなかった円さんは農作業につい
農業に従事するとは想像もして
5人で作業を行っています。
有機栽培で野菜を育てています。
円さんは東京出身、6年目にな
農薬に切り替えたんです。土を作
ある円さんは、結婚前も食物に注
る日出町での暮らしに不都合は感
り替えることから始まって…。親
意を払っていましたが、嫁いで来
~3時間おきに休憩しなきゃ痩せ
父に相談したら、こういう研修先
32
33
「ここから虹が見えたとき、しばらく見惚れていたんです」と、畑からの見える景色を思い出す青井夫妻
てくれているそうです。レストラ
自然の中にある農園では、キジを見かけたり、野生動
物との思いがけない出会いが
料理好きで、たくさんの野菜をどんな風にいただくか考えるのが楽しいという円さん
料理好きの凝り性が作る器
こ い し せいざん
小石聖山さん 歳。福岡で支援学
校の教諭として窯業の指導を行う傍
ら、自宅工房で焼き物を作り続け
余年。退職し、自分の人生を過ごし
たいと郷土の川崎に工房を開いて
年になります。
聖山さんの工房は、1人で作ってい
るとは思えない程バラエティに富んだ
焼き物で埋め尽くされています。
「食いしん坊だから、自分で料理し
て美味しく食べたいって思った時
に、こういうのがあるといいな、と
作り始めることもあります」
。
凝り性で、1つのことを始めると
のぼせてしまうという聖山さん。国
※商品は二の丸館でも購入可能。工房見学の際は事
前に電話連絡を。
宝の図録を見て真似たり、見た目を
楽しくする為、発色の研究をしたり
といくつも焼き上げます。そうして
増えていったテイストの異なる焼き
物を、宝探しをするように見て回る
常 連 さ ん も 多 い の だ と か。「 好 き な
人に使ってもらえれば…」
35
聖山さんの遊び心が詰まった器は食
卓を華やかに彩る日を待っています。
日出町大字川崎48-5 0977-72-9945 10:00 ~ 17:00 不定 8台
20
10
育む、
な人々が
の。
と穏やか
候
気
素敵なも
な
や
穏やか
しいもの
い
お
ご紹介。
の
と
産まれ
イロイロ
を
”
産
合う
ひじまち
じ
の“ひ
言葉が似
たくさん
…そんな
さ
し
優
そんな、
す。
くもり・
素朴・ぬ
土玩具で
今回は、
芸品や郷
工
た
っ
じが 詰ま
色んなひ
日出暘谷焼 聖山窯
自然 灰を 80%使用した灰釉薬に顔料を混
ぜた釉薬を手作りしている
食卓が楽しくなればとカラフルに採食された
箸置き 500 円
64
真清水が湧き出る城下海岸の海を
イメージしたさざなみ紋シリーズ。
小皿 500円~、大皿 3,000円~、
小皿
(金ぶち)1,000円~
国宝の 焼き物の写 真 集
を見ながら「少しでも近
いものが出来ると嬉しい
ねぇ」と小石聖山さん
とユーモラスなものが多いかな」
。
主人のは民話の一場面だとか、割
うか、表情が違うって言われます。
ものと、私が作ったものは目とい
を行ってきました。「主人が作った
夫婦それぞれに型を創り、絵付け
4年前に修さんを亡くすまで、
同じく子どもの頃からやってみた
憶を綴ったエッセイのまとめや、
ことをやる」と、子どもの頃の記
し た そ う で す。 以 来、「 や り た い
から声を出すことで元気を取り戻
んな時に「合唱」に出会い体の中
くは茫然と過ごす日々でした。そ
と が た く さ ん あ る か ら、 ぼ ち ぼ
手 を 休 め、「 そ れ に、 や り た い こ
年 齢 的 に も 大 変 な の 」。 絵 付 け の
「全ての工程を1人でするのは
人形創りを続ける事にしました。
「 続 け て ほ し い 」と の 声 を 頂 き、
思い、日本各地のファンの方から
このままにすることが忍びなく
ちね」と人形と同じ穏やかな表
かったというピアノに挑戦。
修さんの体を気遣い、子育てし
充 実 し た 毎 日 を 送 る 中、 修 さ
やりたい事が多すぎて
時間が足りないのよ
棚田に囲まれた豊岡漁港を見下
もんじょう と も こ
ろす場所にある工房で、土人形と
土鈴を作っているのは門上倶子さ
ん。
よく練られた粘土を手造りで成
型し、焼き上げた人形に、細い筆
もんじょう おさむ
を使って表情を持たせる日出人形。
年に始めました。東京
日出人形は門上修・倶子さん夫
婦が昭和
「干支の午なの。1人でやってるとなかなか進ま
なくて…」と倶子さん
豊岡に工房を開きました。
ある大分県へ戻り、自然が豊かな
ことをきっかけに、2人の母校が
ましたが、修さんが体調を崩した
や広島でデザインの仕事をしてい
53
36
37
ながら人形作りを続けてきた倶子
情で微笑んでいました。
※商品は二の丸館でも購入可能。工房見学の際は午
前中に電話または FAXで連絡を
んと共に作ってきた日出人形を
日出町豊岡 2598 - 8
0977-72-1272 なし
さん、修さんを亡くされてしばら
郷土民芸 日出人形 ひとつひとつ表情が違う日出人形。独特の味わいがある。日出姫だるま 3,000 円
上:左から、飾り午 大 7,000 円、唐子土鈴 午 3,200 円
中:夫婦それぞれが起こした型は約 300 種類
下:いらっしゃいませ ペア 2,000 円
まだ ま だ 、 ひ よ っ こ で す
きをした竹を使う「白物」に対し
て、漆塗りや染色されたものを表
す言葉です。染色が好きな諸冨さ
んが、色や色味のデザインを突き
詰めたいという思いを込めた名前
です。
センターで2年間学んだ後、現
在は、下請けの仕事などをしなが
ら、自分の作品を作っています。
ルムと、優しい色合いを持つ作品
どこか親しみやすさを感じるフォ
駆出しの竹職人、諸冨京子さん
は、「 ま る く て、 こ ろ っ と し た も
もろとみきょうこ
は、日出町藤原の自宅近くに「竹
のが好き」という諸冨さんの人柄
も反映しているようです。
工房モロクロ」を構えています。
自宅の離れに手を加えてこの工
房を作ったのは、大分県竹工芸・
訓練支援センターに入校してすぐ
の頃でした。
「早過ぎじゃない?」
と周りの人からは笑われたそうで
すが、日の光がたっぷりと差し込
む作業場は「本当に落ち着く」場
所だそうです。
工房の名前「モロクロ」の由来
くろもの
は、
「 も ろ と み の、 く ろ も の 」
。
「 黒 物 」 と は、 山 か ら 切 り 出 し た
作品を作る際のインスピレーショ
ンは、モネの「ふわっとして、ぱっ
と鮮やかな色味」や、ちょっと意外な
『 ジ ョ ジ ョ の 奇 妙 な 冒 険 』の 刺 激 的
な発想や色から得ているそうです。
「買ったものには、出会うべくして
出会った」と感じて大切にする諸冨
さ ん は、 お 客 さ ま に も、「 買 う 運 命
にあったに違いない」と思ってもら
えるものを作りたいそうです。自分
が欲しいもの、作りたいものを追求
していけば、きっとそれが自分のブ
ランドになる。それを、気に入って
くれる人がいれば、と創作を続けて
います。
「みんなが、ほっと安らげる場所な
んじゃないかな」と、日出での暮ら
しについて話す諸冨さん。県外から
「日出でものづくりをしている人たちの横の
つながりができれば」と諸冨さん
※工房見学の際は事前に電話連絡を。
竹細工を学びに来ている友人も、日
出町で一軒家をシェアしているそう
で す。「 ト ー タ ル で 考 え て、 住 み や
すい町。素朴さが一番。ここで、生
まれ育って本当に良かった」
。
39
諸冨さんは、これからも日出で竹
日出町藤原 080-3184-8080
http://supersoda.blog.fc2.com/
あたたかい日が差す畳の作業場
応接間の机や棚の色は、染色した竹細工が映える濃い茶色に統一
キノコランプ ピンク 35,000 円、プレーン 30,000 円
なめらかな手触りの手さげむつめ 10,000 円
細工を作っていきます。
竹工房 モロクロ ままの竹を使う「青物」や、油抜
左から、髪飾り(染色有)大 2,000 円・小 1,500 円、髪飾り
(染色無し)大 1,500 円・小 1,000 円、腕飾り 4,500 円
二の丸 館
で 買 える
ひじ土 産
◆ 大分トラピスト修道院 トラピストクッキー
9 包 /420 円 18 包/840 円 27 包/1,260 円
修道士が心をこめて作る、バターとミルクの素朴な
味。十字架と星の焼き型が何ともノスタルジック。
日出町産まれのイロイロが手に入る。
「二の丸館」でお気に入りをみつけて。
◆ 幸喜屋 城下かれい味噌 芳醇な味噌と、蒸したかれいのそぼ
ろを練り合わせた珍味。生姜や椎茸、
山椒も入っており、爽やかさと旨味
が凝縮。中小企業長官賞受賞。
◆ 瓢箪 500 円~
ひょうたん
神が宿ると云われる瓢 箪に、カラフルな色やユニー
クな顔が描かれている。
(写真は、瓢箪 2 個/ 1,500 円)
INFO
EVENT
GUIDE
やかた
CAFE
JR暘谷駅から徒歩5分の場所にある二の丸館。
観光案内所をはじめ、地域の特産品の販売コーナーや甘味処、
無料で利用できるレンタサイクルがある日出町の観光拠点。
特産品だけでなく、イベントや宿泊施設などの情報が一挙に集まっています。
日出町を訪れる際は、是非お立ち寄りください。
日出町 2612-1 0977-72-4255(日出町観光協会)
二の丸館 9:00 ~17:30 /甘味処
やすらぎ 10:00 ~ 16:00 12月29日 ~ 1月 3日(共通) ※甘味処やすらぎのみ水曜休(臨
時休業あり)
大型バス 3 台・普通車 12 台(無料)
100g/1,260円
41
◆ 竹炭工房 竹取座 ◆ 日出焼 藤原窯 525 円~
入浴の友 2 0 0 cc/
城下かれいのモチーフにこだわった
窯元の作品。かれいが隠れた湯呑み
やかれい型の皿など、愛着を持って
(写真は、カレイ皿/ 1,260 円)
使える。
500円 500cc/ 880円
竹酢液を使用した入浴剤。
肌スベスベ、体ぽかぽかに
なると女性に人気。
◆ 日水加工株式会社
豊後 別府 湾ちりめん 80g(贈答用)
/500円
新鮮なちりめんを天日干しに
することで 甘みが 増し、 噛
めば噛むほど潮の旨味が広が
る。塩分控えめ、
完全無添加。
40
「ひやき」
小麦粉・砂糖・塩・水のみで作ら
れたシンプルなクレープのような大
分県の伝承料理〝ひやき〟
。黒砂糖を
まぶしたり、高菜漬けを混ぜたり、
戦後の子どもたちのおやつとして喜
お お が
ばれていました。
今回、大神に住むお母さん4人の
協力のもと、近所に住む若いママと
その子どもたちも集って、
〝ひやき〟
を囲んで食事会を開きました。
2
~ひやきの基本
レシピ~
【材料】※2~
3人分
小麦粉 75g ※
大神軒ノ井の じ ご な
地 粉を使 用
砂糖 大さじ2
塩 小さじ2
分の1
水 15 0㏄ 油
適量
●
●
●
●
●
①小麦粉・砂
糖・塩を袋に入
れてまんべんな
く混ぜる(ふる
②ボールに入れ
いでも可)
て水を加え箸で
混ぜる(泡立て
③油をひき、熱
器でも可)
したフライパン
に②を流し入れ
④表面が乾い
て焼く
てきたら、ひっ
くりかえして焼
く
⑤できあがり
ひやきを囲んで
お母さんと一緒に手仕事話
―当時のひやきの思い出を教えて
ください。
大星さん「子供にはお菓子を買わ
ず、ひやきがおやつだった。昔は、
ひやきは、戦後、小麦粉が普
とかな。子どもたちも自分で作って
北野さん「ひやきとか、石垣もち
店が近くになかったからなあ」
及した頃、家庭にある材料で出
食べよったな」
月のあるお昼時。
「ひやきを作ってください」と
来るおやつとして作られたも
秋深まる
いうお願いを快く引き受けてく
のと云われています。お母さん
きながら、伺いました。
この家庭も、ご主人は外で忙しくて、
母子家庭のようなもんだったけどな」
藤本さん「今は便利になりすぎ」
活を改善するための〝新生活運動〟
一同「本当に」
大星さん「手作りするのが普通だ
というのがあってね、色々作ってい
たから、買いに行けん。だから作っ
と思っていたから。皆貧乏だったか
たなあ。結婚した時には、ガスもな
大星さん「当時は、婦人たちの生
ら、 買 え な か っ た と
い。おじいちゃんが手作りしたよう
てたな(笑)」
北野さん「車の運転ができなかっ
んですね。
― 市販のお菓子は食べなかった
ださった藤本さん宅に、お母さ
年代に 遡 ります。
さかのぼ
たちのひやきの思い出は、昭和
年代から
40
そのお話を、ひやきをいただ
30
ん仲間の大星さん、北野さん、
和 田 さ ん が 集 ま り ま し た。
〝子
も孫も、ひやきで育てた人〟や
〝 手 作 り 料 理 名 人 〟 な ど、 腕 利
きのお母さんばかりです。
いうのもあるな」
ま し た か? 時 間 が
ない! とか。
きは大変と思ってい
れる〟おつまみや漬物話に、若いマ
特に北野さんの〝ちゃちゃっと作
理について、盛り上がり始めました。
…と話は、お母さんたちが作る料
な台所だった。おくどさんだから、
大 星 さ ん「 そ ん な
マたちが「それ、教えて!」と興味
一同「そうそう」
こ と な い。 今 よ り 忙
津々。玉ねぎ味噌に、ピーナッツ豆
かまどの火を燃やしてな…」
し く な か っ た し。 ど
事のあたたかさを改めて感じること
―おやつを作ると
腐、 く ず 野 菜 を 利 用
会が終わる頃、藤本さんがにこや
が出来た食事会となりました。
シピ本から飛び出し
か に 提 案 し ま し た。「 玉 ね ぎ 味 噌、
し た お 惣 菜 な ど、 レ
た よ う な〝 大 神 の お
ここで作ればいいじゃない。
」
した!
ご協力どうもありがとうございま
が開かれそうです。
をテーマに、世代を超えた〝女子会 〟
これから先も、お母さんの手仕事
母さんたちの知恵〟
が、 笑 い を 交 え て 伝
わっていきます。
話 は、 そ の 他 の 手
仕 事 に つ い て、 に 変
わります。
「 結 婚 し て 一 番 に、
義理の母が洗濯機を
買 っ て く れ た。 ミ シ
ン も 」と 言 う お 母 さ
んや
「うちは手で縫っ
てたな」という家庭
も。
若いママたちのひ
と り は「 今 は 便 利 に
な り す ぎ て、 買 え ば
済 む か ら、 作 ら な い
んでしょうね。 昔は、
ちゃんと作っていた
ん で す ね 」と、 手 仕
2
10
こて
え
左官職人が漆喰の壁に鏝を使って描いた
年(1897年)代に
他、個展グループ展多数。
伝 統 的な日本画の技法を用
い、根源的でプリミティブな
イメージを想起させる絵画表
現を探 求。現 在 京都にて活
動中。祖 父は日出町 立萬里
図書館長、荒金錬次。
ht t p : // k a n k a o r u .t u m b lr.
com/
レ リ ー フ 状 の 絵 画 〝 鏝 絵 〟。
年の年月を一子相伝の技
年(1911年)に鉄道が開
港からは多くの竹類や石灰が移出・荷揚げされ、
通 す る ま で、 海 の 玄 関 と し て 繁 栄 が 続 き ま す。
が開設され、明治
治4年(1871年)に大阪・別府間の定期航路
9年)を過ぎた頃と考えられます。日出町は、明
12
こ の 頃 か ら 鯉 市 の 仕 事 は 急 激 に 増 え て い き、 材
料の供給も安定した明治
30
蔵 飾 り な ど と も 呼 ば れ 、大 分 県 内 の 鏝 絵 は
日本一と言われています。
日 出 町 の 鏝 絵 は、
せるのは、西南戦争が鎮まった明治 年(187
鏝 絵 が 庶 民 の 文 化 と し て、 大 分 県 内 に 姿 を 見
えてきました。
不遇な時代も先祖から伝えられた技術で乗り越
たと考えられます。明治維新後、禄を失うなど、
た青柳鯉市が江戸に修業に行ったときに習得し
云われています。その技術は、元々左官職人だっ
脇・ 脇 口 の 7 家 族 が 明 治 に な っ て 塗 り 始 め た と
左官職人集団の青柳・石川・岡部・柴崎・藤井・
術 を 嫁 取 り や 養 子 縁 組 で 守 り 抜 い た、 日 出 藩 の
300
44
2000年 京都造形芸術大学 美術科 日本画コース卒業
2001年 第5回公募新生展 新生賞受賞
2 011年 松陰芸術賞受賞
2012年 康耀堂美術館賞受賞 京都造形芸術大学 買上 2004年11月~2005年8月
京都造形芸術大学国際藝術研究センター フェロー
2007 巴バルブ株式会社本社エントランス 壁画設置
2008 京料理木乃婦 大広間 壁画設置
は、数多くの鏝絵を残しています。
「私が作るとしたらこんな鏝 絵」というテーマ
で、日本画家・菅かおるさんにイラストを描い
ていただきました!
3
特集
鏝絵
日出町には、現在
数点の鏝絵が残されていることが確認されています。
増え、一家は馬屋を大切に残すこ
動を始めると、鑑賞に訪れる人が
された〝日出町鏝絵同好会〟が活
を保存することを目的として結成
そうです。その後、日出町の鏝絵
青柳鯉市は、日出藩御用左官職
ました」と文江さんは言います。
ことができない職人だったと聞き
です。人気があり、なかなか雇う
「腕がものすごく良かったらしい
〝馬屋新築記〟に記されています。
て生まれました。 歳の頃、同じ
さ
ん
ば
そ
う
藤原赤松・尾方洋一氏宅
ちゅうべい
文江さんの父・忠平さんも、牛
お が た よう いち
風光明媚な山間にある尾方洋一
馬をとても大切にしていたそうで
やまあい
さん宅を訪ね、母・文江さんにお
す。自分のお茶碗によそわれたご
ふ み え
話を伺いました。御年 歳です。
尾 方 家 の 鏝 絵、〝 猿 の 三 番 叟 〟
与えていたことを、文江さんは懐
飯を、馬屋に持っていき餌として
ま す。 猿 は 牛 馬 の 守 り 神。「 馬 屋
に魔風(魔物の吹かせる不吉な風)
以前、馬屋に猿の鏝絵が施され
貴重な芸術作品
んでしまう」という云い伝えを恐
ている家は、町内に3軒ありまし
また、当時は、和紙で包んだ猿
り、現存するのは尾方家のみとな
道路の拡幅工事で取り壊されてお
た。しかし、他の2軒は老朽化や
の左手と毛が納められた茶筒が、
年ほど前
りました。尾方家も、
に取り壊わしを考えたことがあり
も、旧日出藩領のみならず周辺地
も 云 わ れ て い ま す。 明 治 維 新 後
激をうけた職人のひとりだったと
をじっと待ったそうです。また、
暑い中立ったままで描き終えるの
もり傘を男性に差しかけ、
自分は、
と心配になった文江さんは、こう
ける様子を見て「倒れてしまう」
ことです。炎天下、黙々と描き続
京都から鏝絵の写生に来た男性の
よく思い出すのは、真夏のある日、
鏝絵が残っています。大事にして
くださる皆さんのおかげで、今も
すわけにはいきません。見に来て
今も大切に語り継いでいます。「壊
そして、その情景を、文江さんは
文江さんの記憶に残っています。
れた願いは、当時の風景とともに
や、家族から聞いた鏝絵に込めら
幼い頃の鏝絵にまつわる思い出
ましたが、そのままにしておいた
尾方家の鏝絵を制作した左官職
域で、民家の白壁に鏝絵を作り、
小麦粉でこしらえたお団子にきな
いきたいです」とにこやかにお話
あおやぎ こ い ち
人 は〝 青 柳 鯉 市 〟で あ る こ と が、
多くの作品を残しています。
粉をつけて出し、縁側でおしゃべ
見に来てくださる
皆さんのおかげ
鑑賞に訪れる人々とのふれあい
付けられていました。
馬神の御札も、内部の四隅に打ち
入口正面左側の柱に下げられ、牛
込め描かれました。
れ、牛馬を守りたいという願いを
が当たると、牛馬が熱を出して死
かしそうに話してくれました。
は、明治 年に建てられた馬屋の
92
正面入口上部の大壁に施されてい
18
ししてくださいました。
入江長八(伊豆の長八)の技に刺
ちょうはち
もあり、漆喰芸術・鏝絵の名工、
した。江戸で修行をしていたこと
20
猿の三番叟
その中でも、鏝絵が数多く現存している藤原地区にある2軒のお宅を訪ねました。
とを決めました。今では、非常に
わき ぎ い ち
また、左官職人の名前や建築費
く左官であった青柳家の養子とな
ある日出後川の脇儀市の五男とし
などが墨書きで記録された板札、
り、 歳で日出藩お抱えとなりま
として、今も保存されています。
〝 馬 屋 新 築 記 〟が 大 変 貴 重 な 資 料
います。
10
りを楽しんだこともありました。
鯉市の腕
22
30
30
人でした。天保 年、左官職人で
めぐり
貴重な芸術作品として認識されて
ひ
が楽しいと文江さんは話します。
49
ま
じ ち
えびすと鯛
藤原地区東部・河野行良氏宅
す。蔵が完成したのは、先々代の
時。立派な蔵は、今でも傾きひと
つなく、当時のままの重厚さを残
しています。「今の家屋と違って、
からなあ」と、行良さんは当時の
年月かけてじっくり作られている
河野行良さん宅は、おこぼさん
丁寧な大工仕事について話してく
こ う の ゆきよし
を祀った御堂のある敷地内にあり
れました。使われる材木は、反り
を貯蔵するために建てられた蔵の
鏝絵は〝えびすと鯛〟です。米
けるなどの手間も取られていたそ
して粘土状にしたもの)の中に浸
を防ぐため、どべ(土を水に溶か
まつ
ます。
正面入口左側の壁に描かれていま
う で す。「 蔵 は 一 家 の 宝 物 の よ う
なものじゃな」と、蔵と鏝絵にま
つわる話を聞かせてくれました。
父と娘で
商売繁盛の福の神であるえび
す。「 縁 起 が 良 い け ん な あ 」 と 言
う行良さんですが、実は幼い頃、
「えびすさんを目掛けて」竹棒で
び く
ボールを打っていたそうです。そ
のうち、魚籠(獲った魚を入れて
おく籠)から付きだした釣竿を
いかな」
。 行 良 さ ん の 言 う 通 り、
力が掻き立てる魅力があります。
靖子さんも「可愛い人やったな」
時 間 に 余 裕 が あ る 時 は、「 お 茶
建物の建築時に、内部の棟木や
年月が経つとともに、一層大切
ループもいました。
苦笑いです。さらに、妻の靖子さ
を飲まんかい」と言っておもてな
屋根裏に、建築年月日や大工・左
に守るべきものとなっていく祖父
「 ぶ っ こ わ し た 」 そ う で、 今 で は
んによると「娘もな、ボールをぶ
し を し た そ う で す。「 お 礼 の 手 紙
官職人の名を記した棟札を残すこ
の想いと鏝絵。
河野家のえびすは、見る者の想像
つ け よ っ た わ、 的 に し て な 」
。い
が届いたこともあったなあ」と靖
とがあります。しかし、河野家の
と振り返ります。
たずらも受け継がれてしまった
子さんは懐かしみます。
多くの人が、自分の家の鏝絵を
い そ う で す。「 左 官 の 名 は 分 か ら
蔵のどこにも、棟札は見あたらな
さんに「そうじゃなあ」と靖子さ
にしようと思うな」と続ける行良
「命のある限り、昔のものを大事
むねふだ
の か、 何 と も 可 哀 相 な え び す さ
見に来るようになると、今度は、
んが、誰が描いたのか、後の者が
んはうなずきます。
んです。
それでも「色はきれいなまま」
自分たちが、ほかの鏝絵に興味を
想いを馳せらせたらいいんじゃな
し
と行良さんは感心します。烏帽子
持つようになり、ふたりでマップ
ぼ
の黒色だけは薄くなりましたが、
を見ながら鏝絵巡りをしたことも
え
それ以外の色は全く変わっていな
あ り ま し た。「 鏝 絵 が あ る こ と を
野 県 か ら 見 に 来 た 人、 外 国 人 観
にやってきたそうです。四国や長
た鏝絵マップを見た人が、河野家
鏝絵鑑賞会の参加者や、作成され
「なんでかなあ。家主に似せたん
ちゃりした体型が特徴です。
え び す は、 可 愛 い 顔 立 ち と ぽ っ
多く使われていますが、河野家の
日出町の鏝絵にえびすの意匠は
想いを大事に
行良さんは言います。
ど、急に新鮮になってなあ」と、
当たり前のように思っていたけ
いそうです。
年ほど前は、よくツアーが来
わが家が観光名 所 に
「
ていたなあ」
光客、大学教授と学生など、カメ
かなあ。鼻低いしな」と、行良さ
〝日出町鏝絵同好会〟の結成後、
ラを片手に訪れる人が続く時期が
めぐり
んは祖父を思い出して笑います。
鏝絵
ありました。中にはバスで来たグ
ま
じ ち
行良さん(左)と、靖子さん(右隣)
。この日、靖子さんの兄夫
婦が遊びに来ていました
ひ
15
ま
じ ち
05
雲と龍
た は ら じゅんいち
所在地:日出上仁王 田原順一氏宅
制作年:約 110 年前
04
大黒
こばやし と し お
所在地:大神中央 小林俊雄氏宅
制作年:約 120 年前
01
ひ
滝登りの鯉
鏝絵
かさ ぎ なおゆき
所在地:川崎東小深江 笠置直行氏宅
制作年:約 100 年前
ミュージアム
鏝絵に込められている願いは、長寿
や魔除け、富貴など。人々の暮らし
を守りたいという気持ちが描かれて
わら ぶ
います。今もなお大切に残されている
蔵の南側にある切妻屋根の下に鏝絵がある。米の
母屋の西に納屋があり、2階の軒下に鏝絵がある。
藁葺きにトタンをかけた母屋の前に納屋があり、2
貯蔵庫として建てられたと云い、当時使われていた
米の貯蔵庫として建てられた東の納屋を取り壊し、
階の軒下に鏝絵がある。意匠は日出若宮八幡神社
日出町の鏝絵。選りすぐりの7点をご
米びつには“明治 35 年作”と筆で記載されている。
移して取り付けたという。
の脇障子に俊長公が描いた「鯉の滝登り」によく似
龍神は中国では皇帝
大黒は五穀豊穣の福
ていると云う。
紹介します!
のシンボル。雲は雨、
の神。俵は米と財産
黄河上流の急流登竜
龍は水を司る神と云
を表す。両手で握っ
門を登った鯉は龍に
われ、火事除けとす
てい る 皮 袋 は 宝 が
なると云われ、出世
る。
入っており、富のシン
祈願とされる。
鏝絵は個人所有の建造物です。見学を
行う場合は必ず所有者の了解を得て鑑
賞して下さい。
※「二の丸館」で鏝絵マップが手に入ります
ボルと云われる。
07
高砂
やまむらやすひこ
波と兎
にのみやけんいち
03
えびすと亀
こ い し よりひこ
02
寅と竹
き ら まさひで
所在地:川崎西小深江 山村泰彦氏宅
制作年:平成 10 年
所在地:藤原一北 二宮健一氏宅
制作年:約 120 年前
所在地:川崎内野 小石頼彦氏宅
制作年:約 120 ~ 130 年前
所在地:川崎内野 吉良正英氏宅
制作年:約 90 ~ 100 年前
鏝絵文化が好きな大工・山村泰彦氏が図案を描き、
母屋の前の蔵で、東側の壁に鏝絵がある。因幡の
母屋の前に納屋があり、南側の切妻屋根の下に鏝
母屋の西に納屋があり、2階の南端、東向きに鏝
その上に左官職人・黒瀬義信氏が漆喰を施した。
白兎の伝承を背景とし、兎は月の精で陰(水)を、
絵がある。米の貯蔵庫として建てられたと云う。え
絵がある。寅は東アジア最強の猛獣で、強い力で
高砂の爺婆と鶴亀は「鶴は千年、亀は万年」から長
波も水の意匠ということで、火事除けの祈願を込め
びすは商売繁盛の福の神とされ、波は水の意匠で
魔物を寄せつけない、疫病除けとする。また、竹は
寿祈願とする。松は
ている。また兎は安
火事除けとし、亀は
冬の寒さに耐えて緑
冬の寒さに耐えて緑
産の山の神の使いと
「鶴は千年、亀は万年」
の葉を保ち、松竹梅
の葉を保つため吉祥
され、象徴でもある。
ということで長寿 祈
は「歳 寒の三 友」と
の印。宝船は富のシ
西の壁には“鶴と亀”
願とされている。
古来から云い、吉 祥
ンボル。
の鏝絵がある。
く ろ せ よしのぶ
53
06
えきびょう
さいかん
さんゆう
きちじょう
の印とする。
52
ま
じ ち
ひ
鏝絵
作る人
日出の鏝絵職人たちは、明治維新以降、旧藩領地のみならず周辺地域も巡り、民家の白壁を鮮やかに彩って
いきました。そして、日出の鏝絵は、明治中期以降に全盛期を迎えますが、その後、建築様式の変化などに
館があります。その外壁を飾る城
ろに、日出町観光の拠点、二の丸
JR暘谷駅から徒歩5分のとこ
分かるけど、左官っち何するか知ら
金づち持って、釘打つんじゃなっち
じゃったら、鋸持って、木切って、
そ の 頃 の 自 分 の こ と を「 大 工
の 制 作 依 頼 が 来 る よ う に な り、
改装工事に伴う家紋や他の鏝絵
少 な く な っ た 頃 か ら、 古 民 家 の
せ ん で し た。 現 場 に 出 る こ と が
まで、鏝絵を始めることはありま
伴い、職人の数は減少しました。ここでは、数少ない現代の左官・鏝絵職人を紹介します。
下かれいの鏝絵制作を手掛けたの
んじゃった」と和やかに話す辻本
辻本さんの鏝絵制作が本格的に
のこ
が、左官の辻本正雄さんです。
さんですが、仕事の話になると、
始まりました。
つじもと ま さ お
二の丸館の鏝絵制作について
職人の目がきらっと鋭く光ります。
鏝絵を始めたきっかけ
た辻本さんの反応は「左官ち何?」
た。けれど、当時まだ子どもだっ
ら」というおばあさんの言葉でし
「 学 校 を 出 た ら、 左 官 さ ん を し た
左官の道に入ったきっかけは
城の漆喰壁や屋根漆喰を扱ってい
物でしたが、すでに左官として、
にとって初めての漆喰による造形
になりました。これが、辻本さん
分にかける装飾)も制作すること
根の下で壁が三角になっている部
の建築工事を請けた際、懸魚(屋
待しています。古くからある鏝絵
らの町並みが戻ってくることを期
と喜ぶ辻本さんは、今後も昔なが
「二の丸も、結構、お客が来よる」
り組んでいます。
な絵柄だけでなく幅広い作品に取
です。現代の鏝絵職人は、伝統的
れって言われて」作り始めたそう
ます。「孫にあんなんも作っちく
クターの鏝絵も数多く飾られてい
は、カラフルで可愛らしいキャラ
大神にある辻本さんの作業場に
「思い出に残る仕事」と語る辻本
さんに、左官職人としてのお話を
伺いました。
歳の頃、ある城の模擬天守閣
だったそうです。結局「行っちき
た た め、 抵 抗 を 感 じ る こ と は な
がこの地域を彩ってきたように、
おばあちゃんのすすめ
たら分かるわ。一から教えてもら
かったそうです。
げ ぎ ょ
いなさい」と、おばあさんに背中
千種類以上あるとも言われる左官
の鏝。多くの種類を用途によって使
い分ける
新しい鏝絵も、これからの日出町
作業場の番犬、ころちゃん。オス
の柴犬。いつも小屋の中ではなく
下で寝ている
「これも面白いな」と興味を持っ
生れたての子ヤギ。作業場の近く
の空き地では、8 匹のヤギが草を
食べて除草中
を押され、弟子入りをします。そ
昔は足場の上で制作していたが、
今は、鏝絵だけを先に作り、後で
壁に塗りこむ
を鮮やかにしていきます。
制作に使う漆喰。中には練った漆
喰が入っており、セメントや砂など
を混ぜて使う
たものの、息子さんが会社を継ぐ
漆喰に混ぜ込んで利用する顔料。
数色を混ぜて、色を作ったり調整
したりする
れから、左官職人の道一筋です。
30
54
55
二の丸館の妻壁を飾る鏝絵 「城下
かれい」。「城下かれい」 は、日出
の名産品
二の丸館の駐車場の塀には、「鶴」、
「亀」 と 「あやめ」 の鏝絵が配置さ
れている
最近の鏝絵は近くで見られることが
多いため、細部まで気を使いなが
ら制作される
ライマックスには押し黙って神楽に見入っていました。
か ぐ ら ざ
に思い浮かぶストーリーを囁き合うのも束の間、舞のク
は や し か た
じ込められているの?」「助け出すんだよ」と、それぞれ
囃子方からなる神楽座により伝承
詳しい物語は分からないものの、舞方の動きを見て「閉
されています。江戸時代には日出
おもてつくりし
藩唯一の神楽座として統制・保護
むきに舞い続ける津嶋神楽保存会
げられる神楽に惹きつけられるかのよう
に、神社の境内には地域の人の姿が増えて
いきます。訪れる人の中には、神楽殿に向
かって手を合わせる女性の姿もありました。
陽も傾き、肌寒くなってきた夕暮れ、
「本
日 は ご 参 拝、 あ り が と う ご ざ い ま す 」 と
深々とお辞儀をする舞方に、集まった地域
の人々から盛大な拍手が贈られていました。
食い入る様に見つめていた子どもたちの
年を越える歴史はこういった
中には、神楽が終わった後、舞手の真似を
する姿も。
瞬間にも引き継がれているのでしょう。
面の表情を見て「怖い~」と漏らしていた子どもたち。
舞い続ける人々
や つ し ま
日の八津島神社の大祭の
その昔は許された家系に生まれ
され、座お抱えの面作師もいたと
の音。そこだけ陽だまりになった
た者のみに受け継がれていたそう
日、杉の木立に囲まれた参道の奥
神社の境内には、整然と並べられ
ですが、現在は津嶋神楽保存会の
云われています。
た、
たくさんの椅子。神楽殿では、
承しています。
メンバーが中心になって伝統を継
以上の神楽を奉納
津嶋神楽保存会のメンバーが番外
まで含めると
津嶋神楽は、
慶長6年
(1601
のメンバー、囃子の音以外は杉を
人もまばらな朝9時から、ひた
年)に八津島神社に奉納されたと
揺らす風の音だけ。淡々と繰り広
まいかた
かんじょう
が
承され
る祭り
よって継
り続け
に
座
楽
実に守
神
確
の
し
神社
、しか
八津島
っそりと
々がひ
人
の
地域
い う 記 録 が 残 る も の で、 舞 方 と
【神楽】神座を設けて神々を勧請※し、その神前で鎮魂・清め・祓い等の神事を行ったのが古い形と云われる
ラ ~
カ グ
ジ マ
ツ
~
上
た。
0 0 年以
ること 4
ありまし
楽
神
津嶋
から流れてくる、軽快な太鼓や鐘
月
12
していました。
20
画:
※勧請 … 祭神の分霊を迎えて新たに設けた分祀の社殿に奉ること
57
400
10
ひ
[およそ2時間で行ける近郊の観光地]
じ
ようこく
[東京・大阪から日出町( 暘谷駅)までのアクセス]
日出町の観光案内所「二の丸館」の最寄駅である
暘谷駅までの、主な経路とおよその所要時間です。
2時
間
圏
日出から博多まで車で約2時間
(高速利用)電車で約2時間
くにさき
博多
佐賀
国東
日出
湯布院
長崎
日出から国東まで車で約50分
内
小倉
名古屋(中部)⇔ 大分
大分空港
ANA・IBEX
別府
日出から別府まで車で約20分
阿蘇
ひ
じ
ようこく
□東京から日出町(暘谷駅)
● 飛 行 機+バス 約 2 時間(羽田~)
/約 2 時間半( 成田~)
鹿児島
宮崎
日出から阿蘇まで車で約2時間
日出から湯布院まで車で約35分 電車で約1時間40分
飛行機
空港特急バス
エアライナー
徒歩
約1時間30分/2時間
約 2 7分
約5分
● 飛 行 機+車 約 2 時間
飛行機
車
約1時間 3 0 分
約3 0 分
● 新 幹 線+JR 約 6 時間1 5 分
この辺りまで車で来ると
4時間程かかります
□日出町の交通 お問合せ先一覧
0978-67-0007
0978-67-3324
0978-67-2929
0978-67-3151
0978-67-1943
0978-67-3435
バス
・ 大分交通 別府営業所
・ 国東観光バス 杵築営業所
・ 大交北部バス 安心院営業所
・ コミュニティバス 日出町役場 政策推進課
59
JR九州
JR
約 5 時間
約1時間
約14 分
● 飛 行 機+バス 約1時間3 0 分
050-3786-3489
050 -3786 -1717
飛行機
空港特急バス
エアライナー
徒歩
・ 豊後豊岡駅
0977-72-9070
約1時間
約 2 7分
約5分
・ JR九州
予約センター
案内センター
ぶんごとよおか
ようこく
・ 暘谷駅
0977-73-0800
・ 日出駅
0977-72-2730
・ 大神駅
0977-73-1008
ひ
じ
お お が
タクシー
0977-67-1331
0978-62-5411
0978-44-1155
0977-73-3116
JR特急ソニック号
□大阪から日出町(暘谷駅)
レンタカー(大分空港カウンター)
・ トヨタレンタリース
・ ニッポンレンタカー
・ タイムズカーレンタル
・ 日産レンタカー
・ バジェット・レンタリース
・ オリックスレンタカー
新幹線のぞみ
・ いわおタクシー
・ 速見はとタクシー
・ 日出タクシー
0977-72-2221
0977-72-2001
0977-72-2017
● 新 幹 線+JR 約 3 時間 4 5 分
新幹線のぞみ
JR特急ソニック号
JR
約 2 時間 3 0 分
約1時間
約14 分
●フェリー +車 約1 2 時間10 分
フェリー
「さんふらわあ」
車
約1 1時間 5 0 分
約20分
58
健康
づくり
日出町保健福祉
センター
●
●
川崎体育館
人気のジョギングマシンやバイクマシン、本格的なトレーニングマシンなどを設置
しています。トレーニング利用料金は、町民であれば1回 210 円、12 回券だと
2,100 円とお得です。また、65 歳以上の町民であれば無料で利用できます。
年末年始を除き、8:30 ~ 22:00 まで開館しています。
ビーチバレーに海水浴、テニスなどで汗を流し、バーベキューも楽しめます。日
の出や海を望めるキャンプ場も併設。
ス ポーツ 施 設・レ
ジャー施設が充実
公園は13ヶ所、他に体育館、柔剣道場、弓道場、グラウンドなど、健康づくり
に役立つ施設が豊富です。
も
いつで
安心
救急患者も安心な
医療体制
日頃の治療や万一の入院でも安心な各種の医療機関が充実しており、救急を要
する場合の受け入れ態勢も整っています。
防災行政無線を整備
万一、津波や地震が起きた際でも、24 時間体制で防災情報を迅速に伝えるシ
ステムが、沿岸部を中心に整っています。
緊 急 通 報 システム
『愛ことば 』の無 償
貸与を実施
緊急通報システム『愛ことば』は、高齢者のみで暮らしている方や障がいのある
方が、急病や事故等の緊急時に必要な措置を受けられるように、24 時間体制
で「受信センター」の専門スタッフが対応しています。
「受信センター」では、必
要に応じて事前に登録した協力員や関係機関に連絡を行います。
公共交通機関は JRとバスがあります。駅周辺や中心市街地は整備された平坦な道
が多く、自転車での通勤・通学・買い物が可能ですが、自動車があるとより便利です。
近距離に空港・
高速インター
空港まで車で約 30分以内、高速インターまで約 15分以内と、出張や旅行へ行
くにも便利です。
町内専用のバス
公共交通の他、コミュニティバスがあります。略して「コミバス」は、定時定路線
と、要望に応じて運行を行うデマンド運行路線があります。
生活を
楽しむ
交通の
い
便が良
移動手段は
いろいろ
自然が豊かな日出町ですが、都会の人が思う“自給自足の田舎暮らし”だけではなく、交通の利便性を生かして
大分市や福岡方面へ通勤するなど、生活スタイルも様々です。
休日や長期休暇の間だけ日出町に暮らす人もいます。そんな
「日出町で暮らしてみたい」
と考える皆さんのために、
気になるまちの様子をリストにしてみました。
た
恵まれ
境
自然環
糸ヶ浜海浜公園
ひじ 暮 らし、考えてみませんか?
日出町の人口と家賃・地価相場
災害が少ない
梅雨時期に雨量が増えるため、年間平均雨量は 1,600㎜前後と比較的雨量の
多い地域ですが、大きな河川がないため、洪水、土砂崩れなどの水害は少なく、
積雪による被害も少ないです。
暖かい気候
瀬戸内海型気候区に含まれ、年平均気温は 14℃前後と温暖です。また、南向
きのなだらかな地形のため、一日中陽のあたる町です。
登山に釣りに
別府湾や大分市・別府市を望める景観の素晴らしい山が連なっています。また
海岸には、アジやチヌ、アラカブなどが釣れる釣り場もあります。
・おもな山岳…七ツ石山、経塚山、板川山、百合野山、古城山、城山
・おもな釣り場…豊岡漁港、日出漁港、大神漁港
買い物は町内で
中心部には、スーパーマーケット、商店、コンビニエンスストアはもちろん、ホー
ムセンター、衣料用品店など各種揃ってます。道路沿いの無人販売も楽しい。
海の幸、山の幸
自家農園、釣りなど、田舎ならではの幸が豊富です。大神深江漁港では朝の 7
時半から朝市が行われ、お得な価格で魚介類を購入出来ます。
地産地消の飲食店
お仕事帰りに「ちょっと一杯」の居酒屋や、休日を家族で過ごすカフェ、地産
地消の割烹料理と、様々なジャンルの飲食店があります。
上下水道料金の安さ
は、
大分県内第2位!
20 トンまでの利用(4 人家族の平均使用量)で水道料金 1 ヶ月 2,100 円で使
用できます(平成 24 年4月1日現在)。
一家に1つ、農園は
いかがですか?
農業への理解を深めるために開設した「日出町ふれあい農園」は全 20 区画あ
り、季節折々の野菜や草花の栽培が楽しめます(受付期間内の申込による)。
まちの小学生と
国際学生との交流
立命館アジア太平洋大学(別府市)
には、
世界中から様々な学生が留学しており、
日出町の小学生との異文化交流を行っています。
春は花見、夏は七夕、冬はクリスマスと、年間を通して様々な行事に参加したり、
田植えや稲刈り作業を行ったりして、地域に根付いた交流が育まれています。
両親学級
子育てについてのお話や、妊婦体験・沐浴体験などを行い、赤ちゃんのいる生
活のイメージを持ちやすくします。
お母さん教室
妊娠・授乳期の食事・お産について、ゆっくり聞いたり話したい方、他の妊婦
さんと交流されたい方におすすめの教室です。
こんにちは赤ちゃん
訪問
日出町に生まれたすべての赤ちゃんのお宅を保健師や助産師が訪問し、心のケ
アを行います(産後うつスクリーニング)
。
ブックスタート事業
4ヶ月児健康診査のときに、親子で楽しい時間がもてるように、絵本の読み聞
かせをし、絵本をプレゼントします。
ホームスタートひじ
6歳以下の未就学児がいる家庭へ訪問し、先輩ママが話し相手になったり一緒
に出かけたり、フレンドシップを主とした子育てのサポートをします。
母子の相談は
ひとつの窓口で
母子保険、児童福祉など、母子に関する窓口が1ヶ所(福祉対策課)となって
いるため、移動することなく相談できます。
学校・保育施設
保育園 認可7ヶ所・認可外2ヶ所/幼稚園 7ヶ所/小学校 6ヶ所/中学校 3ヶ所
/高等学校 1ヶ所/支援学校 1ヶ所/児童館 3ヶ所/放課後児童クラブ 5ヶ所
日出の家 賃相 場は2LDKで約 40,000 ~
60,000 円。地価は日出中心部で 1 平米=
約 36,900 円。転 入者の世代は幅 広く、リ
い世代も多いのが特徴です。また、賃貸物
件だけでなく、宅地造成も進められています。
家庭菜園付きの1戸建ても夢じゃない !?
日出町の家賃と地価
61
家賃(2LDK)
地価(中心部)
約 40,000 円 ~ 60,000 円
1 平米=
36,900 円
日出町の人口
ず、静かな環境で子どもを育てたいという若
子育て
い
しやす
タイア後の悠々自適な生活を送る人のみなら
※大分県内 18 市町村中のランキング
日出町の暮らしについてのお問い合わせ:日出町役場政策推進課 0977-73-3116
60
交通の便がよい日 出 町
大分自動車道と大分空港道路、
そして国道 号線と国道 号線な
ど主要な道路が交わる日出町。ま
た、小さな町にもかかわらず JR
の駅が4ヶ所もあり、車でも公共
交通機関を使っても、どこに行く
にも便利な町です。
近隣市町村への通勤通学はもち
ろん、休日ちょっと足を伸ばして
の日帰り旅行など、移動も快適。
大分空港
⇔
大分空港道路は日出
間が無料です。
町内にある各駅はレトロなもの
ようこく
が多く、暘谷駅を除いた3つの駅
は 年以上の歴史があります。各
駅に降り立つと、駅舎のみならず
周辺の風景もそれぞれ魅力的な特
徴があり、鉄道ファンの撮影ス
ポットとなっています。
日出町を訪れた際は各駅で下車
してのまち歩き、車を利用してのド
ライブなど、楽しみ方は様々です。
100
P
A
M
町
出
日
10
213
ま な い
おすすめスポット:真那井のホタル、
大神ファーム
駅の特徴:目の前の竹林から鳥の
赤松橋
鳴き声が響き渡る
挨拶や声掛けは欠かさないという鉄道
一筋45年の石井さん。顔なじみの学生
の卒業式に「今までお世話になりまし
た」と鉢植えをもらったことがあるそう。
環境
よし
石井さんの温かい人柄がうかがえる。
い し い りょういち
駅員:石井良一さん
大
ハーモニーランド
o
g
神
a
大分県日出
総合庁舎
山田湧水
帆足萬里の墓
日出町役場
ホテルソラージュ大分・日出
糸ヶ浜海浜公園
観音の水
駅長・駅員さんに聞きました
暘
豊後豊岡
日出町にお越しの際は、是非4
つの駅にお立ち寄り下さい。駅
長・駅員さんが笑顔で迎えてく
れます。地域の魅力や面白情報
を教えてくれるかも…
谷
y o k o k u
b u n g o t o y o o k a
おすすめスポット:町の有形文化財にも指定され
駅の特徴:目の前に広がる海、構内の桜並
ている「的山荘」
、城下かれいを食べられる
木、明治 44 年開業のレトロな駅舎を求めて、
鉄道写真愛好家も多く訪れる
普段心がけていること:丁寧な接客と対応
眺め
よし
笑顔
よし
日
h
i
j
出
i
周辺の環境:海があり暖かくて気候が良い
普段心がけていること:特に地元の人に気
持ち良く感じてもらえる駅作り
常にきれいな駅作りを心がけて
いるという田原さん。一年を通
して楽しめるように季節の花を
活けたり、こと細かな気配りも
昨年の4月から駅長として暘谷駅に赴任してきた、
欠かさない。約 35 年ぶりに一
朝は「気持ちよく職場・学校に
日曜大工が得意な阿部さん。駅舎内には、阿部さ
緒に働くことになった同駅員の
着いてほしい」帰りは「お疲れ様」という気持ちで、
んお手製の棚があったり、ご自宅から鉢植えを持
森田さんのことを「相棒」と呼ん
利用客を見守っているという手嶋さん。心安らぐ
参して花を絶やさないようにしたりと、そこかしこ
駅にしたいと、秋には手嶋さんが育てた見事な菊
て し ま のりひろ
駅長:手嶋則弘さん
63
の鉢が、駅舎内に並ぶ。
あ べ けんじ
駅長:阿部健治さん
に阿部さんの心遣いが見受けられる。
でいるのだとか。
気候
よし
た わ ら くによし
駅長:田原国義さん
62
1月
かせどり
まちおこし新春健康マラソン大会
赤松山願成就寺 春季大祭・火渡りの行
ひなまつり
2月
3月
回天神社例祭
辻の堂愛宕神社春季大祭
4月
城下かれい祭り
経塚山と七ツ石山新緑ハイキング(ミヤマキリシマ観賞会)
帆足萬里忌辰祭
5月
6月
瀧廉太郎忌辰祭
2014 年 1 月 8 日発行
https://www.facebook.com/hijimachi
発行 日出町役場
編集 日出町役場 政策推進課
〒 879 - 1592 大分県速見郡日出町 2974 - 1
糸ヶ浜海水浴場安全祈願祭(海開き)
日出町 Facebook ページ ハモ祭り
糸ヶ浜ビーチフェスタ
3116
-
ー 第二集 ー
7月
8月
日出町納涼盆踊り大会
日出若宮八幡社大祭
脇蘭室祭
ひじ文化まつり
ひじ産業まつり
各地区ふるさと祭り
73
-
月 「ザビエルの道」ウオーキング大会
10
月
11
月
※通年予定です。詳細はお問い合わせください。
お問い合わせ:日出町役場 政策推進課 0977
12
TEL 0977 - 73 - 3116 FAX 0977 - 72 - 7294
送付をご希望の方は、お名前、ご住所、電話番号、希望号数をご記入
のうえ、送付用切手( 1 冊 210 円分、併せてバックナンバーをご希望の
方は 290 円分)を同封し、下記までお送りください。
送付は1号につき、おひとり様1冊とさせていただきます。なお、予定
数に達しましたら送付は終了いたします。
※第一集は、ご好評をいただき品切れとなりました。ご了承ください。
また、
「ひじん本」の感想もお待ちしております。
〒 879 - 1592 大分県速見郡日出町 2974 - 1
日出町役場 政策推進課「ひじん本」係
Thanks
菅かおる / 工藤美鈴 /小林弥生 / and 日出町の皆さん
(敬称略・50音順)
[ 読者の皆様へ ]
日出町の魅力。それは自然そのものだったり、海や山にと、自
然の恵みを受けて生きるまちの人たちであることを、取材中し
きりに感じました。今号も読者の元へその魅力をお届けしたい
一心で作りました。いかがでしたでしょうか。第1集を発行し
て以来、各地から「ひじん本」の感想をいただき、制作スタッ
フ一同嬉しく思っています。これからもひじまちファンが増え
ることを願って。次号もおたのしみに。 印刷・製本 株式会社インタープリンツ
※乱丁本・落丁本はお取り替えいたします。
※本誌内容の無断転記、記載、複写はご遠慮ください。
※本誌データは 2013 年 12 月20日現在の情報です。
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