脱・都会! 地方に移住した若者たち 京都→島根県大田市 窪田 真菜さんの場合 Part1 総務企画部 広報・情報システム室 TEL 082-224-5618 このコーナーでは、東京や大阪などの都会から、地方に移住し、充実した生活を送って おられる方をご紹介します。 連載第3回は、京都から島根県大田市温泉津町に移住し、大田市立温泉津公民館の主事 を務める、窪田真菜さんにお話を伺いました。 窪田さんは、生まれも育ちも東京都練馬区。小学校 4年生のときから、ヒップホップダンスのスクール に通っていたダンス好き。大学ではステージに立つ 側から、ステージを支える側を専攻し照明担当など を目指していました。 ところが、「縁」あって神楽に魅せられ、大学卒業 後、直ぐに移住。NPO法人石見ものづくり工房の 運営する温泉津やきものの里やきもの館に勤めた あと、今は大田市立温泉津公民館の主事をされなが ら、神楽が中心の日々を過ごされています。 今回は、そんな窪田さんの生い立ちや移住のきっか けについてご紹介します。 生まれ育った東京から京都へ --年齢とご出身は? 平成元年生まれで、今、26才です。出身は東京都練馬区です。高校まで住んでいました。高校 卒業後京都造形芸術大学に進学、そこから親元離れて一人暮らしをはじめました。 練馬区は、東京23区の埼玉寄りの端で、ホントに住宅街でした。住みやすいというか住み慣れた 町ではあったんですけど、親がアウトドア好きだったので、自然にあふれたところに行くと、東京とは違う 空気が他には流れているんだというのが、何となく小さい時から分かっていて、いつか東京を出て自然 の中で暮らしたいという気持ちがありましたね。 旬レポ中国地域 2015 年 10 月号 1 --大学を京都に選んだのは 修学旅行で京都を訪れた時から、京都という場所自体とても気に入っていました。そして芸術の都と いわれるくらい、歴史的なものも現代的なアートにも日々囲まれている素敵な場所だと思っていまし た。 大学は舞台芸術学科を選考しました。演劇やダンスなどいわゆる舞台に上がる芸術全般を学ぶ学 科で、主には照明や舞台監督などスタッフワークを勉強しました。小学校4年生のときから高校卒業 まで、ヒップホップダンスを習っていて、いつも舞台に立つ側だったんですが、その裏側にはたくさんの技 術者が支えているということを知って、仕事としてはスタッフ側に進みたいなあと。 --スタッフにあこがれる? 小さいときから舞台に立たせてもらっていて、照明や拍手を浴びたりすることが楽しかった。けれど、ヒッ プホップダンスは、いわゆる洋楽に合わせて踊る海外の文化で、自分の身体とのギャップを少し感じ始 めました。 ヒップホップの発祥は、抗争を無血に終わらせるために、銃や暴力の代わりとしてブレイクダンスやラップ の優劣が争われたり、ギャング達の縄張りの主張や情報交換の目的に、一部のグラフィティが用いら れていたと言われています。東京で甘やかされて育った私には、ダンスバトルで技術を競い合ったりす るほどのパッションはなく。そこまでする必要もありませんが。 ただ、仲間と踊ることで、たくさんの感動を味わえたし、舞台という空間から夢を与えてもらったと思うん です。高校時代に子ども達にダンスを教えたことがあって、「これからもダンスやるー!」とかキラキラした 目で言ってくれる子どもたちを見て舞台に関わる仕事がしたい、と思うようになりました。舞台に上がる 役者を活かす側になりたい、それならスタッフワークを勉強しようと思って芸術大学を探しました。京都 の京舞(日本舞踊)も魅力的だったし、4年間でいろんな芸術に触れて、視野を広げたいなと思っ ていました。 --東京のほうが情報は多いのでは? 東京は、いっぱい情報がありすぎて、自分がほしい情報とか、必要なものが絞りきれなくなってしまう気 がします。踊ることは好きだけど、いろんなジャンルのダンスがあって、いろいろ手を出したくなってしまう。 将来を決めるにしても、大学選びで選考学科を決めるときに、ようやく舞台スタッフに絞り始めたくらい で。 電車の中は、英語も韓国語も流れているし、日本らしいものが身の回りにありませんでした。あったの かも知れないけれど、私は“日本”をよく知りませんでした。都会と田舎、両方を知りたい。と思ったんだ と思います。 「海神楽」と出会った大学時代 --なぜ、卒業後に直ぐに移住することに? 大学時代は、舞台照明を選考していたので、その道もありましたが・・。 旬レポ中国地域 2015 年 10 月号 2 大学1年の夏に「温泉津プロジェクト」という短期の産業連携授 業があって、その募集に応募したのがきっかけです。これは島根県 大田市温泉津町で石見神楽という郷土芸能を通じて地域活性 化を手伝おうというものです。学校と企業さんや団体などの連携企 画で、自分たちの能力が外に出て使えるかどうか、実践させてくれ るプロジェクトです。 --それで温泉津に? この募集は、自然の中、つまり日本海を背景にした浜辺にステー ジを組んで神楽を見せる『海神楽』というイベント企画を中心とした 活動でした。それまで、クオリティの高いできあがったパフォーマンスを、 お金を払って良い客席で観るというのを舞台だと思っていたんです。 それは、全部人の手が演出しているものでしたが、この『海神楽』は、 2015 海神楽ポスター (温泉津プロジェクトHPより) 背景が「日本海」という大自然であって、何にも手を加えない。夕日が落ちていく、その表情の変化 一瞬一瞬を観られることがとても貴重な時間に感じました。そして、神楽は、口伝承で受け継がれた もの。人と人とのつながりで継承される芸能が田舎(日本)には大切に残されている、それに出逢え たことが何よりも感動的でした。 --この『温泉津プロジェクト』はいつから? 今年で11年目になる企画ですけど、それを発足当時から京都造形芸術大学と地元の方が連携 してやっています。温泉津出身の先輩が後輩たちを連れて、この温泉津を訪れた時に素晴らしい景 色に感動されて、そこで神楽を見せたらどうか、という提案があったそうです。最初は有志活動だったけ れど、素晴らしい企画だから、ということで、大学に単位がとれる授業として認定されたんです。私は授 業となったときの第1期生です。 --最初は興味本位? めちゃくちゃ興味本位。わたしは、島根県というところがどこにあるかも分からず、単純に行ってみたいと 思いました。田舎に行きたかったんです。それと、何でも加えられるホールではない、自然と作りあげる 舞台づくりに参加したかったです。 実際には、自然を相手にして進めていくのは本当に大変なことでした。設営から終演までの天候を気 にしなくてはいけないし、晴れていればそれはそれで日差しがきつくて、砂浜に足は取られて、どんどん 体力が奪われるし。それでも何かやりたくて装飾を考えたり照明を増やしてみたりしましたが、日光が あり、浜辺があり、それだけで充分、舞台空間になっていると気づかされました。一応地面は平たくし たり畳を敷いたりはしていますが、毎年シンプルになってきていると思います。照明担当としては、自然 光には敵わないなと思い知らされました。 旬レポ中国地域 2015 年 10 月号 3 --観客はどれくらい? 昨年は10周年ということで、ちょっと規模を大きくしてゲストを呼んだりして700人ぐらいと、どんど ん人が増えてきていて。今年は、天気が悪くて屋内開催だったので300人ぐらい。地元の人の認 知度は高くなってきていると思います。この時期、帰省客が多いので、帰省したらこれを観ようよと誘っ てきてくれるし。天候には左右されますが、それはそれで自然との共演というか、「自然も実行委員会 に加わってる」と。 --では、大学 1 年からずっと4年間・・・・ そうなんですよ。達成感もあり、悔しい部分もあり、みたいな気持ちで毎年参加し続けていました。舞 も体験させてもらったんですけど、こちらの人は日常生活に神楽があるので、そのまねっこだけしてても なかなか上手にならない。「同じ空気を吸って、同じ環境の中で学びたい」と思って。 そして、卒業するときに、顔を覚えてくださった温泉津町のみなさんが、「おまえどうすんだあ」という話に なって「行きたいですけど、仕事ありますかねー」って言ったら、(財)ふるさと島根定住財団に、2年間、 IターンやUターンを募集して経費の一部を補助する制度というのがあって、地元の人の支援があっ て「行かせてください!」となりました。 今、行かないとたぶん行かない、行かれない --最初は2年間の短期だった。 先のことは考えようがなかったですし、生活してみないと順応で きるのかわからないですから。でも社会人自体、1年目だから、 結構覚悟は要りました。東京の両親も本当に心配して、「新 卒を逃したら終わりだよ」みたいに言っていました。 だけど、今、行かないとたぶんもう行かない、行かれない、と思っ たんです。東京とか京都で仕事を始めて落ち着いちゃう間に、 この町はどう変わっちゃうんだろうと。人口減少に悩んでいても、 この町のいいところはそこに生きている人が伝えていかなきゃ行 けない。勝手に好きになっただけなんですけど、町自体にすごい 愛着が湧いちゃって、大学 4 年間で色々な事を経験させても らった恩返しもしたかったんです。 --ご両親から反対されませんでしたか? そんなに反対はなかった、かな?笑。京都に離れて4年経っていたので、あんまり顔を合わせないうち に、私が決めたことでした。もちろん相談はしましたけど。どんなことがあってもとりあえずは行きたいんで す、行ってみないとできるかできないかがわからないから、行きたいですと。今、気持ちが都会に向かっ てないんだったら何を言っても無理だろうと、両親もあきらめ半分で応援してくれ、こういう情報は地元 の人に聞いてきなさいと、いろいろアドバイスをしてくれました。 旬レポ中国地域 2015 年 10 月号 4 前回の三浦さんからご紹介いただいた 温泉津町在住の窪田さん。東京から京 都に大学を選び、卒業後、人口330 0人足らずの小さな町である温泉津町 にたった一人で飛び込む、その思いっ きりの良さに驚かされます。 次回は、そのきっかけとなった神楽に ついて、語ってもらいます。 石見銀山の銀を搬出していた 頃の面影がのこる街並み ◆温泉津プロジェクト HP http://kagura.yunotsu.org/ ◆公益財団法人ふるさと定住財団 HP http://www.teiju.or.jp/ 経済産業省 中国経済産業局 広報誌 旬レポ中国地域 2015 年 10 月号 Copyright 2015 Chugoku Bureau of Economy , Trade and Industry. 5
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