かつうらしい ひと う い う 楽 し み が な か っ た。 だ か ら余ったツユにダシを入れて 味わえるようにしたんです」 た きち と、 教 え て く れ た の は こ こ 〝多吉〟のご主人、瀧口正彦 さ ん だ。 改 め て う ま い で す ね ぇ と 伝 え る と、 正 彦 さ ん は「私が倒れても店はやって た ら や っ て い け ま せ ん 」 と、 冗 い け ま す が、〝 調 理 長 〟 が 倒 れ 地域おこし協力隊・ぬまっち特派員が勝浦の様々なモノ・コトとつなが 夫婦二人三脚で は奥様の智子さんのことである。 談めかして言う。その〝調理長〟と 手打ちうどんができるまで り地域で活躍する勝浦らしい人=「かつうらしいひと」にフォーカス! 田園の中のうどん屋さん 正 彦 さ ん が「 自 分 が 家 内 の 作 る う どんの最初のファンですもん」と話 す と、「 旦 那 は 元 々 蕎 麦 よ り う ど ん が いた。つまり、お二人の店のあり方は、 まさに適材適所なのである。 で フ ォ ロ ー し て い る。 実 は、 智 子 さ 正彦さんは接客や生地踏みの手伝い 造工程のほとんどを〝調理長〟が行い、 魔 す る と、 な る ほ ど、 確 か に そ の 製 五 十 食 に 限 定。 そ の 製 麺 現 場 に お 邪 多 吉 の う ど ん は「 手 打 ち で き ち ん と や り た い か ら 」 と、 一 日 四 十 か ら が正彦さんだった。 ネージャーとして勝浦にやって来たの 理長に就任した。その頃、保養所のマ 得後、前任者が辞めたことを機に、調 として入っていたが、調理師免許を取 閉鎖されるまでの二六年間を保養所 で勤めた智子さん。当初はルーム管理 保養所の〝チーム勝浦〟 んは勝浦市内にあった企業の保養所 設備面では、熱海などにあった同企 業の保養所と比べ充実はしていなかっ 好きでして」と智子さんが笑う。 で 長 年 調 理 長 を 務 め、 正 彦 さ ん は か たため、正彦さんは「人の接客から始 「うどん教室がゆくゆくできたら」と つてファミリーレストランの店長と を受けるなどし、うどん店の開店を決 語る智子さん。これからの〝新・チー めよう」と、勝浦らしさを全面に出し 意する。上野地区という場所に決めた ム勝浦〟の活躍が楽しみだ。 して接客や経営のノウハウを学んで のは、地元出身ながら保養所時代が忙 6 KATSUURA 2015.8.21 夏におすすめのぶっか けうどんはレモンが爽 やかなアクセントに 取材・撮影・文・デザイン:沼尻亙司 イラスト:瀧川由貴子 記事の問合せ▶勝浦市企画課地域活力推進係 ☎ 0470-73-3337 道 路 脇 に 立 て ら れ た 看 板 を 頼 り に、 田んぼのまっただ中を進んで行く。波 打 つ 青 田 と、 土 の 匂 い を 抱 い た 風 が、 幼い頃に田舎で遊んだ記憶を甦らせ る。小さな橋を渡ると、忽然と店が現 れ、意識が現在に呼び戻された。 『 手 打 ち う ど ん 』 と 書 か れ た 暖 簾 を く ぐ り、 冷 た い ざ る う ど ん を 味 わ う。 キリッとしたツユにコシのある麺。軽 快につるりとやると、田園を吹き抜け てくる風が頬を撫でる。なんと贅沢な 時間だろう。 ユニークなのはツユとともにダシが 用 意 さ れ て い る こ と。 「蕎麦は蕎麦湯 で ツ ユ を 楽 し め る の に、 う ど ん は そ た お も て な し を 企 画 す る よ う に な る。 「なめろう(※)が欲しい、キンメが欲 しいという細かなオーダーに対応しつ しく、地元との接点が少なかったため、 「これからは地元を中心にしよう」と の、 智 子 さ ん の 気 持 ち が あ っ た。「 蕎 麦でなくうどんにしたのは、気軽に利 用してもらいたかったというのもある んです。デイリーに(毎日)ここを使っ てもらえたら。〝上野の食堂〟 、それが 目指すところです」。 元保養所スタッフも再び多吉で働き 始め、正彦さんの「お客さんにありが とうが伝わる仕事がしたい」という 想いが接客に込められる。 【正彦さん】昭和 35 年 6 月 10 日生まれ。 55 歳。仙台市出身。約 30 年の横浜生活 の後、茨城県のファミリーレストランで店 長を経験。智子さんとの結婚を機に、勝 浦へ。保養所ではマネージャーとして奔走 【智子さん】昭和 40 年 5 月 3 日生まれ。 50 歳。勝浦市台宿出身。26 年勤めた 保養所では主に調理長として活躍 2015 年 6 月 24日、 「手打ちうどん 多吉」 を OPEN(勝浦市上野 568。月曜定休) つ、腰古井さんの初絞りをご提供した り。自分がバーベキューのインストラ クターになったこともありますよ」と 当時を振り返る。智子さんもうどんや 蕎麦の教室を開き、利用者との交流を 深めていった。スタッフの地元民比率 は徐々に上がり、上野地区出身の若き パティシエの作るスイーツは好評を博 した。気が付けば常連客から〝チーム 5 !! 勝浦〟と呼ばれるようになっていた。 上野地区の食堂を目指す ところが昨年、保養所が閉鎖されて しまう。これからをどうしようかと考 え た 時、 「 い ず れ、 民 宿 み た い な こ と ができればいいな」という想いが膨ら んできた。 そんな時、 市内にかつてあっ た蕎麦店や、保養所の元スタッフの親 戚から、道具の提供や店舗物件の紹介 田園のうどん屋に チーム勝浦、再び 瀧口正彦さん 智子さん 1 3 足で生地を踏む。 麺のコシの強さを 左右する行程だが 力仕事!ここは正 彦さんの出番だ 等間隔に生地を裁 断。この道具は市 内の元蕎麦店のご 好意により譲り受 けたものだそう 生麺はできるだけ 触らずに茹でるの がポイントだそ う。ツユやダシも 智子さんの手作り 小麦粉と塩水を混 ぜ合わせる「水ま わし」という作業。 水分を粉に馴染ま せ 10 分ほど置く 2 踏んで数時間から ひと晩寝かせた生 地を伸していく。 均一の厚さに伸さ れる様は圧巻! 4 製麺直後の麺。 「4 日は持ちますが、 うちは 2 日ほどで 使いきっちゃいま す」と、智子さん 6 完成 ※ 鯵にネギ、 ショウガ等の香味野菜と味噌を混ぜ、 粘りが出るまで叩く、房総海岸地域の郷土料理 人 28 katsuurashii-person
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