28 瀧口正彦さん夫妻(2015.8.21号)

かつうらしい
ひと
う い う 楽 し み が な か っ た。 だ か
ら余ったツユにダシを入れて
味わえるようにしたんです」
た きち
と、 教 え て く れ た の は こ こ
〝多吉〟のご主人、瀧口正彦
さ ん だ。 改 め て う ま い で す
ね ぇ と 伝 え る と、 正 彦 さ ん
は「私が倒れても店はやって
た ら や っ て い け ま せ ん 」 と、 冗
い け ま す が、〝 調 理 長 〟 が 倒 れ
地域おこし協力隊・ぬまっち特派員が勝浦の様々なモノ・コトとつなが
夫婦二人三脚で
は奥様の智子さんのことである。
談めかして言う。その〝調理長〟と
手打ちうどんができるまで
り地域で活躍する勝浦らしい人=「かつうらしいひと」にフォーカス!
田園の中のうどん屋さん
正 彦 さ ん が「 自 分 が 家 内 の 作 る う
どんの最初のファンですもん」と話
す と、「 旦 那 は 元 々 蕎 麦 よ り う ど ん が
いた。つまり、お二人の店のあり方は、
まさに適材適所なのである。
で フ ォ ロ ー し て い る。 実 は、 智 子 さ
正彦さんは接客や生地踏みの手伝い
造工程のほとんどを〝調理長〟が行い、
魔 す る と、 な る ほ ど、 確 か に そ の 製
五 十 食 に 限 定。 そ の 製 麺 現 場 に お 邪
多 吉 の う ど ん は「 手 打 ち で き ち ん
と や り た い か ら 」 と、 一 日 四 十 か ら
が正彦さんだった。
ネージャーとして勝浦にやって来たの
理長に就任した。その頃、保養所のマ
得後、前任者が辞めたことを機に、調
として入っていたが、調理師免許を取
閉鎖されるまでの二六年間を保養所
で勤めた智子さん。当初はルーム管理
保養所の〝チーム勝浦〟
んは勝浦市内にあった企業の保養所
設備面では、熱海などにあった同企
業の保養所と比べ充実はしていなかっ
好きでして」と智子さんが笑う。
で 長 年 調 理 長 を 務 め、 正 彦 さ ん は か
たため、正彦さんは「人の接客から始
「うどん教室がゆくゆくできたら」と
つてファミリーレストランの店長と
を受けるなどし、うどん店の開店を決
語る智子さん。これからの〝新・チー
めよう」と、勝浦らしさを全面に出し
意する。上野地区という場所に決めた
ム勝浦〟の活躍が楽しみだ。
して接客や経営のノウハウを学んで
のは、地元出身ながら保養所時代が忙
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KATSUURA 2015.8.21
夏におすすめのぶっか
けうどんはレモンが爽
やかなアクセントに
取材・撮影・文・デザイン:沼尻亙司 イラスト:瀧川由貴子
記事の問合せ▶勝浦市企画課地域活力推進係 ☎ 0470-73-3337
道 路 脇 に 立 て ら れ た 看 板 を 頼 り に、
田んぼのまっただ中を進んで行く。波
打 つ 青 田 と、 土 の 匂 い を 抱 い た 風 が、
幼い頃に田舎で遊んだ記憶を甦らせ
る。小さな橋を渡ると、忽然と店が現
れ、意識が現在に呼び戻された。
『 手 打 ち う ど ん 』 と 書 か れ た 暖 簾 を
く ぐ り、 冷 た い ざ る う ど ん を 味 わ う。
キリッとしたツユにコシのある麺。軽
快につるりとやると、田園を吹き抜け
てくる風が頬を撫でる。なんと贅沢な
時間だろう。
ユニークなのはツユとともにダシが
用 意 さ れ て い る こ と。
「蕎麦は蕎麦湯
で ツ ユ を 楽 し め る の に、 う ど ん は そ
た お も て な し を 企 画 す る よ う に な る。
「なめろう(※)が欲しい、キンメが欲
しいという細かなオーダーに対応しつ
しく、地元との接点が少なかったため、
「これからは地元を中心にしよう」と
の、 智 子 さ ん の 気 持 ち が あ っ た。「 蕎
麦でなくうどんにしたのは、気軽に利
用してもらいたかったというのもある
んです。デイリーに(毎日)ここを使っ
てもらえたら。〝上野の食堂〟
、それが
目指すところです」。
元保養所スタッフも再び多吉で働き
始め、正彦さんの「お客さんにありが
とうが伝わる仕事がしたい」という
想いが接客に込められる。
【正彦さん】昭和 35 年 6 月 10 日生まれ。
55 歳。仙台市出身。約 30 年の横浜生活
の後、茨城県のファミリーレストランで店
長を経験。智子さんとの結婚を機に、勝
浦へ。保養所ではマネージャーとして奔走
【智子さん】昭和 40 年 5 月 3 日生まれ。
50 歳。勝浦市台宿出身。26 年勤めた
保養所では主に調理長として活躍
2015 年 6 月 24日、
「手打ちうどん 多吉」
を OPEN(勝浦市上野 568。月曜定休)
つ、腰古井さんの初絞りをご提供した
り。自分がバーベキューのインストラ
クターになったこともありますよ」と
当時を振り返る。智子さんもうどんや
蕎麦の教室を開き、利用者との交流を
深めていった。スタッフの地元民比率
は徐々に上がり、上野地区出身の若き
パティシエの作るスイーツは好評を博
した。気が付けば常連客から〝チーム
5
!!
勝浦〟と呼ばれるようになっていた。
上野地区の食堂を目指す
ところが昨年、保養所が閉鎖されて
しまう。これからをどうしようかと考
え た 時、
「 い ず れ、 民 宿 み た い な こ と
ができればいいな」という想いが膨ら
んできた。
そんな時、
市内にかつてあっ
た蕎麦店や、保養所の元スタッフの親
戚から、道具の提供や店舗物件の紹介
田園のうどん屋に
チーム勝浦、再び
瀧口正彦さん
智子さん
1
3
足で生地を踏む。
麺のコシの強さを
左右する行程だが
力仕事!ここは正
彦さんの出番だ
等間隔に生地を裁
断。この道具は市
内の元蕎麦店のご
好意により譲り受
けたものだそう
生麺はできるだけ
触らずに茹でるの
がポイントだそ
う。ツユやダシも
智子さんの手作り
小麦粉と塩水を混
ぜ合わせる「水ま
わし」という作業。
水分を粉に馴染ま
せ 10 分ほど置く
2
踏んで数時間から
ひと晩寝かせた生
地を伸していく。
均一の厚さに伸さ
れる様は圧巻!
4
製麺直後の麺。
「4
日は持ちますが、
うちは 2 日ほどで
使いきっちゃいま
す」と、智子さん
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完成
※ 鯵にネギ、
ショウガ等の香味野菜と味噌を混ぜ、
粘りが出るまで叩く、房総海岸地域の郷土料理
人
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katsuurashii-person