早稲田大学大学院日本語教育研究科 修 士 論 文 概 要 書 論 文 題 目 フリースクールの独自教材を活かす 日本語支援のあり方 -構想から使用までの支援者の意識に着目して- 藤倉 遥 2015年3月 1 第1章 はじめに 国際化が進む現在、経済的な結びつきや移民政策の緩和などの理由から、国と国の間を 移動することは珍しくなくなった。特に公的教育機関に行き場がない、外国につながる学 齢超過者は、地域の学習支援に通いながら、日本での高校進学を目指している。そうした 地域の支援にはフリースクールがあり、そこでの支援者はいまや様々な人が混ざり合って いる。 フリースクールの支援者は生徒に対して【目指す人間像】と、それに近づくための「目 指すことばの力」を持っているはずである。しかしながら、ほとんどの生徒がフリースク ールでの在籍期間がわずか1年と短く、その中で教科学習もこなさなくてはならないため、 そうした支援者の目標は着目されず、漠然と学力保障が叫ばれてきた。そのために、モノ やカネに対する物理的な保障の議論へと陥ってしまうのである。 支援者は誰しも「目指すことばの力」を持っているが、それをどのように実践の中で具 現化すればいいのかを考えることは、理想を描くことと別の次元の作業である。その作業 が難しく、大変なものであるために、支援者の悩みとして語られる。その悩みに対する解 決策として、ボランティア研修などではテーマとして具体的な教え方を扱うことが多い。 しかし、支援者それぞれがどのような具体化を考え、悩んできたかと言う背景が見えない まま、ある一定の教え方だけが提供されてしまうことは、学校型教育になってしまう危険 がある。かといって事例を提示するワークショップ形式の研修も、悩みや愚痴の言い合い になりかねない。 そこで、筆者が関係しているAフリースクールでの自主的な教材作成を見ることで、そ こから見える「目指すことばの力」の具現化過程を見ることを試みた。教材作成とは何を 教えたいかを考えるといった支援者内、支援者間の意識の向かい合いの作業である。それ はまさに「目指すことばの力」の具現化過程といっていい。また、具現化過程で見られた 支援者の悩みを分析し、解決法を考えることで、地域での教材使用と日本語支援の在り方 に新しい示唆が与えられるのだろう。ここで、3つのリサーチクエスチョンを提示する。 RQ1. 独自教材で支援者が「目指すことばの力」とは何か RQ2. 教材作成という「目指すことばの力」具現化プロセスにおける、支援者の悩みとは 何か RQ3. 悩みはどのように解決できるか。 2 第2章 先行研究 本研究のキーワードである「ことばの力」 「年少者向けの教材」 「ことばの力と教材作成」 について、それぞれの分野の研究をまとめる。 まず、 「ことばの力」とそれに同等の意味の語が使われている研究は「状態把握としての 「ことばの力」」と「目指すものとしての「ことばの力」」があった。いままでの目指すも のとしての「ことばの力」は研究者が理論的背景と実践を結び付けてから目標として設定 されていた(森沢 2006、尾関 2007)。しかしながら、実践からどのような悩みを抱え、見 立てを行い「ことばの力」を設定したのか、その過程が見えてこない。 次に、年少者向けの日本語教材に関する研究には、多様性に対応する議論は見られるも のの、 「生徒にとって教材がどうあるべきか」という視点があまり意識されてこなかったこ とが分かった。また、教材分析による新しい教材の形の提案だけでは、 「実践者がどういう 意図をもって教材を使用するか」といった議論が抜けてしまっていると言える。 そして最後に、「ことばの力」と教材作成では、川上(2008)の「実践的教材論」を見 た。川上は実践者と学習者の関係性が「意味ある教材」を生み出すのに非常に重要な役割 をしていると述べ、実践の動態性と教材を結び付ける必要性を示した。 これらの結果を踏まえて、本研究では実践での教材を捉えるために「支援者の「目指す ことばの力」 」に着目する。その「目指すことばの力」に着目することで、実践の中でAフ リースクールの独自教材が何を目指して使われているのかを明らかにする。 第3章 研究対象・方法 研究対象であるAフリースクールは、神奈川県の外国人集住地域に位置しており、その 母体となる団体は、1973年に在日韓国・朝鮮人を主とする在日外国人の権利を訴える 活動から結成された社会福祉法人である。2004年「外国につながる中学生学習サポー ト」が設置された。支援者たちは成人識字学級で得たノウハウを援用しながら、進路を目 指す中高生たちの最後の居場所作りを心がけていた。現在では「外国につながる子どもの 学習サポート事業」とし、時間を分けて小学生、中学生、学齢超過者に学びの場を提供し ている。その中でも学齢超過者が在籍する学習サポートは、フリースクール(=Aフリー スクール)という名前で呼ばれている。 Aフリースクールに通う学習者の年齢は毎年15歳から17歳が大半であり、母国で中 学に相当する課程を終えて来日した者が多い。支援者は多種多様であるが、主にリタイア 3 教員や現役高校教員、大学生、子どもの母語が話せる施設スタッフが在籍している。調査 当初フリースクールにおける支援者は約11名で、週4回の支援を持ち回りしていた。 そのうち、本研究の調査対象者は、独自教材の作成前と後の日本語支援の違いが分かる 支援者5名に限定した。支援者へのインタビューから教材と、その使用についてインタビ ューを行った。教材の使用方法、独自教材使用前後の支援者・学習者の変化、教材の必要 性の有無、どんなことばの力を育てたいかなど、実践の様子から教材を軸に教育観・評価 観・教材観に繋がる項目を質問した。インタビューの分析には、佐藤(2011)を参考に定 性的コーディングを用いる。 第4章 分析の結果 分析の結果、支援者のインタビュー内容は以下の8個のカテゴリーに分けられた。その 8つとは、 (1)関係性の構築方法(2)目指す人間像(3)実践での障害(4)制度批判 (5)従来の教材への意識(6)独自教材構想から使用までの支援者の意識(7)教材の 捉え方(8)ことばの力の評価である。第4章では4-1で実践者たちの実践に対する構え を、4-2は独自教材の目標設定、4-3は支援者たちの悩みを3つに分けて書いた。 4-1では支援者たちの【目指す人間像】に影響を与える、関係性の構築方法を概観した。 そして支援者の【目指す人間像】は<コミュニティで生活できる人><自立できる人>< 高校で困らない人><将来を切り開ける人><自己表現できる人>の5つの像が混ざり合 ってできていることが分かった。 4-2では独自教材の作成者が、支援者たちの意見から「目指すことばの力」を見出す過 程を見た。その結果、独自教材で支援者が「目指すことばの力」とは、<自己表現できる 人>という【目指す人間像】が明示的に表れた、身近なことを言語化し、理解する力であ ることが分かった。 4-3では、独自教材構想前、使用段階に見られる3つの支援者の悩みを提示した。以下 に箇条書きで示す。 ・ 支援者が「目指すことばの力」の具現化に至るまでの段階で、具現化を望む気持ちと具 現化に最適な方略が分からない心情の間で起こす悩み。(=悩みⅠ) ・独自教材が【目指す人間像】と支援者の【目指す人間像】の間に見えるズレにより、支 援者が独自教材に感じる悩み。(=悩みⅡ) ・独自教材使用段階において、作成者が他支援者と独自教材の意図する使用方法を共有で 4 きていないために生じる悩み。(=悩みⅢ) 第5章 考察 悩みⅠからⅢに答える形で、Aフリースクールで独自教材を活かした日本語支援を行う ためには、何が必要であるかを論じた。 まず、悩みⅠへの答えとして「「目指すことばの力」の顕在化」を提示した。支援者内・ 支援者間での「対話」と「共有」を通して、 「目指すことばの力」を顕在化させることが必 要だと結論付けた。 悩みⅡへの答えとしては、動態的な実践の中で教材を捉えることを提示した。生徒・支 援者・独自教材をめぐる相互交流アプローチの提案をした。相互交流アプローチは岡崎(1 989)が提唱したアプローチ手法だが、3者が実践の中で「対話」を行うという視点を 取り入れ、Aフリースクールの実践に取り入れることが、独自教材と支援者の【目指す人 間像】のズレを大きな問題にしないと答えた。 悩みⅢの解決には、独自教材の使用方法の、多方面からの共有が必要である。そして実 践を繋ぐ手立てとして共有を位置付けることで、 「相互交流アプローチ」の連続が可能にな るとした。 考察章を通して、動態的な実践を捉え、生徒と支援者間の関係から独自教材を捉えなお すことで、Aフリースクールの日本語支援で独自教材が活きることを述べた。そして、そ のそれぞれには細かい「対話」と「共有」が解決策として挙げられる。 第6章 結論 本研究を通して、明らかになったこと、また解決として提示したものをまとめた。以下、 それぞれの研究課題に答える。 RQ1に対する答え RQ1. 独自教材で支援者が「目指すことばの力」とは何か A1. 独自教材で支援者が「目指すことばの力」とは、<自己表現できる人>という【目 指す人間像】が明示的に表れた、身近なことを言語化し、理解する力である。 5 RQ2に対する答え RQ2. 教材作成という「目指すことばの力」具現化プロセスにおける、支援者の悩みとは 何か A2-1. 支援者が「目指すことばの力」の具現化に至るまでの段階で、具現化を望む気持 ちと具現化に最適な方略が分からない心情の間で起こす悩み。(=悩みⅠ) A2-2. 独自教材が【目指す人間像】と支援者の【目指す人間像】の間に見えるズレによ り、支援者が独自教材に感じる悩み。(悩みⅡ) A2-3. 独自教材使用段階において、作成者が他支援者と独自教材の意図する使用方法を 共有できていないために生じる悩み。(=悩みⅢ) RQ3に対する答え RQ.3 悩みはどのように解決できるか A3-1. 「悩みⅠ」の解決には、支援者内・支援者間での【目指す人間像】の決定と「目 指すことばの力」の顕在化が必要である。そして顕在化のためには生徒を受け 持つ支援者同士と、教室全体としての対話と共有が重要である。 A3-2. 「悩みⅡ」の解決には、動態性をもった実践に独自教材を位置付けることが有効 である。そして生徒・支援者・独自教材が「相互交流アプローチ」の中で対話 することで、動態性を大切にした支援が可能になる。 A3-3. 「悩みⅢ」の解決には、独自教材の使用方法の、多方面からの共有が必要である。 そして実践を繋ぐ手立てとして共有を位置付けることで、「相互交流アプロー チ」の連続が可能になる。 今、フリースクールでは独自の日本語教材を作る動きが少しずつ見られるようになった。 このこと自体は、生徒への思いやりから来る日本語指導への積極的な姿勢として評価され るべきことだろう。しかしながら吉岡(2011)が述べるように、年少者を対象とする教材 は、そもそも事前に学習項目を設定し、順次教えていくというスタイルに疑問を投げかけ なければならない。 一方で、年少者日本語教育において様々なスタイルの市販教材が登場している中、わざ わざ支援者たちが自分たちの教材を作る意味は何だろうか。本研究で「目指すことばの力」 を主軸にしたように「支援者たちによって作られた教材に何の意味があるのか」を考える 6 ことによって、現場で支援者たちが抱えている問題点が明らかになるだろう。これは年少 者日本語教育学において非常に重要な点である。なぜなら、この問題点の探求こそが年少 者日本語教育における教材論に役立つかもしれないからだ。 年少者日本語教育における教材論については川上(2008)が「実践的教材論」を提唱し ているが、現在のフリースクールの状況では、動態的な実践の中から教材を見つけるこの 論は受け入れられにくいだろう。しかしながら、フリースクールで学習した生徒たちは日 本に定住予定である子どもが圧倒的多数を占める。彼らの生き方を支えるような、それで いてフリースクールで実施可能な教材論を考えることが必要だろう。 主な参考文献 尾関史(2007)「主体的な自己実現を目指す年少者日本語教育に向けて–ある外国人児童への 日本語支援からの気づき」『早稲田日本語教育学』(1), 11–23 川上郁雄(2008)「実践と「教材」はどう結びつくのか–年少者日本語教育における「実践的 教材論」の試み」『WEB 版リテラシーズ』(5)2,10-19 佐藤郁哉(2011)『質的データ分析法 原理・方法・実践』新曜社 森沢小百合(2006)「JSL 児童の「読む」力と「自己有能感」の育成を目指した日本語教育 支援」川上郁雄(編)『「移動する子どもたち」と日本語教育―日本語を母語としない子ど もへのことばの教育を考える』75-99,明石書店 吉岡英幸(2011)「日本語教材から見た日本語能力観 (特集 日本語教育が育成する日本語能 力とは何か)」早稲田日本語教育学 (9), 1-7 7
© Copyright 2024 ExpyDoc