垂 水 会 高 野 山 参 拝 バ ス ツ ア ー 平成 27 年 10 月 27 日 10 月 27 日(火)に、紅葉が綺麗な、世界遺産開創 1200 年の高野山参拝ツアーを参加者 35 人が楽しみました。 参加者は男性が 21 人、女性が 14 人で、18 期が最も多く 14 期が次に多く参加されました。 道の駅万葉の里で買い物した後、ガイドさんに案内してもらい高野山奥の院を参拝、昼食は持明院にて精進料 理を楽しみ、午後は総本山金剛峯寺、壇上伽藍の金堂と根本大塔が特別御開帳されていて、各自自由に参拝し ました。帰りのバスの中では更にご利益を得んとビンゴゲームを楽しみました。 海神社前に 7 時集合、7 時 30 分出発でしたが、多く 墓や石塔が並びます。その数なんと 20 万基とか。 の人は早くから集合して、10 分早く出発しました。 山口会長のあいさつの後に、森副会長の本日のスケジ 親鸞・法然上人の墓所、柳家金語楼さんが建立した「楽 書塚」徳川家康の次男・結城秀康の全石造り墓所など。 ュール説明があり、湾岸線、阪和道、京奈和道を即席の クイズなどを楽しみながら一路高野山へ。 水向地蔵。お札をお供えして、水をかけて祈ります。 御廟橋を渡ります。ここから写真撮影禁止でした。 道の駅万葉の里で休憩と買い物をしました。 種無し柿 高野山聖地「奥之院」は、弘法大師空海が入定したと される御廟があり、聖地中の聖地とされています。 を買い求 める人が 弘法大師御廟は大師信仰の中心聖地であり、現在でも 肉身をこの世にとどめ、深い禅定に入られており、私た 多くいま した。 ちへ救いの手を差し伸べていらっしゃるという入定信 仰を持つお大師さまの御廟所です。 地下の御廟に入り、弘法大師さまの近くでお参りしま した。 南大門の前を通り、奥の院前の駐車場へ。 ここからはガイドさんの説明で奥の院を参拝しました。 奥の院までのおよそ 2km の参道には織田信長や武田信 玄など戦国武将をはじめ、諸大名、首相、有名人などの 1 金堂 昭和元 年に焼失後、 昭和9 年に再 建されたもの。 屋根は入母屋 造の建築で8 代目になりま す。 持明院 持明房真誉大徳の開祖でその字を取って寺名 とし、特に持流一派の本山として約 900 年、法灯師資 連綿として今日に至っています。 ここで昼食です。 中門 開創1200年を記念する主要事業として、天保14 年に焼失した壇上伽藍の中門が172年ぶりに再建。 精進料理をおいしくいただきました。 食事後は金剛峯寺の駐車場まで、全員で移動して待ち合 わせ場所を確認してから、三々五々自由に拝観しました。 総本山金剛峯寺 特別御開帳中。 明治 2 年、いずれも豊臣秀吉ゆかりの寺院である青 午後 3 時 30 分にバスに全員が乗車し、帰路に付きまし た。ご利益をさらに得んとビンゴゲームを楽しみました。 巖寺と興山寺を合併し、金剛峯寺と改称。青巖寺は秀吉 が亡母の菩提のために建立したもので、 「金剛峯寺」の 午後 6 時 30 分に無事海神社前に帰り着きました。 寺号は空海が名付けた。 檀上伽藍 「壇上伽藍」は山内の西寄り、金堂、根本大 お疲れ様でした! 参加者より「好天の下高野山の森林浴ができました。 塔、西塔、御影堂などの立ち並ぶ一画で、空海が在世中 に堂宇を営んだところで、現在の諸堂塔は大部分が江戸 歩行速度の遅い私でも高野山参拝が叶いました」 「とて も良い高野山見学でした。道の駅も女性軍にはありがた 時代後期から昭和時代の再建ですが、真言密教の道場と しての高野山の中核となる部分です。 根本大塔 金堂の右後方にある多宝塔。昭和12年、空海入定1,100 年を記念して再建したもの。 い、新しく、美味しく、とても嬉しい買い物でした」な どのメールが届きました。 (写真:森政勝、岡本紘一 記事、編集:岡本紘一) 2
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