2013年度日本農業史学会・個別報告5 東京農業大学世田谷キャンパス,2013.3.28 隣保相扶と町民動員 昭和13年阪神大水害における 復旧・復興への町会活動を中心に 加藤尚子 (独)農業環境技術研究所 報告の流れ はじめに 1. 神戸市における町会と隣保 2. 阪神大水害復旧・復興と町会の町民動員 まとめ 町会・隣保・隣保相扶に関する先行研究 課題と方法 史料について 阪神大水害について はじめに 町会・隣保・隣保相扶に関する先行研究 • 戦時体制下の町会・隣保に関する研究は少ない >町会(部落会)で行われていた 「常会」についての研究は見受けられる • 戦時体制下における隣保相扶についての研究 >社会福祉事業(救済制度),軍事救護との 関係で論じられるものが若干ある 課題と方法 • 阪神大水害が発生した当時の神戸市におい て,町会・隣保がどのように活動したのか • 「隣保相扶」は彼らにどのように受け止められ ていたのか 3つの史料をとりあげ,その中の記述から,明ら かにする 史料について • 『湊区水害誌』 1939(昭和14)年7月5日発行 • 『神戸区水害復興誌』 1939(昭和14)年10月5日発行 • 『篠原水害誌』 1939(昭和14)年12月10日発行 阪神大水害について • 六甲山系は極めて風化しやすい花 崗岩から出来ている⇒これが頂上 近くでは50°以上に傾斜している • その下は水を通さない母岩 ↓ 母岩から上の土中が、多量の水により 飽和状態に達し、それが斜面であった ために各所で山崩れが起こった 都市化にともなう過開発 梅雨前線豪雨による 土砂災害 • 6月30日に台風が房総半島近くを 通過 • その通路あたりに梅雨前線が停滞 • 3日夕方には太平洋高気圧の勢力 が一層増した • 等圧線の走向が南南西へ⇒神戸 地域へ梅雨に豪雨をもたらす形 • 3日の梅雨前線は4日に消えたが、 北陸沿岸に新たに発生したものが 瀬戸内西部のものと結合し、さらに 東の端にあたる奥羽地方に低気圧 を誘発し、日本海の高気圧が南東 に押し下げられ、結果的に、5日に 梅雨前線が再び神戸地方に停滞 し豪雨となった 神戸市における町会について 神戸市における隣保について 戦時体制の流れと町会・隣保の成立 神戸市における町会と隣保 神戸市における町会について • 神戸市においては,1934(昭和9)年まで,他の大都市のようにその沿革をたどれるような 「町会」は存在しなかった. • 神戸市の「衛生組合」は,他市と異なり,保健衛生に関する事項のみならず,道路交通に関 する事項,保安に関する事項,祭事及宗教に関する事項,教育に関する事項,社会事業に 関する事項,納税に関する事項,兵事に関する事項,会員の吉凶禍福に関する事項,消防 に関する事項,市民の交隣に関する事項,官公署の行政事務の補助等も併せて行ってい た. • 機能としてこれらを見ると,神戸市の「衛生組合」は実質的には,他市の「町会」と変わらな いものであった. • 1934(昭和9)年4月,県当局の意見もあり,「町会」を設立したが,これは単に名称の変化に 過ぎなかった. ・・・事務所を衛生組合内に置いていた ・・・従来の衛生組合の取り扱ってきた事業の一部を分離して所管させた ・・・町会長の多くは衛生組合長と兼務していた ⇒「町会と衛生組合との区分が判然としない」(<1940(昭和15)年時点) 神戸市における隣保について • 隣保とは向三軒両隣(5-7軒)または向三軒両 隣の関係において堅く結ばれる自然の組合 (<隣保の定義@神戸市) →1隣保内の家庭数は一定しないが,大体 10戸以内が適当 • 隣保は,2若しくは2つ以上の部または組にま たがって編成しない • 部または組がなく,隣保が多数ある場合は, 適宜,部または組を作る 神戸市町会連合会 市 (神戸市衛生組合連合会事務所内に事務所を置く) ○○区町会連合会 区 (区役所内に事務所を置く) 町 会 (町会の区域=衛生組合の区域) ※ 昭 和 13 年 3 月 「 隣 保 組 織 要 綱 」 よ り *部は町会の実情 に応じて編成する (一定の数は定めない) 部 組 ・・・10組以内 ・・・10隣保以内 隣 保 家 家 家 家 家 家 家 家 家 家 家 庭 庭 庭 庭 庭 庭 庭 庭 庭 庭 庭 10戸以内で1隣保とすること 神 戸 市 に お け る 市 ・ 区 ・ 町 会 と 隣 保 の 関 係 戦時体制の流れと町会・隣保の成立 1934(昭和9)年 神戸市に町会が設立される (町会の前身は衛生組合) 1936(昭和11)年 1937(昭和12)年 神戸市湊区内の町会の下に隣保が組織される 4月2日 防空法 7月7日 日中戦争勃発 1938(昭和13)年 4月1日 国家総動員法 4月1日 神戸市内の町会の下に隣保が組織される 7月5日 阪神大水害発生 1940年(昭和15)年 9月11日 内務省訓令第17号部落会町内会等整備要領 『湊区水害誌』の場合 『神戸区水害復興誌』の場合 『篠原水害誌』の場合 阪神大水害復旧・復興と 町会の町民動員 『湊区水害誌』の場合 ① 湊区復興委員会による復旧方針: • 隣保協力して,自立自営復興にあたる • 作業はすべて町会を中心とし, • 配当ならびに奉仕団は区において取扱い町会の申出 でによって配分する. • 土砂排除作業は各町会共に各自区内の幹線道路を 先とし,これによりてトラックの通路を開きたる後小路 に及ぶを可とする. • 屋内の土砂は各戸順々に始末し,町会指示監督の下 に便宜の道路に搬出せしむること. ⇒「隣保世話係又よく協力して隣保班を糾合してこれを 助け,各員よく班長の命を体し,献身的努力を続け」た 『湊区水害誌』の場合 ② 隣保奉仕団(会): • 被害の少き町会は(各戸一人宛)出動して隣 保奉仕団を組織し,被害激しき方面の応援を する • 隣保奉仕によって,土砂取除け,清掃をなす. 各戸必ず一人の出仕を希望・・・被害大なる 町へは奉仕員40名,小なるところは30名又は 20名を配置・・・他地区奉仕団は被害の大な る部分にあてる,各町より毎日30名宛交替制 によって奉仕団を出す. ⇒「吾等の町会は吾等町民の手で」 『湊区水害誌』の場合 ③ 隣保奉仕の担い手: • 各町々で交代制をとっているのであるから,サラリー マンの中には日曜日を選ぶものもあったが,概して隣 保の活動は家庭婦人の手で行われた. • 隣保奉仕に出ない者は1日何円か出すことになった- などという説が流布され,或いはインテリ階級は奉仕 をせぬ-という声が起こった.しかもそれは事実で あったともいわれる.(<具体的に「何円」と決めた事 実についての記載はない) • 始め,各戸必ず勤労奉仕に出ることを決定し,但し主 人はなるべく自己の職務に出勤することにしたが,婦 人たちはけなげにも子供を背負って奉仕団に加わり, 一戸一人主義は予期以上の好成績であった.(主人 は出勤によって得た金の幾分を隣保へ寄贈・・・) 『神戸区水害復興誌』の場合 ① • 「各町において自主自営の方法を講ぜられた い」旨指令した(<西川復興委員会長)ので, 「各町老若男女を問わず総動員」で応急処置 をした • 「本区が他区に率先して土砂濁水の排除,道 路清掃等を終え得たのは,全く(復興)委員各 位及び区民諸氏の熱血的協力とその実行の 賜と深く感謝したのである」 『神戸区水害復興誌』の場合 ② • 「・・・地域の人々が隣保相扶け恥も外聞も忘 れて老幼婦女子までが・・・単に一家でない一 町の復活に協同参加していられた・・・」 • 「隣人愛に燃えて相互扶助している美しい光 景・・・この惨害地の隣保団結総力活動にい かにも銃後の頼もしさを感じた」 • 「町会役員の非常招集を行い,・・・役員会を 開催,復興団の組織に着手し,町会役員自ら 復興団幹部に任じ・・・」 『神戸区水害復興誌』の場合 ③ • 「・・・眼前に迫れる全町の危険を感じ,水流 防止は人為の到底及び難きを考え,直ちに 急を町内居住者に報じ・・・」 • 「町会並びに衛生組合・火防組合・郷軍北野 分会・青年会・愛国婦人会・国防婦人会等, 町内諸団体を糾合総動員し「北野町水害救 援復興会」を組織した」 • 「復興事業に就いては,町各戸総出動,隣保 相互に土砂の搬出・食事の炊出等・・・」 『篠原水害誌』の場合 ① • 「国家非常時,我市非常時,我町非常時必ず 理屈をぬいて隣保相扶ける気持ちを以て此 復興に精進努力致したい・・・」 • 「・・・避難者の救急措置,傷病者の手当から, 配給品の分配,さては炊事一般に至るまで一 切のことは町会役員を中心として各団隊員総 動員のもとに・・・遂行された・・・」 『篠原水害誌』の場合 ② • 「篠原町被害者各位ニ告グ!!」(第一次) ・・・茲に於て応急の防備をせんがため被害を免 れたる住民に,是非一日の労力奉仕を御願い いたし・・・追って受持部長より御通知を発したる 場合には各位には万障御差繰御出動を御願致 します.尚万々一割当日に御出席御不能の場 合は此の災害に対する応分の御気持ち(不参加 費金3円)を篠原町会は待って居ります. • 「篠原町各位ニ告グ!!」の布告文(第二・三次) ⇒24の“組”があることが記載 まとめ ① 町民動員について 「隣保奉仕」:各戸必ず一人の出仕,各町より毎日30名宛交替制(<この ことが明記されているのは湊区のみ) 奉仕を呼びかけた相手: ・・・湊区:隣保⇒各戸 ・・・神戸区:区民諸氏,町内居住者⇒住民 ・・・篠原町会:被害者(篠原町)各位⇒住民 ※『篠原水害誌』には「隣保」が出てこないが,「組」は出てくる 奉仕に出席できない場合に金銭を支払う: ・・・湊区:あった(<“恥”として書かれている) ・・・神戸区:あった(<町会でまとめて復興委員会に寄付) ・・・篠原町会:あった(<金三円以上,三円までは義務,それ以上は寄付) まとめ ② • 町の復興は「自主自営」でという意識は共 通している. • 「隣保相扶」は町民動員のスローガンとし て用いられてはいない • 1938年時点で,隣保を「町会の細胞組織」 と意識していたとは言い難い
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