食事と家族と人間関係−食育

雑感
食事と家族と人間関係−食育
よく『食育』という言葉を耳にします。また、新聞等にも出てきます。何か新しい言葉のように感じ
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られますが、『食育』という言葉は明治時代から言われていることです。1898年石塚左玄が「通俗食物
養正法」の中で「今日、学童を持つ人は、体育も知育も才育もすべて食育にあると認識すべき」と、ま
た1903年報知新聞編集長であった村井弦斎が連載していた小説「食道楽」の中に「小児には徳育よりも、
知育よりも、体育よりも、食育が先。体育、徳育の根元も食育にある」と記載されています。
辞書などで調べてみると、広辞苑や大辞林には出てきません。現代用語の基礎知識には「子どもの味覚
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を育てる教育」とあり、イミダスでは「食教育」「食農教育」として出ており、知恵蔵には出てきませ
ん。一般的には、食材・調理・栄養・味覚といった食そのものに関することとして捉えられています。
どちらかと言いますと現代は「飽食」寄りに考えられているのではないでしょうか。
しかし、先日ラジオを聞いていましたら、ゲストの方が「今、日本の学校から給食を無くすると、“栄
養失調”の子供たちが出てくる……」と言った発言がありました。この時代に、と考えちょっとショッ
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クな言葉でした。
Yasu(私のこと)の考え方は、明治時代の考え方に近いです。『食』とは「人に良い」と書きます。
ですから『食育』とは、『食を通して、良く育む(はぐくむ)』と言う意味を勝手に意味づけています。
拡大解釈をすると、『食を通して、心と身体と知識(躾・食に関する知識など)とコミュニケーション
能力を育てる』と考えています。
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現代の日本では、家族(子どもが居る家族ばかりではない、夫婦二人・恋人同士・友人同士も含む)
および家庭の食事の時間に『食育』ということが行われているでしょうか…?。
『食を通して、良く育む(はぐくむ)』と言われるのですから、当然、食材に関して、調理法に関して、
そして1日あったこと、話題などを話ながら時間をかけて“食事時間”という『時間』をとっている(構
造化)でしょうか…?。
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家族がそろっていても食事の時間がまちまちで食卓を全員で囲むことがない。また、たまに家族全員
がそろって食事をする時には、大多数の家庭ではテレビを見ながら食べることが多いのではないでしょ
うか。その人たちを観察すると食卓を挟んで確かに身体はお互い同士向かい合っていますが、顔(視線)
はテレビの方向に向け食べているケースが多いです。そのような体勢でコミュニケーションをとった場
合、相手に言葉はなかなか届きませんし、話している言葉はテレビに向かって届いています。もっと最
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悪なのは、身体もテレビの方向に向けて、お互い同士正面ではなく斜めに向き合っている場合もありま
す。「時代だからしょうがないよ…」と言われればそれまでですが、ラジオだけの時代はイヤなことが
ありイヤな雰囲気であっても向き合い食事という時間を共有していました。現代は物の時代と言われい
ろいろな物があります。食事の時間ぐらいラジオを聞くとか、ステレオで音楽を聞きながら過ごしては
どうでしょうか。恋人と食事をしに入ったレストランにテレビがあって、恋人が食べるより、あなたと
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いるのにテレビに意識が言っていた場合はどうでしょうか…?。
コミュニケーションというと、よく“言葉のキャッチボール”という言葉が使われています。身体が
斜め、もしくは顔が横を向いていては、本当に言葉のキャッチボールが出来るのでしょうか。また、“
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身体が語る言葉”(身体的言語)を見る(観察)ことが出来るのでしょうか。
また、“言葉を届ける”という言葉もあります。言葉を発する時には指向性と言うのがあります。指
向性とは、ある方向を目指して向かう性質・傾向のことであります。カラオケに行って使うマイクなど
は、唄う口から少し横にずらした場合、声が聞こえなくなる場合があります。口に対し真っ直ぐにした
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場合は、きちんと唄声が音声として聞こえてきます。いわゆる相手に話す時、横を向いて話していても
声は聞こえますが、聞き手としては話し手から声を届けてもらった感覚があまりないのです。ですから、
相手に向かって言葉を届けること、また聞き手もその言葉をきちんと受け取ることが大切です。“言葉
遣い”という言葉も、けっして“使い”とは書かれていません。“遣い”は、“つかわす”“おくりやる
”と言う意味があります。やはり“届ける”ということを言っています。
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現代は、“孤食”“崩食”の時代とも言われています。何かのデータによると家庭の食事のメニュー
の中で“鍋料理”が減少しているとのことです。子どもの習い事・塾など平日であっても、休日であっ
てもなかなかそろうことができない。また、親の方も共稼ぎ・残業・単身赴任・人員削減など、休日に
はゴルフなどで同じような様子を見ることができます。今の時代、不景気・リストラなどでなおのこと
仕事に対する姿勢が大変になってきています。休めない・早く帰れない・サービス残業もプラスアルフ
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ァになってきています。しかし、そこに疑問が出てくるのが、組織・職場に対しては能力と体力は売っ
て良いと思いますが、家族関係まで売っている人がいます。もっと厳しく言うと、命まで売っている人
もおります。
仕事は一生懸命やって来たけれど、家族関係とくに子供との関係の問題が出てきています。よく若年者
層の問題行動および事件が多くなってきています。また、コミュニケーション能力の低下も顕在化され
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てきました。その時その時起こる問題に対しては対策(抗生物質的な)をうってきましたが、根本原因
に対して行動を起こしていかなければならないのではないでしょうか。『“結果”は、後から出てくる』
『“因果”とは、原因があるから結果が出てくる』と考えます。今の時代今までのことが出てきている
のではないでしょうか。
毎日毎日とはいかないでも、回数を多くすること、そしてその『時間』の質を高めることが大切ではな
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いかと思います。そのような時間を積み重ねることによって、結果として『食育』がなされるのではな
いでしょうか。子供たちに対してばかりではなく、大人同士も。
Yasuは54才になりました。平均寿命80年として、Yasuは夕食を死ぬまでに約9,500回とります。その9,
500回の1回1回の『時間』を質的に濃い時間として過ごしたいと考えています。何も贅沢な値段の高
いものを食べるというわけではありません。粗食であっても『時間』を大切にしていきたいと思ってい
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ます
営業の世界に、売れなくなったら「基本に戻れ」という言葉があります。前の時代もしくは昔に戻れと
言うことではありません。『基本』に戻ることが出発でもあり、解決でもあるのではないでしょうか。
若年者層が起こす事件、子供を虐待する親、そのような事件の報道を聞くたびに、ひとつの要因とし
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て考えてきたことをつれづれなるままに書いてみました。
2004年3月
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