2015年春休み号(卒業生)

2015(平成27)年3月17日
春休み号
学校通信
椙山女学園大学附属小学校
ねんねんさいさいはな あ い に
さいさいねんねんひとおな
年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず
校 長
河 野 庸 介
卒業生のみなさん、
ご卒業おめでとうございます。
が常により良く生きるための努力を仲間と共に積み
皆さんはこの椙山女学園大学附属小学校を卒業
重ねていく必要があります。たしかに「歳々年々人
し、いよいよ中学校に向かう扉を開くことになりま
同じからず」なのですが、自分が老いていくことを
した。その大きな扉の向こうには椙山女学園中学校
嘆くだけでは未来への一歩を踏み出すことはできま
や高等学校そして大学への道が続いています。卒業
せん。私たちは日々積み重ねた努力と精進で自分自
生の皆さんには、これからの一日一日、一年一年を
身を人間として成長させることで、白髪になりつつ
大切にしつつその道を力強く歩んで欲しいと思い、
も充実した人生を送ることができるのだと思いま
この文章の題を「年々歳々花相似たり 歳々年々人
す。ですから、私は卒業生の皆さんに、「時間」を
同じからず」としました。
惜しみつつ、今日から始まる未来への一日一日を大
しょとう
この語句は、中国・初唐の詩人劉廷芝(りゅうて
切に過ごして欲しいと思うのです。そのように考え
おきな
いし)の『代悲白頭翁(白頭を悲しむ 翁 に代わる)』
ると
しょうねん お
という漢詩の一節です(この語句は大変に有名なも
いっすん
のですから、卒業生の皆さんの中には知っている人
こういんかろ
さ
ち と う しゅんそう
ご よう
歳々年々人同じからず」という語句があります。
「毎
しゅうせい
階前の梧葉すでに秋 声
しゅき
あわれんでいる場面に、この「年々歳々花相似たり
ゆめ
未だ覚めず池塘 春 草 の夢
かいぜん
を送っている若者が、すっかり老いてしまった翁を
がた
一寸の光陰軽んずべからず
いま
もいるかもしれませんが)。今を盛りと楽しい人生
がく
少 年 老いやすく学なり難し
ぐうせい
という朱熹の漢詩(「偶成」)も頭に浮かんでき
ますね。
年毎年美しい花が同じように咲き誇っているけれ
私は、今日、この椙山女学園大学附属小学校を卒
ど、それを眺める人は毎年毎年変わってしまう」と
業される皆さんが一日一日を大切にし自分のできる
いう意味です。
限りの努力を積み重ねて、その人生を明るく、輝か
皆さんがこれから過ごす三年間の中学校生活は、
とても長いものに感じられる時もあるとは思います
しいものにすることを心より願っています。
そして、
皆さんならきっとできると信じています。
が、過ぎてしまえば短く、そして二度と巡り会うこ
最後になりましたが卒業生のご家族の皆様、お嬢
とのできない時間となってしまいます。それだから
様のご卒業、まことにおめでとうございます。そし
こそ、卒業生の皆さんには中学生として、一日一日
て、今後とも母校である椙山女学園大学附属小学校
を大切に過ごして欲しいのです。私たち人間が人間
へのご支援のほどよろしくお願いいたします。
としての誇りをもって生きていくためには、私たち