血液透析療法前後の唾液分泌速度と

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明海歯学(J Meikai Dent Med )44(1)
, 87−91, 2015
血液透析療法前後の唾液分泌速度と
pH ならびに成分変化について
吉田美香子1§
鈴木
小野
1
2
正二2
義晃1
小口
高森
寛子1
一乗3
鈴木
渡部
亮1
茂1
明海大学歯学部形態機能成育学講座口腔小児科学分野
明海大学歯学部病態治療学講座口腔顎顔面外科学分野
3
日本大学歯学部小児歯科学講座
要旨:慢性腎不全患者に特有な高クレアチニン,高尿素窒素血症は,口腔乾燥症や味覚異常などの誘因となることが知
られている.本研究の目的は,慢性腎不全患者の血液透析前後の唾液と血液検査所見を比較し全身的病態診断における唾
液の有用性について検討することである.
16 名の慢性腎不全患者を対象として,透析前後に唾液の採取ならびに採血を行った.対象群は,血液検査所見に異常
が認められない健常者 8 名とした.検査項目は,唾液分泌量,唾液 pH,唾液成分(Na, K, Cl,尿素窒素[BUN],Mg,
Ca,無機リン[IP])とした.その結果,透析後安静時唾液分泌速度は増加し,pH は低下していた.一方,透析後刺激
時唾液分泌速度には差が認められなかったが,pH は有意に低下した.安静時唾液成分では,透析後,K, Cl, BUN に有意
な減少が認められた.唾液成分と血中成分との相関では,K で rs=0.52, BUN で rs=0.51 と有意な相関関係が示された.
以上の結果,唾液検査は血液検査結果と密接に関係し,慢性腎不全患者の非侵襲検査法として有用であることが明らか
となった.
索引用語:透析患者,唾液検査,血液検査,BUN
Salivary Flow Rate, pH and Components of
before- and after- Hemodialysis
Mikako YOSHIDA1§, Seiji SUZUKI2, Hiroko OGUCHI1,
Ryo SUZUKI1, Yoshiaki ONO, Kazunori TAKAMORI3
and Shigeru WATANABE1
2
1
Division of Pediatric Dentistry, Department of Human Development and Fostering, Meikai University School of Dentistry
Division of Oral and Maxillofacial Surgery, Department of Diagnostic & Therapeutic Sciences, Meikai University School of Dentistry
3
Division of Pediatric Dentistry, Nihon University School of Dentistry
Abstract : Chronic renal failure patients have a clinically high creatinine and high blood urea nitrogen(BUN)due to decline of renal function, and also have been known symptoms include xerostomia and impaired taste ability. In order to assess the validity of the saliva test to diagnosis of a chronic renal failure patients general state, we extracted the patient’s saliva and blood before and after dialysis, and compared their components.
Saliva was collected before and after dialysis for 16 chronic renal failure patients. As a control, Eight healthy volunteers
who do not have abnormalities in a blood test were collected. For each saliva sample, salivary flow rate, pH and concentrations of components were examined.
As the results the unstimulated salivary flow rate increased and salivary pH decreased after dialysis. However stimulated
salivary flow rate was not different between before and after dialysis. But salivary pH decreased significantly after dialysis.
Reduction of K, Cl, BUN were observed after dialysis in resting saliva components. The concentrations of K and BUN
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吉田美香子・鈴木正二・小口寛子ほか
明海歯学 44
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were significantly correlate between in saliva and in blood, and spearman rank correlation coefficient were rs=0.52 and rs
=0.51, respectively.
Therefore, it was suggested that the saliva inspection are useful in an chronic renal failure patient’s noninvasive diagnosis.
Key words : hemodialysis patients, saliva, blood, BUN
緒
言
16 名(男性 7 名,女性 9 名),平均年齢 57 歳,平均透
析期間 11 年を対象とした.これらの患者は,週 3 回,1
慢性腎不全患者は,腎機能低下により,体内の老廃物
回平均 4 時間の透析を受けており,喫煙経験はない.対
が排泄されず蓄積し,臨床的には高クレアチニン,高尿
照群は,血液検査所見より異常が認められない健常者 8
素窒素血症を生じる1, 2).蓄積された老廃物を人工的に
名(男女とも各 4 名),平均年齢 50 歳とした.尚,本研
除去する方法が血液浄化療法,すなわち血液透析(透
究は三思会東邦病院内規定の倫理委員会に従い,本研究
析)であるが1−3),長期透析患者の口腔内においては,
の主旨を十分な説明の下,同意を得て行った.
口腔乾燥症や味覚異常などを呈することが知られてお
り,これらの病態は唾液分泌速度などに密接な関係のあ
4−8)
ることが報告されている
.
従来,臨床化学領域における体液分析試料としては,
2 .安静時,刺激時混合唾液採取ならびに測定法
安静時唾液は,被験者の頭部をやや前傾させ口を軽く
開き,舌,口唇,顎の動きを禁じさせ,5 分間に流出す
血液,尿が中心である.しかし最近,試料提供者にもっ
る唾液をあらかじめ重量を測定したカップに採 取し
とも負担を与えず,しかも随時得られるという利点をも
た11).
った唾液に注目して,診断のための情報を得ようとする
刺激時唾液は,3.2 g の無味ガムベースを 1 分間自由
試みが種々検討されている.現在,尿素窒素については
咀嚼させ,唾液とともにガムベースもカップに吐き出さ
血清中濃度と唾液中濃度が正の相関を示すことが確認さ
せた.そして,全量からガムの重量および容器重量を差
れ9),すでに臨床にも応用化が計られている.一方,血
し引き刺激時唾液分泌量とした.
中薬物濃度測定の最近の進歩はめざましく,一部の抗て
唾液分泌速度は,風防電子天秤(AC 120 S,ザルトリ
んかん剤の唾液中濃度が,血清および血漿中の蛋白非結
ウス社製,東京)にて,唾液流出量を計測し,単位時間
合型濃度に一致することが明らかにされ,唾液を応用し
当たりの唾液分泌速度を算出した.唾液 pH は,pH メ
た抗てんかん剤の Drug monitoring が注目されている10).
ーター(pH-BOY-KS701,新電元工業社製,東京)を用
透析患者においては,透析に加えその病態把握のため,
いて測定した.唾液成分は,検査可能な流出量が得られ
頻繁な血液検査が行われ,失血や貧血などの問題をかか
た 7 名において,安静時唾液ナトリウム(Na),カリウ
え,それに伴う感染の危険性が著しく高くなってしま
ム(K),塩素(Cl),尿素窒素(BUN),マグネシウム
う3).これらの病態をより簡便に診断できる方法の開発
(Mg),カルシウム(Ca),無機リン(IP)それぞれの成
は,透析患者の負担を軽減するために有用であると考え
分を測定した.
られる.
今回,我々は慢性腎不全患者の透析前後の唾液と血液
を採取し,両者の関係を調べ,唾液による全身的病態の
把握の可能性について考察を試みた.
対象と方法
1 .対象者
三思会東邦病院血液透析外来受診の慢性腎不全患者
─────────────────────────────
§別刷請求先:吉田美香子,〒350-0283 埼玉県坂戸市けやき台 1-1
明海大学歯学部形態機能成育学講座口腔小児科学分野
3 .血液採血ならびに測定法
透析前後に動脈側血液回路のニードルアクセスポート
より約 4 ml 採血し,通法5, 6)に従い測定した.
4 .統計処理
透析前後の尿素窒素(BUN),クレアチニン,唾液分
泌速度,唾液 pH,唾液成分の差は,Wilcoxon の符号付
順位検定により比較した.唾液成分と血中成分との相関
を調べるために,Spearman の順位相関係数を求めた.
慢性腎不全患者の唾液変化
結
果
安静時混合唾液分泌速度は,Fig 1 に示す様に透析前
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速度は,透析前 1.83±0.27 ml /min から透析後 2.35±0.32
ml /min となり,安静時同様増加していたが,有意差は
認められなかった.
0.22±0.05 ml /min から透析後 0.38±0.06 ml /min と有意
安静時混合唾液 pH は,Fig 2 に示す様に透析前 7.92
(P<0.01)な増加を示した.一方,刺激時混合唾液分泌
±0.18 から透析後 7.60±0.18 に減少傾向を示した.一
方,刺激時混合唾液 pH は,透析前 8.55±0.17 から透析
後 8.24 ± 0.13 へ 減 少 し , 有 意 差 が 認 め ら れ た ( P
<0.01).
透析前後の安静時混合唾液成分の比較を Fig 3 に示
す.K は,透析前 30.80±3.73 mEq/l から透析後 21.67±
0.99 mEq/l に有意に低下(P<0.05)し,Cl では,同様
Fig 1 Comparison of the unstimulated and stimulated salivary
flow rate before and after dialysis
Fig 4
Correlation of the K concentration in blood and saliva
Fig 2 Comparison of the unstimulated and stimulated salivary
pH before and after dialysis
Fig 3 Comparison of the unstimulated salivary components before and after dialysis
Fig 5 Correlation of the urea nitrogen concentration in blood
and saliva
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吉田美香子・鈴木正二・小口寛子ほか
明海歯学 44
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に 26.66±2.33 mEq/l から透析後 19.14±0.67 mEq/l へ減
らびにその分解産物であるアンモニアの濃度が大きく変
少(P<0.01)し,尿素窒素では,19.41±4.83 mg/dl か
化するためと考えられる.しかし,本研究においては,
ら 4.13±2.16 mg/dl へ減少した(P<0.05).その他の
唾液 pH と尿素窒素の相関は認められなかった.
Na, Mg, Ca, IP においては有意な変化は認められなかっ
た.
本研究において安静時混合唾液成分では,透析後,K,
Cl,尿素窒素において統計学的有意な減少が認められ
透析前後の安静時混合唾液成分と血中成分の比較で
た.吉本ら4)は,透析後,Na, K, Cl, Ca の有意な減少
は , K で rs = 0.52 , 尿 素 窒 素 で rs = 0.51 と 有 意 ( P
を,又賀6)は,Na, Cl に有意な減少がみられるものの,
<0.05)な正の相関関係が認められた(Figs 4, 5).
K,尿素窒素,IP, Ca は変化がみられなかったと報告し
考
ている.一方,橋本ら7)は K, Cl,尿素窒素の有意な減
察
少を報告している.腎不全患者において,透析により減
長期透析患者では,それに伴う種々の合併症を認め,
少する物質は,一般に K, Mg,取り除かれる物質は,
口腔領域では,歯および顎骨の異常,味覚異常,口腔乾
BUN, Cr, UA, IP で , 反 対 に 上 昇 す る 物 質 は , Ca,
燥症などが挙げられる.味覚異常ならびに口腔乾燥症と
HCO3,あまり変化がみられない物質は,Na, Cl である.
唾液分泌速度とは密接な関係にある.
その中で BUN, Cr, UA, K, IP は,透析効率の指標とさ
透析後の安静時混合唾液分泌速度は,有意に増加する
4, 7, 12)
との報告
6)
と変化がみられないとする報告 があるが,
特に安静時耳下腺唾液を対象とした研究では,変化がな
13−15)
いとする報告が多い
.健常者の安静時混合唾液分泌
6, 11, 16)
速度は,0.3 ml /min 程度
であるが,本研究の結果,
れ,特に K は透析不足で高値となることが知られてい
る3).唾液中成分も血液同様透析の影響を強くうけてい
ると考えられる.耳下腺唾液中の K,尿素窒素は,血
中の K, BUN と密接な関係があり13),また混合唾液中の
尿素窒素も同様であると報告されている6).本研究にお
血液透析患者においては,透析前はそれより低値を示し
いても,唾液ならびに血中成分における K,尿素窒素
た.透析後は,透析前の約 2 倍とほぼ健常者と同レベル
は,統計学的有意な相関関係が観察され,唾液は容易に
まで増加したことから,透析により安静時唾液分泌速度
測定が可能であることから,唾液中のこれらの成分分析
は増加することが示唆された.透析による唾液分泌速度
は透析患者の日常の全身状態をチェックする一つの指標
の増加については,唾液浸透圧減少率と唾液流出量増加
となり得る検査であることが示唆された.
率の間には,正の相関がみられるとの報告があり4, 7),
結
口腔乾燥因子として浸透圧の上昇が関与している可能性
が考えられる.すなわち,透析により,体内の Na およ
論
1 .透析後安静時唾液分泌速度は,透析前に比べ有意に
びその他の貯留物質の変化がみられ,浸透圧が減少し,
増加したが,刺激時唾液分泌速度には差が認められな
唾液流出量が増加したものと思われる.
かった.
一方,刺激時唾液分泌速度は,透析前後において健常
者レベル17)の 1.8 ml /min11)の分泌が認められたため,透
析による影響はないと考えられる.それは,刺激時唾液
は咀嚼運動や味覚,あるいは嘔吐中枢が活性化されるよ
うな刺激に反応して分泌されるためと考えられる17).
通常,唾液 pH は分泌量の増加に伴い上昇することが
2 .透析後の唾液 pH は透析前に比較し低下した.
3 .安静時唾液成分では,透析後,K, Cl,尿素窒素の
有意な減少が認められた.
4 .唾液と血中成分の K,尿素窒素に有意な相関関係
が示された.
5 .透析により,血液のみならず,唾液分泌量成分等に
知られている17).一方,透析患者において唾液 pH は,
も顕著な変化が認められ,唾液中成分分析は透析患者
健常者に比べて高く12),安静時混合唾液 pH は,透析後
の全身的病態を把握する方法として有用であることが
に有意に低下すると報告されている6).本研究において
示唆された.
18)
も,安静時混合唾液 pH は正常値とされる pH 6.6 より
高値を示していた.透析後に唾液分泌速度の増加が認め
られるものの,安静時,刺激時 pH はともに低下してい
た.その理由として,唾液中の尿素窒素濃度と歯垢中 pH
との間には,相関関係があることが報告されていること
から18),透析により唾液中のアルカリ成分である尿素な
稿を終えるにあたり,研究にご協力くださいました医療
法人三思会東邦病院院長土田晃靖先生,成瀬卓二先生,星
野幸子様に感謝申し上げます.
慢性腎不全患者の唾液変化
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(受付日:2014 年 11 月 7 日
受理日:2014 年 12 月 4 日)