テーマ:「赤松ぼっくりのすけ J とともに 学校名:茨城県立高萩清松高等学校(県北地区) 発表者: P T A 会 長 佐 藤 作 I 等 成.茨城県立高萩清松高等学校 PTA はじめに この度は、発表の機会を与えていただきありがとうございます。 昨年度、関東大会 にて発表させていただいた内容を中心に、本校 PTA活動の一端をご紹介させていた だきます。 平 成 26年 度 関 東 高 P連 大 会 群 馬 大 会 で は 、 「 学 校 教 育 と P T AJ 第 1分 科 会 提案者 茨城県 所属校 茨城県立高萩清松高等学校 役 職 P TA 会 長 氏名 初回恭成 「赤松ぼっくりのすけ」とともに 発表テーマ ということで発表いたしました。 E以 下 は そ の 折 の 内 容 で す 。 ご 一 読 い た だ け れ ば 幸いです。 I 昨年度発表の概要 1 はじめに 「赤松ぼっくりのすけ」 。 本 日 こ こ に 参 加 さ れ て い る ほ と ん ど の 方 が 初 め て 耳 に する名前でしょう 。今回、研究発表のお話をいただいたとき、高萩清松高校の P TA と し て 胸 を 張 っ て 皆 様 に お 伝 え で き る も の は 何 か と 考 え ま し た 。 そ し て 、 先 代、先々代会長から受け継ぎ、そしてまた次の会長に受け渡していくべきものが 「赤 松 ぼ っ く り の す け 」 そ の も の で は な い か と の 結 論 に 達 し ま し た 。 こ れ か ら 本 校 PTA と「赤松ぼっくりのすけ」との関係を中心に発表させていただきます。 要 概置立 校 学位創 nL 茨城県高萩市赤浜 平 成 1 8年 ( 本 年 度 新 入 生 が 9期生) 学科 総 合 学 科 ( 県 北 地 区 唯 一) 系列 人文科学 自然科学 機械テクノロジー 情報ビジネス 生活福祉 学級数 1 5 学 級 ( 各 5 クラス) - 5- 3 生徒数 5 7 0名 ( 5 月 1 日 現 在 ) ( 男 子 2 6 2名 、 女 子 3 0 8 名) 教員数 7 2名 通学園 お お む ね 北 茨 城 市 ∼ 東 海 村 ( JR 常 磐 線 約 1 0 駅区間) 部活動 ボクシング部 進 路 約 半 数 が 就 職 、 茨 城 大 学 進 学 実 績 ( H 2 2卒他) 「赤松ぽっくりのすけ j 他 ( H 2 6 関 東 大 会 1 0名出場) とは? 先述しましたように、県北地区唯一の総合高校として新しく設立するため、それ まで普通高校や専門高校が多くを占めるこの地区に、「総合高校とは何か?」という 啓発が急務と考えられました。 その中で、新校設立の準備段階より、近隣中学の先 生 方 や 生 徒 、 そ し て ま た 保 護 者 に 対 し て 「 総 合 高 校 を い か に や わ ら か く 伝 え る か 。」 との観点から、高萩清松高校のマスコットキャラクターが考案されたとのことです。 そ れ も 名 前 が 先 に 決 ま っ て い た よ う で 、 姓 は 「 赤 松 J。少 し 手 前 勝 手 に 細 か い こ と で 申 し 訳 な い の で す が 、 学 校 の 位 置 す る 「 赤 浜 」 と 隣 の 地 区 「 松 岡 Jか ら 一 文 字 ず つ の 地 域 密 着 型 と 予 想 し て い た に も か か わ ら ず 、 当 時 校 庭 に あ っ た 1本 の 「 赤 松 j の 木からきているとのこと 。 「赤松ぼっくりのすけ」と名前も決まり、当時の先生方や生徒の皆さんからイラ ストとして公募しました。そのときの条件として、 0止 中とぽ っ く り を イ 吏 う こ と 0男 子 剣 道 部 員 で 剣 道 初 段 と す る こ と O高 校 1年 生 と す る こ と その結果、イラストとして誕生したものが、本日この発表のスタートとなっています。 金会命受 <4 人 組 で は な く 、 4 4パ タ ー ン で す > 本 校 の P TA活 動 本 校 の P TA活 動 の 全 体 像 を 、 昨 年 度 の 行 事 報 告 と い う 形 で 振 り 返 っ て み ま す と 、 4月 9 日(土) 4 月 1 9 日(土) 5月 i1 日(土) 入学式、 PTA支 部 説 明 会 第 1回 評 議 員 会 P TA 総 会 4 3 5名 参 加 ( 委 任 状 含 む ) / 5 4 0名 授業参観・進路に関する講演会・総会 午後は各年次(学年)で懇談会など 6 月 2 2 日(土) 第 2回 評 議 員 会 7月 2 1 日(土) 普通救命講座 p 1 1名 、 生 徒 ・ 職 員 1 9 名 受 講 - 6- 消 防 署 指 導 員 に よ る 3時 間 の 講 習 1 0月 5 日(土) P TA 研 修 旅 行 p 2 6名 、 職 員 1 2名 参 加 行先.那須ステンドグラス美術館等 1 1月 9 日(土) P TA 交 流 会 p 5 7名 、 生 徒 ・ 職 員 約 5 0名 内容:通学路等近隣地区 1 2月 4 日(土) 第 3回 評 議 員 会 2月 1 7 日(土) 第 4回 評 議 員 会 ※豪雨による悪天候のため開催中止 3月 2 0 日(土) P TA 役 員 選 考 委 員 会 以 上 が 昨 年 度 1年 を 通 し て の 行 事 と な り ま し た 。 参 加 会 員 数 の 向 上 な ど 、 い ろ いろと反省すべきことはありますが、それは後述することにします。 今 ま で の 流 れ か ら し て も 、 そ れ ぞ れ の 案 内 状 や 会 議 資 料 の 随 所 に 「赤 松 ぼ っ く りのすけ」が当たり前のように顔をのぞかせています。 P TA役員として、評議 員が学校i こ も 慣 れ て く る 第 3回 の 評 議 員 会 資 料 に お い て は 、 顔 を の ぞ か せ て い る どころか表紙そのものとなってしまっています。 ここまでの話でしたなら、単なる学校のマスコットキャラクターであって、そ れを PTAが頻繁に使っていることの報告でしかないのですが、このあたりでサ ブ タ イ ト ル 「 『 赤 松 ぼ っ く り の す け 』 と と も に 」 に 入 っ て い き た い と 思 い ま す 。少 々 重い部分も含まれますが、事の経緯上ご理解下さい。 5 「赤松ぼっくりのすけ」と大震災 平 成 2 3年 3 月 に 発 生 し た 東 日 本 大 震 災 。 茨 城 県 も 相 当 の 被 害 が あ り ま し た 。 本校も少なからず物的な被害を受けましたが、幸いにも生徒や PTA会員からの 具 体 的 な 被 害 報 告 は な く 、 学 校 や PTA と し て も ひ と 安 心 と い う と こ ろ で し た 。 それでも地域的には関東で最も震源地に近く、また度重なる余震もあり、正直 P T A 活 動 ど こ ろ で は な か っ た よ う で 、 当 時 主 要 行 事 と し て 8月 夏 休 み に 予 定 さ れ ていたソフトバレーの支部対抗戦「 PTA レクレーション大会」が、体育館の破 損 に よ り 中 止 せ ざ る を 得 ず 、 そ の か わ り に 清 掃 活 動 な ら ば と 1 1月 に 「 P T A 交 流 会 」 と い う 名 称 で 実 施 さ れ ま し た 。 そ し て 1 0月 に 予 定 さ れ て い た 研 修 旅 行 は 中止という結果となり、自粛ムードが広がりつつある状況でした。 < P TA 交 流 会 . 清 掃 活 動 > -7- 6 2 D から 3 D へ 年度末を控え,主要行事の大半が過ぎようとするときに,当時の PTA会長か ら 「 『 赤 松 ぼ っ く り の す け 』 の 着 ぐ る み を 作 っ て は ど うか 。j と い う提 案 が な さ れ ま し た 。 当 時、 着 ぐ る み は 今 ほ ど の ブ ー ム で も な く 、 茨 城 県 で は 水 戸 の 「 ハ ッ ス ル 黄 門 J、 地 元 高 萩 市 で は 「は ぎ ま ろ J が 記 憶 に あ る 程 度 で 、 関 係 者 の ほ と ん ど が 「降 っ て わ い た 話 J と い う 状 況 だ っ た よ う で す 。 それが、 み、 トントン拍子に話が進 1 2月 の P T A 評 議 員 会 に お い て 、 「 赤 松 ぽ っ く り の す け 」 の 着 ぐ る み 作 成 が 承 認 さ れ る と い う 事 態 ( ? ) と な り 、 平 成 2 4 年 2 月 に 着 ぐ る み 「赤 松 ぽ っ く り のすけ j誕 生 と 相 成 り ま し た 。つまり 、 2 D ( ツ ゥ ー デ ィ ー ) か ら 3D ( ス リ ー デ ィ ー ) と な っ たわけです。 ここで皆さんが一番ご心配されることがあるとすれば、やはりお金の問題では ないかと思います。 作るともなれば、手作りそのものということもありそれなりの金額は覚悟しな ければなりません。それでも、主要行事として予算の多くを占めるレクレーショ ン大会が形を変え、研修旅行などが中止となったために、予算の相当分が執行さ れないという状況(簡単に申しますと余っていた)でもありました。これはあく まで想像ですが、「はじめにお金ありき」だったからかもしれません。私自身も同 じような状況におかれたならば、そうしていたかもしれないと考えると ころです。 7 「赤松ぼっくりのすけ」の業績 それからの PTA活動は一気に登り調子、行事の参加人数も倍増にというほど 現実は甘くはありませんでしたが、それでも、「赤松ぼっくりのすけ」があると こ ろに笑いや歓声は間違いなく存在し、一種の「アイスブレ ー カーj という役割を 果 た し て く れ ま し た 。 平 成 2 4年 3 月 の 卒 業 式 を 初 陣 に 、 PTA総 会 時 に お け る 講演会の花束プレゼンタ一、駅前の朝のあいさつ運動、着ぐるみブームの今とな っ て は 中 学 生 向 け の 学 校 パ ン フ レ ッ ト に も 着 ぐ る み 「赤 松 ぼ っ く り の す け 」 が 登 場 し て い ま, す。 余談ではありますが、先生方に話を伺って みてちょっとピックリしたことがあります。 ここ 2 年ほど、 1 1月 に 地 元 高 萩 市 主 催 の 「 い ば ら き 復 興 ! ご 当 地 キ ャ ラ ク タ ー 祭」 に呼ばれて、高萩市公認、キャラクター「は - 8- ぎまろ j の お 友 達 と 紹 介 さ れ て い る こ と で す 。 こ れ も 認 知 度 が 上 が って き た お か げ かと思いますが、市長の名前による案内文書も高萩清松高校宛ではなく、「ご当地キ ャ ラ ク タ 一 団 体 様 J。 も ち ろ ん お 祭 り の た め 土 日 の 2 日間 。先 生 方 も 参 加 ( と い い ま すか出品といいますか)を迷ったようですが、これも学校のためと、 PTA の関知 し な い と こ ろ で 頑 張 っ て く れ てい た よ う で す 。 こ れ か ら の 「赤松ぼっくりの すけ 」 8 本校の PTA活動の概要については先ほども述べさせていただきましたが、その 中で昨年度から支部活動の意義について疑問が出始めるようになってきました。例 え ば 、 「 支 部 は 何 の た め に あ る の か 。J や 、 「 支 部 役 員 の な り 手 が い な い 。 」 な ど 、 本 質 を 考 え る と 支 部 活 動 に 限 ら な い こ と で も あ る の で す が 、 現 在 7つ あ る 支 部 の 中 に は 、 支 部 総 会 の み の 年 1回 の 会 合 し か 行 っ て い な い と こ ろ が い く つ か あ る と い う よ うな 報 告 も 受 け て い ま し た 。 確 か に 、 震 災 か ら 「 レ ク レ ー シ ョ ン 大 会 」 を 「 P T A 交流会 Jに変更し、行事の数を減らさない努力をしてきましたが、初回開催のとき に支部単位での参加人数に差が大きかった関係から、 3つ の 清 掃 区 域 を 学 年 ご と に 分かれて分担するという形になっていました。そして次の年度も話し合いの結果、 「レ ク レ ー シ ョ ン は 時 期 尚 早 、 交 流 会 の 継 続 。」 そ う な る と 、 必 然 的 に そ れ ま で 支 部 活動の中心となっていたレクレーション(当時球技が主流)大会に向けた支部ごと の練習がなくなり、いつのまにか「支部活動の意義」に疑問がわく結果となってい ま し た 。 そ こ で 、 昨 年 度 途 中 か ら 、 評 議 員 会 に お い て 「 PTA交 流 会 」 を 「 レ ク レ ーション大会 Jへ戻し、支部活動の活性化をはかるではないかという話をベースに 話し合ってもらいました。本校では「レクレーション大会 Jその他の運営をとりし きる組織として「総務委員会 Jがありますが、その「総務委員会 Jの考えと、少な く と も 2年 以 上 開 催 さ れ て い な い た め に 不 安 の 大 き い 「 レ ク レ ー シ ョ ン 大 会 j の 実 質のまとめ役となる「それぞれの支部長j 間で、共通の理解を得るには容易なこと ではありませんでした。 とはいえ、 2 6年 度 行 事 計 画 案 に 何 と か 「 レ ク レ ー シ ョ ン 大 会 」 復 活 が 見 え 、 そ れに関係する支部活動計画も立て直しを図っていただきたいと各支部長に依頼しょ うか と い う 矢 先 に 、 今 年 2 6年 度 夏 か ら 秋 に か け て 「 校 舎 ・ 体 育 館 全 面 耐 震 工 事 J という話を受け、日程的なものや外部施設の体育館利用も考慮した上で、再度「 P 「 レ ク レ ー シ ョ ン 大 会 の 復 活 Jは 、 目 に TA 交 流 会 」 実 施 と い う 結 論 に 戻 し ま し た 。 見える形での「支部活動の活性化」として今年度一年を通しての課題と考えている ところです。 9 「赤松ぼ;っくりのすけ 正直言いますと、 j の デメリ ッ ト P T A 側 と し て は 特 に 問 題 と な る デ メ リッ ト は あ り ま せ ん 。 し か し 、 「 赤 松 ぼ っ く り の す け J に 関 し て 先 生 方 の 苦 労 は 時 折 ( つ ) 耳 に す る こと が あ りますので、ここで紹介したいと思います。 ひとつめは、着ぐるみ全体に共通する こ と な の で す が 、 中 に 入 る 人 に と っ て 「夏 は 暑 く 冬 は 寒 い 。」で す 。 ま だ 冬 は イ ン ナ ー で な ん と か 対 処 で き る 範 囲 な の だ そ うで す が 、 夏 場 は ど う し よ う も な い ほ ど 暑 く 、 - 9- 着 ぐ る み を か ぶ っ て い な が ら 学 校 も 背 負 っ て い る の で 、 も の す ご く重 く 感 じ る と の こ と で す 。 ふ た つ め は 、 皆 様 お 気 づ き か と 思 い ま す が 、 ど う し て も着 ぐ る み の 中 に 入るのは特定の先生になるということです。少々公務員的な感覚で細かいことでも あ る の で は な い か と も 思 う の で す が 、 「着 ぐ る み ぽ っ く り の す け 」が 有 名 に な れ ば な る ほ ど 地 域 の 期 待 も 大 き く な り、 結 局 は 渉 外 ( P TA ) 担 当 の 先 生 が 大 変 に な る と い う 現 実 が あ る よ う で す 。先 日 近 隣 の 幼 稚 園 が 、 「平 日 に 遠 足 の 目 的 地 と し て 本 校 を 使 用 し た い 。」 と い う 申 し 出 に 校 長 が 許 可 し た と い う 話 が あ り ま し た 。そ の こ と を 先 生方に伝え、理解を求める中で、教頭が渉外部長の方を向き、何気なく「『赤松ぽっ く り の す け 』 の 出 迎 え が あ っ た ら 子 ど も た ち も う れ し い だ ろ う な 。 そ う す れ ば 10 年 後 そ の 子 供 た ち が 本 校 に ・・・ 。」 と の つ ぶ や き に 、 「 そ れ は 教 務 部 の 仕 事 で 、 渉 外 部 は い つ で も 『 赤 松 ぼ っ く り の す け 』 を 貸 し 出 し ま す よ 。J と 思 い な が ら も 、 結 局 は渉外部で対応していることを、この場を借りて校長にアピールしてほしいと渉外 部長から頼まれました。 ここに付け加えさせていただきます。 10 さし、ごに 高 萩 清 松 高 校 P T A と し て 3つ の 努 力 目 標 を 掲 げ 、 今 後 の 活 動 の 中 心 と し た い と 思います。 0支 部 活 動 の 活 性 化 を は か る 0 「赤 松 ぼ っ く り の す け J 有 効 活 用 の 検 討 O 「楽 し い P T A 活 動 」 に 努 め る 昨 年 こ の 発 表 の お 話 を い た だ い て か ら 、 画 像 が 必 要 と の こ と で 、 こ の 1年 間 と い う も の 着 ぐ る み 「赤 松 ぽ っ く り の す け J が 大 忙 し で し た 。 も ち ろ ん 最 近 の 「 ゆ る キ ャラブーム」のおかげもあり、いたるところでそれなりの歓迎を受けられたことも その要因かと思います。 それでも、私自身いろいろな方からのお話をいただき、こ の発表を経験するだけではなく、本校を理解するうえでも大変勉強になり、とても 充実した感覚です。 本日このような発表の機会を与えてくださった方々に御礼申し上げ、提案発表と したいと思います。ありがとうございました。 E 結び 以 上 の 内 容 で 関 東 の 発 表 を し て ま い り ま し た 。「 赤 松 ぼ っ く り の、 すけ」は、もちろん 今 も 学 校 の P R や行事、 P T A 活動と、活発に活動しています。 本年度、校舎に引き 続き体育館の耐震工事も終了し、いよいよ昨年度からの課題である「支部活動の活性 化」の実現にむけて、具体的に動いてゆける条件がそろいつつあります。他校の実践 発 表 を 参 考 に し な が ら 、 さ ら に 楽 し い P T A活 動 に な る よ う 、 話 し 合 い を 重 ね て ゆ き たいと存じます。 - 1 0-
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