④飛鳥の小金銅仏

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飛鳥の小金銅仏(献納四十八体仏)
東京国立博物館内
法隆寺宝物館
第二室
48 体仏展示状況
*法隆寺献納宝物とは?
明治 9 年に奈良博覧会が開催され法隆寺所蔵の聖徳太子御物等が出品された。
当時は明治政府による神仏分離令により、廃仏毀釈と呼ばれた仏教排斥運動により多く
の寺院の仏像や寺宝が巷間に流出、散逸し特に国外にも多く流出した。
法隆寺も同類で保管管理がままならず、博覧会への出品物を皇室に献納すれば下賜金」
が賜るとのことで寺の補修費捻出のため寺宝の献納願いを明治 9 年 11 月に提出したが、
明治 11 年 2 月に献納の裁可が下り、聖徳太子二王子像や法華義疏等の太子信仰の根幹
に関わる品も含まれ、48 体仏も併せて三百数十件の宝物が皇室に献納された。
献納品は正倉院御物より一時代古い飛鳥・白鳳期の宝物が多くあり、正倉院御物に匹
敵するコレクションで 48 体仏や金属加工品、染め織物、絵画、調度品、伎楽面等多数
の作品があり中には中世、近代の作品も含まれている。
これらの献納宝物は国立博物館が完成するまでは正倉院に保管されており、正倉院御
物と混在していたため取り違えたこともあったようである。
第二次大戦後マッカーサーの指令で皇室財産の整理が命ぜられ、法隆寺献納宝物は国
家の保管方針とされたが、法隆寺は皇室に献上したのであり国家に差し出したものでは
ないと返還要求をしたが、最終的には博物館と法隆寺との協議で 48 体仏を含めて 319
件の宝物が国立博物館の所蔵となり法隆寺宝物館を昭和 39 年に開館し、平成 11 年に建
て替えて常設展示を行っている。(上記写真参照) しかし聖徳太子二王子像や法華義
疏等の十件が皇室所属となり御物として保管されているため特別展でしか展示される
ことはない。
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*献納 48 体仏とは?
法隆寺献納宝物は 319 件あり#1~#319までナンバリングされている。この中で
献納 48 体仏は#143~#191とされ実数は 49 件(57体)の金銅仏で東京国立博
物館所蔵となっており、飛鳥から奈良時代にかけて作成されたと考えられる法隆寺から
献納された金銅仏の総称で像高20~50cM内外の小金銅仏群である。
48 体とは実数を示すものではなく阿弥陀四十八願に懸けた名称で、これらの小金銅仏
群の法隆寺への伝承は不明で、11 世紀の史料「金堂日記」によると 1078 年に飛鳥の橘
寺から計49躯体の小金銅仏が法隆寺金堂に移されたとされており、48 体仏はこれらの
一部に該当し当時の金堂には 100 躯体以上の小金銅仏が安置されていたと記されている。
従ってこれらの仏像群は我国の仏像彫刻の立ち上がりの歴史を示す貴重な資料であ
り、仏像製作の技術や様式の日本への伝播を知るうえでも重要な作品群である。
*小金銅仏群の内訳は?
金銅仏は蝋型鋳造で作成されており多くは躯体が中空なるも、小像は中空にしていな
いものもあり全身に鍍金している。
製作分類すると三国時代の朝鮮半島製の渡来仏、止利様式と考えられる飛鳥仏、天武
期に中央集権国家体制の基盤つくりで仏教奨励したため白鳳仏も多く、特に童子形像と
呼ばれる特徴のある白鳳仏群もある。
#143如来三尊像、#151如来立像、#158菩薩半跏像等は渡来仏に分類
#145如来坐像、#149如来立像、#155菩薩半跏像等は止利様式の飛鳥仏
#144阿弥陀三尊像、#153如来立像、#179観音菩薩立像、#188菩薩立
像等は童子形像に分類されている
朝鮮三国からの渡来仏は中国仏像の模倣で北魏系統や南朝型式の金銅仏であるが製
作は粗悪、朝鮮では石仏に優れた技量を有し慶州国立博物館には石造仏に多数の優品が
ある。渡来仏か倭国製かの判断は共に単一民族のため民族の顔に特長がはっきりしてお
り、倭製の金銅仏の鋳造技術は精巧であるとして学会では区別しているようである。
*48 体仏の中特徴あるのは?
二体の金銅仏に製作年を示す銘文が刻印されており、この時代の製作基準像として貴
重である。
#165「観音菩薩立像」には<辛亥年七月十日記笠評君名左(太)古臣>の刻印が
あり、郡(こおり)名に「評」が使用されていた用例から辛亥年は 651 年と確定された。
本像は両手を胸前に構え右手を上に左手を下に宝珠を奉持する形の観音像で法隆寺夢
殿本尊である救世観音と同一ポーズであり天衣の造形も類似している。
#156「菩薩半跏像」には<丙寅年>の刻印あるが 606 年と 666 年の両説があり定
説は無い。丙寅年の造像銘を有する大阪・野中寺の弥勒菩薩半跏像は銘文中の年月日と
干支の組合せで 666 年と確定されているが、本像は野中寺像より作風が古様でこれより
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時代は遡るとして 606 年説があり、銘文中にある<大夫>の使用例や頭部の三面宝冠は
推古期には存在しないことから 666 年説がありいずれも決め手になっていない。
本像は箱形台座に坐し左脚を踏み下げる半跏像で、右手を頬にあて思惟の相をし、頭部
には特長ある三面宝冠を付けている。
#144「阿弥陀三尊像」には<山田殿像>の刻銘がされており、白鳳期の明朗な表
情、自然体の肉付けや衣文の特徴がみられ山田寺との関係がうかがえる。
#145「如来坐像」#155「菩薩半跏像」は典型的な止利様式で法隆寺金堂本尊
との類似性が指摘されている。
#191「麻耶婦人及び天人像」は釈迦誕生の希有な作品として有名で多くの人に愛
されてきた名品である。
<註>
「金堂日記」:法隆寺金堂の仏像配列を記録した1082年編纂の古文書でこの記録に
より当時の所蔵内容が判明する貴重な資料である
救世観音:聖徳太子信仰の中心 G-11参照
野中寺:大阪・羽曳野にある寺院で伝承では聖徳太子創建48寺の一つとされ、伽藍配
置は法隆寺式で飛鳥期には隆盛なるもその後衰退し、江戸期に再興
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