ベネズエラの石油と政治 一60年代から70年代へ- 村久貝I 序 本報告は,1960年代ベネズエラの政治過程に石油がどのような意味をも ったか,またそこにおいて,多国籍石油企業(MOC)がいかなる影響力を保 持していたかに焦点をあてたものである。 一般に-国内の政治過程は国内諸勢力間の相互作用によって形成されるが, 1959年迄MOCが石油産業を100%支配していたというベネズエラ固有 の事情を考える時,60年代から1976年の石油国有化に至るとの国の政治 過程には,不可避的に国外勢力が参加していたとみることができる。その意味 でこの時期のベネズエラの政治は,(1)国内的要素と国外的要素のリンケージ, (2)石油産業という経済的イシューをめぐって,政治と経済のリンケージ。とい う二重の連繋現象が存在していた。こうした連繋政治的状況の中で,インデペ ンデント・アクターとしてのMOCの政治的役割に着目し,ベタンクールから カルデラまでの各政権の石油政策をS(刺激),それに対するMOCの反応を Hと仮定して,そのS-H過程を現実に遂行された政策の中で分析してみた。 Iベタンクール以前の石油クロノロジー 1913ロイヤル・ダツチ・シェル石油会社による本格的石油開発開始 1918史上初めて,石油が輸出品目に登場 1927石油が最大の輸出品目となる 1928米国に次いで世界第2の産油国になる 1929世界一の石油輸出国となる 1938この年以降,ほぼ一貫して輸出収入の90%以上を石油が占める 1943炭化水素法制定,政府とMOC間で利益折半配分の原則確立 1947新規利権供与撤廃 1958税制改正,政府取り分52%から65%へ Ⅱベタンクール政権(1959-63) ベタンクール民主行動党(AD)政権は,1958年のクーデターで軍政を -30- 倒して成立した。この文民政権成立は,国内政治安定への道を開いたという意 義も大きいが,中間層,労働者,農民から広汎な支持を得たADが。政党制度 の確立,官僚機構の整備,資本主義的経済発展の推進をつうじて内部的統合度 の高いアクターとして,MOCに対するバーゲニング・パワーを獲得したとこ ろに最大の意義がある。これによって60年代以降,ベネズエラ政府とMOC の関係が制度化されるようになったわけである。更にこの時期で注目すべきは。 ADが反ブルジョワジーの立場をとり,政府対MOC+国内ブルジョワ連合と いう関係の図式が成立していたことである。ベタンクールーADは,ベネズエ ラ側の利益配分を多くすることにのみ腐心していた従来の各政権と異なり,M OCの石油政策決定そのものに初めて介入を試みた政権であった。 、レオーニ政権(1964-68) ベタンクール大統領を引継いだ同じADのレオーニ政権になって,国内諸集 団とMOCの関係は一層複雑な展開をみせる。この時期は,AD政府,野党第 一党キリスト教社会党(COPEI)と資本家・経営者層,MOCという3つ の勢力が,税制,石油価格,生産レベルなどをめぐって合従連衡を繰返すが, 同政権末期になって,反MOCでの国内的合意。MOCの孤立といった傾向が 次第に明らかになってくる。ここでは,ゲーム論的な見方をすれば3人ゲーム の状況が現出していたわけである。 Ⅳカルデラ政権(1969-73) 政権がADからCOPEIへと移管したのを機に,MOCは選挙資金援助な どを通じてカルデラ=COPEI政府に接近を試み,最後の巻返しをはかる。 しかし大勢は既に3人ゲームから2人ゲームへと移行しており,国内には反M OC統一戦線が形成されている。この時期,石油価格決定権は政府の手中にあ り,S-R過程においては常に政府側がイニシアティブをとっていた。更に石 油をめぐる国際環境もベネズエラ政府のパーゲニング・パワーを強化する方向 に働いて,最早国有化を不可避とする状況が成立していた。 V結語 ベネズエラの石油は,被投資国対MOCのゲームの一例であるが,そのゲー ムがパーゲニングに終始するか,あるいは紛争に発展するかを決定する要因は 何であるのか。これを明らかにするためには,双方の短期的・中期的・長期的 利得というパースペクティブが求められると同時に。政治状況の確かさと不確 -31- かさの弁別,検討も必要とされよう。発展途上国とMOCの関係を分析するに 際し,政治状況とパーゲニング過程の相互作用はきわめて重要な意味をもつも のと思われる。 0 むり no 91 -32-
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