Page 1 はじめに 3 第 一 章 テキスト (文章) の解析と関係性の原理 13

はじめに 13
第一 章 テキスト(文章)の解析と関係性の原理
テキスト解析の原理 1 東京大学入試問題の解釈と解析①――宇野邦一『反歴史論』
テキスト(文章)を解析するとはどういうことか 3 一橋大学入試問題の解釈と解析――夏目漱石「現代日本の開花」
2 東京大学入試問題の解釈と解析②――浅沼圭司『読書について』
85
第二 章 テキストの難解語句の処理と解釈 4 京都大学入試問題現代文の解析――中島敦「文字禍」
3 一橋大学入試問題現代文の解析――田中美知太郎『学問論』
2 早稲田大学入試問題現代文の解析――原研哉『白』
1 東京大学入試問題現代文の解析――原研哉『白』
14
4 早稲田大学入試問題の解釈と解析――森鷗外『混沌』
128
120 104
101
83
71
64
17
43
3
第三 章 不明な言語・情報の解析 記号論と解析 2 早稲田大学入試問題の解析――夏目漱石「現代日本の開花」
1 東京大学入試問題の解析――リービ英雄「ぼくの日本語遍歴」
不明な情報の解析とは 147
コ
[ ラム
]
メッセージの最小単位は命題(文)である C・スパージョンの「イメージ・クラスター」
(イメージ群理論)
57
50
143
解答編 巻末
163
149
144
21
M・ハリデーの原理とアイソモルフィズム ポール・ド・マンの「テキストのテーマとレーマの相互変換」の原理 エントロピー 62
52
第一 章
テキスト(文章)の解析と関係性の原理
言 語 表 現 の 本 質 は、 絶 え ざ る 言 い 換 え
(
) で あ り、 あ る 言 語 表 現 は、 同 じ
paraphrase
言 語 で 翻 訳 さ れ る こ と を 前 提 と し て い る。 一 つ
)を理解することだ。
paraphrase
の 言 語 表 現 を 理 解 す る と は、 絶 え ざ る 言 い 換 え
(
Z・S・ハリス
第一章 テキスト(文章)の解析と関係性の原理
1 東京大学入試問題現代文の解析――原研哉『白』
それでは具体例に入ります。出題は東京大、出典は原研哉氏『白』です。『白』(中央公論新社)は、「白」
という色彩に関する評論集ですが、巻末に英文の全訳が載っています。英語の勉強も兼ねて一読を薦めます。
次の文章を読んで、後の設問に答えよ。
白は、完成度というものに対する人間の意識に影響を与え続けた。紙と印刷の文化に関係する美意識は、
文字や活字の問題だけではなく、言葉をいかなる完成度で定着させるかという、情報の仕上げと始末への
か とう
しゅんじゅん
ギ ン ミ の 足 ら な い も の は そ の 上 に 発 露 さ れ て は な ら な い と い う、
意識を生み出している。白い紙に黒いインクで文字を印刷するという行為は、不可逆な定着をおのずと成
立させてしまうので、未成熟なもの、
暗黙の了解をいざなう。
の、詩作における逡巡の逸話である。詩人は
推敲という言葉がある。推お敲とは中国の唐代の詩人、賈島
たた
求める詩想において「僧は推す月下の門」がいいか「僧は敲く月下の門」がいいかを決めかねて悩む。逸
話が逸話たるゆえんは、選択する言葉のわずかな差異と、その微差において詩のイマジネーションになる
せいひつ
ほど大きな変容が起こり得るという共感が、この有名な逡巡を通して成立するということであろう。月あ
かりの静謐な風景の中を、音もなく門を推すのか、あるいは静寂の中に木戸を敲く音を響かせるかは、確
17
a
かに大きな違いかもしれない。いずれかを決めかねる詩人のデリケートな感受性に、人はささやかな同意
キリョウの小ささをも同時に印象づけ
を寄せるかもしれない。しかしながら一方で、推すにしても敲くにしても、それほどの逡巡を生み出すほ
か しゃく
イ達
成を意識した完成度や洗練を求め
ウ推
敲とい
と思うのである。もしも、無限の過失をなんの代償もなく受け入れ続けてくれるメディアがあったとした
う意識をいざなう推進力のようなものが、紙を中心としたひとつの文化を作り上げてきたのではないのか
していく様を把握し続けることが、おのずと推敲という美意識を加速させるのである。この
は あく
分のつたない痕跡を残し続けていく。紙がもったいないというよりも、白い紙に消し去れない過去を累積
こんせき
上に顕し続ける呵責の念が上達のエネルギーとなる。練習用の半紙といえども、白い紙である。そこに自
あらわ
子供の頃、習字の練習は半紙という紙の上で行った。黒い墨で白い半紙の上に未成熟な文字を果てしな
く発露し続ける。その反復が文字を書くトレーニングであった。取り返しのつかないつたない結末を紙の
る気持ちの背景に、白という感受性が潜んでいる。
た不可逆性が生み出した営みであり美意識であろう。このような
思索を言葉として定着させる行為もまた白い紙の上にペンや筆で書くという不可逆性、そして活字とし
て書籍の上に定着させるというさらに大きな不可逆性を発生させる営みである。推敲という行為はそうし
の象徴である。
いうイマジネーションがある。白い紙の上に朱の印泥を用いて印を押すという行為は、明らかに不可逆性
いんでい
白い紙に記されたものは不可逆である。後戻りが出来ない。今日、押印したりサインしたりという行為が、
意志決定の証として社会の中を流通している背景には、白い紙の上には訂正不能な出来事が固定されると
題である。
ているかもしれない。これは ア「定着」あるいは「完成」という状態を前にした人間の心理に言及する問
どの大事でもなかろうという、微差に執着する詩人の神経質さ、
b
18
が発現する。その営みは、書や絵画、詩歌、音楽演奏、舞踊、武道のようなものに顕著に現れている。手
の誤り、身体のぶれ、鍛練の未熟さを超克し、失敗への危険に臆することなく潔く発せられる表現の強さが、
感動の根源となり、諸芸術の感覚を鍛える暗黙の基礎となってきた。音楽や舞踊における「本番」という
もろ や
た ばさ
時間は、真っ白な紙と同様な意味をなす。聴衆や観衆を前にした時空は、まさに「タブラ・ラサ」、白く
澄みわたった紙である。
諸矢を手挟みて的に向かう」ことをいさめる逸話が『徒然草』にある。
弓矢の初級者に向けた忠告として、「
標的に向かう時に二本目の矢を持って弓を構えてはいけない。その刹那に訪れる二の矢への無意識の依存
イ)
ア)とはどういうことか、
オ矢
を一本だけ持って的に向かう集中の中に
(ラテン語) 何も書いてない状態。
tabula
rasa
が一の矢の切実な集中を鈍らせるという指摘である。この
白がある。
(注) タブラ・ラサ
問一 「
『定着』あるいは『完成』という状態を前にした人間の心理」
(傍線部
説明せよ。
※ 解答ワクは、問一~問四まで、ヨコ0・9センチ、タテ13・5センチのワク二行分。
問二 「達成を意識した完成度や洗練を求める気持ちの背景に、白という感受性が潜んでいる」(傍線部
とはどういうことか、説明せよ。
問三
「推敲という意識をいざなう推進力のようなものが、紙を中心としたひとつの文化を作り上げてき
(傍線部 ウ)とはどういうことか、説明せよ。
た」
問四 「文体を持たないニュートラルな言葉で知の平均値を示し続ける」
(傍線部 エ)とはどういうことか、
説明せよ。
20
第一章 テキスト(文章)の解析と関係性の原理
(傍線部
問五 「矢を一本だけ持って的に向かう集中の中に白がある」
オ)とはどういうことか、本文全体
( 句 読 点 も 一 字 と し て 数 え る。
の 論 旨 を 踏 ま え た 上 で、 一 〇 〇 字 以 上 一 二 〇 字 以 内 で 説 明 せ よ。
なお採点においては表記についても考慮する。)
問六 傍線部a、b、c、d、eのカタカナに相当する漢字を楷書で書け。
a ギンミ b キリョウ c シンギ d カイヒ e ジョウジュ
『定着』あるいは『完成』という状態を前にした人間の心理」とはどういうことか、説明せよ、と
問一は、「
いうのですが、これだけでは何も分かりません。
少し拡大してみると理解の局面が大きく変わります。
受験生は時間の制限もあり、
気も焦って、
ちょっとした語句だけで解を出そうとする傾向があります。
とかく、
: J・デュボアのいう最小文)で捉える必要があります。少なくとも文、
必ず、大きな命題( proposition
よくつづいた文なら二、
三文に拡大してから考えて下さい。
コ
[ ラム ]
メッセージの最小単位は命題(文)である
現代を代表する哲学者・論理学者、L・ウィトゲンシュタインは「われわれが相手に意思を伝える、い
わゆるメッセージの最小単位は、
〈単語や句〉ではなくて、
〈文〉(命題)だと言いました。レストランな
どで「水」とだけ言って、水が出てくるのは、その場の情景(シチュエーション)が「水が欲しい」とい
21
うことの省略(ゼロ記号などといいます)だと相手に伝わったからで、例えば道の端で「水」と言っても
何のことだか誰にも分かりません。メッセージの最小単位は命題(文)なのです。
まさに、L・ウィトゲンシュタインの言うとおりです。
〈文〉だというウィトゲンシュタインの原理は、簡単そ
メッセージの単位は〈単語や句〉ではなくて、
うでいて、実は言語の学問だけではなく、あらゆる近代学に革命的な契機を与えました。「モノからコトへ」
(本質から実存へ)という彼の提言は有名ですが、例えばわれわれは「民主主義」というものを、単に単
語の集合体として、
「人民が主権を持つ主義」などと定義して、それで「民主主義」が分かった気でいま
すが、そんな定義は実際の「民主主義」とほとんど関係がない、いわゆる、
「モノ」に過ぎません。例えば、
獄につながれているのが現状だ」などの、いわゆる、
「コト」
(事態)の集合体が真の「民主主義」という
「今、韓国では死者が出るような壮絶な学生デモが連日行われている」とか、「中国ではまだまだ政治犯が
ものだ、と彼は言ったのです。
これは象牙の塔(サント・ブーヴの言葉)とやらに立てこもって、言葉の定義と解釈だけに明け暮れる、
黴くさい、いわゆる書斎派に対する徹底した挑戦でした。
「これは『定着』あるいは『完成』という状態を前にした人間の心理に言及する
傍線部を少し拡大すると、
問題である」となります。どうして「これは」などという大事な言葉(チョムスキーのいわゆる指示指標:
)が前にあるということです。第一の関係部は、
Referential Sentence
です)を、大学入試では隠すのでしょうか。意地悪なことです。きっと「これは」という指
Referential Index
示指標を隠さないと、皆が正解になってしまい、それでは大学が困るのでしょう。
というからには、
重要な関係部
(
「これは」
22
第一章 テキスト(文章)の解析と関係性の原理
傍線部の前の、次のところです。
「しかしながら一方で、推すにしても敲くにしても、それほどの逡巡を生み出すほどの大事でもなかろうと
いう、微差に執着する詩人の神経質さ、器量の小ささをも同時に印象づけているかもしれない」
か、 と い え ば、 設 問 の、「『 定 着 』 あ る い は『 完 成 』 と い う 状 態
ど う し て、 こ れ が 大 切 な 第 一 の 関 係 部
を 前 に し た 人 間 の 心 理 」 に 対 し て、
「 そ れ ほ ど の 逡 巡 を 生 み 出 す ほ ど の 大 事 で も な か ろ う と い う、 微 差 に 執
『定着』あるいは『完成』という状態を前にした人間の心理」の、近接性の(実
言うまでもなく、傍線部の「
例は近接です)同一情報が、 の「それほどの逡巡を生み出すほどの大事でもなかろうという、微差に執着す
:責任)からにほかなりません。
responsibility
着 す る 詩 人 の 神 経 質 さ、 器 量 の 小 さ さ 」 と、 そ の 心 理 を 見 事 に、 response
し て い る( き ち ん と し た 応 答、
R1
にはまた、「しかしながら一方で」という大事な指示指標がありますから、 だけでは説明しきれない第二、
第三の関係部があるのでしょう。 に示された「人間の心理」は、あくまでも一面的なもので、その反面もあ
れほどの逡巡を生み出すほどの大事でもなかろう」は、同じことを述べた同一情報です。
る詩人の神経質さ、
器量の小ささ」です。もちろん、「
『定着』あるいは『完成』という状態を前にした」と、「そ
R1
るのです。
R1
R1
「(門を推すか敲くか)いずれかを決めかねる詩人のデリケートな感受性に、人はささやかな同意を寄せる
かもしれない」
23
R1
R1
R2
「詩人のデリケートな感受性に、人はささやかな同意を寄せる」は、またまた、傍線部の「『定着』あるいは
『完成』という状態を前にした人間の心理」の同一情報です。もちろん、「人」と「人間」は類似語です。
「(逸話が逸話たるゆえんは)選択する言葉のわずかな差異と、その微差において詩のイマジネーションに
「紙と印刷の文化に関係する美意識は、文字や活字の問題だけではなく、言葉をいかなる完成度で定着させ
あとは、第四の関係部として、冒頭の部分は、傍線部の「完成」と「定着」という同一情報がありますので、
ぜひ使いたいものです。
おいて詩のイマジネーションになるほど大きな変容が起こり得るという共感」を持つでしょうから。
あるいは『完成』という状態を前に」するときに、ふつうは、
「 選 択 す る 言 葉 の わ ず か な 差 異 と、 そ の 微 差 に
「選択する言葉のわずかな差異と、その微差において詩のイマジネーションになるほど大きな変容が起こり
得る」は、傍線部の「
『定着』あるいは『完成』という状態を前にした」の近接性の同一情報です。
「『定着』
なるほど大きな変容が起こり得るという共感が、この有名な逡巡を通して成立するということであろう」
R3
R4
R1
を中心に
を 付 け 足 し、
R2
れてはならないという、暗黙の了解をいざなう」
だ け 抜 き 出 し た よ う な 解 答 に は、 ま っ た く 点 を く れ ま せ ん。
東 大 あ た り は、
、 あたりの語句も取り入れて解を作ってみて下さい。
R1
為は、不可逆な定着をおのずと成立させてしまうので、未成熟なもの、吟味の足らないものはその上に発露さ
るかという、情報の仕上げと始末への意識を生み出している。白い紙に黒いインクで文字を印刷するという行
R4
R3
24
第一章 テキスト(文章)の解析と関係性の原理
「原文を使った解答」なら、ちょっと長くなりますが、次のとおりでよいでしょう。
もし、
「言葉をいかなる完成度で定着させるか、未成熟なもの、吟味の足らないものはその上に発露されてはなら
ないのであって、選択する言葉のわずかな差異と、その微差において詩の印象に大きな変容が起こり得ると考
えるデリケートな詩人の感受性に共感する一方で、そのような推敲は、それほどの逡巡を生み出す大事でもな
かろうという、微差に執着する詩人の神経質さや器量の小ささを印象せざるを得ない心理のこと」
解は、多少オーバー・コーディングして、次の程度になります。
詩語を選択するとき言葉のわずかな差異に拘泥するデリケートな詩人の感受性に共感する
問一の解答
一方で、そのような推敲は、それほどの逡巡を生み出すことでもあるまいと、微差に執着す
る詩人の神経質さや器量の小ささを印象せざるを得ない心理のこと。
もっと簡潔に言うなら、次のようになります。東大の解答ワクは、せいぜい六、七十字のスペースです。
「言葉の僅かな差異に拘泥する繊細な詩人の感受性に共感する一方、その微差に執着する詩人のためらいや
過敏な反応をも印象せざるを得ないということ。
」
コンピューターの発達とともに、現在の学問の世界の最先端に躍り出たものの一つに、記号論とか構造主義
言語学とか情報科学とか、述語論理学とか、言葉の仕組みを考えたり、言葉の使われ方を研究したりするもの
があります。
:その場その場の適当な)な解答、解説が横行する
そのような時代に、相も変わらぬアド・ホック( ad hoc
のは困ったものです。そのような事例の一つとして、ある二つの出版社(A社・B社)のこの「問題一」の解
答を挙げてみます。
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