第3節 美術館における幼児期の鑑賞体験の普及と今後 の課題

第3章
第3節
第3節
美術館における幼児期の鑑賞体験の普及と今後
の課題
Ⅰ.美術館における幼児期の鑑賞体験の普及に向けて
1.保育者養成段階での美術館における幼児期の鑑賞体験の意義と望ましい援助の理解
美術館における幼児期の鑑賞体験の意義とその望ましい援助についての研究成果を、幼
児と美術館を繋ぐことのできる大人に普及させるために、重要な役割を果たすのは保育者
であると言える。保育者は、保育の中に美術館利用を取り入れることを通して、幼児と美
術館を繋ぐのみならず、保護者や美術館職員など幼児を取り巻く大人の理解を、促すこと
ができる。また、家庭からの美術館利用が困難な幼児に、機会を提供できる可能性を持っ
ている。そこで、保育者養成の段階から、美術館での幼児期の鑑賞体験の意義を伝えてい
く必要があると考える。
現在の保育者養成校における、領域「表現」の造形表現に関わる授業では、造形技術の
伝達や学生自身の美術嫌いを払拭することに重点が置かれる傾向がある。学生も、保育現
場で応用できる実践事例を多く知ることを要望する傾向にある。そうした内容も重要であ
るが、幼児期が生涯にわたる学びの土壌を作る時期であることを十分に認識し、生涯とい
う長期的視点から幼児期を捉えた時に、豊かな学びを創出する場である美術館を含む博物
館を、学習手段の1つとして幼児の生涯に位置付ける意義を知るべきだろう。短期的視点
から捉えた場合も、美術館を利用し鑑賞することは、既に見てきた通り、領域「表現」の
みならず、すべての領域と総合的に関わる。社会教育機関全般を、積極的に保育に活用し
ていくことにも繋がるだろう。
2.美術館職員による美術館における幼児期の鑑賞体験の意義と望ましい援助の理解
研究を進める過程において、日本の美術館において、幼児を対象にした活動が、わずか
ずつではあるが増えつつあることが分かった。例えば、横須賀美術館は、2012(平成 24)
年から地域の保育所と連携した活動を始めている。保育所へ学芸員が行き、展示作品に関
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連するパズルやゲームなどを一緒に行った上で、幼児が来館し原作品を鑑賞するという活
動が行われている
どの事例がある
2)
1)
。その他、水戸芸術館では、鑑賞と制作を組み合わせた活動を行うな
。いずれも年間の実施件数はわずかであるが、こうした大原美術館以外
での幼児向け鑑賞プログラムの実践を捉え、検証していくことで、日本の美術館で広く幼
児が迎えられ、良質の鑑賞プログラムが提供されることを期待する。
Ⅱ.幼児の美術館利用及び美術鑑賞についての研究課題
1.幼児の発達と鑑賞の援助についての研究
研究を通じて、いくつかの新たな課題に気付くことができた。幼児の発達に応じたより
細やかな配慮のもと、鑑賞の援助がなされるために、いくつかの課題が挙げられる。
例えば、幼児の身体、言語、認知、描画、立体造形などの異なる観点からの発達と、鑑
賞の発達との関わりの研究である。身体の発達、特に視覚の発達や身長が伸びることに伴
い、幼児の空間の捉え方や作品の視覚情報としての捉え方が変わってくる。また、本論文
では、言語を通した鑑賞を取り上げたが、一人ひとりの幼児が言語発達においてどの段階
にあるかにより、援助はさらに細やかに配慮されるべきである。
「模写」や「模刻」といっ
た制作を伴う鑑賞では、描画能力や立体造形能力の発達とも関わる。本論文では、保育施
設から美術館に来館した際の共同的な活動を事例としたが、幼児一人ひとりの描画や立体
造形の発達過程が、鑑賞にどのように関わるのかを見ることも必要であろう。
以上のように、幼児の発達と鑑賞活動の対応をより細やかに観察することにより、プロ
グラムの順序を明らかにすることも考えられる。現在は、これまでの経験を基に、(1)「全
体鑑賞、(2)絵画鑑賞プログラム「対話とパズル」、(3)彫刻鑑賞プログラム「対話」(と
「模刻」「自由制作」)、(4)絵画鑑賞プログラム「お話作りと絵探し」、(5)絵画鑑賞プロ
グラム「模写」、(6)「美術館探検」という順序で行われることが多い
3)
。この順序が妥当
であるか、また幼児がどの発達過程にあるときに実施するのがより効果的なのか、検討す
ることも必要である。
1)横須賀美術館:「特集子どもから大人までみんなで楽しむ横須賀美術館」,『コリダール―横須賀美術館ニュース』,
2013 年.
2)水戸芸術館:「プレ・スクール・プログラム」,『水戸芸術館ニュース』,2013 年.
3)(1)「全体鑑賞」と(6)「美術館探検」、また(4)「お話作りと絵探し」と(5)「模写」は、入れ替わることもある。
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2.幼児対象プログラムにおける教材を使った援助の研究
幼児対象プログラムには、本論文では第2章第1節においてのみ扱い、具体的な考察対
象としなかった絵画鑑賞プログラム「パズル」「絵探し」がある。いずれも、教材である
ジグソーパズルと専用の絵探しボードを用いたプログラムである。このような、教材を用
い、幼児と美術作品との相互作用を促す活動についての研究を行い、本論文を補完するこ
とも今後の課題である。
3.幼児対象プログラム経験者及び保育者、保護者へ調査
大原美術館の幼児対象プログラムは 20 年以上の実績があり、初期の経験者は既に成人
し、親子2代にわたる経験者もいる。本論文では、第2章第5節において、幼児対象プロ
グラム経験者への聞き取り調査を行った。これをもとにより詳細な調査を行い、経験者が、
美術館に対してどのような概念を持っているのか、生涯学習社会の中で学習手段の1つと
して位置付けられているかを調査することも必要である。
また、幼児対象プログラムによる保育者や保護者への影響も検証されるべきである。第
1章第1節で、半直哉(2006, 2007)による幼稚園教諭の鑑賞への意識調査結果を用いたが、
岡山県の幼稚園教諭の美術館利用率が 10 %というのは、他県との比較においてはどのよ
うに位置付けられるのか、美術館活動が地域の保育に与えた影響という点においても検証
されるべきであろう。さらには、幼児の鑑賞の望ましい援助を、家庭教育の中にも取り入
れるために、保護者への影響も調査されるべきだろう。
以上のように、美術館における幼児期の鑑賞体験に関わる研究は、まだまだ多くの課題
を抱えているが、日本の美術館において広く幼児が受け入れられる環境が創出されること
を期待する。
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