認知機能向上を目指した発達期運動効果の解明

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第 30 回若手研究者のための健康科学研究助成成果報告書
2013 年度 pp.87∼92(2015.4)
認知機能向上を目指した発達期運動効果の解明
木 田 裕 之*
THE EFFECT OF EXERCISE IN IMMATURE STAGE ON
IMPROVEMENT OF COGNITIVE FUNCTION
Hiroyuki Kida
Key words: motor learning, AMPA receptor, glutamic acid, plasticity.
ル学習・認知課題に関する AMPA 受容体シナプ
緒 言
ス移行のダイナミクスは不明である。
「運動は脳にどのような影響を及ぼすのか?」。
環境エンリッチメントと脳機能の向上の関係に
これまでこの問いに対して多くの研究者が挑んで
ついてはこれまでにさまざまな報告がされてきた
きた。マクロな点からは身体運動は海馬の神経新
が5)、活動量まで定量化することは難しい。更に、
生を促進し、海馬の重量を増加させる2)。また分
運動野と前頭葉も機能的な結合を有していること
子レベルでは神経栄養因子を増加させ 、次いで
が知られているため、まず運動野の可塑的変化を
シナプス可塑性や神経回路再編を誘導する。この
明らかにすることが重要と考えられた。そこで本
ように運動は細胞レベルでの学習に直接影響し、
研究では、 1)定量化された運動トレーニング下
新しい情報を記録し分析する脳の機能を高めてい
での運動学習のメカニズムを明らかにし、次いで、
ることが分かってきた。しかしながら、これらの
2)運動学習が前頭前野のネットワークにどのよ
研究は成熟あるいは老齢動物を用いたもので幼若
うな効果を及ぼすのかという点を電気生理学的に
動物の研究はあまり知られていない。
検討した。
1)
グルタミン酸は中枢神経系における主要な興奮
研 究 方 法
性神経伝達物質であり、課題関連運動には AMPA
型グルタミン酸受容体(AMPA 受容体)および
A.動物
NMDA 型グルタミン酸受容体(NMDA 受容体)
すべての実験は山口大学動物使用委員会の承認
を介した神経伝達が必須である。特に AMPA 受
を受け(承認番号:04-074, 04-079)、動物実験ガ
容体はシナプス後部の細胞膜上にダイナミックに
イドラインに基づいて実施された。実験には 4 週
輸送され、学習を成立させることが近年明らかと
齢 SD ラット(体重120∼150 g)を用いた(n =
なった 。また AMPA 受容体のシナプス移行は、
66)。飼育ケージ内では食餌および水を自由に摂
発達期における適切な神経回路形成や恐怖条件付
取させ、一定気温(25℃)のもと12時間の明暗サ
け学習に必須である
イクル下で飼育した。
3)
* 。しかしながら、運動スキ
6,4)
山口大学大学院医学系研究科システム神経科学分野 Departments of Systems Neuroscience, Yamaguchi University Graduate School of Medicine,
Yamaguchi, Japan.
(88)
B.行動テスト
1 .Voltage clamp
定量化されたトレーニング下での運動学習の効
電流刺激によるシナプス後電流を記録するため
果 を 評 価 す る た め に、 ロ ー タ ー ロ ッ ド テ ス ト
に、電位固定法によるスライスパッチ実験を行っ
(ENV577, Med Associates Inc)を行った。運動試
た。記録チャンバー内にはピクロトキシン(Sig-
験は 1 日10試行とし、最長で 2 日連続行った(図
ma, 100 μM)とクロロアデノシン(Sigma, 4 μM)
1 A)
。加速モード( 4 ∼40 rpm)で 1 試行当た
を還流させた。刺激電極(ユニークメディカル)
りの運動時間は最大 5 分間とした。
はタングステン電極を用い、一次運動野 II/III 層
長期間、環境エンリッチメント下で飼育した動
(外側 2 mm)、記録部位から200∼300 μm 内側に
物の可塑性を調べるために、回転盤付イグルーや
設置した。−60 mV に電位固定したときのピーク
トンネル等の玩具(アメニック)下で 2 週間飼育
の電流値を AMPA 電流とし、+40 mV に固定し
した。直後に、新奇物体認識試験を行った。訓練
たときの刺激オンセットから150ミリ秒後の電流
試行として、 2 つのオブジェクトを置いた装置内
値を NMDA 電流として記録した。記録は50∼100
で10分間自由に探索させた。 1 時間後、片方を新
回繰り返し、平均化した。NMDA 電流値に対す
奇オブジェクトに置換した装置内で更に 5 分間自
る AMPA 電流値を AMPA / NMDA 比として算出
由に探索させた。訓練試行および保持試行では、
した。
2 つのオブジェクトに対するそれぞれの接触回数
2 .Miniature EPSC
を測定した。保持試行における総接触回数に対す
シナプス前終末から自発的に放出される 1 シナ
る新奇オブジェクトの接触回数の割合を判別指数
プス小胞当たりのグルタミン酸放出による AMPA
(Discrimination index)として算出した。
C.電気生理学実験
受容体由来の微小興奮性シナプス後電流(miniature EPSC; mEPSC)を記録するため、電位依存性
運動学習課題では最終試行から30分後、エン
Na チャネル選択的阻害剤であるテトロドトキシ
リッチメントでは急性期の影響を除くために 1 日
(TTX, Wako, 0.5 μM)および NMDA 受容体選択
後、動物に深麻酔を行って、急性脳スライスを作
的阻害剤 APV(Sigma, 100 μM)を ACSF に加え、
製した。動物を断頭後、脳を素早く取り出して混
mEPSC を記録した。電位は−60 mV に固定し、
合ガス( 5 % CO2/95% O2)を飽和させた氷冷ダ
記録時間は 5 分間とした。同様のプロトコールで
イセクションバッファー内に浸した。ビブラトー
電位を+15 mV に固定し、微小抑制性シナプス後
ムを用い(Leica)
、厚さ350 μm の脳の冠状断を作
電流(miniature IPSC; mIPSC)を記録した。いず
製し、混合ガスで飽和させた人工脳脊髄液(22∼
れも10 pA 以上の EPSC/IPSC を解析対象データと
25℃)で満たしたインターフェイスチャンバー内
し、平均振幅と 5 分間における頻度を調べた。
に移した。ノマルスキー微分干渉装置を備えた正
D.データ解析
立顕微鏡(BX51, Olympus)に装着した、赤外線
本研究の実験データは平均±標準誤差で表記し
高感度カメラ(Hamamatsu Photonics)を通して脳
た。 統 計 に 関 し て は、 2 群 間 の 比 較 に お い て
スライス標本を観察し、大脳皮質一次運動野また
Mann-Whitney test を用い、 3 群間の比較には一元
は前辺縁皮質の II/III 層の細胞からホールセル・
配置分散(ANOVA)に次いで多重比較検定(post
パッチクランプ記録を行った。
hoc analysis with Fisher s test)を実施した。有意水
電極内部は実験に応じた細胞内液で充填し、抵
準はそれぞれ0.05以下とした。
抗は 4 ∼ 7 MΩ のものを用いた。記録中のチャ
ンバーの温度は22∼25℃に保った。電流・電圧は
結 果
細胞内記録用増幅器(Axoclamp 1 D)にて増幅し、
A.運動トレーニング後の運動スキルの向上
A-D コンバータ(Digidata 1440A)でデジタル化
回数を経るごとに回転棒上の滞在時間は延長が
した後、ハードディスクに取り込んだ(Clampex
みられ、 2 日目の試行後には運動スコアはプラ
10)
。
トーになった(図 1 B)。テストした動物すべて
(89)
*
*
AMPA/NMDA ratio(%)
図 1 .行動テスト
Fig.1.Behavioral test.
A, An experimental design. B, Mean latency for each trial
(10 trials/day)
to fall from the accelerating rotor rod barrel in 2-days trained rats
(n = 22)
. C, Average scores at the first trial,
the final trial on the 1st day and the 2nd day. * P < 0.05
(ANOVA, Fisher s PLSD test)
. All
animals improved the motor performance.
*
図 2 .電気刺激に対する応答
Fig.2.AMPAR- and NMDAR-mediated EPSCs evoked by the electrical stimulation in the layers
II/III.
A, Example traces of average EPSCs for the AMPA response at -60 mV and the NMDA response
at +40 mV, and AMPA/NMDA ratios of EPSCs for untrained trained rats
(n = 57)
, 1-day trained
rats
(n = 52)and 2-days trained rats(n = 51). * P < 0.05(ANOVA, Fisher s PLSD test). B, Cumulative probability distributions of AMPA/NMDA ratios for untrained trained rats(open circle),
1-day trained rats
(gray filled circle)
and 2-days trained rats
(filled circle)
.
において、滞在時間の延長がみられ、平均の滞在
B.運動学習のメカニズム
時間は前日よりも有意に増加した(F(2, 63) = 52.0,
運動学習後のシナプス結合の変化を観察するた
P < 0.05, ANOVA, 図 1 C)
。
め、電位固定下で運動野 II/III 層電気刺激を行い
AMPA 電流と NMDA 電流を同一ニューロンより
**
Frequency
(Events/5 min)
(90)
*
*
図 3 .微小シナプス電流
Fig.3.Analysis of mEPSCs and mIPSCs.
A, Example traces of mEPSCs and mIPSCs. B, Mean amplitude
(left)and mean frequency
(right)for untrained trained rats
(n = 64)
, 1-day trained rats
(n = 57)
and 2-days trained rats
(n = 69).
Duration(sec)
Discrimination index
C
3000
2000
1000
0
6
6
Control Enrichiment
300
*
27
0
B
100
0
50 ms
Control
Enrichiment
200
10 pA
200
NMDA/AMPA ratio(%)
B
A
*
23
Control Enrichiment
1
*
6
6
6
peripheral
6
Central
1
Distribution
Total activity(cm)
A
Control
Enrichiment
0.5
0
0
6
6
Control Enrichiment
図 4 .運動後の行動テスト
Fig.4.Behavioral test after motor training.
A, Total activity of the sham group(n = 6)and the group exposed to environmental enrichment
(n = 6)in the open field test.
B, Activity between in the central area and in the peripheral
area in the open field test. C, Novel object recognition behavior.
* P < 0.05(Mann-Whitney test)
.
0
NMDA/AMPA ratio
(%)
250
図 5 .運動後の電気刺激応答
Fig.5.AMPAR- and NMDAR-mediated EPSCs in layers II/III
neuron in the prelimbic cortex evoked.
A, Example traces of average EPSCs for the AMPA and the
NMDA response by the electrical stimulation in deep layers,
and NMDA/AMPA ratios for control group
(n = 27)and the exposed to environmental enrichment
(n = 23)
. * P < 0.05
(ManWhitney test). B, Cumulative probability distributions of
NMDA/AMPA ratios for the control group
(open circle)
and the
environmental enrichment group
(filled circle)
.
(91)
記録した。運動後は、AMPA 電流の増加が観察
mEPSC の振幅・頻度ともに増加し、プレシナプ
され、2 日後には NMDA 電流の増加を示すニュー
スからのグルタミン放出も増加したことが分かっ
ロンもみられた(図 2 A)
。NMDA 電流に対する
た。このように運動学習成立において、プレ・ポ
AMPA 電流の割合は運動学習 1 日目直後のみコ
ストシナプス両側で学習段階に応じた興奮性・抑
ントロール群に対し、有意に増加した(F(2, 148) =
制性シナプスによるダイナミックな可塑的変化が
4.96, P < 0.05, ANOVA, 図 2 A・B)
。
起こることが判明した。
次にシナプス前細胞側の可塑性とシナプス後細
同時に一次運動野と機能結合している前頭葉細
胞側を細胞ごとに網羅的に解析するため、−60
胞でも可塑的変化がみられることが予想される
mV に膜電位を固定して mEPSC を記録した(図
が、長期運動後(環境エンリッチメント下)の前
3 A)
。コントロール群と比較して、運動 1 日目
頭葉細胞内記録では NMDA 電流の有意な増加が
では振幅のみ、運動 2 日目では頻度・振幅ともに
観察されたことから、可塑性に必要な Ca 流入が
有意な増加が観察された(振幅,F(2, 187)= 7.21, P
考えられる。今後は、前頭葉細胞を標識した遺伝
< 0.05;頻度,F(2, 187)= 2.37, P < 0.05, ANOVA, 図
子改変動物等を用い、形態学的なアプローチを進
3 B)
。 更 に、 膜 電 位 を + 15 mV に 固 定 し て、
める予定である。
mIPSC を 同 一 細 胞 か ら 記 録 し た と こ ろ(図
総 括
3 A)
、 1 日目では頻度のみが低下したが、 2 日目
では頻度、振幅ともに有意差は観察されなかった
本格的な少子高齢化を迎えた現代社会におい
(振幅,F(2, 187)= 9.23, P < 0.05, 頻度,F(2, 187)= 0.02,
て、次世代を担うべき子どもたちの健康・教育支
P < 0.98, ANOVA, 図 3 B)
。
援は必須である。幼少期の運動体験と認知機能発
C.環境エンリッチメントによる行動への効果
達の関連性を明らかにしようとする本研究の意義
次に長期間、環境エンリッチメント下( 2 週間)
は、身体能力・技能向上だけでなく頭脳の発達に
で飼育した動物における可塑性を調べた。オープ
寄与する運動の重要性を検討することであり、教
ンフィールドテストにおいて、エンリッチメント
育の場への提言として波及効果が見込める。今回
群では単位時間の走行距離が有意に上昇し、中心
の助成期間では、形態学的アプローチまでは踏み
部での滞在時間の延長がみられた(P < 0.05, 図
込むことができなかったが、今後、多光子顕微鏡
4 A・B)
。一方で、認知テストとして用いた物体
を用いたイメージング技術等と組み合わせること
認識試験では、新奇物体に対する関心度を示す識
により直接的な運動効果が明らかになると思われ
別指数において両群に有意な差は観察されなかっ
る。
た(P = 0.66, 図 4 C)
。
D.環境エンリッチメント後に引き起こされる
可塑性
参 考 文 献
1)Abel JL, Rissman EF(2013)
: Running-induced epigenetic
and gene expression changes in the adolescent brain. Int J
前辺縁皮質 V/VI 層電気刺激による II/III 層細胞
の 活 動 を 記 録 し た。 顕 著 な 増 加 が み ら れ た
NMDA 電流の変化に着目し、NMDA / AMPA 比を
算出した。コントロール群より、エンリッチメン
ト群で有意に増加した(P < 0.05, 図 5 A・B)。
考 察
運動学習 1 日目直後、mEPSC は振幅のみ増加
したことから、ポストシナプス側の可塑性、すな
わち AMPA 受容体がシナプスへ挿入されたこと
が示唆される。これに対し、運動 2 日目直後には
Dev Neurosci, 31, 382-390.
2)Erickson KI, Voss MW, Prakash RS, Basak C, Szabo A,
Chaddock L, Kim JS, Heo S, Alves H, White SM, Wojcicki
TR, Mailey E, Vieira VJ, Martin SA, Pence BD, Woods
JA, McAuley E, Kramer AF(2011): Exercise training increases size of hippocampus and improves memory. Proc
Natl Acad Sci U S A, 108, 3017-3022.
3)Malinow R, Malenka RC(2002)
: AMPA receptor trafficking and synaptic plasticity. Annu Rev Neurosci, 25, 103126.
4)Mitsushima D, Ishihara K, Sano A, Kessels HW, Takahashi
T(2011): Contextual learning requires synaptic AMPA receptor delivery in the hippocampus. Proc Natl Acad Sci U
(92)
S A, 108, 12503-12508.
5)Nithianantharajah J, Hannan AJ(2006): Enriched environments, experience-dependent plasticity and disorders of
the nervous system. Nat Rev Neurosci, 7, 697-709.
6)Takahashi T, Svoboda K, Malinow R(2003): Experience
strengthening transmission by driving AMPA receptors
into synapses. Science, 299, 1585-1588.