ぺ ー じ しゃかいかけんがく しょうがくせい しつもん さんこう このページは、社会科見学にくる小学生の質問を参考にしながら、 しょうぼう こた 消防のいろんなことについてお答えします。 ばんつうほう はじ 1.119番通報の始まりはいつ? しょうわ ねん がつついたち す た ー と ばん すうじ でんわ だ い や る し き 昭和2年 10 月 1 日 からスタートしました。119番 という数字は、まだ電話がダイヤル式の とき はや まわ すうじ だ い や る し き すうじ じゅんばん なら 時にとにかく早 く回 せる数字と(ダイヤル式では数字の1から 順 番 に並んでました)、かけ まちが たいしょう ねん とき かさいほうちせんよう ばん つか 間違えのないように(大 正 15年 の時には火災報知専用として112番が使われていたので ま ち が ひと すうじ おお く あ すが、間違える人が多かったみたいです。)わざとはなれてる数字の9を組み合わせたもの です。 けいさつ ばん しょうわ ねん がつとうか き 警察 の110番 は、昭和23年 10月10日に決められました。 きゅうきゅうしゃ 2.救急車のはじりはいつ? しょうわ ねん がつ よこはまし はじ きゅうきゅうしゃ とうじょう つぎ とし な ご や し 昭和8年 3月 に横浜市に初めて 救 急 車 が登場 しました。次 の年には名古屋市が きゅうきゅうぎょうむ す た ー と 救 急 業 務 をスタートさせています。 しょうぼうしゃ あか 3.消防車はなぜ赤いの? ほうりつ しょうぼうしゃ いろ き ほのお おな いろ め だ いろ 法律で消防車 は、しゅ色と決められています。 炎 と同 じ色ということと、目立つ色というこ き とから決まりました。 あ め り か しょうぼうしゃ きいろ きいろ あかいろ よる め だ アメリカの消防車 は、黄色です。黄色のほうが赤色よりも夜はより目立つらしいです。 しょうぼうしゃ さ い こ う そ く ど な ん き ろ 4.消防車の最高速度は何キロ? いっぱん どうろ じそく き ろ こうそくどうろ じそく き ろ どうろこうつうほう き 一般 の道路では、時速80キロ、高速道路では時速100キロと道路交通法で決められてい きんきゅうそうこうじいがい いっぱん くるま おな うんてん ます。しかし、緊急走行時以外は、一般 の 車 と同 じように運転しています。 しゅつじょう し れ い う しゅつじょう 5.出 場 の指令を受けてからどのくらいで出 場 できるの? いっぷんいない しゅつじょう 1分以内 で 出 場 します。 か じ つか ほ ー す なんぼん 6.火事のときに使うホースは何本? ほ ー す なが いっぽん め ー と る ホースの長 さは 1 本 20メートルありますから、 いっぽん た ごうけい にじゅっぽん つか 1 本 で足りるときもありますし合計で 2 0 本 くらい使 うこともあります。 か じ げ ん ば い とちゅう か じ み 7.火事の現場に行く途中でほかの火事を見つけたらどうするの? しょうぼうしゃ むせん しれいしつ れんらく はじ しれい う か じ げんば む 消防車 の無線で指令室に連絡をしますが、始めに指令を受けた火事の現場に向かいま み か じ しれいしつ し じ べつ しょうぼうしゃ しゅつじょう す。見つけた火事は指令室の指示で別 の消防車 がすぐに 出 場 します。 しょうぼうしょ ひと よる 8.消防署の人は夜ねるの? かみん しゅつじょう 仮眠はしますが、いつでも 出 場 できるように かつどうふく き よこ 活動服を着たまま横になってます。 よなか か じ あさ ねむ また、夜中に火事があると朝まで眠 らないこともあります。 ひ ようじん こ と ば つか 9.「火の用心」の言葉をさいしょに使ったのはだれ? とくがわいえやす とよとみひでよし あいちけん こまきやま たたか とくがわいえやす けらい 徳川家康 と豊臣秀吉が愛知県の小牧山で 戦 っていたときに、徳川家康 の家来だった ぶしょう ほんださくざえもんしげつぐ つま てがみ つぎ か 武将の本多作左衛門重次が妻にあてた手紙に次のように書かれていました。 いっぴつけいじょうひ ようじん せんな うまこ 「一筆啓上火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」 ひ ようじん ことば てがみ で せん これがさいしょの「火の用心」の言葉といわれています。なお、手紙に出ている「お仙 」と のち えちぜんまるおかじょう じょうしゅ ほんだなりしげ ようめい せんちよ は、後 の越 前 丸 岡 城 の城 主 「本多成重(幼名:仙千代)」のことです。 しょうぼうでぞめしき 10.消防出初式のはじまりはいつ? まんじ ねん ねん がつよっかうえのとうしょうぐうまえ 万治2年 (1659年 )1月4日上野東照宮前で、 だいしょうぐんいえつな え ど ば く ふ ひとびと 4代 将 軍 家 綱 をはじめ、江戸幕府の人々が さんか ぜんねん で き じょうびけし かおみ ぎしき おこな でぞめしき はじ 参加して前 年 に出来た「定火消」の顔見せ儀式を 行 いました。これが出初式の始まりとな きょうほ ねん ねん まちびけし う じょうびけし おな ぎしき おこな り、享保4年 (1719年 )に「町火消」が生まれると定火消と同 じように儀式を 行 いましたが、 え ど ば く ふ どうじ ぎしき お けいさつ しょうぼうぐみ 江戸幕府のほうかいと同時に儀式は終わってしまいました。そののち、警察 に消 防 組 がで めいじ ねん ねん でぞめしき ふっかつ いま き、明治8年 (1875年 )に出初式は復 活 して今 にいたってます。
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