平成27年1月30日

平成26年度学校便り
平成27年1月30日
二小だより
青梅市立第二小学校
青梅市長淵4丁目437番地
電話 0428(22)7264
№10
校長 仁藤茂則
郷土に光をかかげたひとびと
校長
仁藤 茂則
1月24日(土)、本校展覧会には、たくさんの方々においでいただき、誠にありがとうございました。子供たちが、「僕の作品
を見た。」「私の作品を見た。」と、自分の作品に自信をもち、子供たちが一生懸命取り組んできたことが伝わってきます。図
工専科の河村三花先生、家庭科専科の松本佳子先生をはじめ全教職員で、そしてPTAの皆様のご協力をいただき、計
画的に取り組み、子供たちの自己肯定感、自己実現をはぐくんできました。青梅市立第二小学校の子供たちの命の華や
ぎある素敵な美術館を御覧いただき、ありがとうございました。
さて、昭和29年2月25日に西多摩地区小学校長会から発行された社会科副読本「郷土に光をかかげたひとびと」が手
元にありましたので、ここに紹介します。この本は、美しい西多摩の郷土を作った祖先の方々の立派な行いを学ぶため、昭
和29年の西多摩地区小学校長会の先生方が作られた貴重な資料です。その中に、当時、調布村出身の井上倉吉氏
のことが載っていましたので紹介します。
青梅織物業の父 井上倉吉翁
日本の織物を世界的に発展させているのは、自動織機の発明者豊田佐吉さんのおかげであるが、その豊田式自動織
機の力を存分に働かせて、青梅の織物産業を今のように盛んにした恩人の一人に井上倉吉さんがある。倉吉さんは、その
頃の調布村、今の青梅市チヶ瀬の生まれで、青梅織物同業組合長を長くやった人である。新編武蔵風土記という昔の
本の中に、「青梅村から青梅縞を織り出している」ということが書いてある。つまり、青梅がまだ村だった頃から、この辺では
織物が作り出されていたというのに、それを製造する織機は、昔ながらの足踏み織機で、調子も重く、チャンカラ、チャンカラ
と一人一台、一日一疋の遅い仕事を繰り返していることに、飽き足らなく思っていた倉吉さんは、豊田佐吉さんの自動織機
を知って小躍りして喜んだ。自動織機を使えば、一人が同時に4台も6台も動かせる上に、1台の機械が一日12匹も織ると
いうから、大変な違いである。倉吉さんは目を見張って叫んだ。「力織機だ。力織機だ。この機械を入れなくては、青梅織
物の進歩も発展もない。」そこで、組合員の一人一人に、繰り返し、繰り返し、説き進めてまわったので、力織機の威勢の
いい音が、日に日に盛んになっていって、いつの間にか、足踏み機械の姿が消えていった。しかし、機械ばかり立派になっ
ても、肝心の織物が昔のままのチャンカラ縞では、進歩したとは言えない。今度は、織物の品質を高め、種類を増やすこと
だと考えた倉吉さんは、心ある組合の人達や問屋の人とも話し合いを重ね、研究を進めた上、着尺としての双子縞、紅梅
織、京桟縞等の新しい織物を造り出すことに成功したが、ことに、えび茶色を使って織った黄八格子縞の夜具地は、青梅
夜具縞と呼ばれ、その生産も品質も日に日にのびて、いつか、日本中の評判となっていった。洗え洗うほど、よい色になる
えび茶色が喜ばれたのである。が、研究に怠りのない倉吉さんを始め、組合員全体の力で、さらに新しい種類の織物が生
まれていった。品質や技術の進歩、改良を図るためには、繊維工業試験所の指導を受けたり、講習会を開いたり、図案展
覧会を催したりする一方では、組合の役員、平岡久左ヱ門さん、田中孫次郎さん、榎戸雪蔵さん、滝沢弁吉さん、並木
作蔵さん等という人達が先に立って、製品の検査を厳格にして、青梅織物の名にそむかない、立派なものを創り出す努力
を怠らなかった。昭和27年の青梅織物の様子を見ると、青梅市、そして吉野、三田、小曾木の三村を合わせて、製造業
者の数が725名、そこで働いている従業員のうち、男の工員が966名、女子工員が2886名となっており、この人達の手に
よって、動いている9494台の力織機は、一年間に477万3315疋の織物を生産し、金額にして、36億2835万9215円と
いう大きな数字を示している。人間の文化生活の三つの重要なものの一つとしての衣料、青梅村より青梅縞を出すという
昔からのこの土地の産業の発展に、一生をささげて惜しまなかった井上倉吉さんが胸に緑綬褒章をさげた胸像は、今、青
梅工業組合の庭に立って、日に日に、栄えていくこの仕事の将来を、じっと見守っているようである。
本校第19代校長天野芳行先生が編集委員として編纂された社会科副読本「郷土に光をかかげたひとびと」より青梅
市の織物の発展に全力を尽くされた井上倉吉氏の多大なる功績、そして青梅縞の歴史を学ぶことができました。郷土の先
輩方が山紫水明豊かな青梅市を、西多摩の郷土を大切にされ、住みよい郷土となるよう努力されたことが、60年もの年月
が過ぎても、今、息づいています。そして、祖先の郷土を思う温かい心を後世に伝え、学ぶことができるよう「郷土に光をかか
げたひとびと」を作られた西多摩地区小学校長会の先生方に敬意を表しますとともに、子供たちの郷土である青梅市、西
多摩の地を愛する心をはぐくみ、大切にしていきたいものです。