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解答作成のヒント
記事を読む
記事を読む
さっそく、記事の内容とポイントを確認していきましょう。この記事は、地
域の役所から送信される防犯情報をきっかけとして、近年、不審者と見なされ
ることを怖れるあまり、子どもに声をかけることが難しくなっている現状を指
摘しています。犯罪者は何気ない言葉で話しかけてくるため、子どもにとって
は不審者かそうでないかの区別をつけることがむずかしく、何の悪気もなく声
をかけた人であっても不審者扱いされてしまう可能性があるというのです。
「学校はどこ」
「クラスは何人いるの」といった声をかけて、そこから子ども
を犯罪に巻き込もうとする行為は「声かけ事案」と呼ばれています。
「声かけ事
案」は、略奪や誘拐などの重大な犯罪につながる可能性があるとして、問題視
されています。これらには子どもの登下校中を狙ったものが多く、親が守って
あげられないことも問題視される理由の一つです。
しかし、最近では、あいさつをしただけ、少し声をかけただけでも不審者と
見なされる事例が散見されるようになりました。実際に、東京都の警視庁の防
犯情報メール(メールけいしちょう)にも、公園で児童に「さようなら」と声
をかけた男が不審者と見なされた事例があるということです。ただあいさつを
しただけで不審者と見なされるのではたまったものではありません。さらに言
えば、あいさつをしただけ、声をかけただけで不審者となるのであれば、ちょ
っとしたきっかけで私たち自身も不審者扱いされる可能性があります。そう考
えてみると、相手の不必要な警戒心によって理不尽な目にあうということは、
特殊な誰かにとっての問題ではなく、すべての人に当てはまる可能性があるも
のだと言えそうです。
解答の方向性
解答の方向性を
方向性を考える
では、記事の内容を押さえた上で、解答をどのように組み立てていくべきか
を考えてみましょう。
「声かけ事案」において不審者ではないかと疑われた人が、不愉快な思いを
する可能性があることは先に見たとおりです。このように、記事から読み取っ
た理不尽に思える点について、どうにかできないかと解決策を考えたり、なぜ
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こんなことになっているのかとその原因を探っていくことが小論文を書くため
の出発点です。今回もそれを起点に解答の方向性を考えていきましょう。
しかし、今回の場合、例えば「声かけ事案」で不審者扱いされるのは不愉快
だから、警察にいちいち通報するべきではない、などと安易な解決策を述べる
ことはできません。なぜなら、大変残念なことに、子どもに巧みに声をかけて
連れ去ったり、危害を加えたりしたという事件が後を絶たないからです。また、
「声かけ事案」を警察に届けた結果、検挙や事件解決につながった例もありま
すから、「声かけ事案」を不要だとする論点を立てることはできないでしょう。
では、どのように考えるべきでしょうか。今回の解答例では、「声かけ事案」
において、あいさつをしただけの人をも通報してしまうほどに、なぜ私たちは
他者を警戒しなければならないのか、その背景を考えて論を掘り下げていくこ
とにしました。
他者を警戒する
他者を警戒する社会
を警戒する社会
それでは、なぜ私たちは他者を常に警戒しているのか、その原因を探ってい
きましょう。記事にあるように、
「あいさつをしよう、声をかけ合おう」という
のは、昔から地域で言われ続けてきたことです。そうした考えが受け入れられ
なくなっているのだとしたら、社会に何かしらの変化があったからだと見るべ
きでしょう。
その変化として、まず考えられるのは、地域社会が変容し、かつての共同体
が崩壊したことです。共同体はその土地の構成員の生活を支える基盤となるも
のです。以前の共同体の構成員は血縁で成り立っていることも多かったため、
皆が顔見知りであり、日々の生活をともに送ることを通して、互いの信頼関係
を築いてきたと考えられます。
しかし、個人化が進んだ現在では、同じ地域に住んでいても相手がどんな人
なのか、何をしている人なのかを全く知らないことが多くなっています。見知
らぬ他者を信頼することはできませんから、自分のもつ「普通」の基準から少
しでも外れた振る舞いをされると、何か危害を加えられるのではないかと警戒
しなければならなくなるのです。
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また、かつてと違う点としてもう一つあげられるのは、メディアの発達です。
例えば、記事に挙げられている防犯情報の一つである「メールけいしちょう」
の配信が始まったのは 2008 年の春からです。また、現在では、テレビや新聞な
どを通して、子どもを巻き込む痛ましい事件の報道が繰り返し行われています。
携帯電話やスマートフォンを誰もがあたりまえのように持つようになった今日、
私たちはこうした情報をいつでも手軽に手に入れることができるようになりま
した。これらのメディアから、日常的に警戒情報を受信することによって、私
たちは、自分の身や子どもの身に常に危険が迫っているような危機感を覚える
ことになります。これが、他者に対する警戒心につながっているのです。
そして、他者を常に警戒し不審者とみなして排除することによって、自分の
身や子どもの身の「安全」を図ろうとしているように思えます。これが、不審
者を不必要なまでに警戒し続ける理由だと考えられます。
ところで、こうした警戒心はなぜ問題なのでしょうか。確かに不審者扱いさ
れるのは理不尽で不愉快なことです。しかし、子どもを持つ親の立場からすれ
ば、子どもの身や生命を守るためなのだから、警戒しすぎてもしすぎることは
ない。不審者扱いぐらい我慢しろと反論されてもおかしくありません。したが
って、こうした警戒心がなぜ問題なのかを押さえておくことで、より自分の論
点に説得力を持たせる必要があります。
親の立場を考えると、子どもが巻き込まれる事件が絶えない以上、他者を警
戒することは理に適っているように見えます。しかし、他者を常に警戒し、そ
うすることで「安心」を得ようとする態度には大きな問題があると考えられま
す。なぜなら、相手を不審者と決めつけるということは、相手を端から理解で
きないものとみなすことと同じだからです。コミュニケーションを取って相手
を理解することなしに、人間関係や社会を築いていくことはできません。こう
した努力を一切放棄してしまえば、私たちはずっと相手を警戒し続けたまま、
狭い世界のなかで生きていくしかなくなってしまいます。
また、予め「不安」を排除することによって成りたつ「安心」な社会で子ど
もを育てることが、必ずしも子どものためになるとは限りません。
「不安」に対
峙することなく、作られた「安心」な社会で暮らしていると、いつか親の目の
届かないところで危険な場面に遭遇したとしても、子どもはどのように対処す
ればいいのかを自分で判断することができなくなります。親が一生子どもの傍
について危険を判断してあげることはできません。それゆえ、自分で危険を判
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断する力を身につけることは、子どもが成長する上で不可欠な要素なのです。
見せかけの「安心」はこうした子どもの判断力を鍛える場を奪うことになりか
ねません。
だとすれば、これからの子どもにとって必要なのは、声をかけてきた相手を
不審者だと決めつけて排除してしまうことではなく、相手の挙動を慎重に見極
めた上で、自分はどうするべきなのかを考える姿勢だと言えそうです。子ども
が自分だけの狭い世界に安住することなく、豊かな人間関係を広げていく一方
で、自分で自分の身を守れるようになるためには、こうした「正しく警戒する」
態度を身につけることこそが大切なのではないでしょうか。
解答例の構成について
解答例の構成について
さて、これまで、不当に不審者扱いされることの理不尽さを考えることによ
って、私たちがなぜ過度に他者を警戒する状態に陥っているのか、その背景を
探ってきました。これをまとめたのが解答例です。
まず、第一段落では、子どもを守ろうとする過度な警戒心によって、誰もが
不審者扱いされる危険性があることを指摘しました。第二段落では、私たちが
こうした過度な警戒心を持つに至ったのはなぜか、その社会的な背景を探って
います。第三段落では、第二段落を踏まえながら、警戒することによって得ら
れた「安心」にどのような問題点があるのかを探り、最終段落ではそれまでの
議論を踏まえた上で、ただ闇雲に相手を警戒するのではなく、相手の挙動を見
極めて自分の行動を決定するための「正しい警戒」の姿勢を身につけるべきだ
という提言で全文を締めくくっています。
最後に
今回の小論文講座は、私たちの身の回りで起こっている事柄をテーマに、そ
の背景を探ってきました。小論文は、こうした一見些細な出来事のなかから、
「自
分で問いを立て、その答えを導いていく」ものです。最初のうちはむずかしく
感じられるでしょうが、このプロセスはすべての学問の基礎でもあります。小
論文講座を通して、このような「考える」姿勢を身につけていってもらえれば
幸いです。
(田中
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友美)