わたしたちの「 真 岡自慢 」3 Sontoku Ninomiya 二 宮 尊 徳 が 愛 情 を 注いだまち 二宮尊徳(金次郎) は1787年、 現在の神奈川県小田原市 の復興を命ぜられました。 この地で、 「報徳仕法」の考え方に に生まれました。少年時代に両親を亡くすなど苦労しました 基づいた、 「至誠」 「勤労」 「分度」 「推譲」の教えを村人たち が、 持ち前の勤勉さで一家の再興を果たします。 その働きぶ に浸透させながらさまざまな事業を行い、 見事に村の復興を りを認められ、 36歳の時に小田原藩から桜町領(現真岡市) 果たしたのです。 し せい きん ろう ぶん ど すいじょう 尊徳の教えは今も 真岡のまちに息づいています。 二宮尊徳資料館 國母 修さん 全国から多くの方が尊徳資料館の見学にやって来て くださいます。尊徳は、二宮金次郎としての少年時代の 勤勉な姿はよく知られているのですが、大人になって何 をしたのか、 実はご存じない方も多いのです。 尊徳は37歳のときに、復興の命を受けて小田原から 真岡にやって来ました。橋や用水路の整備を行い、 開墾 して畑を作り、 村民たちに節約と勤勉の重要性を説いて いきました。私財を村の復興に投じ、真岡の人々のため に力を尽くしたのでした。 私は、 その教えの中で特に大きかったのは「分度」だと 思います。つまり、分相応という考え方、 身の丈に合った 生活をすることで村民みんなが豊かに暮らすことを考え るという教えでした。人々はその教えを守って勉学に勤し (写真上)資料館の中にある 「廻村の像」。 (写真右下)国指定史跡の「桜町陣屋跡」。 12 み、尊徳が来て10年が経つ頃には、かつて900俵の年 しっかりと息づいているのではないでしょうか。質素倹約 貢米しかとれなかった村は1,800俵を超える豊かな村に な暮らしを念頭に「分度」を大事にして無駄遣いをしな 生まれ変わったのです。 い。 そんな風土が地域に根付いていると思います。 いま 尊徳は37歳から69歳までの一番脂の乗ってきた時期 地元の小学校では、尊徳にちなんで「推譲募金」を行 を真岡で暮らしました。尊徳が亡くなって以来約160年の い、先の東日本大震災にも寄附を行いました。 こうしたと 月日が流れましたが、 「報徳仕法」の教えは今もこの地に ころにも尊徳の助け合いの精神が息づいています。 わたしたちの 「真岡自慢」 Ninomiya Sontoku s Devotion to the Moka District Ninomiya Sontoku (1787‒1856; real name Ninomiya Kinjiro) was an agricultural technologist and thinker of the late Edo period. Charged with the task of developing the Sakura-machi domain (present-day Moka City), he carried out various projects and spectacularly achieved the village s growth, imbuing the local people with a spirit of sincerity, diligence, thrift, and mutual cooperation. 二宮尊徳資料館 平成12年に開館。二宮尊徳の偉業を紹介すると ともに、尊徳ゆかりの品々を展示している。尊徳翁 が村を廻る際に使った陣笠や直筆の米の引替依 頼状など貴重な資料が残っている。 Opened in 2000, the Ninomiya Sontoku Museum introduces Sontoku s illustrious achievements and displays various items related to his life. The Sakura-machi Jinya site, which is designated as a national historic site, marks the place from where Sontoku commanded the village s development. Devoted to Sakura-machi s development, he himself led a very frugal life. 真岡の地にやってきた後、 まちの復興に努める姿を描い た像が資料館前に建てられている。 二宫尊德倾注了情怀的城市 二宮尊徳是江户时代后期的农政家、思想家。 受命重建樱町领(现真冈市)的二宮尊徳(金 次郎),在这里一边将“至诚”“勤劳”“分 度”“推让”的教诲渗透给村民们,一边进行 各种事业,成功地完成了村子的重建事业。 2000年开馆的二宮尊德资料馆,在向人们介绍 二宫尊徳的伟业的同时,还展示着与尊德有关 的物品。樱町阵屋迹(国家指定历史遗迹)是 尊徳作为重建樱町的据点的樱町阵屋旧址,过 着俭朴的生活倾注全力重建乡村。 桜町二宮神社 小学生による社会科見学も多い。 二宮尊徳資料館/物井2013番地2 TEL.0285-75-7155 「桜町陣屋跡」を示す史 蹟 。尊 徳は江 戸 時 代の 1823年(文政6年) にこの 地にやってきた。 尊徳没後50年の明治38年に、遺徳を 偲び桜町陣屋内に創建された神社。 没後80年を記念して現在の位置に社 殿を新築した。 毎年、命日である11月17日に祭典が執り行 われている。 桜 町 陣 屋 跡( 国 指 定 史 跡 ) 尊徳が桜町復興の拠点とした桜町陣屋跡。質素 な暮らしをしながら村の復興に力を注いだ。62歳 で東郷陣屋に移転するまでの26年間をここで暮 らした。 資料館では「報徳仕法」に代表される尊徳 の教えをうかがい知ることができる。 今も自由に見学することができる。 Cidade onde Sontoku Ninomiya dedicou seu amor Sontoku Ninomiya foi um líder agrário e filósofo do final do período Edo. Ao receber a missão de revitalizar Sakuramachi-ryo (atual Moka), Sontoku (Kinjiro) Ninomiya realizou diversas obras difundindo os ensinamentos de sinceridade, trabalho diligente, economia planejada e divisão do rendimento, e cumprir a sua missão com êxito. 館内には尊徳ゆかりの貴重な展示。 O Museu Sontoku Ninomiya foi inaugurado em 2000 e, além de apresentar as suas realizações, expõe vários objetos relacionados a ele. O local histórico de Sakuramachi Jinya (sede administrativa) (designado local histórico nacional) serviu de base para Sontoku revitalizar Sakuramachi. Ele se dedicou ao trabalho levando uma vida simples. 13
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