々を弘 - 東京歯科大学同窓会

昭和 4
1年
/
を
弘
合弁~~与を手 λ 拳的安乞 々
112号
8 月1
0日
参会者に多大の感銘を与え
夏期講習会
。 日曜セミナー
明き れ なか った微細なところを 、 豊富
、 いっ そャつ
な カ ラ 1スラ イド によっ て
、 参 会 者 の 質問
わかりやすく説明さ れ
にも一つ一つ 丁寧に納得 のゆくまでお
答えになっていた 。 エキスパ ー トとい
う よりむしろそ れぞ れ の専 聞に おけ る
オ 1ソリテ ィの講演に参会 された同 窓
会員は非常に有意義な一日をおくる と
とができ 、 時期を得た事業部の企画が
。
賞賛さ れ た
盛会裡に終る
六月講演会、 日曜セミナー
。 六月講演会
六月十 九 日、 母校第一教室において 、
教室の 外 にもあふれるほどの同窓の参
加 のもとに開催され、講師 の先生方の
お話しを終始熱心に傾聴された 。
今回は特に日本歯科医師会で製作 、
目下 放送中のテレビ映画 、 ﹁口腔 痛 の
、﹁歯飯切
、﹁
抜鎚のかんど乙ろ ﹂
診断 ﹂
、 ﹁遊離端義歯の設計﹂を 上
除法術式 。
一
映し 、 それ について 、映画に出演さ れ
た長尾 喜景 教 授 、 関根永滋教授、 木 村
吉 太 郎 教 授、 河 辺 清 治 離 師 に 映 画 で 説
直ちに役立つように 配慮さ れ、本 講習
要性が高め られ、非 常に熱心に 講習 が
会の効果を一層高める 結 果と なっ た。
敬 称 略 ﹀神
行なわ れた 。 受 講 者 氏 名 (
尾英次 、 福田 博 、 相 田英孝、 服部 久夫、
各 科 目 の受講修 了者に は 田丸会長よ
り一人一 人 に修 了証書が 手 渡され、 そ
太田実、 鈴木 芳 倍、 佐藤治夫、 北 井清
英、 阿部義久 、 五十嵐敏三 、 桜井直如 、 の向学心に対する労をねぎらつた(写
真は矯正における模型 計 測 の実習を行
笹本和見、 吉 田弘 、大月核子 、 武内隆
一 (十 五 名)
なっ てい るとと ろ)
各 科 目 の受講者 氏名 は次の通りであ
。夏 期 講 習 会
る。 (敬 稔 略 受付順)
歯科医療管理、 放射線、 口腔外 科、
︹
歯科医療管理 ︺笹 本和 見、 佐藤泰彦、
矯正 、繍 綴 、 歯科に関連する臨床 医学、 佐藤 春 夫 、小 島建 て 矢 野 義 明、 長谷
小児歯科など七科自について 、 七月十
川汎、 三村 力松 、五 藤育男 、 平 山真 佐
一日より三日間づっ 、酷暑 の中を二十
雄、 奥 家 広 て 宗片な ほ子、 荻沼護郎、
七日まで講習を行な った、 各科とも講
、 平 山浄二 、 武田治、
、 井上 良和
沖良 和
義 、 示説、 実習に非 常 に充実 した 講習
岡英 男︿ 十 七 名)
内容をもり乙み 、特に全般にわたっ て
茂子 、 横 瀬 真 消、 字
︹
放 射 線 ︺木村移一
実習に重点 がおか れて 行なわ れ た乙 と
、
梶淳 、 安 井 哲 男 、 三宅康夫、 大 浪 美正
、 気
は、受 講者に とっ て翌日からの臨床 に
西川 啓介 、 松田力夫、菅原 壮 一郎
賀 元 彦 (十名
﹀
︹口腔外科 )木村夜茂子 、 横瀬真消、
矢 野 義 明、 中 川 しづゑ 、 瀬 高 良 て 西
垣正光 、寺門乙二、岡田一郎、 吉田登
代 (九名)
︹
矯 正︺ 菅田晴山 、小 鹿 栄 て 笹 本 平
蔵 、 沼沢徳子 、 山下敏彦、 堀泰昌、山
、
口亭、 山田仲人 、 佐藤昭雄、 山田勝朗
高 田 直 秀、 佐官勝実(十二名﹀
補 綴 ︺島 秀 雄、小池千白 、 西川稔、
︹
五十嵐敏三 、 工藤 恵子、 井本桑敏、 大
野 季 彦 、 辻井盈子 、 山田敦子 、小松忠
義 、 早乙女勉(十一名﹀
︹
歯 科 関 連 医 学 ︺平 川幸 矢、 矢野義明、
斉 藤 武 彦、 菅野哲司、 由良竹三 、 桜井
、 竹 花 和 朗、 藤
直 刻 、増 田 一、 越智惇
江 昭 (十 名)
、 駒田進、 深山
︹小児歯科 ︺菅田晴 山
正之、 東 海 林 修、伊藤正雄、気賀昭子
(六名﹀
⋮0第 七 十 二 回 同 窓 会 総 会 (予告﹀
戸
一
十 一月 十 二 日︿土噂)午後一時より母校において開催の予定です。
A
一 一
⋮
十 一月十 三 日(日曜)午前十時より母校第一教室において開催さ れ、午 一
後 は 講 演 会 開 催 の 予 定 で す。
山
長
⋮0同窓会評議員支部長会 (予告﹀
ッ クとその処置
。第七回シ ョ
五月二十九日、母校同窓会タ ラプ室
において開催された。受講者は 、 弁 頃
歯科医による 小 児 の麻酔によるショッ
F死など の不 幸 な事件が報道されたた
めか 、十 分 な 知 識 の吸収のために熱心
に講師の田村八郎博士 の講演を傾聴さ
。
れた
受講者氏名(敬称略)笹本和見、 北
、
井清英 、 井 上 良 和 、 土 屋 太 郎 阿 部
勤、笹本平蔵 、山 下体司、大月核子 、
東金繁、 春原定却水、山 路千秋 、 植 松 文
﹀
鏡(十 二名
。第 八 囲 内 科 疾 患 を 有 す る 歯 科 患
者に対する臨床検査を 中心 として
、
六月十 二 日、 母校市 川病院において
講 師 に 院 長 鈴 木 弘 造 教 授 、和 田 知 雄 助
教授をお願いして 、 貧血 、高血圧 、 糖
尿病など の患者で 、抜歯、 手術などの
歯科治療を行なう際 の必要な内科的知
一
識ならびに臨床検査について講義と実
、 明
習がなさ れ た。受講者の中には 山形 県
三重県など遠方から参加さ れ る先生も
Z
、 隣接する臨床医学の知識の必
おら れ
新評議員
H向山英三
O支 部 推 薦 に よ る 評 議 員
札 幌 H林 武 夫 函 館
小樽 H長 谷 川 修 旭 川 H佐藤邦重
H杉 田 末 土 口 青 森 H石川芳雄
室蘭 H鈴 木 又 士 日 空 知 日 成 田 武 雄
釧 路 H服 部 敏 夫 北 見 H佐々木=一知夫
十勝
岩手 H金 子 康 雄 秋 旧 H山内馨児
宮川叫 H小 山 間 賢 山 形 H寸前勝利世
H岡山正いわい群馬 H森 下 寿 夫
福 山 H伊 政 英 雄 茨 城 H小紙不 二男
栃木
説
ま
H北 川 貞 一 四 谷 H鈴木録二
H須
藤至浅草
H高 田 輝 男
牛込 H北 村 宗 久 淀 橋 H高橋敬文
文﹂爪
下 谷 H古 谷 桧 茂 墨 凶 H関谷コ一郎
品川 H大 塚 豊 美 目 山一
⋮H中 尾 一 彦
大 森 H安 達 直 蒲 回 日 佐 々 木 力
世田谷 H波 辺 正 信 玉 川 H版 島 怒
渋 谷 H小 池 千 白 中 野 H荒川絞喜
杉並 H岩 永 行 正 豊 島 H長 尾 英 典
北 H古 同 北 義 雄 滝 野 川 H松 氷 芳 太 郎
H小
坂力城東日古川忠夫
荒川 H清 信 静 夫 板 橋 リ 谷 一回目
練馬 H高 橋 六 一 足 立 H児 玉 正 義
深川
村 旭 北 多 摩 川 U吉 升 三 郎
H旧 日 芳 治 葛 飾 H桜井善ノ行
H中
江戸川
八閣
O会長指名による評議員
然誉治
霞泰
梅田寿一一一
山崎安三
官下請
小宮山昌雄
伊藤世間
村山義孝
クラス代表評議員
e
κ
A
踏志会
信
H伸行文彦
O
床上浸水
=一衛(専問課程)
学校支部
幻 橋 本 勝 典 お杉浦秀三
床下浸水
福本博
文京区支部
ロ高橋一夫
常木 登 司 雄 ( 北 蒲 原 郡 )
MM
お中 川 平 吉 ( 新 発 田 市 )
伊 藤 福 松 大 2南保義雄
新潟県支部
回佐々木正矩
四森 朗
神奈川県支部
幻早川嘉彦
北多摩支部
幻荒 井 賢 一 大 凶須 藤 至
文京区支部
M 堀 将 ( 床 上 五 十 糎)
教山本又雄(進学課程)
中野区支部
お相
O
会 H渋 谷 孝 麿 鹿 鳴 会 川藤
6月叩日 総 務 部 会
h 尾木好
7 月 日 日 1 7 月 幻 日 夏期 講 習 会
七星会 H小 川 洋 蜂 和 会 H榎 本 太 郎
7月幻日 学術に 関する座談会
昭久会 H安 達 嘉 典 天 心 会 H安 嶋 宣
7月初 日 医 政 部 委 員 会
忠 仁 峰 会 H堤 敏 郎 燦 志 会 H安 藤
正 堅 久 会 H佐藤知也一士山会 H児
玉良知一一六会日熊谷一義 十 六 会 ハV水害見舞
6月
ω 日台風四号による被害地区の
日 三 島 平 八 郎 五 十 一期会 H久 木 留
支部長宛見舞状並びに被害
一 広 五 十 二 期 会 H山崎文 男 い ず
調査の依願状発送
み会 H三 宅 直 晴 い と し 会 H長 井 義
博 い す ず 会 H長 田昇 い そ む 会 H 7月2口近 畿 地 区 支 部 宛 発 送
一 7月日日 台風四号による被害会員に
武石義弘 千 秋 会 U佐々木達夫
見舞状発送
則会 H片 倉 八 朗 二 期 会 H猪 鹿 倉 兼
7月 日 鹿 児 島 県 支 部 ・山形県支部
三 股 脱 会 リ 倉 橋 和 啓 四 期 会 H藤
日
刊 新潟県支部に対し見舞状 ・
村
山
川
則 会 H二宮 哲 夫 六 喜 会 H
複波調査の依願状発送
服 部 ぷ 門 ジ 1ベン会 H山本 啓 介
八紫会 H菊 池 山 定 久 喜 会 H伊 藤 博 夫
AV
台 風 四 号 お よ び 集 中 豪雨により被
卜則会 H小 坂 剛 也 歯 士 会 日 大 和 田
害をうけられた会員は左の通りです
口同巳会 心からお見舞申し上げます。
虫 一 十 今期会 H池凶正一 山
H大作京一
近
︿
V
役員出張
6月 ロ 日 三 重 県 支 部 総 会
五十川風型事
6月 初 日 渋 谷 区 支 部 総 会 天 野 理 事
7月mH 福島県支部総会田丸会長
7月幻 日 新 潟 県 水 害 見 舞 天 野 理 事
7月見日 都 内 水 害 見 舞 大 橋 理 事
山本理事
会 H沢 口 源 作 大 四 会 H春以定栄
明正︿ム HH一品川秀男無 二会 H堀 江 錠
一一 水 会 日 鈴 木 重 五 郎 東 四 会 H
一
一
成 川 隆 則 正 二会 H広 瀬 文 質 丁 巳
互発会 H杉 山 間 多 赤 心 会 H河 村 亮
神 奈 川 県水害見舞
高木理事
8月4H
久 治 成 午 会 H神 作 藤 士 口 新 窓 会 H
滝 沢 一 郎 申 歯 会 H氏 家 英 輔 十 年
AV
行
事
会 日 秋 山 基 二 壬 成 会 H谷 園 輝 更
三 十 四 会 H欣 川 福 繁 珊 瑚 会 H中
生会 H前 回 卯 太 雄 更 始 会 H山 本 糧
村 鉄 雄 昭 二 会 H島 田 宗 武 三 辰 会
由
・
5
(北蒲原郡)
お 佐藤泰彦(新発田市)
神 奈川県 支 部
幻 八木達次郎 白 土 橋 康 男
新潟県支部
お渡辺正義
6中村文一
5・HN長谷 川 汎
。 市 川病 院
台 風 四 号 の 影 響 を 受 け 、市 川市 内
にも出水し 、 市 川病院も木造病舎の
一部に浸 水 し た 。 教職員の努力で た
いした被害もなく、患者にも異常が
なかった。
日 小池千白
支部長交替
中島賢
渋谷区支部
V
︿
由
・
ロ 佐藤武正
E
中野区支部
宮城県支部
逝去会員
O 墨田区
四一、七、三山 梨県
謹んで右の方々の御室︿福をお祈
り致します。
菅貞治
四
一
、
也
、
一 O 秋田県
知外圭三四一、七、一回静岡県
勝俣里治
荻原安太郎 四
一
、
六
、
ニ O 和歌 山県
削岩元英貞四一 、
也、=一新宿区
n
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如上原栄四一、也、九中央区
7建 部 忠 一 四一、也、一九札幌
押 野 次 作 四一、七、六 室蘭
日好 田 俊 夫 四 一
、
也
、
四 杉並区
知川崎千仰竺、同
。
。
7獄 崎 不 可 止 四 一 、 鹿 児 島 県
幻根 本 博 之 四 一 、 六 、
ニ六中央区
対佐々木弘作竺、六、ゴ一
能治太郎四一、五、吉一兵庫県
鈴 木 芳 吉 田 一 五、
天 神 奈 川県
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埼玉 H小 杉 太 郎 千 葉 H U京倫 彦
神 奈 川 H小 池 光 維 新 潟 H勝 井義 介
富山 H関剛 郎 石川 H同村 宜 猛
コ
嵐 嘉 秋 山 梨 H大 森 茂 春
福井 H五 十一
南 信 H堀 英 一 郎 中 日 H山崎健
一
H矢 島 正 三 郎 岐 阜 H中 仏 律 郎
義胤
北信
H滝
H浅
井寿一尾張
静岡
H村 旧 義 卒
梢 三 郎 滋 賀 リ藤原鎮雄
H城 所 定 雄 西 三 河 H平岩宗一山十
H柘
東三河
三重
京 都 H小 池 弘 大 阪
兵 庫 H沢 田 英 三 奈 良 H岩 崎 之
和歌山 H明楽佐一郎島根 H佐 和 和 美
鳥 取 H小 徳 静 夫 岡 山 H梅田寿三
広島 H中 村 議 兵 衛 山口 H伊 藤 保
H横 矢 重 和
徳 島 H猪 子 寿 一 香 川 H平 田 正 儀
愛 媛 H佐 藤 一 高 知
H栗 林 真 吾
H北
正朋佐賀
福岡
長崎 H田 中 健 之 助 大 分 H野 上 順 平
熊 本 H大 関 英 明 宮 崎 H浜 田 良 箕
鹿 児 島 H新 版 広 光
μ
6川 9川 一疋例役日以会
、
︾ Tjo&11 H曜セミナー(市川病院)
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l 会計部共済部合同委員会
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﹂ 役
会
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松 井 隆 弘 四 海 会 H山 口 重 敏 昭 伍
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学校 H長 尾 喜 景 千 代 間 H山 路 千 秋
的ノ H小 野 虎 次 郎 脚 本 H饗 庭 格 太 郎
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H今 野 忠 夫
短
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京 橋 H赤 穂 英 一 芝
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長 三 ギ 苅I上
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伯 七 武 位I五
評
相
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出
張
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では鵜長教授とともに国際口腔科
。人 事
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講師
笹 本 和 子 ( 小 児 歯) 7 ・9
毛利知忠(市病耳鼻﹀6 ・お
今村嘉男ハ保存﹀
増田春野(生化﹀
5 ・幻
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7 ・6
学 的 研 究、 歯 科 学 第 報筋 巻9号 、 主
ジシジパルプラウン ・
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30g ¥
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副手
助手
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5 ・M
辞職
助手
清水和子(生化)
鈴 木 英生 お 年 半 4 ・日
亀 谷 博 昭 初 年 卒 4 ・-
副手
微生物
専攻生採用
法
幻年 卒 4 ・
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年 卒 4新井永
四
日
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泉地栄十一対 お 年 卒 4
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勝 畑 知 雄 鈎年 卒 4 ・
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根木卓光
年卒 4 ・
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明
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浩 幻年 卒 4 ・
山
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波辺弘
宮 下 恒 太 お年 卒 5 ・1
ω年 卒
小 林 一 夫 初 年 卒 6 ・ru
山浦俊一
初年 卒 7 ・6
渋谷利雄初年卒 7 ・6
笠原享
。学位受領者紹介
稲浜洋一君
昭和三十年母校卒
室講師、主論文、
業、母校保存学教
無圧法による即時重合レジン充棋に
対 す るプ ロ テ ク ト セ メ ン ト を 以 て す
査関根永滋教授。
る間接歯髄覆軍法に関する臨床病理
・
非常勤講師今村嘉男(保存﹀6 u
280
鈴木和男助教授
ストックホルム、
ベンハ!ゲンに出張
母校法歯学教室主
筏は八月日ス
任の鈴木和男助教
ト ックホルムで聞
さらにコベンハ 1ゲ ン に お け る 第 四
かれる第 二 国交通災三医学国際会議
回 国 際 法医学会に 山席 のため八月 七
日夜 羽 凶 を 出 発 し た 。 な お 同 助 教 授
は 学 会 終 了 後 欧 州 各 同ω法 歯 学 教 育
に ア メ リ カ に 渡 っ て F B Iは じ め 犯
および社会治安事情を視察し 、 さ ら
罪捜査機関および監‘察医務状況を視
察 九 月 二 十 四H帰 国 の予定である。
の高添一郎助教授
羽賀通夫
8・
幻
助教授
教授昇任
HU・
はモスクワで開催
μ
4
砂
非 常 勤 講 師 柳 川 浩 ( 補 綴)7 ・5
新任
助手前凶和男(保存﹀
講師昇任
講師渡辺正(保存)
HU ・
(補綴第三講座主任)
(補綴第二講座主任)
され た 第 九 回 国 際
微 生 物 学 会 な ら び に 口腔 線 状 微 生 物
関根弘
二括協の分類命名委員会に出席のため
七月 二 十 二 日 羽 田 を 出 発 し た 。 な
お、 同 助 教 授 は 学 会 終 了 後 、 ス ト ッ
クホルム、コベンハ 1 ゲ ン で 留 学 当
時の協同研究者らと旧交を温め 、 研
究 に 関 す る 意 見 の 交換 を 行 な い 、 さ
ら に ア メ リ カ に 渡 り、 東西 沿 岸 主 要
日帰国の予定である。
都市に関連研究者を歴訪し、九月十
助教授昇任
助教授
母校微生物学教室
モスクワへ出張
高添助教授
十七日の予定である。
学 会 に 出 席 さ れ る 。 帰 国 は 十 二 月二
7
填 学 を 小 心 に視察される。途中ロ 1
地 の歯 科 大 学 を 歴 訪 さ れ 、 世 界 の 充
マルメ、スト yクホ ル ム な ど 欧 米 各
される。同教授はコベ γ ハ1 ゲン 、
三十 分 、 日 航四O 一便で羽田を出発
日(土)午後十時
'授は 、 八 月 二 十 七
科、渡 辺 自 士 夫 教
母校市川病院歯
鵜養、 渡 辺 両 教 授 欧 米 視 察 の た め 出 張
母校補綴部、部長
鵜後弘教疫は世界
の歯学の現状を視
察のため 、 八 月 二
十 五 日(木﹀羽田を出発される。同教
授はオランダ、デンマークらど欧州
ロ ヶ国および米同各地を歴訪され、
途中ロ 1 7の第五回国際 口 腔 科 学
会 、 ダラスの第一O 七 回 ア メ リ カ 歯
科医師会総会ならびに補綴学会に出
席 さ れ る 。帰国は 十 二月二 十 八 日 の
予 定 で あ る。
上田教授
可d'
副院司直 喜 一 教 授 は 九 月 九
ベリヤ経由出
発される予定で九
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ウィーンに出張
1411凋圃・ 母 校 衛 生 学、 上 回
・
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月 十 八 日 か ら ウ ィ ーン で 開 催 さ れ る
第十五回国際産業側生学会に参加さ
。同白円四件白-色白宮司乱刊﹃白口円。円可国ロ己
れ﹁宮内与三ヨ巾2 ロミ吉唱曲目同巾
目昨日ヨ曲目的可三回 Oロ
5間﹂ の 演 題 で 発
表 を 行 な い 、 同 時 に 同 学 会常 設 評 議
員 会 に も 出 席 す る 。 さ ら に 九 月 二十
六 日 よ りチ ェッコ ス ロパキヤ のプラ
イ スラパ市で開催される第三回国際
農村医学会に特別講演をされる。な
コ
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助 手 吉 田 孝 一 ( 市 病 耳 鼻)
¥ 200
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1,
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ネオ製薬工業株式会社
280
ゴーノレデン 7'ラウシ・・ 3
0g ¥
非膜度が薄く,前装歯に賞用されます。
ライトク.レー.....・・・・・・・・ .
3
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g ¥
歯髄保護と同時に永久合着裏装に好適
ラ イ ト イ エ ロ ー -ー
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0g ¥
カラープロテク トセメント
装
.包
4つの色調で広範囲 な用途
理織工 歯
理
音
。 理綴
生組理
病
解薬 補
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の研究者を歴訪される予定である。
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お 学 会 終 了 後 は 米 国各 市 の 弗 素 問 題
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同 窓 安 井 哲 男 ( 昭 和2
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特練馬で開業)
同窓五十嵐敏三
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(昭和33
特山形県新庄市で開業〉 j
司会編集部理事渡辺富士夫
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記録編集部理事高橋重雄
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同
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引ノのれ(_
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事業部長松宮誠一
事業部理事山本為之
事業部学術委員佐藤貞勝
(昭和 1
8梓 佐 藤 歯 学 研 究 所 身 長
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座
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山山市閉山内河内向内内--<"""~'ヤ山内内山内a村山
、 現在は
教 育 に た ず さ わ っ て お られ
開業されているので、両面から研修
同窓会講習の特長
でもたれていたわけです。
ないと思って 、 夏 期 講 習 会 という形
それぞなんとか打破しなければいけ
です。そしてどの程度のと乙ろにあ
しにするために講習会を受けるわけ
るかわからないわけです。その物指
分 の技 術 が 今 ど の 程 度 の と こ ろ に あ
夏 期 講 習 会 を 中 心 と し て 、同
窓会の研修事業について、お話しを
くださる立場におられるのではない
事業について正しく批判をなさって
渡辺
伺いたいと思います。まづ担当者と
かという考えから、先般お願いいた
を知るために受講するようになった
良しなければならない。という乙と
る か を 知 り、 そ し て 乙 う い う 点 は 改
しての抱負をお願いします。
渡 辺 うちのやり方と他の講習会の
相違点を一つ
事業部の理事を担当しまし
しましてと意見をうかがいましたと
山本 本 校 の 夏 期 講 習 会 で は 三日 間
非 常 に 充 実 し た 内 容 で や っていま す
パイプの役を果したい
松宮
とろ ζ の 点 を 強 調 さ れ て お り ま し
た。いずれにしても研修事業は同 窓
わけです。
私も田舎で開業しているも
の で す か ら、 どうしても長い間には
五十嵐
ね。学生のつかっている場を借りる
こ と が で き る し 、 こ う い う ζとは先
てから考えている乙とは、研修事業
は学校と同窓、同窓会と支部という
もののつながりをつける一番大きな
会が同窓に対して奉仕の一番中心と
な る も の で あ っ て 、 乙れがわれわれ
としてもやりがいのある仕事である
と、 卒業式で学長先生の﹁授けるべ
きは授けたり﹂という名セリフがあ
山本
まずから講習をうけた翌日から自分
で や っ て み よ う と い う ζとができる
同窓会がなぜ研修事業にカを
で あ っ た か と い う ζ とです。計画の
りますね。血脇先生以来そういうこ
わけです。
パイプの一つであると考え同窓に対
する奉仕であると思っております。
と思ってやっております。
悪い ζと が 多 い の で す が 、 整 ったス
タッフ のカ を 借 り て 、 これが補習的
な科目、さらに高級な学問になろう
んですね。そして何か近ずきがたい
問題については同窓が講習をうけに
とになっているのですが、 そ れ は
からその点でご意見をお願いしま
渡 辺 今 い っ た よ う な ζとで佐藤先
生 も よ く 主 催 し て や っておら れます
ますね、講演に行ってもそうです
渡辺
絶対の魅力であるわけです。
たしかにそういうこともあり
かというふうに一見してわかるのが
ああそうか、そういうふうにやるの
す。それと講演会ですと一方通行な
かめるつもりで来だしたのが始りで
遅れていやしないか、その点をたし
不安になってくるのです。自分でや
っていることがはたしてよいのか、
そしてその主旨でやってきたわけで
渡辺
とも学びやすい態勢がとれているの
で 、 そ う い う 点 で ζ の学校でやって
っていることは百間一見にしかずで
わけです。しかし乙の学校に来てや
しなければいけないと思います。
きやすいように早く計画を立て発表
て、歯科医として全く完全であると
Cロ仏叩門 岡
Z 門日ロ丘町 において授ける
ものは授けたりと云うことであっ
生が一人でやるといろいろと具合 の
す
。
研修事業をやる上において反省し
入 れ ているかという点を山本先生か
らお話し願います。
いるのは非常に高い次元でとらえて
同窓会研修はなぜ必要か
なければならない点が二つあると思
います。それは 、 計 画 と 内 容 が 適 当
毎年三月の終りになります
いると恩いますね。実習がともない
Z
Egnoc門的問﹀のような一年を
間ι
を同窓会報に毎号のせようというと
として大学に開設さ れ て お り ま し
でもわかります。 外 国 で は そ う い う
問題はどういうふうに解決するかと
円犯
02m円白色 丹市
いいますと 司
ね。それが事実であることには開業
してみ れば す ぐ に 壁 に ぶ つ か る ζと
して授けたというわけではないです
は後で具体的にお話していただくと
ね、 そのねらいという乙とについて
渡辺
率が少ないと感じますね 。
ねらいという乙とが問題です
必 要 と し て い る か 、 そういう﹁ねら
い﹂をつけて計画しないと成功する
佐 藤 いつでもねらいとするととろ
は開業しておられる先生方が今何を
す
。
がありますね。
らうとやっている方も大変はり合い
そういうと乙ろに意義をみつけても
なるほどおれもやればできるという
向があるわけです。(笑)だがこの
ζれ は 外 国 の 大 学 で や っ て い る ポ
スト・ グラジ ェlト コ1 ス (HVD 凶 仲
通 じ て の 計 画 令 早 く 発 表 し て 、 それ
とです。そうす れ ば遠方からお出で
て、 自 分 の 弱 い と 乙 ろ を い つ で も 補
習するととができるわけです。しか
して、 謙一習会を受謝。さ れる目的をお
ね 。 学 校 だ か ら で き る ん で 、実際に
は む ず か し い の で は な い か 、 何パ ー
セン トか は 疑 惑 の 阪 を も っ て 見 る 傾
科大学でなけ れ ば 聞 け な い も の で あ
し日本では開業医が勉強する場がな
願いします。
ってみら れ る と 思 う の で す 。 つ ぎ は
内 容 の 問 題 で す が 、 乙れは、東京歯
安井
事業部学術委員の設置
して勉強できなかったのと卒業して
あ る 程 度 年 数 が た つ て き ま す と 、自
す
。
るのですが、開業の臨床技術を高め
同窓会としては研修事業をよ
よりよくするためには
ですか。
松 宮 佐藤先生もいわれたようにね
ら い を 、 わ れわれが早くとらえる必
りよくするためにはどうしたらよい
渡辺
乙とになるのではないでしょうか。
ような講習会でじかにふれてみると
ることが必要ではないかと思いま
いわけですね。従来学位が欲しいた
になる方も十分な余裕と予定をつく
日常の臨床家の先生方に直結する
め に 研 究 室 に 入 る わ け で す が 、 乙れ
ることはできえなかったわけです。
E gz
ような内容をもり上げて行乙うと、
はかぎられた専問の分野で高められ
という方々を 何 人 か お 願 い し た の で
私は、こんなつもりで受講した
私たちのときは戦時中でたい
いたしまして事業部直属の学術委員
そ のような意味で今度理事会に相談
すが 、 乙の方々は 、 かつて学校で
ろうというわけです。
業と本部の研修事業の緊密化をはか
要があるし 、 そ れ に対してよりよい
計画を立てる必要があるし 、 それ が
渡辺 今までやらなかったのがおか
しいくらいで大変 結 構 な 乙 と で す
が、 まあ総論的なことは乙 れぐらい
にして具体的に同窓の先生方は 何 を
ねらっていらっ し ゃいますか。
なにを望むか ワ・
安井 ζこにくる前に一寸聞いてき
たんですがね。母校の講習会にきて
も学生時代の ノ1 ト をひっくり返え
すと結局同じで 、 もうききあきたと
いうんですね。どちらかというと今
まで、きいたことのない他の学校の先
生のものを聞きたいというわけで
す。まあ 、 これは個人差という乙と
がありますが 、 私は講習会にきて知
っているんですが 、 新らしいことも
あり、また日常応用してない部分が
沢山あるわけですね。講習会にき て
五十嵐 そうですね 、 それと講習会
で、 これはなかなかひずかしいと思
う
、 五
た 保
大事だと思いますね。今度学術委員
会というものを作ったのもそれが大
きなねらいで今まで事業部の担当理
事だけが頭をしぼってやっていたの
を大衆の声をきき 、 衆知をあつめよ
うというのが目的です。ですからこ
の点を私どもは敏感に開業されてる
介生からキャッチし計画をたてよう
というわけです。それからもう一つ
司口丘 四E
白 n
。ロ﹁ 凶巾的なものに
﹁C Z
もっていって年聞を通じて始終新ら
しい知識を学び、そして医療の向上
をはかるということを考えてゆく
と、 これは大学としてはできません
ので同窓会の事業としてやって行
主、 アメリカでやっているように一
年を通じてのプログラムがちゃんと
できているという点にまでもってゆ
き、全部の方が受胡刑してたしかに側
訴をききますと 、 忘 れ ていた所を思
い出してやりなおすのに非常に役に
も の を 理 解 し て い た だ き 、ど う い う
いますが 、今 ま で 各 科 目 Cとに一一一日
間づつやっていたんですが 、 ある疾
立つわけです。
ものが現在行なわれているかという
ことを知っていただいて受講してい
ちろん基礎も臨床も含めて綜合的に
病 を 中 心 に し て 関 連 す る 各 科 が 、も
仰がめったということにしていきた
いと思います。またもう一つは地方
の支部の方にももう少し研修という
ただくというように連務を密接に行
r.
,
.
.
遡 art ,
司
r
;:~戸'T!'"F 究明軍司圃圃圃圃圃圃岡脚ー なで
F ・ 骨可
せい非点習 I
なうわけです。そのために 各支 部 に
一貫性のあるやり方をすれば大変面
佐藤 綜 合 的 な 隣 接 科 目 の 関 連 性 と
支 部担当の 学 術 委員を支部長さんを
いうわけですね。
白いのではないかと思います。
部とのパイプ役になってい﹁だく乙
渡辺
通じて お願 いし 、 その方が支部と本
とが売日の理事会て決定をみまし
けですね。
山本 間に為さるわけですね。
今までのは縦にやっていたわ
た
。
これは各火郎氏さ'
J
N学術委
五十嵐 そうです。
渡辺 たしかにそういう傾向はあり
ますね。この前の邦演会に﹁立体シ
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蛸 戸 泊・ 圃臨 書 量 盟底 忍 選置 ・ ・ 園田 瞬鑓 塑事 っ き は は 。
い
だと
魅い
山本
員を推薦していただくわけですね。
学校を卒せ忙して十五年か二十年ぐら
いのな?べく清い熱心な人を選んで
いただき、その地区における研修事
0
う 山 ん う 常 が 会 で が く し を 断 的 。 ま き さ ら に が な 線 、ま 勢 般 近 が ん 乙 ゃ ん 存 私 十 松 ね γ
こ本 ね点 I
L 強 、し 大 乙 て 処 で な 綜 す て れ 要 皆 非 が の 横 す を の の 、で と つ で は も 嵐 官 らポ
と
。 も う く 日 ょ 切 と 行 理 物 相l合 ね い て 望 か 常 り つ の と み 趨 一 段 す な で す 保 非 先
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ばらイ会!
〈 E t;事溢醤圃酎圃・幽.....>>圃量臨~ぷヨ臨襲語圏れ にや今なしよも
カにとぼしいというととなんです
ね。総論的に、きいてみると 、 きて聞
五十 嵐 一日であ れ だけの乙とをや
るのは大変で す ね
。
そうですね。
松 宮 そして同窓会法事業部を中心
として研修事業をさらにもり上げて
ゆくために 、 同窓の 皆 さんも こ協 力
くださり日本でも最高の研修事業に
一同
乏な損をしている乙とになるといえ
ますね。
同窓の皆さんが利用しないことは大
よ。ですから ζう いう設備とこうい
う企耐をもっ て やっている講習会に
り、 い ろ い ろ 考 え て や っ て い ま す
巡習会のために新らしい資対を つく
熱心ですね。いつも感 心 していま す
・
が :e・
また 、 同 窓会の理事も一生
e
懸命ですが 、 これ を行なう大学の先
生方の努力もまた大変なものです。
の窟洞形成 だけでもよいわけです。
渡 辺 最後に 、受講者の態度は大変
︾
zm
EB
E同 丹 市 コ
。
れるわけですね。 同
ー スというだけで し たら小宮 、裂溝
わけで す。ですから需要がよく患者
さんが多 いわけで す。いかにして早
く処置を 行 なうか という 乙 と で す
ね。ですから医療管理がとり上げら
いま す ね、日本では需要と供給 のバ
ラ ンスがア メリカと逆 になっ ている
し つ つ乙んで勉強しな
く方
は
も
う
少
と
日
本 の講習の 遠 い
渡
辺
ア
メ
リ
カ
ければいけな いと思い。そこで夏期
。
に ついてど う です か
講習会のような専問的な分野でそ れ 佐 藤 国情と医療制 度の違いだと思
を修得するわけです。もう 一つは 一
日位でなんとか消化できる教養科 目
のようなものがあるわけですが 、 こ
会報に出す場合でも表題だけ
れは 日曜セミナ ーでやって行乙う と
いうことが 、 どいたい僕らの基本 的
な考え方ですね。
佐藤
ではなく内容についても短かくて も
よいからある程度書いた方がよいで
すね。
簡単に考えていたことが実は茎要
な意味があるのピという ζとがわか
る程度まで書いた方がよいですね 、
それは受識者に対して非常に新切で
会報の編集 上 の面で考えるこ
すし 、 ある程長内容を 理解した上で
聞いた方が 理解が早いという利点も
あります。
高橋
とですが 、支部のうとき 、 クラス会
だよりなどを削ってもそういった内
容を入れるべ、きでしょうかね 。
五十嵐先生、読習会をうけた
佐藤 そう思いますね。
講習会 欣 うけねば損
渡辺
感じでなにかよかった乙とはありま
なるようご協力いただきたいと思い
母校の講習会は非常にょい
五十嵐
せんか。
と思います。講習会のテ 1 7以外 で
も 直 接 質 問 し 、 日頃の疑問が解 決 さ
写真は左から 、 安井 、 佐藤、 J
﹁
、渡 辺 、 松 宮 、 五 十 嵐 ﹂
f 本
山
ます。
渡 辺 どうも お 忙 し いと乙ろをあり
がとうございまし た。
(文責在編集 部)
れ る点はうれしいですね。まあ、 母
校のありがたみというわけですね。
渡辺 隣 接 医 学 の 講 習 を う け ま し た
ね、 お二人とも 、 どうですか。
私は面 白 いと思います。
安井
限をみはる。風穴の探求は、太古の
り 、ま ず 白 糸 の 滝 か ら 始 ま る 。 門 然
の 迄 っ た い ろ い ろ な 景 勝 に 、 驚異の
富 士 市 か ら、 五湖巡りコ 1 ス を と
て、中山一昏頃、中山の夜泣き石を見学
に向う 。 途 中 臼 仰 隊 の 富 士 学 校 の 前
を通過 。 沼 津 か ら 国 道 1号 線 を 直 下
し、 清 水 出 ゃ 、判官呂 巡 跡 を 見 学 し
には懐しい 、 御殿場線に沿って沼津
V豊
原始人を想像したりして。
愛 知 県 の 豊 橋、 豊 川 、 新
城 、稲 部 の 四 市 、 南 北 設 来
宝飯郡の 四 郡 に 在
郡、
嵐美都 、
の 名 調 子 の 案内 に 、 車 中 の 和 や か な
ことっつ言つぎに展開される。富士
夜の 1号 線 は 、交叉する草のヘッド
手きに一同賞讃。
く、始終快適な旅ができたことは 、
車の豪華さもさることながら、城所
2日 間 共 に 、 珍 ら し い 程 の 好 天 候
に必まれ、車中一人の事故者もな
は 少 い 。 豊 橋 に つ い た の は 午 後 8時
ライトの光がまぶしい 。
日曜日だけに 、 マイカー旅の多い
こと。涜石に長釦離輸送の トラ フク
掛川あたりで、口は全く繋ちて 、
の雄大な裾野 、視界に広く拡がる 。
日本の土木工学の粋を結集しての、
白土五合口までのドラプコ 1 スも試
したが 、 伝 説 の 小 夜 中 山 云 々 の 乙 と
があるだけに 、パ ス会社の演山の上
部立派な舗装近隣・となり、カイド販
東三河地区と呼称している 。
大正 日年 に 凧 脇 先 生 が 、 来
県された際に、郷土の英傑豊
臣秀吉、徳 川家 康 の 頭 の 二 字
をとって 、愛知県の同窓会の
呼称を﹁農徳会一と命名して
宿舎で、早速に定時総会を聞く。
すぎであった。
城所会長の挨拶。 庶務会計報告。
乗できて 、 目 的 地 の 河 口 湖 畔 の 到 着
は 午 後 5時鈎分。統石に観光パス会
本部の諒解を得て、愛知県豊
祉の予定時間通りの巡れ打。
徳会から、分離独立して、正
議 事 に は い り、最年長者、大正 8年
卒の西村禎祐先輩に防長をお願す
みとして、親睦一泊旅行事ぞか
本4 の定時総会は、従来と
は型をかえて、全く新しい試
浴場に 、旅の疲れを洗い落してか
成 の意志表 示があり、すべて執行部
提案の乙とがらが、円満複に終了。
加を上程、これまた全員の拍手で賛
本会に膨問をおくことを得の一条追
新緑薫る四月十七日、田丸会長を
旅行の概況を記して、総会報告とす
す 。 支 部 結 成 叩周 年 記 念 の 籾 陸 一 泊
る。 任期満了に伴う役円以選挙は、会 会長始め拘当各役円以の川到なる計聞
長沼任その他の役員は 、城 所 新 会 長 と配慮による'もので、参加者一同氏
に一任で拍手 。規約一 部改正の件は 、 かわり、紙上を借りて謝意を表しま
ねての総会を催した。
年聞を通じて、一番宿泊地
ら、旅館白慢の大宴会場において、
詳細にわたり耳目があった。
また学術副都演は町田教授より抜
髄 、 根 管 治 療、 根 充 に つ い て 長 年 に
(出席会員三十二名)
わたる研究の成果をうかがった。
第二日。あけて お 日 の 早 朝 。 素 晴
しい富士の姿をカメラにその勇姿を
発露。談笑、快笑、にぎやかである。
ω
加もあって 、大正 8年 卒 か ら 昭 和
年卒まで 、 す べて母校に繋る﹁和﹂の
いかと満場一致で決定された。
月歩の歯科医学を見聞しようではな
果、一 泊してリクレ 1 シ ョンをかね
て第三回の母校病院見学をして日進
活発な意見の交換があった。その結
り、今年度の事業計画については 、
き続き本年度の事業計画の一つとし
任幹事と、地区幹事の名簿を発表、引
V愛 知 県 尾 張 支 部
納めている。全く気持のよい湖畔の
田丸会長より母校の近況と 、 同 窓
V栃 木 県 支 部
る。(彦坂記)
の閑静な 6月お日 初 日の両日
凶周年記念の懇親会が 、 盛 大 に 行 わ
朝だ。
会と大学との緊密化その他について
会計報告を幹事報特通り承認し、
告、
議事に移る。
議事は滝支部長の指名に依って常
滝支部長の挨拶に続いて、庶務報
六月二十六日 、 私 共 愛 知 県 尾 張 支
部の昭和四十一年度総会を開催した
高橋教授をお招、きして
午 前 日 時 、宿 舎 を 出 発 、 山 中 湖 を
経 て 、 昭 和 ロ -U年卒のオール ド組
れ た 。 勿論地元の キレイドコロの参
を選ぴ 、場所は富士五湖の一
つ、、河口湖畔にした。会長以
日は天候に出まれ、午前 8時
梅雨期に珍らしく 、6月お
了した。
重協議を重ね 、6月 7日 まで
に、通知その他の前準備を完
ら 、 旅 程 に 関 す る 準 備、 会 員
への通知状などについて 、 慎
下幹事諸氏は、 5 月 下 旬 か
お招きして 、 栃 木 県 支 部 総 会 を 鬼 怒
川温泉一心舘ホテルで開催した。当
日は 、 役 員 よ り 庶 務 、 会 計 報 告 が あ
年である。
足したのは 、昭和幻 年 で 、 本
年はその結成刊周 年 の 記 念 の
式に一同窓会支部一として発
下さ った。
私共束三豊徳会が 、 同 窓 会
叩年 一 昔 と い う が 、 パ ス 道 路 が 全
住する母校卒業生は 、印 有 余
名。そして、 ﹂
v の地区を県下で
会
1号線を、東に快適に発進 。
自
T
電話代表 0
423-91-2605 (内線 5
8
5
)
東京都東村山市美住町 1
2
4
5
0
-1 歯 界 タ イ ム ス 社
申込先
9月1
8日(日 )-9月26日(月〉中の 1日休み正味 8日間連続(毎日 AM 9- PM5)
東京文京区湯島「松風歯科ホール」
日 時
場所
総 義 歯 調 製 E
昔習 4
:
z
x開 催
泊h
級
両
先生
錠
江
東 京 歯科大学
堀
名 誉 教 授
徳
ω分一行を乗せたパスは国道
コ
支 部 の う ごき
。全課程患者使用の実示指導(印象, リッジサベヤ ー,上下顎 リベース法等〉
。募集人員 20名(定員次第締切る〉
。言科目下記へ。
き
︺﹂
米伺)君 の死を悼む
石井次三
雲院殿忠岳徳翁日肇居士 ﹂と改め 、
極めて盛大に葬儀が挙行さ れた 。
同君は明治三十五年一月の生れ
で、本年六十四才である。その生涯
は波乱万丈で 、
多くの通話を残した。
晩年は病魔との斗いで 、信仰の道に
入り、札幌に於ける日蓮宗妙心寺総
代として、また理事長として活躍さ
れた。札幌二中から、北大予科に進
み、その後、転じて昭和三年、東京
歯科医学専門学校に入学、昭和七年
に卒業された。東歯在学中 、野球部
の選手として、また、玉突きの名手
として、麻雀、囲碁、将棋、何れも
玄人である。殊に囲碁は数年前既に
四段であり、近く同本棋院より五段
を贈られる筈であった由である 。歯
科の開業も小樽市で十年、卒業後数
年間に於ける学校の病院での勉強が
強味で 、盛業であった 。不幸病を得
て、名寄市に療養傍々勤務すること
になり、奥部(オコッベ) 、利尻と
移り、最後は昭和二十九年に札幌市
内池内﹁ピル﹂に堂々たる開業を始
めた。若い歯科医の協力を得て盛業
であったが 、病 は 彼 に 診 療 を 許 さ
ず、昭和四O年一 月、廃業、専ら 静
養に努め 、どこか気候のょいところ
で一生を過すと誇っていたのだが。
令夫人と令嬢の両御遺族の今後の生
活に全く憂いのないのは 、彼の才能
の然らしひると ζろではあるが 、せ
めてもの慰めである。ああ、今一度
語り合いたい。
明
先生が感慨も深く焼香された。続い
て級友である金井、石塚、似鳥、宝
田の諸兄および私の心からなる焼香
がおわると 、 やがて小雨に煙る山の
東斜面中腹にある墓地に向う。彼は
御令弟の胸に抱かれて一同と共に静
かに進み 、午後一時、ついに 永遠に
して変らざる居をそ ζに構えた。こ
こに心から彼の御冥福をお祈りする
と共に 、 一期会員諸兄に御報告する
次第であります。
市川病院における療養の友である相
ピが 、何故に彼のような好い男が病
魔に侵され 、苦しまなければならな
いのかと共に考え淋しく笑ったこと
もあった。今、彼は湯河原の泉区に
ある天寿院の段々畑の頂上にある見
晴のよい墓に眠っている。七月九日
正午 、小雨降る天寿院本堂において
葬儀がとり行なわれた。母校教授で
根本博之君の死を悼む
級友根本博之君は 、去る六月二十
六日九時四十五分、市川病院で永眠
された 。静 かに、そして安らかに病
院生活通算 十二年八月の永い闘病も
甲斐なく 、満四十年一月の生涯を終
えたのである。その問、水道橋学舎
においては 、再三の病気休学にもめ
げず、去る昭和三十七年三月 、私共
より九カ年おくれた第十期生として
立派に学部を卒業され 、見事国試に
合格し 、歯 科 医 師 の 免 許 を 獲 得 し
た。忍耐と努力に明暮れした約十三
年の問、常に笑顔をも って級友に接
し、殊に皆の嫌がる雑事を一手に引
受け 、献身的に働いてくれた。昭和
三十六年十一月の例会には彼は同期
生として参席。大いに元気なと ζろ
を見せてくれた。その後再入院して
から、概ね月に一度は彼をたずねて
級友の近況、大学の話、研究上の多
様な話題等について語り合ったもの
清
。
Aノ
建部忠一
た。準備に奔走された地元の品野達
日
本舞踊(日本の春の唄)藤原鎮雄
、
、
也君 (
6 ) 端唄﹁梅にも春﹂中島治 (U )
犯
)
の
司
会
で
副
支
部
長
曽
我
F
太君 ( 7 ) の開会の辞 、続いて、支
﹁淡海節﹂石田喜之(お)﹁とどいつ﹂
部長藤原鎮雄君 (6﹀より挨拶と報 住井亀太郎(明 必﹀﹁歌謡曲﹂佐藤健
告が行われた。急用で御欠席の名誉 司(日)
と並べて見ると、将に芸術祭参加
会員母校教授松宮教授、近畿連合同
窓会大阪支部長よりのメッセージが 番組 、夫々年期の入った演技が口八
それぞれ披露された 。今 回の総会は 丁、手八丁 、特に毒舌をもって鳴る
岐阜県へ転出の中島良三君 (8﹀の壮 長坂健一君(ロ﹀の名司会でつぎつぎ
行会を兼ねる旨の発言があり、既に 登場 、大熱演をくりひろげた 、ため
大分県へ帰国の芦刈輝雄君(幻)を失 に、地元問慮の美妓もしばし唖然と
ない 、さなきだに少ない会員が更に
いうところであった。そ の出来ばえ
減って淋しさを増す折柄、古川橋義弘
に
ついては乙の記録子 、昨年は歯に
君(鈎)の新入会も紹介されて先ずは
衣
をきせず酷評して大分クレームを
つけられたので 、今年は 、夫々昨年
メデタツ・・:というと乙であった。
中島、高橋両君よりあいさつの後、 より一段と進歩向上のあとありと御
健全黒字なるが故に万年会計なる栄 報告してお乙う(ツライ哉)。高井
︿ 叩)藤居正太郎︿凶﹀佐藤守(幻)
磯
光の椅子を与えられた佐藤健司会計 弘
﹀ 高田悟(却)住井泰之(担)
(
日)より会計報吉があり、協議に入 部茂治(お
ー
) の ム
る。会則の整備を委員会付托とし 、 北河成規(剖 )森島英裕 (M M等
﹃艮く学び 、 良く遊ぶ﹄という定評 ド派の面々は只んベニヤニヤチピリチ
のある本支部会員こぞっての念願で ピリムシヤムシヤと同窓会ならでは
ある母校一日入学の件も今年度絶対 の雰囲気を万喫しつつ有意義な一日
実現を目指して早速準備会を開催す を過した。最後に母校にとどけと全
員﹁東歯万才﹂を一一一喝して散会した
る乙とを決議して無事議事を終了。
が、小 粒ながらピリッ トした本部会
懇親会に入る。
、 の今後の活躍に大いに期待していた
長唄﹁越後獅子﹂平 川光矢(初)
小唄﹁辰巳﹂﹁青柳﹂岡野徳一郎(幻) どきたい 。(まも る記)
一
一
永らく病気療養中であったが 、七
月十一日午前十時 、結核のため 、札
幌市琴似国立療養所に於いて、逝去
された。二 十 三日には、市内妙心寺
に於いて 、下 総中山の日蓮宗本山か
ら、管長代理を迎えて、戒名も﹁瑞
見
て母校え一日入学をする案号
満場一致可決、具体案を幹事
に一任して議事を終る。
終了後同窓の穂積敏夫博士
(七星会)の﹁南加大学のポ
ストグラジュエ 1トコ I スに
参加して﹂と、その体験談を
伺い 、最後に大井教授の後任
として母校の口腔外科教授に
就任された高橋庄二郎教授の
﹁抜歯に起因する不快事項﹂の
演題の下に五口々日常迎遇する
事例について、美しいカラー
スライドに依って講演を伺
身近かな問題のせいか 、一
同真剣に拝聴し明日の臨床に
そなえることが出来て 、感 銘
深い講演であった。
冷房一の行き届いた会場も懇
親会の始まる頃には上衣を脱
いで賑かである。集る同窓生
五O 名の中、若い同窓生が半
数以上を占めて 、活気のある
同窓会である 。
午後七時三O分名古屋発の
﹁ひかり号﹂で帰京される高
橋教授を見送り閉会する 。 高
橋教授の今後の御活躍と同窓
会の発展を祈念してこの報告
を終る。
座り込みの気配をみせる
﹃梅雨前線﹄も乙の日ばかり
は、 一寸遠慮したような好天
に恵ま れた七月十日。本年度
の支部総会が彦根城下の料亭
﹁やす弁﹂で民大に開催され
V滋 賀 県 支 部
支部のう
E
ク
東
ス
フ
、
ぷb
Z玄
会
だ
森容懇判例旅行会ll
遊
り
いに上る。やがて各自の隠芸が銀出
し、佐瓶、蔀君の柳の雨 、磯節。大
塚豊美京、山口教蔵省の都都迎。真
一
⋮
日
節 、江川三郎君 の白
栄川義光の m
山節。大井先生の 十八番五ツ木子
以
一
守唄。宮下治省、杉江玄昭一若は共に
よ
4 h A j h 十、
LV--
、
稿った。つついて三輪副会長から母
校、 同窓会 、大塚豊美氏、原凶進氏、
中久喜八十氏から多大の御寄付を奈
うしたことを披露し、新作忠氏より
岩手県水沢町 M 勝(日間太郎氏が新たに
川
入会されたことを報告した。また、
-会員名簿一巻刊行する予返である
から住所 、が地話浮に異劫ある向コ通
、︼一、
‘
,
れ己紹介にうつり、米賓大什学長
から悩前学長も御招きを受けた
が、事 情があって欠席したが各位に
二。(一二輪源七記)
n
会
五月二十三 、午前 九時宮峨県松
島大観ホテルに集まを もの 、同伴の
無
江勲一くと伝言があったこと 、今後と
も旬校のため御支拡を願う旨を述べ
られ ?3 回古川同窓会長はお招きを受
げ感一謝に堪えない。同窓会にも特に
械でするような事柄もあり ませ んと
挨拶 3 着席順に自己紹 介を 終り、塩
見称二世口のよ日以で乾杯。籾数行にし
て強織の美妓数名が現われ 、活気大
出席者
川
泊 、 旧丸将士 、 五十嵐庭治、
大山
パ上真、江 川三郎 、遠藤茂、 小山内
泣
い
︿、大
喜 久 治 、小野 宮太郎 、大塚 建
僑 忠、 岡 部 菊 弥 、 岡 部 常 土 只 新 井
忠、 霞 、 小山近由、 佐々木霊エ
祝
ギ蔀、 斉必定太郎 、 桜 井善
門 、 佐日
瀬
娘 、 日 川 茂 吉 、 塙見末治 、 杉江玄
時、凹蹴安治 、
同夫人 、竹内末柱、寺
付定次郎、真栄田記載光 、前川半手、
宮下一郎 、宮上泊、 三 浦 宗 て 三輪
源七 、山 口一敬議、八 杉 和 て 三 浦 敬
春期懇税旅行会を聞いた。夜来の雨 克形をパートナーとして舞台狭しと
はなお降り続いてはいたが、大引副 踊りまくった。偶々夫人同伴で出席
学長 、出丸同 窓会長の御臨席を得て した旧端安治省夫人の京の四季 、鶴
三十五名が勢揃いし、柿出凶談や近刈 危の素踊りは堂に人ったもので喝采
に時を泊した。午後七時開宴。まず を博した。一同歓を以し 、 大塚副会
井 上会長が開宴 の挨孜 、大 升、田丸 長の挨拶で宴を閉じた。
川けて二 十五u、刺 の挨拶を交わ
両先生及び述路参加された会はに御
、設営 、そ の UU し、 朝 食の膳に向い 、 記念侵影を行
礼を申し上げ、会場ω
って山口白hMとなり 、 待望の懇親会
に尽力された小山内幹事の御去労を
も名残惜しくも幕を閉じた。
五月一ト-、三日、新料招く箱根
強純沼泉、荏原観光ホテルにおいて
・
-・
・・
・・・
・・
夫人を交えて十九名。久澗を述、べて
再会の喜びを祝しあう。最近物故さ
れた豊橋 の伊藤初太郎君 、 並びに仙
台の宇野孝君の御遺族に面接 、悔み
の辞を捧げ黙薦 、しばし両君の御冥
福を祈りありし口を誇りあった。
初っさんと呼べば
や1 い と あ の 枇 か ら 黒 崎 博
小雨の中ぞ瑞厳寺に詣で 、 大方丈
の内障に独眼伊達正宗の英姿と善美
を尽したる結構奇巧と奔放に桃山文
化の片鱗を味 い、開基の高僧慈覧大
師が十数年唐に沼学して新知 識を身
に着けて帰朝し 、京は勿論 、 奥羽地
方迄鐸を進めて教化の実を揚げ 、 崇
拝の的となり端厳寺(仙ムロ)立方寺
(
山形)中尊寺(岩手)恐山(且同森)
等を創建したその業晴、嫡呼して今
に残るをみる。
松島遊覧船にて三百有余の大鳥、
小品の奇樵怪墜を観賞し 、 塩釜港を
径て思議神社の正 商九百 の石段を 登
それより堀江君の近親青木助三郎
氏をホテルに訪ね、ホテル経営の核
心と温泉堀当の快報を祝う。 白石 、
遠刈回を経て蔵王エ 1 コライ ンに入
る。生憎の雨天にて遠望きかず、 を
桧の聞にこぶしの可憐の白花に慰め
られ一路山の上温泉 、月岡ホテルへ
り、 何 れ も元気に境 内 の行届いた 整
備と 、 堆大なる展望に神徳を感じ 、
交通安全と氏係暖昌を祈願した。
302を淘一杯に唄となり
判官今のいいとこ見せる多閉山
問先崎博
卯の花や汐掻ちかき岩屋仏
守り札受けし安場や像 の花
堀江都紫
前ド芯快速で仙台汚葉城 枇 へ走り 、 一
瞬の中に森の都にぽ在する大小のピ
ル、 遠くば宮域野を指呼し、或は外
濠の断崖に気を等われはくるのをし
着く。
一風呂 浴び て年次会を設ヴ 、小林
与兵衛の挨拶。是に対する謝辞あっ
刈田峠手前の滝見台にて休憩。
来
、
い 東南風は零を降らし 、 さなが
ら樹氷の観を呈した蔵王の醍醐味を
語り会い 、峠を越えれば西峰はとど
らず。
銚子 の声絶えぎる雨の沢曲論
堀江都紫
て幹事の苦心をねぎらう。来年は 岐
阜に鵜飼の宴を試みることに決議し
宴に入る。地方 山形県の東歯同窓の
坂田健次郎(支部長)斉藤利世(歯科
医師会長) 小林吉三郎(幹 事長)小林
与一の有力諸君の歓迎をうけ 、 郷土
今ta
芸術で座 興をいやが上にも雄り揚げ
二十四日は月間ホテルを後にして
蔵王温泉へと急ぐ 。ス キIのメフカ
をケ ーブル 、 リフ トと運ばれて樹氷
の名所と聞く地蔵岳(一七三五米)
の頂上を極める。
拝む筆に苔千年の石地蔵
頂上は雲の進軍夫人連れ
新日僚はいずこ級王は雲化粧
黒崎博
白樺の花に飛-雪一↓の絶ゆるなし
うぐひすや芽吹く落葉松雲触れて
吹零く中落ふくらむ峰ぎくら
堀江都紫
雲と策、さに潟、きつつ下 山。 独鈷沼
の山廷の暖房に昼食をしたため 、沼
面の景観をカメ ラに納めて一路山形
市の小林邸に向う。小林若は令息に
跡を譲り 、悠々自適と思いの外、新
たに診療所を開設してこれから一旗
挙げんとの楼錬振り、大いに健康と
アール 、 護国
前進を祝す。 山形市営 .
神社等をすぎ 一天童へ 向う。
山菜とヤマメ の味に山を降り
ピンセコ ト執らぬ日はなし
喜寿越えて回無崎博
零の月山千枚田みな耕され
暮れてなほ水の明りに回を楠うる
堀江都紫
天意滝の湯ホテルで汗を流し 、最
終日の懇親会とあって賑やかに唄い
興じた。
だより
恩師血脇先生の銅像に黙薦を俸げ、
記念撮影を行って 、 定刻九時半 一行
三三名を待 つ特 別 パスに便乗。大井
院長等に 見送ら れ つつ 、母校前 から
宮城を遥拝し 、丸の内
竹橋 、
お濠端 、
を抜け変遷極みなき高速道路を走っ
ておよそ一時間、もう東京は霞んだ
空に消え 、唯車窓に映るのは我等を
迎えてくれる武蔵野の名残りと 、 移
なり、 ストーブ 燃える 五合目 休憩所
に休む。
春雲のべ 1 ルを被る正二会
甘酒を吹く呼吸 白く春の智一一
五合 自の庭清めけり 春 の雲
熔岩も鬼も突しらむ春の雲
春雲に見晴したた れ山中湖
花空木もの珍しく草停め
花空木手にオ lライ とパスガ 1 ル
(御殿場駅にて三村君下車﹀
淡雲に会うは 別れ の合言葉
(塔の沢福住にて﹀
十 名を二次会にさせ春の零
万 能の 名妓偲ばせ春の雲
桧風呂品目を今に春 の雲
淡雪一一や福住楼の 川 の音
(
沢 口緑洋記)
﹂
十九嶋の風景を眺め海青く百余の島
の風景に一 同感 嘆 の声を出す。 空 気
のうまさに老の身も忘 れ
、 若がへる
・
つ
西海廷にて珍らしき伊勢エビ の生
くりに舌づつみを打ち 、パスにて雲
仙国立公園に向う。雲仙 の山岳美 に
一同 心ゆくばかり楽 しむ。東洋館 ホ
テ ルに一泊し、疲れを温泉にていや
し
、 翌朝九時 一同元気にて散会す。
(田中健次郎記)
部。の
八年卒
) 原
稿
戸
集す 〉
﹁ド
編で定
り行く富士 山 の光景乙そ甲州路がも
っ自然と人生を生かすパラダ イ スの
轍跡である。
(血脇先生胸像を懐ろに)
今更に温容に伏す夏隣り
カパン持 の老 意も立ち風燕る
事情風や神保町の古馴染
金晦日ゴルフリンクへ夏仕度
十行
(日予
分譲地 山懐も自に青葉
護霊田のまだ色槌せぬ日脚かな
昭和四十一年度例会を 、 五月二十
六日、九州佐世保市にて開催。 当 番
は、 田中健之助。
会場は 、駅前松蔵ホテル。
、月
九 十
月日
二 発
二十五日立方寺へ車を進め 、 芭 蕉
の﹁閑かきや岩にしみ入る 郷 の声﹂
に心引 かれ来 たもの 、予想以上 の静
。
寂 の感に打た れ る
プナ 造りの 八 間四 面の調和 の取 れ
た根本中堂 、 比叡 山の延暦寺の 別 院
正に国 宝 の縫たるもの。親子経の急
所に一行見跡を重印し 、奇岩怪石と
老木とうねる坂跡は程 よき間隔をお
いて蝉塚、仁 王 開、塔堂、奥ノ院、
等を 配し、 幽 遼 の石段に、わびの境
地を味い百丈岩の開山堂、登 れ ば 限
界聞け て
、 遠く栗駒の 山波の眺望を
慾しいままにする。
一山はわびとさびと の コンク ール
ライバルの昔に返り意地を張り
鳩杖 の登 山帰りは滑り台
まかり通る峡足跡 の穴 となり
黒崎 博
みどり影幾重したた り浬繋像
磨岩仏見下したまム山つ れ じ
ぷな若葉不滅の法灯ひらか れず
筒鳥の芦かすかなり混然像
り(
:a>
堀江都紫
山形で各位 の健康令祈りつつ各々
帰途についた。(黒崎博記﹀
会する同窓家族を合せて四十人。
卒業以来五十年、初め て会う同窓
の顔を眺めて 、
涙を流して 喜ぶ 。 友情
の厚きを覚える。互に老い行く自分
を忘れて 、昔 の学生気分となる。十
四 時、 パスにて風望 の偉大な国立公
園九十九嶋を眺め 、弓張岳 にて記念
の撮影をする。夜に入りてホテルに
霊峯のつかず離 れず窓青葉
へそまんを買って 別 れた 青葉茶屋
青葉醸し霊峯を呑む河口湖
燕風や青木が原はお噺めき
湖青葉落武者部落見透るかし
紅葉台の望遠 レ ンズ自に青葉
墜落の五合目辺り薄霞み
風穴の風灰臭く花空木
岩熔の神秘を 胸 つ青嵐
干上った名なしの一湖青嵐
総て精進湖、 本栖湖を経て河 口湖 ホ
て宴会を聞く。宴献となり 同窓のか
くし芸等ありて 賑やか K宴を閉ず。
なお 、佐世保支部同 窓会より歓迎の
挨拶あり、ビール の寄贈ありて皆喜
ぶ。二十 七日 は 朝 よ り 汽 船 K て 九
は 十
ス
五十周年富士五湖巡り
テ ルで一泊。我が愛する旧友と一堂
に会し 心ゆく迄青年時代に帰る。明
朝午前九時、 小雨の 中 を車に乗る。
昨日とはうって変って途すがら零
に変り 五合 自に着く頃は視界 ゼロと
切 号
フ
待望の五月二十日 、天気はよ し時
も亦佳 し。午前九時福島君の指 令で
締次
.6.
会
会
ク
一十年
う。市内各所 見物、 異国情緒豊か な
度。深 山 の つつじが美しく 心温る 思
い。そ れより最終予定地 の長崎に 向
す る乙とに決定した。
翌二 十四日ホテ ル発雲仙に登る。
頂上までは寒むくて防寒具の身 支
に直行一泊。当夜総会を開催。来年
度の総会は札幌 の田中保吉君が担 当
生憎の濃霧のため視界ゼ ロ。 火 口
より亜硫酸ガスのみ吹き上げて。 限
や咽喉を痛めつつ。早々に下 山。 水
前寺公園に至る頃晴 れ聞を見えは じ
め、記念録影を行う。熊本城は車 中
より望 見。 三角よりフェリ ーボ ート
にて島原港に着き 、島原観光 ホテ ル
天候稽 々不 良のため。 別府市 内 遊
覧の時聞を遅らせて 、午後一時よ り
水族館、高 崎 山、別府園 、地獄巡 り
等を行う。当夜は滑風ホテルにて 一
泊、楽しい夕食を済ませた 。
計らずも、 若くして世を去った広
岡貞治君の遺児修君が令妹と共に 列
席し 、故人をしのぶ同君 の思い 出 話
など披露さ れ
、 東歯卒業後大分県杵
築市に隆盛開業中で立派に成 人 さ れ
た二人の姿を見て 、会員一同感涙 に
むせんだ。翌二 十 三 日 正 七 時 半 に
﹁やまなみハ イ ウエ ー﹂にて九州横
断 の途につ いた。志高、城島、飯 田
の高原を経て待望の阿蘇 山上に至 る
今年度 は北九州市の 川又軍治君の
当番で 、去る五月二 十 二日 、午前 十
一時。総会出席のため 四十 三名が別
府清風ホテ ルに集会。
r
i
l
l
- 大正十四年卒ll
会
だより
を朋して新紋誌る五月十四日 、十五
日の両日を乙れに当てた 。本部から
の第一報、第二却に満令持していた
会員は 、東西間北から会場に集合す
日、永眼されました。本会から弔意
μ
を表し、且つ御霊前にと香料をお送
り致しました。御μ︿福やら祈る次第で
す。(幹事長原
通記)
今阿のクラス会には夫仰で三十四
ケー ト﹂に対する回答 Tあh ますの
で、九州旅行は明年(昭和四十 二分。
) 組も参加し 、友情と同結を一層たか
と致します。ついては半年の三辰会 め、記念品として T - D・Cのマ ー
総会は例年通り同窓会総会(十一月 ク入りの七宝削減のネクタイピン 、カ
フスボタン、記念矧草等がくばられ
十三日(日)﹀当夜行いたいと考えて
おります。 H 1千 円 程 度 ?
参加したことに怠一議ぞ感じ 、 明日よ
次に計報、建部忠一氏 、七月十 一 りの活躍を誓いつつ家路についた。
急に家庭の事情で参加を 断念さ れ
夕刻散会した。
し、一
史
に パスで 一一見ケ浦 、内宮参拝
、 お別れ侵食会と全く時聞がおしい
ような二日間で数々の思い出を残し
市内遊覧後名問同道 をとおり 、伊勢
志 摩 ス カ ラ イ ンの景色にみとれつ
つ、賢品着。﹁新賢岳荘﹂の大広間
で百余名の祝賀の安を閉幕。﹁伊勢
音頭﹂の踊と歌を余興に懇刻、歓談
を重ね夜のふけるまで語り続けた。
十六日は快晴にめぐまれ掲載の写
真の通り記念撮影し 、遊覧船にて英
成湾のおめぐりと海女の実演を見物
この日のために北から 南から名士川屋
に集り三十年振りに会う友とず寸をに
ぎり一屑をたたき再会を在日んだ。
十五日午後愛知学院大学歯学部に
集合 、 二台のパスに分乗し 、名六屋
先生をお招きして盛大に開催した。
μ
うで、去る五月十五、十六日の 日
-ス
間にわたり卒業三卜同年-記念ク一
ラ
会 を 恩 師 福 先生、大井先生、近藤
学窓を 山 でて三十年、 全く夢のよ
会
フ
一
q
九州へと足を運ぶようになった。勿
論、 ζ の集会には会員夫人の同伴さ
許され 、 刷炉、方のけ頃ω労をねまらう
思いやりを忘れていない。
東歯の新人と意安牡んだった会員
一同も、 星移り 凡改まって今年は三
十五川 を迎えるに?っ仁。そ ζで
これをぷぷに忽い山の東京に集まろ
うという乙とになり本京幹事が万全
るもの同伴夫人を含めて実に八 十四
名、乙れは正に全会以の印%に相当
する数字である。
総会場は品 川 の東京鋭光ホテル 。
第一一日 (
U H) は二台の川崎パスに分
乗して午前中が宮中拝錦、午後は歌
舞伎観劇としゃれて宿舎に反った。
夜の部がハ イライト の総会と大懇相刷
会に夜の挺げるのも忘れていた。第
星
ク
ス
企』
ヨ
玄
永井博士の﹁乙の子
街
、 原爆地長附 、
遣 して﹂の悲して思い出に胸を打た
れ乍ら、長崎通夫閣 の名物支那料理
のお別れパーティ ーに舌銭。佐賀の
藤本勘右は令 夫人病矢のため。日以後
出席者
のお別パ ーティー に の み 馳 せ 参 じ
て、他の九州地区勢全く振わず、鹿
児以仰の 三宅久夫右は急務のため涙を
のんで不参加。東城市の浜田国雄君
は、会の直前 自動車事故のため不参
加。八代山の多旧法久君と佐賀の佐
伯功とは水前寺公園にて待ち会はせ
の約束だったが 、折角 きて頂いたの
に、会えなくて申沢けない次第。四
十一年仮りの 対而だった のに残念。
田中保土口夫妻、真砂宇一夫妻、松浦
寅 雄 夫 妻、 玉井克依夫妻 、 大西弥士口
夫妻、鈴木録 二夫妻、山 口展郎夫妻
一一け(日H) はホテル大谷を振出し
に新東京名所廻り。在京仲間にも珍
らしいオリンピック施設を訪ね、同
立競技場では折柄の体操祭に女子学
生のマス ・ゲ l ムを見物 、体育館の
モテル箱倶で中食後は駒沢へと車を
走らせ、羽田宅港からモノレールが
最終コ 1 ス。途中から再会を約して
帰りを急ぐ友人を送るには少し寂し
いけれど 、 ζれは仕方がない。ホテ
ルでの万才三唱は米年 の四国総会を
約束する関の芦とも受取れた。
会
今秋の総会は東京でという一アン
辰
桝藤吉夫妻 、
中村 正 夫 夫 妻 、
秋山基二
夫妻並に令嬢、石川秀道夫妻 、平井
義 英 夫 妻、佐藤泰三夫妻、 川 又軍次
夫 妻 、竹F忠平並に令阪 、 恒士口隆生
五木旧三郎 、明星新作、 市川武夫 、
藤本心山、久保田正て藤本勘一 、
広岡貞治二男修、同令妹、 白須賀一一
郎石原文一向、山内伐(白須山円記)
員は東京ばかりに限らないという訳
で、数年前より北は北海道より西は
昭 一.
会は先に故人となられた風間
又四郎先生が名付け親 、当時の西娼
総代が叫んだ握り飯精神は卒業の後
も綿々と続き、在京幹事が中心とな
って開催する東京総会の他に臨床研
究会も持たれて来た。斯くて休む乙
とを知らない毎年のク ラ ス会も、会
会
-
フ
-
ク
ス
だより
会
た諸君も十余名を教え再会の機会を
失し誠に残念であった。(幹事加
藤孝一)
安部昇、阿部鋭夫 、浅岡其一郎、
五十嵐嘉昭、今永英文 、榎本越、榎
本善二 、大西正久 、長田博美、加賀
刷出、加藤ト小説郎 、梶尾茂、神田 二郎
川越久雄、河瀬降、務勝潔、沢熊保
士口、一盈久正 二、清水峰 雲、水 津要一
-
4
菅野山日紀、関泰昭、大藤幸維、小条
正道、長尾富士男、野村孝、夫馬嘉
男 、福旧必男、藤城日勿都 、穂積敏夫
松井王一二、 山 口保、山木弥市 、加藤
孝一の諸れは夫婦で参加 、浅野武見
伊藤偵て飯山内民て池田正、磯誠
三、岩崎之 、小川 洋、尾形新、大沢
一康 、大須筑 診 て 岡 田 太 て 加 藤
倉=寸栗林正三、佐藤水治、渋谷雄
弘、小体吉三郎、関口正八郎、長尾
迷春 、能勢州宮、早川厳 、春山正雄、
川進 、松 平 康 、横田正
姫野守夫、 JT
英の諸討の外に重久 、浅 岡、神川、
長尾(富)君の 世(四人とも愛知学
院大学歯学部在学中﹀も参加した。
ばせながら安達幹事の御骨折りによ
々什Pラスでジュニアの会を結成し
ており、附久会でも、ジュニアの会
を作らないかとの声しきり。おくれ
付東歯ジュニア附久会発会
昭久会以の↓一世で母校卒業者は既
に三名。母校在学中の者、二十九名
の多数になった。
年 会
しきりに起る。初めの中はややコワ
ハツタ顔をしていたジュ ニア諸君も
飲む程に 、食う程に、笑顔に代る。
血のつながりは争はれないものであ
る。親子入交つての笑声、父親の元
気な様子を伺って、お互に喜び合っ
ている情景にム ービーを持参しなか
った ζとが残念であった。僕もこの
零囲気にすっかり 酔はきれ、思はず
大いにハッスルしてしまっ十。ジュ
ニア諸氏も、進学課程歌?務昌ス
元気一パイに答えてくれた。当日御
出席頂けなかった遠方の親父様方よ
κ
r
i
l
l--
﹂
ヘ
さて 、昨年の富山の会では 、地元
の内田君はじめ女川、渡辺の諸君の
御尽力により、宇奈月館景雲閣に集
たるもの二十余名。愉快な一夜をぬ
す ζとが出来ました。別立日は、有名
な里山部峡谷を執動車で探勝。一一一一一百に
H
いへば、
寒かった Hというと ζろ
でした。幹事さんには、誌上をかり
て厚く感謝いたします。(長田記)
11
なお前日(二十二日)の片山津で
よろしく御想像下さい。
クラス偏に幹事を定め年 二l 回 のゴルフは九時スタ ートして、当日
一の は片山津泊り。翌朝、金沢集合地着
聞く乙とを決定し、卒業ジュニ一
ア
斉藤哲、津島邦彦、中条正仁の三若に 旅館は参加者に通知します。
では昭久会の皆様、酷暑の悶呉々
は次回から呼びかける乙とにした。
も御自愛第一 。 ( 安 達 直 記 ﹀
校歌を合唱して発会の集いを柊る。
出席者(親父 )今井孝一 、谷越正
義、湯本実、草柳喜一郎、佐竹型明
一
一 五十鈴
安達直、後勝芳郎
・
昭和二十五年卒
(ジュニア)与四 、松川泊三、菊地
諸兄には益々お元気にて滑躍の乙
誠専三、行越英之、今井芳山一作
て佐藤義彦、鈴木和典(父国 夫)、 とと思います。年一度の五十鈴会も
深山正博、相沢甲貴、竹内一紀、佐 そろそろ準備しなければと、有志で
竹鐙安達康、進二久保一元、湯本瑞 話し合っております。昨今は、有馬
穂 、 末 松 山 阿 申 進 て 草 柳 英 一 、 塙 飯坂に続、去、、富山県宇奈月と一一一年続
いての地方会だったので、東京では
守、 三宅史丈 、 ( 後 藤 記 )
見られない顔ぶれに接するととが出
伺昭久会北陸大会 の遁絡
乙の会をと白になる頃は、九月二 来ました。今年は 、東京で行うこと
十三日、二 十四日に行われる北陸大 に な り ま し た 。 日 時 は 、 十 月 八 日
会も旬日に迫っていることと思いま (土﹀夕方、費用三五OO円位。場所
す。この度の企両については、北陸 は大友君にお骨折願う ζとになって
上叉部諸者に並々ならぬ御苦労を御掛 います。いづれ詳報が届くことと思
けしており 、誠に有難く感謝してお います。久し振りの東京会ですので
ります。詳細は Fラス会報で既に御 、多数 の出席を期待しております。
存知の通り。出席者は五十数名の多
数で当日の感会が予想されます。ス
ケジュ ー ルは左記の通りです。
集合 日 時 九 刀 -一
十三日(祭日)、金
沢駅前 ︿
場
一山川詳細は後日クラス会
報で連絡)兼六公園見物。
津幡←高松←千里浜海浜ドライブ
←妙成寺←能登金剛←輪島←千枝
回j曲日々木一世芹(遊覧パス)
曲国々木(泊)昭久会総会開催
翌二十四日(土)
曲日々木発←飯田←恋路海岸←小木
←九十九湾遊覧←字之都←穴水←
七尾←津幡←金沢駅十七時解散
会
。第十四 回一期会例会を左記のよう
会
卒
久
不1
って発会の集いを六月二十一日(火)
午後六時より 、母校同窓会クラプ室
で開催した。安達幹事の開会の辞に
始まり、数H前逝去された野木ジュ
ニアの御川(福を祈り、懇親会に入
る。ややあって、 '
H己紹介となるや、
﹁
ア l親父そっくり 、似ている似て
いる話し振り迄 ﹂と親 父遼よりの声
期
昭
.-闘圃圃-
フ
一
に開催しますので 、万障繰合わせて
御出席下さい。地方の諸兄も是非御
参加下さい。
日時十月十二日(土旺日﹀午後
五時半
場所都内向島
。学友根本博之君は 、永い療養の甲
斐もなく 、去る六月二十六日逝去さ
れました。病気と斗うため K生を・つ
けたような同君の一生をふりかえ っ
てみ ますと 、 まことに気の毒で 、神
の不公平を口にしたくもなるような
気持で 、悲しみを 何と も乙とばでは
表わす乙とが出来ません。御葬儀は
七月九 日に湯河原において行なわれ
ましたが、会からも見明、宝田、石
塚、金井らの諸兄が参列されました
謹しんで計報をお伝えし 、心 から同
君の御冥福をお祈りする次第です 。
なお、見明君より根本君を悼 hu
文を
寄せていただきました 。
。学友高添一郎君は 、第九四国際微
生物学会に出席のため、来る七月 二
きて 、本年度クラス会も、あと一
ヶ月後にせまりました。九月二十三
日の祝日に 、早朝から伊香保のカン
トリークラブでゴルフを楽しみ 、 夜
は湯の町伊香保石坂旅館で久々に級
友と旧 交を 混め 、思い出多きひとと
きを過そうと幹事一同はりきってお
ります。まだ連絡されておられない
方は 、至 急幹事まで送信下さい。
級友の近況を二つ。病床生活をし
ておられた広瀬君は、このたび全快
されるとともに 、独 立して開業され
る ζとになりました。本当によろこ
ばしいことであります。また 、 九州
の久野君も 一Hも早く全快さ れ るこ
とをお祈いたします。本年度同窓会
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主催の夏期講習会に 、五藤育男 、 長
谷川汎、桜井直射若の三名が受講さ
れました。
級友各自地域にあって活躍されて
おられる事と思います。時折八紫会
まで御連絡下さるとともに 、伊香保
でのク ラス 会には多数の参加をお願
いたします。︿幹事)
。
円
⋮
趣味のコーナー 俳
句
⋮
。杖痕クラブ
本校山岳部O Bで組織している杖
痕クラ ブ では 、来年創立三十五週年
を迎えます。
去る三月二 十日 夜志賀高原発輸K
ありますクラ プヒ エツテに於て 、 還
暦を迎へた片岡銀総氏と既に還暦を
過ぎられた千野純次氏 、小泉徳蔵氏
三人の還暦祝を した。 担の如く幹事
長の挨拶に始まり、 クラプの長老の
一人新沼氏が会員を代表して御三人
の長痔を祝い弥栄を祈る言葉を贈ら
れ、城谷氏の御骨折の赤いチャンチ
ャンコならぬクラ プ記章の附いた赤
いセ lタを.プレゼン トした。次いで
会員より贈られたシャ γパンを抜き
城谷氏の音頭で乾杯、千 野氏生憎の
急用で 出席され ず、代 理に御嬢様が
赤いセ 1タを着て祝福を受けておら
れた様子は大変 ほほえましいもので
した。
次いで三氏より 交 々に謝辞をのべ
られた がほんとうに喜一 れしそうな様
子を見て出席者一同乙のお祝をし て
本当によかったと心から思っており
ます。
ζれで式典を打切り、祝宴になっ
た。出席した殆どの会員は噌み深く
飲んでいましたが 、欽みなれぬシャ
ンペンに潜が飲めなくなったと乙ぼ
し乍らも噌み深く酔ひ疲 れて しまっ
た様でした。
なCやかな話と笑に終始した当夜
は御三人の還暦をお祝いするにふさ
はしいム!ドでした。
(クラプ只出 席者﹀小泉。片岡。
新沼。竹内(民)。佐々木(達) 、野
口、内山、中村、出 井、高井
発行所
。軟式テニス
新入部員日名をむかえ総勢必人の
大家族となりました。新緑に又桜の
花の下で四月二日より 九日 まで春期
合宿を行い、昨年同様コ Iチをまね
き充分した練習を行いました。 その
成果が次第にあらわれゴ I ルテ Iウ
ィークには独協 、日本医大 と各々対
戦し全勝のすばらしい戦績ぞおさめ
をお願いします。(軟陸部長﹀
ました。本年は特にオ ー ルデンタル
の主管校の関係もあり 、部員全体が
意欲的に活躍しております。七 月十
八日より新潟県弥彦で夏期合宿、 そ
の直後全日本とオ 1 ルデンタルの大
会が新潟市白山コ 1 トで各々二日間
づっ行われます。先笠諸氏の御声援
東京都千代田区神田三崎町
ノ七
東京歯科大学同
窓会
電話東京
C二C U 三 四 一
(代 V
編集兼発行
人
渡辺冨士
1 < 揖 市 伏 見 区 東 繍 甫 町 椙4
だ
十二日 、羽田をたってモスクワへ出
張されます。なお 、学会終了後約二
ヶ月にわたって諸外国を廻って乙ら
れますが 、 つつがない旅路を祈りま
す。(関根弘記)
一﹃ 時季即応﹄
和光歯公⋮
喧(オウごの子僑 れば踊子草事つ一
寸箔這う蟹なり雷雨怖れざる山
町夏菜英の ζぼれてあら れなくもが
九な山
い吹矢して熊ん蜂の巣防相かす
仇世は平和穀象の列見ず な り ぬ ⋮
⋮わくら葉のちるとき夢を忘 れざ る⋮
森田歯科商底
よ
り
市渋川問符廷は快仰いし
相b
Z玄
残暑厳しき折、 八紫会の諸兄姉に
おかれまし ては、 いかがおすごしで
し ょうか。
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旗京
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新しい感覚の能率的なユニッ ト
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