「カッパ・ブックスの遺伝子 天才・小室直樹の巻」その3

カッパ・ブックスの遺伝子
天才・小室直樹の巻 〜その3〜
「小室さんはネコが好きである。エルサレムの嘆きの壁の前
そう、天才・小室直樹は無類のネコ好きだったのである。
と言ったのだった。
「ボクのネコちゃん(ぬいぐるみのこと)取って〜」
ならないことなどを伝えると小室氏は──。
③ 京谷六二
一九八五年四月二日火曜日午後三時半(時刻は推定)──。
私は前日から上司になった加藤寛一氏とともに、練馬区石
神井台にある藤美荘(*注1)という木造アパートの、薄暗
く饐えた匂いのする一室にいた。
目の前の造りつけのベッドには小室直樹氏が寝ており、枕
元にある小さな机には食べかけの弁当の残骸があったが、そ
れは少なくともその日に食べたものではなさそうだった。
加藤氏と私は椅子に座って小室氏が目覚めるのを待ってい
は、われわれの方へ目を向けて「ニャオン、ニャオ〜〜ン」
で、彼が当地のネコを発見したときは見ものだった。大喜び
ると、何度目かの加藤氏の呼びかけにやっと反応した小室氏
と言ったが、その後またしばらくムニャムニャと寝入ってし
して追いかけるさまは無邪気だが、「聖書にネコがでてこない
に言わせれば、野良ネコを一匹見ると、その国の経済、社会
まったようにも見えた。だが、そのうちにだんだんと頭の霧
そこで、加藤氏が今日は昨日入社した新人を連れてきたこ
の大方がわかるそうだ。太っているか、傷ついていないか、
のは、なぜか?」という疑問が突然出てくるから面白い。彼
と、この新人は自分の下で小室先生の担当になること、そし
人なつっこいか──なるほどと、私は思う。
」(
『韓国の悲劇』
が晴れ始め、事態を認識し始めたようだった。
てこれから韓国に関する原稿の続きを書いてもらわなければ
1
京谷六二(きょうや・むに)
1985 年、光文社に入社し、カッ
パ・ビジネス編集部に配属。以
後 2000 年 3 月までカッパ・ビ
ジネス、カッパ・ブックス編集部。
2000 年 4 月、週刊宝石編集部
へ異動。2001 年 2 月、週刊宝
石の休刊に伴って、再びカッパ・
ブックス。2002 年 10 月、広告
部へ異動。以後、2010 年 5 月、
早期退職に応募して退社するま
で営業職。2011 年 7 月、志 木
電子書籍を成立。電子書籍デー
タの検品、校正、制作、販売を
手がけている。
のカバーに収録された山本七平氏の「小室直樹さんのこと」
てくれたのであった。
といってもこのセンセイ、打ち合わせはするが実際に作業
タ ビ ュ ー で「 先 生 の 好 き な ネ コ の 名 前 は な ん と い う の で す
後日、加藤氏から聞いたところでは、小室氏が雑誌のイン
悲しそうな顔をしているのを見ると、
「ま、あのセンセイの秘
というわけでもないが、私はこの代表が党内でいじめられて
思うが、この秘書が現在、某野党の代表なのあった。だから
より)
か?」と問われると、
書だからなー」などと思ってしまうのである。
をするのは無論、秘書である。そしてお気づきの方も多いと
「アキです。
」
ちなみに──。当時、カッパ・ブックス編集部には私より
うもので、担当者はペラの原稿用紙の裏にタイトル候補を書
議は全部員が出席し、どういうタイトルをつけるかを話し合
上がると、編集部では「タイトル会議」が行われた。この会
しかし、この方は秘書としては優秀で、原稿が無事に出来
一つ年上の森アキさん(仮名)という、若手からオジサマま
いて並べ、それに対して編集長以下があれやこれやと言う形
と答えたという。
で幅広く人気のある女性がおり、著者のセンセイ方にも大変
もアキさんのオススメが強烈だったからで、それは、
るのだが、この時には一発でタイトルが決まった。というの
で、この会議は時として隘路に入り込んでしまうこともあ
で進む。
人気があった。
「それって、うちのアキさんのことですか?」と私。
「バカかお前は、他にいるワケがないだろっ!」と加藤氏。
当時は参議院議員でもあったある著者もアキファンの一人
(※注2)
、
かつてカッパ・ブックスで大ベストセラーを出し、
を書くと、窪田清編集長はいつも「売れそうだ」と嬉しそう
彼が原稿用紙に独特のキチッとした文字でタイトルと著者名
タイトルが決まると清書をするのは古谷俊勝氏の役目で、
『男の器量は金次第』
で、このセンセイにアキさんが「雑誌に書きためたおカネに
に言うのだった。
ここで、そのアキさんにまつわる話をスケッチしておくと
まつわる話を一冊のエッセイにまとめてください!」と依頼
お前の原稿はまったく本題と関係ないことをズラズラと書
さて──。
て、ネコの名前を借りて「コクる」小室氏のなんと純なこと
アキさんに露骨に言い寄るオジサマ族やセンセイ方に比し
それにしても──。
をすると、「アキが担当ならやるよ〜」とあっさりと引き受け
き並べているだけではないかというご批判がそろそろ出てく
か。
」とアキさん。
氏の原稿は、気がつくと本題とまったく関係のないストーリ
ただけで真偽のほどはわからない。加藤氏が相当に〝盛って〟
で、まあこのネコの話にしても、実は私も加藤氏から聞い
今の時代であればセクハラで速攻アウトな会話である。
「いい加減にしてください
「アキさん、小室さんはカネならあるよ」と加藤氏。
一面があり、それが魅力の一つなのであった。
てしまうかもしれないが、小室氏というのはとてもカワイイ
こんなことを書くと多士済々のお弟子さんたちから怒られ
るものと思われる。
私もそれは重々承知の上なのだが、言い訳も少々用意して
ある。
というのも、実は小室氏が書く原稿というのは、まさにこ
のようなパターンで話がどんどんと本題からそれていくので
ある(無論、レベルはまったく違うが)。
一つの話を書いていて、そこに「補助線」を引く。さらに
ーが延々と続くこともある。しかも始末が悪いのは、それが
いる可能性はある。しかし、私にとって加藤氏は師匠である
そこにまた別の補助線を引く……といようなことが続く小室
小室氏の博覧強記がベースとなっているだけにメチャメチャ
から、教わった〝噺〟を受け継がないわけにはいかないので
が、この方は立川流で言えば志の輔のようなタイプでとにか
に面白い。しかし本題とはまったく関係がない。そういう原
く優秀、万事にソツがないタイプだった。一方の私はまあキ
稿を初めて目にした編集者は「いったいこれをどうすればい
もちろん私もその一人であったが、だんだん慣れてくると
ウイのようなものでしょうか……)。
ある(その関係でいうと、古谷氏は兄弟子ということになる
対処法が身につき、しかもそれが他の原稿にも応用できるテ
いの???」と途方に暮れてしまうのである(※注3)。
クニックとなる。つまり小室氏の原稿というのは新人編集者
にとっては最高の教材だったのである(※注4)。
さて、話はやっと本題に戻る。
2
3
!!
のカバーに収録された山本七平氏の「小室直樹さんのこと」
てくれたのであった。
といってもこのセンセイ、打ち合わせはするが実際に作業
タ ビ ュ ー で「 先 生 の 好 き な ネ コ の 名 前 は な ん と い う の で す
後日、加藤氏から聞いたところでは、小室氏が雑誌のイン
悲しそうな顔をしているのを見ると、
「ま、あのセンセイの秘
というわけでもないが、私はこの代表が党内でいじめられて
思うが、この秘書が現在、某野党の代表なのあった。だから
より)
か?」と問われると、
書だからなー」などと思ってしまうのである。
をするのは無論、秘書である。そしてお気づきの方も多いと
「アキです。
」
ちなみに──。当時、カッパ・ブックス編集部には私より
うもので、担当者はペラの原稿用紙の裏にタイトル候補を書
議は全部員が出席し、どういうタイトルをつけるかを話し合
上がると、編集部では「タイトル会議」が行われた。この会
しかし、この方は秘書としては優秀で、原稿が無事に出来
一つ年上の森アキさん(仮名)という、若手からオジサマま
いて並べ、それに対して編集長以下があれやこれやと言う形
と答えたという。
で幅広く人気のある女性がおり、著者のセンセイ方にも大変
もアキさんのオススメが強烈だったからで、それは、
るのだが、この時には一発でタイトルが決まった。というの
で、この会議は時として隘路に入り込んでしまうこともあ
で進む。
人気があった。
「それって、うちのアキさんのことですか?」と私。
「バカかお前は、他にいるワケがないだろっ!」と加藤氏。
当時は参議院議員でもあったある著者もアキファンの一人
(※注2)
、
かつてカッパ・ブックスで大ベストセラーを出し、
を書くと、窪田清編集長はいつも「売れそうだ」と嬉しそう
彼が原稿用紙に独特のキチッとした文字でタイトルと著者名
タイトルが決まると清書をするのは古谷俊勝氏の役目で、
『男の器量は金次第』
で、このセンセイにアキさんが「雑誌に書きためたおカネに
に言うのだった。
ここで、そのアキさんにまつわる話をスケッチしておくと
まつわる話を一冊のエッセイにまとめてください!」と依頼
お前の原稿はまったく本題と関係ないことをズラズラと書
さて──。
て、ネコの名前を借りて「コクる」小室氏のなんと純なこと
アキさんに露骨に言い寄るオジサマ族やセンセイ方に比し
それにしても──。
をすると、「アキが担当ならやるよ〜」とあっさりと引き受け
き並べているだけではないかというご批判がそろそろ出てく
か。
」とアキさん。
氏の原稿は、気がつくと本題とまったく関係のないストーリ
ただけで真偽のほどはわからない。加藤氏が相当に〝盛って〟
で、まあこのネコの話にしても、実は私も加藤氏から聞い
今の時代であればセクハラで速攻アウトな会話である。
「いい加減にしてください
「アキさん、小室さんはカネならあるよ」と加藤氏。
一面があり、それが魅力の一つなのであった。
てしまうかもしれないが、小室氏というのはとてもカワイイ
こんなことを書くと多士済々のお弟子さんたちから怒られ
るものと思われる。
私もそれは重々承知の上なのだが、言い訳も少々用意して
ある。
というのも、実は小室氏が書く原稿というのは、まさにこ
のようなパターンで話がどんどんと本題からそれていくので
ある(無論、レベルはまったく違うが)。
一つの話を書いていて、そこに「補助線」を引く。さらに
ーが延々と続くこともある。しかも始末が悪いのは、それが
いる可能性はある。しかし、私にとって加藤氏は師匠である
そこにまた別の補助線を引く……といようなことが続く小室
小室氏の博覧強記がベースとなっているだけにメチャメチャ
から、教わった〝噺〟を受け継がないわけにはいかないので
が、この方は立川流で言えば志の輔のようなタイプでとにか
に面白い。しかし本題とはまったく関係がない。そういう原
く優秀、万事にソツがないタイプだった。一方の私はまあキ
稿を初めて目にした編集者は「いったいこれをどうすればい
もちろん私もその一人であったが、だんだん慣れてくると
ウイのようなものでしょうか……)。
ある(その関係でいうと、古谷氏は兄弟子ということになる
対処法が身につき、しかもそれが他の原稿にも応用できるテ
いの???」と途方に暮れてしまうのである(※注3)。
クニックとなる。つまり小室氏の原稿というのは新人編集者
にとっては最高の教材だったのである(※注4)。
さて、話はやっと本題に戻る。
2
3
!!
私の聞いたことのない話ばかりで、その博識ぶりは驚異的と
室氏が喋りだしたのは、「日本の聖書は誤訳だらけ」などなど
と、小室氏はだんだんとテンションが上がってきた。そこで
しか言いようがなかった。
本棚に置いてあったネコちゃんを加藤氏が小室氏に渡す
やっと、昨日会社からもらったばかりの名刺を差し出す私。
と言ったのだった。
わかったが、これは後になって知ったことだが、この二人の
者と編集者の関係を築いていることは端で見ていてもすぐに
一方の加藤氏は小室氏との呼吸もピッタリで、理想的な著
「酒は冷凍庫に入っていて水は冷蔵庫にある。コップはそこ
関係というのは見る人が見ると、あってはならないものだっ
すると小室氏は、
「とりあえず歓迎会ということで飲もう」
らへんにビニールコップがあるでしょ」と言われた私は、ま
たのである(その話は次の機会に)。
そしてしばらくすると、持っていたウォッカのコップの口に
は「いかん」と思いながらもだんたんと意識が薄れ始めた。
さて、極度の緊張の上に初めて飲む強烈なウォッカで、私
ず冷凍庫を開けてみるとウォッカのボトルがゴロンと一本転
がっており他には何も入っていなかった。続いて冷蔵庫を見
ると、こちらも中はスカスカだったが水はあったのでこの二
そして一つのコップにウォッカ、もう一つのコップに水を
つとビニールコップを持ってベッドの前へ戻る。
小さなハエが飛んできてポトンと中に落ち︱︱。
ところで──。
ーなるものに乗るのも初めてだったので、乗ってきたクルマ
と私は加藤氏に促されてハイヤーに乗っていた。実はハイヤ
入れたセットを三つつくったところで乾杯と相成った。
私は酒というのは嫌いではないが、それほど強いわけでは
がそのまま待っていることにも驚いた。すると加藤氏は「今
以後、小室氏の部屋を辞するまでの記憶はない、気がつく
ない。しかもウォッカなんて一度も飲んだことがなかった。
日はこのまま帰ろう」と言い、会社近くの自宅マンションの
当時、私は学芸大学のアパートに住んでいたので、その後、
前まで来ると「じゃっお疲れっ!」と言ってサッサと降りて
ハイヤーはそちらの方面へ向かって走りだしたわけだが、そ
ところがこのキンキンに冷やされて少しトロリとしたウォッ
ところが後の二人はもの凄い勢いでこの濃ゆいウォッカを
こうして私の入社二日目にして初モノ尽くしの一日は終わ
カは、小室氏ご自慢の異様に度数の高い一品で、私はこれを
カプカプと飲んでいるのである。そして、調子の出てきた小
った。(つづく。次回は『韓国の悲劇』の原稿について真面目
しまったのである。
の間中、
「うううっ、これっておカネはどうやって支払うのだ
一口飲んだ後、あわてて水を飲んだ。
ろう」とそのことばかりが酔った頭の中でグルグル回ってい
に書きます)
※注1 今となっては考えられないことだが、当時のカッパ・ブック
スの奥付には、著者の住所が入っていた。そして、この住所を見て小
た。
結局、なんだかワケがわからないまま駒沢通りでカネを払
わずハイヤーを降りると、ヨタヨタと歩いてアパートに辿り
室氏のアパートを訪れてくるファンもいて、私はそうしたファンの
オジサンと小室氏の三人で飲んだこともある。小室氏はまったく迷
惑がる素振りもなく、ファンの意見にも耳を傾けて議論をしていた。
※注2 この「スケッチする」というのも小室氏の原稿の中によく出
てくるワードで、話がそれていく元になった。
※注3 急いで付け加えておくと、この「タイトル会議」はいずれ本
稿の補助線の一つになる。
※注4 ただ、それだけに小室氏の原稿というのは、担当者によって
編集の仕方がぜんぜん違っており、相性の良し悪しというのもあっ
た。
4
5
着き、あわててトイレに駆け込んだのだった。
写真はかつて小室氏が住んでいた練馬区石神井台の現在の風景。自転車屋さ
んの後ろのマンションが建っている場所に藤美荘はあった。
私の聞いたことのない話ばかりで、その博識ぶりは驚異的と
室氏が喋りだしたのは、「日本の聖書は誤訳だらけ」などなど
と、小室氏はだんだんとテンションが上がってきた。そこで
しか言いようがなかった。
本棚に置いてあったネコちゃんを加藤氏が小室氏に渡す
やっと、昨日会社からもらったばかりの名刺を差し出す私。
と言ったのだった。
わかったが、これは後になって知ったことだが、この二人の
者と編集者の関係を築いていることは端で見ていてもすぐに
一方の加藤氏は小室氏との呼吸もピッタリで、理想的な著
「酒は冷凍庫に入っていて水は冷蔵庫にある。コップはそこ
関係というのは見る人が見ると、あってはならないものだっ
すると小室氏は、
「とりあえず歓迎会ということで飲もう」
らへんにビニールコップがあるでしょ」と言われた私は、ま
たのである(その話は次の機会に)。
そしてしばらくすると、持っていたウォッカのコップの口に
は「いかん」と思いながらもだんたんと意識が薄れ始めた。
さて、極度の緊張の上に初めて飲む強烈なウォッカで、私
ず冷凍庫を開けてみるとウォッカのボトルがゴロンと一本転
がっており他には何も入っていなかった。続いて冷蔵庫を見
ると、こちらも中はスカスカだったが水はあったのでこの二
そして一つのコップにウォッカ、もう一つのコップに水を
つとビニールコップを持ってベッドの前へ戻る。
小さなハエが飛んできてポトンと中に落ち︱︱。
ところで──。
ーなるものに乗るのも初めてだったので、乗ってきたクルマ
と私は加藤氏に促されてハイヤーに乗っていた。実はハイヤ
入れたセットを三つつくったところで乾杯と相成った。
私は酒というのは嫌いではないが、それほど強いわけでは
がそのまま待っていることにも驚いた。すると加藤氏は「今
以後、小室氏の部屋を辞するまでの記憶はない、気がつく
ない。しかもウォッカなんて一度も飲んだことがなかった。
日はこのまま帰ろう」と言い、会社近くの自宅マンションの
当時、私は学芸大学のアパートに住んでいたので、その後、
前まで来ると「じゃっお疲れっ!」と言ってサッサと降りて
ハイヤーはそちらの方面へ向かって走りだしたわけだが、そ
ところがこのキンキンに冷やされて少しトロリとしたウォッ
ところが後の二人はもの凄い勢いでこの濃ゆいウォッカを
こうして私の入社二日目にして初モノ尽くしの一日は終わ
カは、小室氏ご自慢の異様に度数の高い一品で、私はこれを
カプカプと飲んでいるのである。そして、調子の出てきた小
った。(つづく。次回は『韓国の悲劇』の原稿について真面目
しまったのである。
の間中、
「うううっ、これっておカネはどうやって支払うのだ
一口飲んだ後、あわてて水を飲んだ。
ろう」とそのことばかりが酔った頭の中でグルグル回ってい
に書きます)
※注1 今となっては考えられないことだが、当時のカッパ・ブック
スの奥付には、著者の住所が入っていた。そして、この住所を見て小
た。
結局、なんだかワケがわからないまま駒沢通りでカネを払
わずハイヤーを降りると、ヨタヨタと歩いてアパートに辿り
室氏のアパートを訪れてくるファンもいて、私はそうしたファンの
オジサンと小室氏の三人で飲んだこともある。小室氏はまったく迷
惑がる素振りもなく、ファンの意見にも耳を傾けて議論をしていた。
※注2 この「スケッチする」というのも小室氏の原稿の中によく出
てくるワードで、話がそれていく元になった。
※注3 急いで付け加えておくと、この「タイトル会議」はいずれ本
稿の補助線の一つになる。
※注4 ただ、それだけに小室氏の原稿というのは、担当者によって
編集の仕方がぜんぜん違っており、相性の良し悪しというのもあっ
た。
4
5
着き、あわててトイレに駆け込んだのだった。
写真はかつて小室氏が住んでいた練馬区石神井台の現在の風景。自転車屋さ
んの後ろのマンションが建っている場所に藤美荘はあった。