ビオトープ技術からの持続可能な斜面保全へのアプローチ

ビオトープ技術からの持続可能な
斜面保全へのアプローチ
ています。一般には、多面的機能のうち、木
材等の生産機能を除くものについて、公益的
機能と呼ばれています。
これまで、森林の公益的機能の評価は難し
(株)宇部セントラルコンサルタント
宮
川
央
輝
いとされていましたが、平成 13 年 11 月に日
本学術会議では日本全国の森林の機能をわか
りやすく評価するための試算を行い、森林の
貨幣換算( 換算可能な一部の機能のみの評価 )
1
はじめに
において、森林は 1 年間で 70 兆 3 千億円の
貨幣価値を生み出しているとして話題となり
我が国の国土は 、南北に細長い島国であり 、
ました。このうち、表面浸食防止や表層崩壊
列島の中央を急峻な山脈が縦断し、国土の75
防止による土砂災害防止機能は36兆698
%を山地が占めています。このため、地震、
6億円と試算されています。
火山噴火、豪雨、豪雪等による災害が発生し
やすい構造となっています。さらに、開発の
拡大による自然破壊は、土砂災害や、洪水な
どを引き起こしています。
(2)植生の斜面崩壊抑制機能
一般に、雨が降ると斜面崩壊が発生しやす
くなりますが、短期集中豪雨と長雨とでは、
さらに近年における地球温暖化等の影響に
斜面崩壊機構が異なり、長雨の場合は地下水
おいて、集中豪雨などの異常気象が顕著とな
位が上昇し、斜面全体が重くなるとともに、
っており、土砂災害など甚大な被害を及ぼし
地盤強度が低下して地滑り性崩壊が発生しま
ているといわれています。
す。
その一方で、世界的な環境意識の高まりと
しかし、近年の異常気象の特徴ともいえる
ともに、森林や自然の循環全体に対する総合
短期集中豪雨においては、地表面からの浸透
的な評価の見直しが行われ、ビオトープ技術
水により、飽和帯が徐々に地下に広がってい
の導入とともに持続可能な環境保全が推進さ
きます 。こうした浸透流が発生した場合には 、
れているところです。
根系による抑止力が非常に重要となります。
私はこれまで自然環境保全の環境部門技術
つまり、深い根をもつ樹木が、ちょうどアン
士及び1級ビオトープ管理士の技術者として
カーのような役割を果たし、根のせん断抵抗
様々な現場を考察してきました。ここでは、
力あるいは引き抜き抵抗力によって斜面崩壊
持続可能な斜面保全の手法としてビオトープ
を抑止する効果が生まれます。
技術を生かした植生技術による斜面保全を考
えます。
また、竹のように根は浅いものの横に絡み
合って広がる根においては、ちょうど法枠を
かぶせたような「総持ち」効果を持つことと
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自然環境の防災的価値
なり、表層崩壊に対する抑止効果が生まれる
ことになります。
(1)森林の公益的機能
森林は,木材の生産機能のほか、渇水や洪
但し 、竹のように根の深さが一定の場合( 竹
の 場 合 は 50cm 程 度 )、 飽 和 帯 が 徐 々 に 地 下
水を緩和し 、良質な水を育む水源かん養機能 、
に広がり、根系より深くなったときに、根の
山地災害の防止機能、二酸化炭素の吸収・貯
抑止力がなくなった深さで、地盤がせん断破
蔵や騒音防止、飛砂防止などの生活環境保全
壊を起こし、斜面崩壊が発生します。このた
機能、レクリエーションや教育の場の提供、
め、こうした場合の崩壊跡は、底が平らで、
などの保健文化機能等、多面的な機能を持っ
根がなく、ツルツルした面になっています。
さらに斜面崩壊抑制以外の機能において
活を営んできた「里山」は、多少とも地すべ
も 、樹冠・落枝葉による雨水の直撃の抑制や 、
り・斜面崩壊あるいは土石流と共存してきた
発達した森林土壌に雨水が浸透することで一
歴史をもつ場所です。
気に流出することを防ぎ、洪水緩和や土壌流
出防止機能なども果たしています。
我が国の山間の小平野では、平野部は田ん
ぼにして、人家は山裾にはりつくというのが
一般的な集落パターンであり、日本の原風景
(3)自然林とスギ植林との比較
的な里山景観を形成しています 。それゆえに 、
さて、同じ森林においても、自然林とスギ
こうした集落は、背後からの地すべり・斜面
の単一植生に代表される人工林の植生では、
崩壊あるいは土石流とはいつも隣り合わせで
その機能効果には差があります。
ありました。集落は、むしろ土砂災害の起こ
自然林においては、多様な樹種の混交によ
り、複雑な根系が形成され、前述したような
りやすいところを選んで立地しているとさえ
いえます。
根のせん断抵抗力あるいは引き抜き抵抗力
その典型例が地すべりで、地すべり地の特
や、土壌の保持力が発揮されることになりま
徴である、緩傾斜・地下水が豊富(湧水が多
す。さらには、高木・亜高木・低木・草本な
い )という条件は 、耕作に適していますから 、
ど多層構造を形成することにより、雨水直撃
地すべり地を選ぶかのように集落が立地して
抑制や発達した土壌が形成されます。
います。我が国には、棚田・千枚田の美しい
一方、スギはもともと根が深い樹種といわ
れていますが、人工林の多くは急峻な斜面に
風景も形成されていますが、これらは地すべ
りと共存する歴史でもありました。
植林してあるため、岩盤が浅く、根が深く入
そのため、古くからこうした土砂災害に対
り込みようがない場合があります。また同時
して、人々は比較的フレキシブルな家屋構造
期に一斉に皆伐・植林するため、樹木の根の
や、小割りした棚田、空石積・狭い無舗装の
成長もほぼ一定となり、地下を支える根系は
道など、自然改変度が小さく「あら」のみえ
単純な構造となります。そのため、斜面崩壊
にくい集落インフラを整備し、長い間共存を
を抑止する効果は総じて低くなります。さら
はかってきました。さらに、長い経験と伝承
に互いの根は絡み合っていないために竹のよ
に裏付けられたそれぞれの土地への深い知識
うな「総持ち」効果もありません。
や独自の土地利用、生活文化が我が国で発達
こうして、多様な姿をもつ自然林と比較し
していきました。
て、単一なスギ植林では崩壊発生率が高くな
る傾向があります。
さらに過去に自然林を伐採し、環境に合わ
しかし、近年、剛性の高い建築・圃場整備
や道路拡幅による大規模な切土・盛土、コン
クリート構造物など、力技で自然に対抗する
ないスギの造林を行った結果、表層の土層が
技術が導入されることで 、地すべりと「 共存 」
侵食され荒廃地化し、莫大な経費を要する治
する生活から「対決」する生活に変わってい
山工事が必要になった事例も多くあるといわ
き ま し た 。 さ ら に は 、「 共 存 」 で は ぐ く ま れ
れています。三代先を考えて植林するといわ
た貴重な技術や考え方、その営みすら現在、
れている林業の営みにおいて、自然の営みへ
失われつつあります。
の配慮や森の育成や管理に長期的に視点が重
要となります。
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土砂災害と里山の生活の歴史
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望ましい斜面植林の姿
今後、頻発する異常気象による土砂災害を
抑制していくためには、当然これまでの斜面
我が国がこれまで自然と共存し、独自の生
保全対策工法も求められますが、さらにビオ
トープを意識した技術の導入を図ることで自
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おわりに∼対決から共存へ∼
然環境の本質的な改善を図り、持続的に安定
した国土の形成を推進していくことが求めら
自然とは、一部の自然の変化(攪乱)を取
り込みながら全体として多様な姿をもつこと
れます。
そのため、単に斜面保全機能を高めるだけ
で、安定を保つ機構をもちます。逆に経済性
でなく、今後の道路等の斜面保全では、貴重
を追求することは、単純化・恒久化に進むこ
な山林部のグリーンベルトの形成など、地域
とになります。ここに自然と人為のひずみと
生態系への配慮をはかることによって近年の
対立が生まれています。
鳥獣による農作物被害や野生動物の生息環境
整備を担っていくことも必要です。
さらに、景観法が制定され、シーニクバイ
ビオトープの技術というのは、単に生物を
保全する技術だけではありません。経済の単
一の価値観や 、短いスパンでの価値観を改め 、
ウェイなど景観価値の高いグラウンドデザイ
人と自然が長い営みの中で折り合いをつける
ンの形成が求められています。豊かな自然景
価値観を導入する技術でもあります。
観がそのまま地域の財産として認知される
ビオトープ技術の導入によって、コストを
中、斜面保全においてもむき出しのコンクリ
最小限とした斜面保全の目的を達するだけで
ートはできるだけ避ける必要があります。
なく、地域の実情をふまえたライフサイクル
ビオトープ技術では 、環境を保全するため 、
コストや、景観・環境の損失・動植物との共
ミティゲーションとよばれる手法があり、大
生空間としての価値観を見直し、計画段階か
きく次の4手法があります。
ら 、自然と地域の人との営みに関与しながら 、
回
工法および今後の自立的な維持管理の体制を
避:保全すべき生態系を、計画地変更、
路線変更、トンネル化などの計画レ
ベルで避ける方法
考える必要があります。
さらに今後は、ハードの抑制技術だけでな
最小化:保全すべき生態系への影響を構造の
く、斜面保全を通じた土砂災害の啓蒙活動や
変更など設計レベルでの対処により
自 然 環 境 保 全 へ の 住 民 参 加 や NPO と の 協 働
最小化する方法
を積極的に推進しなければなりません。
代
修
替:保全すべき生態系が事業によって止
これまでも全国各地で豊かで災害につよい
むをえず消失する場合、同等以上の
森 や 国 土 形 成 を 進 め る た め 、「 ど ん ぐ り の 森
生態系を他の地域に設ける方法
づ く り 」 や 「 森 の 間 伐 体 験 と 利 用 」、「 里 山
復:事業によってダメージを受けた生態
の炭焼き学校」などの活動が行われ、創意工
系を、表土の復元や植栽によって修
夫を凝らした持続的な環境形成が実現されつ
復する方法
つあります。
これらの手法はまずは上位の項目から優先
さらに、我が国の植林や土砂災害への対策
的に検討を行っています。つまりまずは計画
などの経験と技術は、現在アジアをはじめと
レベルで環境への影響を回避や最小化を行
する植林活動に生かされ、地球環境の保全に
い、やむ得ない場合には代替や修復を図ると
おいても実績を積んでいます。
しています。
今後、斜面保全の現場が、地域の重要な教
斜面保全においても、上記にあげたように
育・啓蒙拠点となるとともに、失われつつあ
多様な価値観や景観・環境の保全を図るた
る里山文化の発見や自然と人の共生空間とし
め、回避を含めたミティゲーション手法の活
ての貴重な場として発展することを期待した
用と事業の各段階での検討を進めることが望
いと思います。
ましいと考えます。