高い山に挑戦する楽しみ

まさか、ほんとうにきいてみてくれた人がいるとは考えられないけれど、先月号の解答から書いて
おくことにしよう。アバドの指揮して録音したモーツァルトの第40番の交響曲は、クラリネットの
加わっていない版によって演奏されていた。
ところで、モーツァルトの交響曲はどれも、30分にみたない時間内で演奏可能である。ところが
ベートーヴェンの交響曲になると、演奏時間が1時間をこえるものもでてくる。さらに時代がくだっ
て、ブルックナーやマーラーの交響曲になると、もっと長いものがある。ロックのコンサートの演奏
時間は、アンコールを入れても、ほぼ1時間半といったところである。その1回分のコンサートと同
じ演奏時間の交響曲も珍しくない。クラシック音楽は、1曲1曲が、おおむね長い。したがって、ク
ラシック音楽のききてには、耐久力が必要になる。
そのように長い曲の多いクラシック音楽のなかでも特に長大な作品を、今回は、ご紹介する。これ
は、交響曲ではなくて、オペラである。ワーグナーの楽劇4部作「ニーベルングの指環」である。こ
の作品を全曲上演するためには4晩かかる。コンパクトディスクでも十五枚である。物語は複雑をき
わめているので、簡単にここに書くわけにはいかないが、はなしの推移の過程で、双子の兄と妹が愛
しあって子供を生んだり、英雄が怪物と闘ったり、魔法で変装していたり、あるいは甥と伯母さんが
結婚したりするといった、なかなか刺激的なところもある作品である。
大変に大掛かりな作品であるから、あまり上演されない。もし、仮に上演されたとしても、いきな
りそれをみにでかけて、
「ニーベルングの指環」が楽しめるというわけでもない。ワーグナーのライフ・
ワークとでもいうべきこの作品を楽しむためには(ワーグナーは作曲をしただけではなく、台本も自
分で書いた)、どうしてもききての側にそれなりの予習が必要になってくる。おそらく、音楽をきくた
めに予習なんてとんでもないという人にとって、この「ニーベルングの指環」は無縁の作品である。
ついでだから、ちょっと先輩ぶっていっておきたいと思うが、安易に楽しめるものは、すぐにあきる。
音楽をきくのも、山に登るのと似ている。高い山に登ろうとしたら、やはりそれなりのことが必要に
なる。
「ニーベルングの指環」には、ライトモティーフといわれる面白い音楽的な仕掛けがある。それぞ
れの人物や物を暗示する音楽がきまっているので、その音楽をおぼえてしまうと、物語のおおよその
移り変わりがわかる仕組みになっている。ライトモティーフをおぼえてしまえば、
「ニーベルングの指
環」は下手な劇画などより、よほどわかりやすいし、しかも面白い。ただ、そのライトモティーフを
おぼえるためには、ほんのちょっとの予習が必要である。
ショルティの指揮したものが、LPでも、CDでもでている。演奏も録音もいいが、なにぶんにも
高価である。区立図書館等を利用してきいてみてはいかがであろう。楽しさをうけあう。しかし、あ
らかじめいっておきたいと思うが、初めは、多分、退屈する。それを我慢しているうちに、やがて「ニ
ーベルングの指環」の面白さがわかってくる。そのときに味わう喜びは、きっと、エヴェレスト登山
に成功したときのようなものである。
ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」(全曲)
ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ユニバーサル/デッカ POCL-9943/56)
※Burrn!