「安藤軍治展」 コレクター・剱持雅章さん訪問(新九郎通信 2015 年 8 月号) 「安藤軍治」 (1915~1973)という作家をご存知だろうか。国府津小学校・小田原中学(現・小田原高 校)出身の小田原ゆかりの作家である。東京美術学校(現・東京芸大)を卒業後、日展特選 2 回、一 水会会員として活躍。昭和 32 年から 34 年には『主婦の友』の表紙を描いた作家でもある。東京証券 取引所第 1 会見室の壁をかざる『ウクレレを持つ女』は会見の際にはメディアでも見ることのできる 「安藤の作品」である。57 歳という作家として油の乗った絶頂期に急逝し、今年は生誕 100 年に当た る。その生誕 100 年を記念した展覧会が、8 月 19 日から 24 日までギャラリー新九郎で開催される。 実は、今年の 3 月「安藤軍治生誕 100 年記念特別展」が、作家ゆかりの地・小田原市国府津の蓮台 寺にて開催され、一週間で 300 人を超える来場者があった。地元の人が入れ代わり立ち代わり出入り する新客殿には、F100 号(162cm×130cm)の大作『バレリーナ』をはじめ、記念展にふさわしい代表 作が展示されていた。和室に置かれた作品たちは、それぞれがオーラを放っていて、その存在感に圧 倒された。花、風景、特に若い女性を描いたその美しさは、木下孝則(1894~1973 一水会創立に参加、 日展評議員)を思わせる気品ある作風で、観た者を幸せにする温かさがあった。 展覧会の主催は「安藤軍治画伯を偲ぶ会」。その中心となったのはコーディネーターの斎藤良夫さん (元読売新聞記者・元文教大学講師)だ。斎藤さんと安藤作品の出会いは、2006 年 10 月。国府津公民 館で行われた一日だけの展覧会で「安藤軍治」を知ったという。作品を出品したのが、コレクターの 剱持雅章さん(平塚学園高等学校)だ。一日の展示ではもったいないという声に押され、国府津に住 みながら地元でも知らない人も多い作家を知ってほしい、作品を観てほしい。その一念で、今回の展 覧会の準備は進められていった。今回お話を伺った剱持さんは、コレクターと呼ぶにはあまりにお若 く、またお金に物言わせて集める収集家とは印象が違っていた。剱持さんにとって安藤作品コレクタ ーのきっかけはなんだったのか、作品への想いを伺った。 剱持さんは国府津在住だ。高校に勤務する傍ら、20 年間、年に 1 点か 2 点をコツコツと購入しなが ら現在 80 点の安藤作品を自宅に保管していた。コレクションのきっかけは、国府津小学校時代に図書 室で観た 100 号の作品にあった。安藤軍治は生前、国府津小学校と国府津中学校に 100 号の婦人像を 寄贈していた。国府津小学校の図書室に掛けられていた婦人像は、大好きな絵として純粋な子供の眼 に強く印象に残っていたという。子供の豊かな感性と本物の持つ作品の力を改めて思い知らされる。 その後、母親から「安藤軍治」とは遠縁に当たる事を聞かされ、その人物にも興味を持ち、今日に至 ったという。 作品との出会いは意外にも地元のリサイクルショップだった。色紙に書かれた水彩画に「G.ANDO」 のサインを見てすぐに買い求めたという。作品が手元に来ると、作家への興味はどんどん膨らみ、学 生時代は神田の古本屋、また絵画専門のオークションやネットなどいろいろな手段で作品をコレクシ ョンしていった。安藤には熱烈な個人コレクターがいて、市場に出回る作品は少ないと言われている。 三越、高島屋などデパートで人気を博していた作家は、人気ゆえに贋作もあるという。展示に関して は、軍治のご子息の安藤直人さん(東京大学名誉教授)が監修してくださるのだという。 個展の開催には、コーディネーターの斎藤さん、コレクターの剱持さん 監修の安藤直人さんの熱 意と、何より作家「安藤軍治」への熱い思いがあって実現できたことを思う。剱持さんご自身は学芸 員の資格を持つも、絵画コレクターというより安藤軍治資料収集家としての意識が強いという。作品 を通し、子どもの頃自分が感じた感動を地元の子どもたちにぜひ体験し、国府津の作家として大事に してほしいと語る眼は、実に穏やかで優しい。また、この機会に「安藤」を知る方々との情報交換も 楽しみにしているという。将来的には市への寄贈を通し、末永く郷土の作家として人々に楽しんでも らえたらと語る。 生誕 100 年を迎え、生まれ育った小田原の地でこうした熱い思いを持つ人々によって実現した「生 誕 100 年展」を一番喜んでいるのは「安藤軍治」画伯ご自身に違いない。折しも夏休み、こうした人々 の熱い思いの詰まった『安藤軍治展』に、一人でも多くの子どもたち、地元の人たちに観て知ってい ただける機会になってほしいと願いながらご自宅を後にした。 (「新九郎友の会」木下和子) 安 藤 軍 治 画 業 特 別 展 サイゴン娘 FF1155 安藤軍治画伯 ((旧姓::石塚、11991155--11997733)) 神奈川県小田原市国府津生まれ。 東京美�術学校 ((現 東京芸術大学))卒業後、東京を拠点に日展、一水会展等 で活躍、雑誌「主婦の友」の表紙画や、油絵を中心に数多くの作品を残 したが、5577歳で急逝。本年が氏の生誕110000年であることから劔持雅章氏 の蒐集作品による特別展を開催する運びとなりました。昭和時代の女性 像を明るく作品に残した画業の一端をご高覧賜れば幸いです。 22001155年盛夏 安藤軍治画伯を偲ぶ会 2015年8月19-24日(10:00-18:00 最終日15:00まで) ギャラリー新九郎 (伊勢治書店本店 3F) 小田原市栄町2-13-3 (TEL 0465-22-1366) 小田原駅東口下車 徒歩10分 生 誕 1 0 0 年 「生 安 誕1 藤 00 軍年 治 」 2015年 8月19日~24日 午前 10 時~午後6時 画 業 特 別 展 (最終日は午後3時まで) 父優日店一 ら 」 ・ 水 石を展。 東 塚モ特京会 千デ選美会 員 之ル2 回術。 に 助 。学小 は『 主昭校田 作婦和( 家の三現原 市 ・友十・ 東国 北 村』 の二京府 透表年芸津 谷紙か術出 とをら大身 、計三学。 い十十)生 と 四卒家 こ五年。 。回ま は 「 掲 石 載で 塚 。映 画 材 女 木 旧 姓 ・ 石 塚 軍 治 ( 1 9 1 5 ~ 1 9 7 3 ) ギャラリー 新九郎 8 月 軍 安 治 画 8 藤 伯 月 長 23 直 男 日 人 、 東 ( 氏 京 日 大 曜 ギ 学 日 ャ 名 ) ラ 誉 リ 教 授 午 ー 後 ト 2 ー 時 ク (伊勢治書店3F) 0465-22-1366 小田原市栄町 2-13-3 入場 無料 生誕100年 「安藤軍治」アラカルト 安藤軍治(あんどう・ぐんじ)旧姓:石塚軍治 見喜む 出びづ真 略歴 しをか実 1915 大正4年12月31日生 、感しの よじい美 生家は石塚材木店(神奈川県小田原市国府津) りまこと 1934 昭和9年 小田原中学校(現・小田原高校)卒業 ( よすと思 あ 1942 昭和17年 東京美術学校(現・東京芸術大学)卒業 りい 。でわ 作 在学中に「大同石仏調査研究」のため大陸へ出張 し品人すれ が 日 1943 昭和18年 大陸スケッチ展(小田原にて) を間、る の 一水会展に出品 残をそ方 「 安し含こ向 1951 昭和26年 一水会会員に推挙される 藤ためにに 1955 昭和30年 皇后さまとばら謹写(『主婦の友』口絵) 軍いた何努 1957 昭和32年 『主婦の友』表紙。映画女優らをモデルに4月号から 治 と 自 物 力 」願然にを 1959(昭和34年)12月号まで計15回掲載 のっ 1959 昭和34年 皇太子・美智子さま謹写(『婦人倶楽部』口絵) メてのも重 ッい中変ね 琉球スケッチ展(銀座松坂屋) セまにえる 1963 昭和38年 東南アジアスケッチ旅行 ーす自がこ ジ。己たと 第25回一水会展会員佳作賞 ) をいは z 昭和38年 第6回日展特選 「サイゴン市場の女たち」 1964 昭和39年 第26回一水会展会員優賞 1965 昭和40年 カナダスケッチ展(新宿伊勢丹) 1966 昭和41年 ヨ-ロッパ・エジプト旅行 1966 昭和41年 第9回日展特選 「Yさん」 1967 昭和42年 第10回一水会々員展記念賞 第29回一水会展岩倉具方賞 1968 昭和43年 一水会委員に推挙される 日展委嘱出品 1969 昭和44年 最高裁長官横田正俊氏像を描く 東京証券取引所・兜倶楽部第一会見室(上) 1971 昭和46年 渡欧 に掲額されている安藤軍治作品「ウクレレを持 1973 昭和48年7月28日 死去 享年57歳 つ女」(左) 2015 平成27年3月 「生誕100年 里帰り展」 (小田原市国府津 「蓮台寺客殿」) 2015 平成27年8月 「ギャラリー新九郎」で「生誕100年展」 ○「安藤軍治生誕100年展」出品作品 所有者 劔持雅章(安藤軍治の遠縁。平塚学園高等学校。国府津在住) 接「新か「「ギ 監 修 安藤直人(安藤軍治長男。東京大学名誉教授。東京在住) す上九ら伊北ャ る下郎付勢条ラ 安藤軍治展ポスター制作及びコーディネーター 万 け新早リ 」 を民のた九雲ー 斎藤良夫(元・読売新聞記者、元文教大学講師。国府津在住) 作 目にモ ッ名郎」新 家 「 北 村 透 谷 」 ( 本 名 ・ 門 太 郎 ) の 系 譜 指誠ト前長の九 す実ー。 本郎 。にの 氏名 」 「軍治生誕 100 年展」の打ち合わ せをする軍治長男の安藤直人氏 (右)とコレクターの剱持雅章氏 3月に「里帰り展」が開かれた蓮台寺の会場風景 (生家の石塚材木店は蓮台寺の敷地を借りていた) 軍治の父・千之助は、透谷より 1歳6か月年下の、いとこ
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