阪神大震災 ある整理部員の手記

阪神大震災 ある整理部員の手記
■新編集講座 ウェブ版
第20号
2015/1/15
毎日新聞大阪本社 代表室長(元編集制作センター室長)
三宅
直人
1995 年 1 月 17 日午前 5 時 46 分に発生した阪神大震災から、間もなく 20 年になります。あの日、大阪本社の整理
部員は、自らが被災者であると同時に編集者でもありました。大震災にどう動き何を感じたのか。一つの事例として、
当時31歳の整理部員で現大阪本社編集制作センター校閲担当部長の島田智氏の手記(下欄参照)を紹介します。
■ その瞬間、何か叫んだ気が
就寝直後、ゴーという音で目が覚めた。マンション(神戸市
灘区)のすぐ前を JR 神戸線の高架が通っており、
「今朝はえら
い電車がうるさいな」と思った次の瞬間、強烈な揺れが襲った。
立ち上がろうにも立ち上がれず、布団の上に四つんばいになっ
て、揺れがおさまるのを待つだけ。山積みにしてあった CD が
床一面にぶちまけられていく様子だけが印象に残っている。何
か叫んだような気がするが、よく覚えていない。
そ
の
時
、
整
理
記
者
は
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を
作
り
ま
し
た
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本
社
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制
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セ
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で
は
、
揺れがおさまった後、ベランダに出た。
「何でこんなに霧が出
ているのだろう」。次に目に入ったのは、破壊された JR の線路。
架線の電柱が、全て外側に折れ曲がって倒れている。
服を着て外に出た。マンションの裏を見ると、木造の文化住
宅や一戸建てがほとんどつぶれている。「霧」だと思ったものが、
倒壊した家の土煙だということに気がついた。5、6軒西の住
宅や線路の向こう側のアパートから次々と火の手が上がり、
「お
ーい、おーい」と誰かが叫ぶ声が響いていた。
=
神
戸
市
灘
区
で
95
年
1
月
24
日
■
編
集
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神
戸
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六
甲
道
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付
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の
線
路
■ 近所の人とお年寄りを救出
車で午前 8 時半ごろ灘を出発。マンションの住民は、ほとんどが外に出て前の道路
に集まっている。その前を、自分だけ車で「逃げ出す」には、かなりの勇気が必要だ
った。近所の人と協力して近くの半壊した住宅からお年寄りを助け出したりしたが
(幸いケガはなかった)
、あとは手のつけようがなく、火事も燃えるに任せるまま。
「こ
こにいても何もできることはない」というのを言い訳にして会社に向かった。
倒れた電柱やがれきをよけジグザグに走る。10 時半ごろから 11 時にかけ最も被害
のひどい岡本付近通過。足にケガをした青年が女の子の肩を借り歩いていく。「乗っ
ていけよ」と思ったが、歩く方が速いので姿が見えなくなってしまった。昼ごろ芦屋。
壊れた病院前の路上で、医師が患者に心臓マッサージをしている。
午後 3 時半ごろ、尼崎のガソリンスタンドで会社に電話。デスクが「無事やったか。
君と北岡(神戸市長田区在住の部員、後に無事確認)だけ連絡取れんかったんや」
。
午後 4 時半、
(8 時間かかって)会社着。泊まりで死者名簿のページを担当。
「知っ
ている名前はないか」
、新しい名簿が届くたびに緊張する。
亡
く
な
っ
た
方
の
名
簿
を
掲
載
し
た
紙
面
=
95
年
1
月
18
日
朝
刊
■ 「希望新聞」初日を作った
<18日朝刊グラフ>
長田の焼け跡にたたずむ被
=
神
戸
市
長
田
区
で
95
年
1
月
17
日
災者の写真=写真右=に「被爆直後の広島のようだ」と
思う。
<19日朝刊「希望新聞」
(下欄参照)>
初日の編集
を担当。もっともっと情報を詰め込んだほうがいいの
ではないか、と思ったが、翌日以降、密度の濃い紙面
になっていった(㊦は初日紙面)。
一
面
焼
け
野
原
に
な
っ
た
住
宅
街
■ 被災者のための「希望新聞」
交通機関や電気・ガス・水道など
ライフラインの復旧状況や、商店・
銭湯の営業時間など、被災者のため
の生活情報を満載したページです。
2011 年の東日本大震災の際にも掲
載されました。
<20日夕刊> 社会面に、子供がけなげに水や食料を運ぶ写
真が載る=写真右。このいい写真に黒枠をつける編集者のセンス
を疑う。死んでしまったみたいじゃないか=右欄参照。
<24日> 休み。
(枚方の実家から通勤していたが)服や貴重
品を取りに、1週間ぶりに六甲道のマンションへ。昼過ぎに実
家を車で出発。宝塚から有馬に入り、六甲トンネルを抜けるコ
ース。たっぷり 7 時間かかった。
表六甲ドライブウエイに入ると、普段なら「百万ドルの夜景」
が眼下に広がる。しかし今は見る影もなく、暗い町並みに胸を
つかれる思いがした。
マンションに着いたのは午後 7 時ごろ。全く人けはない。5
階の自分の部屋にだけ明かりがついていてぎょっとする。電灯
をオンにしたままだったので、電気が復旧して以来、明かりが
つきっぱなしになっていたようだ。周囲にはひっきりなしに緊
急車両のサイレンの音が鳴り響き、それにせかされるように、
服や実印や通帳などだけ持って引き揚げた。
■ たかが陶磁器じゃないか
<26日朝刊>
「中国の陶磁名品も被害」が1面トップ=右
図。あまりにバカバカしく腹を立てる気にもならない。5000 人
も死んでいるのに、たかが陶磁器が壊れたくらいで1面アタマ
にするとは=右欄参照。
<28日夕刊> 完全に破壊された六甲道駅のカラーPが1面
に。
「神戸線が全線復旧しても六甲道駅は通過」と。やっぱり引
っ越さないと、と思う半面、このままとどまって、神戸復興を
肌で感じてみたいという思いも。
の
気
持
ち
を
考
え
て
い
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い
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と
指
摘
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真
は
、
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の
記
事
と
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切
り
を
く
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き
り
さ
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る
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り
に
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■
こ
の
扱
い
に
つ
い
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、
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災
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田
氏
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を
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明
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陶
磁
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面
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プ
」
に
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