平成27年7月号

一般財団法人
TEL(088)636-3212
FAX(088)636-3213
http://izokukai.jp/
発行責任者
増 矢 稔
印 刷
グランド印刷㈱
また、第六回理事会では、任
期 満 了 に よ る 役 員 改 選 を 行 い、
新役員を全会一致で決定した。
評 議 員
椋本 正子・芝
正裕
井上
晃・田村 邦夫
宗本 卓士
吉成 和美・古林勢一郎
秋山
匡・位頭 文雄
松田 保治・池内 慶治
坂東 良治
粟飯原富子・椋本 貞憲
西條 利朗
順子・谷﨑 丈雄
濵
上田 道夫・杉本 文好
鉄野
永・藤川
巖
佐々木厚子・山下 善美
西内 重文
山口 博視
尾崎 義明
山本
肇
近藤 忠夫・粟飯原康史
前田 昌成
ご 挨 拶
会長 増 矢 稔
再任に当たり一言ご挨拶を申
し上げます。
この度、徳島県遺族会理事会
において会長に再任され大変恐
縮致しますと共に、改めて責任
の重さを痛感致しております。
これからも、徳島県遺族会会
員の一人として与えられた立場
で、遺族としての役割・遺族会
の 為 に 何 を す べ き か を 念 頭 に、
県遺族会の各種事業の推進、特
に徳島県戦没者記念館事業の充
実・孫曾孫世代の充実等、高齢
化した組織の持つ様々な課題に
ついて、会員の皆様と共に、取
り 組 ん で 参 り た い と 存 じ ま す。
旧来に増してご指導を賜ります
こと、心からお願いを申しあげ
ます。
さ て、 私 は 本 年 六 月 八 日 を
もって日本遺族会副会長を退任
致 し ま し た。 顧 み ま す と 昭 和
四十七年二月日本遺族会青年部
の役員を仰せつかって以来、日
本遺族会の理事・常務理事・副
会長と、四十三年間英霊顕彰運
動・処遇改善・組織活動等に微
力でありますが、携わらせて戴
きました。
これもひとえに徳島県
遺族会会員の皆様方に陰
に陽にとお支え戴き、ご
指導を賜りましたご厚情
の 賜 物 と、 感 謝 を 込 め、
心からお礼申し上げま
す。
本当に有難うございま
した。
● 8 月 8 日(土)
武田 文男 氏(73)(美馬郡遺児部長)(つるぎ町) 「16 地蔵の紙芝居」
● 9 月 12 日(土)
春藤 嘉雄 氏(84)(松茂町)
「私の戦争体験」
● 10 月 11 日(土)
舟越 一人 氏(78)(元中学校教師)(徳島市)
「大東亜戦争と少国民」
*毎月第 2 土曜日に開催(13:30 ~)
徳島県遺族会
ブロック 市
理 事
監 事
郡
上浦喜代志
1 徳 島 市 米川 孝宏
緒方 和子
上田 哲夫
鳴門市
南濵 正憲
2 阿 波 市 吉川 精二
増矢 稔
板野郡
近藤 隆弘
池添 哲哉
阿南市
松原 良明
3
海 部 郡 坂千代克彦 田村 清朔
大栗 重昭
吉野川市 後藤田重喜
近藤 年江
美 馬 市 小笠 功
4
福田 敬二
三好市
木下 豊幸
美 馬 郡 武田 公一
三 好 郡 長谷 邦男 岡井百合子
小松島市 花枝 吉浩
勝 浦 郡 東 功
5 名 東 郡 谷渕 孝雄
名 西 郡 萩原 一徳 阿部 健夫
亀代 高男
那賀郡
延 敬子
三 好 市 高井 勉 (部長)
青年部
語り部事業のご案内
第2ブロック(板野郡)
第1ブロック(徳島市)
第2ブロック(阿波市)
第3ブロック(海部郡)
第4ブロック(三好市)
第5ブロック(名西郡)
遺児部長 (三好市)
女性部長 (吉野川市)
増矢 稔
上浦喜代志
吉川 精二
坂千代克彦
福田 敬二
萩原 一徳
木下 豊幸
近藤 年江
会 長
副会長
発 行 所
徳島市雑賀町
東開21番地1
任期満了で役員を改選
県遺族会、理事会と評議員会を開催
県遺族会の第五回理事会が六月十一日、第四
回評議員会、第六回理事会が六月二十六日、護
国神社において開催された。
第五回理事会には、来賓として徳島県保健
福祉部地域福祉課矢間課長、福井課長補佐に
出席いただいた。矢間課長からは、挨拶の中
で、「継続・増額が認められた特別弔慰金につ
いては、約二万件の請求があり、早期の裁定、
適正な処理に努
め た い。 ま た、
終戦七十周年と
いうことで県戦
没者追悼式を昨
年に続き実施す
る」旨の説明を
いただいた。
第五回理事
会、第四回評議
員 会 は、 平 成
二十六年度一般
会 計 事 業 報 告、
歳入歳出決算並
びに理事の選任
等を審議し、原
案のとおり決定
した。
役員改選後一般財団法人徳島県遺族会理事・監事・評議員
第173号
徳 島 県 遺 族 会 会 報 (1) 平成27年7月15日
平成27年7月15日 (2)
徳 島 県 遺 族 会 会 報 第173号
役員等研修会が開催される
い て「 意 見 発 表 」、 さ ら
平成二十七年四月
に同第十事務局長が、「平
二 十 九 日( 水 )、 平 成
成二十七年度事業計画」
二十七年度役員等研修会
を説明した。
がグランヴィリオホテル
で開催され、二百三十五
特別講演として、日本
遺族会森田副会長が「日
名の会員が出席した。
本遺族会の現状と中央情
増矢会長は、あいさつ
勢報告」を行った。同氏
の中で「戦没者記念館に
は「 特 別 弔 慰 金 の 継 続・
ついては、昨年十月五日
増額実現を契機に運営基
開館し、三月までに八千
金の造成を図ることな
人にご入館頂いた。二月
ど、五つの終戦七十周年
末には教育委員会及び
記念事業等にしっかり取
小・中・高二百八十六校
り 組 ん で い く。」 と 述 べ
に案内状を送付した。多
た。
くの若者がこの記念館や
語り部事業に来て頂ける
よ う、 全 力 で 取 り 組 む。
孫・ひ孫の組織化につい
ては、青年部を昨年六月
一日結成した。この三月
には、日本遺族会主催の
青年部研修会に幹部三名
の方に参加頂いた。引き
続きリーダーを養成して
い き た い。」 と 述 べ た。
来賓として、徳島県知事
飯泉嘉門氏をはじめ、参
議院議員中西祐介氏、三
記 念 講 演 と し て、「 英
霊にこたえる会」中央本
木亨氏の出席をいただい
部副会長國松善次氏が
た。
「 こ れ か ら の 遺 族 会 ︱終
研修内容としては、県
戦 七 十 周 年 を 迎 え て ︱」
地域福祉課天羽課長補佐
と題して講演した。國松
が平成二十七年度完全償
還を迎える「特別弔慰金
氏 は、「 日 本 人 は 自 分 に
制 度 」 に つ い て、 ま た、 謙 虚 で 人 様 と 助 け 合 い、
県遺族会青年部高井部長
先祖を敬い、実直に生き
が青年部の活動状況につ
てきた。GHQはそれを
軍国主義と捉えたが、今
道 具 箱 に し ま い、「 僕 に
徳
島
県
遺
族
会
ブ
ロ
ッ
ク
研
修
会
を
開
催
年はGHQ病から脱する
は家族は三歳の妹しかい
最後のチャンス。大事な
ません。家に持って帰っ
平成二十七年六月五日
こ と が ま だ 残 っ て い る。 (金)、六日(土)、七日(日)
て一緒に食べようと思い
英霊のことをきちっと伝
の
三
日
間
、
「
徳
島
県
遺
族
ます。有難うございまし
える日本が作れていな
会ブロック研修会」を開
た。」 と 礼 儀 正 し く お 辞
い。日本がなぜ戦争をし
催した。
儀をした。幼い兄妹が助
たのか、なぜ負けたのか、
け合い、しかも正々堂々
五日の南部ブロック研
そして二度と戦争を繰り
修
会
(
阿
南
市
文
化
会
館
夢
と誇りを持って生きてい
返さないのは当然のこと
ホール)には、来賓とし
る の を 見 て、 建 物 は め
として、何をしなければ
て岩浅嘉仁阿南市長、嘉
ちゃくちゃに壊されたが
いけないのか、まだ道半
見博之自民党県連幹事長
心 ま で は 壊 れ て お ら ず、
ば。私たちは先が見えて
が
出
席
、
挨
拶
を
頂
い
た
。
かなり短い期間で日本は
き た が、 こ れ か ら 先 は、
復興するだろうと思っ
六日の東部ブロック研
次の世代を、きっちりと
修会(徳島グランヴィリ
た。
遺族の立場で、英霊の立
オホテル)には、来賓と
の
西
部
ブ
ロ
ッ
ク
研
修
会
ま た、 明 治 二 十 三 年、
場でものが言える、行動
して、後藤田正純衆議院
(三好市池田総合体育館)
和歌山沖でトルコ船エル
できる日本人を作らない
議員、中西祐介参議院議
には、中西祐介参議院議
トゥールル号が遭難事故
といけない」と述べた。
員、 三 木 亨 参 議 院 議 員、
員
、
樫
本
孝
自
民
党
県
連
政
を起こした際に、地元民
木南征美自民党県連副会
調
会
長
が
来
賓
と
し
て
出
が献身的な救援活動を
また、板野町の玉田裕
志氏が昨年度参加したト
長、岡田元成徳島市保健
席、挨拶を頂いた。
行ったことなどを取り上
福祉部長が、また、七日
ラック・パラオ諸島への
げ、「 日 本 人 の 高 い 精 神
三日間を通して、昭和
慰霊友好親善事業の体験
館
事
務
局
長
平
林
茂
人
氏
に
性」を引き継いでいく必
で生まれて初めてお父
を 発 表。「 子 供 の 時 は 無
「戦後七十年を迎えて」
要があると述べた。
ちゃんという言葉が出て
関心であったが、メレヨ
と題して講演頂いた。平
今回の研修会では、徳
きた。九十二歳になる母
ンでなぜ父は戦死しなけ
林
氏
は
昭
和
館
に
勤
務
し
、
島県保健福祉部地域福祉
れ ば な ら な か っ た の か。 は元気で、毎日墓参りし、
そこで知った話について
課神原美千代主査兼係長
畑の草を抜いている。ビ
退職後、自分のルーツと
触れた。後にハワイ州知
による「特別弔慰金の制
ルマに行くことを伝える
して父の最後の地を一目
事となったジョージ有吉
度説明」をはじめ、県遺
と、お父さん連れて帰る
見て供養したかった。慰
さ
ん
は
、
終
戦
直
後
、
若
い
族会第十事務局長による
んけと言っていた。遺骨
霊友好事業に参加し、戦
兵士として有楽町のGH
「平成二十七年度事業計
も遺品もなく戦死とは
争は悲惨なものであるこ
Qで働いていた時、七歳
画
」の説明、植原正昭氏
思っていないようだっ
とが腑に落ちた。」といっ
の
靴
磨
き
の
少
年
と
知
り
合
(
南部)・井上暁美氏(東
た。私は石を拾い、遺骨
た発表がなされた。
いとなった。少年は身な
部)・阿部正子氏(西部)
としてお墓に骨納した。」
りはボロボロで汚かった
に
よ
る
「海外慰霊体験発
一方、昨年実施された
との発表があった。
県遺族会主催の「ミャン
が
、
貧
し
く
と
も
い
つ
も
礼
表
」
、
山本健司氏(南部・
研修会の後、意見交換
マー・タイ」慰霊巡拝事
儀正しく、しっかりと受
西部)
・増矢卓史氏(東部)
会も開催され、組織の活
業の参加体験についても
け答えをしていた。有吉
による「日本遺族会青年
性化と会員相互の融和が
発表があり、牟岐町の坂
さんは彼に同情して、サ
部研修会報告」も行われ
より一層図られた。
ン ド イ ッ チ を 渡 し た ら、 た。
千代克彦氏から「七十歳
(3) 平成27年7月15日
徳 島 県 遺 族 会 会 報 戦没者記念館だより
1月から5月までのアンケート調査結果について
は以下のとおり。(対象者484名)
▶ アンケート概要
①【来館のきっかけ】は、
「遺族会」37%、
「家族」
21%、「新聞」13%の順。
②【来館の目的】は、
「遺影を見るため」
(35%)、
「展
示の観覧」
(32%)が圧倒的に多いが、
「命日祭」
も12%。
③【来館されての感想】は、「非常に満足した」
が51%、「満足した」が43%と、両方を足すと
94%。
④【来館者の年齢等】は「70歳代」が33%で一
番 多 く、 次 い で「60歳 代 」20 %、「50歳 代 」
12%、
「40歳代」11%、
「80歳代以上」9%、
「30
歳代」6%、「20歳未満」
・
「20歳代」各4%の順。
60歳以上が62%を占める。来館者の遺族の割
合は60%。
第173号
▶ 来館者の感想等(4・5月自由意見:99の意見から抜粋)
・10代の人から集められて、戦地へ行ったんだと思うと、
同じ10代として胸が詰まる。どんな方でも夢や希望
はあったはず。たくさんの想いを持った人達がこん
なにも亡くなり、とても悲しくなる。(10代女性)
・自分と同年代で戦争へ行くことになり、戦死した方々
の顔を見るうちに、何ともいえない無念さ、悔しさ、
残念さ、今まで味わったことのない気持ちを感じた。
(20代男性)
・戦争の怖さ、戦争に行かれた方の気持ちは計り知れな
い。全世界が平和であることを願う。(30代男性)
・徳島県だけでもこんなに沢山の人達が戦死したのを数
値と顔写真で見て、生々しく感じ、平和の尊さを改
めて考えさせられた。(50代女性)
・父に会えるのはうれしいが、何とも言葉では言い表せ
ない思いに涙ぐむ。こうした施設を多くの若い世代
の方に見て頂き、戦争の悲惨さと愚かさを実感して
欲しい。(70代女性)
語り部事業講演要旨
●第7回語り部事業 4月 11 日(土) 南佐古で生ま
れた。父は昭和
「徳島大空襲の体験と広島原爆」 12年、 私 が4歳
の時、中国・上
梶浦 洋一 氏(81) 海で戦死してい
た。身内も戦争
で2人なくなった。少年期は「親父の仇
を取るのだ」と言い、将来は陸軍士官学
校へ行き、陸軍大将になることを夢見て
いた。
戦災を受けた時は小学校6年。昭和20
年3月、大阪爆撃・空襲に向かう約230機の米軍爆撃機
B29とその護衛戦闘機を眉山の頂上で見かけた。松茂飛
行場の方を見ると、高射砲での迎撃が2、3発あったが、
弾は飛行機に届かず、低空で破裂した。大阪は、昼間と
夜に大打撃を受けた。
同年7月3日、灯火管制下で、電灯を黒い布で囲って
夕食をしていたら、空襲警報が発令され、裏の防空壕に
避難した。
深夜、外が騒がしくなったので見ると、青白く明るく
なっていた。町が燃える速さはすざましく、走っても走っ
ても追いかけてくるように火の海であった。
佐古の町は多数の焼夷弾を投下され、東の方から西に
向かって家屋の炎上が始まり火の海となり出していた。
母は小学校3年生の妹の手を引いて、3人で徳島市水道
局の排水場西の椎宮神社前の田圃道まで避難した。
夜が明け、家は幸いにも焼けずに残っていたが、見知
らぬ人が数人いて、雑居生活を数日することになったが、
隙を見せれば乗っ取られるという雰囲気で、緊張した場
面もあった。
2・3日が過ぎた頃、異様な臭いが町内に蔓延してきた。
清水寺の本堂に20体位黒焦げになった遺体が積み上げら
れていた。悲惨な有り様に息を呑み、愕然とした。寺や
神社の境内に集められた遺体は、吉野川の河川敷に持っ
て行き火葬された。
私の知人に広島の三菱重工で働いていて、原爆を被災
して九死に一生を得た人がいる。図面を取りに金庫に
入った瞬間に原爆が落とされ、背中に飛んできた破片や
ガラスが刺さって負傷したものの、命は助かった。何も
無いので、友人と手漕ぎの小船を手に入れ四国に渡り、
徳島へ帰った。母親は背中の傷を見て、気丈にも出刃包
丁で、化膿している肉をえぐり取り、治療した。その措
置が良く、 後遺症も残らず回復した。
現在の核兵器は、破壊力が原爆などと遙かに違うので、
戦火に巻き込まれないように全力を尽くして、平和を追
求していきたいと思っている。
●第 8 回語り部事業 5月9日(土) 私は岡山県井
「戦争の悲惨さ・平和の大切さ」 原市から来た。
隣は広島県と接
渡邊 繁雄 氏(73) する爆弾が落ち
た福山市。遺児
の立場から、井原市遺族会の活動を紹介
したい。
終戦70周年の節目の年を迎え、遺族の
立場として何ができるのかを考えると、
我々は厳しい体験をしているからこそ、
次世代にたくさんの話を伝えていかなければならない。
次世代と言っても、40代、50代が中心だが、もう一つ
下がった小学校6年生に毎年同じように話をしていくこ
とで、同じような考えを共有してくれるのではないかと
思い、「出前講座」を実施している。私たちは、親・妻
の立場の方々からいろいろなことを聞いており、そのこ
とを正しく伝えていきたい。
子供たちに話す時に、徴兵検査、召集令状、千人針、
日の丸の寄せ書き、出征タスキ、幟を説明している。
また、生きて帰って来た方の体験なども紹介している。
「昭和の遺言15年戦争」の一部を紹介したい。
「ビルマのインパール作戦。白骨街道。時折、村人か
らむりやり食料をせしめたが、それだけは足りず、兵士
たちは犬、猫、ネズミは勿論のこと、蛇、トカゲ、カエ
ル、草や木の実など食べられるものは何でも食べた。日
本軍が通過した後は、生き物が何一つ残っていなかった
とさえ言われた。兵士は20センチ足らずの段差さえ上が
れないほど弱っており、病人が続出した。重傷病者はそ
の場に放置され、日が経つにつれて、日本軍が通過した
道の両側には死者が列をなして、腐臭を放ち、それがや
がて白骨化した。後続の者は、死体と白骨を道案内とす
れば、迷うことなく目的地に着けるとさえ言われた。」
講座を聞いた児童たちが感想文を書いてくれるが、共
通しているのは、①戦争がそこまで残酷とは、②食べ物
の大切さ、③当たり前と思われることがそうではない、
④昔の人が命がけで戦争したので、今の自分が生きてい
る、⑤資料ではわからなかったことが聞けた、など。
全国60カ所以上で爆弾が落ちているが、広島と長崎に
原爆が落ちたのは知っているけれど、他にはどこに爆弾
が落ちたのか知らない者も多い。
戦後70年を迎え、我々遺族の立場でできることをどう
しないといけないかよく考えることが必要だと思う。
平成27年7月15日 (4)
徳 島 県 遺 族 会 会 報 第173号
平成二十七年度
東みよし町戦没者追悼慰霊祭
五月二十日︵水︶ふれアリーナみよしにおきまして、東みよし町戦没者追
悼慰霊祭が執り行われました。三好中学校生徒代表による﹁追悼のことば﹂
牟岐町戦没追悼式
追悼式に牟岐中生初めて出席
戦没者の冥福祈る
衣服、表面がどろどろに
で止まった時計や破れた
訪れました。十一時二分
私たちは昨年、修学旅
行で長崎の原爆資料館を
です。
り立っているということ
れない命と犠牲の上に成
が、戦争で失われた数知
私たちのこの幸福な日常
に 立 っ て 感 じ た こ と は、
た。しかし、今日この場
事のように感じていまし
「戦争」は遠い昔の出来
平和な時代に生まれた
私 た ち に と っ て、 正 直
持ちになりました。
じ悲しみでいっぱいの気
された家族の気持ちを感
なかった方々、そして残
で帰ってくることができ
を捧げ、二度と元気な姿
国のためにと、自らの命
た時、言葉を失いました。
たという事実に向き合っ
る方々が尊い命を無くし
そして今、慰霊祭に参
加し、町内の先人にあた
んでした。
場にいることはできませ
私たちも、涙なしでその
くれました。聞いていた
浮かべながらお話しして
りの体験談を、目に涙を
う胸を引き裂かれんばか
光景や家族を亡くすとい
とされた時のすさまじい
語り部さんは、原爆が落
に訴えてきました。また
恐ろしさと悲しみを静か
りません。それが、将来
り継いでいかなければな
セージとして、未来に語
わった苦難を平和のメッ
に、日本が戦争の際に味
じ悲劇が起こらないよう
変えられます。二度と同
変えられませんが未来は
てはいけません。過去は
い記憶を過去のものにし
です。私たちはその悲し
す。日本は唯一の被爆国
の尊い命が失われていま
いが起こっており、多く
なおも、各地で紛争や争
した。しかし世界では今
から世界へ発信されま
という言葉が、この会議
ならない」
「 い つ か で は な く、 今
核兵器を廃絶しなければ
ています。
運動が地球規模で広がっ
た。核兵器廃絶を目指す
地球会議」が開かれまし
平成二十七年五月二十日
こと」
「 平 和 と は、 人 の 痛 み
が分かる優しい心をもつ
す。
肝に銘じて生きていきま
永井博士が語った言葉を
す。原爆資料館で学んだ、
を生きる我々の使命で
三十二名が校長先生、担
牟岐中学校二年生全員
悼式出席が、今年初めて
今年は長年の念願であ
りました児童、生徒の追
平和を誓いました。
福を祈るとともに、恒久
者五百六十七人)のご冥
し、戦没者(牟岐町戦没
名で総勢百八十名が参列
会長、牟岐中生徒三十二
じめ来賓、県遺族会増矢
した。遺族会の会員をは
粛に盛大に執り行われま
牟岐町戦没者追悼式が厳
六月三日(水)牟岐町
役場で、平成二十七年度
生徒さんも命の大切
をしました。
いて考えてほしいと話し
私も戦後七十年の節目
に若い世代にも平和につ
ていただきました。
が白菊を献花台に手向け
た。そして生徒一人一人
出席していただきまし
一環で、平和学習として
任先生とともに、授業の
とけてしまったビン。展
さ て 先 月、「 国 際 平 和
がありました。生徒代表、木村美咲さんの﹁追悼のことば﹂は次のとおり。
示された品々が、戦争の
三好中学校生徒代表
木村 美咲
さ、平和の尊さを、一人
一人が感じられたのでは
ないでしょうか。
私も生徒の出席が大変
嬉しくて、次の日、牟岐
中学校へ行って校長先生
と二年生のクラスのみん
なに追悼式の参列、献花
のお礼をいいました。
そして「県戦没者記念
館あしたヘ」に平和学習
の授業として全員で行っ
ていただくようお願いも
しました。
牟岐町遺族会
会長 坂千代克彦
水落 敏栄(参議院議員)
副会長
宇田川剱雄(東京都)
市來健之助(山口県)
支部だより
百歳のお慶び
日本遺族会会長に水落敏栄氏
理事会・評議員会を開催
会 長
那賀町鷲敷地区の沖野コエンさんが三月二十五日、百歳のお誕生日を迎
えられました。
当日は体調を崩され本人とはお会いできませんでしたが、ご家族の方に
お祝い状と、記念品をお渡ししました。
那賀町鷲敷地区遺族会 会長 亀代 高男
働き者で元気なコエンさんは九十歳までバイクに乗って頑張っていたと
の事です。これからもお元気で過ごされますよう心からご祈念申し上げま
す。
平成二十七年五月七日、小松島市小松島町字外開
の明槻初子さんが百歳の誕生日を迎えられました。
県や市の祝状と共に、県遺族会からも祝状と記念
品が贈られました。
戦争で夫を亡くされた明槻さんは、旅館の仕事や
小料理店を営みながら三男二女を育てられたそうで、
現在は足が不自由な以外は元気で、徳島市内の老人
ホー ム に入居 し、 当日も 家 族や遺 族 会の会 員、県 や
締切期日
平成 27 年 10 月9日(金)
ただし、満員になり次第締め
切ります。
お申込先
〒 770-8021 徳島市雑賀町東開 21-1
(護国神社内)
徳島県遺族会事務局
(TEL 088-636-3212)
改選後の日本遺族会役員名簿
専務理事
畔上 和男
(事務局長兼務)
6月3日㈬、県遺族会副会長、県遺族会女性
部長の近藤年江氏が徳島県知事表彰を受けられ
ました。
近藤氏は平成16年3月から県遺族会評議員
として、また、同19年3月からは理事として、
同25年4月からは副会長として、各事業の推
進に取り組み、本会の使命である英霊の顕彰、
遺族の処遇改善、福祉の増進はもとより、戦
争の悲惨さや平和の尊さを次世代に語り継い
でいくための施設「徳島県戦没者記念館」の
昨年10月5日開館準備、その後の運営等にも
尽力いただいております。
今回の受賞、おめでとうございます。
日 本 遺 族 会 は、 第 七
回理事会を五月二十二
日、第三回評議員会、第
八回理事会を六月八日靖
国会館で開催した。平成
二十七年度政府予算に
対 す る 要 望 事 項、 平 成
二十六年度会計の決算等
が審議され、承認・決定
された。第八回理事会で
は任期満了に伴う役員改
選が行われ、会長、副会
長等新役員が全会一致で
決定された。
~11月18日(水)
市の職員の祝福に笑顔で応え、一緒に赤飯を食べてお祝いしました。
旅行日程/平成27年11月16日(月)
度政府予算に対する要望
事項の大綱は次のとおり。
一 公務扶助料・遺族年
金等の改善
二 戦没者遺児による慰
霊友好親善事業の充実
三 遺骨収集帰還事業等
の拡充強化
四 全国戦没者追悼式へ
の国費参列者の増員等
五 海外等に散逸する戦
没者遺品の返還等
六 国内における民間建
立慰霊碑の維持管理等
の促進
募集人員
30名(最小催行人員 15 名)
小松島市遺族連合会 会長 花枝 吉浩
慰霊祭及び主な観光地
沖縄本島(徳島の塔・摩文仁
の丘・各県慰霊碑・平和の礎)
「徳島の塔」にて慰霊祭を行
います。
旅行代金
89,500円
第 50 回
沖縄「徳島の塔」参拝団募集
また、決定された来年
県知事表彰受賞
お慶び
第173号
徳 島 県 遺 族 会 会 報 (5) 平成27年7月15日
徳 島 県 遺 族 会 会 報 第173号
第10回 特別弔慰金
「終戦70周年記念 平和作文コンクール」の作品募集
支給対象者
平成27年4月1日(基準日)において、
「恩
給法による公務扶助料」や「戦傷病者戦没者
遺族等援護法による遺族年金」等を受ける方
(戦没者等の妻や父母等)がいない場合に、
次の先順位のご遺族お一人に支給。
戦没者等の死亡当時のご遺族で
1 平成27年4月1日までに戦傷病者戦没
者遺族等援護法による弔慰金の受給権を取
得した方
2 戦没者等の子
3 戦没者等の①父母②孫③祖父母④兄弟姉妹
※戦没者等の死亡当時、生計関係を有し
ていること等の要件を満たしているか
どうかにより、順番が入れ替わります。
4 上記1から3以外の戦没者等の三親等内
の親族(甥、姪等)
※戦没者等の死亡当時まで引き続き1年
以上の生計関係を有していた方に限り
ます。
支給内容
請求期間
額面25万円
平成27年4月1日から
5年償還の記名国債 平成30年4月2日まで
請求窓口
お住まいの市区町村の援護担当課
15
26
15 13
11 9
70
29 19 13
平成二十八年版
靖國カレンダーを
家庭にかかげましょう
●維持会費
五百円︵支部還元金百七十
円︶県本部への支払いは還元金
を 差し引いて三百三十 円 をお
払い込み下さい。
なお、
二十五口
以上お申込み頂ければ送料が
無料になります。
十一∼十二月 雪の
靖国神社・拝殿
●申 込 先
徳島市雑賀町東開二一番地一 護国神社内
英霊にこたえる会徳島県本部
※詳細は県遺族会事務局にお
問い合わせ下さい。
TEL 〇八八 ︱六三六 ︱三二一二
英霊の御心を次の世代に傳えましょう
30
遺族会の動き
15
13 11
平成二十七年五月~六月行事実施
31 25 16
︵五月︶
14
8日 語り部事業(戦没者記念館)
日 日本遺族会女性部長会(旧九段会館)
日 監事会(護国神社)
日 正・副会長会議(護国神社)
︵六月︶
15
日 終戦 周年慰霊大祭(靖国神社)
日 徳島県戦没者記念館建設奉賛会総会
及 び 運 営 委 員 会 合 同 会 議( 護 国 神
社)、理事会(護国神社)、徳島県戦
没者記念館奉賛会総会(護国神社)
日 語り部事業(戦没者記念館)
日 女 性 部 正・ 副 部 長・ 幹 事 会、 女 性
部役員会(護国神社)
日 評議員会・理事会(護国神社)、正
副会長会(護国神社)
日 護国神社総代会及び護国神社奉賛
会 理 事 会・ 評 議 員 会 合 同 会 議( 護
国神社)、遺児部幹事会(護国神社)
27
31
平成二十七年七月~九月行事予定
26 12
1.目 的
先の大戦で徳島県でも約2万8千人が犠牲となりましたが、この
歴史的事実を次の世代に正しく継承していくために、終戦70周年
の節目の今年、平和に関する作文コンクールを実施し、戦争と平
和について考え、平和を尊ぶ心を育てる機会をつくります。
また、応募作品の中から優秀な作品を表彰するとともに、本
年8月31日に開催される徳島県戦没者追悼式で作者が朗読し、広
く県民に平和のメッセージを届ける機会とします。
2.募集規定
(1)募集期間
平成27年6月19日(金)~ 8月11日(火)(必着)
(2)募集対象者
徳島県在住の中学生
(3)応募規定
原稿用紙に作文を書き、(4)の応募先へ郵送又は持参す
ること。
・原稿用紙は400字詰め・B4サイズ・縦書き・2枚程度
・欄外に題名、学校名、学年、氏名(フリガナ)を書き、
1行目から本文とする。
(4)応募先
徳島県保健福祉部地域福祉課
770-8570 徳島市万代町1-1 県庁2階
電話 088-621-2170
3.審査・表彰
・審査員により最優秀作品、優秀作品を選定します。
・最優秀賞(1名)・・・賞状・図書カード1万円
・優秀賞(2名)・・・・賞状・図書カード5千円
○最優秀賞作品は、8月31日の県戦没者追悼式において、作
者による朗読があります。
○最優秀賞、優秀賞の作者3名は追悼式において、献花に参
加していただきます。
○最優秀賞、優秀賞の3名は、追悼式に引き続き開催される徳
島県遺族大会において賞状の授与が行われます。
4.主催・後援
主催 徳島県・一般財団法人徳島県遺族会
後援 徳島県教育委員会
︵七月︶
1日 徳島県戦没者追悼式実行委員会(県庁)
日 語り部事業(戦没者記念館)
日 英霊にこたえる会徳島県本部理事
会・評議員会(護国神社)
日 女性部役員会(護国神社)
日 遺族勉強会(護国神社)
日~ 日 徳島県護国神社「みたま祭」
(護国神社)
︵八月︶
8日 語り部事業(戦没者記念館)
日~ 日 全国戦没者追悼式及び靖国
神社団体参拝
日 徳島県護国神社「平和祈念祭」(護
国神社)
日 徳島県戦没者追悼式・遺族大会(あ
わぎんホール)
︵九月︶
7日~8日 中国・四国ブロック会議(山
口市)
日 語り部事業(戦没者記念館)
日 ~ 日 英 霊 に こ た え る 会 中 国・ 四
国ブロック会議(徳島市)
神恩感謝祭(護国神社)
日
28
平成27年7月15日 (6)