か維新の会」や地域政党「大阪維新の会」の 代 表 を 辞 任 しました。 日の大阪市長退任をもって「一 有 権 者 に な えるような姿勢も示しながら、 西 テ レ ビ で「 大 阪 都 」 構 想 は 国政での立ち位置であることを 憲法改正の発議で「与党だけで B 橋下氏は市長任期中最後の はできない。維新の党の賛成で 定例会見 (8日)も、戦争法を念 結 局 は 時 の 政 権 や 財 界 な ど 、 「 意 義 が あ る 」 と 理 解 を 示 し、 示した。 置いてきたのが橋下氏ではない 多数を構成できればいい」と発 頭に「与党が過半数持ってるの 「 体 制 」 や「 強 者 」 の 側 に 身 を か。 薦、公明府本部支持で知事に当 A そ の 間 、 年 に 地 域 政 党 言した。 だから、野党は修正を求めてい 選した橋下氏だが、 年の政権 「大阪維新の会」 、 年に国政政 A こ れ を 受 け て 橋 下 氏 は 、 くしかない。安倍さんは絶対に 党「日本維新の会」の結成へと 「 う れ し く て し ょ う が な い 」「 憲 廃 案 に し な い 。 デ モ で 折 れ た 進 み、 「第3極」 として自民 ・ 理にしかできない」 とはしゃ 法改正は絶対必要。もう安倍総 ら 、 こ ん な の 民 主 主 義 じ ゃ な 交代前後から民主党支持を表明 するようになった。 民主の「2大政党」に批判的な 新の党も含めて野党共闘が前進 を達成すれば、いよいよ憲法改 新の会」から「維新の党」へと 分裂や抗争を繰り返してきた。 憲法改悪での パートナーに B ことし1月、安倍首相は関 は「憲法改正の予行練習」と言 政 権 に と っ て〝 改 憲 パ ー ト ナ 改憲の発議で 与党に協力へ 投票」 賛成へと態度を急変さ の影響力が消えるわけではな いく」と明言するなど、橋下氏 法改正に必要な3分の2の勢力 に 触 れ、「 軽 減 税 率 で こ こ ま で らわにしている。日本共産党や 攻撃したが、反「野党共闘」が れからのたたかいに生きる。 んでも反対』になっている」と ら献身的に奮闘した意義が、こ の維新の党」「安保法制でも『な 掲げて、新しい共同を広げなが 9 月 末、 「 お お さ か 維 新 の 明るい会、よくする会が「維新 会 」 の 結 党 表 明 会 見 で、「 偽 物 政治を終わせる」という大義を て振る舞った。 自民党が大勝すると、橋下氏は C その中で橋下氏は「引退表 つぶやいた。 橋下氏や維新の会が、安倍政 安 倍 政 権 に す り 寄 り、 「 日 本 維 明」しながら、維新の党の分裂 や新党立ち上げの“主役”とし 権の補完勢力としての本音をあ 正。目的達成のための妥協」と 世論が空前の規模で広がり、維 夏の参議院選挙で参院3分の2 は戦争法案に対する国民の反対 法改正のプロセスは詰んだ。来 退」を表明した。一方、国政で 妥協するとは。これで完全に憲 否 決 さ れ 、 橋 下 氏 は「 政 界 引 A 「 大 阪 都 」 構 想 は 5 月 の 住 B 橋下氏もツイッターで、消 民投票で「オール大阪」の力で 費税「軽減税率」での自公合意 だが、露骨な「官邸頼み」だ。 る。 B 「実行力」を誇り、 「地方分 の中に入る」と、改憲発議で与 権改革」を口にする橋下・維新 党 と 協 力 す る 考 え を 示 し て い 邸の思惑があった。 橋 下 ・ 維 新 を〝 改 憲 パ ー ト ナ 新 代 表 の 松 井 知 事 は、「 憲 法 ー〟として延命させるという官 は改正しなければならない」「憲 都」構想が復活した背景には、 い。 せ 、 議 会 で 否 決 さ れ た「 大 阪 ー〟になった。公明党が「住民 は「ことあるごとに力を借りて 顧問」となり、新代表の松井氏 C 昨年 月の総選挙で「第3 「お 極」が議席を大幅に減らす中、 A 橋 下 氏 は 市 長 退 任 後、 議席を得た維新の党は、安倍 おさか維新の会」の「法律政策 い放った。 い」と言っている。 B 東日本大震災・福島原発事 無党派層などから一定の支持を した。 ぎ、 「大阪都」 構想の住民投票 故の後、 年4月に当時の野田 集めたが、 年 月の総選挙で ・民主党政権が大飯原発再稼働 に動き始めたことに国民の怒り が高まると、橋下氏は「民主党 政権打倒」を主張、関西電力を 批判した。 C ところが5月の関西経済連 合会トップとの会談などを経 て、1カ月ほどの間に「再稼働 容認」へと180度豹変した。 12 る 」 な ど と 橋 下 氏 は 繰 り 返 す 一 方、 一 部 メ デ ィ ア か ら 09 「 改 革 」 を 叫 び、 国 民 世 論 に 応 41 「 政 界 復 帰 待 望 」 論 も 出 て い ま す。 橋 下 氏 が 何 を や っ て きたのか、大阪の政治の舞台に登場して以来 の 8 年 間 を 振り返りながら、担当記者で話し合いました 。 A 年の知事 選 で は 、 政 見 放 送での橋下氏の 発 言 に 驚 い た 。 のか。 橋下氏はどんな 動 き を し て き た まれてきたが、 政 治 家 と し て の 員の統制、教育 現 場 の 混 乱 が 生 本紙記者座談会 選挙で勝てば 何でもできる A 橋下氏が「おおさか維新の 会」などの代表を辞任した 日 同意を得なけれ ば 、 言 っ た こ と ことが一番重要」「議会の多数の は、ちょうど2007年 月、 「 政 治 は 言 っ た こ と を 実 現 す る 知事選への立候補を表明した日 だ。 そ、「実現可能」だと。 応援を受けた自分のプランこ B 「 2 万 パ ー セ ン ト あ り 得 な は 何 一 つ 実 現 で き な い 」。 府 議 い 」 と 出 馬 を 否 定 し て い た の 会で多数を占め る 自 民 ・ 公 明 の に、あっさり翻しての会見だっ た。 C 多 く の 府 民 は 、 橋 下 氏 に B 「プラン」 の 中 身 は ? 「 何 か 変 え て く れ る だ ろ う 」 と A 公約や具体 的 な 政 策 は 何 一 「 改 革 者 」 の イ メ ー ジ を 抱 い て つ語らなかった 。 期 待 し て き た 。「 公 務 員 」 や C 「 多 数 を 得 た も の が 民 意 」 「 教 育 委 員 会 」、「 既 成 政 党 」、 「 選 挙 で 勝 て ば 何 で も で き る 」 ら一貫している と 言 え る 。 「 霞 が 関 」、 さ ら に は「 メ デ ィ という橋下氏の手法は、当時か ア 」 も「 既 得 権 益 」 と し て 「 敵 」 に 仕 立 て、 攻 撃 す る こ と 府知事選では自民府連推 「強者」 の側に 身を置き続け 12 「おおさか維新の会」の臨時党大会で代表辞任のあいさ つをする橋下氏。市長退任後は「一有権者だ」と語りま すが…=12日、大阪市中央区内 12 08 10 12 12 12 で自分の実行力をアピールして きた。 A 12 12 18 B その下で府民・市民サービ スがどんどん切り捨てられ、職 安倍 補完の本音あらわに 政 権 5月の住民投票での「大阪都」構想否決を 受 け て 「 政 界引退」を表明した橋下徹氏が 日、国政新 党 「 お お さ 「橋下政治」8年の果て 2015年12月20日付大阪民主新報
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