山上憶良 わが子の死を悼む

リリオだより
長歌は、老年にして子供を授かった喜びから始まります。
雑学シリーズ 109
2015/4/21
です。私たち夫婦の間に生まれた白玉のようなわが子の古日は、明けの明星
山上憶良 わが子の死を悼む
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世の中の人が珍重し欲しがる七種の宝も、私にとっては取るに足りないもの
の輝く朝になっても、いつまでも私たちの寝床を離れません。
山上憶良が金・銀・宝石よりも大事な宝と愛したわが子を、あの「子等を思
昼間、働いている時も座っている時も、まとわりついてはしゃぎ回り、宵の
ふ歌」から 6 年後、突然の病気に襲われて亡くしてしまいます。その嘆き悲
明星輝く夕方になれば、さあ早く寝ようと手を取って、パパ・ママの傍から
しみたるや如何ばかりか!
離れません。そして、自分を真ん中にして三人並んで寝たい、などと可愛い
万葉集巻五の最後にその長歌が載っています。
いことを言います。
男子(おのこ)名は古日(ふるひ)を恋ふる歌
世の人の
貴み願ふ
我が中の
生れ出でたる
敷細(しきたへ)の
七種(くさ)の
白玉の我が子古日は
床の辺去らず
掻き撫でて
言問ひ戯(たは)れ
いざ寝よと
手を携はり
三枝(さきくさ)の
いつしかも
大船の
立てれども
明星(あかぼし)の
まにと、私はおろおろと祈るばかりでした。
人と成り出でて
悪しけくも
吉けくも見むと
白妙の
たすきを掛け
天つ神
仰ぎ祈(こ)ひ祷(の)み
に口数が減り、とうとう息が絶えてしまいました!
真澄鏡
私は悲しみのあまりに飛び上がり、地団駄踏んで泣き叫び、地に伏しては天
たどきを知らに
を仰ぎ、胸を叩いて嘆き、途方に暮れるばかりでした!
手に取り持ちて
国つ神
伏して額づき
神のまにまと
かからずも
かかりもよしゑ
天地の
立ちあざり
我が祈ひ祷めど
しましくも
吉けくはなしに
けれども少しも良くならず、だんだんと顔かたちが痩せ衰え、朝が来るたび
横しま風の
せむすべの
漸々(やうやう)に
玉きはる
命絶えぬれ
立ち躍り
伏し仰ぎ
胸打ち嘆き
手に持たる
そして、悲しみのあまりに手に抱いていたわが子の亡骸を、手から取り落と
してしまいました。こんなことが人の世にあっていいものか!
愛児ふるひちゃんを抱く憶良
かたちつくほり
朝な朝(さ)な
言ふことやみ
足すり叫び
吾が子飛ばしつ
世間の道
布施置きて
道行き知らじ
吾は祈ひ祷む
賄(まひ)はせむ
あざむかず
下方(したへ)の使
負ひて通らせ
ただに率(ゐ)行きて
反歌
∘幼いので旅の仕方も知らないでしょう。贈り物は我らがしましょう。
ですから黄泉の使者よ、わが子を背負ってお行き下さい。
∘布施を捧げて私はお願い申し上げます。我が子を惑わすことなく、まっす
(904)
ぐに連れて行って、天への道を教えてやって下さい。
反歌
若ければ
に罹り、息も絶えだえになってしまいました。
を祈り、伏して地の神に額づき、治るか治らないか、ただもう神の御心のま
うへはな離(さか)り
しが語らへば
覆ひ来たれば
いと、大船のように頼もしく思っていたところ、思いもかけずその子が病気
親としてなす術もなく、白いたすきを懸け、鏡を手に持って、仰いで天の神
夕べになれば
うるわしく
思はぬに
明くる朝(あした)は
居れども共に
夕星(ゆふづつ)の
父母も
早く一人前になって、良きにつけ悪しきにつけ、成長したわが子の姿を見た
願ひ欲(ほり)せむ
中にを寝むと
思ひ頼むに
にはかにも
宝も吾は何せむに
(905)
天道知らしめ
(906)
〔大体の意味〕
「子等を思ふ歌」にある子供とは、古日(ふるひ)という名前の男の子でした。
憶良の深い悲しみがひしひしと伝わってきます。
「子等を思ふ歌」を歌った後ではなお更です。
悲しむあまりに激情する老いた人間の泣き叫ぶ声が聞こえて来るようです。
それから数カ月後、彼はわが子の後を追うようにこの世を去ります。
天平 5 年
(733 年)
、憶良 74 歳でした。
亀岡弘志(記)