1 - 心の窓と農場スタッフ きくち酪農コンサルティング (株)

心の窓と農場スタッフ
きくち酪農コンサルティング (株) 菊地
実
1,心の窓
酪農家の名言を紹介したい。筆者が事務所を置いている西上加納農場の社長の言葉であ
る。「牛が好きな人間は、牛に心の窓を開いているから牛の変化に気が付く」。
牛の気持ちになれ、牛を大切にしよう、というかけ声は正しいが、現実にそれが出来る
人と出来ない人がいる。その違いは、牛に対して「心の窓」が開いているか、閉じている
かで大半を説明することができる。
筆者は牛について牛の立場から随分と書いている。まるで牛から生まれて牛になった経
験があるように!もちろん、筆者は牛から生まれたのでもなく、牛になった経験もない。
前述した社長の言葉を借りると、おそらく筆者は牛に対して心の窓が開いているから、牛
から発信される小さな表現に気づくのかも知れない。
同じことは従業員と接する人たちにも言えるかもしれない。従業員に対して心の窓が開
いているか、閉じているか、それが重要である。上から目線で話す人、書く人。少しばか
りの経験ですべてを知ったと勘違いしている人。技術やアイデアやモノを隠れ蓑にして酪
農家から利益やチャンスを吸い上げていく人。・・・・・。
2,なんとかする
「心の窓」で、加納社長の「牛が好きな人間は、牛に心の窓を開いているから牛の変化
に気が付く」という言葉を紹介した。次に、西上加納農場の専務の口癖である「なんとか
しろ」を紹介したい。この「なんとかしろ」という言葉には深い意味がある。
なんとかするためには基準が必要である。その基準に近づいた状態がなんとかなった状
態である。つまり「なんとかしろ」は、基準に近づけるために、どうしたら良いかを考え
て実行しろ、という意味である。
「基準」は、牛を飼う基礎となるよりどころであり、農場スタッフの能力を発揮しても
らうために満たさなければならない一定の要件である。
3,論語読みの論語知らず
過去から現在まで、全国各地で多くの酪農家にお会いしてきたが「牛が分かりました」
と発言した方はゼロである。一方で、実際に牛を飼ったことが無い方々から「牛が分かり
ました」という発言を聞く事がある。筆者が知るそういう方々の大半は、短期間牛の近く
に居たか、牛飼いの真似事をした程度の経験しかお持ちでない。もし、この程度の経験で
「牛が分かりました」と発言されるのであれば、それは類い希な才能をお持ちか、「牛が
分かった」と勘違いしただけのことであろう。酪農科学は広範に渡り奥行きも十分に深く、
一人が簡単に学びきれるものではない。同様に、実際の農場は、日々が変化の連続であり、
そう簡単にバッサリ言い切れるほど単純ではない。ましてや、一人の人間が酪農全般をカ
バーすることはあり得ないことである。
牛を飼っていれば、何も事件が起きずに心安らかに過ごせる期間が半月もあれば驚きで
ある。油断をした時に限って牛に何かが起きる。たとえば四変である。近所の酪農家に「ど
うだいこの頃は?」と問われて「最近は四変にならない」と語った翌日に四変である。生
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き物を飼うというのは、そういうものかもしれない。だから、牛に愛着が湧き、切っても
切れない関係になるのかもしれない。これを称して、酪農は奥が深いということになるの
だろう。
さて、「論語読みの論語知らず」の意味は、「論語に書いてあることを知識として理解
するだけで、それを生かして実行できない人をあざけっていう」である。酪農現場で知識
のようなものを伝達する役割を担っている方々は「論語読みの論語知らず」になってはい
けない。この時代背景を考えれば、酪農家には無駄な時間やコストを費やす余裕はない。
現実から逃避した理想論や自慢話ではなく、良い方向に向かって変化を起こせる実際的な
助言が必要である。
4,マネジメント
様々な産業界で様々なマネジメントの手法や考え方がある。
酪農場(以下、農場と表記する)におけるマネジメント(management、マネージメント)
の主な対象は、人と牛とお金である。言うまでもなく、優れた大規模農場は、そのすべて
に優れていることは間違いないが、強いて言えば、人のマネジメントに優れているのでは
なかろうか?
家族経営の強みは、農場の経営に対する強い動機を共有できるところにある。農場が獲
得した利益は、すべて家族のものである。一方、農場で起こった損失の負担と責任も、す
べて家族に帰結し共有する。当然であるが、家族と雇用された者では、もともと経営に対
する立ち位置と気概が異なる。
全国の農場を訪問した際に、ほぼすべての経営者から聞く言葉は、雇用した方々に能力
を発揮していただくために、何をどうすれば良いかという問いかけである。そのニーズは
大きく根強いものがある。筆者が感じる不思議な現象は、そのニーズを受けて、農場経営
に携わったことがない人物が、農場で働く人のマネジメントに介入することである。他の
業界で成功した人のマネジメントを、そのまま農場に当てはめようとする観点と考え方に
疑問を持たざるを得ない。
農場と他産業で大きく異なるのは、農場には「人事考課」と「異動」が無いことである。
いわゆる会社であれ、役所であれ、部下が思い通りに動くのは、上司が人事考課と異動の
権限を持っているからであろう。
まず人事考課である。雇用された者は、自分の努力や能力を給料や手当などの金銭的な
待遇で認められたいと望むのが普通である。同様に、課長や部長などのポストを得ること
で自分の能力が認められたと感じることができる。部下は、上司が自分の待遇に対して強
い影響力を持っていることを理解している。だから部下は上司に不満があっても指示に従
い、上司は部下を使うことができる。
次に、異動である。企業や役所では、馬が合わない上司や同僚がいても、いずれは自分
か相手のいずれかが異動し、現在の関係がそう長くは続かないことを理解している。だか
ら現在の状況に我慢ができる。いわゆる期限付きの我慢である。ところが、農場では異動
が無い。あってもせいぜい担当替え程度のものである。そのような環境で馬が合わない上
司や同僚がいた場合、最終的には自分か相手のどちらかが農場を去らなければ環境は変わ
らない。
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人事考課と異動が、他の業界にあって農場に無い。これが人をマネジメントする上で一
般企業と農場の大きな違いである。この違いに気づかずに一般企業の組織論を持ち込んで
農場の人のマネジメントを語るのは見当が外れている。これが筆者の意見である。
5,とっさの言葉
とっさの時にどのように反応するかについて、オーストラリア在住の日本人から聞いた
エピソードである。子供が道路に飛び出した時に、日本人がとっさに発する言葉は「危な
い」である。これに対して英国系(アングロサクソン)の人が発する言葉は「ストップ」
だそうである。このエピソードは、我々と英国系の人々のマネジメントに対するスタンス
を良く表すと筆者は考える。
「危ない」は、子供に現在の状況、状態を正確に伝えているが、何をどうすべきかを伝
えていない。一方、英国系の人々が発する「ストップ」は、何をどうすべきかを明確かつ
具体的な指示として子供に伝えている。
このエピソードには、農場で働く人、たとえば雇用した方々や後継者に、能力を発揮し
開発してもらうための重要な示唆がある。
指示が具体的でない場合、その内容は指示を受けた方の判断に大きく依存することにな
る。たとえば、指示を受けた方が初心者であれば、それは深刻である。何をどうするか、
少ない経験を基に想像力で組み立て判断することになる。その組み立てと判断が発展的な
場合は救われるが、多くの場合、指示した方と指示を受けた方で解釈にズレが生じる。そ
のズレは、お互いのフラストレーションとなり、具体的なストレスとなって蓄積される。
6,最善を尽くせ、そして一流であれ
"DO YOUR BEST,AND IT MUST BE FIRST CLASS"、これは山梨県清里にあるキープ協
会の創始者ポール・ラッシュ博士の言葉である。キープ協会のキープは、KEEP=Kiyosato
Educational Experiment Project(清里教育実験計画)である。キープ協会やポールラッシュ
博士について詳しくお知りになりたい方は、ネット等でお調べになることをお奨めしたい。
さて、「最善を尽くせ、そして一流であれ」、この言葉に解説は必要ない。筆者がポール
ラッシュ博士の言葉を使って酪農家諸氏に送るメッセージは、現在の状況や条件がどのよ
うなものであっても、何とかしようと思えば、何とかなる。何とかするために必要なのは、
何とかするための方法を考えることである。そして何とかする方法を決めたら、状況の変
化に応じて修正を加えながら、結果が出るまでやり抜くことである。
7,身も蓋もない
優れた経営者と普通の経営者は何が違うのか考えたことがある。優れた経営者は、もち
ろん「お金持ち」である場合が多い。普通の経営者にも「お金持ち」の方はいらっしゃる
が、そうでもなさそうな方もいらっしゃる。同じ地域で同じ酪農を営んでいて、その違い
はどこから生じるのか考えどころである。
たぶん、優れた経営者は投資を、確実に結果に結びつける能力が高いのかもしれない。
普通の経営者は、ひょっとすると投資で結果を出せない場合が多いのかもしれない。おそ
らく、違いはその程度しかないというのが筆者の印象である。
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同じ比較でもう一つ気がついたことがある。牧場を訪れる人に対する言葉である。
農場には多くの人が出入りする。牧場で酪農家と農場を訪れた方が向き合った時の力関
係は微妙である。まず、獣医師は先生と呼ばれ、酪農家に対して強い立場に立つことが多
い。一方、獣医師を除けば、ほとんどの場合は酪農家が強い立場に立つ。
優れた経営者は、弱い立場の方を気遣う言葉を使っている場合が多いようである。訪れ
た人に対する、何気ない一言がやる気を育て、たった一言が嫌気を生む。言葉は魔物であ
る。たった一言で相手をどん底に落とすこともあれば、たった一言が牧場に有益な情報や
サービスをもたらすこともある。それも経営に影響しているかもしれない。
身も蓋もないの意味は、「言葉が露骨過ぎて、潤いも含みもない。にべもない」である。
8,過ぎたるは・・・
孔子は、「過ぎたるは及ばざるが如し」という教えを残した。「何事でもやり過ぎるこ
とは、やりたりないことと同じようになる」という意味である。
徳川家康は、「及ばざるは、過ぎたるに優れり」という言葉を残した。「何事でも、や
りたりないことは、やり過ぎたことよりも優れている」という意味である。
酪農の現場に立つと、いつも何かの問題、課題に直面する。それを解決しなければ前に
進めないので何とかしようと努力する。そしてやり遂げる。ついにここまで到達した、と
喜んでもそれがゴールとは限らない。いつも、その先に何かが現れ、またゴールに向かっ
て歩んでいく。生身の経営とは、そういうものであり、それが経営の醍醐味かもしれない。
経営であれ、仕事であれ、一生懸命やればやるほど、やり過ぎた、引き時を見失った、
ということはある。その時は、反省を込めて孔子の教えを思いだす。一方で、タイミング
を外した、もう少しのところで悔しい思いをした時は、家康の言葉を思い出す。これが現
場に立ち、勇気凛々と、創造的に日々を送るために必要な考え方である。
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