景観講座本 - NPO景観デザイン支援機構

企画:NPO法人 景観デザイン支援機構
日本にはデザインに優れた建築が数多くあるのに、なぜまちは美しくならないか・・・・・・
「序にかえて」より・・土田 旭
景観とはなにか問う!
待望のテキスト
各界の専門家が様々な視点から景観形成の
ための原理原則を複眼的に語ったはじめて
の書。専門家から一般市民までが広く活用
できるテキスト!
景観講座本
上巻・下巻
上巻(264 ページ/予定)
下巻(240 ページ/予定)
オールカラー A5 版 上下巻セット 5,000 円(消費税・送料別途)
申し込み〆切り7月末・8月発行予定
セット販売のみとさせていただきます。
なお、150部のお申し込みを頂いた後の発行になります。
一般書店では販売いたしません。
※申込数が定数(150部)に達しない場合は発行中止の場合もあります
ので、予めご承知おきください。
お申し込みは、Eメールまたはファックスで、お名前・ご
住所・所属・メールアドレス・希望セット数を明記して、
下記まで
特定非営利活動法人 景観デザイン支援機構 事務局
E-Mail : [email protected] Tel : 080-6722-4114 / Fax : 03-3847-3375
執筆者紹介
土田 旭(統括編集者)
中村 豊四郎
曽根 幸一
近田 玲子
都市計画家、アーバンデザイナー/都市環境研究所:最高顧問
都市計画家、建築家、アーバンデザイナー
芝浦工業大学名誉教授
高橋 徹
都市プランナー/元日本設計:都市計画担当常務取締役
アール・イー・アイ:代表/東京の地下鉄サインの計画者
照明デザイナー/近田玲子デザイン事務所:代表
山下 肇
建築家/山下馨建築アトリエ:代表
NPO 法人 神楽坂・粋なまちづくり倶楽部:理事長 面出 薫
倉澤 聡
吉田 愼悟
山田 健一郎
宮沢 功
瀬川 昌輝
照明デザイナー/ライティング・プランナーズ・アソシエイツ:代表
色彩計画家/武蔵野美術大学教授
環境デザイナー/ YP DESIGN:代表
GK デザイン創世期の一人
杉山 朗子
色彩計画家/日本カラーデザイン研究所:環境事業部長
松本で活躍する気鋭の都市計画家
建築家/山田建築設計室:代表/松本を拠点に活動する
昌平不動産総合研究所:代表/御茶ノ水駅周辺の変革者
高谷 時彦
建築家/設計・計画高谷時彦事務所:代表
鶴岡市・府中市でのまちづくりに活躍
景観講座本・目次
上 巻 景観とは今までどの様に認識されてきているのか
下 巻 今までとこれからを考える~景観形成の可能性を探る~
序にかえて
一章 景観形成の成り立ちと現状、その評価までのプロセス
日本にはデザインに優れた建築が数多くあるのに、なぜまちは美しく
1.近代都市景観の諸概念 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 曽根 幸一
ならないのか ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 土田 旭
2.市街地再開発事業と景観形成 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高橋 徹
3.再開発による賑わい再生と活性化の可能性 ・・・・・・・・・ 高橋 徹
一章 景観とはなにか
4.ガイドラインとその調整 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 曽根 幸一
1.景観デザイン入門 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 土田 旭
5.景観を評価する基準づくり ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 土田 旭
2.景観のとらえ方 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 土田 旭
コラム:中心市街地の活性化と都市デザイン ・・・・・・・・・・・ 土田 旭
3.街の基盤とシルエット ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 曽根 幸一
4.日本の都市計画制度と景観形成 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高橋 徹
二章 各地での景観を維持しようとする活動 / 創ろうとする活動
コラム:目にみえるかたちでのまちづくり ・・・・・・・・・・・・・ 土田 旭
1.神楽坂 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山下 肇
2.静岡 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 曽根 幸一
二章 都市のエレメントと景観 / 各専門家から見た現状
3.松本 -1 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 倉澤 聡
1.夜景をデザインするという仕事 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 面出 薫
4.松本 -2 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山田 健一郎
2.色彩から景観へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 吉田 愼悟
5.お茶の水 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 瀬川 昌輝
3.街の道具論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 宮沢 功
6.鶴岡 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高谷 時彦
4.生活の中の色彩と景観色彩 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 杉山 朗子
コラム:地方都市の再生 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 土田 旭
5.パブリック・サイン論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 中村 豊四郎
6.光からの提言 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 近田 玲子
コラム:都市のかまえ、しつらえ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 土田 旭
本編見本
序にかえて
日本にはデザインに優れた建築が数多く
あるのに、なぜまちは美しくならないの
か
上巻 序にかえて(土田 旭)より➡
⬇上巻 一章 3.街の基盤とシルエット(曽根 幸一)より
建築あるいは都市に携わるものとして不思議に思っている基
本的な点として、なぜ「都市計画」では都市・まちがきれいに
ならないか、実は「都市計画」という言葉が何を意味するのか、
一般市民に限らず、われわれ専門家でもあまり分っていないの
ではないか。そこで、
「まちづくり」という言葉に置きかえれば
3 空間システムを考える
バルセロナ : これは道沿いの建築の繰り返しで、現在では 7、
8 階の建築で埋め尽くされている。が、19 世紀中頃の計画当時
こうした諸国の街の構成について数年前 (09)、建築学会が提
は低い建築が構想されていた。左上にガウディによる有名なサ
〈「近代の空間システム」「日本の空間シス
テム」都市と建築の 21 世紀〉という問題
提起
グラダ・ファミリアがみえるが、この部分は街区をぶち抜いて
パビリオン型の建築を配置している。
起した <「近代の空間システム」
「日本の空間システム」都市と
建築の 21 世紀 > といったテーマで、討論や論文集が作成される
機会があった。問題提起のフレームが大変よく出来ていると思
ベネッチア : これは先ほど見た景色を真上から見たもの。車
うので私も寄稿したが、一寸この枠組みを説明してみよう。
の入れない街で水路と道路が交互に出てくる空間システムが良
右上が西欧の歴史的な空間システム、次が欧米 ( 世界 ) 近代の
く解る。密度は高いが街区がいかに小さく出来ているかも解る
空間システム、次にあるのが日本の近代の空間システム、その
だろう。
左下が日本の近代以前の空間システム、最も左下がアジアの歴
北京 : 北京はオリンピックの準備で壊された街区も多かった
史的な空間システムだ。問題はこの重なった部分だ。最初の重
が、これは四合院が集合する胡同 ( ほうとん ) を保存した場所だ。
なりは西欧の歴史を自らが学んで形成したシステム、次はわが
よく見ると四合院の小さな住宅の単位が中庭をもっている様子
国が欧米から移入した近代のシステム、次の重なりはわが国が
がわかる。
自らの伝統から継承した空間システム、最後がアジアから影響
フェズ : 先に示した例にはないが、モロッコの街の一部だ。
を受けて形成した空間のシステムと解釈できる。
街区が小さくぐちゃぐちゃになった迷路は世界的に有名で、物
はロバの背中に乗せて運んでいる。廊下のような路地が街の一
重なり合う空間システムを踏まえて新た
な時代にどう対応するか
部に保存されている。この路地は体感してみると素晴らしい空
ざまな方法や表現が試みられてきた。一般市民も「まちづくり」
という言葉で自分たちも分かり易い用語、つまり日常的な言葉
遣い、感じたことを感じたまま喋ればよいということに気づい
てきた。
そしてまた、日本には優れた建築が数多くあるのに、なぜま
ちは美しくならないのかということがある。
この問題は、都市デザイン、都市景観に関心をもつわれわれ
には昔からあった疑問であり、外国からも見当外れの意見がな
いわけではないが、
「日本にはデザインの優れた建築が数多くあ
るのになぜ街はこんなに汚いのか?」というのが一般的な評価
になっていて、最初にその辺りを突き詰めて考えていく必要が
ありそうである。
そもそも、都市をつくっていく基本になっている都市計画法
には、効率のよい機能的で合理的な街をつくっていこうという
私の今日の話もこのフレームに刺激をうけた面がある。つま
だけで、街を美しくするという目的が元々ない。このことは景
り古代から近代まで継承されてきたものと、近代に世界的に広
観法をつくる過程でも指摘されたことであった。東大の西村先
がった構成 ( 景観 ) システム、さらに現在の状況を踏まえて新た
間だ。
な時代にどう対応すればいいのかという視点だ。
以上から街のシルエットはそれをとらえる場所と観方で随分
違ってみえることが解ってくるだろう。
- 59
58 -
もう少し分り易くなるのではという期待があり、繰り返しさま
左上 : バルセロナ 右上 : ベネッチア
左下 : 北京 右下 : フェズ
左 : 空間システムの構成・枠組み
60 - 59
-3-
3 都市の基調色
はずである。
(5) 個性的で文化的な都市を目指す光
戦災でほとんどの建築物が消滅した東京のような都市の色彩
最後に説明する都市照明の役割は多分に恣意的でもある。私
は、今後どのようにあるべきだろうか。私たちはこれまで日本
は世界中の夜景や都市照明がスターバックスやマクドナルドの
の多くの建築物の外装色を調べてきた。新しい機能的な新建材
ようなグローバライゼーションの波に飲み込まれて、それぞれ
が開発され、さらに新たな化学顔料も発明されて、色彩はほと
の個性を失い同一化して行くことは文化的な損失だと考えてい
んど自由に使えるようになった。しかし、このような自由度を
る。世界に同じ都市などひとつもない。東京の夜景がパリに比
得ても、わが国の建築外装に使用されている色彩の分布範囲は
較して統一感もなく猥雑であると批判しても、それはもちろん
驚くほど狭い。大雑把に言えば、地域の木材や石材で造られて
のことであり、パリが圧倒的に優れているという結論には合意
きた時代の建築物の色彩とあまり変わらないと言ってよいだろ
できない。東京には東京にしかない歴史や文脈や生き様があり、
う。明度は多少高く明るくなったが、色相や彩度は大きくは変
課題はたくさんあり、パリより美しいとは言えないけれどもパ
化していない。屋外広告物が巨大化し鮮やかさを競っているた
リには真似できないカオスやダイナミクスがある。それが固有
めに、建築物の色彩も多様になったように感じるが、建築外装
の東京の姿であり光文化でもある。ニューヨークもバンコック
の大きな面積を占める基調色は、実はあまり変わっていない。
も大阪も上海も、イスタンブールもムンバイもシンガポールも。
日本の永い歴史の中で培ってきた色は、現代の東京のような都
市にも息づいている。無意識のうちにも選択されてきたこれら
の色彩は、今後都市が成熟していく上で大切にしなければなら
ない景観資源でもある。
2
1
- 114 -
4
1: イスタンブールのバザール 2: 高層から見た上海の夜景 3:NYC の夜景 4: 東京の夜景 5: ムンバイの夜景
3
6
7
1
4
3
2
5
上巻 二章 1.夜景をデザインするという仕事(面出 薫)より
3 街の道具 ( ストリートファニチャ ) の景観的役割
(1) 空間構成上の特性 : 点、線、面
ストリートファニチャは都市景観の中では単体としては小さ
な存在である。
しかし、
都市の中で屋外空間を利用する人々にとっ
ては一番身近な存在である。そしてほとんどのストリートファ
ニチャは単体で存在するのでなく都市の中に連続して存在する
5
1: みなとみらい 21 2,3: 丸の内 4: 横浜ポートサイド地区 5,6: 六本木ヒルズ 7: 東京ミッドタウン 首都圏には毎年多くの建物が建設されるが、そのほとんどは色彩は暖 - 143 - 色系の低彩度領域に収まっている。横浜ポートサイド地区では、ブ
ルーグリーンを基調色としているが、落ちついた低彩度色範囲の色彩
を使っており違和感はない。
上巻 二章 2.色彩から景観へ(吉田 愼悟)より
(3) さいたま新都心における景観デザイン調整の方法
a) マスターアーキテクト方式によるまちづくり
デザイン調整会議には、国の出先機関である建設省、郵政
省などの代表、都市再生機構、埼玉県、それぞれの事業者とそ
の建築設計者が集まり、街全体のデザインを定期的に協議した。
事業主体、設計者相互の情報を開示し、情報を共有することに
か、固まりとして存在する場合が多い。空間構成上の特性のひ
より、それぞれの役割が明確になった。
とつとして点的な特性として存在する場合である。広場の中で
b) 景観デザインコーディネーターの参画
全体の照度を確保する高所照明やパリ等で目にする広告塔、バ
ス停 , 案内所 , キオスク等や彫刻的に考えられたベンチ等も景観
の中に点として存在し、ストリートファニチャ本来の機能とは
別に、景観的にあるものはランドマークとして、あるものは都
市景観のアクセントとして機能している。二つ目は線的な景観
を強く意識させるものがある。道路照明や歩道照明は人や車が
夜間移動する場合の照度確保のために道路の延長線上に一定の
間隔を持って設置される。単体としては一本のポールであるが
都市空間の中では連続した景観として、視覚的にパースペクティ
ブな表情を強く感じさせる。象徴的な直線の軸線を強調する場
合や、起伏に富んだ穏やかな道路線形を視覚的に表現するのに
さいたま新都心では , 複数の発注者とそれぞれのブロック
アーキテクトが関係している。そこで、各街区の設計主旨を理
解しつつ、発注者やブロックアーキテクトと調整を行う、樹木、
照明、舗装、アートワーク、サインなどのデザインコーディネー
ターの積極的な参加が求められた。
景観を大きく左右する色彩、公共空間、サイン、夜間景観、アー
トワークなどの専門家が、一定の理念に基づいて適切にコーディ
ネートすることによって、景観に全体としてのゆるやかなまと
まりと物語性を与えることができる。
①公共空間デザイン / 誘導ブロック、シンボルツリー、境界線
のファジー化、舗装材の連続性 .. など。
②サイン / 色彩、形態、音声誘導、文字表示に至るまで一貫し
たデザインシステムを採用。
③夜間景観 / 都市景観の中で、夜間景観の重要性は非常に大き
い。各ブロックアーキテクトの照明の考え方を尊重しなが
左 : モニュメントになった道路灯 右上 : ボラード 右下 : 変形ベンチ中
- 189 -
上巻 二章 3.街の道具論(宮沢 功)より
右 : さいたま新都心夜景 CG 左 : 全景 CG/ スタジアム、新駅、公開緑地、宿泊施設に加え、企業のオフィスや公共施設
- 245 -
上巻 二章 6.光からの提言(近田 玲子)より
2 わが国の再開発の変遷、駅前再開発から都市再生へ
(1)80 年代までの再開発
市街地再開発事業は昭和 44 年から始まり、西暦でいうと 70
年代から 80 年代の初めの 10 年間は鉄道駅前での商業再開発が
非常に多かった時代である。当時、鉄道駅前は車や人の集まる
ところでありながら、戦後マーケットが残り、建物が密集する
地区であった。再開発事業によりバスやタクシー、歩行者交通
を捌く駅前広場などの都市基盤を整備し、併せて土地利用を高
度化する手法は高度成長後の成熟期に向かうわが国の経済、社
会情勢に適合して大都市周辺の主要駅前地区に浸透した。これ
ら駅前シリーズとも呼ばれた再開発は都市景観的にも共通点や
画一的な構成が多かった。1 階の一等地には銀行が入り、主要
なフロアーは百貨店かスーパーなどキーテナントが占める。再
開発事業による地価の値上がりが周辺に及び、一部の地元生業
者は全国ブランド店へ替わったが、一方で周辺は駐車場化した。
大型テナントは再開発ビルの床の資産価値上昇を担保として更
に多店舗展開を図り、地元権利者も床を一括、キーテナントに
貸して値上がりを期待するという不動産屋化が進む時代であっ
た。
・柏駅東口地区
これを実例でみると、柏駅東口地区では、土地の高度利用
として駅前広場は地上部分だけでなく立体的処理をした歩行者
デッキの広場をつくっている。この周りにキーテナントと権利
者用の商業ビルを作り、シースルーエレベーターや上部に展望
レストランなどをセットで設ける、という駅前再開発してのモ
デル景観が作られた。
の正面性を強調し、構図としてもなかなかのものとなっている。
山並みの眺望は、松本で生まれ育った私にとっても原風景で
あり、春夏秋冬、朝から夕 への変化は毎日見ていても飽きない
ものである。松本のまち自体に対しては、子どものこ ろから大
きな魅力を感じることはなかったが、山の眺望の魅力には小さ
なころから惹かれ ていたことを覚えている。山々の景観は、松
本にとって最重要な景観要素の一つだろう。
a) 松本の中心部から山並みを見る
素晴らしい山々に囲まれた松本という都市に おいて、多くの
人が暮らし、学び、働く建物が密 集するという都市だからこそ
の風景があるはず で、人間の創りだす道路、建物、看板、街路
樹な どが山並みと調和するならば、どんなに美しい景 観となる
だろうか。田園や山の上から、高い建物 から山並みが見えるの
は当然であって、都市の街 路や公園といった公共空間において、
どのように 山並みを借景できるかが松本の魅力としては重 要で
ある。
松本は城下町として基本的に東西、南北方向の 路によって町
割りされた計画都市であるが、築城 当時から現在まで、殿様か
ら現代までの為政者のな かで、山岳眺望の美意識を創造的に都
市計画の中に取り込むことは残念ながらしっかりと行われ て来
なかった。
b) 街路から見る山
街路から山への眺望を意図した” 山アテ” 的道路をつくる都
市計画は行われて来なかったと思われるが、山アテを意識して
なくても山に囲まれた松本であるから、当然、山アテ 的になっ
ている道路もある。
例えば、
東向きの街路から見える美ヶ原の王ヶ
1
左 : 柏駅東口再開発 右 : 藤沢駅北口再開発
- 35 -
2
3
4
5
1: 美ヶ原がアイストップとなる伊勢町 2: 槍ヶ岳、常念岳、大天井岳の稜線 3:
女鳥羽川沿いからの乗鞍岳 4: 餌差町からの乗鞍岳
- 146 5: 東町から北方向をみる
下巻 一章 2.市街地再開発事業と景観形成(高橋 徹)より
下巻 二章 3.松本-1(倉澤 聡)より
a) 改修の基本方針 - 何を継承すべきか -
中央線と御茶ノ水駅
現在の中央線の前身甲武鉄道は、明治 35 年(1902 年)
、それ
までの始発駅飯田町駅からお茶の水駅間の工事に着手し、2 年後
大正から昭和初期の産業遺産を再生活用するにあたり、何を
継承すべきであるのか、私たちは次のように考えた。
の明治 37 年に開通しました。当時の御茶ノ水駅は現在の位置で
昭和初期に建設されて以来、使い勝手に応じて、多くの変更
はなく、御茶ノ水橋の西側に位置していました。そして明治 39
が加えられている。基礎や柱などの軸組みは渡り廊下や空調機
年に甲武鉄道は国有化され、それと同時に万世橋までの延伸工
置き場設置、あるいは増築に際して適宜撤去されたり付加され
事が始まったのでした。
たりしている。またもともとは学校のようにほとんどの柱間に
どうもこの鉄道敷設が神田川の千代田区側に緑を無くさせた
設けられていた欄間付きの開口部 ( 引き違い窓 ) も周辺の市街化
原因ではないかと想像されます。鉄道開通以後の写真では、文
に対応するように殆ど吸音材やボード、トタン板などでふさが
京区側のみ緑豊かな風景を保っています。
れた ( 図 -42)。床はもともと構造体としては独立のものであるが、
現在の御茶ノ水駅は昭和 7 年(1932 年)に中央線の複々線化
と総武線の乗入れ工事に伴い駅舎とホームが建設されたもので、
機械の設置や車の走行に合わせて継続的に改変されている。
しかし、変わっていないものもある。それは工場としての機
昭和初期のモダニズムに溢れたデザインで、今も見る人に古さ
能を成立させている大架構の空間であり、架構のシステムであ
を感じさせないものです。ホームの上には聖橋が通っており、
橋・
る。梁間方向の 6 間をトラスで組み、それを両端の柱が支える
駅・神田川が三位一体となった都市美を形成しています。
という基本単位が、桁行き方向に何十と重ねられている。この
システムが木造であることで、桁行き方向に簡単に増築が出来、
また渡り廊下を用いて並行に増築もすることが出来た。この架
構・軸組みシステムこそが、映画館となっても使い続けていか
なければならないものだと考えた。工場としてのいろいろな使
い方に耐えうるしなやかな容器としての架構・軸組みシステム
こそ松文鶴岡工場の一番重要な継承すべき価値であると判断し
たのである ( 図 -43)。
42
43
44
図 :42 B 棟 窓台周り 図 43 : 架構のシステムを継承し、目に見えるデザインを生かす ( エントランスのイメージ ) 図 44: 架構のシステムを継承し、目に
見えるデザインを生かす ( シネマ内部 )
左上 : 現在の聖橋重 右上 : 駅ホームからお茶の水橋聖橋 左下 : 明治 40 年頃のお茶の水駅 右下 : 現在のお茶の水駅
- 190 -
下巻 二章 5.お茶の水(瀬川 昌輝)より
- 226 -
下巻 二章 6.鶴岡(高谷 時彦)より