コリントII 1

 野上キリスト福音教会 ◎礼拝説教:2015 年 1 月 11 日
◎説教者:中村準一 牧師
◎タイトル:互いの慰めと救いのため
◎今日の聖書:コリント第二・1 章 1∼7 節
1
神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロ、および兄弟テモテから、コリントに
ある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
2
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますよう
に。
3
私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられ
ますように。
4
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、
自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることがで
きるのです。
5
それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふ
れているからです。
6
もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが
慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦
難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。
7
私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなた
がたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは
知っているからです。
◎宣教
人生にはさまざまな苦しみがあります。そして、多くの人々は苦し みに遭うと、「どうし
て、自分だけがこんな苦しみに遭わなければならないのか」と、不平を言って、できるだけ、
苦しみから遠ざかろうとするのです。 しかし、パウロは、苦しみに遭ったとき、不平を語り
ませんでした。むしろ、苦しみの中に深い意味を見出したのです。彼は書きました。
「神は、
どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくだ さいます。」(4)
クリスチャンの人生は、神の愛の御手の中に置かれているのであり、守られているので
す。そして、神様によって守られている限り、私たちに害をもたらすもの は、何もありませ
ん。むしろ、逆に、どんなに苦しい体験も、有益なものとなるのです。そのことを感謝しま
しょう。私たちは、苦しみを通る ことによって、苦しみの中で守ってくださる神のみ手を知
ることができるのです。それだけではなく、同じような苦しみに遭っている方々を慰めるこ
とができるようになるのです。
パウロはコリントの町の信仰者たちに語りかけました。
「もし私たちが苦しみに会う
なら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。」(6) 神様は無益に私たちを苦し
めることはありません。神様が私たちを、大きな苦しみの中を歩かせるとき、後に、必ず、
大きな収穫を得させてくださいます。どんな収穫を得ることができるのでしょうか。私たち
の苦しみによって、多くの兄弟姉妹たちが、一緒に慰められることです。
クリスチャンはみな、主にある兄弟姉妹なのであり、家族なのです。家族は、互いに助け合
わなければなりません。どのようにして、助け合うのでしょうか。楽しみと苦しみを共にす
ることによって、助け合うことができるので す。私たちの人生は、兄弟姉妹が互いに結ばれ
ているのであり、この和の中に、イエス・キリストがおられるのです。ですから、私たちは、
苦しみに遭うことによって、同じような苦しみに遭っている方に対する思いやりの心を持つ
ことができ、自分自身が神から受ける慰めによって、 同じような苦しみの中にいる兄弟姉妹
をも慰めることができるのです。
パウロは書きました。
「もし私たちが慰めを受ける なら、それもあなたがたの慰め
のためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなた
がたに与えるのです。」 苦しみを体験したことのない人は、隣人の苦しみを同情するこ
とがでず、そして、隣人を慰めることができません。神様は、クリスチャンがそのような人
間になることを喜びません。主イエス様ご自身も、人生のさまざまな苦しみを体験したこと
によって、苦しんでいる人々に同情することを学んだので した。そして、最後に、十字架の
苦しみを通って、罪人たちを救ってくださったのでした。キリストは、クリスチャンたちを、
苦しみの中を通らせることによって、
他人に対して同情できる者へと変えてくださるのです。
そして、クリスチャンにとって、永遠の苦しみはないのです。どんなに大きな苦しみも、
終わるときが来るのです。