「この子を主にゆだねます」 山下慶親牧師 サムエル記上1章21~28節 マタイによる福音書20章20~28節 ハンナには子どもがいなかった。そのことが「深い悩み」となっていた。しかし神への切なる祈り が聞かれて、幼子が誕生し、サムエルと名付けられた。ハンナはサムエルが乳離れしたとき、幼子を 「主にゆだねる」ため神殿に行き、祭司エリに預けた。 子どもは、単に父親と母親の間の子どもなのではない。究極的には、神から授かった賜物である。 私たちは信仰者として、ハンナのように子どもを主にゆだね、健やかな成長を見守ることができるよ うでありたい。 ヤコブとヨハネの母親は、ハンナとは対照的に、実に自分本位な姿を示している。なぜかと言うと、 息子たちをイエスのもとに連れて行き、厚かましい願い事をしているからである。イエスが王座に着 くとき、自分の息子2人が両脇に座れるように特別扱いをしてほしいというのである。 私たちは、子どもを神にささげた信仰的なハンナの姿には遠く及ばない。しかし、自分本位なヤコ ブとヨハネの母親のような姿になりたいとは思わない。私たちは、信仰的なハンナと自分本位な母親 の姿の中間にあって、心が揺れ動いている存在である。 福音書や伝説によると、ヤコブは12弟子の中で最初の殉教者となった。ヨハネは長寿を全うし、 キリスト教迫害下のエフェソで教会の指導的役割を果たしたという。おそらくヤコブとヨハネの母親 は自分本位なあり方が徐々に信仰的なあり方へと変えられ、2人の息子たちにしても「主にゆだねら れた者」として謙虚に歩むあり方へと変わっていったのであろう。私たちも、「主にゆだねられた者」 たちとして、謙虚な生涯を全うできるようでありたい。
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