中東研究フォーラム 2015 年 10 月例会報告要旨 (2015 年 10 月 1 日、東洋英和女学院大学大学院棟) 発表者:柿﨑正樹氏(テンプル大学ジャパンキャンパス准教授) 報告テーマ:再選挙に向かうトルコ:国内政治情勢と PKK 問題を中心に 柿﨑氏はトルコの最近の政治動向について、2015 年 6 月の総選挙結果と 11 月 1 日の再 選挙に向けた内政の動向、 「イスラム国(ISIS)」へのトルコの対応、クルディスタン労働者 党(PKK)の動向と和平プロセスの崩壊、の 3 点を軸に報告した。 総選挙は事実上、①2002 年以来単独政権を維持している公正発展党(AKP) 、②世俗的な 中道左派の共和人民党(CHP) 、③極右の民族主義政党、民族主義者行動党(MHP)、④中 道左派でクルド系の人民民主党(HDP)の 4 政党で戦われた。エルドアン大統領が主張す る「強い大統領制」移行が最大の争点だったが、AKP は過半数を割る一方で、HDP が躍進 した。AKP 後退の最大の要因は、南東部の AKP 支持だったクルド人が HDP に投票したた めと見られる。ただ AKP は依然として草の根の支持基盤、基礎票を有している。 選挙後に AKP は第 2 党の CHP と連立協議を行ったが、エルドアン大統領が連立よりも 早期選挙を重視したため、連立協議は不調に終わった。この結果、11 月 1 日に再選挙が行 われることになり、8 月 28 日にダブトオール首相が選挙管理内閣を立ち上げた。 この連立協議の最中の 7 月 20 日に、トルコ南部のシリア国境近くの町スルチで自爆テロ が発生し、会合を開いていたクルド人 32 人が死亡した。PKK は「トルコが ISIS と結託し ている」などとして、事件直後にトルコ軍兵士を殺害した。一連の事件に対抗しトルコは 7 月 24 日から、ISIS と PKK に対する空爆を開始した。 トルコは ISIS に強く対処していないといわれる。しかし、トルコからの ISIS 参加者は かなり多く、中にはアフガニスタン、ボスニア・ヘルツェゴビナ、チェチェンなどの戦闘に 参加したベテランのトルコ人ないしクルド人も多い。このためトルコ治安機関は ISIS をか なりの脅威と見なしていた。さらに ISIS がトルコ語版広報誌を発行するなどした結果、7 月初めごろからトルコ政府は、関係者の拘束やウェッブサイトの閉鎖など ISIS に対する取 り締まりを強化した。また、ISIS 攻撃で米国に協力するとともに、国境沿いに安全地帯を 設置する構想に合意したといわれる。ただ安全地帯の運営など具体的な内容は詰まってい ない模様だ。 一方、クルド問題に関しては、トルコ政府が南東部で軍の駐屯地の増設、ダム建設の拡大 などを行ったため、PKK は「トルコ政府は戦いに備えている」と反発し、7 月 11 日に停戦 合意の破棄を宣言した。さらに 7 月下旬からのトルコ軍による PKK への空爆の結果、和平 プロセスは崩壊した。これとは別に 6 月総選挙で同じクルド系の HDP が躍進した結果、 PKK が自らの影響力低下を懸念し強硬策に出たとの見方も強い。 PKK 内では若い世代を中心に新しい運動が起きている。従来の PKK 指導部は農村部を 基盤とし、現在もイラク北部を拠点にしている。他方、第 3 世代は 2013 年に「愛国革命的 青年運動(YDG-H) 」を設立した。YDG-H はトルコ南東部の一部都市で「解放区」を樹立 し、治安当局を攻撃している。また、2014 年 10 月にはコバニのクルド人支援を訴える大規 模な運動を展開した。YDG-H の新しい戦術はいわば「デモ以上、内戦未満」であり、警察 などでは対応できないが軍を出動させるまでではなく、トルコ政府は対応に苦慮している。 以上の点を踏まえ柿﨑氏は、11 月選挙に向け AKP は「反テロ」キャンペーンなどにより 世論統一を図っているが、トルコ社会には暴力や怒り、負のエネルギーが充満しており、 AKP が過半数を回復する可能性は低いと思われると述べ、報告を締めくくった。この後、 11 月選挙に向けた動きや PKK 内の世代間対立、トルコの対シリア難民政策などについて 活発な質問応答があった。 シリア内戦や ISIS の動きとも連動し、トルコの政治状況は複雑さを増している。柿﨑氏 の報告は詳細な点に基づくとともに、大きな流れに沿って複雑なトルコ政治の現状を分析 したもので、大変有意義な研究会となった。 (文責:立山良司)
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