李登輝「新・台湾の主張」について 2016.03.16 中山信正 台湾の概略の歴史 資料1の通り 1.李登輝氏の経歴 李登輝氏は本書の「李登輝関連年表」通りであるが、長くなるがもう少し細かく述べたい。 1923年1月に、日本統治下の台湾で生まれた。旧制台北高等学校を経て、京都帝国大学農学 部農業経済学科に在学中に学徒出陣する。戦後は台湾大学に復学し、1848年に卒業す る。1952年から2年間米国アイオワ州立大学に留学し、農学修士号を取得する。さらに1965年 から同じく米国のコーネル大学に留学し、「台湾における農業と工業間の資本の流れ」と題する 論文で、農業博士号を取得した。この論文は1968年度の全米最優秀農業経済学会賞を受け、 李登輝の政治家への道の布石になっている。帰国後の1971年に蒋経国に台湾農業問題を報 告し、深い印象を残したことが契機となって国民党への入党となり、翌1972年5月に行政院の政 務委員(国務大臣に相当)に起用され、政治家としての第一歩を踏み出した。1978年6月には台 北市長に任じられ、翌年には国民党中央常務委員に就任した。1981年12月に台湾省政府主席 となり、3年後の84年に第7期総統のもとで、副総統に選出された。この経歴から知られるよう に、李登輝は学者の道を歩み、48歳にして国民党に入党し政治家に転身、65歳で総統と党主 席の座についた。(伊藤 潔著「台湾」より) 2.台湾開発に貢献した日本人たち 児玉 源太郎 第4代台湾総督(1898-1906年)台湾を完全に掌握 後藤 新平 1898年(明治31年)3月、民政局長(1898年6月20日に民政長官)「現地を知悉し状況に合わせ た施政」 新渡戸 稲造 1901年(明治34年)民政局殖産課長、殖産局長心得、臨時台湾糖務局長 糖業発展の基礎 を築く 八田 與一 台湾で農業水利事業に大きな貢献をした人物 磯 永吉 蓬莱米の父 末永仁 蓬莱米の母 芝山巌事件 六氏先生 楫取道 明(山口県、38歳)・関口長太郎(愛知県、37歳)・中島長吉(群馬県、25歳) 桂金太郎(東京都、27歳)・井原順之助(山口県、23歳)・平井数馬(熊本県、17歳) ゲリラたちに用務員の小林を含む7人全員が惨殺された。 1 明石基次郎 第7代台湾総督・台湾電力設立(社長高木友枝):1918年日月潭に水力発電所建設工事着手 松木幹次郎 台湾電力社長:1928年日月潭の水力発電所工事再開 1934年竣工 3.台湾の最近の政治情勢 (資料2 参照) 台湾総統選挙結果発表 2016.01.16実施 当落 当選 党派 候補者 総統 副総統 得票数 得票率 中国国民党 朱立倫 王如玄 3,813,365 31.04% 民主進歩党 蔡英文 陳建仁 6,894,744 56.12% 親民党 宋楚瑜 徐欣瑩 1,576,861 12.84% 12,284,970 立法委員選挙結果 (定数113) 政党 2016.01.16実施 当選者数 増減 比率(%) 民主進歩党 68 28増 60.18 中国国民党 35 29減 30.97 時代力量 5 5増 4.42 親民党 3 0 2.65 無党団結連盟 1 2減 0.88 無 1 2減 1.88 別紙の通 4.台湾ツア紀行 り 2
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