小泉斐《楊貴妃図》について 芸術理論専攻 141057 2年 中村瑞希 (図1)板絵著色 かんせ い 165×145cm 寛政8年(1796)県指定文化財 (図2) かんき ひのえたつ (図3) ぼうじつ き む ら あやるうつし (図2)款記「寛政八年 丙 辰九月望月木邨 斐 冩 」製作年「1796年旧暦9月15日」 (図3)印章「木村斐」4.3×5.3㎝(白文方印) 「子氏章」5.0×5.2㎝(朱文方印) 小泉斐(1770~1854)の作品である。本図は、画面向かって右に左手に笛を持ちすっと立つ楊貴妃、画 面向かって左には卓に肘を掛け椅子に座る玄宗皇帝、その足元に侍る三人の童子を描いた絵馬である。 かいどう 背景は金箔の箔散らしや、楊貴妃の象徴である海棠の花で華やかに彩られる。 ほうおう りゅうとう 楊貴妃をさらにくわしく見てみると、髪を結い、羽を広げた鳳凰の冠を付け、左手には龍頭の笛を手にと って見返り、童子とやさしく視線をかわす。斐の美人図は現在8点余り確認されるが、本図のように童子と視 線をかわす構図が多い。 え り そで 楊貴妃の服装で特徴的な外衣の襟・袖 の四角が連なった模様は狩野派や まるやま お う き ょ それに学んだ絵師、円山応挙(1733~1795)などに見られ、「唐美人図」の通例 である。斐の唐美人図の先行研究では応挙の唐美人図との共通点が指摘され ながさわ ろ せ つ そ れんこう ている。応挙の弟子、長澤蘆雪(1754~1799)の《楚連香》(図5)と本図は唐美人 が童子と視線をかわし振り替えるポーズが類似していると指摘した。斐は出身 地である栃木県のみならず、滋賀県・日野の神社に作品を残し、師とともに京 都に行くなど行動範囲も広かった。よって、京都を拠点とする応挙と面識があっ てもおかしくはない。 本図の楊貴妃は笛を持っているのが特徴的であり、楊貴妃と笛に関する逸 ちゅう か じゃく ぼ く し しょう 話は、『中 華 若 木詩 抄 』に玄宗皇帝が楊貴妃に笛の吹き方を教える様子が記 へい て き ず されており。その場面を絵画化した絵は「並笛図」と言われ、楊貴妃と玄宗皇帝 がそばにより笛を吹く構図が多く描かれる。楊貴妃は、近世には浄瑠璃や能・ 狂言の演 目として親しまれ、絵馬の画題として奉納された例もあり、本図の構 ながさ わ ろ せ つ そ れ んこ う (図4)長澤蘆雪《楚連香》 絹本142.4×69.7cm 江戸時代 図もそれらの場面からとった可能性も考えられるかもしれない。また、本図の 願意は同画題の先行研究にも指摘されるように、子女の幸せな結婚と、一族の 繁栄を楊貴妃になぞらえて願ったものと考えてよいのではないだろうか。
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