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思いやり
ふじおか
とやさしさ に満ちた
病気に関する人権
り消されたり、医療機関で差別的
解や偏見から、職場への採用が取
っている人が多く、HIV 感染者
能な病気ですが、誤った知識を持
す。このようにエイズは治療が可
∼正しい知識を持とう∼
病気に関する人権について考え
たことはありますか。病気という
な対応や診療拒否をされたりする
に対する偏見や差別が、いまだに
だけで偏見を持ってしまってはい
人権侵害が起こっています。
解消されていない状況にあります。
ませんか。現代でもある病気にか
かってしまい、その病気の誤解や
エイズは感染症ですが、日常生
活における接触で感染することは
偏見によって苦しんでいる人たち
ほとんどなく、感染したとしても
すぐに発症することはありません。
がいます。それはエイズやハンセ
ン病の患者です。間違った知識に
ハンセン病問題
よっていまだに差別されています。
染を早期発見し治療することでエ
イズの発症を抑えることができま
持っている﹂といった偏見ばかり
伝する病気﹂
﹁非常に強い感染力を
ンセン病は﹁恐ろしい重い病﹂
﹁遺
有効な治療薬がなかった時代、ハ
もちろん遺伝もしません。しかし
ハンセン病は現在の日本で感染
最近では治療薬の開発が進み、感
しても発症することはありません。
エイズ問題
︵1
エイズは、ヒト免疫不全ウイル
ス︵HIV ︶の感染によって引き
起 こ さ れ る 病 気 で す。 昭 和
が強調され﹁ハンセン病患者は隔
離しなければならない﹂という間
違った考えを生み出しました。医
学的根拠のない判断ですが、これ
が隔離政策を肯定し、偏見や差別
を 助 長 し ま し た。 平 成 8 年 に﹁ ら
い予防法の廃止に関する法律﹂が
施行され、明治時代から 1世紀近
く続いた隔離政策は終わりを告げ
ました。しかしハンセン病療養所
に 入 所 し て い た 人 た ち の 中 に は、
完治したにもかかわらず、今でも
療養所にとどまる人が少なくあり
ま せ ん。 高 齢 で 身 寄 り が な い こ と
や、 長 期 間 に わ た り 社 会 と の 交 流
を絶たれてきたこと、ハンセン病
に対する偏見や差別が根強く残っ
ていることから、社会復帰が難し
い状況 に あ り ま す 。
明るい社会を築いていくために
﹁ レ ッ ド リ ボ ン ﹂ は、 エ イ ズ に
関して偏見を持っていない、エイ
ズとともに生きる人々を差別しな
いというメッセージです。皆さん
はHIV・エイズやハンセン病に
ついて正しい知識を持ってくださ
い。 そ し て 患 者・ 元 患 者 の 人 た ち
とその家族が受けてきた、過去の
つらい歴史を想起しながら、相手
の人権を尊重する気持ちを持つこ
とが 大 切 で す 。
問 い 合 わ せ 生 涯 学 習 課︵ ☎
6888︶
﹁ 我 を 東 路 に 奉 供 せ よ、 有 縁 の 所
にいたれば必ず重くなって知らせ
7 3∼ 15 9 2年︶頃に、修復さ
れたことが分かっています。修復
る ﹂ と い う お 告 げ が あ り ま し た。
鎌倉街道を下り上野国緑埜郡さけ
し た の は ﹁ 大 阪 大 仏 師 光 ︵ 花 押 ︶﹂
によるものだと背面の﹁裙︵はか
塚の原に到着すると大きな岩のよ
うに重くなったため、そこに建物
まのようなひだがあり、腰から下
を 覆 っ た 服 ︶﹂ 上 に 書 か れ て い る
を建立し安置されました。その一
い ま す。 材 質 に は カ ヤ が 使 わ れ、
彫りなおされていると推定されて
の誕生をこの観世音像に祈願した
室、巴御前の父、中原兼遠が女子
置されていました。木曽義仲の側
地域とのつながり
ようになりました。
人々はこのお堂を﹁動堂﹂と呼ぶ
い 雨 が 降 り ま し た。 こ の 時 よ り
するとお堂が揺れて草木を潤すよ
人はこのお堂で雨乞いをしました。
年後にはひどい干ばつがあり、村
﹁墨書銘﹂によってわかりました。
寺に伝わる話によれば、この観世
音像は造られた当初、大和国十 市
一行寺の観音堂に安置されてい
る﹁動堂観世音﹂は、平安時代末
一部を除いて一本の木材から彫り
郡 訳田 庄︵現奈良県桜井市︶に安
∼ 鎌 倉 時 代 初 頭︵ 約 8 5 0 年 前 ︶
ところ、見事にかない巴御前が誕
生しました。
出された一木造でつくられていま
・ 6㎝ 、 最 大 幅
に制作されたと推定されます。藤
像 で す。 高 さ
・ 9㎝ あ り 、 ふ く よ か な 顔 を や
守入道尊願法師が関東に向かう
鎌 倉 時 代 の 仁 治 元︵ 1 2 4 0︶
天正 ︵ 15 9 1︶年芦田康貞
年4月武蔵国住人の津戸三郎 為
がこの由緒ある観音堂を現在地で
や 右 に 振 り 、腰 を 左 に 少 し ひ ね り 、
語坂で宿していたところ、夢枕に
商工会議所
しののめ信金
一行寺
観音堂
浅間神社
古桜町
七丁目
途中、信州木曽の郷戸駅近くの和
最近の調査によって、この仏像
左ひじを曲げています。頭部など
は安土桃山時代の天正時代︵ 15
仏像の出どころ
す。
手を取り合いましょう
岡市にある仏像のうち最も古い仏
∼一行寺動堂観世音∼
地域名とも強い関係
これにより人々の間に生まれた誤
し さ の み が 強 調 さ れ て い ま し た。
は治療法がなく、この病気の恐ろ
に広がりました。発見された当初
発見され、あっという間に世界中
9 8 1︶ 年 に 世 界 で 初 め て 症 例 が
56
はできた当初のままでなく、後に
一行寺観音堂に安置されている
動堂観世音
問 い 合 わ せ 文 化 財 保 護 課︵ ☎
5 9 97 ︶
の文化財に目を向けてみませんか。
歴史があります。この機会に地域
周りにある文化財にも何かしらの
がりが存在しています。皆さんの
このように市内に存在する歴史
的な文化財には地域との深いつな
ということです。
を﹁本動堂﹂と呼ぶようになった
した。もとのお堂があったところ
ある古桜町に移し一行寺となりま
19
89
人 権
Human Rights
20
広報ふじおか 平成27年6月1日号
広報ふじおか 平成27年6月1日号
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レッドリボン
一行寺観音堂の所在地
27
歴 史
Fujioka History