けやきだより第2号 - 武蔵野市立小中学校ポータルサイト

平成 27 年度
大野田小教育活動だより
平成 27 年4月 15 日
武蔵野市立大野田小学校
けやきだより
校 長
坂 西
圭 子
No.2
本日、4月 15 日は大野田小学校の開校記念日です。大野田小学校が開校して 64 年が
たちました。子供たちと開校記念日を祝うとともに学校の歴史の一部についてお知らせ
します。
1
開校までの道のり
昭和 22 年、戦争が終わり、武蔵野町立
小学校は、それまでの「国民学校」から「小
学校」に名前を変更した武蔵野第一、第二、
第三、第四、第五小学校の五校でした。し
かし、人口が増えるにつれて、児童数もど
んどん増えていきました。各学校は、校舎
を建て増ししたり、午前に勉強する組と午
後に勉強する組に分かれて、1つの教室で
2部授業などをしたりして対応しました
▲その頃の大野田地区
が、それでも間に合わなくなり、急いで新
しい学校を建設しなければならなくなりました。
武蔵野町は昭和 22 年 11 月に武蔵野市になりましたが、市の予算が苦しい中、多くの
費用をかけて、次々と学校建設を進めていくことには、大変な苦労がありました。昭和
29 年には、とうとう教育の予算が出せないほどの赤字となり、市民に「学校建設のため
に協力してください」と呼びかけて、「公債」を買ってもらう形で、お金を借りること
になりました。この時発行した公債は、「愛市公債」とも呼ばれました。子供たちの教
育を大切にしなければいけない、という市の考えに、多くの市民が賛成し、3年間で2
億 5000 万円以上のお金が集まり、小・中学校の新設や増改築を進めていくことができ
ました。
このような経過で、昭和 26(1951)
年4月、吉祥寺、西窪、関前地区の中ほ
どに第一、第四、第五小学校の3校から
585 名の児童が集まり、大野田小学校が
開校しました。この頃、大野田小学校の
周りは、一面の麦畑でした。ヒバリがと
きどき畑から飛び立ち、空気がきれいで
よい環境のところでした。
▲その頃の教室の様子
2
昭和
26 年
27 年
3
開校のころの教育
4.1
4.2
4.5
5.27
7.25
10.24
3.2
3.25
武蔵野市立大野田小学校開校
校舎第1期校時完成
(教室 10、音楽室)
入学式、始業式(児童数 585 名)
図画展覧会
臨海学園(走水 4.5.6 年)
秋季大運動会
学芸会
第1回卒業式(卒業生 84 名)
できたての校舎は、モダンな作りの
木造校舎。木の香りと温もりにあふ
れていたそうです。
第1期生の髙橋健一同窓会長のお
話によると、運動会は第二小学校
の校庭を借りて、学芸会は第四中
を借りて実施したそうです。
体育館がなかったので、職員室の
机をみんなで出して、卒業式を行っ
たそうです。
児童数について
開校当時 585 名だった児童数も、学区域の変更とともに増え続け、昭和 30 年には 1000
名を超えました(1095 名)。昭和 33 年には 1710 名の児童数となり、昭和 41 年に関前小
(現在の千川小)へ 466 名が移り、さらに昭和 42 年に 290 名が千川小へ移りました。
現在も市内で2番目に大きく、活気のあふれる学校です。平成 26 年度の卒業式で
10,000 番を超える卒業生を送り出しました。
【平成 27 年度児童数】
学年
1
2
3
4
5
6
むらさき いぶき
計
児童数
120
125
120
105
115
108
23
5
721
学級数
4
4
3
3
3
3
3
1
24
▼開校当時の校舎全景
写真は省かせていただきました。
【参考資料】
・大野田小 各周年記念誌
・子ども武蔵野市史(武蔵野市立図書館)