前号作品短評A〈小野澤〉

前号作品短評A〈小野澤〉
●自らに決めたる課題の成らずしてうつうつと夜の闇に入りゆく 市川茂子
他人に云う必要のないような課題でも自分で決めたということが大事で、
それが成らないという。
そうした課題は日中のものか、それで、夜もただの夜ではなくなってくる。下句の意外な重さ。そ
河村郁子
こに「闊歩したくも足元不如意」や「声高な話題」から中立な立ち位置などを、歌から読み合わせ
ても み る 。
「出でゆく」という。
一方で、こういう歌もある。「逢う人なくも」
早春の日差しに心うきたちて街に出でゆく逢う人なくも
●「柿安」か「なだ万」もよい「大増」か江戸つ子なれば「味の浜藤」
一連タイトルは「御花見弁当」。最初の歌で、一連の場面の説明が行われる。最後の歌では、御
弁当えらびに誘われた事情が説明される。最初の歌はこんな歌、
大江戸の花見ならひて若内儀御弁当選びにデパ地下めぐる
全体に、段取りのよい歌のならびで、江戸っ子でないこちらにも伝わってくる楽しさがある。い
ろいろ定番があるのだなともおもう。冒頭の歌で、それぞれに味覚が刺激されるようなら江戸っ子
なの だ 。
こ の え ら び に は 当 然 結 論 が あ る 。
あれこれと選びあぐねて畢竟は人形町の「今半」の折
●花の旅共にせぬまま遺されし 谷垣滿壽子
「櫻花」という括りの四句目。句の感じは、こんな最終句とひびきあうようだ。
人 は 皆 最 後 は 一 人 櫻 散 る
また、この最終句は、二句目を受けているようでもある。
最 初 に は 誰 を 思 ふ や 花 の 下
こちらの方に、当然ながらふくらみがある。あとは、こんな句に惹かれた。
花 夕 べ 長 居 を 詫 び て 帰 り 来 し
●歯切れよき浅田次郎の講演に井上ひさしの〈訥々〉おもふ 布宮慈子
一連「吉里吉里忌」。「吉里吉里」がワードで変換されたので、驚いた。四月十九日、川西町で井
上ひさしを偲ぶ文学忌が行われたという。五首目から、
川西町に「井上は中学二年までを過ごしぬ」
と。
享年の七十五や没後五年、遅筆堂文庫という呼称、など井上尽くしといってよいような言及があ
り、親切。改めてしることもある。川西町立第一中学校校歌の詞は井上か、その歌詞には平明なが
ら、井上ひさしという人のコトバの力を感じる。
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展景 No. 79
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前号作品短評B 〈慈子〉
●週末のまちのしずかさ矢印に十二番寺ひとを導く 小野澤繁雄
「秩父」一連のなか、矢印どおりに引き込まれていきそうな感じの歌。たまたま訪れた土地のよう
だが、秩父には札所巡りとして三十四ヵ所観音霊場がある。西国三十三観音、坂東三十三観音と並
び、日本百観音の一角を占めるという。札所十二番は野坂寺。が、作者は札所巡りをするわけでは
●清明や蹼 生えてくる感じ 新野祐子
みづかき
ない。町の現在を「プードル」「ドーナツ」「平家貸家」等の語で淡々と語っているのである。
清明は二十四節気の一つで、春分から数えて十五日目ごろ。ことしは四月五日だった。作者は山
形県白鷹町に住んでいる。まだ桜は咲いていないだろう。それだけに、雪が消えて春へと移るよろ
こびが身体を通して表現されている。「せいめい」の明るい語感と、ヒトの水掻きという怪しさの
取り合わせがおもしろい。言われてみれば、てのひらがむずむずしてくるから不思議だ。
●となり家のハゴロモジャスミン窓枠をつたひて軒の高きゆ匂ふ 丸山弘子
ハゴロモは羽衣であり、鳥の羽で作るという薄い衣のこと。ハゴロモジャスミンは一つの蔓の先
にたくさんの花をつけ、重なり合って咲く様子が羽の衣のように見えるらしい。隣家の花が、どん
どん伸びていって軒の高さから花の香りがしてくる、
という発見が新鮮だ。
視点がどんどん上にいっ
ているのだが、結句の「匂ふ」が生きている。流れもよい歌。
●ケム川にはじめて出会ひし「数学橋」木組みの橋の反りうつくしき 結城 文
イギリスの学園都市ケンブリッジ。街自体がケム川に沿って形づくられていて、主なカレッジの
敷地が川に接するように点在しているのだという。いちばん上流にあるのが数学橋ということか。
数学橋は、木造で幾何学的な構造からついた名。実際に見たことはなくても、歌からその美しさは
じゅうぶん伝わってくる。作者は若いときに過ごした街を感慨をもってたどっているようだ。 み はりだ
張田とならぬひと隅白塀に囲まれて放射線除染土置場 池田桂一 ● 水
なんともやり切れない哀しい歌である。作者は現在、ふるさとの福島県伊達市に住み、その地も
放射性物質の除染が行われているようだ。田植え前の田んぼに水が張られている一方で、白塀に囲
まれた土地が除染した土を置く場所になっている。原発の事故がなければ、次の歌のような美しい
風景が広がり、不安や悔しさは歌にしなくてもよかったはずだ。
一面に鏡置くごと水張田の数増せば天地を円く映しぬ
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展景 No. 79
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