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昭和 22Jjl.10Jjl 日滋行
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復興も
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交通技術
過程~~ 15 蛾
1947 年 10 月
銭遁 75 年を迎え て
甑舗は第 75 年の記念日な迎えた。かつては遮悼の安全.疋確と低廉な運賃を
誇つ t~ ~:本の繊~も,敗電車に悶る種 k の悪俵"'{'の県境i 二押されて,今や社合の蹟
1岬1;.芋じf咋ちゃ川海外に時出されるまで
九,宅長期の府内見・iる1彪も t,J. q貴え去り,凋搭
回錦はもう /.'fO)奈には民 t,ぬじ,まずこ畏しでほなじゐ:ぃ
-
針 4 (,)体杭を挽て 1" .~ちしいきて貌の途.J:t=:ピ〉軍捜~,__. l見賢t ーは動きのとれ
ぬ悪{恥 r-F に ;Au-'o'Pf,字若干替にj~沿え下、fぃ£二 ) i°~ 脱;:t 1:11 して買に近代化計 L
、!・''
?ζ科今f怜:!'!:!_的評.詩に斡長[〉;ぞ 諮り ui:界に誇~)陛る段階に建するまでには,今後
O)'flj しい式械と鋭みない努力を粧なければならないであろう。あの自動車が路に
.
溢μていらア j リカに於ても,一流釘百台市上;上略’院な話取的寝静方策ミ台湾・に採め
入れ t,一世等質t こ比し f:i ·,、賃金r·_ H
<(1 職員"r長い,巾も蹄やかしい流綿地高速
列車 tr {-C,せて,
IU:.i・1 ~~比の_n_~ 、サ{ピス .t.e ~官民i て提供している。しかしその反
両には J 部市民の・j守司るような増力研慢と,現 '!i~tiの明朗読徳的な齢務とがあ
1E~1たと
技術系聡 ci 0)ぷ JFj にじか、ろ責任は J!i だ韮いと J わなければならぬ。幾多先曜の
遣し f長年やかしい技術水汚ーにを快復し, J.Iにそれ .te 然{J 角えて進むこと二そ我!.tf\..:.
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探せちれずこ任務である。而も鞍災復習に,電化建設に,調 ·'t研究lこ,技作;再建の
Wi:fーはたくましくも現われているのであって, ,その立ち直りこそは習鎖再出設の
調節排~力強く開くものであり,その正しい再建意響、こそは函錨将来への道床を
なすものであろう.勿論,鎖直技術の向上確l1'rは更に先進国に仰がねばならぬも
の,本;-;合技術勾の活用,経営組織の改編等種々の前提旅行 O)~Yf決が必要・であんう c
O干しこれら綿ては,今や我等自身の努力に依って肖由に殺得せらるべきものであ
ゐ。新らしい鎮遺骨再建するために,新司鎖魂ぞ一円も早〈確立するために,我
培技術人は敢然として進むであろう。鋪道 75!i手はこの出世の年である。
司,
騒|!議i
久保田敬
然し比の頚勢は 5 年前の7俗周年の頃から銃に共
の徴候毛並見せて居り,識者は結えすさ箸告を聾して
居たものである.苦言時R患を雪-は況に始まって居 ~)'
たこ・ とがある。今それを諌んで見 1.:>"と7 今管の感
遣の保守等は安金; - 資材の不足のぼめ殆 E 顧み
とか感慣無量とかそ湿り越して金〈夢の按な焦が
られす,共の区画軍事上民需上の必要から動草の
する。官時の頭舗は米商等に見られる様な張家な
酷使は急:曲続的に上昇ーしたのである.験争末期に
於τは金〈安五主主轄を無脱した負指令鍛;立に負はぜ
ョー
柄に子ても狭軌としては立~なもの万咽車窓轄
の能2容も高〈,而色混持事故は米英等よりも遣に
ち到ったのである。
少し叉容氏本の運用効率Eも著しく高く,米英悌
然し設J決〈して,松柏の凋むに後る〉を知る如
湿伊等の渚閣で吾霞の 3 分の 1 の能翠令傘 ~t; て居
〈,比の戦争の打撃こそは著函鎖道が過去 75 年
る習は一つもない程であった・更に蓮和平沼
間に如1河によく増かはれ来ったか佐官常明したので
崎な事は!生界的;こ有名なもので,外図入.P ' 日本の
餓益で古実行する時には時間·~さへあれば時計は要
ある.先つ取宰勃設常時:あの Uミな数量の智隊
及び軍需品の~.迭をI行っても,金司に亘って列車
らないと迄えはれて居h 大 1E 14 宇i,T は笥草創
時間表に少じの費更・も加へ?,問民が殆んど策の
匙以来用ひう1さった蝶旋えj袋持著書を自勘違結器に穆
へTτのであるが,僚か 1 臼~主ヨヨー湾i二取り付υ
...完了して ttt:間々 f;ちかしたものである.叉王手輔の
付かぬ中に比の大詰迭を悠九と仕途けることの出
来たのは'iE鎮の持つ資力の聾露であって,外認銭
道のSit似の出来ぬ所である . 更に柊-~前卒年に亙
ff轄では正羽のi笥稿料考鰐日教は~均 5 腎牟で米
る大星慢を受けて日本の産業は殆んど金誠の姿に
留置の優秀工喝の 5 依乃至 10 伐の能療を奉けると
あった際に岱茸だけは其の使命を果すべ〈孜k と
云ふ鷲青葉判官緒を持って居り,共の昂め蘇聯でも
してl:~1·1 、て i芸大.終取宮時米国側では日本の接選
寄E置の皮肉を始時して日本式作業方法;£>採用した
F年F惇午物の役に立たぬと想像して,狭軌用
と云ぶ様なことは今から考・へると誠に嘘の様な話
儲善幸そ材-を垣 :Cf:しiて国ーった相であるか,案外に色
?あろ.
~単ヲ京貯究N~態 l:,,_cあるのを夜見した矯め車桶其
,
、'-·'「-,,
{!ii:b、乃年後の今日, Jlt'")ji_O) 沼めがJコも授ら,,
の他の資材は関本に??守口,; T せすー,日*の織j昆は元
frt砕きれて跡方もなくなったのは情ない撮み?あ
の僚の奏で円木の鼠 1宙局の手で運行&叩けるニ
ゐ. lfi附は壊れて;}~ロボロになり,運縛棺壊は揖
とになづTこ加であると -;s _ 示。邸ち戸本の産業中で
度に低下し,認/,i~ ·;i-昨季も 5 年前に比して 4 倍以
Ii)&~:~と;司い買いたのは舗道のみであると云っても
上と fくり,限界に比烈ない陸多くなって居る。惇
~;ごではえよいのである。
てflll:t中a: ! ーが刊本の内在線路は盟国師の;ヨ括経仕事
~<錬:且は臨竿の打軍令iJril性眼度以内に喰ひ止
だと迄2ミーはれた容毘な綿路,開革の!?日空の棄て所
め{与すよのであるから,其の同復も可能で立ち直句
がないと云はれた遺床も今は<\'cさでの荒野の様で
も早 『 ·ii'写-_:;.;-),:;,. ~-\l. 角間:聞は鍛識に到してあらゆ
h ゐ。 .rnとち竹い、思川、のは逗車~{~軒下の正確さで,
ゐ非誌な j谷せかけて居るが,冷静に考へれば鎮滋
あれ程臼木の鎖必の??切と!仕界に問慢した五時;3
は他の去業の群毛抜℃て段々よくなって居る.同
”ち滅茶以誌となって,如伺に開f系者が問)J して
みに終戦蛍時と今日必較べて見れば,列車運轄に
も斯く攻~iiの社員,結~~名の故障がJJ,ijιよ続出して
しろ,工事{特,綿路の議備にしろ可成りの改善の跨
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が見られる.最も幽路とせられた事楠修繕の如~
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は電車を除いては早くも昭和 17 年度の修繕能カ
まで復活して居わ,之れに闘して潰絵ヱ捜部が,
に芽生へたものが多いのである.
昭和 4, 5 年になって叉 k 世は不景無になり,
「温去 九年間に於ける生還再開への努力は驚異的
潰ロ内閣の緊縮政策の矯め産業は芸捜し,折角の
である J として内閣栂1Jl1大臣から表彰されたこと
機械化も亦入力に復元せられる様な有践に立ち賓
な c は流石背ながらの爾舗であ忌と思はせるもの
ったのであるが,これが共後の吾沼カに輿へた影
がある.
響は非常に大きいものであった。卸ち共後間もな
今回 の様な念:滋:で不自然な型化は別として国鎖
〈浦刑事費,日支事費,太平洋鞍年と人的資源を
7,5 年の歩みぞ酌返って見れば,全置としては品
要することか多くなるに従ひ,主主際的に機棋はJi_
業以来 50 年間に献米苛認の 100 年に遁ひ付い Tこ
わな u 、,人子ほTU 挽って無いと云ふ最も困難芯員長
穫の篤異的進歩必見せて腐るのであるが,共聞に
態を現出する様になって,殆ん 2 悉くの産業沿廊
は時の動きにつれて可成わの消·W:があったのであ
嫌!抗態に陥れたのである.
る.特に目立つのは陛閣の員集と錨涜王事φ機掛
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化との関係である.否々技術者が能~·精進とから
また聞の出来栄ヘカ、 4恥トz:.~ .rffi京訴
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〈樋被力を使ひ入力を省くことである.所が不景
共に齢り輯みにならないものとなって見れば,樋
策の:湾代になると必歩失業問題が起り入力会以て
揖カなく,努働力なき日本にEをされたものは果し
槌械に代へると云ふ傾向冶生食るのである.蟻道
て何であるか,此捺iニこそ吾 k 技術者はたに共の
工事の捜断むに星空して跨〈程平寸時代に鷲く程捜
繊を;反った記滋伝あり乍らそれカ亨毛の後比較的進
歩聾透して居ないと云,J、のが今日の資情である.
笹子・の占川か,古川の笹壬カ〕圃と云はれる古川原失
脚上が笹子邸前川訟を結じh 電気欄
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車q.走らせ,悪事官答案の謹紫機分使ったのは賓1:.
晴冶 32 年頃であるが共後打誌へて陵道担翠に横
繊らしい機械は使lまれ歩,現に粧品’強 I立に入った
英留のパ【ケシヘッド卿は今から 20 年前に.
r20~?宇内限界j と云ふ著書の中で 100 年後には
原子カが聾動機に用ひられる様になるであらうと
議官して居るが,同9W の言によれば仇現在?は 1
封度の石家からは 1 馬力時のエネルギー~得られー
るに遁ぎない.然るに 1 封度の11<の分子中には.
明治 42 年頃には各地の~道内にはカンテラがと
1000 寓馬力時の潜在カがあるが,今日では撃者九
It" り,手藍で掘って居たのを記憶して居る.大]f.
之れを放出せしむる方法を知らないとのことであ
9 年上樹~の直轄工事が始められた時は附什
予・原子の内力を充分に聾揮せしむることが出衆
"の好景朱時代で努働者も極度に掛底 日で居た
であるので,腕力問即日見込誕生し
オ』Lば合日 :;r:は想像色付がぬ程の強大なカや出ぜる
~- ~官 、『 j
と :z:;;,,.、 申はと宅;ifの一致した意見でゐるが,それよ
努力の不足を補ひ,且つ能率の向上を計って工費
り手近な )Jfセ si ても,太陽熱の利用,潮の干潮の
の昂鳴を肪ぐ目的から誌に再び国鍛工事の捜域化
助力化噂は紫人眼にも大に有望の様iニE、はれ,~
が寓予見せられるに至ったのである。最初に熊手し
\;常 -fJ の諸積が簡単に式規模に出来る様にな札ば
た棚下陵道の如きは僅か牟哩足ら?の小陸遣であ
現在のエ業は共の両日を一新することは長r:~·がれ
る をt,やがて来るべき清水躍進の試験誌として電
ない所である.
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灯,’;在府, 宅采窪岩機は申すに及ば十,さ三ヰI索j草
四コモチプクレ【ン,
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脳~働かぜ,:て此の主~陥の補ひせねばならぬの?
はな '/) ・らうか.
T ツキングマシン,プロー
取容に敗れても憲法が費つでも技術者の吊脳ど
手腕とは不減不随である.被術者諸 況が主主々自窓
7 オーム等の各種類そ備へ,更に線路引延ばしに
せられて,来るへ・2苦鋪道 80週年叉は 100週年には
は*濁式引低機;j:> 用ゐゐ噂して, 100 分の 1 片勾
共努力によりて留民の期待に添ふ様な滋;級の鍋i益
国Eの延長 700 米隆道沿僅か 10 ヶ月てぢE成し,蛍
~現出せられん事そ切望して巴まない.
時の記岱を作ったものであるが,此等齢被設備は
清水陸直にも大 k 的に使用され,長:後熱海躍進,
闘門躍進等に用ひられた機減カと技術陣営はj比所
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i感;鍾;
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明治維新の翌年鎖直建設の
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議が決せられた。錨遣は’話時
としてなすべき仕事が多いが,その願序を溜宮に
定めることが経済の建て直しに雪毘なのである.
.の日本としては一大飛醸の交遇税調であったから
わが錨革担轍途カの不足対産業の登遼に影響する
この建設を決されたのは大事~mrrであったろう。そ
依態であった念、ら,餓基の改良がこの際念を要す
の説・草が 75 周年の重達を途けて今関闘ら守も敗
るものω一つ治、も知れないが,繊:亘は今保守に専
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戦後 2 年を経過した。まさ I~境問r迂夕立てられ
なければならない待機と恩七終鞍箆fl<+;;正~
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[;~一一二:c_._;,コ L二
設の開始や鍛j邑電化の円円えられたのはi の事掠め
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II 山 n~j:11
現われと思われるが,圏内欣勢は目白じ必ヰ吋;,民
VL伶挽:-.t ’·~:;分間t趨になりそうもなく電化のa度施も
初めに<I月えられたようには進まない模様であゐ。
念すべきと去で改良の;湾代ではないとの見方もあ
きょ:骨折掛合止悦得ないこ山恩
-· ~ しカf し鋪,fiの大改良工事は早晩賢施されなり
IJ ドリ;ー HI 古け引 t '.};・
ればな可ないざ思ヲ J」』れは夜業.謹達のためのみ
からでなく,岡本感建方策のーとして考えられる
観光事業に相感わしいように改良するためでもあ
幸子新知援や蜘司の生産があのように激減すt るこ
る。えなる改良工事.は大なる It'i備や要し,その如
とは糊し的、ったし,時一肢がぼんや~·. した
伺が成功 le Li',‘右するのでめる。民軌政策も電化も
怠け者のようになり産業生種が躍った依熊じなjら
今から Wf究を、進めて資材の節約と工事を容易にす
よとも想像しなかったのであり,終眠常時の ii カ
ること々回るのが必要と思うのである。
の消耗がわれわれの想像以上であつだこi c~·,智
衆の官 'fl-と建って講和官条約子なかなか結ばれない
で,すべてが浮足でその目暮しをしている欣態で
産業の;eJ復が遅い ii、ら,織華図策ぞ立てる こ
l との
困難はいうまでもない。しb しこの際出来るだけ
の調査研究を行って 5 ヶ年計妥なり 10 ヶ年計書匿
,..、
廉軌斡棋は欲し~--- l の7古}ちる.しかし資材必要
石τ三が多い-~誕永の線路を民軌に改築するこ
とは資材を要することが比較約 iこ少lぃ。し'/;、らば
日本の現状から見れば,杉山議更のi方が炭軌幹線
の建設よりも先き l二世施されるべきではあるまい
か.軌幅費更の研先は大分長い間打ち捨られTこが
を立てて政主の向う所を示すことが望ましし、。預
文化臼本建設のため貰軌が是非必要であり,そし
金程の宅主計控が立てられ β ので館i江計査はそ玩
ξ弓淫守 るだけ却に宮現する同には軌向調
と調和すへきものであるこ~(まいうま舟もないの
|』 n ・J .
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であり,錨~常同として種極研究されでいる をと
~問顎とす;:; -,こvとが必要と思う.
ll'Iιci< ·~ 1
鎖遭電化は極めて宅ましいことでゐる。 7k 力の
利用が閣策として採り J 二けられなければならない
どからうかがわれるのであ p が,伺とかしてしっ
今円においてはー宥・そのさがある。しかし今水力
る.
.
"
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は鍬退命誌に新に専門委員舎の設けられたことな
かりした計葺が立てられる上とが望まい、ωカあ
,
君主祭は偉っているのではなく f 電力不足のため一
位産業が牟身不能の依態にあるから,訴に水力 te
型民主の波術方出から見て従来大きな問題であっ
開設しずこ場合にそれぞ銭.益iこ利用するか他の産業
たのは威軌敬一と電化であったと思う。そしてこ
に利用するカ、は刻家として浮きえなければな f》ない
のこつは今後の開制でもある.そこで鋪進爾策を
のであゐ。錨通電{じはある程度総選カぞ常しかっ
立てるにむってl会この二つの問題にワい\.. l すな
煙の容を除会得るか,諸外 1の貰例そ見るに,電
ゐ考慮イ凶もってもらいすこいのでめる。民軌俳綜の
化ω資施は岱初唱えられ大よりは後れるものが多
娃設およむ;従来の;泉~·~の民主h改築並に定化;主何れ
い。これは電化は資材苦笑 ~le 多く要するからであ
も資十’・氏 'it:野 }Jte 嘆すゐニとが多い。災4 ;貨〈訟の
わ,その資材資金佐多く要する理由のーとして畿
不JE. じてし、る今日においては資材資令そ如何なdる
電所の負荷家の低いことが~ff' ら t Lて~、ゐ。巣/,
J\\1 庁 l二府 ρ るカ、が去も 2主要な i南約でめる.今関:家
てこれからはこの負荷本を改良する手段を講守る
4
、戸
現場から
ずれると足がなくなる。家から歩レ
機関車と共に
て通勤するのは僅かに ;zo 人足らず
と言う有様 Cす。地元には殆ど就職
大石源作
/
俊道 75 年と言えば人の一生にも
自分の程験で一番1自の繋った時、
嘗る年月で、自分など古いといわれ
仕事油商白く出来た時と言えば側、
てもその半分、斜、九年の俊道生活
9 の頃でしたろうか。初めて新橋管
希望者はなくで、皆他から廻して貰
っている。それを屑付くようにする
のが苦心です.
にすぎません。極ま関車を相手に終始
理部に出て修繕lHl係の仕事を受持ふ
ところが例へば休怒設備にしたっ
同じような仕事と取組み、東餓管内
た際でした. zr;:·繁から考えていたこ
て鞍前は相蛍なところまで行ってい
からは一歩も外へ!:IIだこともない有
と、頭にあることがどんどん資fjに
たのですが、忘すこ逆戻りしてしまっ
機ですから、今Wt<: え上げる程の忽 移して行けたの Cす。賞時のことが た.今の若い建中のやっていること
訟がらるナ It 4 もない。併し今こう 10 年絵を経た今日、此の程悶匿にも はそのま L 自分の頃と興っていない
a買
妖fill℃す。 E室内手にしても泊りの際
して若~ I ~車中正:.-fJ)に働ぎなカ~f> 恩
に位る場所がない.
「かま]に庁っ
て~ァ O , 焚火を関ん℃民f!lJ~ I) して
おを作巧て置で_,)ろプ後 いる。・ 早くこんな妖態をv, 泊して良
任事・ 3守於てもそれを飼さずに更に次
れ分It除ti掛の{i訟を長くやりま
』
し九が、! 現在の故障のi主質t· ~昔のそ
u
のころに非常によく似ている!のは面
i
治沼し
明はグ
白い。九ざっぱにtまうと践,こ ー乙も!狩
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るような個所に却って故障 3:見付。
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と間岬〉」践州
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こがの緩
雪印日感
う弘援の
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に緩めるような土還を閉め亡行こう
い賃借を奥えなければと.!:!\ろの℃す
む、 ffdへばMかの
二とが必要である。イグリーでは 1}(力資源右右効
に利用するため, rr: 力料~はキロワヴド時敢によ
るのでなく最大負荷時のキロワツ
*工場ーにおいては一日中胡荊に
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一骨~b宝J瀧之皆うま〈令;:び{;j·りることのE汗究も必要と
なるのでtr..t あゐ土いか。
ーォ、ることをヤH1 府与で!員制与況してわが技術や司p
アメリカにはi!'L置な水力があるが,ー錨遺品力と
ぺ
自iさ ~aこめであるか,
の軍Ji,~~:tt;うよ1t;~tcliF;'-"t'F,の結果わが閣の校内がi世界.
f~. し,
三にたカ日蕗{1ドニ氏会主班とすゐ丈門指導班-T
しては近来水力む釈よりもデイ戸ゼル機11の感用
彼の地に迭るに五ったことはこの fj [!'~iの技術が m・
に傾いているようである.今やデイーゼJレ臨調阜
?Elf.に能るものがあったからであると忠九
の謹誌が著しく,控んに蒸気機司情事.に代って轍迭
自動連結器泳用のため連主主私以幹工事ごと禁事に
カの改良が行われている模様である。わが揺は油
完成したことは特にアメワカの本寸家の嘆賞した
が少いからアメリカとは閣情が奥るが,経桝H-安
所でめるが,国際連盟努働考会 [J.ti におけるヨーロ
定の暁は相蛍丑の油の輸入されることが巧・えられ
ツバ鍛造に射する自動漣r.;務担問の彰台案となっ
る。海軍のない今ロ油絵館主に利用することは:可
てわが扶・術 ti?i止界に紹介したのであった。
能となるのではあるまいか。これは 71<力の有効な
2さ筑プレ{キ採用に蛍つてはウエスチイングハ
利用 );法と資材-の節約とに関連して均えるべき開
ウス曾祉の以;?を稔入したのであるが,客専用動
制と思う。
作耕については両社の推奨するものに満足出来な
5
いで,新i二 λ 制作排の設計製作に成功しウ枇をし
-~~させずこのほ憶快九二曹、出である.
:賓口内問において濁 m'I奨働を行っすことき,われ
量の問題i二遣われ質の問題を頼る f徐裕がなくなっ
た.修取後年ぞ経拐した今日,鍛造技術は常温に
復して従衆の役れを Jfy.、めかえし,
‘、記
さらに大に翠獲
l ) れが早くから賓施し撚った明提携,\libの方法が大
させなければならない時機となった.開〈所に 4
i :参認となったのであるが,自動車問度化のため
ると多くの侵害容な校術名-が縄基技術研究所に集め
に江木鎌遭大臣の命によってわれわれがこの仕事
らオ Lヱ作系統と漣絡して較々な改良の研究調室が
i よ蹄係し,今日なお用いられている川、すすづ脱
行われているとのことである。やがてそれ等の研
が出来て闘を自動車の盟主主に貢献したのであっ
究が美事な成果を謬fたることを期待するのであ
た.デイーゼル概禍の軍捕に封する感用について
る.銀遭 100 周年までには成軌改築や電化も出来
色,湾攻複雑なものの関西量化仁成功じたのである
が,明際月犬勢の宮理化によって岱遣に封する油の供
(I
t
,
"
?t二.
太平洋思参以後は錨濯も他の4股産ー
語!図白白
11J
平
日
LJ ~復二郎
.
空手金ラ示字の原因]はなからうが, I なんといって
ーこ何治、警かないかと雑誌 b侃稿紙と佐賀つ tt. ' 艇
もえらい聾りぷ匂で,今昔の感に堪へない.併し
のザ p ザヲ抵の御粗末なのに比べて,なんと r.5\
.~・~て見<ti f,これは,館忍ばかめの現象ではな
務紙のスペスペして笹鳴なことか.何向子明主し
い.嬰する r:.r,占羽打枯らして潰えたれ本の濁勢 g
のものだらうが雑誌より民稿紙i二位打ちが感じら
盟の -~t.e I'{小してゐるのではなからうか.こに誕生
•
L ろこの頃の!叩恥、ィメアレ惑しの影響か鴨な
〈なる.
:葺も今年は 75 Jl号年を担へる.今過の何周ι
紀念といへば無€~n・:二御,悦ひすれf.r 王手1 --.St?i
省然にその集合にもなれ込也 ~~~l起し誌を
突し将来を脱帽すればよ1かったのである.併し
サ度ばかりは,どうもそ Aな乍介じはなれない.
れば,イ γ フレ t;> 昂進するのも守J態であらう.
力のそ信が,今度のお?を.; i
J 起し,そし 1
同 iこも控り果てた日本の函窃「移り果てた顎も
の現獄を眺めては,そうなれないのも無理はなか
カといふこともピンとぎに祭がする.滞t-1: .
.
~終
ら九或はそんな卑周な気分ではいけないといは
,z. むかへて,一年近く血目との逗絡をすこ、;{ vi \ぬ
れるかも知れないが.
や阻止.されて,担率守掠奪,監祭、技致,園共の内乱
未だ2畿道の白書なるものを見てゐないが,稚れ
疫病の 1~獄など,散叫こいじめつりられて,つく
の自にも,現在の図鎮の衰退ぶりははっきりして
づく闘力の伺ものなるかを担論しずこ.これ詮Jの明
ゐる.眠前の常態でさへ日本の舗道は敵米の先進
潮干寺代には図カなど》改まって驚~たこともなか
・に比べて従事員が多かったのに,今日はその 3
つTこが,異民世拐なかで,敗戦の憂身たやつじて
倍近い60tt人から居る由. ;flt別この頃業務7日亡し
すっかめ考へさせ・ られた.病気して知る位康の有
た揮ではないのじ,これじゃ百何十笹:凶 -j;、らの赤
flよさであらう.引揚けて来て,尋》に一年近くな
字だといふのも無理はない.勿論従事員の多いば
るが,組閣の費情,濁わ銭置だりでなく各方i認の
?
政額ぶり,直接 ~)J の運用蓮替に嘗ってゐる議合
うか。もーっと進んで外閣の安全や技術の摂助命例
や政府の(動きぶりな立た見ても今更ながら薗カの
がなくてい、 O);b、どうか。 rかくとも安源の開種と
吹弱化を1商店冬する。た r に頭際的な無力化だけで
かヱ業元の快復とかを戎ゐ水間迄程期間に促準す
なく,閣内洞えよ汗力化, 7.:. ~· に物質的な貧困佑だ
る震にはその必吾容があゐのではないか.例へば章表
りでなく,精神的な会刻化,二悲哀を感守る。卑近
しい石家資源、 q. 開稜するとして,日本の現力でや
な伊]だザ,今度の7k今で問題になってゐる堤防の
れば 5 年か冶るものが,アメリカの資金と技術&
億念的な政i知岳民の問題にしても,若し曾ての如
をもってすれば 2 年或はもっと短〈て出来る可櫨
〈ヱ兵ほの出品fl'あったならばの感を深くすゐ.
性があらう.勿論こういふ問題は卒和僚約成立後
それにつけても;片山縄E毘の感謝状i二もある匙駐
だが,新E支争荷の君R 入修';-\}.にも大に役立つと思
軍持兵の献身的な教授に封しては,深甚な請す意を
臼 fJ-C-快復すゐよカ、らは勿警右のこと,叉こ川、
主怒際1りな関係による場合,ニれを有利に導く上
4司f
yr1
.
.
.
JL可/司、
者二回もり[根本的に重要なのは,現在の産業の合現
平国主京伝子惨なからうか. \毘めに外資の輸入を受
.
.
.
.
.
.
.
.
』J....I~~ ‘ ι,,,,
けるとしても,費象の白木の企業自檀が合理佑さ
であると思ふ。
』h
.
••
•
れた黒字企業でなくては,問題にならない.油煙
無僚件降伏に蓮合軍の占領下巳ある白木とし
終取径の F イツをも訪閣したーアメ・リカ人が,岡
て,平和僚約の締結も未だ出来ない今日,闘力の
本に来ての述懐だと開いたが,「今日日本の唯一の
貧弱化の目立つのも賞然であ d、も知はい。し
安滋は,珪官公人力だと忍i、 ti•,各方面のJ、祝々
かし著k 薗民と’しτ過去の罪遁右京〈江省ずると
みると, l この夜討,う1賓じ働いてゐない. t綴り切っ
共に,今日の酒ブj の貧弱化そ深〈認持する必要が
てゐて,能率の惑いこと移しい.ドイツなぞ比駁
ある.そしてif向的,民主的,L 式イ凶習な新し?理
しても話にな E;ない.日本の窪業の将来が思ひや
念に基く白木再註の問題として,新t~t~’形式と内
られる :J とい勺すことか. , ~置に£乳、急所仕ついてる
容と~備へさせfコ.... この沼カの挟俊之ヒ国らなり
と恩ふ tf'·,昨平党聞でむ i務く一二のJJ.il二,Eひ常った
ればなるまい。
らしく,行政寝耳量とか,企業主主端とが r R澗にな
併しこの快復》,明治維新賞時よりも宮山、商土
内に押し込められしかも遁に多い 8,0)0詩人か
わっ、ある.常然の成行だと忍ふが,これに伴J、
失コザ司令と和待って, l:富力故後上主?うしてもこれ
は解決しなければならない問題であらう.今日の
t) 得ないと思ふ.
る.侠復 E ころ?,結局ジリ貧になる j君、なしとし
こんなことを考へてゆ〈と,今の臼ヌドで長ち大
ない 、 温投,復興建設後街協合が,日本の現;~t.t­
規模な企業である図岱,しかもそれが扇;fi ’1脅で
S礎として,目本再建の建設 1 .>箇年計;珪設そ作
ある掛からみて,この” j.i,(0)合理化,舵率化,企
ったが,それを見ても,完成した 15 午後の沼和
業盤備こそ,関本の守i 力協:ji,蒋 11t復興の途上tこ
S6 年に於りる臼本の文化の·'<.准は,昭和 12 年
於て,最も間保が浮く影容の入きいものではなカ
のレベルにも濯しないのである• · 現在の哀?ました
らうか.これには是非共,科率的な長期の復興部
生産カを考へればこれも蛍然であらう。併しこん
鐙砲確立し,それを様擦としなければならないと
な情ないことでい〉のだらうか。
恩ふが,それも根本に瀕め,放感後の口木の貴重富
こんな関係から,凶カ挟復上京_!R な ら 捺沼係と
な現状を土蓬とし,新らな理念に基く国家再建の
いへば,いふ迄もなく足らざる食焼や資源 -7:>補ふ
立場にたつものでなくてはならない。宮烈の情性
Aの通商貿易である。日本として勿論これに縮ら
や健常に悶はれ大ものでは駄目である。この探,
tJ; りればならないが,果してこれだけで充分だら
~Uti か分散か,鼠干1・か民'.;'.~・ i;、鼠 t.rh、民Eまかといふ
7
・園田園現場から
事務所に郵務して、事故、防災など
保線の思ひ出
を主にやりましたが、事故現場の復
企杉恵作
世間 ·e:1t俊道と言えば、孫々とば
くしんずる列車のスマートな姿がi草
ぐ浮び上るようでずが、自分等の執
習を設計してやったところは、何時
どん Fん準めてしまう.それについ
遜っても、樹、ら管制H して援しく
て行くには相首の苦心でした。
思っています。
大1E 12 年の大震災蛍時、沼津の
自分は幸ひと健康に恵まれている
ので今日まで 1 日の 敏勤もしない ·e:
湿の方は所間冷た〈光ると言う奴T
保線助手合してL :ましたが、御駁場
何の表情もなL リ本のレールが何湿
の構内が目茶目茶になっているとい
までも続いています.幾年担って恥
ろの ℃思援に出続け、貸率を片付けt
やって来ました。自分でもよく頑張
ったと思うのは鱗須賀線が電車蓮鱒
ツルハシを綴り上;T ている~f士宮1寝
て師ー干ζ来た.その際居合せに績 をする時色プラ九ト ホ ームを高め
そのものですが、永い間にi主レ - 1~
職長の怒山さんと、こんな開放
にしても 、 パラスにし4ても:矢張り
でもな什ればよいがと括合ったの守
相蛍の管理りょう マナ
.
、
自分泊身は大
正日年に新橋Nf』~W'lこ入つに弘司ー
まふ、大し.慢を化もなくとうし℃今
自に及ん ・Q ~ 、る次勿です。
保肢 と 百う仕事がiまんとに身につ
℃来, . l’ U 『のは 、 入ってい 、 υ 年
目に図府津保組匿の平線~、線助手、
今で官へば保線分iii:長℃す炉、それ
.
.
に出た頃むした。自Z校を出
は、昔~J量をするにしても工手の人の
方b ;よく知つているし、動もい L
.
E な f足場に裸い同情 ;i_>
思占ち巧へ直してみる必要ずあるのではないか.例
:~'.'さ‘すのはヲ慢だがそ
へば, Fl ~!~つ後,銭1草~
のだらうか。このll!l に出して技術者としての任務
期するとして,果して自力だけで??:て ijIJ 9Q2
かさうか.外tヨヵ、らの何らかの訟助や仰がなくて
い、のか, この結も大に場・へゐ f必要があら九
自分が早校を卒へて,現在の蓮器:ゼ?の前身であ
る銭基院に$職したのは,濁有が置施さ μてから
閣もない明治 .1.1 年であった。爾来 00 年近くを
儲道人として明くニと t.;"'出深7ニニとは,限わない
感謝である。妹l二日本の菌ブJ が,号 l いては鍛基事・
重主力t,ひたすら産授の一途をたどった時代に,技
術者として技術に精進出衆ナニ鮪顧みて世に幸帽で
あったと思ふ.こんなこと栓)bi !裂するにつけ,今
日
は官 r:宜、、と思ふ
今日日本のゐらゆる }j同が,根本的に習を革に i.t1
られてゐる。館ill:だじが例外ではあり得ない。鋪
道0)波術者としても,あらゆる問題を根本的に汚
へ直し出直す5苦情が必要であらう。技術者には技
術者としての信念,理念がある答だ.動指~捕しし
っ、あ L 伴 丈の儲主然分のなかに立って,断然強
〈蕊しい健闘を祈ってやまない。鍛遁 75 遡年~
迎へて.伺カ、忠、出でも替かうかと思ったのが,こ
んな意見容めいたものになってしまった.
武
弁
;蚕;;事;:-~I i秘蹟i ~性j
明
通
場合によって共の詐悪が相反することなるので背
普かった事が今は悪いとか,咋隠までは惑いと思
にないえ • !fl ·';:でみる。而してそのうヌ司は山林の庇
伐によると江ひょ父堤防ひ排作ださすひ戒は尚i
=:ttのものが低
{まれた事が今日は普い事になる場合がある。又酒
政下 i 二軒v、事フデ民主政下に惑い事になった()す
る。共産政治にでもなれば俗吏其の設化が激しか
'
"
のではないだら》か.殊に河川の
の雪作としては和泊
なぜ、だらうか。 i持して然、)とをれJ!伺れも空干い事
ト
と思ってしすこ奇怪今夏これを性副ゐ詩ニも行くま
での養強訴事j と ~.~U) .·;~時の"#J昇前とは大分泌/ヲて
し、。
居ポーあまりよ〈はないが私も面白いJ主n誌を持
’
.
.
、
ィ
又陪ff~rlや桔i依食は思いさ;には決って i,}るが,健
たよ,東京郊外の 2,3 の町長さんから J高知汰土で
康d:持J二必要ゐ:病人とか凋死の心々にはそんな事
m賦した。そこで私も怯かに普い事をしたとの自
伝言ーって陪られぬ場合もゐらう。又不治の病人に
信 ;a, 扱くした次第であった.、常時の話を後で問ρ
は略者も.美人も抗令吐いて,詰めるのが"ti二週だが,
たことだが,相[j :宝の所長さんの如きは折角手泣か
之は普い専か惑い事か。 JI.. 人に飾品1 令する二とが
に盤祭1誌を持ちながら米も材木も代平協逸令して
必?しも蒋とはならない, i町容に誼銭といふ事が
怒貨を拐けたそうで,奥羽綿に貨車が入らなカ‘つ
ある。銀行の金融も相手伝見てやらねはならぬ時
Tこ理由もよく 4ミリったのであづすこ.しかし比の話は
代になって策大。何をやるにしても相手や時戯ゃ
あまり笑へない事で,嘗時の錨温は舶ばがりでな
9
〈イ!.没とも激しい技司停をじて大いに枚入 tc 縫仲に
であるから,矢l浸失 A の専門に分けて名_,,,が着手門
もひ〉で成削,;:1で京決’主主幹と極端な放·?;のBi'.5$眠-T
的二深〈研党を)ff~)互に之を持ち寄って智訟の焚
ゃったえも: . 1:: 今l全員二の訴匂草といふところである。
換をするより A トに遣がない。感芳や技術者・じよく
甲E に角時代が1多め,主義主主張も tでわ,敵手カ可台
ある偶牧な百':;!~の持主は専門的 iこは相官のが械ケ
まり,敗戦 Jl·l':. ん司ヲミ変地%:0':~主るといふ兵合 l二
して腎な :·' らも,質草i:舎の生活にほえした影智 Ir
i炊の中は~n ち静かでない. 1比の訟に臨み費に店
~へないのみならや住 k にして一世必然視して邪
じて苦-廃して行くことはなかなか容易ではない.
道 iこ入り却って位を令・することさへある。育fJ遣し
然しグ戸ウインの進化設でもないが, w: の文化の
ずこ烹Fヲル現てち竺:>5肘に捕 lまれたわ,偏見を国執
進む方向は矢張句遁者生手環境n直感で,~;~:しおi
し 7':灼 'A 二代め仁晴・けして円乙ものが多いやう仁
思はれる.政仁我々佼帽の手,"jV,之官:こ細かく分類
い人は結局人類の文化に頁献しないといふことに
.
.
ゐ.そうなると盆 k 難しく・なるも1
する庚汎な智識や育つ下Eきなければ共の,E争々に惣
じて普をなすことが尚来ないといふ惑である.し
かし人間一代でそう庚視な智識を得ゐ ’こ 1とは困鱗
縫
艇に S貢献する二とが出採るやうになると恩ふ.
〆·"·
i遇 - 選!圏
星
急記'•.11 ほ山 ffd1'多いので明治 3 年
.,
茂
権J
に驚くのであゐ.
滋工事l.c ~:. VJ てから令・2 まで~tまの臨遣を堀つ
た.初めに rll来たもの此た医科戸間のお屋川,住
吉川等の天井川の下や貫いた
技師によって遺られた.\ 'iとの
日本人技師によって出
長き 1852 米,明治14年若手完成 1.:. で 3 年を費し
た
22 年東海道変遺直前に出・米た金谷摘ノ内問
る.
の牧ノ I!)(陸道 1009 '}伏, 2 ・ 4十時遜した蹟川鴨井・
);:JE になって早々 ~t治活誌の司 j仔津市P聞及び
iこ語絡して居る 26 側所の濯遣は相常の港工
大津京都問は生:me.~;点く恋撒上の障.,..._,:だったので主主
事だったと聞いて居る.無論その頃は塁走機な 2
路を控更去ることになわ,前夜間に丹、JJi~隠追構
知らすみな手塘である.
型 780 !米及び Ji暗躍道fi1t:l主並列 21.57 米,後}I\
明治時代の大工事肝陵道問延長 ·1659 米, 29
聞に共に単棉並列の逸平山芋謹 23却米,双山慰霊
年 2 月前予, G ~f. 2 ヶ月か》って 26 年 2 月間湿
道 1865 米を堀註するふとになった.逢坂山,点
しすこ。駄米の最新の捜織は全部買入れ使用し,な
山共地質軟弱の珠恕で:2 り進んだが,賢際は線淘
は楠 c;c -~e 国内で'ttl らせようと汚へた.賞時の我国
弘上で醤時思ひ拘った積で上り下匂 E主総躍遣の中
の:tJJ 千ii'な工業カに封し銭直人の意寄託込の雄大なの
-・
心~9 米慨したのであるが,小に ~~-);仇、に憎ん
I
&
.
,
.
~.それで泉越の場合は 18 米とした.逢坂山 g~
主;ぴ也下な竺には本.l:i\.0)上及び左右に十断水の犠牲
・は 4 年 2 月若手,(;年 10 月 ιilli, 8 年 9 月完
坑を -iii~って後辛うじて木坑~進めに。か〈て昭和
成,東山陸 i立はミ年 5 月 )ti工, 5 年月完成しに.
8 年月賀直li 年とef; して潮く 9 年秋完成した.
丹都極道は地質硬く地物は桐首ief:j い見込て吋〈正
之より先大正綜年初鍔;ま針線~ i百 ifoこ建設すゐ
7 年 3 月末 7 ヶ年計援で着手したのびあるが,地
ことになめ,建設局な設け全国の要地にあった建
質複雑でlJjf晋築く湧7対ド常に多く 7k~軍高〈大事故
設事務所の元締めとして工弔そ促進することにな
次 k と躍生世界有数の大総工事となり,新聞紙上
った.その頃工事は. J{.j-負にF守するのが常であっ
品こ時 k 放棄t誌を載ぜられた程である.大正 10 年
たが,建設J 局 l°i1". ,
-J) 向上能率増進のため施1
4 月には熱海市梅園の>1i!下明撮制車中崩壊し, 16
法研究とエ事機後化に大いに努めた.それで上櫨
,g の犠牲を出し 13 年 2 月には 2 年必要をし漸く導
商科建設と主をた隠道は請負人そ用ひす直接役所で
助費'.e:!t~ め野詰索。を使役して工事を進めた.上越
‘
すh岩本間の概下腿i誌は僅 700 米の短いもので
a
I
I/ムト
あ弓Tごカ月,苦言持関餓で米濁より買集めた新式機械
u
λ 二・ん司自 r
-_-,,白
め略全部忌集中.使用し上下段至宝断i爾同時掛量工法
.
.
をと句,覆エと掘撃の潤捕を限度に縮め月・・ 60 米
ゼゐ粘土を動海湾に注ぎ海凶そ白濁せしめた。然
し我等は周ぜ?本坑の外に芯柱..lb準抗;出ta1主によ
た.磁積捜を修姑使用し延長問米関錨棋移動~
る水墨低下法,セメント注入による.地固め法,軍
枠と 2 ンク I} ....ト吹込棋をえ使用して覆;乙しすこ.こ
鉱工法, W ドヱ会などを慰問して雌し,丹郊
の覆工法は米翻では今日普廷の工法となって凶ゐ
戸田園・現場 | から
I
.
掘墨覆エの記録~詣り我圏極道突の一時代を到し
内'9~足場へ動家b
醍電線の下て
八木吉之助
l勘繰の工務と言えば工夫は桂の
ょで監督It. f から怒鳴る.艇は大き
),!礎のま、そ勺〈
暫それをめりょげて l&〕 h し、
4 ので廃 :. しL ・もの‘むし, d
そめ慣の工兵と来たらお粗末なも
?’E
ばかりと電車線伐需餓応rL tな i
!
腺と全部を]ヰ日間 ·0tl: J二げま i
緊援もしーがやり甲斐のある仕務:.:’
く、船主荒いと曾うのカ噌llfi•ι す.
’
E
瞥の現婦と来たらやくざの訟含み;·:
で、唱電車線はど角ヤス引に鋳る.活
元*出ヤ::~·々のとすが、このぞ・は
いなもので、新米のヱ夫なんか先輩鎮め予五司刀 t"!j I 主lピめ直し、み 跨はれて上 J 線電イむの界Bに長岡ま
l ~~I' 0
f
l_
.• r I
のそばにも望書れない. ,-とえ喝 昔、1 」んな滋鮮なお絵hιだF顔総務@最-~ふ仔-:>·(来まし; -·資材不足の現在
日でも古容の人にt泊酬在官:ヌ .;~3(i~~~:ら~k>;示、,主ゃにしゃ〉ものだ、仰の上旬も立
企t•の途中で桜を下すなどは以ての
な有続 4 す.初めて 6 人の組長にな
滋fこと感心年ましにが、何しろ人夫
外と言う調子でした.
って高座活儀作業にかかったときな
が足りなく τ女宏使つ,:ーしているー
入
どと?子学が了足宇り ζナ・それ緩子から、 s: 月 1 f; 日の猿定は篠し i
でも徳容事故は殆どなくやるだけの
,方へ
ずん
あろうと脱んで来ましに.それも淑 i
ことをやったのEすから、今から思
〈完成して院送式も間近とかて. ~!
I
えば不思臨みたいです.
l':.\'1il 人,ーちの~びも祭せられます.
!
被の仕事の最中でしに. €芯直にも震
大正 9ー10 年には信砲l!lilカの窓
会くこの熔しさは貧際に苦努した
気がるる、電車なら将来性もゐろう
電線の測量をや骨ました.上ぷ図撹
人でないと併旬まぜん. t霊祭め位事
と曾号わけで、時の電気5夜長揺さん
の山の中を歩き廻ったり、依谷、赤
も今·ft沿えるばかりと開い亡います
のお枇穏でした.入ってみれば問じ
初、大艇と随分~努しました.それ
が、若レ人遼も大いに勉強してが"ill
aから分れた仕事ーε 、気分も悶ピこ
から尉京大震災のと f51\見の先の本
って貰ひ,こし、と息ひます.何時も自
と、解らないところは自分ーちで工
線接Eト;カープの過の鍛格治敬 I'、
分は工具の今きをi寝中に話して
失しながら何とか片付けましTー何
線路脇まで移動しにことがるりまし
暦の昔話起を促しているの Uす”
でも臓でE こう、人に負けまレと曾~が、新宿から%人を溢れて他
}
く大lrtf』HIま分
1
1
が,我が濁では共頃僅に司鵠「言i農川水力蛮電用の
塵カ陸追及び関門陸迅の頂部覆ヱに用ひられたば
かめである。
底の官官分が 1140 米であゐ。之 ;;e米門人が法るな
ら略々全延長に渡ってシ ~Jレドを;生めて掘盤会
部f:;鍛環で理工し,更にコングリートで内各する
我聞取長の /1[1}く陸遣は長さ 9702 米,民lj下段道
であらう。我~s; もその通わにしたい.それをすれ
の智正r;h: 々木として充分な設備そなし, 11 年 8 月
ば坑内漏水は完全に防ける。然し訟材11高齢噸必
r
nJ\討 ι7 ヶ月を脅し明和 G 年 3 月完成じた。
要である。之は現今の我が国では J干されない。丹
中央には 11.0 ;)fとの列車の行き違へ出来る信蹴所を
那隆道の経験で泌氏に質の悪い断守があっても前
巡った。岩石培めて硬く出火の冷Tこいので苦努し
底下15米附近にセメント注入によわ地固めして小
た.J \・~n~Jrc..-,大湧7k1J\7Jくめたあ一部水抜玩巷璃
ぎぃ玩逗毛調車白来 1.,-岳右ーがついた。そこで先づ
るため l,ij{坑や一年休んだ外大盛l回調な直結工事で
海の南岸に時JJL を下しその閣を本隠百より深 <' 1i
あって,我函珪岩技術右大に進歩させた.
トンネルで連特し11"て氏の地質を確かめ,本陸湛楓
仙?霊山形間にある・ 松山陸吋
が,
r~ だいの:ま r~念、である。最盛期 lq ヶ月冴雨ロで
.
ー
’
F
1 トンネルも 1:.干f'J り明浦 ·11L ~:_・ふ月 1i
咋 7 ;J 山梨(低下 iJt/:となる)がfl\来て平線
開3 し, lG 年 8 月路二時出来上り 9 月 9 口から
複晩翠特 i'~都合した.今度の私?損;~jl,旨受りなか
ったのは喜ばしい事であった.工事中間鍛i式全部
門P感心に懸援しs · ¥γ : :;r1;t 必死の努力 .:ew r·工事
tこ心得のゐゐ代主舘二人は平年一度現地:こ JJ~合 T.
ii~ にな i)能下も可成ょったが,能'}~及び;'{U)引で
事担お,脇工計才:の吸 LS-1.旨聞き遠慮なき出'jJJ と苦
う己主沼に及ばぬ財砂くない。ス迂爽F~重進翠J工紋tl!
言々立て〉歯周を激磁しずこ.我習機械了.ヨ誌の読点
し改 ':.~;を要する際立た・械ノ聖夜止すゐと閉じ今後
期に作られたのは時在得たといふべきで, tJ:1\tの
は躍進改号·a> 囚級以るよと令深く心に将め,宮施
よい定試堅持機を会場としてのこ:,三の {,おもそ戸Ii:
し易い設計々して一足良心的,:du正工そなし,必要
闘から買った外,工事同の特殊儲凶器兵圭部也事
な埼今:二J、二十j 在惜しみがく使用したいものであ
・ 者が設計,三菱重℃業,紳戸駅鋪などに製作依頼
好成績であった.この'Hi;底腿i孟は延長:J,GOO /.(:~[}
1
2
’
0 。
、,
!銭::道:;量級!~~\;卒!
.・.ーーーー守 4・
ー・ーー・・
白:一ー.....一
演
聖子
‘-·日・2
信
一部
私が閣舗に入った
大によって速度の思上に寄興する事大であったが
υ)は繊斗院から鎖迅f首に容量った大正 9 年であるが
其の手始めとして大正 12 年 7 月一二等特急:列車
翌々 11 年錦糸町機関陣主任 t 現在の新小耳;域調
(明治必年創設)の外に三等静念を迫力日し,爾者
置の前必’)ぞしてゐ Tこ持,鯨i益 50 周年と云ふ紀
共速度の昂,i二i二よ匂東京紳戸間到達時間 12 時間
念式があわ,幾多先輩の偉大なる効績そ偲んだの
45 分身 11 時間 17 分に短縮した.
-~・の後各線直共~第に速度の昂上が行はれ所相
4
l
f であるが,記念として織 z革開通首時に使用しすこと
高F見るに??づ-t~fi持肢宅’F 用牽引機としては c 5
1
形より約 2 割強力な 3 ,:名式 C53 形が昭和 3 年よ
私の t! 位1的お;;i,- 1寺円就職と同寺に bli#.lt員調庫-
P見脅令する事になっ.t二、,第一次欧例会軌訟の好
。i.こよ--_;て~~浩田:tよ急:激i二喰カ日し各所iヒ喰進国難
他方貨物用 i二於ても間もなく DDOO 形(後に D
-:e .lii える数多の貨物列車そこなし開 Lす,到着列
50 と改稿 9600 形に均し約渚lj強力)の出現を見
F
宿り O> if管制冬へた句であるが.何といっても忘
替へによって機調車は共の月三能力守護障し i専るに
れる事の出来ないの時投茨練習の事である。最初
至札主要練直を過する貨物併の糊は D.50
の 2 ヶ月障は全くこれに費し最後に 1 高斤の連慎
形機羽率の 1000 分の 10 勾配に於ける定数たる
附t~*与へて繰川崎になった・鍛え哩暫
弱O「~に統一され,これに聖母!./ff. する省勤瀦 ·!CO*
が,比の国から片シャベルの田方式iこよ・って苦じ
石炭 M詑止を減少し得るのみならす,機調車の能
力も士\'t大し得る事が明となったので,速にニれに
移行する容とし飛弱点時模型火量殺炭により練
イ?と F侠~21本形式投 ;~ ( D50, D5l l が径
k 土問!日ずる事どなったわけである。かくて Pδ{},
D51 形は主要本韓民伽悶のぶなら今勾配*Ji!Hl 必
引機として全圏至る所に使用 bれ,!判形式令はぜ
ごて 1500 柄に速し,同=ヰ蜘i配直のものとしてぷ
習の.ヒ逐次官行して行ったのである.この模型火
大教を有する事となわ,昭和 18 年これより約 1
宅による税習は華の後も tM引き桜き行はれてゐる
割強力なる D 川形の出現在見る語 20 齢年に亘
のである f;\ '{,\初は爾手シャベ Jレより片手シヤベ
って貨物奪j l 棋の最新最大形式のものとして命脈
ルへの移行ω矯の非常手段であったのである。
そ持ってゐたわりである。
係布時ο〉本線用機羽王手は旗争:用に於ては 862つ
川
・・
長されτ挙手\~散は_6~0 砲に制限されてゐ Tこ偲,
私は同 時:で約 6 ヶ月間儲羽専の焚火活時槍査等一
常時から械はすべて繭子 V{1'1 ~s.e ~i?j 滑た
、
-r:::. 然しな汐ら官時現旋及連環連結器の強度に制
~.
9600 形す 6 其め全能力を麓揮し得なかったので
あったが,大 1E 14 年 7 月自動蓮討議へのー舟取
そ¥してじ飛訪日は勤務B母国の延畏に苦しんでゐ t:; ・
’
059 形が出現して,民:ι,山帯雨線の主要旅客列
車の科1 櫛となっrめるのである@
や生じて居ったが, 7~1に改良官官の田耕欝内院能力
車は戒は場外に或は三河島,北ff性肝i手停車さぜ
られて居るといふ7状態で,機拐事の運用に支障を
ー
り新製され,叉後i二之と時同能力で 2ft 筒とし大
手くに列*蓮伸.七(引いてはおc迭上〕大なる境厳
形,貨物 m に於ては 9600 形であったが,両者J毎
令*しにものは信組制JVJ 方式iこよる’貝'ffi\HIJ,iftM~の
年々相官鉱カ’吋備された外,旋作用としては新iこ
1
8
9
0
0jjラ(後の 051 7診で 8620 より約 3 制強力)
採用である。 4た究更は ht(客列車には民寝泊リi 棋や貫
通使用して宿り貨物列l立は手同制動機によってゐ
fJ’噺製されすこ。此の新形式の出現によって放客列
すこ篤安全度低く,従って速c の昂上を望み得なか
準の~5 \定数が著しく増加した外,働輪直慌の培
ったのでa:気制動機の主主用方針・.a-決定し,大正 10
1
3
冒園田国現場から
もそれに泊をつけるのは緩めるとき
工機部の半生
小沼清三郎
15 の年から 60 になる今日ま℃終
も後に大正初年頃、指事組長になっ
易しいからだと言う調子て寸.ころ
したところは非常に数叡!になりまし
た.
始ずっとこの工場で働いています.
て:io 人ばかりを初めて預かりまし
その慾関車が今度は餓h 修繕に入
もう僚級泊の具が身箆に~み込ん ・で
だが、こちらも激しかっこし相手も
って来る、その忙しさは大したもの
しまいました。円人の子供のうち 3
よく頭蕊りましてこ.
·c:· した.若いし理事身だし、何くそと
男ともお 5で大患や専門明授の工科
ーパ.、一
設備や工具の類も今とは格段の温 言う気が湧いて来て無滑に頭狼りま
を出て、滋銭屋として成人しtこのを
い亡、滋関東省c 1;-3 人がかり μ手
しJ。昭和男、 !) 1手になって現在の
見ると、今更乍ら年る隼ヲ,ニのを感
持 9 レー y に釣り上げ,こもの r す.
位認君主容修結作業尽準を二加に器め上
じます.父子格侍でじうくりとーっ 日~i於 ~(I 年かに t 「}闇クレー γ が援
『T ましぶ、その頃の髄験治:物を言
や最t禽慣習が欲しいと患います。 討
の若い人はi夜ぐ机の上の仕事に羽 .り
たがる.待遇が遣うのですね。出i. ~ .~·-H}:J 面接止をi~17i:~M1~ 主mt~aリ~9g 亡、盆襲こ告なけれ、満洲へ遜
司カるたり ·o主技工が自家fHflI c巡 っ亡置いの ζ非常に役に立ち、物珍 出す際関車、召集モ要員は滋る、回
っているそうですが。 + ··
らしく 11 鯛を杢部手がけました.指
の廻るようでし~二。 z アプレ{干の
図有になる前の日本品輸社大官制主ドイ V 人だったと恩います.
採用、白脱献の取付けなど、自
工榔ー醐立工見習生と言うのが東海舗の闘機関車胞の際も 7
分にとって帥怜騨み内寓
自分の最初め偲窓こす。明治的年
メリカ人技師がついて来まし允..~
銀搾負でしたが、大しに過失もなく
欽でし:.初めての尽校式数脊とか
校を山之ばかりの山ト奥家主んが2量
動めご来られどのは
で、羽 2 時間だけ穆科があってあと
鍔・でその指潜を受けたりですが、貧
この工場の問
.
.
じ屋根の,..℃働く同僚Jよちのお硲だ
は現場の見習むした. 15りへの生i :1 1二恕初 C手な 5 るよう iとして敬えで よ恩ひをす. 。ミ宮ヱ綾部帯電査線〉
でしJ ニカ:皆よく勉強しまし吋自分
ー
年頃よ匂各議の。式輪研尻の結果侠客列車よ匂途次
ゐ.斯くの如く凡ゆる方i話に節約 -r計ったが,他
調!化し,貨車市I動詰切付充酌待って昭和 2
方l投入増加に就いても各種の封策を講じ,殊に古賀
年頃げl障の2鵠!!化&戸了した・私は).:TE. 12 年
客列車は轍迭人員の減少に色拘ら十却って増費を
よ匂この答制化の仕事々持哲し, 14 年には主とし
なしたる外,遮度の昂上に努め昭和 5 年10 月には
特に思い出多い~第である。
宗誌の~!J設によめ東京紳戸間到達時間をー曙 9 時
』LI ..-..#'ー』】L.L.&...J~』J ~』d 』
一万六:E 10 年頃より主要~Iみ掛の芯{じ及自動信
ノーストップランぞ出来るだり長くする鴛口水溝
開化が行はれたのであるが,安:u 二後:貯の完?虎に依
式による方法と君臨b水槽車を宝章特する方法の補者
って列車掛躍の増大:.;lfz安主化に資すゐ事・甚だ:たで
が比較Wf~ されたが,結局後者・に決まり爾府津名
あった. ::u地ベ大様に近代の・2備しすこ形態への
古 E五間(288 粁〉のノースト・ッフ・運縛ぞなし,常
移行は人阻に於て δO 週年前後に始ったといふ事
時世界一と言はれた英理ロンドン, z ヂンパラ間
が出来る.かくて関鎮の{会控室も逐年・*'1 JJ日し改良
(彩} 360 粁)に女ぐものと芳へられてゐ Tこ。
起設も控に行はれたが,昭和 3 年を頂上として下
その後間もなくが、は上買-蓮総事務所に勤務する
り坂となわ f古和 7 6f.には 3 年度の B ct'!J に低下し fご
事となり,清水極道の’芯戒による, h也線全通の仕
の?ゐゐ。比ヰ/,\二討して令ti1の封策,ジj/~ぜ(, ;(Ljこ
事会やり,叉前持の如き枚入減i ニ討する主主Jlf怒繁と
が, ノに形機関車忠史l~甘中!と或はほブJ1'il]減して/ト形
して祈}見採 iH の禁 11 々なし各職溜の配置1内換や上
視の製造そ開始しずこのも共の一つであろ。叉;1韮締
松崎’:w)下級職への必見、等そ行って切わ抜けた惑
耳元f及心得の一部を改正して,住部t'li:急:せの:ili訂i並
を,弘い叫すのでJ1 ゐ.然しながら昭和 7 年を最低
&i.1;\:の実務々省略し得る惑としたのも此の担であ
H
として次第に立ち直り始めた。昭和 9~手始め本省
に縛じたのであるが比の年四月 1 日を期しが*
列単の計主きをなし箸 k 準備を準めっ、あっ fこが,
毒事共の似の芳司による大時刻改正々行った.この
これ叉AA努の費佑によって中止され,昭和 17 年
改1Eで応北. ~t.海道方i更のたスピードア・ソ フ・ 4並行
賢際開通の際にはからうじて従来の謹度を維持す
ひ,従来 :l
d
i34 時将司 ;e·~ した上野, A'L帆間径
一{(1 215 時間に短縮した外,恥棋は東京,大阪間
るに止った。然しながら越えて昭和 8 年には子注視
に主主り速度の低下をなすに至った攻第である.
儲•50 周年の後に紀1念式狂信;したのは昭和 17 年
30 分を短縮して 8 時間とし, 7富士,襖は東京下調
の70周年であって各種の催しがあった。常時 tMよ
関 18 時間平としたのである。
d・
m上向きとなった轍進呈 1'主Z吾妻豊後は念行;止な増加
キ~晃まま基局に勤務して此の式典金主催し勝症の陸
率となったので,之じ~f じ彦、守;る~]!掌の精霊が
寸と官接の麗麗とを軒両しずこのであっjょが,共の
行はれ昭和 16 年始めには東和也綜の念行放客列
後の経過並現扶とそ居、ひ合はせ,僅か 5 年前の :rJ:
車数は不足期伝合め τ 巴往復を憶するに雫った
品そ同隠して誠に感慨深き次第である。
へば従来各誼の計書墜に用ゐられたリーストス
(50 週年記’時は 7 往復〉。貨物判事も又Ri:械に3「
吋、<" '.I ’ト・主、
灼脅しく町カI\するに至ったが, J孫悟大陪へのa勺
路として州,!U陽がのゆ可ヲ"Y<~r}jこt
ャE~ir.,;服1しもすべて根本的修正雄すペ
ヌ:;r_'支弘後湾員透 Cに使用すべき数字も概附と
I
-
:jL」
lit.すべく昭和 14 年幹椋i 査{川被けられて庚~~
後のものとは金〈ディスコンテイ孟ヤスとなって
新幹根の計註ーが樹立さ;{ 1-, ~(京下関問 9 時間運碑
使用し得さ’ると同様,・す弓ての従来の考ヘガケ御
々自主主として一部完:t±J.旨見るに至ったが,間も無
破算にし起算要占を新にして再出費せらるべしか
〈依勢の型化により中止された・官時ドは蓮聴第
くて更に 25 . 年後の 100 周年の盛惨を想像したい
一課に勤務してゐ fこが,ニの外じ既設線に射して
と
は闘門陸選開訪を期し,東京下関間 14 時間自治
弁
’
E
圏
;顧! 鱗!!本 :齢、T~2l i画i
一輝一
.
J
:
隆
根
y·花さんから「交遜段慌に
〈旨鎗滋した場合にどれ程役t二立ったか測匂知れな
伺1う、\<}くやうにといふ話ーがあった.その際J『R・有
い f叉若い頃 fi!J凝保級事務所世{1U•Pの改良や復
Aの)~\担長として今くのか央寄l~とたEら h.l~·
の先 'JL として-…・・とのことであっft".
立花さんは昭和 2 年に関銃の人になったと記鳴
・Ci:手を主に叱けたことがあんこの経験が東京
買事高所弱状己どれだり無官の指針を興えて
くれずこか牛l]らない.東武餓遺ヤは満 5 ヶ年ばカ、的
する.私はその年の末 l二欧米のWI惑そ終へて蹄朝
絞師fさや司とめ敏術 f誕必棺托しfょ t;\
したのであるから,定に立花主 /vO).宮は _b 、予三
ごて t: ン 1- "
!:i: イ l:.代表さるもフヰキスド,アア
この聞にパ
に古い.キLの活去には二0 齢竿の君主ぷ生活t;有馬を
ジリティーとローリングストックヤ以て代表ぜら
引いて腐る。そして 60 の坂を限の前に見ながら
る、ムーパプルエキップメント σ>ilt1合といふもの
なほ京武銭・ ·::tのー従事員として繁激なる第一線の
が如何に償「1絞営の合 J!f 化.経情的運営に按心そ
義務;二掠って腐るのであるから,限仁錦i立の担Ir
なすものであるかを身を以τ恒診しずこ。そして現
縫って底ゐと h 、」、意味ではli'的こ立花さんの先".;で
在来武鋪道の一線E宣伝預ってこれが組腎に J専念す
/1 る。
ろに及んで,
さてニの頃になって過去の経I必ずf空に立たない
この感々更に更に深くすゐものであ
る.
ものはーっとしてないといふことを今夏のやうに
7こ f 今函館では百按十億の赤字に悩んでゐると
努へる.都、は洲鎮守代に大石橋といふところで保
体へられている.その原因には一入賞めの人件費
線手をやらされたことがある.これがぶ鯨で1.A~椋
の街鳴もあらう.物 fl'費の異常なる儲上匂色あら
I
i
う。し沙、し私は敢て圏錦のフツキスドフアジリテ
施設(フツキスドフアジリティーとムーパプルエ
ィーとム『パルエキップメントの不組合戸併に粁
キップメシトと含めた〕や経棉的に.合摂的に,
常~)喪主i教や多からしめ物 {'l-の使用と ri'!H:~僚か
むだなく,そつなく,施行し,制作し,管I理し,
らしめて揺ると断宵する。関錨現場ではー股に併
運用してゆく妓術はこれは存£!, なことではない。
問内が改良さるれば必ホ・要員が膨脹するといはる
そしてか〉る業務こそ所前技術政策と料すベ会も
る。あ ;i っきへ一部のポは必-t·不便になると取沙
のである。従て鍛造ポ・業なるものはピジネスサイ
汰する。私は閉鎖夜職中にこれはたしかに技術政
ドに E立駄があるのでな〈て, 4 ンヂニアーサイド
策の貧困に原因してゐるのだと芳へて居ったが,
に樫替の核心があるにきである。調伐には多年に
最近岱l芭合議の技術専門委員とし七各積c)分科合
捗って技術政策伝播任するポストl がない。ニの/}}
に出席するに及んで,果然敵7・を以てそ ο〉問の消
が司鎮の併般の地主党t 二綜合性がなく,従って脅に
息令官E られブニゃう t二思っすこ。
谷施; ·i1:が本古代的能力を設f:! し得ないのみならす,
:JI;派内木の事業経俸の fj:1 でピシオヴi と(;:;'L 何が
.
.
.
4J、,’‘ ""J t
' )I. ・,,
~· ;:号待1純かと問へば多くめ絞磁あ ft.,jp:'*~彦、は舗道
却正要
I
曾\~だと蓉へん何となれば銭占時北ぜ誌が;な!5. ・
仕入れはない。製品の値下匂もなぜ、. j.ζf 自ら肝
1 :*って輪選~;Rむる客代金料金言IJJj(わで運んで
やればし山ので踊る筒鼠?ある。だが運ぶ各般の
自国園田現渇から
そ遜t;:;f宗~~のt11答l主珍らしいもの ・で
30 年の縁の下一
民
里町鍛の伝蹴保安施設と遺伝関係は
はありませんが、それまでは凡て木
柱だνρたゐ Cす。きあ鈴耳きの濫踊ご
す.
一新!続系統として顕要なものである
総監後~の f も径々 :iR!ti さを力n え
のにも拘らず 、 涯鴎方図どは異り人
野さんはその頃からの人 L 随分古い
に知られない縁の r 。力持ち的有率
方じす.
れ私は大豆 ι 年也気:i宍として
毛l.&ぅ草取にf:話呼の現場は、所
軍将校以来、この紘の,..のカ持ちとし
詞親分 T分、ぅrt~£f h 幹ノミ務 ε ゲー
て来てレ主すが、現在の技術侭 J を
ζす'(に川:年になりました。お時
の移i根遺伝e: の受持地域t耳東海立1i,五
i 主沼津、中央線は八玉子迄でした.
山手改良治:始まり、京演線にポイン
は先躍がイ中身公明して奥れないので
モ{夕戸泊破附けられたのもその
自分?工夫もし、感を働かせたもの
いる珍説Ti; :す.それと同時;こ従事負
頃 2 した。訟などもこの周民を瞥 二て: -·- 主♂~-02;,と:と駐日些理主童書才壬見苦手生強設の充質 Cす。
めに苦併したものです. ・ これは米原忘れないことがごつありますm 一つ
なにし 7J 地足袋などは年 2 回から
に玖初に~置されたものを、東京新
は生意竿峰。の弘ヵ: 、 注長日背腐を
3 聞の戸 給 Jかありま足・んが、その
昨?に収附けたので、確か外人佐官ま
務て詰所にfまつ,こら、ヱ手長だった
認命;t{宝刀、 1 カ月保ワかもたないの
わ , F ヲング商禽から購入したもの
回中来次郎さんから「大唐~前だな
です。勿論簡のものには手i主出ませ
した。返信崎県l主各if·錦、官信昭
アー、此阻まそう立1反な人の来ると
んし、年中外を歩き廻る千i滞なする
rmr.線ピ凡て篠線です。これが今・と
ころぢゃない。明日から来なくても
人法「とっては悩の琶なの です。と
| 札機つ亡して、先日の酬のとき浸 いムよ」なんて、え川出を絞られ にかく乏しい中を皆努力して昔日
|少して況在復窃中ですか、す C に蒋
たいもう一つは明治紳宮の外苑州
川政にー日も早〈復習したいもの
i 命以来ているよう'(す。汐留にあっ
来た時、彼匿の主主伝線路の錨黙の丘
、 》。
I " ·交~s.が耳t京に移鴎じ、新たに品
旨十と匙設をやつにとど、 す.今でこ
1
1
;
く.friiヨ;illぷ医長〉
ー
作業の合理化と機械設備
関
1
.
科事技術の費謹と産業経漕
人類文化は科皐技術を源泉として聾遣し,産業
経桝は科診的.'. E.il霊手段によって進歩する。従って
科事技術の鼓達と iを棄権~i向の進展は一つの慌の南
西であって, 壬7宅密約百道Ii£一五:そO)T・ u庁長手註
行
1
4
B
はれてくる護 1月賞厄の各段隅こそ,形式に於ても
内容に於ても接被史 I二の口問であっ占て, く の本質
的且つ肝要ゐ:特質ふ白するものであるとの見解そ
有してゐる。それは経明史上の一切の現象は主さ
しく科、反何の準jレ会中心として幅めあゆらる可
衡の進$ーによる寄尽を,正確‘こ a:.~;えすることなし
4陣
にはi治することが出来、ない。
し力、し多くの入;主主,
この都企るよVi (〕炉;部o.~ ないi
で見逃がしてゐる。それは,唯だ唯にその利益を
享受するのみで巧れば,何等その探去を必頃とし
つふ
,.
成をfj t.1.9!h· 乙までもなく明らかな
性ぅ・J::li'~ 定令号店せしめる rn宜に鑑
努力を持けつつあること必t主するものであり,
の偉大さそ認め
ないわけにはゆかない。
悌7こる苦心粧 fのu みである改明の恩患に ii主.し7亡I
ゐる。程前 史上の民の英雄は什込者で・あり,蛮明
者ーであり護'";!.者である。批1すこiミ活が民に詑化した
痛感する。
2
.
機棋控1立の史的考案
近代文化の if 足立は, i臨機っと化の上iこ成立してお
のは,この Enの人々の恩車でゐる。粧台i,'i ;'~を科
わ,売業経前組犠の堵革と進歩は,機械の設店に
態・λ 設 1月三f,設見者の効F;に師することは,決
よってもたらされてゐる。従’って生1主 J·段の進歩
して政治家の"'.t切の~:おを代〈許院した所以?は
は峨~·-~の設途と共に経連してゐる。
ない。祉合稜革の最初にう終るものは技術上の'f"' -~';:
凡て物の議注はー怒鳴二して宅 1&;せしめられるも
であり,次いでこれに I p.,b、諸保{'!:の設展,最後に
のではない。 :J,J:生へから完成までのら段階にぬて
法律脅 U1の(多区が来ゐ」と。同致段は経科皐の立
様々の主主練を受りてきてゐる。そして設注すべき
場に於て, f'十品主肢f.;fの「倉lj迂;.N:」も梁< ,;,"Jみしこ
ものは蛮遣い装減す戸きものは亡んでゐゐ。護
れそ惇卓すると同 i寺に,科-~bt,主体iの盗;主途上l二現
法すべきものには必すlE しき理論とその必然性が
17
首’{>'!,~ヰF ィ([:する.これを寸~.;~~しおやl し,そして if;し
と奇慢な形をした燕無投網翠が生れずニ。
き理解剖年つことこそ,近代科皐へのよき協力者
しかし 1813 年ヘッドレ{が近代科書主的な機調
であり,明白のセ化へのパイロットである。この
車を設計して,エユ{カツス Jレ・オシ・グイッ近郊
意味に於ていま近代機械支化の護連と産業.程内麓
のウ寸・ラム炭坑に於て「滑らかな根路と滑らかな
展の跡~顧みたい。
車輪と.の聞の摩擦をs利用しず之」機調.率の蓮轄に成
近代文化の稲泉と産業革命の端時は,燕試ノ臨調
功した。トレピシックの~へ方は正しかった。
と 7t然機B調 it主の在日月にある。そ耳 Lは今か九約 200
かくて近代機羽車理論の端緒が作られ, 1825 年
年のす, 171lfl 年ジエームス・ワットが凝結器付蒸
ジヨ{ジ・スチプソシj)~ ストックトン,グーリツ
気機’舗の特許~ iii制与すこことに始まるいこれによワ
トン間 61 粁に「ロコモーシヨン競」を蓮聴し,
て産業革命が初まり,近代交化の晴子乙7予防ぎだし
18却年リバフ.戸ル・マンチェスグー聞の舗道関連
てきた。
tこ際して,有名な「ロケット競J '.!? 完成して蓮時
この産業Ji,命の意義は, ! 人力叉は書 }J を
の生 ;rc性が革新され,その経炉的問語るt摘躍的に
いまこの伶大なる夜明に闘する経緯を顧みると
護担せ ι められ,その結果として近代の各種の産
き,人類文化の漫述のために骨を削り,心や砕い
業がその柑‘二つくことが出来Tこからである。
て奮闘努力した蛍明家建の崇高なる姿そ見出し,
いまその首時の枇曾情勢を顧みれば,英国に於
いたく心を打たれるのである.アツシヤ戸敬授の
ける災E員長は,・その段行茨皆の深度が漸次深くな
言の如く麓閉聾見は決して一人の天才が完成した
ものでほな~~~·· 各時代に於ける護明家建の努力の
り,従来のボシプでは拐7.kが困難となり;採炭政
行令繍けるととが六ケ敷くなりつつあ勺Tこどとと
略物:である。逐電機割についても,ワット以前に
都市の膨肢によめ飲料水の途1J<i!8質量が延長し; ・ 謹
ず;でにニユ{主主 γがゐる。ニューコメシがニユ
/
司{
7.k 方法が経情欲態と合致しなくなりつつある元・三
ムヨタシ機明缶百重明.したのが 1705 年であわ,そ
と,及ひ’採炭.~の増加により坑所よめ地頭への石
の 60 年後の 1765 年にワットがこれを近代式の
京総選が昔り1 ;を以てしては能力的にも経済的にも
蒸気機現に進歩せしめたのである。この間に於て
不適蕗となめつつあったこと等によって悩まされ
ワットは,ワット機摘の構想を資現するために嘗
時の機械工作技術ではどうにもならない難関に進
盈
蒸し,ー またこの機認の部分品中には,蛍時の識の
or
「r
-.
,
製締続業-者の手では供給出来ない材料問題の解決
~ま門誌初日1.>6。
、_...__
-i_
__JLI斗i ふAI~」
蒸f究機掃E艇はフラシス人の三ユコラス・~ヨセフ・
グ戸=~ーが 1769 年に荷車に蒸汽機顎や取付け
のことと浮きへられる.
ワット機掃の聾明は蒸気機;酌f王の鼓明冶促す動
て道路を動かすこと令清みずこのが最初であるとさ
チャユード・トレピシックの蒸
れてゐる.その汚~の動機は陸軍将校であったヤ
気機調革がペン・イ・グランの炭坑で責物資験が行
戸ユョ{がよ;砲栓馬で牽かすより,もっと強カな
はじた。トレピシックの考案は近代科挙の考へ方
る牽引力~求めんとしたことにある。
機となわ, 1804 年
と合致して,間遣のない理論の上に成功した機調
=,.,~コメン燕汽機調を研究&麓明し,スチプ
車であった.しかし’滋時の機関車に劃する技術者
シソンが「ロケット蹴」を走らすーまでには 125 年
逮の巧・へ方は「固滑なる車輪は,決して園滑なる
の歳月が流れてゐる。この 125 年の苦心惨臓の描 ’
線路の.とや走れるものではない。使って若しも機
監期があってこそ,その後に槙く近代文化と云ふ
閥単が進行し得るものとすれば,それは歯車仕掛
大きな花を咲かすことが出来たのである。
によるものでなければならな』、」と云ふ結論そ出
この近代iii:代の慕明を告ける鐘鳴り渡る 125 ヶ年
してゐすこ。従ってクヨシ・プランキンシヨプのラ
'.!? ,鎖圏の夢深〈寝りつづける我圏の同時代と比
ック式機調王立が生れたのはよい方であって,色々
較掛照するとき,我閣の科拳技術に艶する後進性
1
8
大
も
イヒ問 l!f,t に事ア取するのである。
♂体
.
1
7
0
'
5 ~手=ユーゴメ
代の:移りまでは工業問機械の-~.._:都分は木製であっ
ング J耐え出羽を蛮明しすご年は, :ft~ll] 51~綱吉の時
たと云はれてゐる。しかもこの年の末期に棋鍛技
代で官永 2 年に相官する。この年は 47 士が吉
術は念速に泣歩し,ワット機婦の昌明の完成はこ
良邸へ打入った元時四年より 3 年目で,日本に
の新しい材料と密接不可分の関聯をもってゐるこ
於ける常時のf世相~親祭すゐ一例般事;対 Lば.元
とは上記の通りである。
職 15 年 10 月犬ぞ投{おーした罪で,馬時橋本槽之
しかし 1776 年ウイルキシスンが中ぐり都在完
助は切仰せしめられてゐる。ジェームス・ワット
成するまでは,ワット機調の祭官Hま到点満足なる
がワ η ト機潤を完成した 1765 年は,徳川 10 代
ものではなかった。この出現によづて「従来の工
諒治の時代て唱月和 2 年。ワッ ートが蒸f究機調の特許
具や職工では到底これほど複雑な機同を充分な精
植を拠1与したり,ク F 二 u 戸が探~t機潤;車らしい
度をもって作。出すことは出来なかった」この不
ものを遣ったり,ア戸クライトが紡jf{i機減の特許
植を得Tこ 1769 年k矢張慨i台の時代でP月例年
可能が可能となってワ v ト機3置は完成しすこ。
品の粕~·~·製作の速度化が可能となり,大量生産
吃極主~h主計こ。製品’加工方式の賊はヱ作
機械の程遠i三侠つのみであって,機械によ’る加工
技術の進展はより高い精度のものを,より多量に
が行はれた。スチプンソシのロケ之ト鵠がリバプ
ール,マンチェスグ戸間を蓮縛した 1829 年は,
が文化の進歩,産業の開護に如何に偉大なる官献
年から約 40 年後の 1868 年明治手年間へて
ぞ起しつつあるか,こオ叫斡換することは文化人
ゐるのであって,徳川末期合可:情を想起して縛々
の義務である」と云ふ言葉栓想起する次第であ
・.
’
ここに再びアッシヤー教授の「一つの麓明謹見
徳 lll 11 代家粛の時代で文政 12 年である。この
感慨深いものがある.
4
そして,より安慣に製産せし得る結果となった.
斯〈て燕無視潤と茶無機羽草は, i忙界文運の輩
建t,e 来引し乍ら普及し種達して来たのであるカ三
これの普及珪遣についてはアメリカの偉大なる努
カとその奴績を認めないわけ tこはゆかない.アメ
リカの機調車製遺工業は 1832 年(天保 3 年)ポ
る。こ・ゐ主賓の|認識こそ, |作業の科拳化への情事
槙であ ·~,岱明蛍見の文化史的反省こそ,それに
劃する意義を正しく認識する手段である。
3.
生産方式の塑草についての考察
近代産業の製産方式の費革は明らかに第 13c世
界大戦( 1914-1919) (大正 3 年一大正 8 年)後に
於 b- ゐ世界経済界の恐慌の切抜けにその基因を見
ることが出来豆. ,日本がこの恐慌の嵐の中に粉
あって,ボJレずウイン合社創立後 40 年の歳月を
込まれたのは大TI: 12 年 I 1923年V の関東震火災
関してゐる。また大阪汽車製遺命粧が白木最初の
以降と浮きへられる。この嵐を突破するには,どう
()896年)であり,機調車製造工業が硝立して圏内
性を昂上せしめることより塗のないことは明らか
需要を賄へるようになったのが大正 2 年( 1913年)
なことである。低質金の基礎の上に成立してゐた
で第 1 女敵洲大電気勃設の前年に嘗ゐ.
白木工業すら,機減製産方式が手工業に取って替
糊単脇工場ぎして創敵されたのが明治 29 年
よ記に既に明らかなるごとく,蒸気機関の重明
は近代産業の中心課題として蛮謹してきた.しか
官T_
しても生産手段の革新によって単位.努働力の生産
り,家内工業がヱ場工業へ移行して行った。殊に
アメリカに於ては格段の経瞥合理化が行はれて,
しこ〉に忘れることの出来なの事柄が一つある。
所謂フォ戸ド・システムの如き大量製産方式が各
それは工作機織の護明である.去ふまでもな〈近
種の産業に民側に採用せらかてきた。機械工業の
伊:代の産業は大量生産方式にその基礎ぞおき,今
麓達してゐるアメ F カに於てすら,この切換は容
後盆k 壷透すべき趨勢におかれてゐる.この大量
易ならぬ大事業であったことと想像される。しか
生産 )J:式の賓施を可能にしたことは工作機棋の壷
し,それを敢然として断行し経情界の不視を克服
明とその進歩の功に蹄さねばならない. 1700 年
したところに,アメリカ今日の繁栄の基礎が強〈
1
9
時かわれたものと考へてよい。 fr.ヘ干与の合理化こそ
める。こ、に烹塾経鴨沢の科皐技術へのj;],T,~の貧
困ぞ商l話すると共に,’一千学技術者の巧局打開への
繁祭へのii'i '"':'あることを知らねばたらだい。
日本の絡がf木田のぎん底は昭和 G ~7 作の晴l二
建設的意見の陸顕を期待し,あらゆる阿本の科身皇
*た。これを景気のノぞロメーグでちろ餓?" }'t物の
技術r汗の手腕と時代認識によつてつちかわれTご'\
鞍遺砲敢について日れ(:f,昭句行年
熱の F毛現 1旨f守望してやまない。アツシヤー数授の
i:m 半)は
約 650 寓 1;ilj ,明 -:enn ·"'三は fiOO '\胞 i 二 低下し,
を庇として昭和 7 年は 610 ・; 1;,昭和l
"
これ
よ 7.20
高噸と i'iJrli'J してゐる。この :f お:白[ l ス1 ·,q 与代で
官夜の誠仁 ・t勺 yがあり, :r;.· 前E干に倒:\t'大 丈貿
"
'
¥
.-
「経神史.f二の τの英li!€はヘT 三技術:守である」と云
.$、青葉う1痛~!{二胸にひびいてくる。
税って円本の立場を顧みれば,
n 本:主業の前迭
は海外資源の加工による「手間賃銭ぎ」に漸くそ
の宝去る茸イヒ汗されてゐるのみである。こ .{l,は日
本力-;,'ll ゐべ念公完の,Eであわ,ますこ資源の僅少な
‘
〈君主せねばえよらお:ぃ。
4.
経皆の合理化
やま円本の内・·.< f は破局 ω
"t
T
<f:!段
-'':!.#.'.'•を切浜一事ゐより干のた、
、二はl]月
h である。そこ .
.
"宍守〆川l化ワ雫の係m
に浮んでくるの tよ伝極 r;:品fl'J ぶことでゐ
ゐ。し力、し t:.~~ の~F 化iJ:;~·字むと;i·1 まざるとに拘
9 剖までを iますかのエスキモー的f'Z''、への和.
:
f
.
話局泊二;’よ,人円の~ ' ..噌減を招来するであろ
う!。そして斯ゐ 望 ~tJ,j
:
d
f
lIとし反lニ将来の~":ごと期
ずるにウには乙し去に 1'Jへつつ在{;也b改の端’:{1を
忠’'"; '''.:,-_;jとめ‘ !''.t'\t1t "<:の合開化によって良業
i
.t店、の疋 r 1
l:f-.fJ ノJ を増加せしめ ,エ
出そのぷ~;~ --'.-;不可能であることを知らねば必らな
自’\
い。ニの説吻 l二主つとさ手主的 ':JJ<ll.fじ位、 JI' I~''~{ 1ij な
鯨,向“:: .;山 .J に;.~--て出;ちより生み出した過!M入口
‘らぬ ζであり,方法治的仁も t :'i;;.-~J的にも蛇多の
径吸収することよ勺業構成両度化の基礎となる。
困昨なる i同盟が前;1ii: に fUE して ω ろニと々ぷ、はし
斯くて {[ii'と化さ ~l,jニ投与:横隊により良業への肥料
:
!
O
f
.
w4・’-
~機内器具等の反嬰H1付が楠カHずるー力\段、i:~.~
替の白手1J 化によって長村市坊がれ日何せんれ3 その
結果 i:業生産~~持する。尚( J.i!Jf くす b ことによ
って,;也利なろ良 仁)' i'.制
, Jiry 力がノ十三封定刊な 「f耳;賃金J
}'
を打破して,近代的守引者として η 木古色主に現は
れることは,ヱ~生,'[~の技術的ロ{じを促すことと
なる。これは外窃貿易に叫する今理的考加の樫桝
的技j[f'jf.Jの民礎となる」と結論してゐる。
なかっfこ’i手 I~ である。
いま 7 しポ{レー誌が百Jl.E せられるものとすれ
ば,下ri#*.[:識のない中小工業,;恰制のない守弘組
F誌を )jへるとき.昭和1 5~6 年よりも活かに低位
の工活力沿いに:せねばならない。かかる!Ll'i!t;々以
て月000 11!,の人 fl 守主って行くためには,この同
胞の:芳明力ぞ如I可に有利に,そして統計呼的に利用
するか。このiえを見 II:\ すより生きる Jr~ のないこと
は向らヵ、でゐる。子子力' 80(1() 諸問自の労1効力の科
・・
のみだと断定してゐる。
る生産分野は必然的 i二民張するLことも明らかなこ
とである。
.
経管合理化の必然性とその科診性はよJ己の議論
に於ても明らかであるが,しか,志向ti岳u合理化
と失業問題ぞ結び付けて論ぜ1 p~L通念化 ιてゐる
射さをだ~'£せしめて努伺ブJの守要を略記する・と云
はJ Lてゐる。 ‘そ ω
>f'h. てゐる白木民主について号察してみたい。
円とは,主観的只も容限的f: i '日本の現欣が未.だ
入手でな
に科皐技術に封ずるー医官なる慣{lli'判断毛快U、追お
り,経情合理化の本然の奈を凡夫つてゐるのでは
あるまいかと考へる次第である。
日本再建のためには国家の各肝が費制にこれー
.
.
,1程の中断
!J1. ’三に於ては予節によ
;ル 5.~ にしてゐる。即ち時E窓,牧、健,
唱匝
である。
5
. 日本再建への遺
試みにポ戸レー賠償芸の、旨二六する如 1 日本の産
業Hえ態が賠償の賢施により明和 5~6 年の状態に
引きも芝されるものとすれば,日本産業として残
るものは綿糸布ヱ業と生糸及びその加工}~のみで
はあるまいか。しかも官時は fなほ中小工業の下請
下部組織の存在があり,これが生売の主流をなし
てゐ Tこ。そして貿易品としての件種世貨が加工せ
られて,貿易の受取勘定を有利にし, n 木枯舶は
貿易外の受取勘定を増加せしめてゐた。’しかし重
工業咽係の製品は甚だ微々として振は歩,鋭銅製
品は八十議必~所の製品ですら全Pi~~の信頼がおかれ
ヱミ乏生三1ff う<<·O)如くー: j.fてのみ .t,e 完没すればさた
の作業者と安A与する f弓n~ ニとは不可tl~である。
(3 〕作ソ期1の矩結良 ~··:は~HfJJiO)投攻の
みを連槙して使用することが出来ない。符って機
械の作業時間は組かい。
¥4) 移動作誌の困難作業叫が一定してゐる
わけではなく,続減よ各所に移却して作業せねば
ならない。機慨がj長々所をぞへて作、迄することは
困難である。
(5) 報酎説成主コ方員lj
盤的与~;'.;'良主の特殊
2
1
性t.e常?すらに嘗って採用される方則であって,土
日本良 'l'i:鳴械化の殻遣は労働力の不足を補強す
地の生産力は一定の限度に濯すれば,等しき事情
るものとして出聾したが,ひと度び機桟が採用さ
のもとにおいては資本及び努力 ~:!JUふるに従って
れると機械それ自身のもつ護震法則によって経壁
報酬は漸減すると云ふのである。
面積の接大と努働力の活要伝喚起してゐる。
(6) 土地の大きさ
土地直剖が少さいので機
] .
.
.
日本農業の経祈的規模は家族の数と,その人員
の構成に依存し,大韓の傾向は自家努働力の及ぶ
構の利用が出来ない。
しかし以上の理論は科事技術の冷股なる揖$lJの
範囲を以てその規模の大きさぞ定める限度として
もとに崩れつつある。良業用機城器具の麓遣とそ
ゐた傾向がある。しかるに良器具の護主主によって
の生産に到する経掛4条件は農業の機械化そ急:蓮じ
その労働方法と生産方法及びその規模を変革せし
促しつつあり,殊に自動傍若憐句麗建は乾回はぢ
めつつあることは作業の機械化の特性とは云ひ乍
より治問の耕輔にまで及ciご戯彼耕転による努働力
ら,間口傾向が日ホ民主の機械化の進展に伴って
の節減はもと止り,粋ニヒ交t '*の向上tこより牧盤・
現はれ,その作業方法と経替規模の封建性を打破
れてゐるのテ見逃しではならない。
牧笠宮についてみれば,
稲作については明治 37
7
.
年には 21.33 人にて 1.9 石,穴主 9 年には '2_0.7 人
にて 3・0 石,昭和 8 年には1 12,3 人につき :r:t\5 石と
なってゐる。委作について校同じく 1 民常用空 37
年には 18.0 人に割し 1.1 石,大 n: 9:;p.には~18:5 λ
で 1.8 石,
運輸作業の機域化
蓮轍作業の」機械化促竿の必要性!こついては多言
を要す司るまで 6 ない。現在観選組問の所有する機 .
械は工側関係に設備せるもの約戸000動初め
昭和 8 年には p 人で 1 ・~61i再となっギ
とし工機関Jil[, =. 輪車庫, 1· 電車直等の王手柄修rn,槍
ゐゐ。動 )J脱般機についても同様のこど1J~.訟 I~得
るのであって,~~;,~n党載機についてみれば 1 日句
修開予並に機関宍早石扶取扱機械,J 騨に於ける荷
役機械,手不荷物取扱機械,’用品庫に於ける餓道
作禁能力け時1f9 )大婆 1!3 以,小芽 1.1 反に封し
用茨及ひJt'i.t品取級機械,臨舎,病院等に於ける
動力股弘樹は太要 7.0 反, J 小宴印区の能力砂あ
暖房, f均十以長他鹿械ぞ合計して一切T:' 35000査に
‘
しか遣しない。この池土木工事用糊,電策,保
It· てゐる。
いま I ~月却時代よりの良咋均の健溢と良機兵の麗
線関係機械を加算しでも
40,000 窪をいくらも出
誌の;自係についてみれば, l ニれを 3 期:~分類する
ことが出来ゐ。約 1 期は月露甑'Ji'.1.ヒ契機として,
. .
'
•
'且「
r
それ以後tよ都市!:付近の良付は都市向0>:権誕沿っLく
り出してゐる。 i'{~ 2 期は第 1=3た限界大耶可if後から
き容は約 20
以後で改良短1-1'3\'lが生れ, j m 打本州米,え時脱
荷主より琵迭されて相手の荷主の手に到着するま
設慢の改良等によって努{~]}
盤拡主τーし主主牧
で主住吉1 s.-~砲金荷役能力を必要とする。従っ
獲イヒ士?? んしてゐる.第 3 期は昭和 7~8 年以降で
て鴎械化されずご賓店数令とれば,この比寧はまだ
飛行出1f!が採用せられて探併中耕が各易になり,
まだ低い慣になることは嘗然である。
4旨示してゐる。しかし i 砲の貨物が
牛な利用する籾持j洩が燦』とせられて石油型動機を
比i立的整達してゐる肝の荷役機械設備に於てす
原動力とする脱穀機,淑摺機,説IJ.i祇用ポンプが使
ら,未だ斯くの如き;欣視である。これが治判荷役
用せムれだし,作業が動力化されてきた。
設備となると微 A たるものとなり,賠償物資の轍
一般に改良民兵力:~軍用せられだしてから水田の
迭,轍入食糧品,貿易貨物等の水陸蓮絡貨物の機
裏作としての小萎の耕地面積が府大し,作付師積
械化については,今後に侠つべiきものが甚だ多い。
が著しく :rn加して京大。この現象は農兵の珪淫が
蓮轍作業の機械化は嘗然護達すべ会蓮命にあり
如何に労働力の節減に役立つか,父それにより経
乍ら未だ遅々として進んでゐない。その握れた理
,
器規慢の披えを粛すかそ示すものに外ならない.
22
.由の如何に拘はら?,作業の合理イむと轍迭の確保
τ
は運輸事業としての主要なゐ地策でなければなら
製作されてこない限りは,作会の唆械化の進暖は
ない。
中絶せき’るた{与ない。 Tことへその作.J:,か如何に作
業の機械化を必要とする作業であっても,新しき
8.
作業の機械化
・趨切なる作f;機械が店lj製されない限\),’その作議
作業の機峨佑促進運動は時局に於ける較も誼切
は機械化より取硬された作業として放置される運
なる文化蓮劫であり,経桝運動であると共に塁手家
命にある。科診技術の先行こそ作業の機同{じを費
運動である。間しその賓施は現欣に於ては仲 A 容
現する要減であることぞ知らねばならない。それ
易ならぬ事業である。よほどの技術と確信と熱情
と同時に,作:~の鴎械化は作業の科診化はであり
とそして努力身持ち槙け粘わ績けなければ,その
作業内’'ff の f>'t品的分析がその最初に来る依fl·でな
達成への曙光すら認め難民ーモオ ivま一慢1f.・7費十年
.
.
間となく氷い聞に辛かれつちかわれずニ根強い作業
の体統と因習の穀を科与と技術の力で打破ぜねば
ければならない子科重要的分析の結果事き出された
機減こそ, L£fi るべくして生れ出た機械であり,
その必然性と使命栓具備した機械と云ふことが出
来るγ 斯fJ'、る掛械がこ、に初めて設計される段階
h逗乙〆製作ゴォLτ ニなければならない。従って
同均1判~的は,既存の酬によって機械
化計笠に岱つては衣のことを警成せねばならぬ。
方策なあやまられることに,充分なる饗戒を掛ふ
それは機械にとらわれると云ふことである。機械
べきでcf}ゐ。そして作業の揖崎化は,作業の科拳
化作業の宮施であろカ、ら,計釜者の脳裏に先歩浮
化方策であり,機賊化の言葉に迷はされることが
ぶのは ff).;在の捜輔の形である.それーが大した理由
あっ τ はならえ4γ.
もなく採用される」斯くして機械品作業の形態を
、.』
兵へて出麓しt.:.tJ\l 作業者が機抑制しないこ
とそ理由に,またわけもなく機域化作業が中絶せ
しめられる J かiJ、 'h 態度は大きな間迭であFり, , 機
’ "
"~
械化運動の促進を阻止するものである。作業の機
•
I
これは私の慢強であるが,嘗て同じ程度の規穫
をもヲ石家積出港の設備そ二つ同時に見拳したこ
正があった。何れも人プJ作業に依存してゐるが,
その努務ポ考は有会なる作業能力をもっ人建であ
る.しかるに,ある権側乍業能力は 1 人 1 目立7踏
械化は機械を使用することのみがその究極の目的
にしか達してゐない.しがも努務者は皆k として
ではない。無反符に既存の構械や使用することは
働いてゐる。賢に不思議である.そこでその原因
厳重に恨しまねば,ならない。機械は如何なる機械
を詳細に探究した結果判判明したのであるが,努
で声ろうとも,それが存脅すべき理由があったか
務者の作業方法は全く傍務者ま tJ、せであり,何等
らこそ段計され,そして製作されたものであ· c,- こ
の手~!持E的指懇が行はれてゐないことを重見した。
とや深〈認識せねばならな川旋つr新~~<
化計十愛せられた枠業内存が1珪存あ弱品なt包
する必然怖によっlて充足せしめられることは偶然
の一致以外には金’ 〈有り得ない。
炉丹時哨と殆ん左同じ程度の設備しかな
九 Jじか圃じ努訪者ー建は軽快に,
そして愉快そうに
作業してゐる。見てゐても作業能力があがってゐ
ることが判る。向ほ注意深く見てゐると,作業が
各種の作業にはその一つ宛にその作業のもつ性
f定のリ. ズムに乗ってゐ Z示。幾十人もの作業者が
柊がある。この世絡に趨穣しすこ機械でなければそ
忙がしく立ち働いてゐるが,必歩一定個所へくれ
の作業が満足に機同化さられないことは嘗然のこ
ば,どの作業者も誤わなく同じ動作と同じ態度を
とである。作業の性格ぞ油格に訣り無く摘んだ機
取る。他の場所ではままたその場所に定められτ
械を究員十製作する二とカt作業の機械化の接心でな
ゐる他の動作を行って一人の違反するものもな
り札{よなれない。こ、に六ケ敷しさがあわ,技術
い。ここでは作業方法が初めから終りまで換然と
の洗紘と.,.抜J) みがこれを解決する。まずこ作業の
定められてゐる。それから使用してゐる何役用兵
機械化の質は経済I状態の襲化と技術の進歩によっ
は「ざる J,「天秤棒J,「ショベル」等何れもその
て目度化されてくる。従って今円の機憐化水準は
寸法,目方までが一定してゐる.震に驚く可き程
明白のそれとは同一ではない。従って結へ歩新し
度までに科態管哩が行なはれてゐる.斯くまで行
い科挙と技術によってt性格と使命の相異る機械が
届いた作業方法を編み出すまでには,(33頁下段へ)
23
一「・
a 禁遜
初期の電気鋭道
現代電鉄の主主みの貌に釣し主主敬とぷ愛の笑を洩らし
た。ス氏は致年I刊に t止を去ったが主主みの貌がま土年前ま
で健在で九ったととから電鉄事業の歴史の新しいとと
(図鍛の屯鉱連事事が始まるまで)
’
F
がな怨して、どんなに鐙詮 L て来たかと t.- U ・3ど!:人や年
j ,去を終ってよL ると、我同ケ’ιir~~: filfよ祭タトな地方かち
i関空会されてゐること ~~~1すいた。又何分に主初期のと
;と L て今日かはると時M与も多< .f 先輩の並々
$'
f
.
r
:らぬ·;q 心のあ主が偲ばれるので、お斜な ,ji.!·J;は別の機
まいと研究されてゐたものと f古心きれる。
!
5主鉄1)1:;'.むを始めて 'i'rtょするには完Jづ本物をムせて- l
鮫図民にその効用を周知せしめる必kーがあり‘制乙で j
も米英係学でも凡て Mi:'il 令で最初の ff.·停興業を行って
;合に濃町、凶欽の’2抑制Z弘、まるま ~IP初期の電鉄
ゐる。絞闘も同様で明治 23 年に第 3 国内凶勧業博
j に波いて liif 延する邑と L した。
覧千7が上野公邸に悶か tt-'t~ 時、東京電灯令枇は技師長
明治 r. ;;手に新橋4筑波 "t の欽・filil:関泊した頃には何
U
•
I
れの凶にも未だ'•rJ:鉄は開設 L て ?.; tよい。勿論泡無F勢力
E
で 1JC を走らせようとする~--;~ゃti;験は f,1;;
、・ a
ベ、
,,
‘
藤岡博士の指専のも一 正に槙田ケ丘博程合場の東側から爾
*ffffl'門前まで約ザヲでの no にほlj.!: を主E 縛した 0 i江流
500V. 架空ill-綜式で位動機は米国スプレ F グ令祉事
メン λ ノ、ル λ ケ f~ 最上が fれが J をよ介の P ヒデルア Z }!,. デ
‘
者は 10 政年前 l亡紙 iちの技術令館の.み金でベンジ
ルベ=ャ必\l立の統行ワシントン問火事李総氾化完成記念
鶴波tr ,こ tlilfii してスプレーグ氏のよ;読をおいた。老齢
,ではあったが海況で鍛えた λ 氏はなかなか元気で、
/;内側の沼化;よ机こ於℃設も大路、大規誌なる
が王手を臭〈」との風E干に訟はれて曾てミ~k が飛 ri機,z
わて鐙験したよ児はなる奇肢を ~t'J待する心持で;
;電化マであ問、この大不況附はれを先議したペ
5 塁 10 塁の山奥村加入方:雲集したと云はれてゐ!
ン鉄道幅l::U: アタベ 9 -)f刊の会んと勇気は会凶民の斉
る。木溢町加などの狭い弘で盲人や老健を伽殺し j
し〈敬服して己まない広である 1 と f 設した。但しマ
たこと的取締が舷箆になれ御告知人と慌時め{
イクロホンに以 J 傍ひな L に賢い滋後の上を右に左に
抜は印字組を芳せた小信を添釆させ、道路の曲目角 j
(i長吉泡4 て熱弁を-!£(..>、のて芦l1 は閉口して /1f 身マイク
宇人どみの揚所では、小信が飛び下りて霊2は篠を夜は j
j ロホンをス氏の?に開一九
2
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1
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へたそうである。勿総定まった停樹場はな〈手を上げ
の蒸先1鉄滋沼化のむである。 ζ の沼化 r~~ru1 は 37 年 12
て合図をすると何底でも停車した。ス1:;\ll寺の大阪朝日
月 31 日に依 III 田了からお茶の水まで 0.8 哩延長され.
39 年 10 月 1 日より民牧されて図鉄となった。即ち j
新聞の記事として、京都伏見の電気鉄道同語以来京阪
共他哉容役返の放人は汽車に梁らず'ill気鉄滋〈京都伏
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向日よ P 鍋鉄の位以芸E車事がまま足したのである o
見 fill 5 !tU 汽般く伏見大阪 no 10 銭〉にて往復すると
(
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きは殆ど汽 III 下等の宇R領するを以て、句会王鉄道にて
伏見に歪り淀川汽般にて京阪 Iii] を往返する後人従前よ
り 7.8 倍 1亡 .!fl'加せ P と報ピてゐる。
~
園銭電化の同顧
京都の電車が成功してから各地の';!!:;鉄計主主は一段と
j 遜み、最初に記したように案外の地方に比絞的早〈一関
1 裁を見てゐる。来京市や横君主市などは鈴り早〈ない方
ー
l である。開業の年矢に従ワ て事4走者、故初の開業区間
1 と聞き長年月日を示-t- と 次表の如〈であ争。之主f,の多〈
i は後年になって名総が聖書ったり , Jj.~~:il~怒ってゐる
;し、叫山、聞もあばき五科医罪!正規
t したつもりであるぷお気付「き ,L駄を御敬示額二ごれ ば幸
甚である。
順位
1
弓?
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職者 1
株京都式’合必}然位鉄道色!
2 , :fj まjf',孟
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3
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大師
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1J、岡原川
5
盛州
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江 J 1:~
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7 1古川
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胸のi荷数!.lf,l/\J
開業竿月日
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.1'l,附凶 17' ..>.!.!回開明 28
21
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主主は![1~~機関車、以後はむ寧主E縛して居る on枚線路
国 lffift1J、問~蕗ネー
3
:
>321
一費~~111 、盛橋陵町仰は天部総より北部は 1200 ボル
大分布切滋尉Ill
33:
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4 分。 1
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7 PlJ[の
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11 鎖
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36.悼.15
36. 官.12
株式令枇
あるo
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去で、核須賀的立大正 14 年 12 刃から昭和 5 年 3 月 t
ト仁残fをは 150(1 1• '1{ II.- ト 11!1!]5,であれ繭山府中町閲覧
吹又は関障の櫛rj~ ( ~ )内の設字は沼化のよ月を示し他
kよ民牧牛月r-~:i る。
:
1
次に氾nr、架線、置きは所.盟主電所及怠配'.'It綱のI!選 1
:
a[rt]顧する r 淘に隔世の怒が与る。
官主主
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中央線は政初本廷のバ、司辺四験車を使用して居 i
t
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I予定車 i't -*~丘ボギ F 恕』fL を 1:tJll L~グプルトロ 9 <
ーでト L リーポールを即日 t_,~ '.l.!.!院は 600 ボルトであ i
ろ主 が、収点ではを鈎鉄ポギ!ー寧日編辿結となり e 主主 ~
時管やt~初,l「分i品i 防車'ill交の が刻在では 2 分程度に j
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~ 13 甲 ji\•鉄治株式
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寸.Ji,毛対話。とれ~;):内勤信械の使用に侠つは勿
千~nn1:
~ 14 Jl.tJ支'rlJ:~~鉄治
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株式 t-1市上
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M図銭句作の胞のM,は矧の表に示す如〈で;
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11 土佐T記号f.鉄滋
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~-築~~港穿町明路ιを 総利If司橋: ~J
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持式令恥
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~主ltvを尖の’f重ゐ跡を問隠し、立つ主且J伏から終E憶に劉 j
!i可約 :際町宮f 正 、
何段問問r::a
約
9 Jli.京市千7j!j欽滋 l
株式 /j,止
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~-創設卜 7~ \周年紀念日に泊って鍛泣色気迩綿の獲 i
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寸~
'ir.t鉄 は何民主から開業さ・れたか
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JI (越ぶ削in. R明一一:3_g.4巧
東京ゐ 3 枇H 38 年に合同し、 ·H 年同月 1 日よ
~ :
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)~14'iC 主れて 7布告となった。大阪は聞の仰を許さ
にモって居る。
;叩初川市むと決定した、 1目たl';\H き二µ,,
霊長泣したのをシジグルトロリーに援へ、路線に軌僚を,
司牧凶として.唱初 b てのもので、信二1i1;線の - tH;が悶
湿した時 ·110r-H~ から!:"!ツ侃交 叉 点までこの'h~I\I の試運
約を行ったととろ、 i:1 ;立の二十;?でた筏して (..) るものな
乞がJ:.L'.えになるので、市内には不思';;';とえふ巳!?かち主主
将は号~r-lli*l! ’: ~λ られてじた。
沼気ti·、滋;土初め市内えは ii!!沼地の公:記普通 kid であった
架線放初はダフ・,,,ト”リ』で、トロ F ーボールで j
鵠J[J する事としたが、 ;illft ではカテナリーとな P パン j
タグラ 7 で i長官されて法る。
臣室電所製作技術上》ら 2'1 サイクル川の[n]l(:'j~ 流’
械が主に依 Ill された 0 Ifトド沼郡j授'rよ機や芯縦書2告le機ゃ‘
も伎 Ji] されたの」じの後 50 サイク 1i..J1ltr1J1M1~7J!t 機の製’
作·"nむと Jじ,こ泌て 50 サイクんに臼j 換へて .m 止に宅つ
j が.次空誌に事i;市辺主;?えは初心、と郊タトを結ぶ交吉良閥と
て必る 0 jくは;ヰは凶 'fti革連流棋に代って水似て.i応機が多
!な昔、 rp 式欽誌の飯 HI 町 rjJ~.fiilJ の'..i;Jj1 削j 部制改凶
欽似 Jll せらる斗となった。
ι~、、~~~・~、,一、、A v、~、~、《』J、《J、《,匂ヘJ、,、,v~~~~、八ヘハーへ""、~、~.....................、~へ~《~《f》伐~へ~内J日ザ〉、-~、~、《J旬、,、、~vv•旬、~ヘ~ヘA
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・固有鋪道電化襲蓮一覧表
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電車化 ‘ 一穂表
|飯岡町一中野 1
l 飯岡町一御祢
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電気機闘車
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600 明治 37
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昌平橋一薦問
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横川一腹弁海 |
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大舵ー横須賀
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図附- 11、国際 1
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6001 明治 45
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中央線 .t'i'.枚ti" 時は岱 j原として柏木型軽電所か
クルを自給した。其の後矢口にモ~ }.瓦斯
設し 25 サイクルを自給したのであるが.
時鉄道院総1主であった後藤新卒伯が勇
希望して止まない。
大豆 13 年には国鉄の庚軌化問題に絡んで東海道線
共の他の大沼化計貨が庚軌化の代案として採り上げら
れ、人的物的各方面の準備が皇室あ られ兵観的に車輪琢
断の企図の下に採用されたもので、副~物
幸子へ.ポイント構造等にづき大弁工場で模型等によ p
アンモ=干の生産によ P 護活思債を著し〈
大規模にされた惑もあヲた焼、政治問題化されて信濃
;恥いとし 1 キロワット時 6 戸 7 厘程度で
あった。然し flJ]もな〈第一次欧洲大織の僚波を受けて
川畿電所感設問題と共に関東大震災等による猿集大節j
減に遭 '0- 中止の運命となった。
人件費主主他の暴騰の結果主主E笠原告買劉おとな P 、一方図
以上の如〈鉄道沼化は最初サービス政義を主とした民
将軍聖流機の主主1告書事によ P 共の 'fl! 源も 25 サイクルよ P
のであるが目下は放犠後の情勢から次の着点から沼化 j
50 サイクルに改造する事となったが、 ilt迭費のお大
となる事により 逢に媛棄された。然し撫阪や共他炭坑
がす L められて居る。
1
. 燃料の節約〈現在は石炭節約〉
明力指強
に於ては共後も相蛍長初[!司俊
足しつ L あヲたが、 ; 11!: に噌加する’尽力需要と'r'lt化計重量
遂行のために信濃川賞忍所の建設計費を遜めたのであ
;る o 此の刊は大蕊 10 年一時藩ヱしたのでるったが
今後1:1"分は比の線に泊ふて沼化は貨基且せられるであ
らう。
量購って関内鉄道犠主主の現在是を見るに私鉄は金豆長の
'
,
j 諸積の事情か.ら I渇もな〈ー時中止とも習漸〈昭和 8 年
l 再び着工、同 15 年完成したものでイ此の間補給設備
j として) fl崎の的問所が設けられ品輸闘が磁
70% 沼化で著しき遊歩 !I;t反を示して居るにも拘らず、
岡鉄は金主工長の僅かに 6 ・ 7 <JG が電化したのみで比の
著しき低化の返れを来した原因は、幹線沼化は一朝有
事の際図 liliJ:'.危険であるとの軍部の考へが沼化の室主主主 i
立せられたのである。
嶋加し?とので、大蕊 10 年頃より µi 手沿説ゐ富里官im は
を阻止じだのであ1る~~方私鉄は採算上から合理的な i
沼化が験時雨]に於ても諮b られた結果である。然し図 i
11.00~ ボルト地下電視により連絡し、郊外獲常節は架
鉄は現在の如き赤字財政に於ては合理的経径のー混と t
ま釜配電線次第に電車区間も媛大せ p~書!!'i注所設も
空怠沿線によ P 相互連絡を計った。共後信濃川変電所
して総廷の ilt 義と燃料開J習の解決を計るため殊更に電 v
完成するに及び獲電所問は 154.000 ボルト架空会電線
化は促主主せらるペきで、新〈て低下せる験治力を噌菰
によ p 、武滋境事星電所と川崎赤羽隔世t丞所 fl司は 66.000
すると共に遜動時の事主主主波利や煤煙除去によ P 快適な
る交遜機関として幽民全般の能率宿主主を計るペきであ
る。】終験後最初の沼化として手刷局上越市総の開通
を見、又今月よ目は北線の竣ヱを Jtl. て裁にお崎長岡問
は国民主E勤と相待ヮて濃化しつ L ある。か〈て鉄道電 t
化を先騒として遊山漁村の’flt化、家庭の沼化に及ぼし?
で中央線の沼化が問題となった事がある。中央線篠ノ
文化国家として新しき日本語Z再怨せらる Lζ ととな !J ~
弁線の隠主主沼化計盛を窪てた写a· あるが.東京甲府間
伐に祝すペ曹事である。
は昭和 6 年漸〈電化したが他はまだ3電車尼に歪らぬ。
大IE 10 年私は欧米を歴訪し隠朝後次の 3 つの事を
主主曾した。 1. 'ii?王手を鋼鉄事に獲へるとと、 2.
V ア-
=~ヂ V を採用するとと、 3.'自動列車停止装置を電
車区間に採用すると主である。併し其の貨裁は遜キと
して諮まなかづたが、鍛鉄率化と}.アー z ンヂンは開
;京大震災後の普い経験から併後に漸〈糊されたo
j …一……一一
ぬ。最近の混雑時を見る /Jf. に一日も速かに共の食事恩を
ー、,、,、,、,、,、,、p、r、,、-、,、r、,、,、J、,、J、~、,、,、d町、,、,、~、,、J、,、,、凶F、,、,、,、,、,、,、,、d向、,、J、J、J、~、
27
1
. 線路概況
上越線河崎長!河 ll可の線路の椴~は第一閣に示す如〈で
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(
"
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ある。今回の m 化工事 !tilln の最念勾配は 10% で市線
上越線の電化について
(i\jj\l崎水上 fifj) は 59.lkm
の Ji日に 368.2111 を上 !'.J'
線〈石打長岡 fill) は 65.0km
北
の問に 237.3m を下ってゐ
る。従って卒均勾配は南線 6.2% 北線 4..2% である。
.
‘’.密主互運終設備計蜜
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$ 有!)
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市線は日本~主達也から北線は東北西E電舎枇から’'tE 力を
受ける。但し’叉nl:J日 i&\E線路は従来と呉ーな P 合枇の特命
草~ffl~r:-叱f1tt.tき守鉄の財産となる。上越南械の怒
沼課税は気~2 聞ご·%3 閣の如〈なうてを P その設備概要
醇撮ら~V<I'~:r~1~。'f~~·.t蹄脱源の即位に鑑み
;抱湾、前Ii 佐以升は総て 2 同線をさ乏浴する。
く 2)
~:電所
集 1 闘に示す主日〈市線でお崎、主主 Jll 、 沼問、北線でJ盆湾、
浦佐、 Jll 口、官内、の 7 ケ所に貫主置されてゐる。設備容
誌はお『峰。"{; (jl/OOkw で他は 4Ul~lkw であって 、 2000
る。
kw 思依のよ11 問リアクトル付 6 相星I~ 二重結線格子付水
石 崎正問傾倒小品周忌団
-峰山内
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『
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ご|ボド|ミ|ご ミ広1 '
刊誌l ミ I~
ミ Iii ~
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符w ’牢 I"' キ
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J ~ A 場基)-
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訓ツ忌ミY 手
イず"'干r 胃,
ニ¥ τ 骨吋~ ..
1111 ロ 0€>
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;
:
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,
;
音符 3 掴
石打長間関m 奴蓮車事用電力系統樋
方での似]成制lM に依つてはl 終来の後沼所設計上に
Ja
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酬必品官
wao
漏忌て、北線じ鉄筋ラン打{ト 1 鵬てである。
し刷必車t・
w@
宮崎:
’EO
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伝4成時間れ・て見る家主・帥なので屋川純
L_
J
I ~, i
vr2:oni 応が耳元づaてあ町、立ピームの上には鉄板を屋
根依に取付け、その内珂 i;:ヒー I ?ーを位:かけた融公器を
--
111
mγvilli
-
-wsvtaさ
u
多大の彫響を及ぼすものと思はlれる。住家は市総は木造
段けてある毒事、定Ii~ 'clj:~t,:針策が~!キピられてゐる。重量包所
-
Ii:僚級·~は~ . ~ ;表 Rお!(で生る。
(3 )竃車線路
1立 ~r1.方式は底流 、 1500
宣告
2踊
高崎氷上関~~J.還車専用怪力系統蘭
•
1 要量
vt青島m車線式、榔主主は ジンプ
ルカテナ P 式の以鉄e~主主直である。支持柱は特殊筒所
上越線沼化用皇室沼線路剥
く22.
8
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)
正1
2
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:
l
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第 2 表
上越線 害警 電所 関係工 事 統 j~i. 調
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鈎構造は市総では匁‘4 翻の如〈都iifJ の車線プラ』ケット~!
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〈イ〉 上越南線
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でる !'.l ,北線は鍔~5 翻の如 t 、降雪期に於て除雪寧の迩
お崎汲 Hllfr -一 徳孜謀、
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”に支隊なき様、ポ λ ト問脚光分慨を lN'? :z: ある ? .
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吊架線は 4 猪 7 本撚鉱線J トロ Y -線1;·n10 司i.jj)詫ilii
1一一一_?.主的泡寧線工事w;: er湖水上nu沼
附寝銅線を使用し、 1回‘粍の懸垂碍子に支持さ|せる。 tr,,-ー 」_-
ι 車線時新設越後倒率底新設工事〉
電線は郷平方糊銅撚阪は呂町坊の取れ撚;J 』
線 2 俸を m ひ',Jl:·車線支持柱時架する o 向加持漁 h
匹云子主主ヂ灯工率直くお崎石打開閉
トム.:___i1':i 崎町工事区 G'~ 附打!日]蹄
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工事〉
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線は従来 2.6 粍 61 本撚 P だワたが. '.7i線製造能力向上
|
!一一一一一一花崎信技工事尽く高崎石打開聯書誌
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flJJZ'K伝競工事〉
の~ひから今回初めて 3.25 粍 37 本撚 P をー郊に依m
してゐる。ヱ事紙質は銘 3 表の知〈で遣うる。
(4) 電気機関窓慮
気機甲車庫 は お降、長岡爾係車場構内に稜節されて
ゐる。その設備続攻は第 4 表に示す如〈で、爾者主五常
.
.
.
.
.
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習の殻備容量は 30 鞠扱程広加来は· 60 鞠吹容m~~どよ
如〈前鐙されてゐる。長間企部t多L、 dム'rt話会廊3説
零務等の特別な設備がある J 寧i踊配置計量は悠 5 哀の如
〈・である。
3.
附嵐繋建物
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4:
工務関係工事
--u
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τ・
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...
総司Z米は市線 12000 卒方米、北線 13000 卒方米である。
上越線は主E設岱窃から mイtl象5E'.線となってゐたため.
E書道、橋梁空宇は殆んど改修を婆しなかったが、架道橋、
水路橋空宇は二三改修を必裂とした。踏切迫・は南線 87 筒
E庁、北線 105 筒所で絶縁を必要とするもの少なからず相
営の大工事となワた。
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第 4 園高 l埼水上問
常事線路構造園
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i\'r: !崎~'rltエ事!《く {.~崎’E
\-電所電然工恥
沼図書型電工事E王く沼問、
一一 溢川襲’,]t 所沼然工事〉
a. 鉄道電気エ業金融土電化工事部沼岡
工事事裁所 (岩本. 氷上!日]電布線
新設立主に沼岡嬰旬開電気工事〉
G・ 双京地方施設部 0主的'11Mr1機関車
E事土il:関係工事〉
b. 東京鉄道府施設部 cm.鉄管内の土
生E関係ヱ事〉
〈ロフ上越北線
a. 東京地方官事1部
長岡出張所1
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総波書軽
L 技術孫
」一一一長岡'il!寧線工事医
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線路新設蚊機蹴寧
陣新設工1JO
一一一一長問;ii!it'i 工事!Fi
ぐ 石訂、土正問 l訂逝信
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I~一一長岡'i'..i:灯ヱ事惑
石主H呈l司関電車線路判事遊園
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五--r=;ur是|高崎|長岡
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f;. エ窓 潜行撚況
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には'r~~l 工事指fiーに支隊ない迄に ffH~ とった 0 m 以機器
は 7 月広より入符し始めたが、本格的入荷は珠定よ p
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(2) 北線は昭和!lH手 3 月 :JO 目、小千谷で起工式を暴げ
た。
援な所工事では、主主主機器問日沼津を除いて他は東芝
に査受注した治、色キの感情のため)荷が返れ還に工事ヱ
程も 1 ヶ民どれるの止むなきにそった。工事の最盛期は
4刃-8月の秘雨季.百告袋キとなつだが.王且揚工事係ぬの
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銀 6 国高崎長岡[問料 憐比較
着手した 。 貌易工事係員 の 献身的努力に依りセメント共
他の資材入手総 に依る工事遅延を克服して 8 月中旬には
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使用出来る様になった。
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とれ;, 南北線の工事は、各種産業の不振と舷合不安と
に依れ材料入手は極 lb て図滑を飲き、 Tl!: に 全産業部門
に於ける労働攻勢は幾度か猿定通 P の竣功を絶望税せし
る
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めた。今日激定通 p 沼化工事の竣功を見るに至 っ たのは
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現場従事員の並々ならぬ努力によるものである 。 f古·fill 化
に要した資材及激算は土谷 6 表、係 7 表の如〈である。
7. 上越線包化の意義
石-札104’・nuο告Lvのe打-ω前 公立1一化悦問山田価
鉄道の '>IL 主主主E締が蒸気塁E特に比して種 4 の点で優れて
ゐ る 事~ ~ 特に日本の闘吠では、石炭節約のためにも Z民党
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とれを岡示して見ると第 6 簡となる。とれを見れば知M
にm:紙型E輔が侭済的であるかがわかる。又沼化ば伴ふ石
炭節約盤は同盟百ょ p 年 llO 66700碕となれ乙れは他産業
部門 氏狙しうるのである。電化にf宇』、主E車事時分の~手容は
敢闘に依 L 遂に完成を見るに至ヲ 'It 。
官Z寧線工事は遇〈とも 21年の降~*i主 v€鎖1芯線を築設
する音量定の.. l't材入荷の胤係:で2-3 ヶ月逃れて濠雲中
ピーム i氏付、餓'l'J:線条認作業を諸行した 。
電気機関寧*は検修専に重点・をおき、 :I$ を治めた。
十凶毎日山知却山一11ι「
悠 8 ~長’ゐ 如〈な P 相官スピードアップされ得る。
~之. rui:~東日 ;容の文化凶家としての復興策を考究する
時. る らゆる点に於て鉄道沼化乙そ最も有数且確貨なる
道で 遣うると忠ふ次第である。
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~要望
。。一のaFMO“ずoq。aυO15一4B83614L一E73652
〈束帯地方常気部技官〉
との土木ヱ事は 8 月末完成、 6 えから他家の鉄骨粗立に
上越線高崎長I却問書E鱒時分比較表
一-
長沼
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(2:~頁より績〈 〉 幾多のぷl苧:l"J副食 と TJf先が現地
機j··~が人を {東ふのではない。 従つ L作業 用機械は
について行はれたことは想像に掛く ない。 和、は,
これを使ふ作業-:~の心理i伏韻 にま で立入っ て,そ
作業の機械化はこれだと 払った。徒に機械を使用
れを摘んだ機械でなければならない。かかる配慮
すること が作業の 合理化で もなけれti鴎憐化でも
があっ てこそ,作業の合理化は機械設備と結び付
ない。作業の科態化こそその民髄であり,科拳技
くのであって,作業者と機峨との聞に温い繋りそ
術者が科準化の道令致見することこそ,最も肝要
つくるべく心掛けねばならない。この心構へなく
な任務であると 信する。
内情;史的i は, 'r'i :主の合;f'R化の究似の目 |’I'~ ではな
f V;! 化υ ) ·- ’ ’ {ハ f f',(であること々 j、II らね(,:(な
しては結局機棋はた Y 単なる機械としての王子在に
柿ぎな い ものになって し まふ 。 :Iiえ,j) -t べきことで
はあふふいか。
IT fγ同紙械課長〉
らない。 そ して峨凶イヒ {!.1: 川 す るものは人であ匂,
,
1
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4・
牧谷線※ 2
- 長岡電気機関車庫新設工事
洗緯線
90ラ2=1809ラ2=18
ラツセ凡王手陣線
篠 .
1. 計百の]:!:旨
上越北線の氾化に伴ひ~在猪荷エ
f事
原
2.
:
:
i
n
i
車事寧台線
1
引上級
2
1
2 ぽlx2=100
・.._,
機廻線
設計の概要
※円I は庫内部分のみを示し粉炭
'•rt~i 機闘車庫の位自主は長,,,的業率揚
巧1 を念ぎつ L ある長f1id旬以機関車J!II
を横断する 2 つの跨線滋路橋に狭ま
の新設は、終職直後立案さオヒた戦災
れた 1,:;哩Jヨ杢空手側 rui_ち琴平場の里ー
7~線のは茨台部分である。
地長岡の停車揚復興計設中に折込ん
側に隣接した地域に選定し上越線よ
で居たので遣うるが.その後此の復興
旬操車場に到着せる機関車〈貨物到
に止め、
針貨も思』、採に話まず、その内に上
寧来51~鱒〉は機砲線を遇れ一度上
宮内地先及長岡市の一部で総L荷積約
く1)別
地
用地良牧は沼化に必~な部分のみ
地域は古志郡上組村大字
越線@氾化が窓タトに平〈芳工正”な;3 可一宮本線’£.ZJ!商交叉じたコ三で民間待の ・ 105 似)()卒米である。
ヲ z 《」】’- ~•IV'< I '•·'-'°'~ .
.
. I ’ V 』lι1
く2)土工
前記用地に劃する土工置は峰土約
線を横断し操車場の機 f1 線に至る。
48,700立米で、その内認ーは機関Jill~設
j在化計主主は食毛!JJ::,越線が昭和 22年
長岡廊 J: !'J の機闘車即ち放客列車準
地35,000立米、稿烏江附近及入出慮
8月.信越本線長岡新潟 Jiil ポ昭和27年
引機は.上り本線の豆線からA出陣線
線部分7,似)Q立米、長岡i{f折返線附近
度、直江j'j{長岡 !ill が昭和制)年民治ri1'
に依り入降する。出麿切っ場合はこの
を r;r淘に耳五目あげる事になった。
と予定されたのでるって、之に依り
Ii泣の径路をとる事になる。 l I
2,700立米. t集車場内機廻線'I*. 下宮本
線附務部分に 4,000立米、匂j耳元は入向
機関廊の位置は信越上り本線側に長 z ・次に機闘廊線にらいて主なるもの 庫線附近.Jsoo立米となってゐる。
岡線車場の扱蛋絵地を見込んで定 . を列苧すれ宗次の如〈である。
その他主な土工工事は繭烏江く『(110
め,その規模は峨全線開化さ’れ J 糊蹴湖町米〉枚容1JC炉) ~ 米延長180米) m似跨線橋附雌
停車場の郷来計貨が完成した場合の
到百官級 ・\・1・-. 1日{)
デ
ド付替く延長240オめがあり、之絡に附妙
目奴配属爾主主を 45 とし. fr.!妓大60楠
山滋線
3 10 × 3 =よ10 3 パ 3""\J
迄は扱張し得る配線とした 0 1JI' し上
牧谷線※
584x5=4204ラ5=20
越線のう主化に際しては之だけの諸般
検修線
して川機及活路附主主絡がある。
くわ橋
梁
-
主なものは機闘底入口の鈴線婿架
をする必~はなし現在は列車回霊童
交絵線※ 2
74x2=1483x2=6
が減少 t,_τ .:e J
'
!t~J電気機関寧の製作
修絡線※ 1
6
7
1
が|日l に合はぬ袋i官初は列車本設も
設〈木織延長20米〉級品江梼梁く=ン
ク P ート筏縛rn1110米〉及升川橋梁2 ケ
所く木精とし入出庫線及操E字書長構内
に各 1 ケ所〉であヲて、木橋は加来
現吠とし機開寧の運用も全線の泡し
湿将が出来ぬものと考へ機関憲民主
永久舗にする予定で遣うる。
Pl2砲13型'Jk.15型で 15綱を使 JU ずる
敵主主路線※ 2 2:;x2 =同
純度の泊殺をする計震であるの
t量房王手陣線
lx2=
長j罰竜泉版j完需産MT訣1争一般皐箇
3
4
r
円、
(4)流主主務
洗雰構は ~'i.i' 地方の様な降~地帯。で
コ
は~均j放も{'I'・泌的な I伺も重要な除3
ニ.緩房車庫条約機閥w ではよE
!
ll
キ
.!
J>l~線外側に if~.S、て I:こq決を入
方法であヲて、その様滋は=ンク 9
られないが、夏季不必要になった!'!!
れ.との|同に工事用列車を恕特し、
ート製函型開渠とし.取水路を宮内
房事を枚容する庫で、巾 10米.長さ
1 日良好な時は約 200 立米の土砂を
容に求め之を理事者構内を縦断して繭
90米牧谷線 2 本洗官接室〈牧谷線 1 本〉
運搬し.主として機繍 .nli 附近の地築
~江へ放出する。との流雲滞は構内
80.ip:米を加へた 980 平米の木造ill と
に用ひた。現場には工事の諮むにつ
で 2 つに分れ. 1 つは枚容賦の商側
する。洗縦線には検査坑を設ける。
れて土工線を仮設し、 is:寧卸しに{火
を、他は検修lilt との HU をぬけてと L
で又一本とな P 悶 !::, 江へ~る。その
総延長は約1粁800 に及Iぷ。
くめ軌
道
一-
金延長約 10 粁で 30 臨軌僚を主と
*·ラッセル主主康
之も降雲地方
p 工事を治め、本年 5A よりプルト
特有のものでラッセル王宮やロータ P
ーザーを用 '()- てゐる。橋梁では繭 i::;
ー共他の除雲寧を枚2与する廊で、 rt1
江精梁が第一に完成し. ¥十川木橋IJr._
" 10米、長さ 50米の総面積回O卒米の木
跨線道路木橋も既に出来上った。流
芯怨物で 2 ;苧の枚容線をもっ。
~i停は 8 月よ P 着手し本年 11 月迄に
1本だけ完成する予定である。
し.約l'§!J は 37庖軌僚を合み縛磁66組
+ 交叉豆線 2m を使用する。滋床砂は
くの軌道工事
総意約14,000立米を必要とする。
くの機関庫盛物其他
"
'
ィ.検修康独修摩は電気機関ltI
を 8 月中に政設し、その延長は約7粁
を検査修織する障で、その大きさは
である。道床砂利は昨年から採集を
きさとする。
高39.5米.長さ 72米、荷積2=890平米、
3. 工事の紋況
開始し.上越線小千谷、鉱山線十日
巾さ越屋根の様迄 15.6米であれ全
く1) .着手竣ヱ
町、型車越線中録 ~jjli よ p 主Eぴ、治床
部量露骨量E !
Jk し外量産は波型銭板を周
本工事は昭和 21 年夏に調j震を行
ひた建物である。検修線には各々交
ti~'同淳11月 4 目上越線越後川口線附
検坑4,修繕坑1、大検坑 2 を段ける。
近に於ける土耳王場より着手、昭干日 22
散布iJl 均しは 9 刃下旬迄に終了する
宮
くの機騎康建物其の他ヱ事
イ・機l肱庫及収容B軍
基礎工事は
ロ・牧草草慮牧谷底は機関車を枚 ; 年10月 1 ..§J:.越線.の電化工事完成と 一 本年 4 司終了鎖骨は石川向電工業ーで
容してお〈庫・で総面積1,850.ip:米、 rt1
共に必要な施設を竣工させ、残工事 \ 製作し組立作業は 6A 中旬よ P 初め
22米、長さ 84米、認さ ll,4;J艇の繊骨遣
を之に 51 績き貨泌する~
P で、*袋は波型餓板の近代的のも
のである。総糞坑は 5 本の収容線全
'Jk牧容悠の 24米分が 9 月中に完成す
昭和21年度には約600高間支出し.
る桧修庫の検修坑は交検339立米.修
本年度 4,~60蔦閥、来年度以降完成迄
絡六検176立米で.中六検坑 1 本を残
ハ.融雲庫融·~廊は窓地の視
に 2,000)l 閥、合計 6,860蔦闘である。
し開通迄に完成させ.牧谷廊の検査
閥廊には是非必要のもので、現在~
内開通時主主に要すLる . 費用は ι~4,142
坑は 5 線で杭打が昨年E去に終了して
部に設ける。
(
9 刃 rp に完成する。 t~J介君主は検牧瓜E
くわ工事?費
欄では上越線の水上にあるだけで 附e九日:」iJ
おる h ンク JI~ ト打未了0
・
oo~,今限問に怒るのは巾10梧芹むを活全日当ヨ日己活 鵬臥他融舗は 1 ゆ
き ~25米、総面積 250平米の木慾往と
主要資材は軌t最重員 955鴎.鋼材230
し.枚容線 2 本には各25米の機械坑
魁く他に繊’j-'f650Jii!j入セメント 1,890
ツセル車庫はあとにし.ラツセ II- 寧
を設ける。冬期間燥に降雲時長時間
ih.~枕木 14,100了、分岐枕木 3,000
は現在通暫操車場にて取扱ふ。
走行し策服せる様関車は金鐙に氷n
了1木村1430石等である 0 ・
が草野完まし、特に下廻 P の機彼装置に
γ
くの土工共他の工事
-
を降客朔迄に完成し、緩房車問uえラ
.
:山
4.
結
び
以上で長岡活気機関寧廊の新設に
売まいた氷片は槌でた L いても容易に
地築ヱ司王は緑、土ヱf量 49,000立米中
剥奪せぬ~-六ケ刃検査中修絡をす
21年度に 13,400立米機関庫附近が終
が. ;i学工事は予算及資材の大 lfl な泊ii]
る機関障は前もってとの氷片を絡鹿
J、残 P はとの月迄に完成する。土
!
減に逢ふと共に、上越線の 'I&以迩憾
に務す必要がある。錫に機関車を草野
砂は川口の土取揚より金所要震の
開始の時期に間に合ふ様にそのヱ干J~
閉した庫内に一定時間収容し.ボイ
3 分の 1 を、残 P は管内各機関w ょ
を~地した関係上、それ迄に会憾の
ヲーよ目高座恭汽を収容線の下の主主
p 後生する石炭殺をプt;jl;t・する。
工事を完成するに~らなか~ったが.
内に設けたパィ タ恥釣込み.と
就いて共の獄貌を述べたのである
土1叫には越街II 口際より側線を
3闘に於ける電気機関車熔の新設に
の制l に依って氷片を融制圃~'t I
: 政設し、 λ チームショベルをそなへ.
制緩をつけたものとして持軍にも((
で検修用t へ廻還するわけゼ忘る。
する o
x長問の工事現場には宮内膜憐l付ょ
k施設 M停党i:.w;~'ll!)
3
;
;
津軽海峡海底隠道の計
、・t
量とその調査につい℃
桑原禰蕎雄
せねばならぬと思はれる。共他の金属鋪業につい
1
. 北海道の重要性
ては水銀とクロームは日本の大部分を産し,金,
職後日本は内地及北海道の極限せられた狭小な
銅,~錦繍む地下資源の貧弱な日本として有力な産
る地域に約 8000 高に及ぶ人口をJ悲して自治せね
地である。工業は這蘭:3付近の製銭其他以外には大
ばならなくなった。この新情勢に !ft~吋t~ii~ヰミ
その位置の北備と気候上の;倒的 lごも·~j~t·m在故
も人口稀線であり且亦その未聞護脊加の盛悟さ草
於て目本としての役割は絶封的に.&_.~でゐり,そ
漸次人口の楠加 lごうれて器具機械工業,肥料工業
の今後の開裂は亥If下の最緊,告事である。
哲工業等の加工工業段階に入らねばならない.か
即ち北海道の人口は現在 350 湾人齢であるがそ
の主要なる産業中の良業\::.ついて云ミ( i現夜の俳
地は約 75 高町歩で食糧の自給の黙よ h 見て米こ
そ不足するが穀類,$\:'.頴仕入れると米換算約 151
高石に建し償問営の移出能力があ |る??売る。現
在農家は約 20 瓜凡人口約 120 国である主現真
の 5 ヶ年計:;.!/; c 昭和 21
25 年度〕により新に 70
崎町歩の林地が造成され且つ肥料の使用其他良業
く資源的産業的に見て日本として今後最も大切な
地域であ(J<!早っその開謹につれて人口の牧容力
も民家斗口元y、]怖となるとせば,工業共他の票険
労へると棉計約 looO 詩人には達すると思はれる
し,叉人口密墜句人Jff21 を面積,気候の好〈似
区東北に新if.J際語併せt~ ;もののそれ( 132人 l粁2)
L 同一程度1::tl'i ~ のとしても亦約 1000 高人に
なるものと考へられる。
法の改良に依る集約化を湾へ, V 常りの緋作両
2
. 内地北海道間の韓謹
積約 4 関J tJ;宇のを見北のzp.裁が·J 1.4 町w に比し 2.与
町歩とすると民家約 62 I実行人口:no 高に迷すゐ
過去の内地北伝道間の年間輸迭量は昭和 16 年
移出1主物約 1000 E丸.砲,内闘錨連絡恰に依るもの
約」ぬ
図唾3在広吃ロ 18 年)計仰&∞人,内
連絡自{~ 2,18H,000 人である。青森小湊及函館有川
業に力を入れねばならないのは明かであゐ。父;k
の航迭設備が完成したものとすれば錨革連絡航路
産加工~~に錨1i吉工業を推進せねばな C》ぬ。又林!主主
の轍迭能力は最高設Wl能力年間約国O 高殖に濯す
はljS-年目本の生産力の約 1/4 のり吋:合力を持ρてゐ
る。
るが,持 4こそ失った今日特にパルプ材の手!走!二大
切である。
一方鎖直に依る総迭要対j量;t.t- ,一般貨物は現在
の約 4 f1r,石炭を移出 1000 寓砲,内 300 J耳函陸
更に北海道を日本として主主も !ft'!.さならしめるも
迭するとすれば合計移出約 700 高踏,移入約 300
のは鏑業坑中石器である。 tW ち明和 7 年商工省調
寓砲に達する。これを完全に轍迭するには既定計
査に依れば石一炭のよ1u.蔵量は80 ほ班以上で全日本の
設以外に大間l雨宮n・問,三蹴幅島問等の航迭設備や
唄疏量の乍以上を占めてゐる。渦去の出表世は最
考へる必耳~ 'J'あり叉航選舶の建浩には英大な資材
大年間約 1600 高砲で至宝 Fl 7fょの 1, l 蝕であったが
が要乙・而 I,ぷ仙台EブJはあっても Wh'完全賀行
今後之の比悲は増し全日本のあ,;tfii:h' 4000 高踏
は困郷でよ〉るのみなら十, 三週佐ダ 風浪による航栴
以上に速す r1時は ~000 高峰泣く l?.\l !:> /ド泣く生産
36
の不安定のため波山二点詰;を痛なl帥るのは我
守
k の庭北経験する所で,これ, J ;北句道の開琵特t二
上に顔 >£> 出すfif:置が理化するのみで,新幹綿:MLの
人 [10)移 f [:Jff}J\1 ル t1,)J: T
j_I法人 O>)!j (~\の一つであ
規格ではその前後は殆ど地.ト品i亘仁なる。
る。然し今や北:μ;立の開設は戦後 H 本として結封
に必要なことであり,従ってこの咋答そ除去する 、
ことが特に必要である。このためには次に記する
と来線は約 140 粁,西棋は約 210 粁となるが,一
が如く 11!樫栴映の海底-下に連絡隆道ぞ諮ることが
方戦前の轍迭の費績が青森で:w北裏目本経由が相
出来れば餓副首遺伝確保することが出来て戦後日
卒したことと上越椋経由をも考へ青森五稜郭で比
本の自治態勢t;'確立されることになるのである。
較すると束線は約 180 粁,西線は 170 粁で西棋の
3
. j掌軽海蝶主主格運道路線計重概要
会同
方カ市守 10 粁短い。これを要する iこ東西線の距離
の比較は大差ないと考へてよいと思はれる。
第]厨津軽晦債連絡礎道路線路間
主幹極海峡の海底下
‘
路線の距離を比較するに,闘の如く東京及東北
線方面に重心を置いて野謹地五桂郭聞で・比較する
’
現在青函連絡航路
に隆道そ遺るとすれ
は約 110 粁で所要時
ば,先づ故短~m維で
間卒常時約 5 時間待
あり水深が渇く且つ
合せ最短約 2 時閣を
地質の好い地貼を選
要したが躍進路線完
tまねばならない。こ
成の湯合は卒均時速
の貼からして東は大
60 粁として約 3 時
間岬,汐首岬間と西
間即ち約 2 時間待合
は龍飛岬,白神岬問
せ栓入れて約 4 時間
の二つの路線が考へ
の短縮となわ,尚乗
られる。何れも海上
換の不便,悪天候の
の最短距隊は約 20
不安定もなくなるの
粁であるカt宇海底水
である。即ち東京札
深の最浅箇所は,来
幌聞は約 1200 粁で
組で 220 米以上,西
あるが,平均時速 GO
,
、,
棋では 140 米程度で
粁の普通念行を直通
ある。街地質は大起
運縛するとすれば約
し於て雨綿共且つ1H
20 時間で到達し得・
北岸共第三紀貯と之
るし.更に若しこの
1l'蔽ふ火山岩類と:で
陸道沿遁って,東京
あるが来線では海底
地形に断居らしきも
のが見られ叉西線で
/
本凶晃聞にも新幹綿並
育事
’
有..
4
l,J;tl
~最初
の平均時速 100 粁の
.見晴骨げ
列車~走らせるとす
z血"
,
.
.
.
.
.
.
.
.
は岬の西方に古生府が出てゐる。
,
れは所要。時間約 12 時間だから,朝出醸して夕
線路規格は恨に東京下;f即日新!付J~並とし唯勾配
方到着することになるわけである。運事事方式は勿
は一笑として 20% とすれば海底下地帯の敏少厚
論屯化されねばならぬ!が,完成後の換気の黙は隆
きそ 100 米程度とする時は躍進の延長は来線桑·kl日
道の断面にも依句研究そ要するりれ E も,扇風機
石崎間約 41 粁,西耕三厩幅島間約 34 粁となわ
の設備在しておきさへすれば大したことはないと
西棋の方が約 7 粁短い。又ふJ配を 12.5% とすれ
浮きへられる。
ば臆道延長は瓦線は大畑,湯ノ川間約 61 粁,西
棋は三厩,昭島問 38 粁となり西線ば約 23 粁も
4
. 海底腿遁計書概要
短い。即ち西線は隆也の延長二大きな境化なく規
東線にせよ西線にせよ海底部分の延長は 20 粁
絡を好くすることが出来るのが特徴である。叉隠
強で捷りがなく,唯批低部の標,:·ri と取付路道の延
遁延度二ついては,栴底部は盟化なく, 114~上で地
長が具るのみであるからその掘議室計書f(J) }j針は大
37
.
有効であるか
.
i
"
J 事年
.忌ご包
穐宝自前雨 m
問題である。
r
こ耳 Lに封して
l
1
。。 0
国
0
無草内 、差正 向鼻徹 .o
) F
「叫|
I
t
.;
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邑
‘
(3 )車開 2 本
F
‘r
だけをぺ勾さぞ
異にして一方 γ
を先進坑とす
る力法も浮きへ
Z
L
’
"'・
らオ L る。こ ti
z
は 1未来を{底い
位置に先進さ
せ他の 1線を
後から浅い位
畳1::進めて行
通
くのであっ
.嗣
て,梅底隆道
の性質上宅建込
みで掘らねば
第 2 簡手重軽海峡連絡隠道縦断略図
差なく現貨には地理的保 1'1'により設備め模様が多
少異るのみである。闘土法は1k1梁の関係、1ヒ蹴
!
:
'
!
c
l~
ならぬ怯貼は
ないこともな
と云ふ様な長市議になっても,後から進む本坑の
2芸筑工法(シー Jレド法)治問ふる ζと所出来ない
ので,全く歴力水の出ない深さに潜り fir i院院i首長
完 f戎部分に本線列車で運搬出来るから問題ではな
の捌り方そすることが必要である。このことから
線)を下り勾配線に 1綿(浅い位置の援勾配線〉
地質は.その水密性と掘準の安易さから第 3 紀府
そ上り勾配線に用ふることにより総選カをも増大
が肢も理想刊である。海底下の深さは九州にお: r
することが出来ると;考へられる。 ’ この掘撃の方式
いf 叉高さの泣ふことは 1線(深い位置の念勾配
る海底知λ採掘の経験とi取締内訳を参考とじ太樫
についてはたいに研究する険地がある。この様な
100 米とするが調査の桔泉地買に n1,;があれば多
長-)(陸道では沼の運搬距離のみなら今,材料蓮搬
少茂〈出来るものと号、られる。隠遣の新同日未E
通勤時面倒から考へても出来るだけ紙切視の
時の出水等のき玉故と,進行速度o)剖係」ミ姻量iJJ式.
に先進串完工法を採用し,機械Jピdを5主なれちぎ
のとで,何れにせよ 2 本以上の隆道 t 又は少くも
先進事λ ) ' }.伸行に掘ることが必要である。
即ち( 1 )閥門隆道の如くま象め下に1k抜速道を掘
ってから上に皐静止隆道主 2 本並べて掘るか,( 2)
る。
又完成工期を短縮するためには機傾化(例へば
軟方隠道抑響機,ポンプクリート等)が必要であ
り又一般排水の他出水事故等に備へて相官のホ・ン
プ設備もせ.ばなら歩このためには~侃設電所等
同じく単純 2 本の代りに.複 包博選道を設げるか,
も作っておかねばならないし少くも工事中は十分
の 2 法があるが,車綿,複織の採用は地質によっ
な換祭設備も必要である。共他附帯設備として修
て異る。 I 1 )の }j法は最も確賢であるが,( 2)も
理工場,材料倉庫の他,住宅,給水,配恰,留療
同様1k抜還illを先進翠坑として掘ることは,海底
慰安等厚生施設を必要とする事は勿論である。
隆道の延長が怪い時は,この先准導h
常叉之に封する柿給路綿設備として西線に例を
その断伯Iが小さいので服の蓮搬能力で行 i雪詰るし
とれば津軽料持取本j 錨邑の開通と三!麗,龍飛,吉岡
I
又本陵jι とは初の中は高底差が k'i.予いfこめ連絡bL
昭島等に於ける Hfii'f'.jO)完成とが必要である。 L~ii後
t;'長〈ない仕存z盈が噌して-果して先進i喜抗として
の取付綿路は,来北本線画館本;\:JAの複純化及勾配
38
'
いが地行も安全ではあ匂 の運搬は最後には10粁
'
)
、,
7k等の地質的郎肉のものとがある。. この動につい
ては測量水深等の地理的依抗の調査と共に,何よ
匂も大切なのは海底地質持に第三紀府の分布i伏態
丹邦トンネ Jレ,開門陸遵等で昔努した火山岩及断
貯の伝無等の調査であって,之の結果はこの海底
隆道の技術的可能性即ち成否栓決定する最も重大
なことである。海底下の地質を調査する方法とし
ては今の所仰性波式調査法(人工措置法)カt最も
油常であり,その方法は溝上に試験曲t.e浮べ海底
第 3 図揮性波式地質探質法〈時間百1際的t\il)
でグイナマイト OJ爆般そかけ,その伝動の停常連
度の鑓化そ利用して地債を調査するのである。そ
の原理は地然ぞ構成する岩石は硬さ(即ち郎性係
~·
長I~沼市民波印ち抑酬を偉播する速度が
異右 lと云ゐミと栓利用したもので,グイナマイト
♂品~~1~4~~~.主的地震波(主として縦波〉を一
定の距離に置いた地震計で観測する。爆破賠と地
Ji~計とは一直線上に並ペるのが普通であって,観
測結果から完時曲綿を吉い7て解析する。爆破貼 t.e
一定して地E’;計を多数並べ又は移動観測j しでも又
底郁分年間 2000 7lと f i『; iυ〉
‘
山隠道で年間約 2:200 7l七.進行令るものと ,して準
ノ
‘
E
備完了若手後6 ヶ年aで躍迅を完1主レ7宍-S~fl~:;f-t一帯
地選試を固定し爆破賦を数多く移動して歩いても
同し哩加である.様磁の瞬間脅知るには電3;.{信管
錦在施設そ完了し蓮縛し得る h ·~ とぢVと られーる j
と地主計とを和総しておいてグイナマイト t.e 爆破
叉工費も比較的僅少で政rn~~r里民であ匂資材\(鋼
すると沼紛1が切れて記録される様にするが,結綿
材 n耳トン,セメモ〆ト 10
lA=~程度7 努務者数も大し
7』叫のではない。之がJ~桝
第 4 圃作
l
業
方
法
F畠」ユ
の代わに無it!il電信を
利用してもよい.
弾性被停播速度
慣[直については完成後利用
2霊祭
'f!: 骨i.1t
者aの利主主を考へると英大な
約340米秒
水
HOO米l秒
額に越するは勿論?あり,
砂
500-lOOG米秒
又北栴近の調設と日本の
第三組暦 3000米J秒
活と云ふ曲ーからしては問鵠
古生服
なしその慣値は絶大であ
花尚岩 l ・fiOOO米i秒
る.
6.
4000米l秒
結言
5
. 施工上強想、せられ
要するに職後日本
る困難と今後の調
として,自活上北構
査研究事項
J
施ヱ上7象想せられる困難
には工事の大きさ(世.界一
の錨立隆道はシンプロンの
2orr除)仁依るものの!也,
/till 日 1 特l 二 1J( r\r:及;)<j~ )!lll i
¥
t
)/
地熱, J免Jr_{へ今υ〉地足立自りのも
のと胡JK,断層, l{il綴,出
"
t
e
f
:
t
f
i
'
I
~
造の重要性は決定的
であり,之が開援の
子こめには津軽海峡連
絡隆道路綿の完成そ
必要とする。然るに
此ω隠:D はI児{(:0 )技
術イど以て人;般に於て
比較的短期間に僅少
39
.
-
οJ r::fi貸付々以て完成じ得る見込であるが, f111j技
~1 下世施中のものは i R•陀乍,(j龍7肘.•;1 &l公前半島白
術的に見て,特に地質命中心として,幾多の困難
神~IF1:付近の 300 米扱のボーリングと栴.1二i二・(1:~"甘浮
べて栴底地形を完全に知るために音響i>!IJ ::索機(抽
がf象想せられ多少不安がある。
故に目本の現炊では念速の建設費施は困難では
底より菅波そ出して反射して蹄って来ゐ時聞から
あるが,他日費施し得る欣混になった時に, J集
深さえk 自{動的に記践する)を用ひての測深と.ダ
に世現し得る如くに地質,就中梅底下のそれを十
イナマイトに依る r)\'(t性波式地質\調査とである。
分に知り,完成の技術的可能性径一層確認する事
か〉る重要な関家的事業の基礎調査には十分な
が必要であるから差嘗り地質調査を主慢として踏
資金費材と惟秀な技術力ぞ集中して一歩々々その
査,ポー U ングの他海底の揮性波式地質調室等を
技術的可能性を確認して行くべきであると思ふ.
く施設局線路線技官〉
進めねばならぬ.而して地質の調査は先づ現資的
,
,
に可能性の強いと恐はれゐ西棋から始めてゐる。
編集蚕員
立花次郎
集
東,帯
林武衣
弁よ彰
川本房
小柳美
創刊以衆既に一年有能,前々と堅官 t~;JJ:穏や舟って採すこ本誌は
更に読者との紐帯を強め,ますこ各情場況場 i二於ける研究の交流ぞ
困る古め下記に依()置く原稿を五主する。奮って守稿せら A はい
中村林女郎
1, ; 内容は A )現在の交通尽の雷雨杭技術的活問題に劃する
岡田秀穂
意見叉は研究, R 〕各職場に於げろ t技術的品協叉は研究,成
竹内外茂
果の紹介,
好井宏海
(AJl.CP良)
編集部
秋回
E
男
石原巌
捜野勝義
東京都千代田直丸/内 3-1
C )技術随誌等何れにでも可とする。
ネ l一枚設は 400 字詰 ~o 佼以内と片岡昇び去は ;fl\限なし 0
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, i締切は〆1~ . 月毛 H ,設長)主事終準 1 月号足以降順衣揖載する。
4
, 原:券原稿は編集委員によってその探百を決定する。また内
容に多少の取拾することがある。
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, 掲載の分には稲嘗のJ~f組を写す。な( .f,J R EA特賞もある
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, 原稿逸 i)先は編集部又は編集委員の誰かとすること。
変遺協曾ピル 21税交通協力舎
電話丸 4 内(2;{) 2
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鍛造電話東京 1140
主?逼技術第 1 ら披
編集後詑
前鋭務告の還り織遜何年記念
、寺3震が出来三。今までの慣例を破
って譲先輩の執悠をお願ひしてみ
主E刊が甚し〈誠に恐縮の至りで
ある。鰐f狩泊.ましいことを言はず
正ギ後を何とか牧抗してfまくつも
fーが何かと御多忙中に拘らず夫々
りである。新らく御辛抱いに r き
示唆に富む感想a:寄せられ心。望
度い。そんなわけーで別項原稿募集
外の喜びーζ ある。 、 こ¢種の有盆/;c
t 締切を 12 月末まで 1 ヶ月延lます
忠言it今後も続けて掲載してff き
ことにし jょのむ、寄って膝苦手せら
ム、「現緩から J も記岩の訪問面
接による談話t証言己・む新らしレ試み
昭和~~年JO月 1 日褒仔
編集粂印刷
粂夜行入
(月刊〕
秋田正男
帝図交通協曾内
i亘書号を深めて行き F いと思ってゐ
る 。 n年 ll がJr り !;·
fι 支俊 {J 今後とも切に/,;問ひ T
同10
昭和2~年 fl 月 20 日印刷
東京都千代田区丸ノ内 3-·1
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些か厳窓を表したつもり・である。
第 2 念第: 1 鏡
する打合はせは直接編集部か、編
℃あるが、色々の方法 C現場との
結1;朱 1 ::.. ならなかったがこれを以て
10 月滋
れい。本誌に整理する寄稿其他に闘
集委員諸氏に連絡をとって頂けれ
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定慣 12 圃〈議事ヰ 50 銭〉
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