28 昭和初期 中国大陸への干渉

Pain is inevitable Suffering is optional
28 昭和初期 中国大陸への
中国大陸への干渉
への干渉
♞ 第1次
内閣(
)
外相➡
を展開する。
幣原は
↓↓↓↓↓↓
保守政治家・右翼・軍部・
は軟弱外交
軟弱外交と幣原非難!
軟弱外交
このため、金融恐慌時に台湾銀行救済の緊急勅令を否決し、第一若
槻礼次郎内閣を倒閣に追い込んだ。
☲受験の
受験の極意 金融恐慌
植民地台湾において兌換銀行券を発行する中央銀行の役割を果たしていた台湾銀行を救
済するため、若槻Ⅰ内閣は➡
を使って日本銀行に特別融資を行わせようとした。
ところが、枢密院では、「現内閣ハ一銀行(台湾銀行)一商店(鈴木商店)ノ救済ニ熱心ナ
ルモ、支那(中国)方面ノ我ガ居留民及対支貿易ニ付テハ何等施ス所ナク・・・・・・支那ニ在留
)などの反対意見が出て否
スル数万ノ同胞ニ対シテハ殆ド顧ル所ナシ。
」
(by
が進展し
決されてしまったため、内閣は総辞職するに至る。当時、中国
中国で
進展し、それに
中国で
ともなって反帝国主義運動が高まるなか、三井や
などから
の
が強くなっており、枢密院は
倒閣
へと動いたのである。
この金融恐慌のあと、中小銀行はつぶれ、これ以降預金は三井・三菱・住友・安田・第一
の五大銀行に集中し、大銀行が大企業と結んで財閥
財閥が支配力を強化するとともに、金融資本
金融資本
財閥
が確立することになった。
1926.12 大正天皇崩御し昭和に改元、裕仁親王(=昭和天皇
昭和天皇)が即位する。
昭和天皇
1927.3 震災以来の
の処理から銀行・会社の倒産が相
次ぐ中、蔵相
(東京渡辺銀行が倒産しました)の失言から
起こり、これをきっかけに
が起こる。
1927.4 金融恐慌の一因となった 台湾銀行を救済するための
案が
否決され、内閣総辞職。
♞
内閣=立憲政友会
立憲政友会(外務大臣を兼務)
立憲政友会
田中義一の
田中義一の内政
1927.5 ➊金融恐慌
金融恐慌の
金融恐慌の収束
蔵相
を起用し 3 週間のモラトリアムを発令、日本銀行も非常貸
出の実施などにより金融恐慌に対処した。
➋第
第 1 回普通選挙の
回普通選挙の実施
1928 年、衆議院が解散され初の男性普通選挙実施。結果、労働農民党など
の無産政党から 8 名の当選者。また非合法活動を余儀なくされていた日本共
産党も活動を活発化させた。
が
で
➌共産党
共産党の
共産党の弾圧
不安定な政治状況に対して、政府は、日本共産党員とその同調者の大量検挙をおこない
(
)事件、治安維持法の改正と特別高等課の全国への組織拡充により弾圧体制を強化
した。
治安維持法改正は、緊急勅令の形式でおこなわれ、最高刑を死刑または無期懲役とするなどの
改正が加えられたことにより、運動への威嚇効果は強められた。つづいて 1929 年、政府は残された
)事件。戦前の共産党は壊滅的な打撃を受けた。
共産党幹部の一斉検挙を実施した(
田中義一の
田中義一の外交
➊米英協調路線
米英協調路線の
米英協調路線の維持と
維持と積極外交
1927 年、➡
率いる中国国民革命軍の
(=中国北方軍閥
の討伐)が開始すると、日本側の危機感が高まり、田中義一内閣はワシント
ン体制を前提とした米英協調路線を維持しつつも、中国に対しては武力行使
も辞さない姿勢をみせた。これを➡積極外交
積極外交・
という。
積極外交・
⒜不戦条約
不戦条約 1928 調印
国際紛争解決のための手段としての戦争を放棄することを人民の名にお
いて宣言した条約。
する点で画期的だが制裁規定を欠いて
いたため限界はあった。➡一橋過去問参照
☈統帥権干犯
これにより戦争が国際法上の違法行為とされ(自衛のための戦争は除外),戦争再発の防
止にむけた国際協調体制がさらに整っていった。 ➡この調印が
問題をもた
問題
らす。
1927~28
⒝➡
名目上は在留日本人の生命・財産の保護だが、実際は中国革命軍の圧殺と満州の侵略である。
三次にわたり出兵。
1927.5 田中義一内閣が北伐軍の山東半島接近に対し、山東半島に軍を派遣。3 次にわたる
出兵。第 2 次山東出兵の際には、中国側との武力衝突➡
も発生。
⒞➡
1927
内閣は東京において中国に関係する軍人・外交官を集め
を開催し、対支政策
した。
綱領➡
らの謀略により、中国軍閥の巨
➋➡1928 関東軍参謀
頭
が、奉天
奉天郊外で爆殺された✖
事件が起
奉天
事件
こる(当時真相が隠されたので)。田中は天皇から叱責受け辞任。
1
Pain is inevitable Suffering is optional
図解 山東出兵までの
東出兵までの流
までの流れ
1924
【
孫文
(
1926
蔣介石
1927
軟弱外交批判
軍部急進派
立憲政友会
国家主義団体
実業家(利権)
】 内閣
外相)
国共合作
北伐
1927➡金融恐慌
金融恐慌
南京国民政府の
南京国民政府の
北伐再開
枢密院
救済の
【
】
【
否決
】銀行➡
銀行➡休業
】商店の
商店の多額の
多額の不良債権
【
内閣(
)
♞
外相➡
蔵相➡ 井上準之助
★重要ポイント
重要ポイント 井上財政
➊井上の現状認識
金輸出禁止下の日本は、日本銀行の特別融資などによりインフレ傾向が常態化し、経済界
の体質改善も進んでいない。このため不況下にもかかわらず物価高や賃金高に悩み、工業の
国際競争力も回復せず、加えて貿易の輸入超過や円為替相場の動揺と下落に苦しんでいる。
➋井上
井上の
井上の構想:抜本的な経済改革だ!
構想
・
…金本位制に復帰し通貨価値の回復と為替相場の安定を図ること。
・
…そのために、一時的な不況を覚悟して緊縮財政(デフレ政策)を実行し、
物価引き下げ、産業合理化の促進を通じて国際競争力を強化する。
➌
の実施
1930 年 1 月、金解禁が旧平価で実施。旧平価解禁とは、1897 年の金本位制採用時の基準
(旧平価、100 円=金 75g≒49.85 ドル)
爆殺
【
】
【
】事件
総辞職
【
内閣
1928蒋介石の
傘下に入る
【
♘
】
(支払猶予令)
)
(
1927~28【【
】
】
➡欧米諸国とは
欧米諸国とは協調
とは協調
1928➡【
】条約
内閣(
)1927 憲政会と政友本党が合同
蔵相: 井上準之助 を起用、金解禁・緊縮財政政策を推進
外交は 幣原喜重郎 による協調外交を展開
➊
条約
たけし
日本側全権➡
海相➡財部
財部 彪
の保有率を定めるロンドン
ロンドン海軍軍縮条約
➡
ロンドン海軍軍縮条約 調印
このとき、海軍艦隊派 加藤寛治 海軍軍令部長は、政府が海軍の
統帥機関である海軍軍令部の同意なしに条約調印したのは、軍の統帥
権を侵すものであるとして内閣を攻撃する =これを
問
題と称する。補助艦などの兵力量の決定は編制大権に属するものだが
統帥権を拡大解釈し編制大権にも統帥権は及ぶというもの。浜口は編制大権は内閣に属する
として条約を批准した。だから狙撃
狙撃されたのだ。
狙撃
☈受験の
受験の極意 ロンドン海軍軍縮条約
ロンドン海軍軍縮条約
補助艦=保有量を制限➡英米
・日本
(対米 7 割を下回る)
主力艦=ワシントン条約による建造休止期限を 1936 年末に延長
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