平成 27 年 1 月 1 日 新年明けましておめでとう まつもと いっせい 先月、とは言っても、昨年12月のこの主張で、奈良薬師寺の松久保長老に 触れたが,その長老が、「縄文人の謎の扉を開く」(冨山房インターナショナル 刊)の監修を行っていることを知って、とても驚いた。 師が、長野県茅野市蓼科にある聖光寺の住職を務めていた時に出会ったのが、 縄文の「美」であり「異形」達であったようで、釈迦の生きた時代より遥かに 古い、人の表現というのか、あるいは形象というのか、その原初の息吹のよう な、土に象られたものに、共鳴したかのような、思想以前の感性を、忠実に取 り上げてみせる、お産婆さんのような、坊さんとは真反対の姿を見つけること ができて、とても嬉しかった。 奈良と言えば、 「鐘がなるなり 法隆寺」は有名過ぎるほど有名ではあるのだ が、その「柿」について、発見した。 奈良駅の近くに宿をとり、朝早くにその近辺を散策していたとき、小さな朝 市に出くわして、その色があまりにも魅惑的であったので、後先も考えずに、 一袋200円の「柿」を買った。売り手の爺さんには、怪訝な顔をされたよう な気がしたが、それはあとで、柿をかじったときに納得させられた。 その魅惑的な色からは、全くその想像が出来ないほどの「渋さ」であった。 小さい頃は、柿畑と言っていいくらい、沢山の柿の木があったところで育っ 1 ていたから、いささか柿の見立てには自信があったのだが、美事に、かじった 途端に、「ゴーン」と、後頭部を鐘撞き棒で衝かれた感じがしたのだった。 おそらく、五升(後生)柿と言って、その大きさを思い浮かべられる人は少 ないだろう。身知らず柿がどれほど大きいからとて、その五分の一にも満たな いほどの大きさだから、たかが知れてはいるけれど、しかし現在はそんな大き な柿を見ることはできないから、なかなか信じてもらうことさえ難しい。 荷物になることは覚悟の上で、かじった柿も含めて、全部を鞄に詰めて、会 津に帰って来た。 焼酎で醂(さわ)して食べた時に、初めて、正岡子規のあの句「柿食えば」 の「柿」が腑に落ちた。 「形」であった。色でも、食感でもない、極めて単純に、ただその形が、 『鐘』 であったのである。鉄砲柿も、それに近い形をしているとも言えるけれど、食 感を拒否するほどの、渋さを持ち合わせていることは稀だ。 「ゴーン」は、食える音では決してない。 子規の句は、まるで甘い柿の実で腹を満たして、その余韻のなかで、 「ゴーン」 を聴いているかのようなたたずまいを感じさせて、いかにも秀逸な句ではある ようなのだが、実体験からすれば、柿にではなく直接に鐘に歯をたててみたよ うな、小林秀雄張りの「美学」が、寒さで顔も出せずに、布団をかぶって寝て いるような句にもみえてくる。 しかし、復興には「鐘」の音が欠かせない。どんなに渋い復興であろうとも、 立派に音は鳴らし続けなくてはならないというのが、この年にかける誓いであ る。 2
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