48号 - 宗教者9条の会・大分

●発行:宗教者9条の会・大分 ●〒 879-5102 由布市湯布院町川上 3561 見成寺 TEL 0977-84-2257 FAX 0977-84-5203
二度と戦争をすることのないために
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私たちは 過去の歴史で
それを学んできたはずだ
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佐々木 淳二 平和の尊さを誰よりも
思っている征子先生が導く
子供達の歌声に、聞く者た
ちの心は激しく揺さぶられ
るに違いありません。
入場料は500円。私に
宛てか、「宗教者9条の会・
大分」の、日野詢城さんに、
お名前の由来を知りまし
た。実は先生のお父様が出
征された時に、お母様のお
回、初めて「征子」という
ように、これが廃案になる
するだろうとのニュースが
流れています。成立しない
現在、この原稿を書いて
いる時点では、今週末にで
ご連絡を頂ければチケット
をお渡しできます。
腹の中に自分がいた、そこ
ようにと願い、祈ります。
も安全保障関連法案が成立
で征子という名前を付けら
いしてみたところ、快く引
き受けてくださいました。
合唱団を指導されている
のは浜野征子先生です。今
れたとのことでした。でも
お父様は戦死をされまし
た。
大分メノナイト・キリスト教会 牧師
「憲法9条にノーベル平和賞を」おおいた実行委員会 立ち上げレポート
悪夢のような現実を生む
今 年 一 月、 ま だ 寒 い 時 で し 道は拓かれ、このたび「『憲法 説いて回る、伊藤真弁護士
た。
「 宗 教 者 9 条 の 会・ 大 分 」 9 条 に ノ ー ベ ル 平 和 賞 を 』 お です。伊藤先生は9月8日
で の 寄 り 合 い で、 勝 福 寺 の ご お い た 実 行 委 員 会 」 が 立 ち 上 の参議院、平和安全法制特
住 職、 藤 谷 知 道 さ ん は「 家 内 がりました。
別委員会で参考人として意
が『 憲 法 9 条 に ノ ー ベ ル 平 和
岡 村 正 淳 弁 護 士 が 実 行 委 員 見陳述をされました。そし
賞 を 』 の 署 名 を 友 人・ 知 人 た 長 の 責 任 を 担 っ て く だ さ り、 て、もうお一人の講師が「憲
ち か ら、 た く さ ん 集 め た。 も 臼 杵 の 奥 田 富 美 子 さ ん と 私 が 法 9 条 に ノ ー ベ ル 平 和 賞
し『 憲 法 9 条 に ノ ー ベ ル 平 和 事務局を担当します。
を」代表の石垣義昭さんで
賞 を 』 の 発 案 者 で あ る 鷹 巣 直 実 行 委 員 会 で は、 講 演 会 を す。素晴らしい講師をお招
美 さ ん や、 代 表 の 石 垣 義 昭 さ 企 画 し ま し た。 日 時 は 月 6 きすることができたと感謝
ん が、 大 分 へ 来 て く だ さ る な 日( 日 ) 午 後 2 時 か ら 4 時
し
て
います。
ら、 署 名 に 協 力 を し て く れ た 分 ま で。 場 所 は ホ ル ト ホ ー ル
また、お話ばかりではな
方 々 は 喜 ぶ だ ろ う 」 と 言 わ れ 大分、大ホールです。
く音楽もあった方がよいと
たのです。
講 師 は、 憲 法 の 伝 道 師 を 自 のことで、津久見樫の実少
認 さ れ、 憲 法 の 素 晴 ら し さ を 年少女合唱団に出演をお願
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日本国憲法 第 条
に ほん こく みん
せい ぎ
ちつ じょ
き ちょう
日 本 国 民 は、 正 義 と 秩 序 を 基 調 と す る
こく さい へい わ
せい じつ
き きゅう
こっ けん
はつ どう
国 際 平 和 を 誠 実 に 希 求 し、 国 権 の 発 動
せんそう
ぶ りょく
い かくまた
ぶ りょく
たる戦争と、武力による威嚇又は武 力
こう し
こく さい ふん そう
かい けつ
しゅ だん
の 行 使 は、 国 際 紛 争 を 解 決 す る 手 段 と
えいきゅう
ほう き
しては、永久にこれを放棄する。
ぜん こう
もく てき
たっ
りく かい くう ぐん
前 項 の 目 的 を 達 す る た め、 陸 海 空 軍 そ
た
せん りょく
ほ じ
くに
の 他 の 戦 力 は、 こ れ を 保 持 し な い。 国
こうせんけん
みと
の交戦権は、これを認めない。
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このひと言から不思議にも
独裁者による平和は
2015 年 9 月 20 日 48 号
宗教者 9 条の会・大分 にゅーす
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しかし、もし仮にこれが
成立したなら、
すぐにでも、
この法案が違憲であるとの
訴えが全国から起こり、や
がて違憲であるとの判断が
なされることでしょう。憲
法9条のあるかぎり、この
国 は ど ん な 形 で あ っ て も、
戦争に加担することはでき
ません。
けれども、残念なことに
憲法9条を変えようという
動きがあることも事実で
す。だから、私たちは憲法
9 条 を 守 る た め の 戦 い を、
怠ることなく続けて行かな
ければなりません。
可 愛 い 子 供 達 や 孫 達 を、
一人として軍人にしてはな
りません。戦場へ送り出す
2015 年 9 月 20 日 48 号
務めである、と信じていま
す。
ことは、宗教者には当然の
平和を守れ、いのちを守
れ、の声をあげ続けて行く
ん。
戦火で滅ぼすような、どん
なこともしてはなりませ
ようなことをしてはならな
いのです。日本を、他国を
宗教者 9 条の会・大分 にゅーす
年 父から子へ非戦の願いを 日野 詢城
をとらえるため大型の大砲 戦争の傷あとを
の角度や方位を計算する砲
背負いつつ
兵だったらしい。それ以外
戦争のことは殆ど何も語ら その時既に本堂の屋根は
雨漏りで廊下の床は抜け落
なかった父でした。
ちていました。先に手がけ
敗戦後、帰坊して何より
のショックは「仏具が兵器 ねばならなかったのは、本
にされたこと」
( 仏 具 の 供 堂屋根の修復であったはず
出 ) で あ っ た の で あ ろ う。 なのですが、梵鐘を取り戻
『国豊民安・兵戈無用』
(武 すことを急務とした父の気
器や兵隊を用いることが無 持ちを今は理解できます。
ければ、民安らかに国は豊 1952年、本堂の改修が
かになる)と梵鐘に刻まれ 手がけられましたが、まだ
て い ま す。 昭 和 年 秋 8 戦後の動乱期、寄付は思う
月、願主 第 世釋速成と ように集まらず、経費は極
あり、総代世話人 名。寄 限まで倹約しました。山火
付者165名が刻印されて 事で焼けた檜山を買って垂
いる。釘1本が手に入りに 木 な ど の 材 を 取 り ま し た。
くい時のことでありますか 周りは焦げ墨のようになっ
らそれ自体が無謀なことで たものもあり、製材の作業
あったのだと思います。そ は 苦 労 し た と 聞 い て い ま
れでも〝鐘を取り戻す〟と す。大きな材料は1本1本
い う の は、「 戦 争 は も う こ 持ち主と交渉して寄付して
りごりだ」という意思表示 いただくなり、安く買い取
と、犠牲者の追悼、祈りの り、手持ちの山の木は総て
鐘 で あ っ た の だ と 思 い ま 切り出され、移動製材(簡
単な丸鋸を低速の発動機を
す。
回して製材するもの)で必
要な寸法にわかれていきま
した。材料が揃って製材を
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戦後
いいます。1キロほど離れ
た山で木を切り倒し、1本
1本家の近くまで肩に担い
で 引 き 出 し た と い い ま す。
人を雇えるほどの余裕はな
か っ た の で あ り ま し ょ う。
壁の土は裏山で掘り、稲わ
らを切込み、土を踏む。こ
の作業は気が遠くなるほど
の時間を掛けます。壁の芯
に使う竹は裏山で切り、そ
れを割って荒縄でえつりを
組む。細い縄を作る作業は
夜なべ仕事となる。それら
の〝 て ご う 〟( 手 伝 い ) を
総てやったと言います。町
育ちの母は何一つやったこ
とのない仕事であり、父に
叱られながらの作業であっ
たと思います。ようやくそ
の新屋が建ち上がって、姉
が生まれ、直後に祖父は亡
くなりました。その頃には
戦況は日増しに厳しくな
り、1943年、2度目の
招集を余儀なくされまし
た。敗戦までの主たる任務
は、国内の演習場で、標的
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随 分 昔 の 話 に な る が、
結婚して間もない亡父
) は、 日 中 戦
( 1914-2000
争の始まった1937(昭
和 )年に招集され、軍役
につきました。所謂赤紙が
来たのです。当時住職の祖
父は脳梗塞で倒れ、付きっ
きりの介護が必要な情況で
あり、寺の法務を務める人
もいない中での出征、出征
の報告法要だと思われる時
の「 表 白 」
(趣意書)を見
た こ と が あ る。 留 守 の 間、
寺を護って欲しいという門
信徒への懇願と、何故この
時にという無念さを感じさ
せるものであったが、直接
に戦争を批判をする文言は
見あたらなかった。3年の
つとめを終え、帰省後すぐ
に祖父の療養のための〝は
なれ〟を建てました。グチ
らしいことは殆ど言わな
かった母ですが、その時の
辛さを幾度か口にしたこと
があります。私の姉を身ご
もっていた時の事だったと
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するわけではないので長い
間、前の田んぼに機材は据
え置かれたままになってい
ました。ついに中途で資金
が無くなり、1年余りの空
白期間がありました。僅か
な田畑を残して総ての私財
を処分、不足分を住職の責
任として銀行から借り入
れ、工事は再開されました。
着工から完成まで5年の時
を重ねています。後に知っ
たことでありますが、銀行
からの借入金の支払いは
年間続いたといいます。私
が大学を卒業する頃まで借
金払いをしていたことにな
ります。屋根の修復と平行
して仏具の買い戻しを一つ
一 つ 行 っ て い ま し た。
「仏
具が兵器にされた」という
怨念みたいなものがそうさ
せたのだと思う。小学生の
頃 円単位のお金を出さね
ばならないことが年に幾度
かありました。私の上に姉、
下に妹がいましたが「あん
たは男の子だからチョット
待って」ということが幾度
もありました。先生には
「わ
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すれた」とだけ言って催促 見書を出しました。ある意
味では総長一人の判断でし
を逃れていました。
たので、多くの問題を抱え
亡父、 世住職としての
最期の仕事は、納骨堂の建 ることになったのだと思い
設でありました。納骨堂の ます。その後、議会や官報
ご本尊の脇に「戦没士法名」 でその問題の深刻さを論じ
名 が 記 さ れ た 軸 が 掛 け あうことになり、ひろく議
られています。日清戦争以 論の喚起を促しました。全
降、ご門徒内で亡くなった 国 教区、教団の下部組織
全 て の 戦 没 者 の 名 で あ る。 の教区に、その問題を取り
資金の半分を寺が持つこと 組む受け皿を作るようにと
になった納骨堂は戦死者へ いう指示があり、私は「社
の追悼の意味が込められて 会 教 化 委 員 」 と な り、「 靖
いたのだと思う。ご門徒か 国 同
・ 和問題」を担当する
らの収入だけでは生活でき ことになりました。その時、
ない規模の寺、戦争体験を ある老僧(傍聴活動をして
語ることは殆どなかった父 いた元軍人)から「布教活
は、生涯負の歴史としての 動が出来なくなるぞ!」と
戦争を背負いながら〝布教 忠告されたが、その時は殆
ど理解できない意味不明の
師〟を務めた。
言葉でありました。
学 生 時 代 は ノ ン ポ リ で、
靖国問題で始めて知った
戦争の歴史 アルバイトばかりをやって
いる半ば遊び人の私であり
ましたが、靖国問題に関わ
るようになり、始めて法案
の意味を学び、戦争の実態
について学ぶことになりま
した。やがてやや主体的に
宗教者としての戦争責任の
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「靖国神社
1 9 6 9 年、
国家護持法案」が提出され、
真宗大谷派の宗務総長は
すぐにその法案への疑義を
となえ、東西本願寺として
「法案の廃案」を訴える意
問 題 を 考 え る よ う に な り、
現実社会を生きる僧として
語るべきものは何なのかを
考え始めたように思いま
す。教区の事業として、時
代社会の問題に関わる様々
な講師(水俣や、指紋押捺
問題など多岐にわたった)
を 招 聘 し、 研 修 会 を 開 き 議
論 も し ま し た。 や が て 戦 争
責任の問題をより深く学ぶ
ために、現地学習をするこ
と に な り ま し た。 忘 れ ら れ
な い の は「 非 戦 の 旅 」 と し
ての韓国訪問である。
1988年始めてパス
ポ ー ト を 取 り、 予 備 調 査 で
韓 国 に 渡 り ま し た。 慎 重 に
扱わなければならない問題
だけに、問題を共有するた
め通訳は両国から1名ずつ
を 依 頼 し ま し た。 韓 国 に 注
目したのは「戦後韓国では、
軍の施設などは学校や病院
な ど に 転 用 さ れ た が、 日 本
寺院はほとんど破壊され尽
くされた」という報告を
知 っ た か ら だ。 韓 国 に は 大
谷 派 の 開 教 寺 院、 ヶ 寺 あ
まりがありましたが、殆ど
の 寺 院 が 破 壊 さ れ、 そ の 跡
地も確認できないとの情報
で、 取 り 急 ぎ 現 地 の 調 査 と
な っ た わ け で す。 確 認 で き
たのはソウルの京城別院の
礎 石 と、 木 浦 の 木 浦 別 院 の
2ヶ寺でした。
1910年韓国の併合以
来、朝鮮の文化は総て〝野
蛮だ〟と否定され、言葉ま
でを奪われた中で、宗教へ
の介入は最大の屈辱であっ
た の だ と 思 う。 没 収 さ れ
た土地に日本神社が建てら
れ、そこに参拝させられる
ことと、日本寺院の〝開教〟
と い う 名 の〝 国 家 神 道 化 〟
に許し難いものを感じてい
た故の寺院の破壊であった
と思う。その後、 年「ハ
ルモニの絵画展」全国巡回
~ 98/7
)、 沖 縄
展( 97/5
から北海道まで全国 会場
で、日本軍の性奴隷とされ
た「元慰安婦」の人たちが
描いた絵画の展示会を行っ
た。 代 表 は 私 で あ っ た が、
慰安婦問題を取材し続けた
NHKのデレクターや、ノ
ンフィクションの作家で長
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2015 年 9 月 20 日 48 号
宗教者 9 条の会・大分 にゅーす
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い 間 そ の 問 題 に 関 わ り 続 の本・執筆と監修)などの
け て い た 女 性 た ち の 力 で 出 版 物 も 手 が け ま し た が、
実 現 さ れ た も の で す。 そ ご門徒の前で、時代社会の
の 報 告 は 年『 ハ ル モ ニ 問題を宗教(信教)の課題
の絵画展』
(梨の木舎)と と し て 語 ら れ る 事 を 住 職
し て 出 版。 検 索 す れ ば 今 が 躊 躇 す る の で あ ろ う か、
でも手に入れることが出 普通寺院での布教を依頼
来るのかと思う。
されることは殆ど無かっ
靖 国 問 題 は 看 過 で き な た。 決 し て 過 激 な 話 を す
い も の と し て 歩 み 始 め た る わ け で は な い の で す が、
私 の 人 生。 布 教 が 生 命 で 旧 来 の 聞 法 の 姿 か ら 言 え
あ る 宗 教 者。 1 9 6 9 年 ば、 や は り 特 異 な も の と
の 靖 国 神 社 国 家 護 持 法 案 と ら え ら れ た の だ と 思 う。
の 提 出、 そ の 延 長 線 上 に 何 で も し ゃ べ れ る よ う に
ある首相の〝公式参拝〟は、 な っ た の は、 お 預 か り し
私にとって引き返すこと ている自坊だけだったと
の出来ない岐路となり、厳 言 っ て も 良 い の か も し れ
し く 貧 し く も あ る 私 の 人 ない。長い間私の法話を聞
生 の 始 ま り で も あ っ た と い て 下 さ っ た 方 の 中 に は、
思うが後悔はない。
元自衛官や遺族会の人た
ち も 多 く い る。 し か し 住
職在任 年間に1度もお
戦争への 道 を
許してはならない 寺 に 足 を 踏 み 入 れ な か っ
た御門徒もいる。
第 2 次 安 倍 政 権 で、〝 悲
願〟として強行した安倍晋
三首相の野心的な靖国参
拝 や、 今 国 会 で 強 行 採 決
された「安保関連法案」は、
違 憲 で あ る と 共 に、 過 去
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このように歩んできた
私は、東本願寺・同朋会館
の補導や教導を長く務め
て き ま し た。
『真宗しきた
り全書』2巻(四季社・東
西本願寺の一般寺院向け
年、多くの人々が築き上
げてきた国際間の友好関係
などを踏みにじる行為であ
ると思う。再び戦争への道
を許してはならない。そし
て ま た、「 兵 戈 無 用 」 の 願
いを踏みにじる行為は、許
し難い行為であると強く訴
えたい。
今多くの人が声を挙げて
いる。宗教者として、そし
て一人の市民としてこの暴
挙を食い止めねばと思う昨
今である。
12 月 6 日 ( 日 )
午後 2 時~ 4 時半
リバーサイド宇佐ホテル
in 大分
10 月 26 日 14 時 開会
入場料:500 円
090-5743-3745
会場:ホルトホール
問い合わせ/林 正道
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ガチ取ろうえ !
憲法 9 条に
ノーベル平和賞
日本宗教者平和会議
2015 年 9 月 20 日 48 号
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も改善できないのだとすれ
は「 安 保 関 連 法 案 」 を 一 括
と 声 を 挙 げ る 中、 衆 議 院 で
も 幾 度 も「 戦 争 法 案 反 対 」
数 十 万 規 模 の 市 民 が、 幾 度
違 反 〟 だ と 政 府 に 抗 議 し、
や、 日 本 弁 護 士 会 が〝 憲 法
法学者を中心とする有識者
いのちだ」と言ったとされ
前等のいのちは一銭五厘の
に 恐 ろ し い こ と に な る。「 お
法下における帝国主義以上
る と す れ ば、 大 日 本 帝 国 憲
その場限りの法制が敷かれ
※ た っ た 一 人 の 権 力 者 に
よ っ て 法 が ね じ 曲 げ ら れ、
ていることになる。
ば、 ナ チ ズ ム は 既 に 起 動 し
強 行 採 決。 参 議 院 で も 同 じ
る時代をもう一度迎えるの
法の精神をまったく無視す
主 義 を 根 幹 か ら 否 定 し、 憲
うことが身にしみる。 (詢)
〝 五 濁 の 世、 無 仏 の 時 〟 と い
し た と 言 え る の か と 思 う と、
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宗教者9条の会・大分 事務局 〒 879-5102 由布市湯布院町川上 3561 見成寺
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※ 1 万 人
を超える憲
日ルール (衆議院で可決さ
よ う な こ と が 起 き る の か、
か、 今 そ の 選 択 が 国 民 に 迫
られている。
日以内
に 議 決 さ れ な か っ た 場 合、 衆
※ 議 会 制 民 主 主 義 は、 あ
る 意 味 で は 人 間 の〝 良 心 〟
に も と ず い て、 与 え ら れ た
議院で再可決されれば法案が
が、 背 景 に あ る と い う こ と
成立)で成立させるのか。い
い悪法だ。
だ。 そ れ を 無 視 す る と い う
を 根 拠 に し て い る と 思 え る。
※ 安 倍 晋 三 総 理 が 何 度 も
口 に し た「 国 民 に 負 託 さ れ
こ と は 人 間 に 悖 る 存 在、 サ
宣誓の儀式がそれを意味す
た 政 府 だ か ら、 そ れ に 不 満
タ ー ン と い う こ と に な ろ う。
ずれにしても議会に法案が
があるのであれば次の選挙
無宗教の時代という最悪の
提 出 さ れ た と き に は、 既 に
でもの申せばいい」という
パターンが安倍内閣に露呈
る 暴 挙 を、 自 民 党 内 部 か ら
職務を遂行するということ
慢 で、 不 勉 強 で あ る。 民 主
〝民主主義〟はあまりにも傲
る の で あ ろ う。 宗 教 的 良 心
60
結論が出ていたと言って良
れたものが参議院で
60