寄り添うことを 目指して 第 68 号

第 68 号
特定非営利活動法人
発行人:W.キッペス
発行所:臨床パストラル教育研究センター
〒158-0095 東京都世田谷区瀬田 1-28-2
TEL 03-3700-3425/FAX 03-3700-3427
e-mail:[email protected]
http://pastoralcare.jp
2015. 7.20
寄り添うことを 目指して
理事長
信頼すること/されること
ウァルデマール・キッペス
の体験を意識化していく過程は人生その
ものと言えよう。周囲からの影響や学びに
よって自分自身を少しずつ認識していく。
このとき、日常生活のなかで「体験によっ
て得た知識や学び」と「自分が信じている
こと」の区別は必要である。私事だが、心
臓に異常を感じたとき、医師の診察を受け
状態を説明してもらう。しかし、説明に納
得できる知識や把握できる能力には限度
があり、また医療従事者から身体の変調に
対する原因(知識)のみを得ることには私
はあまり関心をもっていない。物事への関
心の持ち方は人それぞれ多様である。わた
しは心臓の機能よりも人生について、生き
る意味や意義について深い関心をもって
いる。つまり身体より心について関心とエ
ネルギーを使っている。
健全な生き方において「信頼すること」
と「信頼されること」は不可欠である。し
かしながら現代社会はこのような「信頼」
を育ててくれるものではない。空港での手
荷物検査、ボディチェックはもちろん、日
常においても「人は信頼できない」という
前提のもとに盗難防止用のセンサーや監
視カメラなどが常に働いている。インター
ネットによるコンピューターへのウィル
スやハッカーなどによる妨害、国家による
電話の盗聴などが行われている事も暴露
された。このように、現代社会は「人間は
本来信頼できるものではない」という前提
のもとに動いていると言っても過言では
ないだろう。他者に対して健全な援助や支
援をするためには、まず自分自身に対して
ある程度の信頼を持っていなければなら
ない。自分自身を信頼することができなけ
れば他者からの信頼も得難いからである。
自己を受け入れること
自己への信頼と他者を活かすための準
備として、自分自身をありのままに受容す
る努力が必要である。自分の欠点や足らな
い面には意識が向きやすいが、自分の良い
点を発見しそれを育成し続けるのには訓
練が必要である。他者から自分の長所をフ
ィードバックされたときすぐには否定せ
自分を知る
自己への信頼は自分を知る努力から始
まる。人は生後、次第に自己を意識的に認
識できるようになる。成長にともない自己
1
ず、相手の意見をそのままで受け「私のこ
とを誉めてくださって感謝しています。同
時に私は自分を違った目で見ています。」
のように他者の意見と自分の意見を対等
に扱えれば相手との生きた関係を育てや
すい。他者の長所を発見するためにもまず
自分の長所を発見することが大切。
自分は何者なのだろう(自己のアイデン
ティティー)
「 Identity = 自 分 は 何 者 か 」
「identification=同一であることの確認
/証明」
「identify=同定する」これらの単
語のルーツはラテン語の「idem=同一」
である。その意味は「同じ、同様」である
こと。アイデンティフィケーションにはポ
ジティブとネガティブの理由がある。警察
関係者が事故による犠牲者を確認するの
はポジティブである(例えば、今春墜落し
た germanwings の犠牲者の遺体確認する
のには2~3ヶ月がかかった)。学位論文
が本人のオリジナルな論文であるか、他の
論文の盗作でないかの確認が必要となる。
盗作論文の存在は著者を信頼出来ない悲
しい現実である。スポーツにおけるドーピ
ング検査が行われるのは「エリートのスポ
ーツマン」をも信頼できないためである。
学者や専門家の人間関係を形成してい
るものは人脈の結びつきである。その会話
の多くは大抵、専門の仕事に関するもので、
自分自身の問題/体験といった互いの内
面を表す会話ではない。宗教家の間でも
「生と死」
「超自然」については話題にな
るが、それらが自分に与えている具体的な
インパクトはあまり話題にならない。
「○
○教会に任命され、もう数回葬儀があった」
など自分の忙しさは説明するが、自分自身
の死の捉え方については話題にしない。が
んを長年患い 40 歳で旅立った女性の葬儀
を担当したという話を聞いたが、その時も
自分が受けたであろうインパクト(
「死」
「生命を滅ぼすがん」
「不安」など実存的
2
なこと)は話題に上らなかった。私は司祭
である。だが、死に至る病・苦しみ等が自
分の信仰に与えている影響を話題にしな
いか、する勇気がないときがある。司祭同
士の会話のほとんどは専門用語を用い、受
けた教えについての会話であり自分自身
を分かち合うことはない。スピリチュアル
ケア・ワーカー同士においても同様であろ
う。自他との関係は生きるために不可欠な
ものであり、関係において言葉もまた必要
不可欠である。だが会話の内容が表面的で
内面に触れるものでないなら、自他の関係
は浅いか意味の無いものになってしまう。
Critical
批判的な信仰
信仰/信条に関しては単純に信じる盲
目的な段階から、ある程度体験を伴う段階
を経て、さらに深めていく段階へ進みたい。
学校や外部からの情報、宗教家から学んだ
ことや言われたことに盲目的に従いたく
ない。自分の理性に基づいた信念を持つこ
とは日々の課題であり、そこには自由と自
己責任、使命感が伴わねばならない。何ら
かの信仰を持っていると、その信仰のガイ
ドラインにあたる本を読むのは当然であ
ろう。しかし、自分で考えることなくその
書物を盲目的に信じるならば、それは自分
を活かす信仰にはならない。というのは書
かれている言葉はほとんどが過去に書か
れたものであり、その当時の言葉である。
現代、同じ言葉を使っても、その言葉に含
まれている背景や実際のことまでは分か
らないことが多い。例として聖書の言葉を
取り上げる。
あるとき、イエスに従ってきた人が海
(実際は湖)で嵐に遭った。イエスに「助
けてください」と叫ぶと、イエスは「なぜ、
恐れているのか。信仰の薄い者たち」と応
えた。聖書で使われた表現(言葉)は、嵐
=自然の暴風雨ではなく、信仰のために迫
害されている状況を表すものだと言われ
ている。このように額面通りには解釈でき
ない言葉はいくつもある。同時に私は「神
のみことば」について考えている。イエス
が人間であり、言葉を話したのは解りやす
いが、身体(口)のない神はどうだろうか。
「神のみことば」とは単なる言葉による表
現、シグナルではないだろう。わたしは、
神の言葉は“現実そのもの”ではないかと
解釈している。信仰は盲目的な行為ではな
く、critical であるべきだ。でなければ現
代の IS の生き方を認めることになってし
まうし、あるいは儀式や習慣になってしま
う恐れがある。現代の西洋の教会離れはそ
れを物語っている。
ことばの解釈は人それぞれの生き方と
も通じる。自分の信念を生きるには闘いが
要求される。闘いの目的は相手を従属させ
ることではなく、自分とは違っている信念
/意見を持っている人を尊重し共に生き
ようとする決意である。ほんものとは完璧
という意味ではない。自分の意見を勇気を
もって伝えることである。反対されても理
解してもらえなくても自分の信念を持ち
続ける生き方は自身の癒しの元になる。
「はい は はい、いいえ は いいえ」
と言えるように。
む前、まず手を合わせ「この薬が健康をも
たらすきっかけになるように、よろしくお
願いします」と(わたしが信じる創造主に)
願う。飲んだ後「この薬を発明した学者に
感謝します。彼らの使命感、目標に向かっ
て長年研究してくださったことに頭が下
がります。彼らを大切にしてくださいます
ように願います」とも。薬は自然に出来上
がったものではない。人の努力の偉大さを
物語っている。
ちなみに医師は専門知識に基づいて治
療を行うものだと私を含め患者は考えて
おり、もしそれができない場合は患者にそ
のことを伝えて欲しいと考える。一方、医
師に完璧であることを要求するのは妥当
ではない(医療スタッフに対しても同様で
ある)。
「医師は万能である」と思う患者の
考え方に問題があると言えよう。互いに人
間であり、限界のある存在だと考えればよ
い。また医療従事者は親切心から余計な世
話をしないよう心掛け、患者自身ができる
ことは手伝わないように気を付けるとよ
い。ベルリンにあるリカムホスピスの「相
手が失っている機能を再び使えるように
手伝う」という理念のように。
生かす言葉・援助
最後に
クリニックの待合室や診察室には、医師
についていくつかの資格証明書が掲げら
れている。それによって安心を得る患者も
いるだろう。一方で人間の内面性が深めら
れる言葉の掲示があると良いと思う。例え
ば、
「健康はプレゼント」
「感謝は心の現れ」
「人生の主人公は自分自身」など。医師は
病気を治す役割を委ねられているが、その
役割を良心的に果たすことによって癒す
役割も担うことができる。わたしは薬を飲
患者とその家族、友人や医療スタッフに
対して、心と魂のケアを援助する制度が整
っていないのは残念だ。だが、「難しい」
と言うだけで行動に移さなければ何も変
わらないのである。問題とぶつかったとき、
「成功」という概念ではなく、「使命感/
信念」を追求することを目標としたい。こ
うした生き方は魅力的であり、スピリチュ
アルであるからだ。
スピリチュアルケアは自分であること、
本物であること/自分自身であることを可能にする。
3
スピリチュアルケアとしての「祈り」
臨床パストラル教育研究センター 理事
一口に「祈り」と言っても、その内実は
多様です。
「天の父なる神様」から始まる
キリスト教の祈り、参列者には内容が分か
らない読経の伴う供養、神主による祈願な
どの宗教性が強く発揮されるものから、神
仏への挨拶・感謝・賛美・讃歎、亡くなっ
た父母やご先祖様への思慕・感謝・願いと
いった内面的なもの、さらには七夕での願
いごと、津波を起こした海への怒りとして
の「海のバカヤロー」
、乾杯の時の「皆さ
まのご健勝を祈って」
、ニュースキャスタ
ーの「ご冥福をお祈りします」などなど
様々あります。
クリスチャンの皆さんは、三位一体の唯
一神だけを祈りの対象にするのでしょう
が、他の信仰者に目を向けると祈りの対象
は多様だということが分かります。多神教
の神様、仏様、ご先祖様、お天道様、お月
様、お星様・・・。仏教徒だから仏様だけ
に祈るのかというと、そうではありません。
神様にもご先祖様にもお月様にも祈りま
す。
「無宗教」
(無神論ではありません)と
いう人はさらに多様です。そして、誰も他
者の祈りを限定することはできません。
「自分はできない」ことと「相手ができな
い」ことは異なるのが当然です。いつも唯
一神に祈っている方は特にそうですが、固
定観念にとらわれていないか内省してみ
てください。
さて、祈りを大きく二つに分けると、
「声
に出して共有される祈り」と「自分の内面
だけで確認される祈り」があります。以下、
臨床の対人援助の場面に限定して考えて
みましょう。
まずは「声に出して共有される祈り」で
す。もし、ゲストもホストも同じ信仰を持
っている場合は、周囲の迷惑にならない範
囲で特定の宗教的な祈りが可能になりま
4
谷 山 洋 三
す。信仰が異なる、もしくはゲストが「無
宗教」の場合はどうでしょうか。特定の宗
教的な祈りを行うならば、ゲストの了解が
必要です。しかしどのような祈りであって
も、了解なしにはしてはいけないのでしょ
うか?
このような自己規制は、スピリチュアル
ケアを学んだ信仰者が陥りがちなことで
す。よくよく世間に流布している言葉に耳
を傾けてみましょう。次のような日常的な
祈りや、それ類する言葉が使われています。
「早く治るようよう祈っています」「痛み
が少しでも楽になるといいですね」「あな
たのおかげで私がいるの」「また来週会え
るよね」
「痛いの痛いの飛んでけー」
「明日
天気になぁれ」などなど。上述した乾杯や
冥福も、公共の場で日常的に使われていま
す。私たちは言葉狩りをしてしまうことが
ありますが、そうではなく、ゲストとの関
係性や場の設定による限界を考慮しなが
ら、できること、可能なことを考えるべき
なのです。
次に「自分の内面の祈り」です。ゲスト
の苦悩が深く、入り組んでいて、なかなか
光が見えないことがあります。そのような
時、私は仏様に祈ります。皆さんは神様に
祈っていませんか。そのケースが終わった
あとでも、ゲストのために祈りたくなりま
せんか。会話記録には書かれていないかも
しれませんが、そのような祈りも大切にし
たいと思います。
ゲストのためだけではなく、ホストのセ
ルフケアにもなります。重苦しいケースの
直後に別のゲストに会う時、自分をリセッ
トするためにも祈ってください。例えば、
「神様、私はこのゲストAさんのお役に立
てないかもしれません。そして次のゲスト
Bさんが私を待っています。どうか、神様、
Aさんのそばにいて慰めてあげてくださ
い。Aさんの苦しみを一緒に背負ってあげ
てください。この祈りを神様に捧げます。
アーメン」と。内容はゲストAさんのため
ですが、こうすることによってAさんのこ
とを神様にお任せし、委ねて、次のゲスト
Bさんに集中することができます。
祈りの多様性について、皆さんも柔軟に
考えて、実施してみてください。
「祈り」について
臨床パストラル教育研究センター 理事
「祈り」という言葉を同じように使って
いても、使う人の宗教・宗派・生活歴によ
ってその意味するものが違ってくる。当セ
ンターの会員にはキリスト教徒がおおく、
キリスト教の「祈り」が主流であると考え
られるが、日本ではそれ以外の意味の「祈
り」として使っている場合もある。わたし
は、明治維新の頃に創立された教派神道の
一つ大本の信徒であり、その立場から祈り
をどのようにとらえているかについて述
べたい。
加 藤 眞 三
自分が困ったときに神様にお願いをす
るお祈りもあるが、それは神様にこれをし
てくれ、あれをしてくれという、自分の利
益ばかりをお願いする信仰は御利益信仰
とされ、信仰のレベルとして低いものとさ
れている。
神道で最も大切とされる祈りは、日常生
活を送る中で否応なしに生まれてくる罪
やけがれを神に祓い清めていただくため
のものである。「大祓の祝(おおはらえの
ことば)」はその代表的なものであり、年
に2度大祓の際に奏上される祝詞(のりと)
である。大本信徒は夕拝で、出口王仁三郎
により改変された祝詞(
「神言」
)をあげる。
次に、神に感謝をあらわすための祈りであ
る。朝拝であげる「感謝祈願詞」はまず感
謝の言葉を述べ、次に今日一日このように
生活したいと決心を述べ、加護していただ
くことを願う祝詞である。
「祈り」とは、
このように祝詞(のりと)という決められ
た文章を読み上げる行為であり、お払いを
してもらい感謝をし、自分を見守っていた
だくための儀式である。
5
神道では、このように祝詞を読みあげる
ことを中心にした行為が「祈り」であり、
個人的なお願いはすることはあっても、声
を出さずに心の中でお願いすることが普通
である。また、なにか困ったことがあって
具体的なお願いをする時の祈りはご祈願と
よばれ、普段のお祈りとは別である。例え
ば、病気平癒祈願祝詞、入学祈願祝詞、安
産祈願祝詞などがあり、それを読み上げる。
全ての事象は肯定的にとらえ、それは生
成化育していく過程であると、大本の教え
ではといている。したがって、個人が勝手
に自分の考えで、こうしてくれああしてく
れとお願いすることは神様に失礼なことだ
と教えられている。その生成化育の過程に
自分がどう関わっていけるかを考え、決心
し、そして、そこで過ちをおかさないこと
を見守ってもらい、過ちや罪をおかすこと
があれば、それを清めていただくことを願
うのが大本信徒にとっての「祈り」である。
「祈りの対象」
臨床パストラル教育研究センター副理事長
吉 田
彪
12年ほど前にキリスト教の洗礼を受
他人の私と共有できる祈りの対象ではな
けた私は、今、1日に何度も「感謝と願い」
い。しかし、なぜその時、「分かった。じ
の祈りをしている。三位一体の神様に対し
ゃあ俺はここに黙って座っているから、君
て祈っている。
は今静かにお父さん、お母さんに祈ってく
れよ」と言えなかったのか。共有できない
さて、昨年、親しい同級生が亡くなった。
祈りについても、その祈りがどんなもので
彼が天に召されるまでの半年ほどの間、
あったかを後から尋ねることによって、あ
「傍で看取った」と表現して良いほど、
「毎
るいは彼が自発的にそれを話してくれる
日」何らかの方法で彼と会話していた。彼
ことによって、彼のスピリットに近づけた
はその間、常に「肉体的な痛みや苦しみ」
のに!
について訴え続けていたが、「精神的な痛
み」
、
「社会的な痛み」さらには「スピリチ
話しは65年以上も前に遡るが、小学5
ュアルな痛み」については一度も訴えてく
年生の時、結核に発病した。それから4-
れなかった。ある時、ある肉体的な苦しみ
5年の間は、死の恐怖から「神様」に祈り
について何度も何度も「これ何とかならな
続けた。契約も結んだ。「神様が僕を40
いかなあ?どうしたらこれを取り除いて
歳まで生かしてくれるのなら、それまでに
くれるのだろう?」と言うので、「祈るし
結核の特効薬を発見します」と。「僕の神
かないよ」と答えた。彼は「祈る?誰に?」
様」のイメージはあまりはっきりしていな
と言うから、
「神というか、絶対者という
かったが、何となく輪郭が決まっていて、
か、何でも出来る方(全能者)というか」
一つなのです。子供心にも神様は一つ、と
と答えたら、
「分かんないなあ。祈るとす
いうか一人なのです。誰かが「彪の神様に、
れば死んだおふくろか親爺かなあ。」「え
病気が治るように祈ってあげるよ」と言っ
ー!俺は毎朝仏壇に水やお茶を上げて、お
たら、
「そうしてください」と頼むような、
はよう!今日も暑い日だよ、とか挨拶はす
共有できる神様だった。
るけど、祈ることはないなあ」と言って会
そんなわけで、私の級友との会話をもっ
話は終わってしまった。「じゃあ、君のご
と深める時間があったなら、きっと彼のご
両親に一緒に祈ろう」とは言えなかったか
ら。彼もそれは許してくれなかっただろう。
彼は一人でご両親に「祈り」たかったのだ
と思う。これは彼の内面的な祈りであって、
6
両親ではなくて、私と共有できる「彼の神
様」を紹介して貰えたのではなかったのか、
と悔やまれる日々である。
スピリチュアルケアの勉強室 27
「Walking together (共に歩むこと)」
ウァルデマール・キッペス
病んでおられる方々に内面的な援助、心
たら安心して旅立てるのだろうかと
の援助を提供させてもらうことが臨床パ
考えていた時に、逆に自分だったら何
ストラルケアの存在意義である。そのため
て言われたいかと考えてみました。そ
にまず自分の内面性を愛おしむ心をもつ
れで、皆さんにお聞きしようと思いま
ことが大切である。自分がもっていないも
した。」
C さんのこの問いかけに対して次の応
のを他者に与えられないからである。
「Walking together(共に歩むこと)」と
答があった。
いう Face Book のグループのねらいは、
・
「おつかれさま♪よく頑張ったね!」
心のケアを目指している人々の、心を活か
・
「ありがとうございます」
し合う場を提供することである。援助を必
・
「一緒に歩めてよかった」
要とする人に寄り添いたい方、相手にならせ
・
「今までありがとう」
てもらいたい方たちの場である。援助とは相
・
「イエスが手を広げて待っているよ。
『大
丈夫怖くない。あなたは天へ行くんだよ』
手の自立を手伝わせてもらうことである。
こう言われたら希望がもてそうです。」
互いに心をいとおしむことができる場は
友だち同士であってもあたりまえではない。
・「言葉をかけて貰えた時に『あ~生きて
て良かった~』と思いたい。」
友だち同士の中でもタブーがあるからだ。
・「イエスに歓迎され、恩人との感謝する
自分にとって大切なこと、まだ解決できて
再会に恵まれますように」
いないことなどを、ありのままに言える場
・「私は歌が大好きなので、
『グノーのアヴ
があれば内面的な成長が促がされる。余分
なことは何も言わずに、教えるような態度
ェマリア』を歌って頂けたら嬉しいです。」
も取らずに、真剣に聴いてくれる相手は語
それに対して逆に聞きたくないことば、
・「「寂しい」とは言われたくないな」とい
り手の内面性(心)を育ててくれる。
例を挙げて説明しよう。
う応答もあった。
さらに話題は変わりました。医療従事者
A さん:
「患者さんは何て言葉かけされ
として現場で「涙を流す」ことの是非が話
たら安心して旅立てるのだろうか」
題になりました。
B さん:
「考えたことのない問いなので、
D さん:
「旅だたれた日一度泣いたら『こ
考えてみます」
このスタッフは泣いてくれるのよ』
C さん:
「患者さんは何て言葉かけされ
と他の家族に話されていました。医療
7
従事者も一人の人間です。善い関わり
真心がそのなかに感じられたら患者
を持てたと思う患者や家族には涙も
さんも家族も救われます…。」
でます。普通は医療従事者は泣くなと
F さん:「 Gさん貴重なお言葉をありが
教わるかも知れませんが・・・旅だた
とうございます。Gさんからいただい
れた時には嬉しさも淋しさも込み上
たお言葉を胸に刻みいつも意識して
げてしまいました。共に歩む仲間は心
いたいです。膨大な仕事をただこなす
強いです。」
のではなく、忙しくても患者さんの思
E さん:
「確かに看護師になり泣いては
いを理解するように努力していきた
いけないと教わりました。今は泣いて
いです。患者さんのそばにいる時はそ
います。」
の人だけを考えて誠実に向かい合い
F さん:
「わたしも涙が出そうになる瞬
たいです。ありがとうございました。」
間は多々あります。でも、それはわた
D さん:
「Fさん『家族になるな!』こ
しの感情であり相手の感情ではない
の言葉にドキッとしました。『成長を
ので、中心は相手であると自分に言い
促すイベントであること。冷静に見守
聞かせ、ぐっと堪えるようにしていま
れる心を持つこと』医療従事者とは?
す。相手の本当の思いは他者には理解
お題からずれましたが、わたしには心
できないことだと思うので。そう思っ
に響きました。ありがとうございまし
ていても、実のところなかなかうまく
た!」
いきませんが。日々感じていることを
J さん:「AさんBさんがそれを教えてく
誠実に話してくださりありがとうご
ださいました。悩みながらもともに歩
ざいました。『患者さんの成長を促す
む仲間がいることが有り難いです。つ
イベント』については皆さんに言われ
まずいた時や悩んだ時は相談させて
るまで意識していなかったように思
ください。」
います。気付かせていただきありがと
一人のメンバーの「共にいる仲間がいる
うございます。」
のは有り難いです・・・walking together
G さん:
「入院しているということだけ
の仲間に感謝」のことばは、心を開いて共
で、点滴を受けて、検査を受けて、
・・・
に歩もうとする仲間の有益さを語ってく
プロでない人達にはしんどい事なん
れている。
です…。短い言葉でも 涙の一粒でも
8
スピリチュアルケアの的確な援助者の教室
訪問記録の実例
会話記録(H:ホスト、G:ゲスト)
G は70歳代女性。G の家でお茶を飲みながらの会話。
1G:今ね、ちょっと悲しいの。落ち込んでいる
のよ。
1H:どうかしたの?
2G:主人がね、家でご飯を食べてくれなくな
ったの。
2H:ご主人が?・・・どうして?
3G:どうしてって・・・主人はね、割と色々ケチ
をつける人なのだけど、この間ね「御飯が
まずい」って言ったのよ。私もムッとして
「もっと良い材料を買えればおいしい物が
出来るわよ!」って言ったらね、「お前はいつ
もそんな言いかたをする。もう家で飯は食
わん。」って怒ってしまって・・・。( 間 )そ
れから私が作った物を一切食べないの。
3H:そうだったの。つらいわね。
4G:とてもつらい。・・・このまま離婚になるの
じゃないかと思うと不安なの。
4H:離婚に?まさかそこまではいかないでし
ょう。
5G:ううん。 うちの主人はあり得るのよ。そ
んな人なの。でも自分の分だけ作る訳に
いかないから主人の分まで作っておくのだ
けど手をつけないの。
5H:手をつけないで食事はどうされている
の?
6G:朝はある物を食べているけれど・・・パン
とかコーヒーとか・・・昼と夕食は外に出て
食べているの。
6H:外食なのね。
7G:そうなの。だからって私は怒っている訳
ではないのよ。・・・でも、もう2~3ケ月に
なるかな。おやつを作っておくと食べてい
ることもあるけれど、食事には絶対に手を
つけないの。
7H:そうなの。外で食べてくるの
ね。ご主人も頑固ね。・・・それ
にしてもGさんもよくされるわ。食べないの
なら作らなくても良いのに。
8G:そうだけれど・・・、習慣よね。ずーっと主
人のも作っていたでしょう?だから自分の
分だけ作ることが出来ないのよ。
8H:そうね、習慣なのよね。・・・(フト思いだ
して)そういえばご主人はタクシーの運転
手をされていたのよね。
9G:そうなの。
9H:その時は外食だったの?
10G:そう。昼も夜も作ったことがなかったの。
休みの日はいつも一人で出かけていたし、
あまり主人のものは作ってないわね。私が
作るようになったのは定年後からなのよ。
10H:そうだったの。(間)
もしかしたらご
主人は昔の自由さが少し懐かしくなったの
ではないかしら。長い間ご自分の食べたい
ものを食べたい時に食べておられたので
しょう? 定年後は奥様の作った物を食べ
て幸せだけれども、時々食べたい物と出て
きた物が違っていたとか・・・ないかしら?
何が食べたいか聞いてみた?
11G:ううん・・・聞いたことないわね。勝手に
作っていたの。でもそれでよかったのよ。
11H:作ってもらってありがたく思っておられ
たのね。食べたいものがあっても言いにく
いとかあったかも。
12G:そうかしら。
12H:昔のように自由に好きに食べたくなっ
たのかもしれないわ。
13G:そうねー。
13H:取りあえず今は、昔のように自分で食
9
17G:そうね。それでいいのね?私は自分を
責めていたのでとてもつらかったけれど気
が楽になったわ。本当は私も食事に縛ら
れずにすむし、食べるものは何でもいいの
でとても助かっていたの。主人は絵を描い
て好きに過ごしているし、私も色々できる
時間が増えてよかったのよ。
17H:よかったわね。Gさんも少し無理をして
いたのね?年を取ったらこちらもくたびれ
てくるから、全面的に満足してもらうように
はできないわ。外食もOKよ。
18G:そうよね。そのとおりね。こうしなければ
という思い込みがあったけれど、それがなく
なれば楽になるのね。ありがとう。嬉しい。
18H:すこしお金がかかるけれど。
19G:いいのよ、主人は自分の分を使っている
から関係ないのよ。ありがとう。よかったー。
べたいものを食べているのだからいいとし
て、すこし自由にしてさしあげたら?
14G:そうね。私も妻として作らなければと思
っていたので食べてくれないと苦しかった
けれど、主人の自由にね・・・そのまま受け
止めていいのね。(間〉本当は私も少し楽
になっていたのよ。(笑)
14H:一人分だと楽よね。だけど御主人もい
つまでも外食ばかりもできないでしょう?
飽きてくるし、お天気の悪い日もある
し。・・・そうだ車でいくのだったわね?
15G:それが車はもう手放したのよ。
15H:そうなの。ならば尚更ね、年を取れば
足も悪くなるし病気もするし、いずれ G さん
が作るようになるわ。
16G:(笑)そうよね。
16H:その時は又一緒にお食事ができるわ。
▼訪問記録に対する▼
~~Sr.木澤 先生からのコメント~~
1Gから3G迄の会話で、GにとってHは親
しい、信頼のおける関係にあるように見受け
られます。そのため最初から、いま G が直面
している心情を吐露していますし、それに対
してHは簡潔な言葉で応答すると同時に、自
分の考えを入れることなく G の抱えている事
柄を具体的に素直に表現することに導いて
います。
3H:「そうだったの」と抽象的に言うのでは
なく、重要と思われることを具体的に反復す
る事が必要と思います。例えば:「ご主人が
『ご飯がまずい』ってあなたが作ったものを一
切食べなくなったのですね。それはつらいで
すね。」とか。そうすれば G が言った言葉が主
体となりますが、「そうだったの。つらいわね」
だけでしたら、H の考えが優先されてしまい、
「つらいわね」が憶測となってしまいます。H
の想いだけを伝えることによって、その時 G
が実際にはどう感じているかは解らずしまい
になってしまいます。G は、とてもつらいと応
答していますが、H の言葉の影響を受けたた
めなのかは不明です。しかし、G は H の「つら
いわね」の言葉に同情を感じて、解ってもら
えたと思えたので、さらなる不安を伝えること
ができたかもしれません。
4H:これもHの考え、憶測ではないでしょう
か。Gは離婚になるのではないかと不安に感
じているのです。G が今後の人生の中で、夫
とどのような関係を作っていきたいかに直面し
て、それを、探る手助けを必要としているよう
に感じますが、H はそれに寄り添うことができ
なかったのでしょうか。
5H-13H:G は夫との関係改善を自分な
りに考えるよりも、H の憶測に対する答え、自
分の立場の正当化を話す立場になってしま
います。 5H以後の発言は、G に考えて、気
づいてもらうよりも、自分がアドバイスするため
に必要な質問及び憶測の連続のように思え
てなりません。そうだとすると、 HはGにアド
バイスを与えるためにGの言葉を誘導してい
10
るように思えます。
10H―11G:ここでは、お互い同士が知ら
ないことによる行き違いをGに気づかせるきっ
かけになる可能性を逃してしまったかに感じ
ます。
15H-17H:これらのことは皆憶測であり、
誘導ではないでしょうか。実際にそのようにな
る保証は何もないのです。その砂上の楼閣
に G の生き方をゆだねさせることをしないで
ほしいです H は無意識のうちに自分の考えを
押し付け、「あなたは悪くないわ」「主人は放
っておけばいいのよ」「あなたは無理をしてい
たのよ」「あなたは年を取ったからくたびれて
きたから全面的に満足してもらえないわよ」と
いうメッセージを送ってしまい、G が自分は何
もせずに、縛られず、思い込みから解放され、
無理をせず、楽な時が過ごせる生活を期待さ
せ、金銭的にも損はないので、嬉しいと感じ
させ、洗脳してしまっています。
14G―19G: G は H の考えに誘導されて
言いなりになっているように思えます。夫との
関係を、自分の正直な考えや気持ちを相手
に信頼して伝えることから築きあげていけるよ
う、H は G 支える必要を感じます。G が H に
言われたのではなく、G 自身が主人との関係
や会話の中で、自分で結論を見出せるよう寄
り添ってあげて頂きたい。
要するに、H 自身の憶測に頼らず、現実に
即して関係を築こうとすれば、最初の 3G の会
話に戻り、「今、振り返ってこの会話をどう思
いますか」と G に問いかけ、それを深めること
が二人の関係の修復に役立つのではないか
と考えます。H の質問は G 夫妻の事情を解る
ためには役立っていますが、H は自分の目的
(良いアドバイスをする)を達しようとして G に
質問するのでなく、夫婦の関係修復のために
G が自分を知り、相手を知るために、どのよう
に取り組みたいのかを明確にするような質問
をして頂きたいものです。
~~國枝 先生からのコメント~~
1Gから3G まで、G の悲しみ、落ち込みに
H が一緒について行けたことが、後半の展開
に向け大きく影響しています。そして3H で共
感が成立しています。H と G の関係はこの会
話記録だけでは分からないところもあります
が、このはじめの会話で G と H の関係性が作
られていることが感じられます。3H:「そうだっ
たの。つらいわね。」は、言い換えですね。G
の持っている感情を明確にする働きをしてい
ます。
3H から6H の間で H は G の置かれている
状況把握をして H 自身の G に対する理解を
深めています。
7H:「そうなの。外で食べてくるのね。ご主
人も頑固ね。」と同意しつつ、G を「それにし
てもGさんもよくされるわ。食べないのなら作
らなくても良いのに。」とプラスの評価をして
います。これは G に力を与えています。8H:
「そうね、習慣なのよね。」は反復ですね。こ
の反復が(フト思いだして)という記憶を呼び
覚ましています。H がスピリチュアルケアの基
本、反復という考えだけでやっていれば、「そ
ういえばご主人はタクシーの運転手をされて
いたのよね。」という言葉は出てきません。H
が全面的に G に向いていることがここから分
かります。
9H から13G までのやり取りは、G の持って
いる思い込みである壁を突き崩す働きをして
います。私達はみな固有の壁を持っていたり、
色眼鏡を掛けて周りを見ています。その壁や
色眼鏡に気づいて、それを外してみることに
よって新しい風景が見えてきます。その過程
が10G から13G に示されています。 そして
14G:「本当は私も少し楽になっていたのよ。
11
(笑)」という新たな見方による風景に到達し
ています。
この時点では、G の用意する食事をご主人
が食べないという G を取り巻く状況は何も変
化していません。しかし H の援助によって、そ
の事態(風景)を見る G の思い込みの壁、色
眼鏡が変わった為、事態の見方が変わった
のです。
G は、はじめ離婚されるかもしれないと、自
分の存在の危機感を表明していました。それ
はスピリチュアルな危機的状態です。この事
態を十分に受け止めつつ H はいわば心理学
的手法を使いながら、G の固着化した視点の
とらわれからの解放を目指しました。
「悔い改め」という用語は宗教用語で日常
的な言葉ではありません。新約聖書の原典は
ギリシャ語で書かれています。日本語の聖書
に翻訳されているこの「悔い改め」という言葉
は、もともとは「視点を変える」という日常用語
でした。その言葉が「悔い改め」とか「回心」と
翻訳されることによって何か特別な言葉、キリ
スト教徒でなくては通じない隠語のようになっ
てしまいました。
13H:「取りあえず今は、昔のように自分で
食べたいものを食べているのだからいいとし
て、すこし自由にしてさしあげたら?」という勧
めは、G の固着化している視点を他に移す役
目を果たしています。宗教的に言えば「悔い
改め、回心」を迫っているのです。
それを受け、14G では「そうね。私も妻とし
て作らなければと思っていたので食べてくれ
ないと苦しかったけれど、主人の自由に
ね・・・そのまま受け止めていいのね。」と視
点を変えています。今迄やって来たことを「悔
い改め」て、いるのと同じです。それによって
G は解放されたのです。その証拠に「本当は
私も少し楽になっていたのよ。(笑)」と自分の
中に起こっている真実に目覚め、笑いが出て
います。
17G になると G の存在を揺るがすような苦
しみは失せ、「そうね。それでいいのね?」と
今与えられている恵みに気づきます。
H の関わりは、スピリチュアルケアそのもの
です。H のスピリチュアルな生活経験と真理
を教えてくれる信仰が背後にあることを伺わ
せます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2015年5月期 -資格認定
◎ 臨床パストラル・カウンセラー 認定
★
新規-
(敬称略)
西川 佳代
◎ 臨床パストラル・ケアワーカー 認定
飯田 敦子
(敬称略)
進藤 伸一
2015年5月期 -資格認定 更新-
◎ 臨床パストラル・カウンセラー 認定
堤 澄子
山内 文子
(敬称略)
マドフォ 恵
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
12
研 修 会 感 想
仙台
クライスビル
2015年4月25日 ~ 27日
科目Ⅱ:価値観の明確化
*********************
「私は大切です」という言葉を研修の中
で授かった時、一瞬喜びと共に、体の中の
価値観とは?と言う疑問の中から研修
力が抜けたようでした。研修前の提出物の
会が始まりました。予習では 8 つの価値観
中に、
「あんたが人生で何物にも増して欲
について張り切って書いたものの、グルー
しいと思っていることは何か?」と言う問
プワークをする中に、自分で価値観だと思
いがあり、私は迷わず「何事があっても揺
っていたことが手段だったり、他の方から
るぎない心」と書きました。東日本大震災
は違ったものとみられたりして、考えたり、
を体験し、屋根に積もった雪を食べて一人
悩んだり、認めようとしない自分に不快に
で命を繋いだ 3 日間。生かされた者の使命
なったり、落ち込んだりして本当の自分が
として仮設の仲間たちと共に支え合い寄
分からなくなり、納得しようとしない自分
り添った日々。傾聴ボランティアとして奉
がいました。人の関心が違っているからこ
仕活動をさせて頂く中で揺るぎない心を
そその中での信頼だとか、自分の気付けな
持ちたい、持ち続けたいと願うようになり
かったことを発見できたり、学べるのだと
ました。価値観を自身が選んだ 8 枚のカー
分かってきて、それらをどう生かすかは自
ドを使って明確化へと学んで行くうちに、
分自身以外にはないのだと気づかされま
私自身が願っていた「揺るぎない心」への
した。まだ、自分の事ばかりで、他人の価
道筋が初めて見えてきました。この研修で
値観を生かせるようになるには自分との
は、
「価値観は人生の中で変化して行くもの
闘いの日々なりそうです。
で、変わらなければ死んでしまいます」と
今の自分に出来ることは、何か考えたり
教えられ、深いところで気づかされ、元気
学んだりしたことを、自分の日常の中で実
を貰いました。
「同じチャンスをもう一度与
践し復習してみることだと感じさせてい
えられた時、同じことをすると言えるのな
ただけた研修会でした。最後に、一緒に学
ら、それは価値観に基づいた行動とおもわ
べた仲間もそれぞれの価値観があるもの
れる」とも教えられ、心の中に刻み、日々
の、目指しているところは同じ方向なのか
確認してチャレンジ精神をモットーに、大
なと思いました。そんな仲間と学ぶことが
切に時を過ごしていこうと思いました。
出来てとても心強く、自分の支えになった
(S・S)
ことに、大変感謝しています。 (K・H)
13
北海道
藤学園
キノルド館
2015年 5 月 15 日 ~ 17 日
科目Ⅱ:価値観の明確化
私はどうしたら皆が幸せになることが
粋な想いと清らかな心、熱い志を持つ受講
出来るのか、ずっと模索しています。今の
生の皆さんと一緒に学べたことも、私にと
時点での私としては、自分自身がクリアに
っては大きな後押しになりました。
なること、聡明であることでしかそこに貢
(K・S)
献できないのではないか、と考えていまし
*********************
た。 カウンセラーやセラピストの勉強を
「命とはなんですか?」執拗な講師の先
し、人と向き合うこともさせて貰いました
生の質問がするどく胸に突き刺さる。考え
が、自分が納得いくものにならず、ふと自
て、頓珍漢な答えを出す自分。「命とは生
分が良いと思うものを押し付けているこ
きることです」という講師の言葉が「目に
とを感じ、これではダメだと思い大きな壁
鱗」。普段の生活では想定外のやり取り。
にぶつかりました。
これまでの人生で、命の意味など考えたこ
パストラルケアの話を聞いた時に、私は
ともない。何気なく生活している人にとっ
この壁を破る以上のもの
て、人間として成長する
が得られ、自分の目指し
の に 苦 難 が 伴 う の は当
たい自分になれるのでは
た り 前 と 言 わ れ た ら何
ないかと思いました。今、
と思うだろう。この疑問
受講してみて、そう思っ
か ら こ の 研 修 は 始 まっ
たことが本当にそうだっ
た。「スピリチュアルケ
た、一歩否それ以上に前
アは心のケアです。」こ
進できたことを感じてい
の 一 言 に 魅 せ ら れ たの
ます。漸く本当のスタートラインに立った
がこの研修に参加したきっかけでした。
ことを感じています。今まで学んできたぼ
昨年、母と妹が癌との闘病の末旅立った
んやりとしたものが、価値観の明確化を通
とき、私は日々悶々と過ごしました。妹が
して、そして講師の先生の言葉を通してよ
闘病中にふと漏らした「私はどうなるのだ
りクリアになりました。自分の価値観を知
ろう」と言う言葉に何も答えられなかった
り、その優先順位を知ることで、自分が何
私、無力で弱い私がいました。この研修で
に反応するのか、そして何に偏り、どこに
何とかこの答えを得たいと思っていまし
視点を置いているのかが、分かり易くなり
たところ、研修の最終日にこのことに対す
ました。 結果として、他者とのコミュニ
る答えを頂きました。
「無力で良いのです。
ケーションをより図りやすく、またクリア
共に生きることが大切です。」幸せで、中
な目と耳で話を聴くことが今まで以上に
身の濃い3日間でした。
出来そうな感じがしてきました。また、純
14
(Y・K)
横須賀
聖ヨゼフ病院
2015年 5 月 25 日 ~ 29 日
科目Ⅲ:スピリットとスピリチュアル
今回の研修は2日目からゲスト(患者さ
ん)訪問があり、自分にできるだろうか?
と一抹の不安を覚えつつ参加しました。
初日の授業で「今朝の日の出の時間は何
時だと思いますか?」と講師の先生に質問
され、私は「朝 5:00 くらいかな?」と考
えました。ところがそれ
は自分が中心になって考
えているのであって、地
球の裏側にいる人にとっ
ては夕暮れであるという
事でした。
「自分の立場で
はなく相手の立場になっ
て考える」という一番基本的な事を教えて
頂きました。
3日間でお二人の方を訪問させて頂き
ましたが、突然の訪問にも関わらずこころ
よく受け入れて下さったゲストにまずは
感謝の気持ちでいっぱいです。
訪問中はゲストのスピリチュアルな痛
みや叫びを聞き出した、何かしら結果を出
したいという思いばかりが先行してしま
東京
い、ゲストさんの為の訪問ではなく、自分
の為の訪問になってしまいました。
「自分」
を小さくして「ゲストさん」に集中し、愛
し、尊敬し、ゲストさん自身が自分の中に
ある長所や使命に気付き立ち上がれるよ
うな言葉かけを、How to ではなく、愛に
よって導いていかれたら
と思いました。
又自分の会話の中には、
いつも保守的な、自分を
良く見せようとする余計
な言葉が沢山含まれてい
る事にも気付かせて頂き
ました。普段の会話でも余計な言葉や思い
を入れず簡潔に見ている事だけを言える
ようになりたいです。
訪問はゲストさんの為に、研修は私自身
にとってなくてはならない学びの場、気付
きの場である事が分かりました。講師の先
生、スーパーバイザー、聖ヨゼフ病院の先
生方、看護師の皆様にも感謝しております。
(T.K.
)
聖母病院
2015年 6 月 1 日 ~ 5 日
科目Ⅳ:スピリチュアルな痛みと叫び
今回の研修会の目的は、
「なぜ私自らが
患者さんの所へ赴くのか」という疑問に対
する何らかのヒント
を得るためであった。
出会いとは不思議な
もので、その課題の
ヒントを与えてくだ
さる患者さんのとこ
ろへ訪問することになった。偶然と片付け
るには不思議すぎて準備が整えられてい
ると感じずにはいられない。
訪問させて頂いた患者さんは、ご自分の
こ とをご 自分で出 来
ないばかりか、自己表
現 も思う ままに出 来
な いとい う状態の 中
におられた。何度か表
現 できる ようにア プ
ローチしてみたものの難しいと感じ、手を
握らせて頂き静かな時間を共にすること
15
となった。その中で私は、この方が何故こ
のような状況となっているのか、その意味
は何だろうかと想いを巡らせていた。巡っ
ているうちに私は、私には可能なことがい
くつもあることに気がついた。私は「患者
さんの所へ赴くか、赴かない」という選択
を持っているということが、この方とは決
定的な違いであることが分かった。
「赴く
か、赴かないか」という選択を持っている
ということを考えられること自体がすご
い事のように思えた。今、私は選択できる
のだ。
私がこの度訪問させていただいた方は
男性2名である。私が訪問することで何か
よく分からないがお二人から活き活きと
されるエネルギーを感じ
た。突然の訪問に関わら
ずお二人ともすぐに受け
入れて下さって私の方が
助けられたと本当に感じ
ていた。何度もお礼を言
わずにはいられなかった。
不思議なもので、そう感じていることをお
伝えするとお二人が活き活きとされるの
を感じるのだ。とても不思議だった。何が
そうさせているのだろう。何がこの関係の
中で起こっているのだろう。とても興味が
ある。
今後の課題として気がついたことは“怒
り”に対して冷静でいられない自分を発見
したことだ“怒り”の感情を目の当たりに
すると、それを反射的に回避する自分が自
分の中にいるようだ。これを明確にしてい
くことが次の課題だ。そうでなければ相手
の“怒り”の感情に自己防衛規制で反応し
てしまい相手の“怒り”を聴くことはでき
ないだろう。 そして、一番成長したと感
じたことは、訪問しある程度の関出来上が
るまでの過程において静かに待っていら
れるようになったことだ。それが前半の訪
問記録の沈黙回数によく現れている。二人
の波長が合わさるまで、よけいな事は言わ
ず待っていられる強さが自分の中に出来
たことは非常に嬉しく思っている。
(O.M.
)
*********************
スピリチュアルな痛みがどのようなも
のかが分からなければ、ゲスト(患者)の
痛みに気付くことができない。今回の研修
で、スピリチュアルな痛みには、どのよう
なものがあるのか、そして痛みの元となる
8つの事柄について学ばせて頂きました。
又、スピリチュアルと心理は違うので心理
については臨床心理士さんやカウンセラ
ーが対応できますが、ス
ピリチュアルな痛みには
専門のパストラル・カウ
ンセラーの存在が必要で
ある事も痛感しました。
(実際訪問では殆どの方
がスピリチュアルな痛み
による叫びを発しておられました)
今回は2度目の訪問でしたが2つの重
要な事に気付かせて頂きました。
1つは「ゲストと共に居ること。無力か
ら逃げないこと、何を言えばいいか考えな
いこと。共に黙って苦しむこと」という言
葉にパストラルケアの真髄に触れたよう
な気がしました。
2つ目はゲストとの対話を通してゲスト
の長所、支え、パワーを発見し、それをフ
ィードバックすることでゲストが主人公と
なって人生を生きることができるよう援助
するのがパストラルケアだと分かりました。
これらのことを念頭に置き、引き続き学ん
でいきたいと思っております。
講師の先生、スーパーバイザー、研修生
の皆様ありがとうございました。
16
訪問の際に大切なことは ①「ゲストと
共に居ること、無力から逃げないこと、何
を言えばいいか考えないこと、共に黙って
苦しむこと」 ②ゲストが持っている長所、
支え、パワーなどでゲストが最後まで自分
の人生を主人公として生きることがケア
熊本
の最終的なねらいであると分かりました。
この2つの大切な事をいつも念頭に置き、
さらに学んでいきたいです。ありがとうご
ざいました。
(T.K.
)
イエズスの聖心病院
2015年 7 月 7 日 ~ 11 日
科目Ⅶ:神学的・宗教的人間論
今回の研修科目の受講にあたって、予習
ったことに感謝するとともに申し訳なか
のテキストを一通り読みながら、昨年受講
ったと思った。翌日、おわびとご様子を伺
した「哲学神学講座」の講義内容と関連の
いたいと思い再訪問した。昨日より元気そ
深いものであることと思った。受講の目標
うなご様子で内心ホッとした。2日目は元
を4つ挙げて臨んだが、すべて達成された
気で活躍していた頃の話をされ、運転免許
わけではなかった。しかし、宗教、信仰に
まで見せてくださった。その中の生年月日
ついては、グループメンバーで検討してい
でホストと同期であることを話したら、ゲ
るうちに自分の心の中で固まっていくも
ストは高度成長期にがむしゃらに働いた
のを感じたので、よかったのではないかな
時代のことを多く語られたが、今現在、入
あと思った。
院はしているけれど、毎日
ゲスト訪問の研修は、今回
家族や友人が面会に来てく
で4回目となるが、毎回初
れ、家族も今が一番幸せだ
心に返って訪問するように
と言ってくれるし、ゲスト
している。今回も今までの
自身も今が一番話され、ホ
研修で助言を受けた事項を
ストも同世代の人間として
思い出しながら臨んだ。一
うれしくなり、思わず握手
人のゲストの方に2日続けて訪問する機
して「長生きしましょ」と、言ってしまっ
会を得た。1日目は、施設職員のケアにつ
た。共に喜ぶことができ、これがスピリチ
いて非常に満足し、入院していることで安
ュアルケアかな?と思った。施設のスタッ
心することができ、感謝している気持ちを
フの皆様も外部から研修生を受け入れる
話してくださり、ゲストと共に喜ぶ時間を
ことは大変なことと推察しますが、自然な
持つことができた。話の終わり頃、早朝ア
形でスーッと私たち研修生を受け入れて
クシデントがあり処置をして、今日は安静
下さっている雰囲気に感謝する日々でし
にしていなければいけない状態であった
た。こころからお礼申しあげます。
(K. K.)
ということを知り、そういう状態であった
のに、ホストの私と30分位話してくださ
17
第18回 日本臨床パストラルケア研究会
研究会を終えて
日本臨床パストラルケア研究会 実行委員長
研
三橋 理江子
究会の実行委員長を仰せつかった
の研究会では実際に他宗教の演者が数名
当初から、とにかく投げ出さずに最
講演し、豊かな学びの時となりました。
後までやり通すことを念頭に置きました。
私にとっては、「多様性を生かすこと」
以前の全国大会で実行委員を務められた
の実践こそがスピリチュアルケアには欠
方々の何人かが今回も加わってくださっ
かせないものだということを改めて考え
たので大変助かりました。以前の実行委員
る機会でした。このことからも「臨床パス
ばかりでなく今回初めて参加して下さっ
トラル教育研究センター」が目指していく
た方々もそれぞれの繋がりやタレントを
ものを常に再確認して、前進していくこと
生かして貢献し
を望んでいます。
てくださいまし
研究会当日は、
た。特別講演や
経験のある人を
教育講演の演者
中心にしたスタ
が決まっていく
ッフの方々の働
中で、研究会の
きや参加者の自
骨子が決まって
主性を持った行
研究会のテーマ
動によって極め
は「ゆるし」し
て順調に研究会
かないと皆さん
が進められたと
の意見が一致し
思います。暫く
ました。一番大変だったのは、講師の先生
してから持たれた反省会でもいくつかの
方との連絡調整作業でした。皆さん大変お
改善点は挙げられましたが、これらの点は
忙しく、またこちらも適宜にご連絡するこ
次年度の研究会実行委員の方々に申し送
とに不慣れだったため、ご迷惑をおかけし
って、より良い研究会が今後運営されてい
たこともありました。
くための参考にして下さればと考えます。
従来の全国大会から昨年、研究会に名称
来年も元気に、皆様と一緒に本研究会
変更になり、スピリチュアルケア学会の先
を盛り上げて行ければ良いな、と考えてお
生方も加わり、他宗教の学びも大きな位置
ります。皆様有り難うございました。
を占めるようになりました。そして、今回
18
センター会員の特典とは何ですか?
臨床パストラル教育研究センター副理事長
吉田
彪
「会員になると、非会員に比べてどういう特典があるのでしょうか?」と時々尋ねられる
ことがあります。私のお答えは大よそ次のようなものです。
「スピリチュアル・ケアワー
カーの教育・養成活動やスピリチュアルケアの普及・啓発活動と言うような日本の社会をよ
り良くしようとするための活動をしているセンターを、会員として支えていることです。」セン
ターを支えているという「誇り」を持てることこそ「会員の特典」なのです。 例え
ば、5 年以上前には「スピリチュアルケア」誌は会員誌として会員だけに配られてい
ました。それも特典の一つでした。しかし、この頃「スピリチュアルケア」誌は、広
報のために会員外にあちこちで配られています。 ですから、今これをお読みになっ
ている方にもセンター会員でない方がいらっしゃると思います。そういう方は是非と
も会員登録をされて、センターの有意義な活動を支えるという「誇り」を私どもと共
有しましょう。会員の皆様も貴方の周りに未だ会員になっておられない方がいました
ら、会員になって下さるようにお誘いして下さい。そして、スピリチュアルケアを日
本に広めましょう!
新 会 員 と 寄 付 者
敬称略
新 B 会員
榎本 早紀子
久保 文枝
紅 洋子
芳賀 理恵
寄 付 者
稲増 美佳子(3)
森田 和代(3)
馬場 輝彦(6)
四方 利栄(3)
佐藤 さだ子(3)
古川 誠二(3)
小野 照子(3)
古畑 久美子(3)
梶 美恵子(10)
水尾 智佐子(3)
片倉 久江(3)
大倉 ゆかり(3)
高橋 久美
敬称略
齋藤 信子(3)
藤瀬 邦子(3)
馬場 由記恵(6)
柴田 イツ子(3)
内堀 賤子(3)
高松 惠子(3)
石川 百合恵(3)
押川 春美(3)
井口 加代子(20)
中村 克久(3)
W・キッペス(10)
丹下 令子(5)
野田 千恵子(3)
小木曽 優子(3)
上原 眞紀(3)
針谷 章二郎(3)
氏家 ゆり子(3)
久保 文枝(10)
吉田 彪(3)
小林 テイ子(3)
藤井 昭子(3)
鈴木 育三(14)
古市智津子
大久保 麗子(10)
他 18 名(100)
※ 2015 年 7 月 24 日現在
19
( ) 内単位:千円
高嶋 康伸(3)
上原 博之(3)
中村 正敬(3)
上村 宏子(3)
針谷 宏子(3)
宮本 陽子(3)
今野 ユリ子(3)
松田 哲裕(3)
藤野 了(3)
仲西 千晶(5)
中部ブロック(2)
井上
相良
木村
今津
入江
横浜
池坂
安田
横田
長沢
酒井
武(3)
映子(3)
紀美(3)
奈津江(3)
多嘉子(1)
孝子(3)
明美(3)
裕子(3)
裕子(3)
道子(3)
多恵(3)
島田 雪子(1)
石田 了久(3)
よりよい援助者になるための旅
臨床パストラル教育研究センター ドイツ
研修旅行
2015年 9月11日(金)~9月23日(水)
スピリチュアルケアとは何か
どういうものか
耳で聞き、目で見て、わからないことを質問し、雰囲気に触れてみる。
13日間の貴重な体験。医療施設、社会福祉施設、ボランティア活動などの
生涯教育、あるいは、職員教育のためにも最適!
費用はおひとり様: 55 万円
お問い合せは、センター久留米事務所まで
久留米事務所:TEL 0942-31-4836/FAX 0942-31-4835
お問い合せ頂いた方に専用申し込み用紙をお送りします。
★もうすぐ締め切り、お急ぎください!
~ 編集後記 ~
本当に暑い日が続きますが、皆様お変わりなくお過ごしになられますように祈っており
ます。この「祈り」ということ、私たちが日々行っているスピリチュアルケアにおいては
とても大切な概念だと思います。先月東京で行われた「ゆるし」をテーマとした第18回
日本臨床パストラルケア研究会においても、パネルディスカッションの中で「祈ること」
についていくつかの見解が述べられました。その中から、谷山洋三氏と加藤眞三氏にその
時に話された内容を中心にした原稿を頂戴し掲載することが出来ました。編集子も谷山氏
の話に刺激を受けて短文を書いてみました。この機会に読者の皆様も「祈り」について考
えてみられては如何でしょうか。その結果がまとまりましたら、是非、弊誌にご投稿くだ
さい。また、毎号掲載の会話記録とそれに対する先生方のコメントは読者の皆様から好評
です。ところで、今号の二人の先生からのコメントは編集子が読ませて頂いてもかなり「見
解の相違」が明らかです。皆様はどちらのコメントを「良い」と思われますか?これもご
意見をご投稿下さい。スピリチュアルケアの奥の深さをつくづく感じさせられます。
(吉田 彪 記)
本誌「スピリチュアルケア」の発行費用の一部は、ドイツ NPO 法人「日本における
心と魂のケア援助会」及び、中外製薬株式会社からのご寄付によるものです。
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