ミャンマーのモータリゼーションと 自動車産業の生産状況

ミャンマー・タイ訪問記 その2
ミャンマーのモータリゼーションと
自動車産業の生産状況
東京理科大学大学院
イノベーション研究科教授 松島 茂
日本金属プレス工業協会の会員の皆様、本年もよろしくお願い申し上げます。
筆者は、昨年 8月12日から24日まで、ミャンマーの工業省、商業省及び国家計画・経済開発省の官僚
10 名とともに、ミャンマー、タイの工場を訪問調査した。前号では、このうちミャンマーの鋳造産業を中
心に紹介したが、本号では、ミャンマーのモータリゼーションと自動車生産の状況について紹介する。
改革開放路線による政策変更
とんどである。
ミャンマーのモータリゼーションは、この 2、3
マンダレーでは、ヤンゴンと比べると走ってい
年の間に著しく進んでいる。2011 年 10 月に初めて
る乗用車の数が少なく、そのかわりトラック、オー
ヤンゴンを訪問したときには、20 年前、30 年前の
トバイの比率は高い。トラックは 4トン以下の小型
日本の中古車が黒い排気ガスをもうもうと出して
のもので、もっぱら農作物の運搬用に使われてい
走っていた。しかし、
2012 年 3 月の 2 回目の訪問の
る。ボンネットカバーをつけないままの農業用トラ
ときには、40 年落ちの中古自動車の走行は禁止さ
クターのような小型トラックが走っているものも
れて、乗用車は比較的に新しい中古車の割合が圧
ヤンゴンとは異なる風景であった。ヤンゴン以外
倒的に増えていた。2011 年 2 月にテン・セイン大
の都市ではまだヤンゴンほど乗用車の普及は進ん
統領が改革開放路線に転じるまでは輸入も著しく
でおらず、オートバイが市民の足代わりに使われ
制限されていたが、同年 10 月以降には中古車の輸
ているとのことである。
入関税が大幅に引き下げられるなどの政策変更が
行われたことが変化の理由である。
オートバイは、ほとんどが中国からの輸入であ
る。タイと違って国産のオートバイがないのが不
ヤンゴンでは他の東南アジア諸国と違って、オ
思議である。タイでは、日本のオートバイ・メーカ
ートバイを見ることはない。ヤンゴン市内ではオ
ーが自動車産業に先んじて生産拠点をつくり、そ
ートバイの走行は禁止されているのだ。目抜き通
こへの部品を供給するローカル・メーカーが育っ
りには、乗用車のディーラーがショウルームを構
た。やがて乗用車を生産する段階になって、これ
えているが、並んでいるのはトヨタの中古車がほ
らのローカル企業が乗用車の部品サプライヤーに
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なっていった。ミャンマーではこのような発展経
路が辿れないとすると、別の経路を模索する必要
がある。
ミャンマーでは、農業用小型トラック、大型トラ
ック・バス及び小型キャリートラックの 3 つのタイ
プの自動車が小規模ながらも生産されている。今
回の訪問では、幸運なことにそれぞれのタイプの
生産現場を見ることができた。
マンダレー工業団地のグッド・ブラザースの
農業用トラック工場
農業用小型トラック
─グッド・ブラザース(マンダレー)
4トントラックも生産しているとのことである。主
農業用のトラックは、いくつかのローカル企業
として農作物や農業資材を運搬するために用いら
が生産しているようである。我々はマンダレーで、
れているもので、あまりスピードはでそうもない。
グッド・ブラザースというローカル企業を訪問し
牛車に代わって農業用小型トラックが使われるよ
た。同社は、1991 年に兄弟 5 人によって設立され
うになったものであるから、それで差支えないの
た。同社の社名は、これに由来している。設立当
かもしれない。
初は、マンダレー市内の中心を流れるエヤワディ
同社製のトラックには、
「雲峰」というブランド
川の川沿いにあるセイバン地区に工場をもってい
名がつけられている。東南アジアでは、ローカル
た。1998 年に郊外の工業団地に移転してきて、工
企業が作った食品に日本のカタカナ名がつけられ
場規模を拡大した。現時点での工場従業員は 300
ているのを見かけることがあるが、中国からの影
人であるが、ミャンマー各地にある販売拠点のセ
響が大きいマンダレーでは漢字のブランド名の受
ールスマンは 700 人である。販売網を整備するこ
けがよいということではないか。月産 100 台程度
とから始めて、徐々に生産機能を拡大してきたの
で、1 台 600 万チャット(約 60 万円程度)で販売
だろう。
されているとのことである。
同社は、ミャンマーに適した耕運機、田植え機
一部の金属プレスの小物部品は工場内でプレス
などの農業機械の部品をセットで中国から輸入
加工されているが、ほとんどの金属部品は板金加
して、KD 生産をしていた。KD 生産と言っても、
工によって生産されている。この程度の生産量だ
ミャンマーの市場に合うようにデザインを変えた
とプレス加工より板金加工の比率が高くなるのも
り、ローカル企業が生産できる部品は国内調達に
やむを得ない。材料の鉄板はインド製、中国製の
切り替えたりすることはあった。我々が訪問した
ものをヤンゴンで調達して使用している。工場内
時に組み立てていたのは 2.5トントラックで、他に
には、300トン、200トンの裁断プレス機械及び天
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津鍛圧机床廠製の 500トンの加工用プレス機械が
ってサポートされたプロジェクトであった。設立
ある。エンジンとギア・ギアボックスは中国から国
当初は、機械加工工場、組立工場等で構成されて
境貿易で輸入している。プラスチック部品、ベア
いたが、その後、わが国の海外経済協力基金(旧
リングは、数が少なければヤンゴンから調達する
OECF、現在の JICA)の資金援助によって 1966
が、数が多ければ韓国、中国から商社を通じて輸
年にはプレス工場、1970 年にはボルト・ナット工
入している。鋳造部品は、同じ工場団地内のロー
場及び板バネ工場が追加設置されている。鋳造・
カル企業から調達している。前号で紹介したマン
鍛造工場はシンデー、エンジン工場はトング―に
ダレーの鋳物工場もそういったサプライヤーの一
設置されている。シンデー、トング―のいずれの
つである。タイヤは、
ミャンマー国内に国営タイヤ
工場もヤンゴンから 300km 以上離れているが、こ
工場だけでなく民間タイヤ工場もあるので、国産
れは重工業化投資をヤンゴン周辺だけに集中させ
のものを調達している。
ないという当時の政権の政治的判断によるもので
あったという。
大型トラック・バス
─国営 11工場(ヤンゴン)
「11 工場」では、過去には 140 馬力ディーゼル・
エンジン搭載の 6.5トンのダンプ、油槽トラック、
ミャンマーで大型トラック・バスが生産されてい
90 馬力ディーゼル・エンジン搭載のバス等を生産
るというのは、
若干躊躇せざるをえない。現時点で
した実績がある。また、1962 年にはマツダの技術
は、完成車の生産をほとんど行っていないからで
援助によって、ピックアップ、バン、ジープなど
ある。正確には、1960 年代、70 年代には、重工業
を生産した実績もある。2007 年からはシティ・バ
化政策の一環としてトラック・バスの国産化を図
ス、油槽タンカー、消防車、トラックなどを生産
ろうとしたことがあったというべきかもしれない。
していたが、現時点ではいずれの工場も稼働して
その痕跡がヤンゴン市内の中心インヤ湖の近く
いない。
にある工業省傘下の国営第 1 重工業公社 11 工場
我々は、副工場長の案内で各工場の内部を見学
である。
「11 工場」というのは、第 1 重工業公社の
することができた。いずれの工場にも設置された
第 1 工場という意味であり、重工業化政策のシン
時点での一流の日本製の機械設備が設置されてい
ボル的な工場である。ミャンマーの政治指導者ア
る。例えばプレス工場には小松製作所と住友重工
ウンサンスーチー氏の自宅がすぐ近くにある高級
業の 400トンプレスが 7 台設置されているが、残念
住宅街に隣接したゾーンに立地している。
なことにここ数年稼働された様子は見られない。
同工場は、1960 年に締結されたミャンマー重工
現在、中国のトラック・メーカーとの合弁で新た
業公社と日野自動車の産業協力協定に基づいて
に組立工場を建設中である。工場長の説明によれ
建設された。
日本政府の経済協力資金
(当時のビル
ば、近い将来、CKD で年間 80 台の大型トラック、
マ政府に対する戦後賠償に準ずる経済協力)によ
20 台のシティ・バスの生産を計画しているとのこ
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とであるが、使われるのは現在中国企業との合弁
で建設中の組立工場だけで、おそらく機械加工工
場、プレス工場の設備が使われることはないであ
ろう。そうであるとすれば、日本の経済協力によ
って設置された機械・設備をどのように活用して
いくのか。ミャンマーの工業化の将来にとって重
要な試金石となる。
小型キャリートラック
─スズキ(ヤンゴン)
ミャンマーにおいて唯一の自動車生産を行って
いる外資系企業は、スズキである。スズキは 1998
年にミャンマー政府と合弁企業を設立し、1999 年
からヤンゴンの南ダゴン工場団地の工場でオート
バイと軽四輪をベースとした 1000cc エンジンの四
ヤンゴンの国営11工場の 400トンプレス機械。
後方に金型が山積みされている。
輪自動車の SKD 生産を行ってきた。主要部品は、
日本及びインドネシアから輸入し、バッテリーだけ
はすべて日本及びベトナムから輸入して、ボデー
をミャンマー国内のシンガポール系企業から調達
工程、塗装工程、組立工程をミャンマーにおいて
していた。2000 年にスズキは工場の敷地内に塗装
行っている。
工場を完成させて、同工程も現地化してきた。
現在、ヤンゴン近郊のティラワ地区の大規模工
2010 年にミャンマー政府の決定によって合弁
業団地の建設が進められているが、スズキはこの
契約が解消され、スズキの生産は 2010 年 5 月で、
工業団地において本格的な自動車生産を開始する
一旦終了した。1999 年の生産開始からこの時点ま
計画をもっている。これが実現した場合に、どの
での生産規模は、ミャンマー政府の外貨事情によ
ようなサプライヤー・システムが必要になるか、そ
って KD 生産用輸入枠は年間 400 台から 1,300 台
のサプライヤー・システムにミャンマー企業が入
に抑えられており、本格的な量産体制を整えるに
っていくことができるのか、入っていけるようにな
は至っていなかった。
るためには、どのような政策が必要か。ミャンマ
2013 年に入ってミャンマー政府の政策転換に
よって、スズキの独資で生産が再開されることに
なった。昨年当面は、1000cc のキャリートラック
を、年産 3000 台程度の規模で生産している。部品
ー側の産業政策と日本の経済協力政策のあり方が
問われている。
次号では、タイの自動車産業の状況とアセアン
経済統合のインパクトについて述べる。
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