レーザーにおけるカオスと応用 - 静岡大学工学部システム工学科

レーザーにおけるカオスと応用
大坪 順次
静岡大学大学院 工学研究科(〒432-8561 静岡県浜松市中区城北3-5-1)
Chaos and Applications in Laser Systems
Junji OHTSUBO
Graduate School of Engineering, Shizuoka University, 3-5-1 Johoku, Hamamatsu 432-8561
(Received February 20, 2015)
Chaos had been a subject of fundamental study for a long time. However, applications of chaos have
been opened up after the discoveries of the methods of chaos control and chaos synchronization. Chaos
and applications in lasers and laser systems, particularly in semiconductor lasers, are discussed.
Key Words: Laser chaos, Instability and control of chaos, Applications of chaos, Semiconductor lasers
1.はじめに
レーザーは,典型的カオスシステムである1).しか
し,どのレーザーも必ずカオス発振するわけではなく,
特定のレーザーでは,ポンピングが増大すれば必ずカオ
スとなるけれども,概ねのレーザーでは,単体で発振し
ている限りにおいて,その出力にカオスを見ることはな
い.現在広く使われている半導体レーザー,固体レー
ザーなどは,この意味で安定なレーザーに属する.しか
し,このような安定なレーザーであっても,変調や戻り
光,光注入などがあると不安定化し,出力がカオス的に
なる.十年ほど前から,カオスは基礎的な現象としての
研究を脱しその応用研究が射程に入り,レーザーカオス
においても応用が活発に論じられるようになった.本稿
では,レーザーカオスの歴史についてふれ,とりわけ半
導体レーザーにおけるカオスとその応用の現状について
述べる.さらに,レーザーカオス応用の将来について展
望する.
2.カオスとレーザーカオスの歴史
大気の循環がカオス性を含むことがLorenzによって指
摘されて50年,またレーザーがLorenzと同じカオス系で
あることが示されて40年になる2,3).カオスは,一部の
現象における特殊な状況ではなく,工学,理学,生物
学,経済学,社会科学において普遍的に起こり得る現象
であることが知られるようになった.たとえば,生物学
における捕食系は,典型的なカオスシステムである.そ
の他,心臓の鼓動,自動車などにおける車輪の不規則運
動,株価の変動,土星の輪の並びなどもカオスである.
342
おもしろいところでは,ナミブ砂漠に出現するフェア
リーサークルなどもカオスで説明されている.長らく,
カオスは,現象としての基礎的興味の対象であった.し
かし,最近になって,カオスをエンジニアリングとして
応用する試みが活発になってきた.この発端は,カオス
制御の方法が示されたことと,類似の2つのカオスシス
テムが同期することが示されたことによる.
それでは,カオスはLorenz以降初めて認識されたのか
というと,その辺の事情はかなり曖昧である.確かに,
カオスという概念を明確に示したのはLorenzであるが,
その大気モデルを論じた論文の2年前,上田らはすでに
真空管回路においてカオスアトラクタが見られることを
示していた4).歴史を紐解くと長くなるが,それ以前,
1800年代にPoincaréはカオスの概念に到達していた5).
彼は,微分方程式の数値計算をすることなく,カオスの
特徴である非線形微分方程式の数値解が初期値敏感性を
持 つ こ と を 指 摘 し て い る. さ ら に そ れ よ り200年 前,
Huygensは壁に掛けられた2つの振り子時計がいつのま
にか同期することを示していた.これは,現在のセンス
でいうところのカオス同期である.ちなみに,カオスと
いう言葉はLorenzが定義した言葉ではない.1975年にLi
とYorkeが「周期3を持つ振動はカオス系である」という論
文において初めてChaosという言葉を用いた6).以後,
カオスという言葉は定着したが,それまでの12年間,
Lorenzの重要な論文は埋もれており,その間の論文引用
は20に満たないものであったという7).
レーザーシステムにおけるカオスは,Lorenzから遅れ
ること10年,1975年にHakenによって示された3).すな
わち,電場,物質分極,反転分布を3変数とする時間発
展レーザー方程式は,Lorenzカオスと同じカオス方程式
レーザー研究 2015 年 6 月
Re[y]
(b)
15
-15
(a)
Ouput power
25
(a)
10
Time (ns)
0
Z
Y
(b)
Photon mumber
12
-25 Re[x]
Fig. 1 (a) Lorenz attractor and (b) laser attractor.
になることが示された.その後,いくつかのレーザーに
おいて理論的,実験的研究によりカオス現象が論じられ
たが,レーザーの不安定現象については定着してきたも
のの,レーザーがカオスデバイスであるという点につい
ては懐疑的な見解が多く見られた.たとえば,現在広く
知られている半導体レーザーの戻り光カオスを記述する
Lang-Kobayashi方程式8)
(L-K Equations)で示される不安
定性は,あくまでも「不安定性」であって,カオスなどで
はないという観点である.現象がカオスかどうかについ
ては,不規則雑音などとは明確に区別されるカオスにつ
いての定義があり,得られた不規則振動の解析からそれ
であることが証明できる9).レーザーにおけるカオスが
広く理解されるようになったのは,Arrechi10)らにより,
カオスの起こりやすさが,レーザーの3変数に付随する
緩和時間の大小により分類できることが示されて以降で
ある.ここにおいても,レーザーカオスの認識が共通の
ものとなるまでに,おおよそ10年あまりの月日を要し
た.
Fig. 1は,ローレンツカオスにおけるカオスアトラク
タ(Fig. 1(a))と,Maxwell-Bloch方程式から計算される
レーザーのカオスアトラクタ
(Fig. 1(b))を示したもの
である.ローレンツ方程式においては,3変数は実数で
あるが,レーザー方程式では,対応するx
( 電場),y
(物
質分極)変数は複素数である.両図を比較するとわかる
ように,ローレンツカオス特有のダブルロール・アトラ
クタ(バタフライ・アトラクタ)
を見ることができる.こ
のように,レーザーは,ローレンツの大気モデルと類似
のカオスシステムであることがわかる.
3.半導体レーザーのカオス
すでに述べたように,レーザーはそれを記述する3変
数に付随する緩和振動の大小関係によって,カオス安定
性の観点から3つのクラス,クラスA,B,Cのレーザー
に分類される10).3つの緩和時間スケールが拮抗するよ
うなレーザーでは,そのダイナミクスを記述するために
3変数すべてが必要である.ポンピングの増加により
レーザー発振が起こるが,このクラスCレーザーにおい
ては,さらにポンピングを増加させると必ずカオス的発
振が起こる.一方,物質分極の緩和が他の緩和に比べ早
いときには,レーザー方程式では電場と反転分布のみが
重要となる.このようなクラスBレーザーは安定であ
り,単体で発振している限りカオスは生じない.半導体
レーザー,固体レーザーなど商用として重要なレーザー
第 43 巻第 6 号 レーザーにおけるカオスと応用
Output power [mW]
X
20
Carrier number
Special Issue
(c)
10
8
6
4
2
0
0
0.5
1
r (%)
1.5
2
2.5
Fig. 2 Chaotic oscillations induced by optical feedback in
semiconductor laser. (a) Chaotic time series, (b)
attractor, and (c) bifurcation diagram for external
mirror reflectivity.
はこの部類である.さらに,レーザーの振る舞いが電場
のみで記述できる最も安定なクラスのレーザーがあり,
クラスAレーザーと呼ばれる.
半導体レーザーは,単体では安定なレーザーである
が,外部からの摂動によって容易にその出力はカオス化
する.外部摂動は,レーザーへの自由度の追加であり,
見かけ上2変数であった系が3変数と同じ振る舞いをする
ことに起因している.3変数微分系は,カオスが発生す
る系である.半導体レーザーへの外部摂動の顕著な例と
しては,自らが発した光の戻り(戻り光),外部レーザー
からの光の注入(光注入),レーザーへの電流変調などが
ある1).Fig. 2(a)は,戻り光によってカオス化した光出
力の数値計算例である.戻り光は,振幅で2%,強度に
すると ­ 34dBである.Fig. 2(b)は,(a)の時系列から構
成されるアトラクタ,Fig. 2(c)は,戻り光量(振幅)を
変化させたときの光強度カオス分岐を表したものであ
る. カ オ ス は, 不 規 則 雑 音 と は 異 な り, そ の 軌 道 は
Fig. 2(b)のように有限な領域内にある
(コンパクトであ
る).また,Fig. 2(c)から,戻り光が増加するに従い,
安定な光出力が周期的な変動を経てカオス化することが
わかる.実際,通常の半導体レーザーでは,おおよそ
­ 40dBくらいの戻り光量があると不安定化する.一方,
レーザーへの光注入は,光通信になどにおいて,注入さ
れた半導体レーザー(スレーブレーザー)の光強度,周波
数,位相を安定ロッキングするために用いられている.
しかし,光注入強度やスレーブとマスターレーザーの周
波数離調の組み合わせによっては,安定なロッキングだ
けではなく,スレーブレーザー出力に周期やカオス的振
動がみられる.
これまで述べてきた半導体レーザーは,活性層が半導
体基板に沿ったストライプ幅数μm以下の端面発光狭ス
トライプレーザーの例である.最近では,端面発光狭ス
トライプレーザー以外にも,さまざまな構造の半導体
レーザーが開発されている1).たとえば,面発光半導体
レ ー ザ ー(VCSEL), ブ ロ ー ド エ リ ア 半 導 体 レ ー ザ ー
(BAL),量子ドット半導体レーザー(QDL),量子カス
343
xf
xn
xf (M0+DM)
xn
vn
xf
xn
xn+1
es
Fig. 3 Chaos control. (a) Before control, (b) small
perturbation, and (c) after control.
ケード半導体レーザー(QCL)などがある.これらのレー
ザーにおいては,電場とキャリア密度分布(反転分布と
等価)以外に,それぞれの構造を特徴付ける付加的な微
分方程式が追加され,3変数あるいはそれ以上の変数系
の微分方程式系となる.このため,条件によっては単体
においてもカオス性を示すレーザーがある.たとえば,
VCSELでは,直交する偏光モードの間においてカオス
的振動が見られる.また,BALにおいては,活性層幅が
光の波長に比べ十分大きくなるため,その方向への光の
回折が無視できなくなり,10 ps程度で光強度がカオス
的変化をするフィラメンテーションと呼ばれる振動が発
生し,このことが時間平均した光ビーム強度分布にも影
響を及ぼす.一方で,変数の追加があることによって,
逆にレーザーがより安定化するレーザーもある.QDL
では,ウェッティングレイヤーからドットへのキャリア
捕獲のレートを表す時間発展方程式が追加される.この
式があるため,たとえば戻り光耐性が大きくなり,より
広範囲な戻り光範囲において安定なレーザー発振が期待
できる1).QCLは,他の半導体レーザーとは異なり,超
格子構造を通してカスケードな電子遷移,発光を実現さ
せるために余分なキャリア方程式が追加される.しか
し,発光は伝導帯におけるサブバンド遷移であり,キャ
リアの緩和時間が極めて早く,キャリアが光の変化に十
分追従するため,他の半導体レーザーよりは安定であ
る.このため,QCLは,クラスAレーザーのような振る
舞いをする1).
4.カオスは応用可能か?
1990年にカオスの応用にとって重要な二つの論文が発
表された.カオス制御11)の方法と,2つの同種のカオス
システム間の同期12)に関する論文である.発表されたカ
オス制御の方法は極めて数学的な内容であったが,その
エッセンスを保ちながら実システムに合致するように改
良された方法がさまざま提案され,カオスの応用への道
が開かれた.カオス制御の方法の基本的考え方をFig. 3
に示す.Fig. 3(a)でxnと書いたのは,ある与えられたカ
オス的振る舞いをする系の動作点である.xnのごく近く
には必ず数多くの局所的不動点xfがある.この点のまわ
りでは,系をカオスから周期的な振る舞い,あるいは運
が良ければ固定点に吸引することができる
(Fig. 3(b)).具体的には,カオス系のパラメータの一
つμ0に対し微小な摂動δ μを加え,状態をxnからxfへ移動
させるというものである.この結果,系はxfに固定さ
れ,一旦その点に固定されると,数学的には元のカオス
的状態は変わることなく,系の出力をカオスから周期,
344
TL
RL
(a)
0
20
40
Time (ns)
60
Output power (arb. unit)
(c)
(b)
Output power (arb. unit)
(a)
TL
RL
(b)
0
20
40
Time (ns)
60
Fig. 4 Synchronization between two chaotic semiconductor
lasers. (a) Before and (b) after synchronization.
TL: transmitter laser, RL: receiver laser.
あるいは固定点に引き込むことがでる.ただし,この方
法では,系の従う方程式の形が定義されているだけでな
く,式中のパラメータの値が厳密に知られていなければ
ならない.したがって,実際の制御においては,微小な
摂動と不動点への吸引という基本的考え方を踏襲した方
法がいくつか提案されている1).元々のカオス制御で
は,一旦制御が成功すると,摂動はもう加える必要はな
くなるが,これらの方法では制御が成功した後も微小な
制御信号を加える必要がある.カオス制御の方法は,あ
るパラメータにおいてカオス的になったシステム出力に
対し,これを微小摂動により安定化するのに有効であ
る.通常の制御では,元の系のパラメータからその値を
大きく変化させ安定化を行う.一方,カオス制御では,
微小な摂動による安定化であり,基本的に系の状態は最
初と変わらない.カオス制御を使うことにより,従来の
カテゴリーとは異なるレーザー制御が期待されている.
一方,カオス同期であるが,カオス制御の論文が出版
された同じ年,PecoraとCarrollによって発表された.2
つの独立した系のカオスが同期するというのは自明では
ない.なぜならば,カオスは初期値敏感性も持つため,
自分自身のカオスでさえ初期値のわずかな誤差によって
も同じ出力が得られる期待はできないからである.にも
かかわらず,二つの類似システムを結合させ,わずかな
信号を一方から他方へ送ることによって,二つのシステ
ムから同じ出力を得ることが出来る.微分系において
は,カオス同期が起こることは数学的に証明されてはい
るが,遅延微分系においては,数値計算と実験によって
のみカオス同期が確認されており,厳密な証明はない.
Fig. 4は,二つの戻り光半導体レーザーにおけるカオス
同期の例である13).さらに,多数の半導体レーザーが結
合したシステムにおいて,特定のペア同士,あるいはす
べての半導体レーザー間でカオス同期が起こることがわ
かっている.このようなカオス同期において,ニューロ
ンにおける同期現象との類似性が指摘されている.これ
らの事実により,半導体レーザーカオスを使った高速秘
匿通信,ネットワークの同期,脳機能を真似た情報処理
への応用が期待されている.これら2つの発見により,
カオスの応用への道が切り開かれた.
5.レーザーカオスをエンジニアリングに
レーザー研究 2015 年 6 月
Special Issue
前節でみたように,レーザーカオスは,非線形物理の
学問的興味にとどまらず,新しいエンジニアリングとし
ての応用が可能である.また,レーザーにおいて,どの
ような条件,状況下でカオスが発生するかを知ること
は,カオス化を避ける,あるいは制御するという視点か
らも重要である.本節では,いくつかの例について,半
導体レーザーカオスの応用について述べよう.最初の例
は,半導体レーザーシステムにおいて,動作条件におけ
る安定,不安定,カオスのルートを調べ上げ,その結果
を基に安定化のためのレーザーパラメータを設定する方
法である.したがって,これらの方法は,カオス制御を
直接使った方法ではない.たとえば,半導体レーザーに
戻り光があるとき,カオス化とは逆にレーザーの出力や
発振線幅が狭窄化される場合がある.通常,半導体レー
ザーの発振線幅は,数MHzの広がりを持っている.回
折格子を用いた戻り光制御以外でも,単純な戻り光や位
相共役戻り光を用いることにより,線幅を1/100程度狭
窄することができる14).戻り光以外の方法でも,たとえ
ば半導体レーザー光を一旦光電検出してレーザーへの注
入電流へ帰還させることによっても,同様に安定化制御
ができる1).
一方,前節のカオス制御でも述べたように,カオス状
態にある動作条件においても,その動作点のすぐ近くに
は必ず局所的不動点があり,小さな摂動を用いて半導体
レーザーの安定化も可能になる.たとえば,光ディスク
システムでは通常大振幅で高周波変調を行い,戻り光雑
音を制御することが行われる.カオス制御の観点からす
ると,変調周波数条件を最適化すれば,バイアス電流に
対し数%以下の変調で戻り光によるカオス的出力変動を
周期,あるいは適当な条件下では安定な状態に光出力を
制御できる15).また,戻り光や外部光注入を積極的に使
えば,空間多モード発振しているVCSELやブロードエ
リア半導体レーザー,レーザーアレイなどのカオス的挙
動を抑制して安定化することもできる1,16).この他にも,
カオスの性質を直接用いているわけではないが,フォト
ニック構造などをレーザー出射端や電極ストライプ上に
作り込み,空間多モード発振するVCSELやブロードエ
リア半導体レーザーの空間モードのカオス的挙動を制御
する試みも行われている1).
あるシステムにおいて,その出力が安定,周期,準周
期,カオスへと至るルートがある.たとえば,半導体
レーザーにおいて,戻り光により発生するカオスに至る
前の周期的な振動出力は,通常戻り光とレーザー内部の
電場の干渉であるが,単純な正弦波振動する干渉ではな
Laser diode
Target reflector
PD
Amplifier
High-pass
filter
Discriminator
UP
Up-down
counter
Monostable
multivibrator DOWN
Monostable
multivibrator
Display
Fig. 5 Self-mixing measurement and signal processing
system.
第 43 巻第 6 号 レーザーにおけるカオスと応用
く,たとえば外部鏡がレーザーに近づく場合と遠ざかる
場合とで波形のひずみ具合が異なるため,外部鏡の移動
方向の検出にも用いることが出来る.その変動の周期
は,光の波長が物差しとなっており,縞の数をカウント
することにより,外部鏡の変位,振動,位置などを計測
することができる1,17).Fig. 5は,そのような縞カウント
を行う計測システムの例である.広く用いられる商用の
半導体レーザーでは,内部フォトダイオードが実装され
ているため,レーザーパッケージ自体が光源であり,光
検出器となり,コンパクトな計測システムを実現でき
る.半導体レーザー内で戻り光と外部光を混合させる方
法は,自己混合(Self-mixing)システムとも呼ばれる.内
部に作り付けられた光検出器よりは感度は落ちるが,自
己混合によって,半導体レーザーの端子間電圧自身も変
動するため,この電圧の変化を使った計測法も考えられ
ている.実際,量子カスケードレーザーなどでは,レー
ザーパッケージ内に赤外,THz検出できる内部フォトダ
イオードを実装することが難しく,また高速追随できる
外部光検出器の入手も難しいため,自己混合による電圧
変化を光検出とする方法が極めて有効である.実際,こ
の方法により量子カスケードレーザーを用いて隠れた場
所にある反射物体の形状計測なども行われている18).
より積極的にレーザーカオスを使う方法として,2つ
の半導体レーザーカオスシステム間の同期を使った通信
応用がある.様々な通信応用が提案されているが,代表
的なものは,カオス信号に微小なメッセージを埋め込
み,カオス同期によってメッセージを再生する秘匿通信
の方法である1,19).Fig. 6に,この概念を示した.受信機
においては,送信機から送られたカオス信号とメッセー
ジのうち,カオスパスフィルタリング効果によって,カ
オス信号が主に同期する.受信機での同期信号を送信さ
れた信号から引き算することによって,メッセージのみ
が上手く再生されるという方法である.この方法で,カ
オス信号は高帯域周波数成分を含み,メッセージの振幅
はカオスの振幅にくらべ数%以下と小さく,伝送信号だ
けではメッセージを推定することは難しい.このとき,
秘匿通信の鍵となるのは,二つのレーザーのデバイスパ
ラメータ,駆動条件,カオスを発生させるためのシステ
ム要件などであり,完璧とは言えないまでも秘匿性はか
なり高いといえる.実際,10 Gbps程度までの秘匿通信
のデモが行われている19).半導体レーザーカオスは,通
信応用などにおける物理乱数発生においても有用であ
る.このトピックに関しては,本特集号にも関連記事が
あるので,そちらに譲るが,この方法では,他のシステ
ムでは実現不可能な実時間超高速物理乱数発生が可能で
あり,半導体レーザーカオスの応用として非常に有望な
方法である20,21).
すでに述べたように,単に2つのシステム間に限らず,
多くの非線形素子を結合したネットワークにおいてもカ
オス同期が起こることが知られている.特に,多数の
ニューロン結合において,離れたニューロン間で起こる
時間差零での同期や素子の配置に依存したクラスター同
期などは,脳内における情報処理にも強い関連があると
345
Signal
generator
Chaos
generator
Decoded
message
Message
Encoded
message
Chaotic
carrier
Communication
channel
Transmitter
Replicated
chaos
Chaos
replicator
Receiver
Fig. 6 Chaotic secure communication systems.
も言われており,ニューロンに似せて,様々な非線形素
子をノードとするネットワークとして研究が行われてい
る22).多数の半導体レーザーを結合させたネットワーク
においても同様な現象が確認されており,半導体レー
ザーの高速性を生かしたネットワーク処理にも期待がか
けられている.また,半導体レーザーネットワークや,
半導体レーザーの戻り光ループ内に非線形バーチャル
ノ ー ド を 確 保 し, こ れ を 一 つ の リ ザ ー バ ー と し て,
ニューラルネットワークをハードウエアで実現する方法
なども提案されている.実際,このようなシステムを使
い最適化問題に応用し,音声認識を行った例もある23).
かつて,カオスニューラルネットワーク
(CNN)をデジ
タル計算で行う手法が提案され,盛んに研究された時期
があったが,これらの方法はCNNをハードウエアとし
て実装しようとする試みである.このような研究は,ま
だ緒についたばかりであるが,半導体レーザーの高速性
を生かした応用として今後の研究が期待される.これら
応用のための半導体レーザーカオスシステムを,フォト
ニック回路として集積化しようとする試みも盛んに行わ
れている.実際,戻り光半導体レーザーに基づく数セン
チ四方におさまるカオス秘匿通信や乱数発生のための
フォトニックスチップ,マイクロ共振器を使ったカオス
発生器などが提案されている22,24).
6.おわりに
カオスは,もはや基礎的興味の対象のみにとどまら
ず,エンジニアリングとしての射程が見えてきた.特
に,半導体レーザーにおけるカオスは,現象が高速であ
346
ることに加え,レーザーの中でも低電力・高効率であ
り,集積化も容易である.今後に多くを期待したい.
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レーザー研究 2015 年 6 月