色も色いろ 第46話 ドレスコード マゼンタ 梅雨空に色を増す深緑の中、荒地ではマゼンタ色の野アザミがその存在感をアピー ルする。湿地に咲くトキソウも淡いトキ色の萼片に包まれた唇弁は鮮やかなマゼン タ色である。 私の所属する(一社)日本色彩学会くらしの色彩研究会は発足10周年を迎え、 8月8日に記念パーティーが開催される。パーティー参加者のドレスコードが“マ ゼンタ”である。折しも咲く花々に合わせた訳ではなく、発足時の研究会主査のテー マカラー“マゼンタ”から採ったのだ。カラーによるドレスコードと云えば、今秋 日本初上陸と云われる全身白のドレスコード EDM フェスティバル“センセーショ ン”が知られる。本来のドレスコードとは、式典や宴席、パーティ等に参加する場 合の服装ルールあるいは服装の格の指定のことで、結婚披露宴などで「平服でおい マゼンタカラーの野アザミに惹かれて で下さい」などの表記がこれにあたる。最近は前述のように色指定に用いることも。 ところで、マゼンタの色名の由来は、1859年イタリア統一戦争でサルデーニュ マゼンタ(5RP5/14)とモーブ(7.5P5.0/10.5) 王国・フランス連合軍がオーストリア=ハンガリー帝国軍をマジェンタの戦いで破っ た戦勝記念に当時発明された合成染料の名に付けられたことは、よく知られている。 これを遡ること3年、1856年にはイギリスの化学者パーキンが世界で最初の 化学染料モーブを発見している。モーブの名はフランス語のゼニアオイからとった 名で、マゼンタも発明時は、この色の花フクシアからとったフクシンと名付けられた。 モーブは化学実験中に偶然発見されたとも云われているが、モーブ、マゼンタと紫 系の色が相次いで発見されたのは偶然ではない。ヨーロッパでは古くより紫の色を 出すには貝紫(アッキ貝の分泌物)が用いられたが、1gの染料に貝2000個を 要し、高価だったため、皇帝や特権貴族の色とされた。乱獲により15世紀には消 滅したという。紫を得ることは、化学者の悲願だったに違いない。 石油がエネルギー革命だけでなく色彩の世界にも革命を起こしたのだ。
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