詳細を見る - 山梨県立 甲府西高等学校

山梨県立甲府西高等学校
西高のステージへ!
27
2012.11
VOl.
甲府西高情報誌
三世代インタビュー
創立 110 周年記念事業
創立 110 周年記念演奏会
写真で綴る西高の歴史
陸上部新人大会・水泳部1年生水泳競技大会・
望月春江賞展・第4回高校生ボーカリスト
アワード&ダンスパフォーマー選手権
人類の未来 同窓会会長
皇寿の祝い 校長メッセージ
写真上右 明治時代の校門 写真中左 昭和戦前の校舎 写真中右 昭和戦後の校舎 写真下右 平成現在の校舎
創立百十周年記念号
いつの時代も広い空に
夢色の筆で未来を描いた
輝く翼の鳥達が
地図も持たずに陸を目指し
門をくぐり飛び立った学舎
(甲府西高文芸部)
Topics
甲府西高校は明治35年5月に学舎としての歩みを始め、月日を重ね、めでたく今年で110年の節目の年
なら
を迎えました。年齢の周年祝いは数え年で行うのが慣例とのことで、それに倣えば本校は数えの111歳とな
こうじゅ
り皇寿にあたります。
こうじゅ
皇寿の祝い
校長 八巻 良一
いきけんこう
振り返ると、明治の意気軒昂な時代、大正デモクラシーの時代、昭和の大戦と復興の時代、そして国際化の
進む平成の時代、と時代は様々に変転してきました。この間、本校の卒業生は三万六千余名を数え、それぞれ
が多感な青春時代をこの本校ですごし、高き理想を掲げ希望に燃え学舎を巣立っていきました。卒業生のその
まぎ
後の多彩な人生において、それぞれの心を灯し続ける青春時代が紛れもなくこの本校にあり、心の拠り所となっ
ていることを思うと、母校を預かる者としてその責任の重さを痛感します。
これから50年、100年先もこの文化の薫り高い校風を引き継ぎ、社会のリーダーとして貢献する人材を
輩出し、名実ともに名門校として存続することを心から願っています。
今、世の中は急速に変化しています。私が子供の頃の電話は、交換を呼び出し相手の番号を伝え、つないで
もらう形式でした。携帯電話が初めて公開された時は、機器が大きくちょっとしたバックをもっている感じで
した。時代の流れは速く、今では片手に乗る程に小さくこれ一つで何でも間に合う様になってしまい、手元に
持っていなければ不安を感じるのは私だけでしょうか?
人類の未来
同窓会会長
長坂 光子
最近人類の未来が明るくなるニュースが飛び込んできました。日本人の快挙です。iPS 細胞の発明で、ノー
ベル医学・生理学賞を山中伸弥教授が受賞しました。人間の細胞は、目の細胞は目を、心臓の細胞は心臓を造
るだけですが、iPS 細胞は万能細胞ですので、自分の皮膚などの体細胞に遺伝子を入れて培養することでどの
ような細胞にも変化させることが出来るのです。これは人類にとっては凄い事だと思います。
この発明で人間がどこまで長生きができるか判りません。iPS 細胞をどのように将来活用していくかによっ
三世代インタビュー
復興からの出発 原 芳江
戦後まもない昭和二十四年四月、甲府第二高等学校に入学しました。まだ甲府駅前からの平和通りもなく、県病院
の跡地を掘り起こしている最中で、赤い煉瓦が転がる道を通ったり、裏道を通ったりして寿町の母校へ通いました。
街にはチンチン電車が県庁前より泉町、寿町を経て峡西方面へと走っていましたが、雨の降る日以外は乗りませんで
した。身延線の満員電車で通学しておりましたが、デッキにいた男子生徒が振り落とされ死亡した事もありました。
校庭には、市民の仮住まいがマッチ箱を並べた様に建ち、各家の軒先にはバケツが雨水を受ける様に置かれていま
した。授業も移動教室でした。校門前の小さなお店に餡パンを買いに出て叱られた事、校庭で夢を語り合った事、思
い出されます。当時、講堂はなく甲府一高の講堂を借りての卒業式でした。
校舎の移動、校名の改称もありましたが、私、息子、孫と三代に亘り学んだ母校の、いよいよ歴史を重ね、佳き人々
を世に送り出される事を祈念致しております。
礎の上の新たな一歩 原 昭彦
株式会社エー・アイ勤務
昭和五十年春、新たに総合選抜校に加わった甲府第二高等学校へ男女共学第一期生として入学。その当時、学校の
東西南は田畑が広く存在し、のどかな感じであったと記憶しています。
入学して間もなくラグビー好きが数名いたことから同好会が発足。
正門前の植木屋さんがラグビー経験者で初代コー
チ。夏休みは教室に布団を持ち込み合宿。正式な部となり、校名も西高へ変更になった二年生の新人戦では強豪日川
高校に善戦。西高からトライを奪われた日川の選手達は、
試合会場の南高校からランニングで帰校したとの事。頑張っ
た甲斐がありました。
(笑)
現在も同級生十数名が集まる毎月の飲み会では、高校時代の四方山話もいまだに出たりしており、会は毎回楽しい
ものです。我ら西高にエールを。西高創立百十周年、おめでとうございます。
て、
未来の人類の生き方が変わっていくのだと思います。皆さんはいい時代に生まれたのかもしれません。チャ
ンスを活かして、目標に向かって進んで行っていただき、山梨からもノーベル賞受賞者が輩出されることを期
待しています。
10 月 12 日コラニー文化ホールで創立 110 周年記念演奏会が行われました。卒業生4名を中心とした東京藝術大学の学生と、在校
生を交えたすばらしい歌声と演奏に会場は酔いしれました。
飛躍∼未来に向かって 原 遼平 芝浦工業大学大学院修士課程在学中
私の西高生活は、平成十六年春に入学したことから始まります。当時、県立高校で唯一の全県一学区の入試制度を
とっており、県内各地から学生が集まっていました。入学当初、新たな環境への不安もありましたが、それ以上に、
元来志望していた西高でのキャンパスライフへの期待に、胸を躍らせていたことを覚えています。
改めて振り返ると 生涯の友 と呼べる、かけがえのない友人を得ることが出来たのは、 西高 という環境があっ
たからではないかと感じます。距離をものともせず、自転車で往復二時間かけて友人を訪ねたことなどは、今では良
い思い出です。また、学園祭や球技大会を始めとした学校行事を、多くの力の団結で、成功させることが出来た時の
感動は、今も尚、昨日のことのように鮮明に蘇ります。
西高で学んだ事・培った人間関係は、今の私の基盤となっていると言っても過言ではありません。また、人生の岐
路に立った時、誠心誠意で接し導いてくださった恩師には、今も感謝の気持ちで一杯です。 西高生 であったことは、
今、私の誇りです。
陸上部 新人大会
110mH 横谷 真人 1 位 樋川 遼太朗4位
男子 100m 内田 智大 6 位 女子 100m 宮澤 佑季 4 位 自習室整備
位!
1
に
も
と
入選 加藤 友麻
図書館のエアコン改修
望月春江賞受賞 !(日本画)
入選 保坂 夏汀
ホームページのリニューアル
望月春江賞 廣瀬 智美
宮崎 佑亮
200m個人メドレー
400m個人メドレー
宮澤 佑季
水泳部
1 年生水泳競技大会
内田 智大
樋川 遼太朗
横谷 真人
創立 110 周年記念事業
美術部
第 32 回望月春江賞展
第4回高校生ボーカリストアワード&ダンスパフォーマー選手権に出場 !
ボーカリスト部門
深沢 恵里香 ベスト4進出
ダンスパフォーマー部門
SPLASH
(小室 瑛里 望月 菜央 後藤 万由子)
写真で綴る西高の歴史
大正時代の生徒。洋服は当時の制服。
明治時代の校舎。右奥に表紙の写真の校門が見える。
明治時代の生徒と学籍簿
大正時代の修身教科書
大正時代の卒業証書。「山梨縣平民」とある。
大正時代の作法の授業。奥の「忠」・「孝」の
文字が当時の教育を現わしている。
昭和 13 年の琴の特別授業。
昭和
昭和 20 年 空襲で焼
失した校舎。手前の門
柱と塀は戦後も使用さ
れた。奥の白い柱は焼
失した校舎の玄関部
分。
年。
45
昭和 19 年 工場での勤労奉仕。モンペ姿。
昭和 43 年の入学式。
昭和 57 年頃。学園祭での仮装行列。
昭和 52 年。甲府二高最後の学年の卒業式。
校章の取付
現在の西高