三上亮順氏 磯山・諏訪神社を語る

晃石会学習会
三上亮順氏 磯山・諏訪神社を語る
「学べば学ぶほど、自分は何も知らないことに気づく、気づけ
ば気づくほど、また学びたくなる」(アインシュタイン)
9月25日、大平町ふれあい館に、元大平町歴史民俗資料館
館長の三上亮順氏のお話を聞こうと60余名が集まりました。
諏
訪
神
社
三上氏は、「ふるさと大平の移り変わり」という資料を示さ
れ縄文時代からの遺跡に始まり、現代の各地区名の意味までと
ても興味深いお話をされました。
さらに海抜51m(県下1低い)磯山の諏訪神
そして、山頂から眺める晃石山とひろがる田園
社は、藤原秀郷が平将門の乱を平定するあたり、
風景は、まさに日本の郷土の美しさです。
信州諏訪大明神に戦勝祈願し、勧請した神社で、
“TPP”“原発”“アベノミスク”は、郷土美
真弓をはじめ隣接する13ヶ村の郷社として郷
を破壊しようとしています。かつてヒットラー
土の信仰を集めてきたこと。かつて大平中の卒業
は自分の政党を国民社会主義労働党と名づけま
生は式後登頂して、山上から母校と別れを惜し
したが、彼は国民も社会主義も労働者も無視し
み、今も赤ちゃんがお宮参りに詣でます。神社に
た独裁政治をしました。
掲げられている狂歌額は、安政6年(1854年)
安倍政権の「美しい日
川連栄四郎奉納、催主が真弓連と、この地域の文
本」で、郷土の美しさを
化を伝えています。
消滅させないよう、私た
山上には天狗岩・亀の子岩などの奇岩や、「天
ちの郷土の歴史を学び、
狗の足跡」という伝承のくぼみに加えて、昭和1
守る大切さに気づきまし
8年日立栃木工場が工業用水用として作った高
た。(山本)
磯山「日立の水道」
さ10メートルのコンクリートの水槽もあり、古
代から現代に至る歴史が感じられます。何気なく
見てきた山にこんな歴史があるのに感動したと
参加者の感想に記されました。
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さよなら原発! 11・10
栃木アクションに 2200 名
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