平成 21 年度新潟薬科大学薬学部卒業研究Ⅰ

平成 21 年度新潟薬科大学薬学部卒業研究Ⅰ
論文題目
糖鎖異常と癌の疾患に関する研究
公衆衛生研究室 4 年
06P108
五十嵐 優
(指導教員:酒巻 利行)
要 旨
ヒトゲノム DNA の解析が完了し、ポストゲノムとして有力な研究対象の一つとな
り得るのが糖鎖である。糖鎖は複雑な情報を有しており、様々な生命現象に関与して
いることが明らかとなっている。細胞間コミュニケーションをとる役割を担う糖鎖は、
「細胞の顔」ともいわれ、我々の身体の維持だけでなく細菌やウイルスなどによる感
染症や癌などの多くの病気の発症とも深く関わっている。
糖鎖学の研究では糖鎖の役割や機能を解明することにより新しい医薬品の開発や
様々な生命現象を明らかにすることに期待が持たれている。
この卒業研究Ⅰでは、糖鎖に関する基礎知識を身に付けるとともに、癌における糖
鎖異常に関する最新の研究報告を整理することを目的とした。
キーワード
1.糖脂質糖鎖
2.糖タンパク質
3.プロテオグリカン
4.N 結合型糖鎖
5.O 結合型糖鎖
6.糖転移酵素
7.CEA
8.ムチン型 O-結合型糖鎖
9.癌関連糖鎖抗原
目 次
1.はじめに
・・・・・・・・・・・・・・・ 1
2.糖鎖について
・・・・・・・・・・・・・・・ 1
3.糖鎖の種類
・・・・・・・・・・・・・・・ 3
4-1.糖転移酵素
・・・・・・・・・・・・・・・ 7
4-2.糖鎖の合成
・・・・・・・・・・・・・・・ 7
4-3.代表的な糖転移酵素
・・・・・・・・・・・・・・・ 8
4-4.糖転移酵素のまとめ
・・・・・・・・・・・・・・・ 10
5.癌と糖鎖の関係
・・・・・・・・・・・・・・・ 11
6.乳癌におけるムチン型 O-結合型糖鎖
・・・・・・・・・・・・・・・13
7.おわりに
・・・・・・・・・・・・・・・ 14
引用文献
・・・・・・・・・・・・・・・ 15
論 文
1.はじめに
動物の細胞に存在する複合糖質には様々な新しい生物活性が見出され、糖鎖は核酸
やタンパク質に次ぐ新しい生命に関する情報を持った物質と考えられている。糖鎖が生
命の情報を有しているという考えは、
 動物や植物などのすべての生命は細胞により構成され、その細胞は多量で多種の
糖鎖で全体を覆われていること。
 糖鎖は核酸やタンパク質と比べても多様性や特異性が高いこと。
 糖鎖は細胞の発生や分化に大きく関与していること。
などの事実からも支持されている。
糖鎖は細胞、臓器、個体などに多様性を与える因子の1つであると考えられ、構成する
物質によって糖脂質、糖タンパク質、プロテオグリカンの3種に大別される。最近の研究
によりこれらの糖鎖を生合成、修飾、分解する糖転移酵素遺伝子群のクローニングなど
が行われた結果、糖鎖の生物学的な役割と作用機構の原理及び生合成の経路が明らか
になってきた。
これまでの研究により、癌細胞の糖鎖では特定の糖鎖が増減する傾向が見られ、癌に
関する糖鎖を解析することによりそれぞれの臓器における癌の分化度、転移能などの予
想が可能になる期待がある。医学、薬学分野における糖鎖研究の発展がますます求めら
れているのが現状である
この論文では糖鎖についての文献1-5の内容を基に糖鎖の役割や機能、様々な糖転
移酵素をコードしている糖転移酵素群及び発癌に関与する可能性のある糖鎖について
順を追ってまとめていく。
2.糖鎖について
生体の中で糖質として存在しているたんオリゴ糖はグルコース、ラクトース、スクロース
がほとんどで、単純な構造の糖鎖であるセルロースやデンプン、グリコーゲン以外の糖鎖
はタンパク質や脂質に結合した形で存在し、これらの糖質は複合糖質といわれている。こ
の複合糖質はグルコース (Glc)、ガラクトース (Gal)、マンノース (Man)、N-アセチ
ルグルコサミン (GlcNAc)、N-アセチルガラクトサミン (GalNAc)、フコース (Fuc)、キ
シロース (Xyl)、シアル酸 (Sia)などの糖類が鎖状に多数グリコシド結合することによ
って形成されており、糖鎖はDNAやRNAのような核酸やタンパク質のアミノ酸鎖などと比
べ、非常に多様性に富んだ構造をしている。
これは糖鎖の結合部位が多いこととα結合、β結合などの結合様式の多様性によるも
のである。これらの糖鎖は生体内の細胞表面に存在し、細胞表面の糖鎖は白血球、癌細
1
胞、細菌、ウイルス、毒素、ホルモン、コラーゲンなどが、細胞に接着する際の結合部位と
なっている。この糖鎖の機能は多岐にわたり、この点において糖鎖は、酵素、ホルモン、
輸送体、構造分子などの多様な機能をもつタンパク質と似ているとも言える。また、レクチ
ンと呼ばれる糖結合タンパク質との相互作用により、糖鎖固有の機能として構造成分の
供給、タンパク質の物性の改変などを行っている。糖鎖の機能や役割の代表例として挙
げられるのは
1. 特定の糖鎖がタンパク質に結合することで糖タンパク質を安定させたり、新たな機能
を付加することがある。
2. 植物の細胞壁の主成分であるセルロース、および昆虫や甲殻類の外殻物質を構成
するキチンのような糖質分子は、生体の形態を維持し保護する機能を持つ。また細
菌が菌体外に生産する糖質分子のように、細菌自身の生育環境を維持する役割を
担うことがある。
3. 細胞間の情報伝達では情報伝達糖質分子のなかにはタンパク質や脂質と結合して
いる複合糖質と呼ばれるものがあり、特に細胞表面の複合糖質はその糖鎖部分が特
定のタンパク質や別の糖鎖と結合することで他の分子や細胞に情報を伝える情報性
分子としての機能が知られていて、 この現象は抗原-抗体反応、細胞の分化・接着、
および生理活性物質の受容体、等の重要な生理機能と関係している。
4. 細胞を識別する働きを持つものでは、ABO式の血液型を決定する糖鎖がある。
などである。
これらの糖鎖は私たちの体の維持に必要なものであるが、それだけでなく多くの疾病に
も関与している。
細菌やウイルスによる感染症、アレルギーやアトピー性皮膚炎などの免疫疾患、糖鎖不
全症候群などの神経疾患及びこの論文で取り上げる癌などが、糖鎖の異常が原因の一
つとなり得る疾患である。
2
3.糖鎖の種類と構造
通常糖鎖と言えばタンパク質や脂質に結合した糖鎖を意味し、脂質に糖鎖が結合する
糖脂質糖鎖及タンパク質に窒素や酸素原子を介して結合する糖タンパク質糖鎖、多数
の糖鎖が結合したプロテオグリカンの3種に大別される(図1)。以下にそれぞれの構造や
特性についてまとめた。
図1
複合糖質
糖脂質
糖タンパク質
N-結合型
プロテオグリカン
O-結合型
A.糖脂質
糖脂質を分類すると疎水性側鎖にジアシルグリセロールを持つグリセロ糖脂質と、脂
肪酸とスフィンゴイド塩基からなるスフィンゴ糖脂質に分類される。植物細胞や細菌の主
要糖脂質はグリセロ糖脂質であり動物細胞で見られる主要糖脂質はスフィンゴ糖脂質で
ある。
動物細胞で見られる糖脂質はスフィンゴ糖脂質であることからここでは主にスフィンゴ
糖脂質を扱う。スフィンゴ糖脂質は長鎖塩基であるスフィンゴシンと脂肪酸が酸アミド結合
してできるセラミド (Cer)を持つ。
スフィンゴ糖脂質にはスフィンゴシンに結合する一番最初に結合する糖がグルコース
(Glc)かガラクトース(Gal)かによって二つのサブタイプに分類することができる。スフィンゴ
糖脂質の糖鎖を構成する糖供与体はグルコース (Glc)、ガラクトース (Gal)、N-アセチ
ルグルコサミン (GlcNAc)、N-アセチルガラクトサミン (GalNAc)、フコース (Fuc)、グル
クロン酸 (GlcUA)、キシロース (Xyl)、シアル酸 (NeuAc)の8種類である。これらの単糖
はゴルジ体で順次付加されることによって糖脂質の糖鎖構造を形づくると考えられ、構造
の多様性はキシロース (Xyl)以外の7種類の単糖の結合順序、結合位置、アノマー配位
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によって生み出されている。小胞体膜の細胞質側のヌクレオチド供与体によるグルコース
(Glc)付加により開始され脂質が小胞体からゴルジ体に移動した後さらに糖が付加されて
いく。
糖鎖構造の規則性によって糖脂質を分類するとガラ系列、グロボ系列、イソグロボ系列、
ラクト系列、ネオラクト系列、およびガングリオ系列の基本糖鎖系列に分類される(表1)。
表1
HSO3-Galβ1-1´Cer
Galα1-4Galβ1-1´Cer
<ガラ系列>
GalNAcβ1-3Galα1-4Galβ1-4Glcβ1-1´Cer
Galα1-3Galα1-4Galβ1-4Glc1-1´Cer
<グロボ系列>
GalNAcβ1-3Galα1-3Galβ1-4Glcβ1-1´Cer
<イソグロボ系列>
Galβ1-3GlcNAcβ1-3Galβ1-4Glcβ1-1´Cer
<ラクト系列>
Galβ1-4GlcNAcβ1-3Galβ1-4Glcβ1-1´Cer
<ネオラクト系列>
NeuAcα2-3Galβ1-3GalNAcβ1-4Galβ1-4Glcβ1-1´Cer
Galβ1-3GalNAcβ1-4GalβGlcβ1-1´Cer
Galβ1-3GalNAcβ1-4Galβ1-4Glcβ1-1´Cer
Galβ1-3GalNAcβ1-4Galβ1-4Glcβ1-1´Cer
<ガングリオ系列>
B.糖タンパク質
糖とタンパク質が共有結合しているのが糖タンパク質であるが、構造的にはアスパラギ
ン (Asn)とN-アセチルグルコサミン (GlcNAc)がN-β-グリコシド結合したN結合型、セリ
ン(Ser)またはスレオニン (Thr)とN-アセチルガラクトサミン (GalNAc)がO-α-グリコシ
ド結合したO結合型の2種類に大別される。
(1)N結合型
N結合型糖鎖はそれらの構造的な特長によりN-アセチルガラクトサミン型、オリゴマンノ
ース型、ハイブリッド型の3つの型に分類することが出来、それぞれ異なった機能を持つ。
N結合型は生合成の経路がとても複雑で構造的多様性が高いとされている。図には代表
的なN結合型の例を示し(図2)、それぞれについて述べていく。
1.N-アセチルラクトサミン型(複合型、コンプレックスタイプとも)
マンノース (Man)を3残基含む共通のコア部分とその外側のN-アセチルグルコサミン
(GlcNAc)、ガラクトース (Gal)、等を含む側鎖部分から成る。
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この型は構造が非常に多様で、その原因としてはガラクトース-N-アセチルラクトサミンの
側鎖数の多様性、コアおよび側鎖に結合する単糖の種類の多様性、糖の結合位置の多
様性などのためである。
2.オリゴマンノース型(高マンノース型、ハイマンノースタイプとも)
N-アセチルラクトサミン型と同じコア構造の外側にマンノース (Man)が結合したもので
結合様式が図示したもの以外無いので構造の多様性はそれほど多くない。
3.ハイブリッド型(混成型とも)
β-マンノースから分岐する2つのマンノースのうち、α1→3側がN-アセチルラクトサミン
型でα1→6側が オリゴマンノース型という両方の性質を備えていることを特徴とする。
図2
1. N-アセチルラクトサミン型
Galβ4GlcNAcβ6
Galβ4GlcNAcβ2
Galβ4GlcNAcβ4
Galβ4GlcNAcβ2
Fucα1
Manα6
Manβ4GlcNAcβ4GlcNAc
Manα3
2. オリゴマンノース型
Manα2Manα6
Manα2Manα3
Manα6
Manβ4GlcNAcβ4GlcNAc
Manα2Manα2Manα3
3.ハイブリッド型
Manα6
Manα3
Manα6
GlcNAcβ2
Manβ4GlcNAcβ4GlcNAc
Galβ4GlcNAcβ4
GlcNAcβ4
Manα3
(2)O結合型糖鎖
O結合型糖鎖は構造と機能の両面で非常に多様であり構造としては6種類の基本構造
によって分類されている。セリン残基またはトレオニン残基の側鎖にN-アセチルガラクトサ
ミン (Galc)が結合し、それにGalβ1→3結合したものが典型的なO結合型糖鎖である。
O結合型糖鎖の代表的なものとしてムチン型糖鎖がある。ムチンは細胞の上皮細胞など
から分泌される高分子粘液性糖タンパク質であり、粘膜を保護する分泌型ムチンと、細胞
膜に結合した状態で存在し、情報の伝達や細胞の接着を制御する膜結合型ムチンに分
類される。
5
ムチンは糖含量が50%以上を超えるほど多数の糖鎖が結合している。
構造としては単糖からの物や20以上の糖から成るなど多様である。基幹構造は母核構造、
ガラクトース (Gal)、N-アセチルグルコサミン (GlcNAc)の繰り返しであり、そこにシアル
酸 (Sia)やフコース (Fuc)が結合して修飾されている。また、基幹構造はGalβ
1-3GlcNacとGalβ1-4GlcNacの2種類が存在し、母核構造はセリンもしくはスレオニン
残基に結合したN-アセチルグルコサミン (GlcNAc)とこの糖に結合した1~2個の糖から
なるものの8種類が知られている。
O結合型糖鎖の末端構造はN結合型糖鎖と同一であったりよく似ていたりすることがあ
るため糖鎖としての機能が時として重複していることがある。
C.プロテオグリカン
プロテオグリカンは分子量4万5千~30万のコアタンパク質のセリン残基に一本あるいは
多数のグリコサミノグリカンが共有結合した糖タンパク質糖鎖の一種である。
このグリコサミノグリカンはプロテオグリカンに重要な機能を付加しており、その構造はウ
ロン酸またはガラクトース (Gal)がヘキソサミンと結合した基本の二糖単位が直鎖状に繰
り返した多糖である。二糖単位の組み合わせにより、コンドロイチン硫酸、デルマタン硫酸、
ヒアルロン酸、ケラタン硫酸、ヘパラン硫酸、ヘパリンなどに分類される。
コンドロイチン硫酸ではグルクロン酸とN-アセチルガラクトサミンが二糖単位を形成し、
N-アセチルガラクトサミンの4位または6位のどちらかが規則的に硫酸化されコンドロイチ
ン4-硫酸とコンドロイチン6-硫酸に分類することができる。ヘパラン硫酸の硫酸化では全
体に不規則な硫酸化が起こる。
これらのグリコサミノグリカンの特定の機能には糖残基の特定の位置に結合した硫酸基
が重要な役割を果たしていてその主な機能としては軟骨組織形成、抗血液凝固作用、細
胞の増殖、角膜形成などがあげられる。
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4-1.糖転移酵素
DNAの複製やRNAへの転写は酵素によって行われるがこの合成の過程では一塩基を
繋げるときに別々の酵素が存在するのではなく一つのDNAポリメラーゼあるいはRNAポ
リメラーゼがすべての複製もしくは転写を担当し、鋳型に沿って4種類のヌクレオチドを重
合していく(図3)。
図3
転写によるRNA鎖の合成
鋳型となるDNA鎖
C―G―T―A―T―C―G―C―T―A―C
G←C←A←U←A←G
合成されるRNA鎖
ヌクレオチド間の結合はRNAポリメラーゼが作る
これらの合成反応の特徴は、重合反応の主役である酵素複合体が主に一種類であるこ
とと、鋳型に沿って高分子が合成されることである。
4-2.糖鎖の合成
これらのDNA、RNA、タンパク質の合成に対して糖鎖の合成反応は、糖ヌクレオチドか
ら糖が糖転移酵素の働きでタンパク質や脂質などの受容体に転移されて糖鎖の合成が
始まり、糖鎖の合成は糖供与体と、この糖を受け取る受容体、糖を受容体に結合させる
糖転移酵素が必要である。
これらの三者の組み合わせはそれぞれの糖鎖によって決まっていてそれぞれの組み合
わせは膨大な数になっており、糖鎖構造の多様性は糖供与体、受容体、糖転移酵素の
働きによって決まる。
このことから糖供与体、受容体によってすべて異なる酵素が働くのでDNAやRNAとは
違い鋳型がなくても必要な糖鎖を合成することができる
またそのため糖鎖の合成は糖一残基ごとに別々の酵素が反応を担当するため一残基ず
7
つ段階的に一つずつ延びていく。この時、還元末端から非還元末端に向けてゴルジ装
置内部で合成が進行する(図4)。
図4
糖鎖の合成反応
糖転移酵素
糖供与体 + 受容体
糖鎖
酵素A
酵素B
酵素C
酵素D
糖の供与体は一般に5´二リン酸残基の末端リン酸基と糖残基の還元基がエステル結合
したもので、糖供与体の糖ヌクレオチドでは糖に対してだけでなく塩基側の構造に対して
も特異性を示し、この塩基側と糖の組み合わせはヒトでは、UDP-Glc、UDP-Gal、
UDP-GlcNAc、UDP-GalNAc、UDP-GlcA、UDP-Xy1、 GDP-Man、GDPFuc、
CMP-NeuAcなどが生体内でよく用いられている組み合わせになっていてこれらは細胞
の中で糖-リン酸エステルとヌクレオシド三リン酸から生成される。
4-3.代表的な糖転移酵素
糖転移酵素は糖の供与体にも受容体に対しても高い特異性があり、原則として一結合
様式・一酵素であると考えられている。したがって哺乳類に存在する糖鎖構造の合成の
ためには100~150種、またはそれ以上の糖転移酵素が存在していると考えられている。
また一般に糖鎖は非還元末端へと延びていき、シアル酸やフコースが転移されるとそれ
以上その糖鎖は延びなくなるので糖鎖の中ほどにシアル酸やフコースをもつ糖鎖は存在
しない。
糖鎖発現の制御及び糖鎖自身の生物的な役割を解明するには糖転移酵素遺伝子の
単離が必要である。
単離の方法としては糖転移酵素を均一成分になるまで精製し、アミノ酸配列を決定し、
その情報から遺伝子をクローニングするものや、酵素を精製するのではなく発現クローニ
8
ング法により直接遺伝子をクローニングする方法がある。
クローニングされた代表的な糖転移酵素遺伝子群は表2示すとおりです。
表2
糖転移酵素遺伝子群
酵素名
GnT群
N‐acetylglucosami
-nyltransferase
FucT群
fucosyltransferase
GalNAcT群
N-acetylgalactosa-
minyltransferase
GalT群
galactosyltransfer-
ase
ST群
sialytransferase
受容体
(アクセプター)
生物種
GnT Ⅰ
GnT Ⅲ
GnT Ⅴ
Man
ウサギ、ヒト、マウス
ラット、ヒト
ラット
α(1,2)FucT
FucT Ⅲ~Ⅵ
Gal
Galβ(1,4)GlcNAc
ヒト
α(1,3)GalNAcT
Peptide-GalNAct
Fucα(1,2)Gal-R
-Ser/Thr
ヒト
ウシ
β(1,4)GalT
α(1,3)GalT
β(1,3)GalT(B)
α(1,1)GalT
GlcNAc
Galβ(1,4)GlcNAc-R
Fucα(1,2)Gal-R
Ceramide
ウシ、マウス、ヒト
ウシ、マウス、ヒト
ヒト
ラット
α(2,6)ST
α(2,3)ST
α(2,3)ST
Galβ(1,4)GlcNAc
Galβ(1,3)GlcNAc
Galβ(1,3/1,4)GlcNAc
ラット、ヒト
ブタ
ラット
それぞれの酵素遺伝子について
① GnT N-アセチルグルコサミン糖鎖遺伝子群
この酵素群は糖タンパク質のN結合型の合成に関与しているもので重要なものであり、
400以上のアミノ酸からなる比較的長い構造となる。GnTⅠはハイブリッド型やコンプレッ
クス型のN結合型糖鎖合成について合成の基点として働くため重要な働きをしている
GnTⅢは糖タンパク質の複合型やハイブリッド型の生成物に存在する。ラットの前癌病変
である腹水肝癌細胞や過形成結節、LECラット(肝炎および肝臓癌を自然発生するラッ
ト)などの組織に多数発現するが正常な肝臓にはほとんど発現しないなどの特徴が見ら
れ癌の転移との関連がある。GnTⅤはヒト乳癌の生体検査材料や大腸癌、乳癌などで
GnTⅤの活性が増加することや、GnTⅢと同様にLECラットの肝臓癌に多数発現する。
② FucT フコース転移酵素遺伝子群
FucTはそれぞれFucTⅢ、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ、ⅦがありⅣ以外はヒトの第九染色体に存在してい
て、全ての酵素は構造的に相同性を有している。それぞれの酵素の機能が互いに重な
っているがそれぞれの機能の分担や制御、違いについてはまだわかっていない。
③ GalNAc T N-アセチルガラクトサミン転移酵素遺伝子群
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これらの酵素群はメラノーマやニューロブラストーマなどの腫瘍に特異的なガングリオシド
を合成することから癌化と関連がある。またこれらはガングリオシドを合成するため、神経
系の形成、維持にも関与していると思われている。
④ GalT ガラクトース転移酵素遺伝子群
乳汁や血清やその他の体液に存在していて、β(1,4)GalTはα-ラクトアルブミンの存
在下でのラクトースの合成とN結合型糖鎖の合成を行い、α(1,3)GalTでは腫瘍細胞に
おける糖鎖の産生物に発現があるため注目されている。
⑤ ST シアル酸転移酵素遺伝子群
一般に糖鎖は非還元末端へと延びていき、シアル酸やフコースが転移されるとそれ以上
その糖鎖は延びなくなるので糖鎖の中ほどにシアル酸やフコースをもつ糖鎖は存在しな
い。
つまりシアル酸は糖タンパク質や糖脂質の末端の糖鎖をごうせい構成しているので糖
鎖の機能(細胞接着分子のリガンド、受容体の調節、発生分化誘導など)に関わっている。
細胞が癌化するにつれて細胞表面の糖鎖がシアリル化して行くためヒトの結腸直腸癌や
ラットの肝癌ではα(2,6)STの活性が正常な組織と比べて高くなる。このため癌化とシア
ル酸転移酵素遺伝子群との間では関係が見られる。
4-4.糖転移酵素のまとめ
糖鎖の機能を解明するためには個体での糖鎖転移酵素遺伝子の改変が有効と考えら
れているが、これは個体での強制的に発現させたトランスジェニックスマウスや遺伝子欠
失マウス(ターゲッティング)を用いることで解明できることがある。これらの転移酵素遺伝
子を単離して解明することで様々な糖鎖機能の発現や制御機構、癌細胞や特定の組織
で特異的に発現する理由が明らかになると思われる。
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5.癌と糖鎖の関係
癌転移
癌の転移とは最初癌が育っている場所を離れてほかの場所で増殖を開始することを言
うが、この転移は癌細胞が最初に発生したときの最初の細胞がすぐに転移し始めるので
はなく、癌細胞が分裂増殖するにしたがって転移に必要な様々な細胞形質を獲得し、よ
り悪性の強い細胞になったときに転移し始めるようになる。つまり、転移が癌の進行ととも
に起こりやすくなるのは癌の細胞の数が多くなり転移する確率が上昇するのではなく細胞
の性質が変化するためである。癌の転移先については癌の種類によって特異性があり、
転移性がある細胞でも決められた臓器に転移する傾向が高い。
癌における糖鎖構造変化
糖タンパク質の糖鎖はタンパク質に特有の物性を与えるのみならず、多細胞生物にお
いて種々の細胞間または細胞とタンパク質の識別について重要な役割を果たしている。
癌マーカー
癌マーカーは正常な細胞には見られないが癌細胞では存在が確認できる物質を意味
する。糖鎖による癌マーカーは最も使われているものでは癌胎児性抗原(CEA)が挙げら
れる。CEAはヒトの大腸癌から取り出されたタンパクで、その免疫学的な性質が胎児の組
織と共通性を示すことから癌胎児抗原と呼ばれている。
癌胎児性抗原 (CEA)は、癌診断の第一スクリーニング検査に最も用いられている腫
瘍マーカーである。CEAは糖タンパク質でアミノ酸により構成されていてその28箇所にN
結合型糖鎖が結合することができ、腸上皮細胞の頂端部側に存在している。
正常細胞からもCEAの成分は見られ、胎便および糞便中から精製されそれぞれNCA-2
およびNFA-2といわれる。
同一細胞の同一部位に局在した糖タンパク質はほぼ同一の糖鎖構造を示すことから、
腸上皮細胞産生糖タンパク質のN結合型糖鎖抗原の癌性変化はCEAとNCA-2もしくは
NFA-2との比較によって確認することができる(図5)
CEAが腫瘍マーカーとしてよく使われている理由としては
 検査値を見るだけで判断が可能であること
 消化器癌や乳癌,肺癌,膀胱癌,前立腺癌,卵巣癌などの癌疾患で反応するため
 腫瘍の悪性か良性かを判断する情報になる
 癌の存在する場所を探すことができる
11
 手術後の経過が観察できる
 化学療法の判定に用いられる
などが挙げられる。
N結合型糖鎖との関係
図にあるように癌胎児性抗原 (CEA)はN結合型としての構造を持っていて、糖鎖のマ
ンノースコアにはN-アセチルグルコサミンやフコースが結合している。
癌化した腸上皮細胞が肝転移して、その癌細胞で産生された糖鎖の側鎖部分はタイ
プ2の糖鎖のN-アセチルラクトサミンを中心として、そのフコシル誘導体であるLexおよ
びLeyなどが主要な構造になっている。
正常な細胞ではLex抗原決定基は少ないが癌化することで大幅に増加する。また、癌化
することで Ley抗原決定基もLex抗原決定基増加することからCEAの値によって癌を確
認する要因となることができる。
癌患者の糖タンパク質のN結合型糖鎖を解析することによってN結合型糖鎖はそれぞ
れの臓器に出来た癌の特性を現すことができる。
したがってN結合型糖鎖を解析することでそれぞれの臓器の癌の分化度、転移能など
の予後についての予想などの判定をすることができる可能性がある。
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6.乳癌におけるムチン型 O-結合型糖鎖
これまでに述べてきたように正常な細胞に癌細胞が発現すると正常な細胞では見られ
なかった糖鎖が発現したり本来あるべき糖鎖が減少したりする。発現、減少する糖鎖は各
臓器によって異なるのでここでは乳癌におけるムチン型の O-結合型糖鎖についてまとめ
ることにする。
ムチン型の O-結合型糖鎖に関する癌細胞が発現した時の変化は大きく二つに分けら
れる。一つは糖鎖の伸長が停止した糖鎖不全状態のものと抗原に対して多数の糖鎖が
結合した糖鎖に分けられる。癌関連糖鎖抗原には T 抗原と Tn 抗原の癌に関連する構造
とルイス抗原が存在する。これらの構造が変化することによって抗原性や転移性、癌の細
胞粘着性などの機能が変化する。このムチン型糖鎖はより詳しい癌の診断と予後の判断
や癌ワクチンの開発などがについて注目され研究されている。
癌におけるムチン型の O-結合型糖鎖の変化を表3示す。
表3
O-結合型糖鎖で増加するも
の
Tn 抗原
Sialyl Tn 抗原
Core 1, T 抗原
Sialyl-T 抗原
Core 2
Core 3
Core 4
Type 1 鎖
Type 2 鎖
Sialyl-Lewisa
Sialyl Lex
Sialyl-dimeric Lewisx
糖鎖構造
癌の増減
GalNAcα-Ser/Thr
Sialylα2-6GalNAcα-Ser/Thr
Galβ1-3GalNAcα-Ser/Thr
Sialylα2-3Galβ1-3GalNAcα-Ser/Thr
GlcNAcβ1-6 Galβ1-3)GalNAcα
↑
↑
↑
↑
-Ser/Thr
GlcNAcβ1-3GalNAcα-Ser/Thr
GlcNAcβ1-6 GlcNAcβ1-3)GalNAcα
-Ser/Thr
[GlcNAcβ1-3 Galβ1-3]n
[GlcNAcβ1-3 Galβ1-4]n
Sialylα2-3Galβ1-3 Fucα1-4)GlcNAc
β1-3Gal
Sialylα2-3Galβ1-4 Fucα1-3)GlcNAc
β1-3Gal
Sialylα2-3Galβ1-4 Fucα1-3)GlcNAc
β1-3
↑
↓
↓
↓
↑
↑
↑
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乳癌細胞において特有の働きを示すものは多数存在するが、最近の研究によって明
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らかになったものや重要性が高いものとしていくつかをまとめる。
シアリル化したコア 1 は一般的な糖鎖とされているがコア 1 に対して影響する
3-sialyltransferase I (ST3Gal-I)の増加は乳癌細胞に特有なものである。コア 2 構造
は 乳 癌 細 胞 で 減 少 す る こ と が あ り 、 Sialyl Lex 抗 原 で は 増 加 す る 。 こ れ は α
3-fuctransferase VI によるもので、3-fucosyltransferase が胸の腫瘍における Sialyl
Lex 抗原の管理と制御を行っている。腫瘍に特有の STn 抗原の発現は癌の転移の可能
性を示唆しており、α6-sialylransferase I (ST6GalNAc-I)と関連がある。
これらのようなムチン型糖鎖はより詳しい癌の診断と予後の判断や癌ワクチンの開発
などについて注目され研究されている。
7.おわりに
この卒業研究Ⅰの糖鎖というテーマは DNA や RNA などに次ぐポストゲノム研究の一
つとして考えられているように重要で有益なテーマであり、癌との関連性も深いことからと
ても興味を持ちました。
私がこの論文を作成するに当たり、私は最初に糖鎖についての理解を深めるため糖鎖
についての参考書を読むなどして糖鎖がどのようなものか、糖鎖と癌にどのような関係が
あるのかを調べ、この卒業論文Ⅰには糖鎖とは何かというところから始め、糖鎖の役割、
糖転移酵素などについて順を追ってまとめました。
癌と糖鎖との関係において癌細胞における糖鎖の役割や糖転移酵素、癌関連糖鎖抗
原などについては今後さらに研究が進むことで癌ワクチンやより優れた癌マーカーなどの
医薬品の開発に期待が持てると考えられる。癌以外でも細菌やウイルスによる感染症や
アレルギー、アトピー性皮膚炎、糖鎖不全症候群などの神経疾患、代謝系疾患などの糖
鎖の異常による疾病も今後の研究により改善されていくと考えられる。
卒業研究Ⅱでは糖鎖についてより詳しく調べ、内容の充実したものにしたいと思います。
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引 用 文 献
1. 谷口直之, 池田義孝, 石田信宏, 長束俊治, 中田博, ポストゲノム時代の糖鎖生物
学がわかる, 谷口直之, 羊土社, 2002, pp. 12-82
2. 辻祟一,梶本哲也, 糖鎖科学への招待, 秀島功, 三共出版, 2008 pp.1-41
3. Maureen E, Kurt Drickamer, Introduction to Glycobiology, 曽根良介, 化学
同人, 2005, pp.1-133
4. 乾幸治, 入村達郎, 岡本伸彦, 神奈木玲児, 小林隆彦, 糖鎖Ⅱ 糖鎖と病態, 永井
克孝, 東京化学同人, 2002, pp.12-115
5. Brockhausen I., Mucin-type O-glycans in human colon and breast cancer:
glycodynamics and functions, EMBO Rep. 2006, 2006,pp.599–604
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