発表レジュメ(PDF) - 早稲田大学韓国学研究所 WIKS

ポライトネス理論からみた日韓挨拶表現の対照
―出会いの場面を中心に―
岡村佳奈(東京大学総合文化研究科博士課程)
1.
はじめにあ
一般に外国語・第二言語の学習は、
「おはようございます。」
「こんにちは。」
「さようなら。」
のような挨拶から始まる。これは、挨拶が他人と出会ったり別れたりする時に必ず行われ
る使用頻度の高い言語行動であり、また挨拶一つをどのようにするかによって話し手の印
象やその後に展開される対話の雰囲気などが決定されてしまうことに起因すると考えられ
る。さらに、挨拶は「言語生活に早くから根付いている文化的表象 (서정수 1998:13)」で
あるため、挨拶を通して目標言語文化(target language culture)を教育することができると
いう観点からも教育の場で重要視される学習項目であると言えるだろう。
ところが、挨拶といえば前述したような定型的な表現だけが想定され教育されることが
多いように思われる。しかし近年に入ってからは、定型的表現以外にも話し手が置かれて
いる状況や聞き手との関係によって多様な表現が使い分けられるということが述べられる
ようになってきた。親しい友人には「영화 보러 왔어?(映画観に来たの?)」「여기
웬일이야?(どうしてここに?)」
、親しくない友人には「안녕? (安寧?/こんにちは。) 1」
をよく用いるということを報告した박수란(2005)がその一例である。このような挨拶の使
い分けは、母語話者にとっては意識せずに行えるものであっても、外国語・第二言語学習
者にとっては容易ではないため、これに関する実証研究が必要であり、その研究結果が教
育の場でも活用される必要があると思われる。
本発表では以上のような教育的必要性から、言語的にも文化的にも似通っていると言わ
れている日韓挨拶表現、特に出会いの場面における表現を比較し、日本語・韓国語教育の
ための基礎資料を提供することを研究目的とする。
なお、挨拶の定義については、洪珉杓(2000)による「人間が他人と円滑な人間関係を維
持強化するために交わす社交的または儀礼的な行動様式の一つ」など、ほとんどの先行研
究で「他人との人間関係を円満に築くために交わされる行動様式」という共通した立場を
とっている 2。しかし황병순(1999)によれば、このような働きをする行為は挨拶以外にも見
られるため 3、挨拶について定義づけを行う際には、出会いと別れの場面で交わされるとい
1
括弧内に記載した翻訳は、前者が直訳、後者が意訳したものである。今後、便宜のため意訳し
たものだけ記載することとする。
2
その他の先行研究では、박영순(2003)で「人間が社会生活を営む上で円滑な人間関係を維持強化したり
社会秩序の安定を維持するため交わす社交的もしくは儀礼的な行動様式の一つ」
、名倉康司(2005)で「人と
人が出会ったときに社交・儀礼的に交わす言葉や動作で、相手に敬意や情意を示して、好意的な関係を結
んだり維持したりする行為」と定義づけられている。
3
황병순(1999:8)ではこのような機能を親交的機能と称している。そして挨拶だけでなく、注意喚起のた
1
う場面的な制限を付け加える必要があるという。以上のような論議を踏まえ、本発表では
挨拶を拙稿(2014)と同様「他人と出会ったり別れたりする時、円満な人間関係を形成・維
持強化するために交わす社交的もしくは儀礼的な行動様式」と定義づけることとする。従
って、食事の前の挨拶や式典の時などのスピーチにおける挨拶などは研究対象から除外す
る。また、定義の中でも示されているように挨拶は行動様式であり、言葉だけでなく行動
も挨拶の一部をなす重要な要素である 4。だが、本発表では表現だけに限定して議論を進め
ることとし、今後は用語も「挨拶表現」で統一することとする。本発表は言語教育の観点
から述べる研究であるため、行動より言語的側面にまずは注目すべきだと考えたためであ
る。
2.
2.1.
先行研究及び本発表における研究課題
挨拶表現の使用様相に関する先行研究あ
挨拶表現に対する研究は、挨拶表現の概念と機能に関する基礎的な研究の域を脱しなか
ったが、徐々に韓国語・日本語における挨拶表現の使用実態が明らかにされてきた 5。
まず、日本語挨拶表現の研究に関しては、若年層では「こんにちは」
「こんばんは」が目
上には用いられるが友人にはあまり用いられないこと、友人や目下に対しての方が目上に
よりも様々な表現を用いることなどが羅聖淑(2010)によって報告されており、上下距離感
が日本語挨拶表現に影響することが示唆されている。また中西太郎(2005)では、親しい人
には「お久しぶりです。
」や「調子はどう?」などの典型的な挨拶表現を用いて短く、親し
くない人にはそれに加えて実質的な意味を持つ表現を用いて長く挨拶をするということが
言及されており、親密度も影響することが明らかにされてきている。
韓国語に関しては、박수란(2005)、차정민(2005)によって親密度が挨拶表現に反映され、
親しい人には親密度や情を示せたり直接的で個人的なことを尋ねたりする質問形の表現を、
親しくない人には儀礼的だったり曖昧な表現を用いるという調査結果が報告されている。
ただし박수란(2005)では、目上の人への態度を重視する文化的影響のため、親しくても目
上の人には儀礼的な挨拶表現を使用することを明らかにもしている。
最後に日韓挨拶表現の対照に関しては、박영순(2003)、金香来(2000)などが挙げられる。
박영순(2003)では、(1) 目上の人には日韓両国で丁寧な挨拶表現が用いられること、(2) 韓
国では親しい人にはぞんざいな表現、親しくない人には丁寧な表現が好まれる反面、日本
めに用いられる「있잖아.(あのね。)」や話が円満に進んでいることを示す「그럼, 그렇죠.(うん、そうで
すね。)」
、
「네, 네.(はいはい。)」などもこの機能を担うと述べている。
4
沖久雄(1985、박수란 2005:9 より再引用)では、挨拶の構成要素には言語的成分だけではなく非言語的成
分も含まれていることが言及されている。挨拶は、前者である挨拶表現なしでもお辞儀や笑顔などの非言
語的成分、すなわち行動だけでも成立するため、挨拶の分析においては重要であることは事実である。
5
前述したように、本発表では挨拶の表現だけに注目し行動的側面には注目しなかった。そのため、先行
研究の検討においても挨拶行動についての言及は省略した。
2
では親疎による差異があまりなく一つの表現だけが用いられること、(3) 日本語よりも韓
国語の方が多様な表現で挨拶することなどを明らかにした。金香来(2000)では、韓国では
親密度によって用いられる表現が変わるのに反し、日本では挨拶を社会的な儀礼として考
えるため親密度に関わりなく定型性の高い表現が概して好まれることが述べられている。
2.2.
挨拶表現の分類と機能に関する先行研究a
どの言語においても一般に挨拶表現は定型化している傾向にある(서정수 1998:14)。し
かし,実際の日常生活では定型的表現だけではなく,非定型的な表現によって挨拶がなさ
れることも少なくない。このような観点からこれまでの研究では、김선정・김예지(2011)
や小林祐子(1981)、拙稿(2014)のように定型性の可否を軸に挨拶表現を分類し、分析する
研究が際立って多かった。
なお、定型的表現とは、金香来(2000:56)が言及しているように同じ状況が与えられた
時、多くの人によって用いられる頻度が高い表現のことである。また、小林祐子(1981:89
~90)では、定型的表現について「決まり文句」の非命題的な表現であり、言語形式が省略
されている場合もあると指摘している。つまり、定型的表現とは、言語形式が割合に固定
化されているため使用頻度が比較的高く、元来の意味が希薄になったり失われてしまって
いたりしている表現のことであり、場合によっては言語形式が省略され得ることもある表
現のことを指す。具体的には、
「今日は」の後に続くべき言葉がなくなるほど言語形式が決
まりきっている「こんにちは。
」や、
「오랫동안 못 봤네요.(長らくお会いできませんでし
たね。)」などという他の表現はあまり用いられない「오랜만이에요.(お久しぶりです。)」
などがその例に挙げられるだろう。これに反して非定型的表現とは 6、言語形式が固定化し
ておらず、個人の裁量によって様々な表現が用いられるため、実質的な意味、命題が伝え
られる表現である。例えば、
「最近どう?」「夏休みの宿題終わりました?」「요즘 공부 잘
되니?(最近、勉強上手くいっている?)」は、相手の安否を尋ねているという点では共通
していても、言語形式に多様性が見られ、人によって異なる表現が選択されるため、非定
型的表現である。
また、定型/非定型的表現は、コミュニケーションにおいて担っている機能という側面
から、前者はネガティブ・ポライトネス(以下、NP)、後者はポジティブ・ポライトネス(以
下、PP)に該当する働きをすることも指摘されてきた(강성영 2011、拙稿 2014 など)。こ
こで述べられているNP/PPとは、ブラウン&レヴィンソン(2011)のポライトネス理論
における概念であり、人間が持つ次のような基本的欲求をそれぞれ補償する行為のことを
指す。
6 先行研究では、非定型的表現に対する用語は統一されておらず、김선정・김예지(2011)では「一般発話」
、
小林祐子(1981)では「準定型」としている。本発表では用語の分かりやすさという点から「非定型的表現」
という用語を採択した。
3
ネガティブ・フェイス = “他者に邪魔されたくない・踏み込まれたくない”欲求
ポジティブ・フェイス = “他者に受け入れられたい・よく思われたい”欲求
(滝浦真人 2008:17)
すなわち、NPとはネガティブ・フェイスを補償する行為であり、相手を遠ざけたり距
離を置いたりしたいと思っている時、また相手に配慮や敬意を示したいと思っている時、
有効に用いられる方法である。一方、PPとはポジティブ・フェイスに対応する行為であ
り、相手との距離を縮めたり親密さを表したりしたい時、親しい人との言語行動で頻繁に
現れる。この二つは対極的な関係をなしており、概してNPはネガティブ・フェイスを満
たす代わりにポジティブ・フェイスを、PPは反対にポジティブ・フェイスを補償する代
わりにネガティブ・フェイスを侵害する危険性を伴っている。
ここで今一度、挨拶表現に話を戻すと、定型的表現がNPと理由づけられる原因は、ブ
ラウン&レヴィンソン(2011)によるNP/PPの下位ストラテジーで、
「慣習に基づき間接
的であれ」
、すなわち習慣的、典型的に用いられる表現はNPだと述べられているためであ
る。それに対し非定型的表現がPPだとされるのは、先ほど例に挙げた表現が人から好か
れたい、受け入れられたいという相手の欲求を満たし「聞き手(の興味、欲求、ニーズ、持
ち物)に気づき、注意を向けよ」というストラテジーに該当するなど、多くの非定型的表現
が以下のようなPPストラテジーと対応していることに起因する。
表1
NP
ブラウン&レヴィンソン(2011)によるNP/PPストラテジー7
慣習に基づき間接的であれ
聞き手(の興味、欲求、ニーズ、持ち物)に気づき、注意を向けよ
仲間ウチであることを示す指標を用いよ
PP
共通基盤を想定・喚起・主張せよ
聞き手に贈り物をせよ(品物、共感、理解、協力)
2.3.
本発表における研究課題あ
以上、先行研究を概観してきたように、日本語と韓国語に関しては、挨拶表現の研究が
ある程度蓄積されてきたがまだ研究が不十分であり、今後も先行研究の報告を立証、もし
くは詳細化する研究が必要であると考えられる。とりわけ日韓挨拶表現の対照に関しては、
日本語の方が韓国語より定型性が高いということへの注目が顕著であるが、より具体的な
比較が行われなければならないだろう。
そして分類と機能に関しては、これまで定型/非定型的表現、NP/PPという二項対
立が中心に、定型的表現はNP、非定型的表現はPPの傾向が強いことが議論されてきた。
7
NP/PPストラテジーより挨拶表現と関わりがありそうなもののみを一部抜粋した。
4
しかし、ある表現の定型化というものは時代を経て少しずつ進んでいくため、どちらに属
するかが明確でなく両者の間に位置するような表現もあると思われるが、それらはどう捉
えるべきなのかという問題は未だ解決されずにいる状態である。また、定型的表現である
にも関わらずPPの特徴を持っていたり、非定型的表現であるのにPPが弱くNPの傾向
が見られたりする表現もあるが、そのような表現をどのように分類するかという疑問点も
残されている。例えば「おっす。
」や「ちわー。」などは、それぞれ「おはようございます。」
「こんにちは。
」が省略された挨拶表現であるため、言語形式から言えば定型的表現に相当
する。ところが中西太郎(2008:77)では、これらが「おはよう。」よりも親しい関係で用い
られると述べており、他の定型的表現よりもPPの傾向が強いこと示唆されている。
そこで、本発表では「定型的表現=NP、非定型的表現=PP」という枠組みでは処理
しきれない中間的なものを「準定型」と名づけ、以下のような研究課題に取り組むことと
する。
(1)
日韓でよく用いられる挨拶表現を定型/準定型/非定型的表現に分類する。
(2)
(1)の分類に基づいて親密度や上下関係による日韓挨拶表現の使用様相を比較し、
その特徴を明らかにする。
3.
調査の概要
本発表では日韓挨拶表現の様相を明らかにするため、2012 年 7 月から 9 月に 20~30 代の
韓国語母語話者 25 名(平均年齢 29.6 歳、男女比 13:12)、2014 年 8 月から 12 月に同じく
20~30 代の日本語母語話者 25 名(平均年齢 29.0 歳、男女比 12:13)、計 50 名を対象に調
査を実施した 8。地域差が挨拶表現に影響を及ぼすことが予想されるため、韓国語母語話者
はソウル・京畿、日本語母語話者は東京・千葉・埼玉の首都圏に在住する被験者にのみ調
査を依頼した。
調査方法としては、挨拶が行われる状況を被験者の母語で提示した後、次のような異な
る相手に対してどのように挨拶をするか、口頭で自由に答える口頭言語産出アンケートを
用いた。アンケートへの回答は全て録音、テープ起こしをした後、分析を行った。
表2
口頭言語産出アンケートにおける聞き手の変数
親密度
上下距離感
親しい目上の人
親しくない目上の人
親しい同年輩
親しくない同年輩
親しい目下の人
親しくない目下の人
8
韓国語母語話者によるデータは拙稿(2014)と同一のものであり、日本語母語話者によるデータは本発表
で追加したものである。
5
被験者に提示した状況は、日常的な状況と特殊な状況に分かれる以下のような 6 つの状
況である 9。このような状況は、박수란(2005), 김선정・김예지(2011)などの先行研究と予
備調査から外国語・第二言語学習者が(1)エラーを犯す可能性、(2)遭遇する頻度、(3)学習
に対する要望の度合いが高いと判断された状況である 10。例えば、未知の間柄で交わされる
初対面の挨拶表現は外国語・第二言語学習で重要視される傾向があるが、ほとんどの学習
者が現在の教育に満足していたため、初対面の状況は、研究対象から除外した。
表3
口頭言語産出アンケートにおける状況
状況
状況 1 日常的に出会った時
提示した質問
学校に着いたところ、先に来ていた次のような日本人/韓
国人と目が合いました。何と挨拶しますか。
日常
状況 2 偶然出会った時
東京都内/ソウル市内にある有名デパートで次のような日
本人/韓国人に偶然会いました。何と挨拶しますか。
状況 3 久しぶりに出会った時
夏休みの後、次のような日本人/韓国人と久しぶりに会い
ました。何と挨拶しますか。
状況 4 訪問する時
引越しパーティーに招待され、次のような人の家を訪問す
ることになりました。何と挨拶しますか?
特殊
盲腸の手術をした次のような人をお見舞いに病院に行きま
状況 5 お見舞いする時
4.
した。何と挨拶しますか?
日韓挨拶表現の類型
本発表では挨拶表現の再分類を試み、以下のような차정민(2005)による分類を主に参照
しながら使用頻度が低かったり類型同士の境界が曖昧だったりするものは省略または統合
した。
9
以下のような別れの場面に関しても調査を同時進行したが、本発表では発表時間の都合上、分析結果を
割愛した。



日常的に別れる時
次のような日本人/韓国人と一緒に食事をしました。別れ際、何と挨拶しますか。
相手が先に帰る時
学校の人と集まっていた席で次のような人が先に帰ることになりました。別れ際、何と挨拶します
か。
長く離れ離れになる時
次のような人が田舎に引っ越すこととなり、しばらく会えなくなってしまいました。別れ際、何と
挨拶しますか。
10
予備調査は、2012 年 1 月から 3 月にかけて韓国語母語話者 8 名と日本人韓国語学習者 8 名に行った。学
習に対する要望の度合いに関しては、日本人韓国語学習者と韓国人日本語学習者で異なる可能性があるた
め、今後、韓国人日本語学習者に対しても調査を行っていきたい。
6
① 行為の描写
② 安否の問いかけ
③ 出会いの程度表明
④ 喜びの言及
⑤ 話し手の感情表出
⑥ 目的の問いかけ
⑦ 身体・外見への言及
⑧ 相手の労苦察し
⑨ 天気の言及
⑩ 呼称の使用
⑪ その他
例えば「話し手の感情表出」と「喜びの言及」は類似しているため統合し、「天気への言
及」は本発表による調査だけではなく日韓ドラマから抽出された挨拶表現を列挙した金香
来(2000)と金普仁(2007)でも言及されていないため、使用頻度が低いと判断し省略した。
以上のような理由から再分類した本発表での類型分類は、表 4 の通りである。ただしこ
の分類は、前掲した状況での挨拶表現が中心であるため、他の状況ではこれ以外の表現、
類型があることも十分に予想される。
表4
定型性
定型
準定型
機能
NP
(NP)
(PP)
非定型
日韓挨拶表現の類型
PP
類型
①
決まり文句投げかけ
②
出会いの頻度・事態言及
③
謝意の表明
④
新語の決まり文句投げかけ
⑤
労苦への察し
⑥
踏み込みの弱い問いかけ・描写
⑦
踏み込みの強い問いかけ
⑧
話し手の感情表出
以下、各類型に対する説明とそれぞれを定型/準定型/非定型的表現に分類した根拠を
記す。なお、ここで提示している挨拶表現の例は、全て本調査によって得られたデータか
ら抜粋したものである。
①
決まり文句投げかけ
この類型は、
「おはようございます。」「こんばんは。」など代表的な挨拶表現の総称であ
る。これらは、伝達したい内容が含まれた後半部分―例えば「こんばんは。」では「今晩は
よい晩ですね。」の下線部―が省略され、残りの前半部分が今日の挨拶表現として定着した
ものである(名倉康司 2005:72)。使用頻度が高く、実質的な内容が省略されて原意が伝達
されにくいという特徴が、前述した定型的表現の特徴とも合致するため定型的表現であり、
表 1 の「慣習に基づき間接的であれ」からNPとして機能すると判断された。
韓国語でこの類型に該当する表現は、「안녕하세요?/안녕하십니까?(こんにちは。)」
などである。羅聖淑(2009:76)や名倉康司(2005:75)によれば、もともとは食糧が足らず
貧しい民が餓死した「春の端境期」
、政治的な変化によって生命が危機にさらされがちであ
7
った時代に相手が無事、安寧であるか尋ねるという目的で、このような言葉が挨拶表現と
して用いられ始めたというが、現代では時代の変化とともに元来の意味が希薄になり、状
況や時間帯などの制約をあまり受けない表現として定着しているという。韓国語でも原意
の希薄性という観点からやはり定型的表現であり、NPとして機能すると考えられる。
②
出会いの頻度・事態言及
久 し ぶ り に 会 っ た 時 に 用 い ら れ る 「 久 し ぶ り 。」「 ご 無 沙 汰 し て お り ま
す。」「오랜만이야.(久しぶり。)」や、偶然会った時に用いられる「偶然ですね。
」など、
相手との出会いの頻度や出会った事態について言及する表現が含まれる。
「偶然に会いまし
た。
」や「오랫동안 못 봤습니다.(長らくお会いできませんでした。)」のように最後まで
言い切らず、
「偶然。」
「오랜만.(久しぶり。)」のような一語的な言語形式が習慣的に用い
られているため定型的表現であり、NPとして機能すると見なされた。この類型がNPで
あるという本発表での判断は、話し手が聞き手との出会いにどのような価値を見出してい
るのか、聞き手にどれ程の関心を払っているのかといった「情」が顕在化されておらず、
ただ出会ったという客観的な事実のみを述べている、言い換えれば相手に親しみを示すP
Pを志向しているという要素がないという차정민(2005:59)の言及とも一致している。
③
謝意の表明
この類型には、「招待ありがとうね。」「おじゃまします。」「고마워.(ありがとう。)」な
ど主に招待され時に、招待や聞き手との出会いに感謝や謝罪、相手にかける迷惑の意を述
べる表現が含まれる。言語形式が一定的であること、また「お邪魔します。」と発話する時
に「私のような者は邪魔になる。
」という原意を話し手があまり考慮せず、単なる挨拶表現
としておそらく使用しているだろうことから、実質的な意味が弱まっていると判断された
ため、定型的表現であると見なした。またポライトネス理論からみても、謝意というのは
相手に礼儀や配慮を示すものであり、相手との距離を縮めたり親密さを表したりするPP
とは対極に位置する概念だと考えられるため、やはりNPであると判断された。
④
新語の決まり文句投げかけ
この類型には、
「やっほー。
」
「おっす。」
「굿모닝.(Good morning.)」など「決まり文句投
げかけ」が変化したものや英語の挨拶表現を借用したものなどが含まれる。この類型は、
その由来となる「おはようございます。」などの「決まり文句投げかけ」自体が原意を喪失
しており、また英語からの借用語も「May you have a good morning.」という語源 11がほと
んど考慮されずに「굿모닝.(Good morning.)と発話されることから、実質的な意味を伝達
しない定型的表現に含まれると考えられた。しかし、比嘉正範(1985:20~21)では、
「こん
11
小林祐子(1981:90)によると、
「Good morning.」は「It is a good morning.」に由来するとも言わ
れているが、
「May you have a good morning.」の省略形だとする説が一般的だという。
8
にちは。」
「こんばんは」などの定型的表現は、儀礼語として、すなわちNPとして機能し
親しい人や仲間同士で使用できる挨拶ではないため、若年層では仲間語として、つまりP
Pとして使える新しい挨拶表現を創り出すことがあると述べ、その例として「ハーイ。」な
どを挙げている。また、近年の研究である羅聖淑(2010:18)でも「よっ」や「オウ。」が、
定型的表現である「おはよう。
」などよりはぞんざいだと言及しており、前掲書と類似した
立場を表明している。以上のような先行研究を念頭に置くとこの類型は、
「仲間ウチである
ことを示す指標を用いよ」というPPストラテジーに該当し、定型的表現としての性質を
持ちながらもPPとしての傾向が強いため、準定型的表現だと見なされる。
⑤
労苦への察し
この類型には、「お疲れ様です。
」や相手に不幸があった時に用いる「この度は大変でし
たね。
」などが含まれる。本来「お疲れ様です。」など「お疲れ」系の挨拶表現は、聞き手
が労働などで疲れていることを察し、労うという意を持つ(倉持益子 2008)。しかし、羅聖
淑(2010)でも指摘されているように、近年ではこれらの表現が単なる挨拶表現としての地
位を確立し、徐々にその原意が弱まってきている。また、相手を見舞う挨拶表現に関して
も「大変」や「ご愁傷様」という言葉の使用率が高いという鈴木孝夫(1981:55)の言及か
ら、この類型は定型的表現であると見なされた。ところが倉持益子(2008)では、定型的表
現であるためNPとして働くはずの「お疲れ」系の挨拶表現がPPとして機能すると主張
している。そして、その理由として、労働などに対する相手の努力を評価したり相手を思
いやったりする意味で使われているためだと述べている。つまり、表 1 の「共通基盤を想
定・喚起・主張せよ」もしくは「聞き手に贈り物をせよ(品物、共感、理解、協力)」に相
当するためだとしているのである。また、相手が疲れていることが分かる立場にいる人と
いう前提から互いが仲間であるということを示唆させるため、つまり「仲間ウチであるこ
とを示す指標を用いよ」に相当することもこの表現がPPである理由として挙げている。
このように考えると、
「この度は大変でしたね。」などもやはり相手を気遣う表現であるた
めPPとしても機能すると考えられるだろう。以上のような論議から、日本でのこの類型
は、定型的表現でありながらもPPとしての要素も兼ね備えているため、
「定型的表現=N
P、非定型的表現=PP」という枠組みでは処理できない準定型に分類することとする。
韓国語でこの類型に該当する表現は、
「수고.(お疲れ。)」や「고생 많았어.(苦労が多い
ね。)」「수술하느라 힘들었겠다.(手術で大変だっただろうね。)」などがある。韓国語で
も차정민(2005:66)で儀礼的な表現だと述べられていることから、定型的表現だと判断さ
れた。しかし、前述したような理由から日本語と同様、PPとして働く部分もあると思わ
れるため、やはり準定型的表現であると考えられる。
⑥
踏み込みの弱い問いかけ・描写
「元気だった?」
「どうしたの?」
「일찍 오셨네요?(早くいらっしゃいましたね。)」な
9
ど相手の安否や行為について問いかけたり描写したりする表現が含まれる 12。これらは概し
て疑問文によって発話されるが、相手の状態や出会った時の状況に合せて異なった言語形
式が用いられるため定型的表現ではなく、またNP/PPの如何に関しても「聞き手(の興
味、欲求、ニーズ、持ち物)に気づき、注意を向けよ」というPPストラテジーに該当する
ため、PPに属するように思われる。しかし、疑問文ではあるが質問としては機能してい
なかったり、質問の答えを聞かなくても答えが明らか、もしくは予想できたりするという
特徴が見られるため、問いかけというよりは相手について描写しているという性格が強い。
また、質問であったとしても疑問詞疑問文ではなく真偽疑問文によって発話されるため「は
い/いいえ」で返答ができ相手への踏み込み度合は低いという特徴がある。例えば、デパ
ートで出会った状況では聞き手が何かを買いに来たということが十分に予想できるため、
「どうしたの?」「쇼핑하러 오셨어요?(お買い物ですか?)」と挨拶しても、新情報を求
める発話とは解釈されず、従って相手のネガティブ・フェイスを侵害する度合は低いとい
うことである。よって、非定型的表現、そしてPPでありながらも他者に踏み込まれたく
ないというネガティブ・フェイスをある程度は補償しているためNPとしても要素も強い
と判断され、準定型的表現に分類することとした。
⑦
踏み込みの強い問いかけ
「夏休み何してたの?」
「누구랑 왔어?(誰と来たの?)」
「방구는 나오니?(おならは出
ている?)」など相手の行為について問いかける表現が含まれる。この類型もやはり挨拶す
る相手によって異なる言語形式、特に疑問文によって発話されるため定型的表現ではなく、
また「聞き手(の興味、欲求、ニーズ、持ち物)に気づき、注意を向けよ」に該当すると考
えられるためPPに属すると考えられる。この類型が前述した「踏み込みの弱い問いかけ・
描写」と異なる点は、ほとんどが疑問詞疑問文によって発話がなされるため聞き手からの
自己開示をより多く求めること、また真偽疑問文であっても相手の領域をより深く侵害す
ることから、よりPPとしての機能が強化されているという点である。例えば、久しぶり
に出会った状況では「元気?」よりも「夏休み何してたの?」が、盲腸の手術をした人を
見舞う状況では「괜찮아?(大丈夫?)」よりも「방구는 나오니?(おならは出ている?)」
の方が聞き手に深く踏み込んで新情報を開示するよう求めているため、相手のネガティ
ブ・フェイスの侵害度が高く、逆に他者から関心を持たれたいというポジティブ・フェイ
スをより補償しているため、PPへの傾向が強まっているということである。
12「밥
먹었어요?(ご飯食べましたか?)」は、習慣的に用いられ実質的な意味を伝達しないことも多いた
め、この類型に属すると考えられる。しかし、日本語では金普仁(2007)でも言及されているように、食事
に関する発話が挨拶表現としてほとんど用いられないため、同じ発話内容が日本語で用いられた場合は、
「踏み込みの強い問いかけ」に分類されるだろう。同じ言語形式が日韓で異なる類型に分類されるのは問
題であるが、今回の調査では食事に関する表現が用いられなかったため、このような点はとりわけ重要視
していない。
10
⑧
話し手の感情表出
この類型は、
「すごいきれいな家だね。
」「잘 꾸며놓고 사네요.(おしゃれな所ですね。)」
「반갑다.(会えて嬉しいよ。)」など相手との出会いや相手の持ち物に好意的な感情を表す
挨拶表現の総称である。日本語では、挨拶表現としての出現率が低い類型であり(小林祐子
1993)、それに比例して固定的でない表現が使われ実質的な意味が伝達されやすいという特
徴を持つため、非定型的表現に分類される。また、NP/PPストラテジーでも「共通基
盤を想定・喚起・主張せよ」もしくは「聞き手に贈り物をせよ(品物、共感、理解、協力)」
に相当し、他者から好かれたり是認、賞賛されたりしたいという気持ちを満たすPPに属
すると考えられた。
また、韓国語では「반갑습니다.(お会いできて嬉しいです。)」という表現が、未知の間
柄で行われる初対面の状況では韓国語教材にも記載されており定型化された表現として認
識されている。しかし、本発表において研究対象とした既知の間で交わされる挨拶表現に
関しては、管見の限り先行研究で述べられたことがないため、それだけ定型性が低く、や
はりPPである非定型的表現に属すると判断された。
5.
日韓挨拶表現の使用様相
5.1.
状況による使用様相あ
表5
日本語母語話者による状況別の使用様相 13
類型
状況 1
状況 2
状況 3
状況 4
状況 5
決まり文句投げかけ
81%
50%
17%
15%
7%
出会いの頻度・事態言及
0%
24%
79%
0%
1%
謝意の表明
0%
0%
0%
69%
0%
準定型
新語の決まり文句投げかけ
9%
7%
3%
0%
1%
(NP)
労苦への察し
7%
2%
0%
6%
17%
(PP)
踏み込みの弱い問いかけ・描写
12%
33%
27%
1%
93%
非定型
踏み込みの強い問いかけ
5%
1%
19%
3%
7%
(PP)
話し手の感情表出
0%
0%
0%
15%
9%
定型
(NP)
13
ここで記した割合は、回答者数を「全体の被験者数である 25 名×各状況における回答欄数(前述したよ
う親密度は親しい人と親しくない人、上下距離感は目上の人・同年輩・目下の人で提示したため回答欄数
は全部で 6 つである。)」で割ったものである。なお、例えば、状況 1 では各類型の使用率を全て足すと
114%となり 100%を超えてしまうが、これは以下のように 2 つ以上の類型を使用して挨拶をした被験者が
いたためである。
例:
「やっほー。元気?」 → 「新語の決まり文句投げかけ」+「踏み込みの弱い問いかけ・描写」
11
表6
韓国語母語話者による状況別の使用様相
類型
状況 1
状況 2
状況 3
状況 4
状況 5
決まり文句投げかけ
67%
49%
33%
25%
10%
出会いの頻度・事態言及
1%
14%
21%
0%
0%
謝意の表明
0%
0%
0%
25%
0%
準定型
新語の決まり文句投げかけ
3%
1%
1%
0%
0%
(NP)
労苦への察し
0%
0%
0%
0%
3%
(PP)
踏み込みの弱い問いかけ・描写
35%
42%
53%
0%
72%
非定型
踏み込みの強い問いかけ
9%
13%
23%
0%
20%
(PP)
話し手の感情表出
1%
5%
5%
43%
7%
定型
(NP)
まず、日本語挨拶表現の使用から見てみると、状況 1 と 2 では「おはよう。」など「決ま
り文句投げかけ」の使用率が圧倒的に高いが、状況 3~5 ではむしろ韓国語における使用率
の方が高く日本語では他の類型が多用されている傾向が認められた。しかし、だからとい
って非定型表現がよく用いられている訳ではなく、状況 3 では「出会いの頻度・事態言及」、
状況 4 では「謝意の表明」といずれもNPである定型的表現が最もよく用いられていた。
状況 3 ‐ 親しい目下の人(J20)14
:超久しぶりじゃん。元気だった?
状況 4 ‐ 親しくない目上の人(J8)
:本日はお招きいただきありがとうございます。
また、
お見舞いに行く状況 5 では、
定型的表現ではなく準定型的表現に属する「大丈夫?」
という「踏み込みの弱い問いかけ・描写」が被験者に多く用いられていた。このようにこ
の状況でのみ準定型的表現の使用率が顕著に高かった理由は、状況の特殊性から慰める気
持ちを伝えるには、定型的表現では事足りないためだと推測される(鈴木孝夫 1981:55)。
先行研究でも見たように、日本語挨拶表現は定型性が高いと述べられており、
「おはよう。
」
「こんにちは。
」が状況に関わらず多用されるという印象を持たれがちである。だが、今回
の調査から日本語ではそのような言葉だけで挨拶が交わされる訳ではなく、定型性が強い
と言っても各状況における定型性なのであって状況に合せた挨拶表現が選択されること、
すなわち「この状況ではこの表現」のように状況と挨拶表現の結びつきが強いということ
が確認された。そして、各状況では概してNPである定型的表現が選択されるが、それで
は状況にふさわしい挨拶ができない場合は例外として準定型的表現も用いられるというこ
とが明らかになった。
一方、韓国語では、どの状況においても定型的表現である「안녕하세요?(こんにちは。)」
など「決まり文句投げかけ」を使用する被験者が少なからず認められ、特に状況 3~5 では
14
分析結果に限って、日本語母語話者は J1~25、韓国語母語話者は K1~25 と表記する。
12
その使用率が日本語を上回る結果となった。しかし、「踏み込みの弱い問いかけ・描写」や
「踏み込みの強い問いかけ」
「話し手の感情表出」という準定型的表現や非定型的表現も、
以下のようにどの状況でも多用されているという側面も認められた。
状況 1 – 親しい同年輩(K9)
:왔냐?(来たのか?)
状況 5 – 親しい目上の人(K7) :어떻게 수술은 잘 되셨어요?(手術は上手くいきましたか?)
金香来(2000)、서정수(1998)などでは、韓国語挨拶表現は日本語のそれに比べ定型性が
低いと述べられているが、
「안녕하세요?(こんにちは。)」という「決まり文句投げかけ」
があまり用いられないということではない。むしろ、どの状況でも「안녕하세요?(こんに
ちは。)」で挨拶できるという点では、韓国語における「決まり文句投げかけ」の使用可能
範囲は、日本語におけるそれよりも広いと言うことができるだろう。だが、それ以外の表
現も多く用いられるため、全体としては、定型性が低いと分析されたりそのような印象を
持たれたりするということが今回の結果から示唆された。
韓国語において特異な点は日本語では「久しぶり。」などの「出会いの頻度・事態言及」
を用いた被験者が顕著に多かった状況 3 において、その使用率が低かったということであ
る。
「踏み込みの弱い問いかけ・描写」や「踏み込みの強い問いかけ」である「잘 지내셨죠?
(元気でしたか?)」や「방학 동안에 뭐했었어?(休みの間どうしていたの?)」などが多
用されていることから、この両者が代用されたことが窺える。このような結果は、韓国語
ではPPへの志向が強いため、準定型/非定型表現が好まれるというように解釈もできる
し、
「踏み込みの弱い問いかけ・描写」に属す「잘 지냈어?(元気?)」という表現が日本
語の「元気?」よりも定型化しているためとも解釈できるだろう。また、
「新語の決まり文
句投げかけ」と「労苦へのねぎらい」も日本語に比べ使用率が低かった。
滝浦真人(2008:109~113)では日韓言語行動に関する先行研究を紹介しながら、日本語
ではNP、韓国語ではPPへの傾きが強いことを暗に言及している。本発表における分析
でも、日本語は総じて定型的表現、韓国語は定型的表現の使用率も高いが準定型/非定型
的表現を多く用いていることから、やはり日本語はNP、韓国語はPPへの志向がどちら
かと言えば強いと結論づけられそうである。
前述したようにNPは、自分の領域が他者から侵害されたくないという欲求を守り、相
手と距離を置く一方、PPは他者に受け入れられたいという欲求を満たし、相手との距離
を縮めたり、互いが親しく近しい関係にあると見なす時に有用である。このような見地か
ら分析結果を解釈すれば、日本語では相手への領域侵害に注意をより払いながら挨拶をし
ており、韓国語では領域を侵害したとしても相手との距離を縮めたり互いが親しい関係に
あることを強調しながら挨拶することを好む傾向にあると考えられる。
また、日本語については定型的表現を交わすことが習慣化されているため、NP/PP
を意識せずにそれが多用されている一面もあるかもしれない。いずれにせよ、定型的表現
13
は相手との距離感や敬意を意識する、しないの如何を問わずNPであることを示してしま
うため、日本語においては挨拶表現で親しさを伝えることは難しいと言えるだろう。
5.2.
上下距離感による使用様相 a
表7
日本語母語話者による上下距離感別の様相
類型
目上の人
同年輩の人
目下の人
決まり文句投げかけ
42%
30%
30%
出会いの頻度・事態言及
22%
21%
20%
謝意の表明
15%
14%
13%
準定型
新語の決まり文句投げかけ
0%
6%
6%
(NP)
労苦へのねぎらい
7%
5%
7%
(PP)
踏み込みの弱い問いかけ・描写
30%
34%
35%
非定型
踏み込みの強い問いかけ
6%
7%
8%
(PP)
話し手の感情表出
4%
5%
6%
定型
(NP)
表8
韓国語母語話者による上下距離感別の様相
類型
目上の人
同年輩の人
目下の人
決まり文句投げかけ
44%
33%
33%
出会いの頻度・事態言及
7%
9%
6%
謝意の表明
6%
5%
4%
準定型
新語の決まり文句投げかけ
0%
2%
1%
(NP)
労苦へのねぎらい
1%
1%
0%
(PP)
踏み込みの弱い問いかけ・描写
44%
40%
37%
非定型
踏み込みの強い問いかけ
12%
12%
15%
(PP)
話し手の感情表出
11%
13%
13%
定型
(NP)
本発表で行った調査では、日韓とも上下距離感による目立った差異は認められなかった。
これは、目上の人にはより形式的な表現を用いる傾向があるということを指摘した
박수란(2005)とは異なる調査結果である。박수란(2005)では「上司」や「教授」など聞き
手を具体的に設定していたが、本発表で用いた口頭言語産出アンケートでは「目上の人」
としか提示しなかったため、被験者が年齢差のあまりない目上の人を思い浮かべながら回
答したことが先行研究と異なった結果になった原因の一つであると考えられる。また異な
る研究方法を用いたため、得られたデータの内容に差異が生じた可能性もあると思われる。
ただし、
「おはよう。
」
「안녕하세요?(こんにちは)」といった「決まり文句投げかけ」に
関しては、目上の人により多く用いる傾向がある。被験者が「定型的表現=決まり文句」
14
と認識していたであろうことを念頭に入れるならば、日韓ともに目上の人にはNP、定型
的表現でより丁寧に挨拶を行っていると解釈される。また、日韓ともに使用率が低く断言
はできないが、
「おっす。
」のような「新語の決まり文句投げかけ」は一度も目上の人に用
いておらず、目上の人には用いにくい挨拶表現だと被験者が認識していたことが窺えた。
状況 3 ‐ 親しい同年輩(J24)
:おひさー。
状況 2 ‐ 親しくない目下の人(J5) :やっほー。
以上から、日韓の挨拶表現には上下距離感があまり反映せず表現の使い分けがなされて
いないが、特定の表現に関しては目上の人には敬意や礼儀を示すこと、つまりNPを志向
するためより多く用いられたり、逆に用いられない表現があるということが言えるだろう。
5.3.
親密度による使用様相 a
表9
日本語母語話者による親密度別の様相
類型
親しい人
親しくない人
決まり文句投げかけ
25%
43%
出会いの頻度・事態言及
23%
19%
謝意の表明
15%
13%
準定型
新語の決まり文句投げかけ
6%
3%
(NP)
労苦へのねぎらい
8%
5%
(PP)
踏み込みの弱い問いかけ・描写
42%
23%
非定型
踏み込みの強い問いかけ
9%
5%
(PP)
話し手の感情表出
6%
4%
定型
(NP)
表 10
韓国語母語話者による親密度別の様相
類型
親しい人
親しくない人
決まり文句投げかけ
22%
52%
出会いの頻度・事態言及
7%
7%
謝意の表明
2%
7%
準定型
新語の決まり文句投げかけ
1%
1%
(NP)
労苦への察し
0%
1%
(PP)
踏み込みの弱い問いかけ・描写
45%
36%
非定型
踏み込みの強い問いかけ
23%
3%
(PP)
話し手の感情表出
19%
6%
定型
(NP)
15
分析の結果、日本語では、定型的表現に分類される「決まり文句投げかけ」が親しい人
よりも親しくない人に多用されることが明らかになった。それに対し、
「踏み込みの強い問
いかけ」と「話し手の感情表出」という非定型的表現は使用頻度が低いものの親しい人に
より多く用いられており、準定型表現、特に「踏み込みの弱い問いかけ・描写」も親しい
人により多く用いられる傾向が認められた。
状況 2 ‐ 親しくない目下の人(J22)
:こんにちは。
状況 2 ‐ 親しい目下の人(J10)
:あ、こんな所で何してるの?
以上のような結果から、日本語では、親しくない人にはNPである定型的表現、親しい
人にはPPの要素が含まれた準定型的表現や非定型的表現を用いる傾向があると言えそう
である。これは、PPは親しい人同士の言語行動でよく見られ、NPは相手との距離を遠
ざけるというブラウン・レヴィンソン(2011)の言及と一致するものである。
しかし、親しい人に対する「出会いの頻度・事態言及」と「謝意の表明」の使用率が高
いことから、日本語では「親しい人=PP、親しくない人=NP」という親密度による挨
拶表現の使い分けが明確にはなされておらず、親しい人にでもNPを志向し、定型的表現
が用いられるということが分かった。つまり、いくら親しい関係にあっても相手との距離
を保ったり敬意を払ったりすることが望ましいと見なされる場合も多々あるということで
ある。
このような日本語母語話者による親しい人へのNP志向は、準定型/非定型的表現の使
用にもよく現れている。非定型的表現に相応するPPが相手との距離を縮め、親しみを表
すことができるため、親しい人によく用いられる言語行動であることは前述した通りであ
る。しかしPPは、聞き手がある程度の距離を維持していたいと感じている場合には、相
手との距離を縮めるという踏み込みが不快に思われ、馴れ馴れしかったり図々しかったり
する印象を植えつけてしまう危険性をも同時にはらんでいる(滝浦真人 2008:37)。それに
対して、準定型的表現は定型的/非定型的表現のいずれでもないため、相手に踏み込みす
ぎ不快感を与える危険性を軽減することができつつも相手に一定の親しみを感じさせるこ
とができる。日本語母語話者は、非定型的表現の使用率が低く、その代わり準定型的表現
を多用していたが、これは「親しい人にはPPで挨拶をして親しみを表したい。しかし、
PPで挨拶をすると相手に失礼になってしまう可能性があるから親しみを表しつつも礼儀
に反しない準定型で挨拶したい。
」という思いが意識的であれ無意識的であれ顕在化した結
果ではないだろうか。
これに対し、韓国語挨拶表現では、「決まり文句投げかけ」と「謝意の表明」が親しくな
い人により多く用いられており、
「踏み込みの強い問いかけ・描写」と「話し手の感情表出」
が親しい人により多く用いられていた。
16
状況 2 ‐ 親しくない同年輩(K10):안녕?(こんにちは。)
状況 2 ‐ 親しい目下の人(K23)
:어 반가워요. 뭐 사러 오셨어요?(あ、お会いできて嬉しいで
す。何買いに来たんですか?)
つまり、韓国語母語話者も親密度によって定型/非定型的表現を使い分けており、親し
くない人にはNPである定型的表現を、親しい人にはPPである非定型的表現を好んで用
いるということが明らかになった。日本語挨拶表現の様相と異なる点は、親密度による定
型/非定型的表現の使い分けがより明確であるという点である。
また、準定型的表現については親しい人により多く用いられていたが、親密度による差
異があまり認められなかった。このように準定型的表現に対する差異が顕著でなかった理
由の一つとしては、
「踏み込みの弱い問いかけ・描写」に分類される「잘 지냈어?(元気?)」
が日本語の「元気?」よりも定型的表現として定着しているため、親しくない人にでも頻
繁に使われたということが挙げられるだろう。また、「労苦のへ察し」や「新語の決まり文
句投げかけ」が用いられない理由としては、韓国語では親しい人にはPPを志向し非定型
的表現を用いるため、それが使えないために代用する準定型的表現を敢えて使用する必要
性がなかったためではないかと推測される。
6.おわりに
本発表では言語的にも文化的にも似通っていると言われている日本語と韓国語に焦点を
当て、出会いの場面における両言語の挨拶表現について比較を行った。
本発表において明らかになった日韓挨拶表現の様相は、以下の通りである。
①
総じて日本語母語話者は定型的表現、韓国語母語話者は定型的表現だけでなく準定型
/非定型的表現を好むことが認められた。このような結果は先行研究とも一致し、日
本語母語話者はNP、韓国語母語話者はPPを志向するという傾向を裏付けるもので
ある。
② 上下距離感による様相は、日韓両言語において際立った差異が認められなかった。た
だし「決まり文句投げかけ」を多用したり「新語の決まり文句投げかけ」が用いられ
なかったりしており、目上の人にはNPを志向するため、目上の人に好まれたり避け
られたりする類型があることが若干窺えた。
③
日本語母語話者は、親密度を考慮してはいるものの全ての人にNPを志向するため、
親しい人にでも非定型的表現はあまり用いず、定型的表現や、相手に親しみを表しつ
つも礼儀を示せる準定型的表現で挨拶することが明らかになった。一方、韓国語母語
話者は、親しい人には定型的、親しくない人には非定型的表現を用い、準定型的表現
に関しては親密度による差異がほとんど認められなかった。
定型/非定型的表現という分類に準定型的表現を加えたことにより、日韓挨拶表現の差
17
異をより詳しく明らかにした点において本発表は意義があると思われる。例えば、これま
での先行研究では、日本語の挨拶表現では親密度に関わらず定型的表現を用いられると述
べられてきた。しかし、本発表による調査によって日本語でも親密度を考慮しない訳では
ないが、親しい人にでもNPを考慮するため非定型的表現があまり用いられず、準定型的
表現の使用が増加することを明らかにすることができた。このような結果は、日本語挨拶
表現に対する誤った固定概念を払拭することにつながるだろうと期待される。
しかし、インタビューなどを行って挨拶表現の使用に潜む意識を考察できていないこと、
また口頭言語産出アンケートのデータが実際の挨拶談話とは異なる可能性があることなど
は、本発表の限界であり、その点については今後の課題としたい。
挨拶表現は、日本語・韓国語学習者にとって必要不可欠で重要な言語行動の一つである。
より多くの学習者が母語話者と円滑にコミュニケーションを行い、友好的な関係を築いて
いくため、今後、様々な研究によって母語話者が用いる挨拶表現の特徴が明らかになり、
学習者にも教えられるようになることを期待したい。
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